大野谷ってどこ?
海岸線について・・・
 歴史的にみると、海の水位は上下していて、約1万年前までは氷河の時代のため、海水位も低く日本列島は大陸と陸続きでした。しかしその後の温暖化によって、海の水位は上昇し、約5千年前には今よりも高い水位であったことが、発掘などによって解っています。これを縄文海進と呼んでいます。愛知県でも岡崎まで海であったことが解っています。
 大野谷では縄文海進の時代から、その後かなり先の時代まで海が谷の奥まで進入していました。海進期には大草は島になっていて、久米・前山・石瀬を結ぶ線が海岸線であったと思われます。その証拠が高台にある石瀬貝塚や森西貝塚です。
 その後海退がすすみ縄文時代後期には大草は陸続きになりました。
縄文時代の遺跡
次のような遺跡が発見されています。
1.森西貝塚…北粕谷の貴船神社境内:ハイガイが主で魚骨や獣骨も。薄手な土器
2.石瀬貝塚…老人ホーム敷地内:縄文中期の土器
3.大草貝塚…大草台地の北と南に存在。:縄文晩期の土器 
「図説知多半島の歴史」より 現在の大草、縄文中期は島であった


弥生時代の遺跡

発見されていません。


神話(『記紀』)の時代
『日本書紀』に登場する神話の人物で、倭姫とヤマトタケルに関係する神社が大野谷にもあります。 ただし、『日本書紀』に書いてあるわけではなく、神社の古くからの伝説です。

内宮御祭宮社
…現在大野町8丁目の海岸にひっそりと存在していますが、かつては3万7千坪を有する境内でした。今より西に大きく広がっていましたが、津波などにより浸食されていったそうです。
 垂仁天皇の25年、倭姫命(やまとひめのみこと)が諸国をまわって、天照大神を奉るところを探していました。最終的に伊勢神宮に落ち着くのですが、その前に大野嶋に立ち寄ってたそうです。その場所が内宮御祭宮社だそうです。

日長神社
…名鉄日長駅の東の山の中に存在しています。紅葉谷としても有名ですが、祭られているのは日本武尊と日長命です。日長命は熱田神宮のミヤヅヒメの兄といわれているそうです。日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は東征の帰りにこの地に寄ったそうです。彼が里人に命じて掘らせた「御手洗池」があります。
↑内宮御祭宮社
 

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