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〈学習会〉
「裁判員裁判を検証する」
講 師 鯰越 溢弘氏(弁護士・新潟大学法科大学院教授)
織田 慎二氏(弁護士・横浜市民総合法律事務所)
司 会 吉田 健介氏(狭山部会)
司会 学習会「裁判員裁判を検証する」を始めさせていただきます。一昨年、千葉の研究者集会で鯰越先生、狭山弁護団の横田弁護士に来ていただいて「裁判員制度を考える」と題するシンポジウムを開催しました。その時は裁判員裁判が始まったばかりということで、賛成か反対かという原理原則的な話で、ある意味では抽象的議論が中心でしたが、考えてみればそれから1年半が経ちました。この学習会の案内文に書くときには裁判員裁判の件数が1000件と書きましたが、現在は既に1500件を超えています。一昨年の研究者集会の時の約束でもありましたが、裁判員裁判を検証していこうということで、今日は具体的に、裁判員裁判で何が変わったのか、どこが問題なのか、そういったところをざっくばらんに議論できればいいかなと思っています。講師は、引き続き新潟大学の鯰越先生、今度狭山弁護団に入られたということで、これからも長いおつきあいをお願いします。それから、織田先生、裁判員裁判で初の死刑判決がでた、横浜のいわゆるバラバラ殺人事件の弁護を担当された方です。まさに裁判員裁判を実際に体験なさった弁護士さんです。現場から見た裁判員裁判の問題点を報告していただきます。そのあと参加者の皆さんと議論していきたいと思います。
資料説明
なお、最初に用意しましたお手元の資料を若干説明します。
「裁判員裁判の実施状況等について」は、法務省は施行後3年後の制度見直しを控えて、そのためにすでに検討会議(「裁判員制度に関する検討会」)を持っていて、その席で出されている資料で、法務省のホームページから取ったものです。元は最高裁の調査です。そこで、裁判員経験者のアンケートでは、「審理内容は理解しやすかった」が68.6%、法廷での説明等の分かりやすさでは、検察官は77.2%が「分かりやすかった」に対し、弁護人は47.0%。それから、裁判員に選ばれる前の気持ちは、「あまりやりたくなかった」と「やりたくなかった」が半分以上ですが、終わった後は「よい経験と感じた」が96.1%となっています。1年半が過ぎて裁判員裁判がうまく順調にいっているということを言いたいのだと思います。
次の資料は最高裁が昨年の12月に実施状況について速報として発表したものです。制度が始まってから昨年の10月末までの数字の一部です。例えば、「終局までの裁判員の職務従事日数」では2日から6日以上の数字が出ていて、平均は4日となっています。「公判前整理手続期間」では、自白事件と否認事件別に出ていて、否認事件は全面否認か部分否認かはわかりませんが、10月末までの1334人の判決事例で、自白が902件、否認が432件で、かなり否認が多いですけれど、そこでの公判前手続きがどれくらいかかったか、自白では平均4・5月、否認では6・4月かかっている。それから裁判所が受理してから終局までの「審理期間」は平均7・7月。それからちょっとおもしろいなと思ったのは、「評議時間別の判決人員の分布及び平均評議時間」、これは中間評議に要した時間を含まないとありますから、まさに最後の判決を決める時の評議だと思いますが、平均で471分、ということは約8時間。否認事件だと577分、およそ10時間。これを見ると、私の感想ですが、評議はずいぶん時間をかけてやっているなと思います。
有罪・無罪の判決と量刑についてですが、10月末までに判決を受けた人数は1363人、無罪は1
件でこの段階ではまだ死刑判決はなかった。死刑が出たのは11月でした。その後、現在までの約1500件の裁判員裁判で、無罪判決は後に紹介します6月の千葉地裁での「覚せい剤取締法違反事件」と12月の鹿児島地裁の「強盗殺人事件」判決の2つです。あと2つ、部分無罪の事件があるようです。議論の中で使えるものがあったら参考にしてください。
それでは鯰越先生お願いいたします。
裁判員裁判で何が変わったか
鯰越 昨年11月には新潟での「部落解放研究全国集会」にもおいでいただきまして、ありがとうございました。新潟県連ではこんな小さな支部でやれるのかという心配がありましたが、皆様のご協力を得まして、参加者は総勢5500人ぐらい、延べでいくと6000人を超え大盛況のうちに終わりました。全国からいろんな人に来ていただきました。狭山事件関係であちこち講演に呼ばれた関係で、先生十年ぶりですと声をかけられ、なつかしい思いをしました。
それでは簡単なレジメに沿って「裁判員裁判を検証する」に入っていきたいと思います。
裁判員裁判の施行で何が変わったのかというと、正直言いますと、まだ、変わりつつあるというくらいのところです。実施されてから時間が経っていないということもあって、厳密な検証をするということはできません。何故かというと、平成16年の5月28日に、この裁判員が参加する刑事裁判に関する法律ができました。約5年間の準備期間を経て、平成21年5月21日以降に起訴された事件を対象にしています。先ほどの資料にもありますが、起訴の後どうなるかと言いますと、公判前整理手続が行われて、その後に公判が開かれます。最初に公判が行われたのは東京地裁で平成21年の8月3日でした。この日から裁判員が参加した裁判が始まりました。件数としては、2500件以上すでに起訴されています。そこで、私の個人的感想というレベルにとどまりますが、少しお話をさせていただきたいと思います。
国民の司法参加
裁判員裁判の意義については、一昨年の夏の研究者集会でお話しした通りです。国民の司法参加を実現することが大事であることを、私はずっと主張してきました。陪審裁判を本当は導入したいと思っていたのですが、妥協的産物としての裁判員裁判という制度が生まれたわけです。そのために、ある意味で歪みが生じていることは事実です。裁判員裁判法が決まる前に、日弁連の中での議論に参加してきたのですが、陪審制を導入すべきだという主張と、参審制の導入を主張する意見が真っ向から対立していました。日弁連としては、最終的に陪審制を導入すべきだという意見で一応内部をとりまとめたのですが、立法化の過程で陪審制でなく、裁判員制度という形で落ち着いたのです。私と一緒に陪審制導入を非常に熱心に進めていた千葉の弁護士の四宮啓さんと2人で立ち話をして、裁判員裁判は中途半端だし、やはり純粋な陪審制度と比べると問題があるという点では、意見が一致したのですが、此処で逃すともうずっと百年河清を待つことになる、ここが国民が刑事司法、裁判に参加できる最後のチャンスではないかと思って、裁判員裁判に最終的には賛同しました。実施後に、どういうふうに問題点を改善していくか、という方向で運動をしていこうと考えたわけです。
それで、データにありますが、平成22年7月末までに全国で2254件が起訴されまして、930件が終結しました。現在は先ほどのデータよりもう少し増えてきている状況です。裁判員裁判という制度は国民の理解と協力がなければ動かない制度です。資料説明のデータにもありましたが、裁判員に選ばれる前の気持は「いやだ」と言う人が圧倒的に多かったようです。ところが実際にやってみると、どちらかというと「よい経験と感じている」人と、「非常に良い経験であった」という人を足すと96%です。ところがこれは予想できたことです。というのは、検察審査会制度というのがあって、ある研究で、全く同じようなデータ結果が出ています。検察審査会は起訴するかどうかを決める制度です。不起訴処分になった事件に関して不満を持った被害者や告訴・告発をしていた人が検察審査会に起訴してほしいと申立したものを審理します。検察審査会経験者たちが出しているパンフレットに、検察審査会の委員になった人たちに、やった前と後での気持ちを訊いたデータがありました。その中でもやはり検察審査会委員は、「なったら半年ぐらい続けなければならない、大変だ」ということで、どちらかと言えば「いやだ、できればやりたくない」という人が圧倒的でしたが、やった後では、「やってよかった」というデータがありましたので、やっぱりやってみたら良いという意見が増えるだろうと思っていました。
私は模擬陪審というのを大学のゼミで10年くらいやっていました。模擬陪審劇です。そこには非常に多くの市民の方が参加してくださって、やってよかったという感想を漏らす人が多かったので、実際にやってみれば意外とやるだろうと思いました。日本人の国民性ということがいわれますが、日本人というのは裁判所から出頭を命じられると、まじめに出ていくという体質があって、実際にやってみると、一生に一度しかできない経験ができるので、まあよかったと感じるのではないでしょうか。予想していたことがその通りになったと思います。裁判員裁判は国民の司法参加を実現するために意義があるということです。
ここまでが理念的な話です。次に具体的に何を期待したかについて述べます。
調書裁判から直接主義、口頭主義の裁判へ
