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世界の食卓〜サンパウロ編〜
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忘れちゃいけないブラジル料理!サンパウロではブラジルの郷土料理専門店もあります!
アラブ的サンパウロ
目次
アラブって? 大きなアラブパン 庶民文化はアラブ文化? レバノン ベイルート
シリア 料理屋兼肉屋 アラブ料理 アラブ菓子
変わりジェラート・アラブ菓子編 アラブ菓子の名前一覧 アラブのお酒 オリーブだってレバノン
私の勉強した日本の中学生用地図帳の国旗にレバノンの国旗がない!
ダンサ・デ・ベントレ


アラブって?
 アラブって神秘的。というのは、日本育ちのわたしには知る機会がなさ過ぎたというだけということかな?サンパウロにいるとアラブはご近所さん。中でも、シリア、レバノンといった国の移民やその子孫の存在が大きい。いいすぎれば、ラテン系の国と思われているブラジルの習慣さえ、アラブに由来するとも(真実は定かでないが、ブラジルが発見された初期の頃の船員の多くは、航海術に長けたアラブ人だったらしく、ブラジルにアラブ的なものを持ち込んだって。)。
 市内にはけっこう大きなメスキータがあるかと思えば、アラブ料理を中心としたメニューを提供するチェーン店HABIBSがマクドナルドより繁盛していたり、ブラジルのアラブは大活躍。

大きなアラブパン
 アラブ食料品店で、大きなパンを発見した。普通のアラブパンといえば、直径2,30センチの薄い丸型パン。ところが、この大きなアラブパン、直径約1メートルはある、丸い薄焼きパン。紙くらいに薄い。最初はこんなに大きいとは思わなかった。だって、20×20センチくらいに折りたたまれてビニール袋に入れて売られていたもので。
 このパン、アラブではマルクークといわれているらしい。こんなに大きいんだから、家族で食べるのは当然ながら、料理の上にかぶせたり、持ち帰りの料理も包んだりするそう。保温の役割もしていたとは、、、。
 カップに入ったスープを、パイ生地で蓋をして焼くなんていう料理も、アラブが起源かなあ?

庶民文化はアラブ文化?
 上記にも挙げたが、ブラジル文化はアラブ文化なしに語ることができないよう。特に庶民の文化。
 例えば、よく下町で売られているアラブ式サンドイッチ。つまり、肉の塊を約1メートルの串に巻きつけて、縦に機械に差し込んで、自動でくるくる回しながら焼き、これを表面からナイフで削いだ肉と野菜類をパンに挟んだもの。ブラジルではシュハスコ・サンドイッチみたいな名前になっているけれど、アラブではシュワルマなんて呼ばれ方もあるらしいサンパウロ中心街(セントロ)の商業地ではお決まりのサンドイッチ。
 ほかには、下町でひしめき合う露天の数々。簡単に組み立てては店を出して、また次の日は違う場所に移動して、、、なんていうのは、まさに砂漠を行き交う行商人のスタイル。アラブの本を見ていると、サンパウロと錯覚してしまう。
 食器の色。サンパウロの下町レストランやバールで食事をすると、銀色のプレートで食事を出されることが、ちらほら。日本なら焼肉屋で約前の肉を出すときに使われてそうな気がして、なんとなく、今からすぐに食べる食事がのっていると落ちつかない。ブラジル文化化と思っていたけれど、どうも、これまたアラブの本を見ていると、同じようなお皿で食事をしているでは、、、。
 おもてなしの精神。ポルトガル語ではHOSPITALIDADEという。人をもてなすときには、見知らぬ旅人でも誰でも、自分ができる最大のことをして人をおもてなしする精神。相手が気持ちよくいられるように努力をする。なんて素晴らしい!
 ブラジル人の庶民には、この精神がよく表れている。一見、ヨーロッパ伝来かと錯覚してしまうけれど、どうも、アラブ起源のよう。ブラジル人はひとたび友情で結ばれると、家族同然に付き合うらしい。ずうずうしくしても許されるということらしい。そんな友人は、確かに日本ではいないような、、、。お互い遠慮するというのが日本の常識かもと痛感する。遠慮しなければ、ずうずうしいと思われる。そんな私は日本人だけれど、気を許している人ならば、家にきて勝手にちょろちょろされても気にならなかったりする。だからといって、いくら親しい友人宅でも、勝手にはいかいするには気が引ける。やっぱり日本人だなあ、、、。
 珈琲タンク。たくさんバールがある中で、エスプレッソマシンを導入していない店の珈琲といえば、あらかじめドリップしておいた珈琲を大きなタンクに蓄えている。この容器の雰囲気はまさにアラブ的。そういえば珈琲だって、アラブで薬代わりに飲まれ始めたのが起源だったような。

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レバノン
 ブラジルで暮らすまで、レバノンといえば、あまり身近ではなく、なんかスペインとは異なる赤色がイメージカラーだった。、
 サンパウロを散策していると、レバノンの国旗模様が目に付く地区(パリ区)やレストランをちらほら見かける。シリアという国とは違うということをアピールしたいのか、国を思う心が強いのか、、、レバノン杉とはどんな杉か、ベイルートやバールベックとはどんなところか、、、想像力をかきたてられる。
 ブラジルを代表するレバノンといえば、カルロス・ゴーン。彼はブラジル生まれのレバノン系ブラジル人3世。顔には、いきつけのレバノン人店主との共通点を備えている。お母さんもレバノン系フランス人というから、どうも、本質はアラブ商人?
 日本の有名外国人になってしまったゴーン。彼本人は無国籍人ともいっているようだけれど、移民の子孫特有の表現のような気がする。ブラジル人というのは何者かと考えたとき、日本人の子供だってここで産まれたらブラジル人。でも、家で受け継ぐ文化は親の国のもの。とても一般にイメージするブラジル的文化を家で与えることはできない。それでもブラジル人と称させてくれ、大切に見守ってくれる。なんて寛大な国!そんな国で育って、良い教育も受けることができた人なら、ブラジルという国から、いくらでも第2のカルロス・ゴーンが登場しても不思議ではない。

