祝 野口みずき アテネオリンピック金メダル
☆55歳からの青梅マラソン体験記☆
**冥土の土産話に完走だけをめざしたテケテケ・シニアの体験記**
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付録記録(体験記未着手)
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オリンピック金メダリスト「尚子」も「みずき」も青梅マラソンを走った。
☆その1 2001年(55歳)10km(高橋尚子は30kmで大会新。)
「完走記」 01年2月18日(日)晴れ、気温2〜8℃
全体の感想
10時スタート。全体として練習通りのレースであった。人を追い越して走るのは結構疲れるものである。完走したことは満足で
あったが、見てるほどには楽しいものではなかった。みかんを持って走ったのは成功であった。私の順番では、途中の差し入
れはあめと水しか残っていない。今回は都合で家族の応援もなかったし、知人にも参加を知らせてなかったので、少しさびしい
完走であった。しかし、このときの沿道からの盛大な応援を受けての完走が後の2回の30km出場へとつながるのであった。
途中経過
スタートから勝沼交差点までは人が多いから流れに沿って走るしかなかった。勝沼交差点から道の端を通って追い越しが
できた。青梅車庫前から、私のスピードと周りのスピードが同じになって、追い越しも追い越されも少ない走りになった。
折り返し点からは、集団の力で練習よりもスピードアップした。宮の平から青梅車庫前までは、センターライン方向で追い越し
た。原則は左サイドを走る。車庫前から勝沼交差点までは集団と同じスピードで走った。
勝沼からは、大きな呼吸とともにストライブも伸びて力強い走りでゴールイン!。この間の応援は制限時間内でゴール
可能な走者にとっては、大変ここちよいものであった。
この後、家に帰ってふろに入り、おにぎりをもって、30kmの見物に出かけた。オリンピック優勝の高橋尚子の大会新記録の
走りを写真にとれた。
「その練習記」ーまず、10kmを歩いてみたーはじめは少しの坂でも歩いていた。−
私は青梅マラソンのスタート地点に程近い所に住んでいる。青梅に住むようになって約6年間、毎年青梅マラソンを見てきた。
そのうち、見てるだけでなく「冥土の土産話」に自分も1度沿道の応援を受ける立場になってみたいと思いはじめた。これが出場
動機である。
00年4月2日、10kmのコースを歩いてみた。3分の1くらいは走ったりした。1時間33分かかった。いけると思った。
4900円のジョギング用靴を買った。(最後は12000円の靴を買うのであったが、このころはそんな知識はなかった。)
練習も月に2回程度であった。このころは、練習コースに少しの坂があっても歩き出すような脚力であった。
結果は10kmの制限時間1時間10分を切る一歩手前で止まっていた。出場は抽選制だから、出場決定まではどうしても練習
も本気になれなかった。9月27日に出場決定の葉書が来た。この日以降、毎週末走ることにした。9月28日「フルマラソン100
のポイント」という本を購入した。記録は着実に良くなっていった。青梅には永山丘陵という起伏に富んだ夏場に涼しいハイキ
ングコースがある。青梅マラソンに出る人は夏場にそこで脚を鍛える。私は歩いても結構きびしいそのコースを走りまわるラン
ナーを人間技でないな思っていた。このコースを自分も走り回る日が来るとは、そのときは思っていなかった。
10月14日、ついに本コースを1時間09分で走った。11月26日、1時間04分で走った。制限時間に5分を残してのゴールが目標
だったから、目標達成の日であった。後に30kmの練習をするようになったときは、アクエリアスを持って走ったのであるが
このころは、そんな知識もなく、のどの渇き対策として、みかん1個をウエストポーチに入れて走っていた。5kmで食べるの
であった。本番でも同じだった。まあ10kmはこの程度で十分なのだ。01年1月7日、59分30秒、ついに1時間を切った。
このころから、週2回走るようになった。30kmの練習に比べればなんとのんきな練習だったのだろうか。年間合計300Km
位走ったのだろうか?そういう記録も残っていない。かくして、2月18日58分07秒で完走するのであった。
☆その2 2002年(56歳)30km(1)
「まずは完走記」 (長島渋滞を乗り越えて) 天気 曇 気温9〜7℃


<スタート> 02年2月17日、11時51分、青梅駅前交差点をスタート地点と反対側に50m過ぎた地点に並んだ。ここは正規の
スタート地点から800m後方である。正規のスタート地点まで、通常5分かかる。今年は長島茂雄がスターターとして来ていて、
沿道は大混雑である。今年は家族の応援がある。兄夫婦、会社の人も沿道にいるらしい。
服装は、長袖のランニングシャツに短パン。靴は9000円台のものにした。帽子は黄緑の目立つものを着用。