1つは調書裁判からの脱却です。これが裁判員裁判を実施するにあたっての大きな獲得目標です。裁判員裁判を実施すれば調書裁判をある程度抑えられるのではないかということです。調書裁判とは何かと言いますと、捜査の段階で取った自白調書とか、証人の供述調書とか、そういう調書をベースにして裁判官が判決を書きますので、法廷で証言を聞いて、証拠を見て判断するということではなかっただろうと思います。ところが裁判員裁判員になりますと、そういう調書を読み込んで判断することはほとんど不可能になります。というのは、裁判員裁判では公判が始まると原則連日公判が開かれ、最後の日に審理が終わるとすぐに評議に入ります。従って調書についていいますと、結局採用された調書はその一部を読み上げるというやり方でしか、裁判員達には示されません。関係ない部分はお互い不同意にしてしまう。しかし、肝心な部分に関して不同意にしますと検察側は証人を申請し、裁判員は法廷で証人がしゃべったこと、そしてそこで示された物等を見て判断することになります。ですから文字通り裁判員裁判は刑事訴訟法の原則であった、直接主義、口頭主義が実現したといえます。これが一番の変化ではなかろうかと思います。前にお話ししたかと思いますが、現行刑事訴訟法というのは、陪審制度を前提に作っています。口頭主義、直接主義の原則があって、伝聞法則が入ってきて、その例外を制限的に認める(注1)という仕組です。これが理論的に正しいのですが、実務のほうでは伝統的な官僚裁判官がやっていましたので、いわば原則と例外を逆転させて、調書が重用されていることが続いてきましたが、これが少し変わってきました。ただし調書が完全に排除されているわけではありません。ここはまだ問題が残っていると思いますが、大きな変化だろうと思います。
注1 後段にも出てくる、取調段階の自白調書を証拠とできること。刑事訴訟法第322条には「被告人が作成した供述書又は被告人の供述を録取した書面で被告人の署名若しくは押印のあるものは、その供述が被告人に不利益な事実の承認を内容とするものであるとき、又は特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限り、これを証拠とすることができる」とある。
それからもう1点は、この裁判員裁判が始まった年から、長期3年を超える罪について被疑者国選制度というのが入り、弁護権の充実が実現しました。裁判員裁判だけが前面に出ていますが、平成21年5月21日という年は被疑者弁護人制度が拡大された年であり、また、先ほど触れました検察審査会制度で起訴議決ができる改正法が実施に移された日でもあります。そういう意味では、この日は何十年も経つと、戦後改革と並ぶ大きな改革があった年として記憶されると思います。弁護体制のことについていうと、従来、被疑者国選は原則1人しか付けてくれなかったのですが、裁判員裁判になって、少なくとも対象事件は国選に関しては2名ないし3名を付けることがほぼ定着しました。新潟の場合、自白事件であっても最低二名の弁護士を弁護人として付けています。少し難しそうな事件だと3名つけるということで体制が整ってきています。これは非常に大きな変化だと思います。
進む証拠開示
それから証拠開示が大きく前進した点があります。裁判員裁判の対象事件は全て公判前整理手続に付さなければならないわけですが、その公判前整理手続の中で証拠開示が絶対的に必要になってきます。従来は、検察官が有罪立証のために必要だと思って証拠調べ請求をする証拠に関しては、証拠開示をする義務がありましたが、それ以外は証拠開示をする必要はなかったのです。狭山事件の場合ですと、非常に多くの証拠がまだ隠されています。その中にはおそらく無罪を立証する証拠が隠されているだろうと私は考えています。と言いますのは、私は免田事件、財田川事件の再審に関わりましたが、その時も再審開始決定へ繋がったのは隠されていた証拠でした。検察が明らかにしていなかった証拠が開示されたこと、それを一生懸命弁護団が交渉し引き出したことによって、再審開始決定に繋がっていったということがあります。検察側が手持ち証拠を開示することが事実の発見に非常に重要であるということを裁判所は認識するようになりました。少し細かなことでありますが、警察・検察に衝撃が走った証拠開示命令を裁判所は出しました。何かというと、取調べの過程の中で作った捜査メモがあります。皆さん方は、被疑者がしゃべるたびに調書が作られるとお考えになっているかもしれませんが、実際はそうではありません。取調べをする時はずーとメモを採っているのです。この辺で落ちたと思ったところで、最後の段階になって、自白調書を「まく」という業界用語がありますが、その段階で初めて正式の調書が作られるのであって、それ以前の捜査の過程はメモという形でしか残されていません。それは大学ノートに書いたり、手控えに書いたりしてあります。それについて、最高裁は平成19年12月25日、20年6月25日、20年9月30日の決定の中で、いずれも警察官が持っている捜査メモを開示せよという命令を出しました。これは従来では、証拠開示請求をしても、検察官は手元にない、ありませんというのを理由に拒否してきました。というのは、従来、捜査メモは検察官に送られていません。実際には警察官が持っています。ところが、それについても当然捜査の過程で作るべきものであるから開示せよ、それも本来検察に送るべきものだという理由で開示を命じました。ですから、確かに証拠開示について、法的に言うと検察官に義務はありませんが、裁判所のほうがやっぱり事実の発見のためには検察官が持っている証拠を開示しなければいけない、という意識がかなりこの決定を通じて浸透していっていると言えるのではないかと思うのです。今後、狭山にとっても重要なことは、証拠開示をさらに求めていくことが大事ですが、一般的にわれわれ弁護士としても、手持ち証拠の開示は絶対的に必要だということで、日弁連は弁護人になったら公判前整理手続のところで、類型証拠は絶対に開示を求めろということを徹底していますが、全部の弁護人がやっているかなというと不安があります。私が弁護を担当した事件では、検察官はどうしたかというと、類型証拠開示及び主張関連証拠(注2)は全部出すとともに、それ以外でも任意開示という形で出してきました。後でまだ出してない証拠があると判ったら何を言われるかわからないと思ったのでしょう。任意開示という形で持っている証拠は全部出してきました。ただこれは大変です。私の事件はこれくらいあったのかな(両手で約50センチの高さを示す)。それを全部読んで、チェックして準備をするというのは実に大変で、手分けして読んでいって、どこに検察の主張の矛盾があるかを探していかなければならない。それを直前になって見つけて、ああ!と思うことがあります。ですから本当に大変ですが、証拠開示が前に大きく進んだということです。その点が大きな変化です。
注2 裁判員制度導入とともに改正された刑事訴訟法で規定された証拠開示手続き。類型証拠は、証拠物、検証調書・実況見分調書、鑑定書、被告人や証人予定者の供述調書等一定の類型に該当する証拠で、公判前整理手続において弁護側は検察官請求証拠の「証明力を判断するために重要であると認められるもの」として開示を請求できる。主張関連証拠開示は、弁護側の主張予定事実等に関連すると認められるものについての証拠開示。捜査報告書など類型証拠にあたらない証拠についても開示請求が可能。
緩む保釈の壁
それから保釈ですが、弁護人にとって被告人の身柄をとられているのは本当に辛いです。被告人はできるだけ早く外に出たいという気持ちがあって、身柄をとられているとあまりつっぱれない。否認を続けているとまず保釈が出ません。執行猶予が確実な事件に関しては否認を続けるよりはむしろ認めさせて執行猶予で出てきたほうがいいのではないかという判断を現実的にはせざるを得ない場合があります。これはもう事実に反する、正義に反するとお考えになるかもしれませんが、実際のところは一日でも早く出たい、先生いつ出られるんですか、早く出してくださいと言って被告人につつかれます。その時、否認をしているとなかなか出られないと説明して、それでも無罪をとったほうがいいから頑張ろうと言って、はい分かりましたと言ってくれればいいのですが、必ずしも全員がそうではないので、弁護人としては悩むところです。これを人質司法と呼んで批判をしてきたのです。それが裁判員裁判になって、外国人が被告の場合はまだまだ固いのですが、かなり保釈が容易に認められるようになってきました。特に執行猶予が付くような事件に対しては、割合早く保釈を認めてくれるようになりました。それと、私たちは裁判所に常々言い続けてきていますが、被告人と綿密な打ち合わせをするためには、保釈してもらって、事務所に来てもらって、時間をかけて打ち合わせをする必要があります。そうでないと、留置所や拘置所での面会はどうしても他の先生とぶっつかるので、そんなに時間をとることができないのです。保釈は非常に重要で、被告人との打ち合わせ、裁判準備のためには保釈が本当に大事です。否認事件でも、自白事件でも、どういう証人を呼んだほうがいいとか、また本人が証人のところに行って頼むのと、われわれが行って頼むのとではやっぱり違います。そういうこともあって保釈は大事です。データはまだ持っていませんが、あちこちの弁護士に聞いてみると、保釈はだいぶ緩やかになってきたねと話されているので、それが少し緩んだのかなという感じがあります。
法廷の風景が変わる
被告人の法廷内の着席位置等について言いますと、従来、被告人は看守に脇を挟まれて入ってきて、弁護人の席とは違う席にいるか、ないしは弁護人の前に座っていました。新潟では、ほかの所は知りませんが、弁護人の横に並んで着席するようになりました。被害者参加制度がありまして、被害者は検察官の隣に並んで座っていますので、それでは、被告人も弁護士の隣に並んで座るのが当然ではないかということを主張して、新潟では、着席位置は弁護人の横にしました。それからもう一つは、従来の通常事件ですと、裁判官が法廷に入ってきてから被告人の手錠、腰縄を外します。ところが今は裁判員達が入ってくる前に手錠、腰縄を外して、先ほど言いましたように、弁護人の横に座ります。このように変わってきました。ですから、今は慣れましたが、最初の時は、法廷の風景が変わったなと感じました。服装についても、従来はジャージを着ていましたが、今は刑務所がスーツだとかを貸してくれます。スリッパだって前から靴に見えるスリッパを履かせるとか。被告人も普通の市民と同じ格好で法廷に出ることを可能にすることが必要であると主張してきた結果です。われわれは、被告人は有罪判決が確定するまでは無罪の推定があると考えています。無罪の推定が働くということは、有罪が確定するまでは服装にしても何にしても、一般市民と同じような、できるだけ自由が与えられるべきだと主張してきたわけですが、まあ、ほんの少し前に進んだかなということです。