ベイルート
 いわずと知れたレバノンの首都。ところがサンパウロではこの名前、サンドイッチの名前のひとつ。ようは、丸い薄型のパンに肉や卵、チーズ、サラダを挟んだアラブ風サンパウロサンドといったところ。手では食べにくいこともあるので、たいていナイフとフォークももってきてくれる。

シリア
 日常、あまり縁がないけれど、サンパウロのパウリスタ大通りにクラブ・ホムス(シリアの地名)といわれる、アラブ人の成功を象徴するような会館がある。市内の一等地に堂々と姿を現している。アラブ人限定のような雰囲気があるから、きっと、シリア人というのも祖国に誇りをもって、ファミリア意識が強いんだろうな。

アラブ料理屋 兼 肉屋
 月に2度ほど通うアラブ料理屋がある。店主はレバノン系2世モハメド・ハッセンさん。いつも愛想よくで迎えてくれる。
 レストランの入口には、ポ語で『屠殺屋』を意味する言葉も掲げられているように、肉屋もやっている。一風変わっている。イスラム教の教義によって、肉を処理しているらしい。以前、紹介されていた新聞記事によると、屠殺前には動物の頭をメッカに向けて、アラーの神に許しを願い出てから首を切断するそう。ちゃんと羅針盤を使って方角も確かめているとのこと。
 売っている肉はブラジル式にブロック状が主だけど、アラブ料理の代表、自家製キーべ(ひき肉よりさらに細かくした肉、キーべの粉とミントなどを混ぜ合わせ、揚げたもの)も陳列されている。肉屋の常連客はアラブ人のようで、頭にベール覆った主婦を頻繁に見かける。

アラブ料理
 アラブ料理といっても、アラブ諸国によって全く異なるはず。サンパウロのメインはレバノンやシリアの料理。まず知名度トップクラスは前にもあげたキーべ。ブラジルだったら、どこのバールでも食べられる。
 このキーべを発展させたというかもとにもどしたというか、キーべ・クルーが有名。つまり生の肉を食べる。ハーブや玉ねぎなどと一緒。なんともいえないけれど、生肉を食べていると思うとおいしい気がしてこない。刺身を食べるのに肉だと、、、。
 シャルット・デ・ウーバ。葡萄の葉っぱで肉とご飯を混ぜ合わせたものを包んでいる。タバコを一回り大きくしたような形と大きさで小洒落ている。市場の果物屋なんかでは、葡萄の葉っぱも売っている。きっとアラブ料理のためなんだろうな。
 ほかにもよく分からない料理の名前が色々。基本的に独特の香辛料で味付けされているのが特徴。そう、アラブの香辛料だってブラジルでは簡単に手に入る。

アラブ菓子

 いくら甘いものが好きでも、ほんとに頭をさすような甘さとはアラブ菓子のこと。アラブ式コーヒーには合うのかもしれない。食べると、アーッ(後悔の念)と思うんだけれど、ショーケースにたくさん並べられたお菓子たちを見ると、なぜか自然と手が伸びてしまう。砂漠に吸い込まれるように、、、。
 お菓子の色はたいてい砂漠色。大きさはよくある洋菓子サイズから、親指サイズまで。小さければ甘さにも納得できる。
 くるみ、ごま、ピスタチオといった栄養満点の素材を砂糖と香辛料などで煮立てた具を、パイシートのような皮で包んだり、そうめんの細さくらいの麺を幾重にも巻きつけたり、その麺を鳥の巣状にして具をのせたり。味は似たり寄ったりだけれど、食感が違う。
 ごまを砂糖で絡めただけのせんべいもよく見かける。日本のかりんとうを思わせるような。
 焼き饅頭のようなものもある。一見、中国の焼き饅頭っぽいけれど、あんこに見えるものは、ターマラ(素材が分からない)といわれるものを包んでいる。食べると、やっぱり焼き饅頭っぽい。
 とにかく、アラブのお菓子を見ていると、世界のあらゆるお菓子のルーツを思わせる。シンプルだから元祖!なんだろうな。


変わりジェラート(アラブ菓子編)
 ブラジルの変わったアイスクリームといえば、アマゾンのフルーツのアサイ、クプアス、グラビオーラ、などなど。これらのフルーツ味のアイスがあることは、ブラジルでといえば、想像に難くない。

 ところが、これは驚きジェラート!
 またもや、アラブのお店にお邪魔。アラブ菓子と一緒に20種類以上のジェラートが食べられるカフェテリアがある。そこのアイスクリームのメニュー。よく目を通すと、なにやら意味の分からない味が2種類ほどお目見え。
 ひとつは『MISKY』、もうひとつは『HALAWA COM PISTACHE』。実は、正真正銘、アラブ味のアイスクリーム!
 早速ご賞味。MISKY味はアラブ菓子で、一口餅みたいなゼリーみたいなお菓子の代表の味。メンソレータムみたいな香りがする。身体の調子を整える成分が含まれていそうだけれど、やっぱりお菓子にしては薬っぽい。
 HALAWAはアラブ版チーズケーキのようなお菓子。見た目が素朴(どのアラブ菓子もだけど)で、これといった特徴はないけれど、異国の味を感じさせる味がする。アイスにも、その独特のこってりさが残っていておもしろい。COM PISTACHEはピスタチオ入りのこと。

