土岐氏の支配・・・
南北朝時代から尾張と美濃は土岐氏が支配していました。関係が深いのは北粕谷の八社神社の鐘に美濃国の清水寺の銘があることとか、西之口の神明社の縁起にも書かれています。
土岐氏はその後1399年の応永の乱で大内義弘に味方し滅ぼされてしまいました。 |
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一色氏の支配・・・(大野の城)
土岐氏が尾張の守護であった時代から、三河の守護で足利の系統に当たる一色氏が知多半島に勢力を伸ばしてきました。
そして、知多半島は尾張の守護の支配から三河の守護一色氏の支配を受けることに変わります。一色氏の氏神は諏訪社であるので、前山の諏訪神社は一色支配の影響と考えられます。
一色範氏は1345年大興寺を再興し、その子一色範光が1350年に現在の青海山に宮山城(大野城)を築いて城主となりました。
こうして一色氏は大野湊を中心に伊勢湾の海運を手中におさめました。
しかしその後、一色氏は将軍足利義教と対立し、守護職を奪われてしまいます。さらに応仁の中で、知多を失ってしまいます。 |
後花園上皇も来た蓮台寺・・・
一色道秀によって1314年に創建されたという寺が小倉の蓮台寺です。後花園院の勅願所になっていて、その規模は一山十七坊もある広大な寺でした。現在ある三光院もこの蓮台寺の一部でした。
1.勅使橋
…小倉の南にある橋で、かつて後花園天皇が蓮台寺によこした使節(勅使)が通ったとされています。
2.上皇橋
…小倉の北にある橋で、後花園天皇が上皇になってからやって来たときに通ったとされています。
3.衣掛け松
…後花園天皇がよこした勅使が衣を掛けたという大きな松です(明治26年「大野志」)。近年無くなりました。
4.勅使門
…閉じたままの門で「開かずの門」ともいいます。これも勅使がくぐられた門です。 |
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雪舟が活躍…
室町時代は、雪舟が中国から水墨画の技法を持ち帰って、大内氏の山口などで活躍した時代です。後に大野の斉年寺にもたらされる絵も描かれました。現在国宝に指定されています。
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