変わらぬ裁判官の意識
量刑については織田先生に譲ります。今後の問題については、公判前整理手続が非常に長期化したために、滞留事件が非常に増えていまして、未処理事件が増えています。これをどうするかということが重要な問題です。その最大の理由は、検察官が十分準備しないまま起訴している事件があるということです。私の事件などは典型的でした。
最後ですが、1番大きな問題は、時代が変わったのに、まだ裁判官の意識が変わってないというふうに思います。つまり、日本の裁判官は被告人は有罪に違いないという意識で公判に臨んでいます。それは明らかに訴訟指揮の中に表れます。被告人・弁護人の尋問時間を制限しながら、検察官の尋問時間はほとんど野放しで継続させることがあります。私の事件なんかひどいもので、被告人質問の時、検察も弁護人も反対尋問まで終わっているのに、「心証が取れてないので続行します。次の日もやります。」と言って、尋問を継続させ、検察の反対尋問からやらされました。それから、これは見えないところですが、裁判官が強引に裁判員を有罪方向で説得して有罪判決を出していることがまだ残っているように思われます。評議の秘密ですので窺い知ることはできませんが、それが私のやった事件の判決の中にかすかに表れています。それで今控訴していますが、まだ裁判官の中には強引に有罪にしないと自分の出世に響くと思っているのか、有罪に無理やりするという評議のやり方をしている裁判官がまだ残っているように思います。ただ、無罪推定の原則は明らかに、職業裁判官よりも一般市民のほうが素直にこの原則に従う傾向にあると言えると思います。とりあえずここまでにします。
司会 ありがとうございました。一点だけ手元の資料にないもので補足しておきますと、先生のお話の中に未処理、滞留事件が増えているということでしたが、昨年の10月末までの起訴件数は2700件、恐らく現在は約3000件の起訴がなされていて、判決が出たのが約1500件、半分というのが現状ということです。それでは織田先生から具体的な体験の話が中心になるかと思いますが、お話し下さい。
裁判員裁判の弁護を担当して
織田 弁護士の織田です。皆様もご承知かと思いますが、横浜のほうで裁判員裁判、初の死刑判決が下された、通称、バラバラ殺人事件の件で弁護を担当しました。その件で、実際に裁判員裁判が始まって、いろいろな問題点に気づくことがありました。そういったことに関してお話したいと思います。はじめに、全体的な話として簡単に、鯰越先生のお話を補足するような形になります。私は横浜弁護士会で刑事弁護センターに所属していまして、その中の裁判員部会で横浜弁護士会がやっている裁判員裁判の取りまとめをしています。その中で、今1番問題になっているのが事件の滞留の問題です。私の事件もそうですが、起訴されたのが1昨年12月です。裁判が開始されたのが昨年の11月。10月に覚せい剤密輸については裁判員裁判と分けて区分審理がありましたが。じゃあ、その間に公判前整理手続が行われていたのかというと、第1回の公判前手続が始まったのが、昨年の4月です。詰まり12月に起訴されてから4月までの間は事件としては何も動いていません。どうしてかと言うと、裁判所、検察官はその前に起訴された事件をやらなければいけないことがあって、もう手が付けられないのですね。横浜では刑事が6部、6つの裁判体がありますが、裁判員裁判ができる法廷は3つしかない。そこにスケジュールを入れていきますので、おのずから、1日に処理できる数は限られてきます。裁判官も合議体、3人でやりますから、一般の裁判は1人でやりますが、3人がみんな集まってやることになりまと、ほかの1人でやる裁判もやらなければいけませんから、そうするとどんどんどんどん遅くなっていきます。そこが今大きな問題だと思っています。われわれとしたら、裁判員裁判をやるなら、そこに専門部を作っていただき、集中してどんどんやっていただきたいと、3者会議では話しています。
裁判員裁判が始まって、証拠開示の話が出ましたが、これはもう実務感覚で言いますと、思いっきり飛躍しました。今までは検察官は証拠はないと言うだけでしたが、今は裁判官が裁定手続で証拠があるかないかの最終チェックします。今はかなり証拠を出してきて、私がやった例の事件ですと、これくらい(手で約50センチの高さを示す)この高さの物がおよそ15個か16個でてきます。でも実際に裁判所に出てくるものは最終的にはこんなもんです(高さ約20センチ)。今までの裁判では、それだけの証拠から自分にとって都合のいい証拠だけを提出していました。たとえば供述調書は何回も何回も取調べ過程で取ります。そのうち言っていることが変わってきます。検察官は自分にとって一番都合のいいものを出してきます。その前にこうではない、事実とは違うと言っている証拠は今までは出さなかったです。先ほど鯰越先生からありましたが、今では証拠開示手続があって、類型証拠として開示を求められる。証拠の信用性を確かめるためには別の供述証拠を見てみないとわからない、最初から言っているかどうか、もしかしたら違うことを言っているのではないかと、そういったことを確かめるために証拠を全部出しなさいと言うことができます。そうすることによって、検察官のほうからは証拠には全然でてこなかった事件関係者の名前が出てきます。そういったことによって、弁護人側のほうで、警察に比べると捜査権はほとんどないに等しいですけど、それでも話を聴くとか、そういうところから突破口を開くことができるようになりました。そういったところは大きなことだと思います。
裁判員に気を遣う裁判所
その反面、証拠についてですが、私がやっていて1つ思ったことは、今回の事件の担当裁判官がそうだったのかもしれませんが、非常に裁判員を意識しています。つまり、こういった証拠を出されすぎると裁判員が混乱してしまう、だから証拠を絞ってくれというようなことを言ってきます。それは検察官ばかりでなく私たち弁護人にも言ってきます。今回の事件は殺人で、バラバラ事件で、死体の非常に生々しい写真等が検察官から一杯出されました。それについて裁判官が言ったことは、裁判員の方でそれを見てショックで倒れてしまうかもしれない、だからそういった写真については最低限のものしか出さないでくれとの指示がありました。これは弁護人側からすればむしろ助かる部分はあります。つまり、残虐なものをショートカットして出しなさいということですから。裁判員に対する裁判官の気遣いが非常に強いことを感じました。例えば鑑定書。今回どういう理由で死んだのか、死因は何か。鑑定医が書きますが、内容が非常に専門的なことですね。裁判員裁判では基本的には供述調書、証拠は朗読をすることになっています。そういった中で専門用語が出てしまうと裁判員には理解できないだろうということで、検察官が出てきた鑑定書を報告書という形で一般の人にわかるように直しなさいという指示がたぶん検察庁のほうから出ているのだろうと思います。私が担当した事件については、死因等に関しては争いがなかったのであまり気にしなかったのですが、医者が言った言葉を検察官が自分の言葉で翻訳して報告書に直してしまうと、正確性といったところでどうなのかなーと感じます。確かに裁判員は裁判が始まると記録を見ながら話を聞くということではなく、本当に生の言葉を耳で聞いていきますので、難しい言葉や漢字がパッと直ぐに思い出せない専門用語だと確かに理解しにくいところがあると思いますが、被告人にとっては有罪無罪を争う場合もそうですし、場合によっては刑務所に行くのかいかないのか、その方の人生を大きく左右することは間違いないので、あまり裁判員のことを考えて簡略化してしまうのはどうかなって思います。そういった証拠の提出の仕方、取調べということについては、今後検討が必要ではないかとその時は思いました。
裁判スケジュールが審理を妨げる
裁判員に気を遣うということでは、もう1つ大きいのは、裁判員を呼ぶ時に、先ず何日間来てもらうかを決めてしまうということがあります。というのは、裁判所はまず事件の争点が整理される前に、同時並行で、裁判を5日でやるとか、10日でやるとかの審理予定を立てます。そうしてそれに合わせて、法廷も確保しますし、裁判員候補者への手紙にもこれくらいの裁判になりますと書きますので、その後、公判前整理手続でこの証人を呼びたいとか、あの証人を呼びたいとかいうと、もう時間的に無理です、この時間内でやってもらわないと困る、日にちは増せないのでそれはできませんということになる。だから、はっきりとは言ってきませんが、それは必要ないのではとか、そこまでやる必要ありますかとか、そういったことを間接的に言う。時間のことを非常に気にしているところがあります。
私が担当した事件は死刑が予想された事件でしたから、そう考えると争点が絞られてくれば来るほど見えてくるものがあります。記録を見ているうちに、手続を進めているうちに事件の内容がわかってくると、最初に裁判所に弁護方針はこんなですと伝えてありますが、それがだんだん変わってきます。裁判が近くなればなるほど、どうしても変わってきます。他方、裁判所は裁判が近づけば近づくほど、審理日程をかっちり固めてきますので、どうしてもそこのところがぶっつかってしまう。ですから、どうしても証拠調べをやるのであれば弁護人のほうで時間を短くして、証人一人の時間を短くして2人分やるとか調整したらどうですかとか言ってくる。そこのところが大きな問題だと思います。
これが特に問題になるのは大きな事件で、被告人の精神状態、よく、心神耗弱とか、心神喪失とかそういったことが問題になる例が多いのです。捜査段階で検察官が簡易鑑定をやっていますが、鑑定結果についてはやはり検察官側がやっている鑑定ですので、弁護人側が鑑定人を呼びたいと、私撰で鑑定ができればいいのですが、鑑定には結構お金がかかります。裁判が始まって、従前ですと、鑑定の申請を出して国の費用で鑑定をしてくれないかと依頼することが多かったのですが、裁判員裁判で鑑定を依頼するということになると、公判がそこでストップすることになりますから、それを嫌がるという話を聞いています。もう裁判が始まったらスケジュール通りやってほしいところがあって、やはりそこは1つ難しい問題と思っています。