 アラブはシャーベット、冷たいお菓子の発祥地とされている。昔は薬として食べられたともいうから、メンソレータム味なんかのアイスこそ、アイスの元祖かもしれない!
アラブ菓子の名前(ポルトガル語による)一覧
 ブラジルのアラブ菓子は、初めて見ると、どれも同じに見えるし、何が違うのか、名前だってわかりにくい。
でも、ちゃんと名前もあるし、同じような見かけでも、美味しい店と、あまり美味しくないところがあることが判明!
マームル・デ・ノーゼス マームル・デ・ターマラ
焼き饅頭っぽい外観。胡桃やタマラという果実のペーストが詰まっている。
ドーセ・デ・セモリーナ
セモリーナという粉を使ってできた焼きケーキ。わざわざこの粉を使って過程でもお菓子を作るようで、粉が売っている。
ニーニョ・デ・ノーゼス ニーニョ・デ・ピスタッシェ ニーニョ・デ・ダマスコ
素麺みたいな細い麺を巻いて巻いて鳥の巣のような土台をタルト代わりのように作って、胡桃やピスタチオ、ダマスコ(西洋スモモ)を刻んだものをのせている。
フロルジーニョ・デ・ノーゼス ピスタッシェ
パイ生地みたいに何層も薄い皮が重なった生地を使って、中にくるみやピスタチオを包んで丸っぽい四角っぽい形にして中央に切り目をバツに入れて、中身が少し見えるようなお菓子。
ファイサリ・デ・ノーゼ
クルミやピスタチオを素麺生地をぐるぐる巻きにしてを包んで三角型にして焼いたもの。
バッスマット・デ・ノーゼ
ボルマ・デ・ピスタッシェ
バルビエ・デ・ピスタッシェ
上の三つは形が筒状だった血長方形だったりするけれど、素麺生地やパイ生地など、素材は一緒です。
ハラワ ハラワ・コン・ピスタッシェ
アラブ版チーズケーキという感じ。ピスタチオを混ぜ込んだものもある。
アタイフェ・デ・ノーゼス
アラブ版どら焼きといった感じだけど、皮を半分に折り曲げて、中にいろんなクリームを包んでいる。その上にシロップをかけて食べたりする。



アラブのお酒
 アラブのお酒といえば、発音はわからないけれど、アラキ。無色透明色で、化粧品みたいな花のような、日本人の感覚からすると食物を逸脱した香りがする。アラブからの移住者の多いブラジルでは、ブラジル産の製品も製造されている。
 レバノン人やシリア人がサンパウロでは目立っているが、当然、ワイン発祥の地とされているレバノン産のワインが、アラブ食品店の棚には陳列されている。味は分からないけれど、海の民やフェニキア人の末裔でもあるかもしれないレバノンとう国が、民族意識の高い理由がわかるような気が、、、。
オリーブだってレバノン
 オリーブのみというのも、産地によって、木によって全く味が違うらしい。もちろん保存の味付けだって違うはず。
 というわけで、アラブ食品店には、スペインやイタリア産などのオリーブに並んで、レバノン産のオリーブ漬けが並んでいる。唐辛子入りの保存液に漬け込んでいるのが特徴かもしれない。
私の勉強した日本の中学生用地図帳の国旗にレバノンの国旗がない!
 翻訳するときに、地名を日本語にするとき便利がいいというので、中学校のときに使っていた地図帳を日本から持ってきた。ふと気になって国旗の載っている最初のページを見たら、レバノンがない。
 ブラジルではこれほど大きな存在のレバノン(おそらくフランスなんかでも)、そしてアラブ世界。日本の社会(地理)教育の大きな落とし穴のひとつは、アラブ社会についての教育がほとんど皆無ということじゃないかな(それとも、日本はそれほどアラブと関わりがないのかな?そんなはずはない!)?やっぱり、ボーダレスといわれる時代になってきて、アラブを抜きに世界は成り立ってないような気がするのは、ブラジルにいるからかな?

ダンサ・デ・ベントレ
 ベリーダンスのポルトガル語。市内のアナ・ホーザ地区にあるレストランが有名。ダンス教室もやっている。
 座りながら美女の舞を間近で見ることができ、食事をお盆で運んできてくれる。すっかり気分はアラブの大富豪。
 踊り手が何人か登場するけれど、どうも、アラブ出身の本場のダンサーは数少ない感じ。踊り心のある人なら、いまいちドゥエンデ(スペイン語だが妖艶さみたいな意味)に欠けていると感じるかもしれない。どうやらブラジル人の踊り手は表現がダイレクトすぎる。顔は似たような感じもするけれど、踊りの魅力のポイント、あやしさのオーラが少ないような。

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イタリア的サンパウロ

 サンパウロはイタリア系移民の影響を多く受けている町。ビシーガ(BIXIGA)地区をはじめ、市内にはイタリア系移民の香り漂う場所がいくつかある。
 
イタリアパン屋さん

 我が家のアパートのある通りも、そのひとつ。2軒のイタリアパン屋がアパートから徒歩1分圏内にある。
 パンは、その名の通りイタリアパン。創業は1890年。イタリア人移民がはじめ、その子孫が今も受け継いでいる。店内の壁にはイタリアの地図やピサの斜塔が描かれている。
 開店当時からの手法は変わらないようで、薪で焼いているらしい。たまにトラックいっぱいの薪が運ばれてきて、店の前に山ほど積まれてる。工業的に作られるパンが増えている中で、伝統を守っている。膨らし粉も天然酵母を使用。
 へドンドという丸いパン(外はカリカリ中はもっちり)とポルボロ−ネ(チーズのひとつ)を削ってかけたり、挟み込んで焼いたパンがお気にいり。他にもカラブレーザ(腸詰のひとつ)を挟んだりトマト・セッカを挟んだものから玉ねぎパン、お菓子まで売っている。玉ねぎパンは直系20センチの丸いパン生地の上にスライスして味付けした玉ねぎ、オレガノ、唐辛子などがのっている。最初の一口目の味が、日本の肉まんに似ている。ブラジルといい、イタリアといい、ファミリアの国らしく、店頭にはいつも、幅20センチ、長さ4,50cmのバゲットも置かれている。飾りかと思っていたけれど、どうも、買っていく人がいるよう。フェスタで巨大なサンドイッチを作るのかな?