スタートの12時になったが動かない。この位置では号砲も聞こえない。30秒ほど経って動き出したがまた止まる。マイクで「選手
の皆さん立ち止まらないで走って下さい。」と言っている。????・・・たしか昨年までは、「追い越さないでゆっくり走って下さ
い。」というような放送だったのに。だらだら600mほど進んでその意味がわかった。長島見物渋滞だった。スターター長島の前
で、みんなスピードを落として手を振っていたのだ。長島も最後のランナーまで手を振っていたらしい。私も喜んで手を振ったが
、反面、「冗談じゃないよ。」いう気持ちにもなった。長島渋滞のため正規のスタート地点通過に7分かかったのだ。初出場のテケ
テケ・シニアにとって7分のロスは痛いのだ。それでも市役所前のブラスバンドの応援、上空に飛ぶ取材ヘリコプターの音、沿道
のあふれんばかりの声援(女房や会社の人もいた。)にすっかり気分を良くして青梅街道を西に向かった。住吉神社前のレコ
ード店マイナー堂の「帰ってこ〜いよ!」の放送は大変有名であるが、初出場の実際のランナーとしては、単純には楽しめない
緊張をもって聞いた。
<5kmから15km> 5km通過12時37分、長島渋滞でのスタートロス7分を引くと5km30分だ。長島渋滞ロスは取り戻した
が、5kmの私のラップとしては、少し早い。これが後で効いてくる。兄夫婦が応援してくれていた日向和田駅前を知らせておい
た予定通過時刻通り12時40分通過。1万人が走る青梅マラソンは応援にくる人に予定通過時刻と自分の目印を知らせておか
ないと応援サイドから選手を見つけるのは難しい。私の目印は黄緑の蛍光塗料入り帽子。選手サイドから応援者を見つける
のは大体の場所さえわかっていれば簡単である。
へそまん前の応援太鼓はさすがに力強い。セントフローリア教会前の結婚式場の応援花嫁は2人だけで少し寂しい。二俣尾
の下り坂は、他の人に比べてスピードが出る。10km練習のところに書いた永山丘陵での練習、実際のコースでの練習15回
の成果である。その坂を降りて9kmを過ぎると折り返した先頭ランナーとすれ違う。これを右手に見物しながら走るから全体
的にスピードが落ちる。5km〜10kmは33分かかった。10kmを過ぎると歩き出す人が出てくる。左サイドを走っていると給
水所で詰まる。私は自分の水(アクエリアス)を持っているから給水所には寄らない。12km付近になると山間部になり、沿道
の応援もなくなるので、必要なら山に入って小用もできる。念のためしたがそれほど出なかった。13kmから15km手前の折
り返し点までは込み合う。
折り返す点は13時37分30秒、15km地点は13時40分。ここで持参のチョコとアクエリアスを補給。チョコ3個を1度に取ったた
めかその後少しお腹が痛くなった。このへんから沿道からの差し入れが増えてくる。アメダマ、チョコが多い。ほんとはみかん
やレモン、バナナが欲しいのだが、私らの順位(7000番台)では、そういうのは残っていない。
<20kmからゴール> このへんから内臓系の元気がない。レモンが欲しい!例の心臓破りの二俣尾の坂をなんとか走って
登って、その後の下りで体力回復。しかし石神前の若干の坂道は腹に力が入らない。それでも日向和田駅前の兄夫婦前は
「余裕!余裕!」と叫んで通り過ぎた。時間は予告通り14時37分。最後の坂にある25km関門通過は14時45分。時間的余裕は
十分だが、体力の余裕は少ない。坂を登りきって最後のアクエリアスを飲み干して下り坂を積極的に走った。この辺の応援は
ちらほらである。給水所も飲み散らかした紙コップを踏みつけるだけで、欲しいレモンなどはけっして残っていない。
15時ちょうど青梅駅前通過。練習のベストタイムと同じ時間だ。完走を確信した。足はきついが、気分としては一番よいときであ
った。最後の関門市役所前を15時10分通過。ここからは応援も多い。ゴール直前50m、女房と長女がそれぞれカメラを構え
ていた。最後の50mは早かった。15時17分45秒ゴール。
このページの最初の写真はこのときの瞬間である。笑っているからうれしかったに違いないが、最初の意識としては、「感激
!!」というものよりは、、練習通り淡々と走り終わったという気分が強かった。記録集に名前だけ載って、タイムが載らない
方にはなりたくなかった。「完走」を意識し過ぎて決して無理もしなかったし、途中応援の人とレースを楽しむということも少なく
、もくもくと走った。完走の実績は作った。次は完走だけでなくレース全体を楽しんで見たい。この想いが2003年(58歳)30km
第2回目の参加となった。
<反省> スタートロス7分を引くと3時間10分45秒で練習ベストより4分早い。クエン酸系の栄養補給対策をすべし。
スタートの気温9℃は半袖着用の気温である。

「その練習記から」
なぜ30kmを走るのか。
*やっぱ青梅マラソンと云えば30kmである。
*マラソン練習はもっとも経済的なストレス解消法である。
*体を鍛えておけば老後もなんとかなる。(貯金はできないが貯筋はできるぞ!)