今回、特に私たちの事件は、被告人は初めのうちは、俺は悪いことをしたからもう死刑しかないのだし、殺された人間も正直言って堅気な一般市民でなくて水商売を経営している側の人であって、こういう世界ではキッタハッタはしょうがないと、だからいつ自分も殺されてもしょうがないと、こういう稼業をやっていたんだし向こうもそう思っていただろうしと、いうところがあったんです。ところが、被害者の生の声を聞いて、自分がとんでもないことをしてしまったんだと心が変わっていった。本当の意味で自分がやったことがどういうことだったのか、被害者の遺族にどういう思いをさせてしまったのかを考え、心が劇的に変わっていった事件でした。そういった中で彼が変わっていった大きな理由は、一つは裁判、やはりあの中に立つと緊張するというか、ハレの世界で日常と違う世界ですね。それをわれわれはよく感銘力といいますが、そういったものによって変わっていく。特に死刑判決の場合、やったことについてもうこれはしょうがないと、あとは死刑にするかどうかというのは、この人が変われるかどうかという部分と応報罰刑、これだけのことをやったのだからもう死をもって償うべきだというところでせめぎ合うことがあります。
一般の市民の方は、基本的に被害者の方が泣いていて、被害者の遺族が極刑を求めますと言えば、自分しか遺族の思いを実現できないわけですから、その被害者の遺族が自ら自分の意見を実現してしまえばこれはまた犯罪になってしまうのですから、そういう中で、どう判断するかを考えているわけです。他方で、この被告人がどう変わって、生まれ変われるのだろうかと期待している部分が非常にあったと思うわけです。それが限られた日数ということで、結局はよく伝えられないまま終わってしまったというところがありました。従前の裁判であれば1回公判をやれば次は1か月後にやる、また1か月後にやるということになるので、1か月経つと被告人の気持ちも大分変わりますし、その間に弁護人も話をして変わっていくところを背中を押してやったりする期間があるんですが、そういった期間がないままやらなければならなかった。ということで時間的制約というものを大きく感じました。
もう1つ時間的制約というものは、これも被告人の防御権に関わるところですが、裁判員裁判は大体10時から5時までやります。途中で休廷が入ります。その中で被告人と接見して、今日こういうことがあってどうだったという打ち合わせを当然毎日します。私の事件では被告人は拘置所にいましたが、拘置所は法務省が管理しているところで、結構時間の制約が厳しいです。横浜拘置所では8時半から12時、と1時から5時までしか接見ができません。それ以外はお役所で杓子定規にダメですと言います。ただ、裁判員裁判が行われている時は、さすがに夜間も接見できます。だだし夜の8時までです、5時まで裁判をやって。当然弁護人は裁判員裁判だけをやっているわけではありません。民事の事件も裁判員裁判をやっている間にも電話がかかってきます。そういった仕事をこなし、事務処理なんかをやってしまうと1時間ぐらい経ってしまいます。そこからさらに拘置所まで移動すると、横浜の場合は30分ぐらいかかりますので裁判が終わった後に話せる時間は1時間ぐらいしかありません。そうすると十分に話ができません。われわれも厚かましいので8時と言われても9時まで粘っていますけど、それでも限界があります。10時までとか11時までとかできるようにしてほしいですが、法務省のほうも人員配置の点で難しいところがあって、まだなかなかできてないところがあります。
あと、裁判員への気遣いの問題ですが、私がやった裁判の裁判官は裁判員の集中力のために、1時間に1回の休憩をとりたいというところがあって、休憩をかなり入れてくれました。ただ尋問というのは流れがあって、じゃその辺でと、裁判官に止められますが、そこで流れが切れてしまうとやりにくくなります。裁判員の疲れなどを気にして止めてしまうのですが、この点は非常にやりにくいところでありました。先ほど鯰越先生からありましたが、弁護人のほうは時間通りに止めますが、検察官のほうはわりあい流れが区切れるところまで反対尋問を聞くことがあって、その辺はやっぱり正直言って、検察官寄りのところがあります。尋問の最中にもいろいろあって、それは重複でないですかとか、もう答えたくないと言っているのだからそれ以上同じことを訊かないで下さいとか、裁判官が訴訟指揮で言ってきます。われわれのほうには同じことをさっきから言っているからこうでしょ、と言って止められてしまいますが、検察官に対してはわれわれが誤導ですとか重複ですと異議を言っても、ちょっと違うのではないのですか、こういうことを聞きたいのではないのですか、続けてくださいという。これは裁判員裁判だけの問題ではなく一般事件の裁判でも同じです。ただそういうのを裁判員が見ると、プロの裁判官、自分たちが当てにしている裁判官はそうしたことに興味を持っているのかなと思われると、引っ張られちゃうのかなと危惧するところはあります。
一般の人と法曹関係者の常識・感覚の違い
裁判員の方は、裁判が始まる前には居眠りする人がいるのかなと思いましたが、そういうことはなく、非常にまじめに聞いてくれました。逆に、プロの裁判官には尋問の時に時々目をつぶっているだけかもしれませんが、そういう裁判官もいます。裁判員の方はすごくまじめで、一言一言に頷いたりメモを取ったりと、そこはまじめに聞いてくれているなと信頼はしていました。ですから、裁判員がしっかり聞いてくれているのでわれわれは言葉遣いに非常に気をつけました。例えば判例の引用などする時、言葉自体も難しいですし、裁判所の書く文章って、…と言って、…であるが、…しかし、…けど、何とかでと言って、最後に何を言っているかわからないところがって、読んでいても分からないところがあって。そうしたところは多少裁判所の判例の言葉とはずれても、ニュアンス的なものが伝わるところについては気を付けてやりました。
大きく変わったのは、検察官も弁護人もそうですが裁判員に対して訴えかけるところが変わっています。
今までは年が若いと、可塑性があると一言で片づけていました。可塑性と言うのは若いからやり直しがきくと言うことです。横浜でも私たちが模擬裁判をやった時に、若いからやり直しがきくんではなくて、むしろ若いから早めに刑務所に送って、2、3年くらい人生を叩き直す。それのほうがやり直しがきくということではないかと言われました。そのように考え方がだいぶ違う、違うと言うかそれが裁判員裁判をやる意味だったと思うんです。われわれの中の常識があって、例えば、お金を弁償しているから刑を軽くしてもいいじゃないかと、ところが、弁償するのは当たり前だろう、物を盗んだら弁償するのが当たり前だろうという一般人の感覚、そういったところに違いがあるということは勉強会などをやって知っていたので、その辺については非常に気を付けてやりました。今までわれわれが当たり前だと思っていたことが違う、その辺についてはやっていて勉強になりました。
死刑判決の負担
最後になりますけれど、横浜地裁の判決で特に問題になったのは、裁判官が判決の最後で「控訴することを勧めます」と言ったところです。あれについてはマスコミ等でも問題になって、一人だけ裁判員がインタビューに答えて、裁判官と同じ気持ちですとおっしゃったみたいですが、やはり裁判員の方にとって非常にご負担だったのだろうなと。今回の事件は狭山事件や足利事件のような冤罪事件ではない事件と思いますが、正当とはいえ、死刑という自分が人を殺すという行為に力を貸したと思ってしまうというところで、裁判員の方に負担をかけさせたくないと思い、裁判官はおっしゃったと私は思っています。本当に死刑か無期か、生かすか殺すかの裁判について、その量刑までを裁判員に負担させてしまうのは、今の段階でいきなりそこまでやってしまうのはどうかなとは思います。あるいは、死刑の判決が出た場合には自動的に控訴する。例えばアメリカではそのような制度を採っているところがあるらしいのですが、死刑判決の場合はそのようなことを考えていいのかなと思います。生きていれば再審とかでやり直しがきくと思います。その辺の所は、特に裁判員の方は本当にまじめに真摯に取り組んでいる、真摯に考えてしまっているのではないかと思いました。私からは以上になります。
司会 ありがとうございました。とても面白い話でわれわれいろいろ気づかないところがあったのではないかと思います。後議論の前にもう1つ資料を見ていただきたいと思います。ご存知のように裁判員裁判で、今までの裁判ではもしかしたら有罪ではなかったのか、裁判員裁判だったから無罪だったのか、そのあたり難しいところですが無罪判決が出ています。これについて狭山部会の内藤から簡単に報告いたします。
裁判員裁判で無罪判決が出た
鹿児島夫婦強殺事件
内藤 お手元の資料ですが、すでにみなさん新聞で見てご存知かとは思いますので細かいことは省きます。2010年12月10日に裁判員裁判での死刑求刑事件、鹿児島夫婦強殺事件で初めての無罪判決が出ました。判決を報じた毎日、朝日新聞からコピーしたものです。この事件を担当した野平康博弁護士のコメントも載っています。もう一つの資料は、死刑求刑事件ではありませんが、裁判員裁判で全国初の無罪判決が出た覚せい剤密輸事件に関するものです。これは『冤罪Flie』からコピーしたものです。
