| 景清(謡曲) | 嬢景清八嶋日記(浄瑠璃) |
|---|---|
| 景清(シテ) | 景清 |
| 人丸(景清の娘)(ツレ) *母は「熱田の遊女」(注2) | 糸滝(景清の娘) *母は「熱田の大宮司の娘」 |
| 人丸の従者(トモ) | 肝煎左治太夫(肝煎り(遊女斡旋業)) |
| 里人1名(ワキ) | 里人2名(実は頼朝の家来・天野四郎と土屋軍内)(注3) |
| (構成) | 景清(謡曲) | 嬢景清八嶋日記(浄瑠璃) |
|---|---|---|
| 1.娘と従者の登場及び道行 | 「(ツレ・トモ)消えぬ便りも風なれば、消えぬ便りも風なれば、露の身いかになりぬらん。」 「(ツレ)これは鎌倉亀が江が谷に、人丸と申す女にて候。さてもわが父悪七兵衛景清は、平家の御方(みかた)たるにより、源氏に憎まれ、日向の国宮崎とかやに流されて、年月を送り給ふなる。いまだ習わぬ道すがら、もの憂き事も旅のならひ、また父ゆゑと心強く、」 「(ツレ・トモ)思ひ寝の涙片敷く、草の枕露を添へて、いと繁き袂かな。」 「(ツレ・トモ)相模の国を立ち出でて...」 |
「花菱屋の段」として独立。
「花菱屋の段」梗概.... 乳母が亡くなり孤児となった糸滝は、乳母の遺言により実の父が平家の侍景清で、日向嶋に流され、盲目の乞食となっていると知る。 盲人は金を払って官位に付けると聞き、その価百金を手に入れようと身を売ることを決め、肝煎左治太夫を頼って手越の宿の「花菱屋」に抱えられる。「花菱屋」の長の好意により前金を受け取り、左治太夫を伴いすぐに日向へ出立する。 *スタートは駿河の国手越の宿。道行に相当する部分はなし。 *左治太夫が景清に語った「相模の国の大百姓に嫁入りさせた」という作り話で相模の国から出立した謡曲とつじつまを合わせている。(下記項目「6.物語」参照) |
| 2.景清との問答 |
*トモの着キゼリフのあと作り物の内よりシテの「松門独り閉ぢて...膚(はだえ)はげうこつと衰えたり。」」の謡。
引き回しが下りて作り物の内に着座するシテが現れる。
「(トモ)いかにこの藁屋の内へ物問はう。」 「(シテ)そもいかなる者ぞ。」 「(トモ)流され人の行方や知りてある。」 「(シテ)流され人にとりても、名字(みやうじ)をば何と申し候ふぞ。」 「(トモ)平家の侍悪七兵衛景清と申し候。」 「(シテ)げにさやうの人をば承り及びては候へども、もとより盲目なれば見る事なし。さもあさましき御有様、承りそぞろにあはれを催すなり。詳しき事をば、よそにて御尋ね候へ。」 *謡曲では景清に直接尋ねるのはトモ(従者)である。(注4) *謡曲ではこの問答のあと、一人になった景清が尋ねてきたのが娘であると悟り、熱田の遊女との馴れ初めをひとりごとにて述懐。 |
*「日向嶋の段」マクラに「松門独り閉ぢて年月を送り、...肌(はだえ)はげうこつと衰えたり。」の詞章が謡ガカリにて挿入。 その後藁家から景清が現れ、重盛の位牌を立てて拝む。 「(糸滝)コレ乞食殿、この島に平家の侍、悪七兵衛景清様の、盲になってまします由。東国方より遥々と行方を尋ねに参りし者。在り所(ありか)を知らば教へてたも。、頼むぞやいの」とありければ 思ひがけなく『コハ如何に』と、ぎょっとせしが、色にも出さず 「(景清)この島にさる人ありとは聞き及べど、我とても盲目なれば、つひに見もせず。今少し先で問ひ給へ」 と詞少なに入らんとす 「ナウその詞の五音(ごいん)体たらく、聞き及びしに少しも違はず、疑ひもなく御身は父御よ。二つの年に生き別れし娘の糸滝。これまで尋ね参りたり、名乗って下され父御前。」 と縋り付けば 飛びしさり、杖を小盾に声荒らげ 「(略)... 人の上にも身の上にも、哀れを見るが悲しさに、景清が在り所知らずと云ひしは偽りよ。ここより奥に彷徨いしが、誠は去年、飢(かつ)ゑ死に。土になりしと知らざるか」 *浄瑠璃では娘が直接尋ねる。 *景清は一旦は「知らない」と答えた後、「実は死んだ」と答える。 |
| 3.里人との問答 | 「(トモ)いかにこのあたりに里人のわたり候ふか。」 「(ワキ)里人とは何の御用にて候ふぞ。」 「(トモ)流され人の行方や御存じ候。」 「(ワキ)流され人にとりても、いかやうなる人を御尋ね候ふぞ。」 「(トモ)平家の侍悪七兵衛景清を尋ね申し候。」 「(ワキ)ただいまこなたへ御出で候ふあれなる山陰に、藁屋の候ふに人は候はざりけるか。」 「(トモ)その藁屋には盲目なる乞食こそ候ひつれ。」 「(ワキ)なうその盲目なる乞食こそ、御尋ね候ふ景清候ふよ。…」 |
「(左治太夫)卒爾ながら物問はん。悪七兵衛景清の最期の跡はいづくの程、教へて給べ」とありければ 「(里人)ア、ハ、、、いやはや卒爾とてこれに上越す粗相もなし。エ、かうお出での道に、物古りた藁家に、盲目の乞食はなかりしか」 「イヤその盲目に尋ねてこそ、景清死去と聞いてさふ」 「エ、それこそ景清盲目なれ。ア、聞こえた。称へを憚り名乗らぬ筈。幸ひ我等参るもの、引き合はせて参らせん」 *この部分は「景清は死んだと言われた」こと以外は、謡曲と同じである。 |