(後日談)この貯筋はマラソン練習を止めてから5年経った64歳時点でも結構活
きていて、ハイキングやシルバー人材センターの仕事をしているとき、「年齢の割
には、足が丈夫ですね。」とか、「身が軽いですね。」とよく言われる。(09.10.6)
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月 |
月間合計走行距離 |
9月 |
120km |
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4月 |
90km |
10月 |
(欧州出張あり)70km |
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5月 |
110km |
11月 |
150km |
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5月 |
96km |
12月 |
160km |
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7月 |
120km |
1月 |
180km |
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8月 |
175km |
2月 |
85km |
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合計 |
1465km |
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この練習記のノートはB5版ノート一冊(44枚)になるが、とりあえず要点をかいつまんで書いてしまおう。
本コースを制限j時間内で走れた最初の日は9月23日だった。気温12〜18℃(晴れ)、3時間26分。アクエリアス+チョコ持参
の効果と書いてある。このころの累積走行距離は約800kmである。その後は、坂道を選んで走ったり「筋肉トレーニング」を
取入れたりして、記録短縮をめざした。
11月18日 3時間17分。気温6〜14℃(晴れ) 梅干持参。このころ足の筋力年齢テストをやったら結果は20代に出た。
さもありなんと思った。青梅マラソン完走の足は20代なのだ。私は当事56歳。
12月24日 3時間14分。気温1〜8℃(晴)。これが練習のベストタイムであった。
12月31日 完走を確実にするため、ニコレットによる禁煙に挑戦。これが案外成功して「ニコレットによる禁煙体験記」となった。
禁煙の効果は1週間であらわれた。従来呼吸が苦しくなって、スピードの限界がくるのであったが、禁煙の結果、呼吸が楽にな
り、スピードを出しすぎて足を痛めるというアクシデントも1月にあった。用心用心である。
こうして、2月17日の大会本番を迎えた。私の強みは地元ということで、本コースを15回走ったこと。だけど、3時間30分内で
走れたのは6回だけだった。
☆その3 2003年(57歳)30km(2)
「今度は練習記から」(今回は楽しんで走るために)

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月 |
月間合計走行距離 |
9月 |
116km |
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4月 |
35km |
10月 |
163km |
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5月 |
70km |
11月 |
160km |
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5月 |
100km |
12月 |
160km |
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7月 |
45km |
1月 |
168km |
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8月 |
38km |
2月 |
97km |
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合計 |
1187km |
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7、8月の練習量の少なさに注目して下さい。この年は猛暑で走れなかったのです。それでも昨年のようなあせりはありません
でした。今年は楽しむためにでるので、最悪完走できなくてもよいのだという意識があったから。今年も走る理由がもうひとつ
あった。禁煙の成功により、走らないと太る恐れがあったからだ。昨年はマラソンのため禁煙し、今年は禁煙のため走る。
練習コースも方法もかなり確立していた。靴やトレーニングウエアに少し金をさいた。靴は12000円のものに格上げされた。