時間がないので、鹿児島事件に関してだけ触れさせていただきます。この裁判に関しては担当の野平弁護士がコメントの中で語っていますように、有罪無罪は半々かなと思っていたようですが、無罪になりました。従来の裁判では有罪判決、死刑判決が出ていたのだろうと判断される事件です。私はこの事件に関してほとんど知りませんでした。でも、この毎日新聞の記事を読む限りでは、検察側の主張で事件が本当に立証されているのかなという疑問を何点かもちました。動機に関していえば、強盗殺人といっているのに金品は取ってない、犯人像に関しては強盗といっているのに被害者はスコップで100回以上メッタ打ちにされている。これは怨恨を疑わせる状況ですね。それから、DNA鑑定で一致したと結果が出ていますが、資料を全量消費してしまって再検査ができない問題点、被告の防御権の問題があります。それから、犯人が残したスニーカー、靴の跡ですが、文数は一致していると言っていますが、証拠物を探しだすところまで捜査していない捜査の雑さがあります。凶器のスコップに関しても、ほかの箇所から被告の指紋が付いているのに、指紋が発見されていない。握りの所に油が付着しているから指紋はつかないと検察は説明していますが、被害者の指紋は残っています。指紋に関しては被告人の指紋が11か所から採取されていますが、付き方が不自然ということがあります。だだ、判決では被告人は被害者宅に入ったが、だからといって犯行とは結びつかない、それは立証されてないということで、無罪判決が出ています。1番最近の『冤罪Flie』(1月号)には、私たちが狭山事件を通してよく知っている斎藤保鑑定士が登場し、この鹿児島事件判決の指紋に関してコメントしています。従来、現場に残されていた犯人の指紋と被疑者の指紋が一致すればそれで被告人が犯人と断定してきたが、今度の判決では、それだけでは不十分で、その指紋が犯行時に付着したかどうかの立証ができていなければならないとした。もう1点、犯人指紋の不存在に関してで、犯行現場に当然付着していい場所に被疑者の指紋が付いていないのは不自然との判断をしたこと。この2点を追加したことは画期的なことだが、これは元々当たり前のことだと斎藤鑑定士は言っています。それから大阪母子殺人事件最高裁判決(2010年4月10日)、1審の無期懲役、2審の死刑判決を差し戻しした判決ですが、この最高裁判決を引用して、「被告人が犯人でなければ合理的に説明できない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていなければならない」といって、この事件では被告人が必ずしも犯人でなければならないことが証明されていないとしています。
それから2人の先生から証拠開示のことが話されましたが、判決文には「事件で正しい事実認定を行うには、被告人に不利・有利な状況証拠を漏らさず確認しなければならず、そのためには、公益の代表である検察官が、被告人と犯人とを結びつける方向に働くだけではなく、被告人の犯人性を否定する方向に働く証拠であっても自ら提出するのが相当であると考えるが・・・」とあります。検察側にとって不利な証拠、被告人側にとっては犯人でないということを証明する証拠であってもすべて出さなければ公平な裁判とは言えないと判決文の中で言っているということで、この鹿児島夫婦強殺事件の判決はごくごく当たり前のことをちゃんと言っていると思います。
しかもそれが、裁判員裁判の中で、裁判員が審議の過程で疑問を呈して、犯罪が証明されていないとなった事件です。以上です。
司会 ありがとうございました。裁判員裁判を傍聴した感想を若干紹介させて下さい。
裁判員裁判の予定についてはホームページで公開している地裁もあるようです。私は昨年の11月、東京地裁にお昼に行ったら、当日の公判予定に裁判員裁判が2件出ていました。その内の1件を傍聴しました。第1回公判で、覚せい剤密輸事件で被告人は無罪を主張している事件でした。事件の中身は省きますが、公判は1時から始まって5時まででした。先ず感じたことは先生方がおっしゃった通り本当に風景が昔と違いました。被告人の姿、形が違います。被告人は弁護人の隣に座り、メモを取りながら弁護人と打合せをしながら、公判に臨んでいました。検察官が3名いまして、弁護人は1名でした。検察官は若い男女の検察官に中年の検察官、弁護人は初老の人でした。検察官は有罪の立証を十数件の証拠で行う予定だと冒頭陳述で述べたのに対し、弁護人は主に被告人質問を通して無罪を主張しますと言っていました。聞いているだけで弱いなー、弁護側は圧倒的に弱いなーと感じました。実際に始まって思ったのは、言葉遣いが非常に分かり易いですね。甲何号証、乙何号証なんて言わないのです。あとはひたすら、検察官も弁護人もそうですが、特に検察官は誰に向かって話をしているかっていうと、裁判員に向かってです。だから非常に分かり易いです。裁判員の手元にはモニターがあって、検察はそのモニターおそらく証拠写真やチャート図などを映しながら冒頭陳述や証拠調べを行っていました。ところで、裁判員は本当に真剣だと思いました。裁判員は初めてそこに行ってどんな事件かと、起訴状と冒頭陳述で知るのですね。だから恐らく懸命に聞いている。証拠の一つに関係者の尋問調書があって、その調書が読み上げられましたが、裁判員はそれを真剣に聞いていました。ところが裁判官はその中身を事前に分かっているからこれは眠いわけです、うとうとしていました。ただ、検察と弁護人の力の差は大きいような気がしました。
裁判員選任について
司会 両先生の報告を受けて、これから後半の討議に入りたいと思いますが、まず、休憩中に話題となった裁判員の選任手続きについて続けていただけますか。
織田 裁判員の選任手続について、検察も弁護人もこの人についてはやめてほしいと言えます(注3)。私の事件ですと、死刑制度について死刑反対論者とか賛成論者とかになると、検察官は、死刑とは絶対に心情的に言わないという人たちばっかりが裁判員になったら困るので、そういうところの質問事項を追加で入れてくれといってくる場合がありますが、私の時はありませんでした。
注3 裁判員選任において、検察官と弁護側は裁判員候補者についてそれぞれ四人(補充裁判員を置く場合にその人数により七人まで)を限度に理由を示さず不選任請求できる。
鯰越 少し補足しますが、来年度の裁判員になる候補者に対してはあらかじめ、裁判所のほうから年末に来年の候補者名簿に登録されましたとの通知が来ます。その通知に対して、70歳以上だから等規定に合うかどうかをチェックする用紙が入っています。それに該当すれば呼び出されない。形式的な判断で外せるものは呼び出さない。それから個別事件で何人呼ぶかの判断をして、裁判所が呼び出します。それでもなおいろんな理由があって出られないという候補者がいて、裁判所としては理由があれば来なくていいことにします。私が担当した事件だと150人ぐらいに呼び出しをしたと思いますが、実際に集まったのは30人か35人ぐらいだったと思います。それで選定手続をするのですが、呼び出された時の返信の中に書いておけばいいのにと思いましたが、「実は私は1人で美容室をしているので辞退したい」という人がいました。自白事件では事前に裁判所と打ち合わせて午前中に選定手続やって、午後に第1回公判をすぐやるやり方が多かったです。織田先生の場合は前倒しでやったでしょ。
織田 前倒しで前日にやりました。
鯰越 私の時はもっと前で公判の1週間前に選定手続を独立した期日にやりました。そうしておかないとどういうことになるかというと、勤め人だと、もしかして当たるかもしれないと休みをずーと取ってしまう。実際には外れということがあるので、1週間ぐらい前に選定手続だけはやってしまう。とりあえず1日だけ出て行って、選ばれたほうが、仕事のやりくり等ができるだろうということでやりました。それはそれでよかったと思いました。
それで選定手続ですが、補充裁判員を、実際裁判員になる人とは別に選びます。私たちの裁判は15日間でしたから、途中で体調を壊すとか、なんかの都合で来られなくなるかもしれないので、補充裁判員は3人選びました。従って、最初から裁判に立ち会った裁判員は9人です。9人ですから、6名まで忌避できます。しかし、裁判員候補者の職業は知らされていません。もう、当たるも八卦、当たらぬも八卦です。裁判官がいろんな説明をする時、顔を見ておくしかないのです。私たちの事件は共謀共同正犯でした。それが理解できるかできないか、理解能力の問題が非常に大きかったので、結局どうしたかといいますと、私ともう1人の弁護人と話し合い、2人で×を付ける人をそれぞれ6人選ぼう、そして2人が一致した人から外していこうというやり方でいきました。6人だと少し少なかったかなと後で反省しました。どうしてかというと、検察がまず1人外しますね。次に弁護人が外すと。検察が外す、弁護人が外すという形でやっていきます。そうすると、われわれが外したい人を検察が外してくれたら、更に弁護人ははずしたい裁判員候補者を追加できるわけです。選定手続が終わった後に、新潟の場合は検察官および弁護人に発言の機会が与えられました。その時言ったのは、「裁判員の皆さん見てください、検察側は重厚な布陣です。それに対して私たちはわずか2人で対抗するのです。いかに弁護側が非力であるか。」と言って同情を買いました。(笑い)
藤沢靖 今のお話は具体的な選定過程に入ってからのことでしたが、その前の裁判員候補者をリストアップするところからの全体がどうなっているかなかなか見えないのですが。制度的にはその辺に問題点はないのですか。候補者は機械的に選ばれているのですか。
織田 私は立ち会いましたが、パソコンがあって、番号が全部入っているのを書記官がピッとエンターキーを押しますとそこからバババーって、何番、何番と番号がアットランダムに出てきて、その番号の方に通知を出す。
藤沢靖 それは公開してるんですか。
織田 そうです。意図的なことは入らないです。
鯰越 完全に無差別抽出です。
吉田勉 死刑制度に賛成か反対かは一体誰から誰に行くのですか。