お菓子
 お菓子に関しては全て甘くてボリュームたっぷりの伝統的な菓子のよう。イタリアパン屋という看板なのに、ポルトガルに由来するお菓子もある。日本にもあるエッグタルトがいい例。ポルトガル系のお菓子はとにかく卵黄、イタリア系のお菓子は、リコッタをクリームのベースにしているのがひとことで表せる特徴。いずれも、薄いマッサ(パスタ)やタルトでクリームを包んでいる。さすがイタリア!と思ったのが、リコッタのクリームをタリアテッレ(平らのパスタ)でぐるぐるに巻いて貝の形にして焼いたエスフォグリアッテ−リ(SFOGRIATELLI)。薄いパスタが何層にもなっているので、食べたときのパリパリ感がなんともいえない。フランス菓子のミルフィーユを連想させる。フランス料理はイタリア料理を洗練させたものって聞いたことがあるけれど、ミルフィーユの原点はエスフォグリアッテ−リに思えてくる。お菓子にまでパスタを使用するなんて、やっぱりイタリア。お菓子も
一国の文化から生まれて育まれるものなんだなって、なんとなく納得。でも、このお菓子さえ、原点はアラブなんだろうな。
 
ピザ

 たかが、ピザ、されどピザ。ピザの価格がほぼ一律の日本とは違って、ブラジルには高級ピザから庶民にやさしいピザまで色とりどり。日本のピザとは違って具はシンプルなものが多い。どれもおいしい。そう、チーズをのせないでツナと玉ねぎだけみたいなピザもある。イタリア伝来のピザ。考えてみたら、脂たっぷりチーズのピザばかりだと、頻繁に食卓に並ぶイタリア人には、ひつこいし、病気しちゃうよね。
 近所のバールだと、基本はトマトソースにモッツァレラ、オレガノ。他に、鶏肉のささみをさいたものにカトゥピリというチーズを合わせたもの。カトゥピリはどこで生まれたものなんだろう?冷蔵庫ではペースト状、温めるととろみがつく。日本のものに例えると、クリームシチューっぽいかも。
 高級なピザ屋だと種類は豊富。店内の雰囲気もさることながら、、チーズや具の素材、調理に微妙な差を感じる。珍しいのを2つ紹介。リコッタとトマトとバジルのピザ。リコッタは脂肪分の少ないチーズ。カッテ−ジチーズっぽい。すごくあっさり。ダイエットに良さそう。あとはデザートのピザ。トマトの代わりにチョコレートソース。具はイチゴやキュウイ。チーズの後にチョコはきつい。まだ食べたことはない。

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日本的サンパウロ

 サンパウロは百万人以上の、日本人とその子孫が居住する。昨今は日本への日系ブラジル人の就労で、ブラジルの日系人の存在も身近になってきている。
 1908年、神戸港を出向した笠戸丸移民が日系ブラジル人の原点。移住当初は、日本米はおろか、日本人の口に合う食事なんてなかったそう。
 今日は、そんな過去を忘れさせる。日本米、味噌、納豆、日本の野菜、果物、何でも手に入り、日本の一般家庭と変わらない食事を、自分の料理の腕しだいで食べられる。市内のリベルダージ(LIBERDADE)地区は、日本食を販売する店や日本食レストランがひしめき合う。日本から最も遠い国であっても、世界一、日本人が食事に困らない町、それがサンパウロ。他にも多くの日本文化が根付いている。
 
 日本食料品店
 
とにかく、特別こだわらなければ、輸入品、ブラジル産を問わず、たいていの日本の食材は買うことができる。生鮮食品はブラジル産が主体。大豆生産国ということで、味噌、しょうゆ、豆腐、納豆なんていうのはいろんな種類がある。酢、酒、みりん、漬物だってブラジル産もある。日本の味とは少し違う気がするけど、決してまずくはない。
 最も流行っている店はなぜか経営者が台湾人。もう80過ぎだと思うけれど、第2次大戦前の日本の台湾植民地政策の影響だろうか、台湾人といえども日本語はぺらぺら。日本の今の教育で忘れられた、隠された歴史を感じる。
 
 米

 日本米は何種類ものブラジル産メーカーやアメリカからの輸入米がある。味も日本のものとそれほど変わらない。多少、もっちり感に欠ける場合は、もち米を混ぜて解決!とってもおいしくなる!
 そういえば、表示を良く見ないと、陸稲の米であることも。あと、1月頃に売っている米はたいていまずい。ちょうど刈り入れ前で米が不足しているからと聞くけれど、どうも古いのとか品質の悪い米を混ぜているらしい。しかも少し高くなったり。
 もち米も売っていれば、年中、餅だって売っている。

 
 
 
さすがに肉食文化の国、ブラジル。日本的魚料理に関しては限界がある。それでも刺身から焼き魚まで工夫次第でおいしく口にすることができる。
 我が家の好物は、アジの刺身。毎週土曜日のフェイラ(朝市)で、日系人のおばさんが切り盛りする魚屋さんで購入。すっかり常連になり、アジのある日は、行けば既に容器に盛ってくれている。
 日本でアジといえば安魚でおいしくないイメージがあった。ところが、ブラジルのアジはバカにできない。身のボリューム感といい、風味といい、何切れ食べてもご飯が進む。さすがに少し生臭さがあるのは万国共通。でも薬味にねぎと生姜をたっぷり加えれば、立派なおかずの一品になる。

 ちなみに、ブラジルで一般的な刺身はマグロ、サーモン、スズキといったところ。色がきれいでブラジル人に好まれるよう。これらの魚、まずくはない。でも、日本の味に慣れた人は、何か物足りない。マグロを山掛けにしたり、サーモンを玉ねぎとマヨネーズでアレンジして食べれば、日本によくあるメニューの一品になる。でも、そのまま刺身で食べると、もうワンランクアップさせたものがほしくなる。


 すし
 老舗のすし屋とブラジル人向きのすし屋がある。
 前者は日本人も十分に満足できる味わい。
 後者はなんというか、、、マグロ、サーモン、マンゴーの世界。食べられるけれど、微妙に違う。最大の違いは、すし飯かもしれない。とにかく何かが違う。
 