専用ランパンも買った。今まではテニス用短パンだった。実際のレース時は気温が低いからこれが最適なのだが。
9月からの本格的練習では、禁煙の効果もあってか、順調にタイムよくなった。普段は土日で合計30km、水曜日に5km
の練習で月に1回1日30kmを走った。練習の中心は日曜日の20kmであった。20kmの最高記録は59分30秒(2月2日)。
今年は本コースでの練習は昨年の半分の7回。本コース練習のベスト記録は3時間05分。
いいことだけではなかった。以前から社内検診で貧血ぎみのデータがでていたので、血液に詳しい医院で調べたら、単純な
鉄欠乏性貧血ではなく、かなりややこしい貧血とわかった。かくしてビタミンB剤などを服用しながらの練習となった。そのビタミ
ンB剤は貧血には効果なかったが、マラソンには結構効果的で、記録がどんどんよくなった。
<開会式と音楽祭>今回は楽しんで思い出を残すための出場なので、前日に行われる開会式にも参加した。
「鼓代神&神代太鼓」の演奏には感激した。このチームが大会本番に日向和田で応援してくれるのだ。
「では完走記」 (楽しみは雨のため半減) 天気 雨 気温4〜1℃
<服装と所持品>
短パン、袖なしアンダーシャツの上に長袖ランシャツ、手袋、帽子、あせ止めバンダナ
アクエリアス150ml、みかん1個、チョコ3個、レモン飴2個(昨年の反省から)、茶飴1個、ちり紙、
テレホンカード、1000円札(これは途中リタイアのときのため、練習のときも常時携行した。)以上をウエストポーチに入れて。
<スタート>
スタート前に降り出した雨が、このレースを特徴づけた。雨で気温が低かったのでよい記録が出た。それ以外は雨を恨めしく
思うことが多かった。いい写真もとれなかった。
昨年より2分早く所定の位置についた。女房が慣れないデジカメでスタート地点での待機とスタート直後を取ったが直後は失敗。
今年も長島がスターター。しかし今年は順調に進んで11時05分正規のスタート地点を通過した。5kmまでは抑えて抑えてで
追い抜かれることが多かった。31分かかって5km通過。
<5〜15km> 日向和田駅前に例年通り兄夫婦が応援中。へそまん前の神代太鼓は昨日の体育館での演奏を思い出す。
セントフローリア教会前の花嫁は3人。5kmまで抑えた効果が出て、5〜10kmは30分で通過。昨年は折り返してきた選手を
見物してスピードダウンと書いたが、今年良く見ると折り返し組みとすれ違うため、片側通行になり、狭くなるためのスピード
ダウンだった。それを知った今年は歩道に上がってスピードを維持した。10km通過、13時06分、予定より2分早い。ペースを
落とせ!あちこちで立ちションをしているが,2回目の私は緊張が少ないのか最後までトイレに行かなかった。
チョコの1個目は早めに食べた。15km地点13時37分30秒。昨年より2分30秒早い。15km地点を過ぎてチョコ2個とレモンアメ
をカジって走る。途中ネーブルをもらえた。順位が昨年よりよいせいか、みかん、梅干、チョコなど差し出される。私は持参して
いるのでもらわない。
<20km〜ゴール> 20km14時08分通過。昨年より3分早い。前半の抑えとかんきつ系の補給で昨年のような内臓系の疲れ
はない。例の心臓破りの二俣尾の坂を登ってみかんを食べ、また飛ばす。雨が一段と強くなる。手袋がぬれて手先が冷たい。
冬の雨の日の手袋は防水であるべきだったのだ。そんなことは知らなかった。
へそまん前、神代太鼓が雨に負けずに鳴り響く。子供達が声援してくれる。その子供達とタッチしながら走る。これこそ、青梅
マラソンを楽しんで走る姿だ。
25km、14時39分、昨年より6分早い。手の寒さをこらえて子供達の応援に応えながらスタスタ走る。貧血が改善されなかった
から、これが私の最後の青梅マラソン30kmなのだ。マイナー堂は行くときは例の「帰ってこいよ。」だったが帰りはプロジェクト
Xの「ヘッドライト、テールライト」である。「旅は〜終わらな〜い、旅は〜終わらな〜い〜」。 しかし、私のマラソンの旅は今年
で終わりなのだ。
市役所前 15時04分 予定ではこの辺から最後の青梅マラソンを楽しもうと思っていたのに、3時間10分を切ろうという意識が
出てきてスパートしだした。足も内臓もついてくる。ついに3時間9分26秒でゴール。3年間の走りの終了であった。
はじめに、「貯金は出来ないが、貯筋は出来る。」と書いたが、それも今は夢になった。
貯金は使えば減るが、貯筋は使わないと減るから。」

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貯筋を少し維持するため、04年の10kmに申し込みました。(03/09/25) |
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「謝辞: 30km完走には、LALA’s HOME( http://www.cyborg.ne.jp/~ohta/ ) 初め多くの方の体験記を参考に |
2003.2.15 第38回青梅マラソン表彰式
左端 元気なころの長島茂雄氏、右端 大会新優勝の野口みずき。半年後アテネオリンピック金メダル獲得