織田 基本的には裁判所が候補者に通知を出す時に簡単なアンケートを送ります。できるかできないとか、どうしてできないのか等の簡単なアンケートです。その中で、裁判所が個別に入れたい質問項目がありますかと聞いてきます。われわれの事件の場合は死刑制度について入れるかどうかがありました。それについては「耳かき事件(注4)」
が先行事件としてあって、その弁護団に聞いてみたら特にその辺は考えなかったということで、一般的なアンケートにして送ってもらいました。そういった質問事項を入れてくれと裁判所にリクエストできます。
注4 二〇〇九年に東京で起きた耳かき店店員とその祖母殺害事件。殺人等の罪に問われた店の顧客の被告に対し、裁判員裁判では初めて死刑の求刑がなされた。2010年11月1日、東京地裁の裁判員裁判は被告に「無期懲役」の判決を下した。
藤沢汎 死刑制度に反対ですとアンケートに書いてきた人は実際の選考では排除されることになりますか。
吉田勉 アンケートにその質問項目を付けたケースはあるんですか。
鯰越 その項目は付けないことになりました。最高裁の指示で、死刑求刑されるような事件では死刑賛成か反対かについては問わない、そういう質問については認めないことになったのです。死刑反対の人が裁判員に入ることは意味があるとしました。賛成の人もそうでしょうが。
司会 それはアンケートにないかもしれないけれど、アンケート用紙に自分は死刑制度に反対だとか、裁判員制度に反対だから裁判には参加しないと書いてきた候補者は外されるのでしょうか。
鯰越 それは認めてないでしょう。
織田 検察官や弁護人がこの人を忌避したいということはあります。判断材料としてはあります。
内藤 鹿児島夫婦強殺事件では、通常は80人〜100人の候補者を呼び出すが、鹿児島事件は死刑が求刑されることも前提に450人が呼び出されて、事前に152人が辞退しています。で295人に呼び出し状を出し、最終的に8割を超える373人の辞退を認めた。
司会 鹿児島の場合は公判スケジュールが40日間と明示されていた。これでは仕事等の関係でできないという人をかなり含んでいる数だと思います。
織田 私が選任手続に立ち会った事件で、裁判官が辞退を認めたのは、例えば体調的な問題、長期間座っていると腰が痛くなってどうしようもなくなってしまう人、トイレが非常に近い人で10分に1回程度いかなければならない人、公判最中に頻繁に立ってもらっては困るので裁判官のほうが辞退を認めました。これは休みが取れる公務員の消防署勤務の方の例ですが、11月にたまたま横浜でAPECが開催されるので休みを取ると同僚に迷惑がかかると言っていた人は辞退を認められませんでした。しかも抽選で運悪く当って裁判員になりました。
藤沢汎 在日の人が被告人になることはありますが、裁判員に関しては国籍条項があるのですか。
鯰越 そうです。国籍条項があります。
織田 選挙人名簿が基礎になっています。
司会 この話だけでも盛り上がりそうですが、2人の先生のお話から、裁判員裁判は十分に審理が保障されていないのではないかと思いました。それと、証拠開示が進み、証拠が確かに出てきてもそれを分析し生かせるだけの態勢が弁護人側にあるのか、今の弁護人側と検察側の態勢と力量差の問題がかなりあるのではと思いました。この後、ご意見・質問をいただきながらそのあたりを中心に議論できればと思います。
弁護側と検察との態勢の差、市民の協力・連携
鯰越 資料のデータ「法廷での説明等の分かりやすさ」について少し触れてみます。検察官は77・2%が分かりやすかった、それに対して弁護人は47・0%で、それが全てを証明していると思います。一つは検察は特別公判部を作っていて、裁判員裁判を担当する検察官を選出し、事前に組織化しています。それが次々に裁判員裁判をやっていきますから、トレーニングで立証方法も次々に改善されていきます。それに対して弁護人は事件ごとですから、それは経験する件数が格段に違います。よくなってきたと思うのは、新潟の場合は、全部の事件に対して傍聴担当をいれています。弁護士会から全部の事件を誰かはずっと傍聴して、事件が終わると報告会をします。どういう工夫をしたか、どこがまずかったと思うか、どこをもう少し言えばよかったかということを聞くことができます。本当はもっと時間とお金があれば、やったほうがいいのは一般市民のモニターを入れることです。一般市民を入れて、その人たちにモニターをしてもらって、どこが分かったか、どこが分からなかったか、弁護士の冒頭陳述から始まるのですが、そのやり方についてどこを工夫すればよかったかという意見を集めていくようになればいい。横浜のような大きなところでは弁護士会がバックアップチームを作っていますか。
織田 はい作っています。機能しているかは別にして。
鯰越 担当している弁護士が2人いますが、それを支えるためのバックアップチームを組織している単位体もあると思います。実際に法廷に立つ弁護士は2、3人ですが、それを支えるために証拠を読み込み、こういう証拠があるよと分析したりする人達を組織しているところはあると思います。ただそれが行われているのはごく一部で、実際には忙しいので全部機能しているかどうかは分かりません。そういう工夫は少しずつなされてきているだろうと思います。
織田 補足をしますと、検察官は全国的に組織的にいろいろ調査をしています。例えば北海道で非常にいい成功した例があればそれを全部フィードバックさせて、横浜であってもそういうやり方をすると。ところが弁護士は基本的には一匹狼が多いので、同じ横浜でやっていたとしても、別の事件でこういう素晴らしい弁論や冒頭陳述の方法があっても、共有化されない問題がどうしてもあります。各弁護士会が書面を集めたりしていますし、日弁連も今は判決書とかをいろいろ集めてデータ化しています。でも、そういったところで弁護士側は弱いところがあります。
一般市民のモニターということですが、実は私たちの事件で最後の弁論ですね、最終的にどういうふうにすべきかという時には、知人の一般の方に来てもらって、こういうことを最後に言おうと思っています、意見を言ってくださいといって聞いてもらいました。その中でかなりダメだしがありました。実は最後の弁論を私がする予定だったのですが、早口すぎてよく分からない(笑)。 抑揚がない、強い言い方でそれだとよくないとか、弁論でもこういう書き方ですとちょっと、例えば死刑に関して最初に書いた、あなたはこの人を殺すという判断できますかというふうな言い方だと、弁護士にそこまで言われると脅迫されているような気がしますと。そういうことを一般の人から聞いて直して、弁論する人も女性の先生に変わっていただきました。こういう形でのフィードバックをしていただいています。弁護士会を挙げてやっているわけではありませんが弁護士仲間で工夫してやっています。しかし、検察庁のように組織としてやっているわけではありません。検察庁は証拠も、たとえば覚せい剤がどれくらい悪いか、末端価格でいくらかとかの資料を出すことは検察庁全体として決まっている。裁判所からすると覚せい剤は悪いのに決まっているから証拠として出さなくても結構ですよと検察に言うのですが、全体で決まっているので出さないと上に叱られますので出してもらわないと困りますと言います。その辺はかなり研究してやっています。また、パワーポイントでどういう事件であったのかの説明する時、人が動いて1階から2階に上がって人を刺したとかをちょっと動画みたいにして分かり易くする。ちょうどワイドショウの感じでやってたりします。弁護士は、特にベテランの人はパソコン自体の扱いに慣れていないから、旧態依然の文章でやります。そうなると、パッと見で弁護士は分かりにくい、検察官は分かり易いとなっちゃうところはあるかなと思います。もっとも、動画にこだわりすぎていると、3庁協議会のなかで裁判所、検察官とも話をしますが、そういうところに凝っている暇があったらちゃんとしたことを言ってくださいと裁判所から言われてもいます。裁判所は特にビジュアルがいいとかはそんなに重視している気はしませんが。
井桁 1年間で、どのように変わったのかというところが伺えて、非常に良かったです。
とくに情報の共有の部分について。検察官のほうは全国組織でうまくいったケースをぱっと共有するし、自己教育システムができているということですね。私は大学の教員をしていますが、教育法などを含む教育学関係の領域を除くと、大学教員は個人経営者で、教育に関する情報共有システムをもっていない。自己啓発しかなかった。弁護士も弟子・師匠でこの弁護士についていると勉強になるとかはあったと思いますが、どうもそれだけでは不十分な状況になってきているようです。先ほど鯰越先生がおっしゃったモニターシステムですが、裁判員制度になってから裁判を傍聴している側もいつ裁判員になるかわからないし、いつ加害者になるかもしれない、被害者になるかもしれない。ですから国民の、国籍を持っている人の司法への参加、市民社会化していくとなると、好きか嫌いかは別にして、モニターチーム、NPOとかそういうシステムがどこかで立ち上がらないといけない。弁護士と連携、検事の方たちの連携方法とは違うだろうと思いますが、市民として少なくとも地域の弁護士会とかと連携して、よい弁護システムにしていく方向を考える必要があると思いました。
裁判というものをどういうふうに考えるかですが、判決とは英語で言うと「判断する」ということですね。市民社会として私たちの社会で何か不正行為がおこなわれた時に、それについて判断すること。判断の可否を一部の人にだけ任せるのではなく、専門家がいることは絶対的に必要だとは考えていますが、それに対するチェック機能を持つべきだと思います。今回、鯰越先生と織田先生お2人から報告をいただいように、問題点がむしろ見えてきたと受け止め直すとすれば、市民の側からモニターシステムを作っていくことが必要だと。