 日本式パン屋
 2002年、リベルダージに日本式パン屋がオープンした。つまり、トレーにパンを取ってから買うというスタイル。ブラジルはヨーロッパ式で、店員さんに注文してから袋に入れて渡される。日本だとその方がなんか憧れるんだけどね、、、。変わったスタイルと味が評判をよんだのか、2号店までオープンしていたが、場所が悪かったか、そちらは閉店。。日本にある種類のパンやケーキが売っている。おまけにレジの横には肉まん、あんまん、そしてごま団子!?まで売っている。実は、店主は日本食料品店に同じく、台湾人のオジイチャンが経営者。とにかく日本にこだわりがあるよう。

 
 リベルダージ地区の本屋さんは日本の書籍がたくさん売っている。でも、雑誌は少々時期が遅れて届いている様子。日本ブラジル文化協会にも日本の書籍が並ぶ図書室があるけれど、暗くてなんか古めかしい。稀にパッと目をひく本にも出会うけれど。その点、パウリスタ大通りにある国際交流基金の図書室は明るくて、あらゆる新刊の雑誌も読める。時間つぶしに最適!

 新聞

 日本語の新聞がふたつある。ニッケイ新聞とサンパウロ新聞。日本語を読める読者が減っている中、海外で活躍している。日本の新聞に比べるとページ数が少なく、一見頼りないが、結構現地の掘り出し情報が得られて目が離せない。
 ニッケイ新聞を読む

 ラジオ体操
 日本のテレビでも紹介されたことがある。リベルダージ広場で6時前からおなじみの音楽にあわせ、日本人や日系2世のおじいちゃん、おばあちゃんが汗を流す。はじめて見ると、ちょっと感動。白いユニフォームで一、二,三,四!
 
 各県人会

 戦前、移民した人たちが立ち上げた県人会。現在、財政が厳しい様子。特に各県人会が催す食べ物関係のイベントは、長年ブラジルに住む日本人にとって郷愁をそそられるもの。
 毎年7月には全ての県人会が協力し合って、サンパウロ市内のイビラプエラ公園の近くの大きな会場で、『日本祭り』というものが行われる食べ物以外にも伝統芸能の紹介や茶の間もあったり。ブラジル人のお客さんもやってきて、大盛況。世界広しといえども、日本のことをこんな風に紹介している所はブラジルだけじゃないかな(アメリカ辺りはやっているかな?)。


日本的イベント
 例えばサンパウロのリベルダージでは、正月は餅つきに始まり、7月は仙台の七夕祭り、週末は東洋市のフェイラなどでもりあがる。とにかくブラジルタイプの東洋の屋台料理が食べられたり、ちょっとした小物が買えたり、伝統芸能が見れたり。特に伝統芸能では、沖縄の踊りなんかが大活躍。2,3年前からは、有名な日系の美容院オーナーが中心になって、よさこいソーラン踊りまでまで年に一回、通りを行進するようになった。
 その他、ブラジル各地の日本人の集まってできた村などで、地域特産の農作物や花などの収穫に合わせた祭りや相撲大会など、大規模なものから小規模なものまで、あらゆる日本的イベントが行われている。

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中国的サンパウロ
MADE IN CHINA
 雑貨に関していえば、どこの店に行っても中国製がいっぱい。
 失礼ながら、中国製に対しては品質に偏見がないこともない。ところが、ブラジルでちょっとかわいい雑貨がありそうな店だと思って立ち寄ると、必ず商品にMADE IN CHINAと記載されている。ぬいぐるみに写真たて、靴に鞄、、、とにかく何でも中国製は揃っている。さすが中国。目覚める獅子はブラジルにまで。 
 日本だと中国製は安いという感じがするけれど、ブラジルでは普通のブラジル価格、ややもすれば高い。それくらいブラジル製というのも中国製に類似して、何事も精密にできていないようなところがある。もしかして、何でも1ミリ狂わずなんていうのは日本くらい?まあ、ドイツやアメリカなんかは細かそうな気がするけど。
 いずれにしても品質はともかく、中国の経済活動のパワーはブラジル底辺に根を張りつつあるような気がする。

台湾
 いっても中国は広い。いろんな地方からブラジルにやってきていると思うけれど、気になるのは台湾人。
 なんてったって、高齢の人は特に、日本語が話せる人が多い。そして、働き者で、日本人にも愛想がよい。独立論が出ているけれど、分かる気がする。同じ中国でも本土出身(リベルダージでは福建省出身の人が多いような)の人とは雰囲気が全く違う。
 とにかく、最近は日本食品の店は台湾人が経営していたり、日本人におなじみのアンパン、食パン、クリームパンなどを作って売っている数件の店は、全部台湾人。
 第2次世界大戦前(日本が台湾に総督府を置いていたこと)の歴史の痕跡をブラジルで見ている気がする。 

中華料理
 中華料理店は世界中にあるなんて聞いたことがある。当然、ブラジルにも数えられないくらい存在する。そして、絶対に食べられないという味ではない。ただ当たり前ながら、一部の店ではブラジル化したのか、もとからそういう料理を食べている中国人が料理したのか、味が濃すぎる。中華料理というのも塩加減だけは国によって、正確にいえば地域によって違うものかもしれない。わたしは神戸で高校卒業まで過ごし、よく数件の中華料理屋に食べにいっていた。どこも味がもっと薄くておいしかった。神戸も関西、やっぱり薄味。一方、大学時代に過ごした長野は濃かった。中華料理屋でも、日本の中だって地域の好みに合わせて塩加減が違う。ブラジルで濃いのは当たり前かな!?