| 4.景清再登場 | 「(シテ)かしましかしましさなきだに、故郷の者とて尋ねしを、この仕儀なれば身を恥ぢて、名のらで帰す悲しさ、千行の悲涙袂を朽(くた)し、万事は皆夢の中(うち)のあだし身なりとうち覚めて、 今はこの世に亡き者と、思ひ切りたる乞食を、悪七兵衛景清なんどと、呼ばばこなたが答ふべきか。 その上わが名はこの国の、 「(地謡)日向とは日に向ふ、日向とは日に向ふ、向ひたる名を呼び給はで、力なく捨てし梓弓、昔に帰る己が名の、悪心は起さじと、思へどもまた腹立ちや 「(シテ)所に住みながら 「(地謡)所に住みながら、御扶持ある方々に、憎まれ申すものならば、ひとへに盲の、杖を失ふに似たるべし。片端(かたわ)なる身の癖として、腹悪しくよしなき言ひ事、ただ恕(ゆる)しおはしませ」 |
「喧しし喧しし。古巣に捨てし雛鶴の、親はなけれど鳥屋(とや)出して、千里を翔り尋ね来て、父よと泣けど身を恥ぢて、我は答へず夜の鶴。腸(はらわた)を断つとは人知らじ。
今はこの世に亡きものと思ひ切つたる乞食を、『悪七兵衛景清』と、呼べば『これに』と答ふべきか。 その上住家もこの国の日向とは日に向かふ、向かひたる名を呼びもせで、情けなく捨てし梓弓。引けば引かるる悪心を、また起こさするか腹立ちや」 と隔ての菅菰引きちぎり、杖追つ取つて立ち出でしが 「所に住みながら、御扶持ある方々に、憎まれ申すものならば、偏(ひとえ)に盲目の杖を失ふに似たるべし。片輪なる身の癖として、腹悪しくよしなき云ひ事ただ赦し、おはしませ」 *里人に呼ばれて景清が出てくる。「その上わが名も」が「その上住家も」となる以外ここも概ね謡曲と同じである。 |
| 5.娘との対面 | 「(ワキ)急ぎ父御に御対面候へ。 「(ツレ)なうみづからこそこれまで参りて候へ。恨めしやはるばるの道すがら、雨風露霜をしのぎて参りたる志も、いたづらになる恨めしや。さては親の御慈悲も、子によりけるかや情なや 「(シテ)今までは包み隠すと思ひしに、あらはれけるか露の身の、置き所なや恥づかしや。御身は花の姿にて、親子と名のり給ふならば、ことにわが名もあらはるべしと、思ひ切りつつ過すなり。われを恨みと思ふなよ」 *と言って、里人に対しても一旦は娘が会いにきたことを否定していたシテはここで両手でツレを抱く。 |
娘はそれぞと聞くからに、
「ナウ懐かしや御身が父上様かいの。乳母が今際の物語、御在り所を聞き疾し遅しと、遥々尋ね来たりしに、『娘よう来た不憫や』と、一口云ふたら咎にならうか。最前はなど胴欲に、包み隠させ給ひし」 と縋り付いて泣きければ 父も引き寄せ撫でさすり... *娘が客席に背中を向ける形で、父と娘が抱き合う型。 *浄瑠璃ではここで(すなわち娘が聞いている前で)景清が「我熱田の大宮司が娘に契り...」と語る。 |
| 6.物語 |
*景清自身による屋島の軍語り。 父の高名を聞きたいという娘の所望に応じ、聞いたら帰れと言い渡して、 平曲語りになぞらえ景清自らが錣(しころ)引きの場面を語る。 |
*娘の現況を問われた左治太夫が咄嗟の機転で、 「相模の豪農に嫁がせて裕福な暮らし。婿のほうからも父を呼び寄せ、是非官位につくようにとの由」 との作り話を語る。 |
| 7.結末 | *物語を聞いた人丸と従者は無言で立ち去る。 |
*武士の娘の分際で農民に嫁ぐのも、頼朝の治世の官位につくのも侮辱だと怒って娘に自害せよと「あざ丸の懐剣」を渡し、帰らせる。 *娘の残した書置から、官位につくためのお金として娘が持参した金は、遊女屋に身売りした金と知り、愕然とする。 そこへ里人2人が現れ、実は頼朝から世話するよう頼まれてきた隠し目付けであると正体を明かし、頼朝に仕えるよう勧める。(注3) *武士の一分に親子の情が勝った景清はそれを受け入れ、上洛の船から海へ重盛の位牌を流す。 |
| (項目) | 嬢景清八嶋日記 | 大仏殿万代石楚 |
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| 1.娘の名 | 糸滝 | 糸竹 |
| 2.娘と供の道行 | なし(注5) | あり |
| 3.文章上の異同「花菱屋」 | 「まづ見せてぴつくりさせましよか」([2]p.7) | 「光見せて恟(びつくり)させませよか」([5]p.37) |
| 4.文章上の異同「日向嶋」 |
「錦の包みに恭しく、いつきの位牌」([2]p.14) 「河内の判官宗清なんど一騎当千の者共」([2]p.14) 「親は子に迷はねど子は親に迷ふたな。」([2]p.19) |
「錦の包にうやうや敷肉を清めし髑髏(しやれかうべ)」([5]p.46)(注6) 「河内の判官瀬尾なんど。一騎当千の者共」([5]p.46) 「親は子に逢はねど子は親に迷ふたなあ。」([5]p.49) |
(c)YUKICHI&Koharu 2010