鯰越 非常にありがたいです。その市民の人たちが自分たちで傍聴にくる。特に裁判員裁判になって一番変わったのは刑事裁判に対する市民の関心が一挙に高まったということです。新潟の1号事件は覚せい剤密輸事件、私が担当した事件の共犯者の裁判でしたが、傍聴に希望者が500人ぐらい集まりました。それで抽選券を配るのですが、通常そのような事件で500人もの人が列をなすことは考えられないわけです。最近では傍聴希望者は少し減りましたけれども、それでも熱心に傍聴される方がいます。従来でしたらパラパラ程度で関係者は来ているけれども、一般の無関係な人が傍聴されることは一切なかった。そういう意味で一般市民が刑事裁判に対して高い関心を寄せるようになってきたことは大きな変化だと思います。
市民のほうで作っている団体はないかということですが、名古屋には「市民の裁判員制度めざす会」があります。これには一般の人と、弁護士、大学の先生、中京新聞の論説委員をしている人等もメンバーです。もっと一般の市民も含めて、裁判員裁判の問題点について検討して、市民の手に裁判を取り戻していこうと活動しています。新潟でも昔「陪審友の会」を作っていたのですが、それを改組して「裁判員友の会」を作りました。名古屋からアイデアをいただきながらやっていこうと考えています。特に傍聴人達は裁判員と違って守秘義務がありませんから自由に発言できるわけです。裁判官批判でも簡単にできます。ですからそれは非常に大事な視点だろうと思います。
藤沢靖 検察と弁護側とが丁々発止して真実に接近するというのが近代法の建前ですから、検察側が組織だった努力をするのも“建前としては当たり前”ですね。ですが、実際は国家権力主導の官僚裁判でずっとやってきた。専門家に対する幻想があり、庶民は裁判から遠ざけられてきた。そういった意味では欧米とは相当違う状況があった。そこの問題点を、裁判員制度、本来ならば陪審制でしょうが、国民主権に近い形で改革することによって、何かできるんではないかというのが、この間の議論だとおもいます。
そこのところで今検察側がとっているやり方をどういうふうに見るかと、それに対してどう対処していくのかというのが基本的な問題点かなと思います。
司会 本当にそう思います。
藤沢靖 井桁さんの意見と同じことになりますが、検察側の戦術が有効性を持っているということなのか、その辺を大幅に変えられるだろうか、権力主導の“お上の裁判”による弊害をなくせるのか、そこがポイントではないでしょうか。実際にそれに対応していくには、情報のオープン化と、対応する力をどういうふうに付けていくか、おおざっぱに言えば国民の側の批判力になるかと思います。その辺は現場ではどんな感じなのでしょうか。1つは証拠開示の問題と結び付いていくだろうと思いますが。
捜査の適法性の監視、
全取調過程の録画・録音の必要性
織田 1つは検察官と弁護人とは圧倒的に情報量が違います。初めから同じ土俵には絶対に立てないのです。検察官は捜査権を持っていますから、捜査段階でいろんな人から話を聞けますし、例えば銀行に行って通帳の開示を求めることができます。我々が行ってもそんなことは教えてくれません。そういったところがありますので、検察が持っている情報をお互いフィフティ・フィフティーに使えるようにしてもらいたい。 また、捜査の適法性です。これについては結果だけでなく、裁判員の方も、特に最近大阪の村木さんの自白調書の件がありましたが、ああいったところを特に気にしてみてほしいです。証拠が出てくるところの段階を見てほしいです。
藤沢靖 違法な不当な証拠に関してはこれを排除するということですね。
織田 そうですね。裁判所は当然事後的にそういったことを監視する役割もあるのです。私みたいな若いものが言うのは偉そうかもしれませんが、今までは裁判官と検察官がある程度くっついていて、検察官がやっていることは正しいだろうというところはあったんだけど、そういったところは本当にそうなのかを、まさしく市民としての目で国家権力に対しての監視という意味でも特に気を付けて見てほしい。捜査権といういわば武器のところがただでさえ弱いのに、さらにずるいことをされるとますます圧倒的差がついてしまいます。後は、我々のほうで弁護人がしっかり腕をつけていくしかないと思います。
司会 藤沢さんや織田先生からもありましたが、違法な取調や証拠のねつ造とか不適正な捜査があれば、それ自体で公訴そのものも無効になるという、もっと制度的なところをはっきりさせていく必要があるかなあと思います。
織田 そうですね。最初、鯰越先生からありましたが、捜査官の捜査メモ、最高検のほうから各地検に対して検察官に捨てるなという通達を2回ぐらい出しています。私別の事件でやっているんですが、起訴する段階で捨てちゃいましたとか、これは私の手控えであくまでメモでと検察官は平気で回答してくるんですね。その証拠開示の段階で。被告人に聞くと明らかにメモを見せながら、こういうのがあるぞ、お前何を言ってるんだ嘘つくなと本人はいわれたと言ってます。そういうのが仮に出てくれば、それ自体に適法性がないんだからそれに関連する証拠は全て排除するとかの規範を一般市民ならではの感覚で作って行けると、今までとは違ったいい面が出てくるのではないかと期待しているところです。
鯰越 今の件に関連して言いますと、最高検は捜査メモ等を保存しろと通達を、表では出しました。ところが内部通達では直ちに廃棄せよと言っています。
会場 ひどいですね!!
内藤 1980年代に4人の死刑囚が証拠開示された証拠がもとで再審無罪になった後、最高検が全国の検察庁に司法の威信が落ちるから証拠開示には慎重にという通達を出したと聞いています。それと同じですね。
鯰越 新潟では面白い事件がありまして、検察事務官が法廷で指示されていましたので廃棄しましたと堂々と証言したのです。広島でも同じような例はあって、最高検に問い合わせしたうえで告訴するかどうかを検討しているとのことです。新潟でも告訴するかなという話をしています。完全な証拠隠滅ですから。
藤沢靖 それは犯罪そのものですからね。
井桁 先ほどの資料の話題で、証拠の妥当性ですよね。物証でも本当にそこから採ったのかわからない。これが証拠ですと言われても、私たちは現場で証拠を見るわけにはいきません。現場に行ったときにこのママの状態ですと保証されない限り証拠の妥当性は著しく損なわれるはずですよね。後から置いたんじゃないかと。自白調書もこういうプロセスでこうしましたという形がはっきりしているか、あるいはメモを含めた全ての証拠、弁護士、裁判員が実際に見るかどうかは別にして、それが調書の作成に関する証拠として出されない限りどうして自白調書と言いえるのか、何の根拠で「自白」と言えるのかということになりますね。
織田 だから我々が言っている、取調べの可視化、取調過程の全録画・録音が実現すれば判るわけですよね。
井桁 それがない今までは、自白調書が冤罪を生み出してきているということを私たちはすでに知っています。法廷で否認しても、裁判官は自白調書を優先してきている。そこが一番問題ではないかと思います。
鯰越 そうです。そこが一番大きな問題です。
司会 調書主義が変わったと言われますが、相変わらず裁判の中では調書がずっと読まれていくことがかなり多い、それが現実だという話があるのですがどうなんでしょうか。
鯰越 証拠のところで調書について不同意で争う、任意性のところで争う、これを徹底的にやれば検察はだいたい証人を出してきます。私の経験から言うと。私の担当した事件の場合、被告人の自白調書はなしです。ロシア人であることもあって、彼がしゃべったことが通訳を通して日本語の調書にされます。そうすると、通訳が誤る危険性もあります。だから全部録音・録画するように要求しました。録画があれば我々は任意性を争わないが、そうでなければ任意性を争うからと事前に検察に申し入れました。結局、自白調書はゼロでした。ですから、自白調書は検面調書(検察官取調調書)ばかりでなく員面調書(警察官調書)でも不利なことを言っている場合は全部認める伝聞例外という魔の刑事訴訟法322条が今までも問題になっていますが、それを何とか潰すために任意性を争うということで弁護人が頑張るしかないのです。それでいいのは、裁判員裁判になるから公判前整理手続で証拠決定とかいろんな議論があるんですが、いや同意しませんと、任意性を争いますと言ったら、先生延々とやるんですか言うので、やりますと言います。そしたら、それじゃ検察は証人をと言います。逆に、時間的制約を逆手にとっています。
吉田勉 だいぶ昔に、たまたま私が車に同乗していましたら、ちっちゃな子が自転車で飛び出してきた接触事故があり、同乗者として調書を取られたことがありました。警察に聞かれる、こうでしたと説明をしました。そうするとメモを取っていて、この人たちの作文能力はすごいなと思いました。全く断片的にしゃべった話を繋げていくんですが、すごい作文能力です。私としては、調書の文章を、ここは全部削除、これは言ってないと削除させて、いっぱい削除だらけにしましたが。しゃべったことを調書にしているのではなく、しゃべったフラグメントをストーリーにまとめて作文したのがたぶん調書だろうと思います。
鯰越 そうです。作文なんです。
吉田勉 だから録画・録音がなく、メモもなければ本人の承諾を得た調書とは言えないですよね。
織田 例えば、殺意の問題、「殺すつもりでした」があるんです。はじめは殺すつもりはなかったと言ったが、お前ナイフを持ってきたんだろう、刺したら死ぬと思わなかったのかと言われ、まあそれは死ぬかもしれません刺したら、刺したら死ぬかもと分かっていて、刺したんなら、じゃあお前殺すつもりがあったんじゃないかとなって、で「私は殺すつもりがありました」という調書が作られるんです。「ちょっと検事さん違うんです」と言ったら、「お前さっき言っただろう、ナイフで刺すと死ぬと判ってたんだろ」と言われてしまいました。それで調書の訂正は認められませんでした。そうやって、検察に都合のいい調書になっちゃうんですね。