気になるオンブ
 最近は日本人も西欧にならってオンブをする人は減ったような気がする。中国の習慣は知らないけれど、リベルダージで気になる中国人がいる。おばあさんが孫をオンブしている。オンブはいいんだけれど、風呂敷みたいな布切れ1枚だけを使って背負っているように見えるから気になる。よく落ちないなあっと。具体的に説明しにくいけれど、ハンモックで寝ているような状態で背負われている。異文化を感じる。

果物
 日本の果物は日系農家のおかげで、たいてい食べることができる。中国にも果物は色々あるだろうけれど、おなじみのライチは、サンパウロ(特にリベルダージ)で時期になると、たくさん売られる。さらに今年は竜眼まで販売されていた。かなり高値だったけど、売れ行きが悪かったのか値下がりはじめた。早速、食べてみた。初めて食べた。まずくはないけれど、わざわざは買わないな、、、。故郷の味が懐かしい人のための商品かも。

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韓国的サンパウロ

韓国パワー
 今、東アジアで最もサンパウロの人たちが注目している国、韓国。なぜなら、通りを散歩していても、韓国人かと聞かれることが増えている。
 ブラジル人から見ると、東洋人は皆同じに見える。そんな中、国を尋ねる基準は、ブラジル社会で活躍している国ということかもしれない。なぜ今、サンパウロは韓国かというと、携帯電話会社の参入が見逃せない。SAMSUNGという韓国の携帯電話会社を知らない人はいない。

韓国人街 
 サンパウロのボン・へチーロ地区やパリ地区には韓国人がいっぱい住んでいる。主な仕事は繊維関係。韓国人が多いんだから、彼らのための商店もいっぱいある。食料品店にレストラン、、、。
 そんな韓国人事情の詳細は、ニッケイ新聞のグルメクラブ、聖市韓流がおすすめ。


ユダヤ的サンパウロ


イスラエル文化館付属ユダヤ文化センター

 2003年
4月に創設された同センター。新しい地下鉄の駅SUMAREの真横に堂々と隣接する。一民族の施設には思えないほど立派な外観。
 まず驚いたのは入り口。チャイムを鳴らして事務所の人に用件を説明。しばらくすると横幅が広くて重たい扉が、ゆっくり静かに開いた。洞窟の封印された部屋をあけた感じがする。わずかに開いた扉を全開して一歩足を踏み入れると、最初に目に付いたのは、扉付近に備えられたユダヤ人のお守り。なんか、素敵。さらにガラス張りの事務所の前を通過し、危険物を所持していないか確認するセンサーをくぐり、もうひとつの扉を経て、ようやく中に入れた。といっても外に吹き抜けた様な空間で、いまいち中といった感じはしない。とりあえず、目的のアンネ・フランク展(2003年6月の話)の部屋へ向かうため、エレベーターに乗った。
 ちょっと安心。部屋は普通の展示室だった。天井は低く、日本の建築物みたい。会場には戦時中の生活の様子やホロコーストの説明、アンネの部屋の再現、ビデオ上映などがあった。パソコンでもアンネのことが見れるようになっていた。
 とりあえず会場を後に、1階の大広間に足を運んだ。イスラエルの写真が何枚も並べられていた。誰も来場者がいない。コンクリート壁でできた部屋なので、ひんやり。照明もうす暗かった。なんとなく独特の雰囲気。そう、モダンなカタコンベを思わせる。なるほど。そういえば、外から見えた事務所の窓も直径30センチくらいの円形で、厚い壁をくり貫きっぱなした感じだった。もちろんガラスははっているけど。どこまでも民族性をアピール。そういうアイデンティティーって憧れる。でも、近代的設備でテロ対策にも備えているとこは余念がない。
 ところで、このセンターの役員のメンバーがすごい。知っている名前はカルドゾ元大統領と、副会長のサフラ氏だけだったけど、サフラとは、サフラ銀行の一族の一人に違いない。きっと他の面々もブラジルの看板企業の一族なんだろうな。ユダヤ人の施設というかブラジルの施設というか...。

 ゲルフィテフィッシュ

 ゲルフィテフィッシュとは代表的なユダヤ料理らしい。つくねのようだった。初めてユダヤ料理を食べた。バイキングで、いろんなメニューがあった、これといった特徴を説明するのは難しい。見た目も味も全体に淡白だった。日本人が古代ユダヤ人なんていうファナチックな話をしてくれる人がいたけれど、日本の料理に共通点がないこともない気が、、、

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スペイン的サンパウロ
 スペインに愛着がある。フラメンコと出会って、はじめて旅行した外国、スペイン、はじめて覚えた洋酒の味と香りヘレス(シェリー)。サンパウロに来るとき、スペイン移民がいると聞いていたので、さぞかしスペイン文化に浸れるのだろうと思っていたけれど、、、スペイン、特にアンダルシア地方の趣を探すのは難しい。やっぱりここはブラジル、サンパウロ、かつてのポルトガル植民地、、、。そんな中、スペイン的サンパウロを探索している。

テレフォニカ
 スペイン系の企業が、ブラジルの通信業界の中心にあるらしい。オレリャンという名称で親しまれ、独特の屋根の形で知られているブラジルの公衆電話。記載された会社名はTelefonica。スペイン本国の電話会社の名前と同じだと、スペイン好きの先輩が指摘した。なるほど、そんなような記憶があるような。。

スペイン移民について
 詳細は分からない(いずれ調べて紹介する)。とりあえず、スペイン移民も今は世代が進んで、4世5世、堂々たるブラジル人。そんなスペイン移民の1世の時代は、やはりある地区に集まっていた時代があった。サンパウロ市内には、いくつかそういうところがあるよう。我が家の近くでは隣の地区、カンブシがそのひとつらしい。だけど、約30年位前までの最盛期を過ぎて以来、治安の悪化もあってか、スペイン人たちは他に移り住んでいってしまったらしい。その痕跡を残すかのように、今だ、一軒のスペイン料理屋だけはひっそりと営業されている。だけど客の出入りも寂しそうだし、閉店するのも時間の問題のような。

ヘレス(シェリー酒)
 あっちこっち探してみたけれど、ヘレスはあまり売られていない。輸入品を販売する店でチオ・ぺぺとラ・イーナ、その他2、3種類が置かれていればいいほう。当然値段もそこそこの値がついている。スペイン南部では水の如くなのに、、、
 一般のブラジル人にはなじみがない酒のよう。それは日本でも同じかな?ポルトガル語ではジェレーズと発音され、なんかまずい酒の響きにさえ感じる。
 そもそも、大航海時代の長い船旅のお供として、腐敗させないように開発されたお酒。しかもイギリス人のために造られたような歴史があるそうだ。ブラジルだって初期の頃はイギリスの影響があったからシェリーが飲まれてないこともなかったんだろうけどな、、、。
 ヘレスの香りが好きなわたし。でも人はいう、とても貴族的飲み物ではないと。確かにそうかもしれない。そういえばブラジルといえばピンガ。ピンガも貴族的な香りとはいいがたい。ヘレスの代替品がピンガなような気がしてくる。ピンガもヘレスもドイツ人やイギリス人(ピンガは好むか知らない)には好まれるようだし。ブラジルでは、やっぱりピンガなのかな? 
 
スペイン料理屋
 サンパウロには高い店から安い店まで、いろんなスペイン料理屋がある。ガイドでで紹介されているところもあれば、人づてに紹介されるようなところも。
 最も有名で高い店にはまだ足を運んでいない。それ以外には5,6件の店を訪ねたことがある。一軒ははつぶれてしまった。
 2軒の店は、いかにもスペイン移民一世が作ったような感じで、建物もタイムスリップしたかと思わせる。パエリアとサングリアはどこでもおすすめ商品なんだけれど、いずれの店にも、かの有名なガスパッチョがなかった。よくよく店の紹介を見てみると、店主はカタルーニャ地方出身らしい。スペイン料理の詳細は知らないけれど、もしかすると、カタルーニャ辺りではガスパッチョを食べないのかな?
 違う2軒はけっこう現代人が好む清潔で洒落た店だった。味も国際的においしい。フラメンコをみせるというのを売りにしていたから行ったけれど、見せるのは1時間に一回5分程度、しかも習いたての生徒の発表みたいで、味はともかく、不満だった。
 ちょっと変わりどころで、カーザ・デ・エスパーニャ(別名クルーベ・イスパーノ・ブラジレイロ)というところがある。これはスペインの文化協会みたいなものらしい。でも今は一世も少なくなり、新しいスペイン協会というのもあるらしく、なにかの行事のときの会場くらいにしか使われていないようで、人の気配も少ない。そんな建物内に、最近、レストランをはじめたということを知って、早速、行ってみた。とりあえず値段も高くなく味も悪くないけれど、スペインらしいメニューはパエリアと魚介のフライ、トルティージャくらい。店の雰囲気は、ちょっとスペイン風を目指した学校の食堂っぽい。そんな店に、ある日はスペイン人らしきお年寄りたちがたくさん集ってわいわいしていた。何かの集まりの後かもしれないし、今では古くなった建物に、若き日を思い出す人たちなのかもしれない。
 ちなみに、ここのレストランをはじめたおじさんはブラジル人らしいけれど、奥さんはスペイン人らしく、スペイン語で話してくる。しかも、自宅ではフラメンコも見せるレストランをやっているとかで、ちゃっかり宣伝を忘れない。どうやら、カーザ・デ・エスパーニャのレストランは、自分の店のアピールもかねているよう。

フラメンコ
 スペインの踊り文化は決してフラメンコだけではないけれどやっぱり、本場の踊りに魅了された記憶は忘れられない。
 サンパウロにも20、30年前頃には、ちょくちょくタブラオ(フラメンコを見せる店)があったらしい。でも、スペイン人1世の減少に伴って、店も閉鎖されていったよう。
 だけど、口コミで探せば、どうもサンパウロのどこかでフラメンコの夕べに出くわすことができると判明。少なからずフラメンコ愛好家はいるし、スペイン人が開いているダンス教室もちらほら。
 ブラジル人の踊り手は、スペイン人みたいな顔だし、見ごたえがあると思って見学にいった、ある教室の発表会。やっぱりベリーダンスの踊り手と同じで、ドゥエンデに欠けている。ちょっといいなと思った人は、やっぱりスペイン出身。ブラジル人の開けた雰囲気が、南部スペイン的な、アラブやジプシーのあやしさや負のエネルギーみたいなのと相反している。
 余談になるが、日本人のフラメンコの先生もいる。もう72歳だけれど現役。生徒さんも平均年齢60歳と見るけれど、みんな元気で練習に励んでいる。そんな教室に一人の中年男性の姿も。妻にすすめられてはじめたらしい。なかなか上達しないしないものの、新たな趣味として気に入っているようだ。 

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フランス的サンパウロ
 政治、経済
 とにかく、ブラジルで上流といわれる人たちや、突如、お金が手に入った人なんか(サッカーのロナウドなんかはフランスで結婚式をしていた)はフランスに憧れるらしい。ブラジルとポルトガルやヨーロッパの歴史と密接に関係しているのだろう。
 政治でいえば、法律はフランスの法律が手本になっているらしい。そういえば、ブラジルの国歌っていうのも、とても原始林のイメージとは結びつかない素敵なメロディー。優雅なフランス貴族を思い起こさせるような。
 経済活動でいえば、大手の本とCDの販売店FNACという店や日本では売却されたようだけれど、大手スーパーCARREFOURもフランス系。これらの店はなんとなく洒落たイメージがある。フランスはサンパウロでもかっこよく君臨している。

やっぱりフランス菓子
 フランス菓子といえば、洋菓子の正統といったイメージ。サンパウロでもフランス菓子という看板がついている店は、こぎれいな店が多く、ほっとできる。深い意味はないけれど、やっぱりフランスなのかな、、、なんて思ってしまう。

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ドイツ的サンパウロ
ベンツ、ワーゲン 
 ブラジルの道路は国際色豊か。世界中のメーカーが走りを競っている。そんな中でやっぱり1番目に付くのは、ドイツのメーカー、ベンツとフォルクス・ワーゲン。バスやトラックにベンツ、自家用車にワーゲンが多い。
 自家用車にいたっては、ブラジル人は古いものを大事にするというか、新車を購入するには余裕がないからか、20年も前のような車もけっこう走っている。そんな景色は動くワーゲン車史博物館のよう。

名門私立学校ポルト・セグーロ
 ポルト・セグーロという学校がある。何を基準にしてか、一番いい学校ということになっているらしい。おそらく優秀な卒業生を過去に輩出したんだろう。伝統あるお金持ちの師弟が通うよう。そんな学校はドイツ移民とドイツ本国が中心になって創設したらしい。
 ちなみに保険会社でも同じな前の会社がある。こちらは、どこの国の系列か不明

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オランダ的ブラジル
←サンパウロの菓子チェーン店、『オランデーザ』
 ブラジル初期の歴史を語るとき、オランダという国をかかすことはできない。そもそも、オランダの文化や歴史について詳しくは知らないけれど、オランダの香りは、はっきりとブラジル文化の中に漂っている。

オリンダ
 ペルナンブッコ州の町のひとつ。昔、オランダ人が作ったという海岸近くの町は、とっても美しいそう。

オランブラ
 サンパウロ州内にある町。オランダからの移民が多く住む町。オランダ料理が食べられたり、花の祭りもある(ブラジルではあまりチューリップはないけれど、、、)。風車が印象的な町。

バターボ
 バターボとは乳製品のメーカー。ポルトガル語でバターボはオランダ人も意味する。メーカーのシンボルマークは、頭に三角巾のようなものを被った、オランダ人の女の子。
 ところで、今は死語になりつつあるけれど、『バタ臭い』という言葉、てっきりバターのような脂臭いという意味で、西洋を指していると思っていたけど、日本の歴史から考えても、オランダを意味して西洋臭いということを意味していたのかな?確か江戸度時代、オランダとの貿易は許されていたような。オランダ語は知らないけれど、バターボみたいないいかたをするのかも!

お菓子
 他ページでも述べているけれど、ブラジルのお菓子のレシピの一部は、オランダの影響を受けているものがある。特にペルナンブッコ州辺りから広まったお菓子など。ブラジルではお菓子といえばオランダという意識もあるのか、『オランデーザHORANDESA』という名前のお菓子チェーン店もある。

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ペルー的サンパウロ
 
コンドルは飛んでいく、、、
 サンパウロの中心街を散歩していると、土日なら必ず、ペルー人がペルーの民俗音楽のカセットテープを流している。そして時には、民族楽器で生演奏も披露している。そしてちゃっかりテープも販売している。
 そういえば、サンパウロの動物園では本物のコンドルも見れたっけ。

ペルー人
 ペルーはいわずと知れたスペイン人に植民地化された国。そんなペルー人といったって、スペイン人みたいな顔をした人ばかりではなく、土着の顔をした人がたくさんいる。そんな人たちをサンパウロではたくさん見かけることができる。やっぱり同国出身の人は気心が通じるのか、ペルー人同士の夫婦が多く、ニューベイビーも誕生しているのをよく見かける。そして、連邦警察の永住権申請の窓口にいくと、必ずといっていいほど、一組はペルー人家族を見かける。 

ボリビア的サンパウロ

 フェイラ
 

情報通の友人がサンパウロのパリ区で毎週開かれているボリビアの市(フェイラ)を紹介してくれました。サンパウロにおけるボリビアからの人口の流れが増えたようで、徐々にフェイラの規模も拡大しているようです。


 アンデス原産イモ類
 

フェイラでボリビア産イモを5種類発見!加えて、大きくて強そうな実のついたトウモロコシ(これで作ったポップコーンは大きい)や唐辛子なども売られていました。


 ジャガイモは原種じゃないかと思うようなもので、サイズは直径2,3センチ、丸っこいものやサツマイモ形から、よくあるサイズのものまで。「どんな味?」と聞いても、ボリビアーナも説明のしようがなく、、、。


 イモ料理を頻繁に作っていることもあり、3種類を購入することに。残り2種類は、いわゆる自然フリーズドライ芋で、皮がペンキで塗ったように白かったり黒かったり。料理法を調べてから買うことに。

 
 購入したイモのうち、早速、
2種類をボイルして食べました。おいしい!何が違うといえば、イモのうまみも個性的だし、皮が美味しい。皮の香りがイモの美味しさを引き立てているというのかもしれません。ボリビアの人たちが、フェイラまで、このイモを求めに来る気持ちが分かる気がします。


 イモ料理はヨーロッパが発達していると思うけれど、南米原産のイモは、イモの種類が違えば、塩味だけで、いろんな味と食感が楽しめそうです。インディオの文化が遅れているとイメージしがちだけれど、彼らは遅れているのじゃなくて、それだけ、美味しい食材に恵まれて暮らしてきたんだろうなと、勝手に納得してしまいました。


 昔、ヨーロッパ人が新大陸からイモを持って帰った理由は、もちろん、主食になりそうだということだっただろうけれど、彼らもこれらのイモの美味しさに感激したんだろうなあ、、、。現在、よく食べられているものは、味もくせがないし、栽培しやすくて、企業なんかに需要があったりして効率がいいものだそうです。

 
 ボリビア産イモは、ブラジルでは栽培していないようです。アンデス山脈の特異な風土でしか育たないタイプなのかもしれません。


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東洋人街に売っている中国人が販売する肉まんよりも!その肉まんは見た目は肉まんだけれど、味はどうも、具が中国的な香りのする豚肉で、日本人はなじめない。その点、玉ねぎパンの方が肉まんを食べた気になる。

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サンパウロはアラブ人のお店がいっぱい!日本人には珍しく感じるアラブ菓子たち。かなり甘い。日本の洋菓子はもちろん、フランスのプチ・フールだって、もとはアラブ起源に違いない。ビン・ラディンのプライドにもうなずける気が。今の世界の文化のルーツはアラブだと、、、。

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