鯰越 それに関わって、裁判員裁判をやってみて一番危険だと思ったのは、統合捜査報告書です。いくつかの裁判員裁判が始まって時間が取れないということで、沢山の資料を1つの報告書にまとめてそれを証拠請求してくるんです。我々は合意書面、検察と我々が同意した部分だけを書面にして証拠として出しましょうと主張してきたんですが、これは検察がなかなか呑まずに統合捜査報告書でやりましょうという話になったんですね。検察官は、その作成過程でいろんなトリックを使うのです。
藤沢靖 自分たちで筋書きを作り、その通りにしようと、やっているのではないんですか。
鯰越 それで、私たちは不当な表現は削らせました。統合捜査報告書には捜査官の主観的判断・評価が書かれているのです。それは警察・検察の推測部分でしょう、証拠ではないでしょうと言って削らせたりしました。鑑定書の問題が出てきましたが、鑑定書も検察に好きなように書かせたらダメです。昔やった事件ですが、私が実質的にやったのは事前にそれを見せてもらって、クレームをつけて、これでいいというものにまとめてもらいました。検察庁に行って打ち合わせをして、統合捜査資料報告書ないし鑑定書等があればそれを事前に見て、この内容でOKと、事実上の合意書面にしてしまうということが必要ではないかと感じました。それから、精神鑑定が問題になる場合があります。公判が始まったら無理です。ですから、公判前整理手続の段階で精神鑑定に付して、正式な精神鑑定に回してもらうことで頑張らないと無理です。そうすれば可能です。一般事件でも、新潟では精神鑑定に回してやった事件があります。それは半年ぐらい入院させました。精神鑑定は実際、正式にやろうとすると非常に難しいんです。経過を見ていかないと難しいからです。私は県の精神医療審査会で精神科の先生達と話す機会があります。というのは、病名が付いてこない入院報告書が提出されてきますから聞くのですが、精神科の先生は、「先生それは無理ですよ、1月ぐらいでは確定診断がつかない場合が沢山あるんです」とおっしゃる。精神鑑定が必要だと思う場合は、公判前整理手続で頑張って持ち込むことが必要なのかもしれません。それに、鑑定書が上がってきたら、それが分かり易い内容になっていて弁護士もそれに同意できる内容にすることです。
織田 鑑定を公判前整理手続でやれば認められることがあると、公判だと難しいということなんですが、そういった知識が弁護士同士で共有化できていなかったりします。弁護士は基本的に当番が決まっていて、その時に行くわけですね。行ったら殺人未遂で裁判員裁判だということで基本的にそれを受けた人がやることになります。その人が一人で受けてやるとなると、先輩がいる大きな事務所にいたり、知り合いが多いとかでお互い相談する人もいるんですが、中には自分1人でやっちゃう人がいるんですよ。そうすると、従前のやり方でやるともう取り返しのつかないままで行ってしまう。結局1人2人でやってしまうと、やっぱり分かりにくいねと言われてしまう例というのはあると思います。
公判前整理手続の重要性
司会 もう一つ、是非ともお聞きしたいのは、審理スケジュールが詰まっていて、果たして本当に十分な審理ができるのか。さらにそれに関わるならば、公判前整理手続がものすごく重要になっていることです。一方、公判前整理手続も含めて裁判官の指揮がどれくらい大きく影響するものなのか、そのあたりを変えていかないと、十分な審理ができないまま公判に突入してどうしても取り返しがつかない形で終わってしまうことが出てきてしまうのではないか。それが非常に怖いし、そのあたりをどうすればいいのか。
織田 私がやっていた時の一番大きな感想は、これは誰のための裁判をやっているのだろうかと。当事者のためじゃあないのかということです。裁判員にとにかく裁判官として負担をかけない。とにかくなるべく気持ちよくやって頂いてよかったと思って帰っていただけるような訴訟指揮をしているんじゃあないかと感じるところでありました。訴訟指揮は裁判官しだいなので、別の裁判官だと全然違うかもしれません。裁判所自体としてそのようにやっているかどうかは分かりませんが。裁判官はみんな独立していますので。ただそれを非常に感じて、特に生き死にの判断であれば裁判員の多少の都合があっても、日にちを延長してでも審理をすることができないと被告人にとって酷かなと。そういった意味では少なくとも被告人に裁判員裁判でやるのか職業裁判官でやるのかを選ばすことがあってもいいのかなと思います。
鯰越 公判前整理手続が非常に大きなウエイトを占めていることは事実です。そこでどれくらい頑張れるかは非常に重要なことです。今まで弁護士があまり使ってないことですが、証拠決定に対する異議申し立てという規定が刑訴法上ある(刑訴法309条)のです。それをほとんど使ってないと思います。
織田 私も1回も使ってないです。
鯰越 でも、私は異議申し立てをすると言ってですね、もしこれを採用したんだったらこういう理由で異議申し立てをしますという意見書を出したりします。
藤沢汎 証拠採用についてですか。
鯰越 そうです。証拠採用決定に対しては異議を申し立てる手続があります。ほとんど今まで弁護士が使ったということを聞きません。私の相弁護人も、先生そんなのあるんですかと聞きますので、あるんだと。どういう証拠を採用するのかしないのかはある意味では裁判の結論を大きく左右しますから、そこでは必要なことです。さらには、検察官が証人を申請してきた時、関連性のない証人や証拠を出してくる場合があります。特に覚せい剤の事件で、検察は覚せい剤を使用した人が重罪な犯罪をおかしたということを、例としては千葉ではこういう事件があった、どこどこではこういう悲惨な事件があったと証拠として申請してきました。私は逆に、覚せい剤使用者であってもそういう犯罪に手を染めない人たちがいること、ないしは治療プロジェクトがあること、そういう人たちも、検察がもしその証拠を出すなら、全部証人として呼ぶと言ったら取り下げました。ところが、最初の覚せい剤の事件ではそのような危険性を立証するような証拠を認めてしまった。私は反省会であれは認めるべきでなかったと言いました。要するに覚せい剤が何グラムであるか、末端価格で幾らかはいいと、それ以外は全部蹴とばしたんですが。そういう点では訴訟法の証拠法のところをもう1回きっちりと読まないといけないし、統合捜査報告書についてもあれを不同意としてしまうと原資料を出してこなければならなくなるんで、検察は相当に妥協します。
公判前整理手続を含めて
裁判過程全体の可視化を
吉田勉 最初お二人の報告を聞いていて、傍聴者がものすごく増えていることを含めて、ある意味で裁判過程の社会的可視化というプラス要素があって、名古屋の「市民の裁判員制度めざす会」や新潟の「裁判員友の会」の動きがあって、それはそれでプラスの要素として伺っていたのですが、司会の吉田さんからの提起も含めて、公判前整理手続がすごく重要になってくると、やっぱり前と同じで弁護士の力量でほとんど決まってしまう事情は変わらないという思いも一方で正直したんです。でさっきの藤沢さんの文脈で言うと、弁護士と「市民のための裁判をとり戻す」ような市民的な運動と連携しながら、検察側が無茶苦茶なことを組織的にやっているのなら、弁護士も市民の側も取り戻すために同じようなトレーニングをしないと、結局全部弁護士の力量にかかってしまうなら同じじゃないかと。検察側はすごいトレーニングをやっているみたいだし。最初は裁判過程の可視化はいいなと思いましたが。今後どうしたらいいかなって。
織田 そうですね、公判前整理手続に付されるのは裁判員に負担をかけないためだと思います。つまり、料理を八割まで仕上げておいて最後のところだけを裁判員にやってもらえばと考えたと思います。もし、市民の方がもっと裁判というプロセスを取り戻したいということであれば、従前どおり一回目から、一般の裁判みたいな感じで参加していく形になれば、おそらく公判前の部分はいらなくなってくると思います。ただ今はなるべく裁判員は3日〜5日間ぐらいで負担をかけないようにと言っているところなので、それを全部公判でするとなると参加する国民の負担は大きくなってくると思います。その辺をどこまで受け入れる覚悟があるのかなというところかもしれませんね。
藤沢靖 逆に言いますと、公判前手続が重要だということは、負担をかけないのは一つであろうとは思いますが、旧来の裁判の常識的な流れの中でなにがしか安定させたいという発想の危険性が極めて高いと思います。従来裁判所は検察官の調書の上に乗って裁判をしてきた。その常識の上でやられていたわけです。
知り合いの連れ合いが裁判員に選ばれてえらく悩んでいた。じゃあ自分が選ばれたらどうかと考えて周囲に言って回ったのは、“証拠が出ない限り判断のしようがない、これで判断するのはいい加減と、徹底して証拠開示を要求する”この点が一つポイントだろう。ただしそうすると時間がかかるから、ほかの裁判員が同意してくれるかどうか分からない。多数決で相手にされない危険性も当然あるわけですが。少なくとも主張する。国民が判断するという制度の筈なんですから、証拠が出ない限り判断できないという点でどう徹底して争うのか、そういう合意を国民的に作っていくのが大切かと思います。弁護士からするといろいろトレーニングをするとか、裁判手続きを問題にするとか、法律のどこを活用するかとですが、全体としてちゃんと証拠がオープンにならなければ、今までと同じようなストーリーに国民が加担者にされる面が強いんだというところを、どうやってきちんとしていくかです。それが戦いなんだなあと思います。それで勝手に考えたのが、裁判員として証拠開示を要求して撥ねられたらその過程を“これでいいのか”と世間に暴露して、それで収監でもされたら本望だと、こういうことをみんなでやろうと。この“法律違反”はあえて挑む価値があると、いっているんですが。
刑事弁護の困難さ
藤沢汎 ちょっとずれるかもしれませんが、裁判員裁判がこれだけの期間やられてきている中で、当事者である裁判官、裁判員や弁護士の方がどのような感想なり問題点を抱えているかをネットで調べてみたんです。裁判官の意見交換会がいくつかの高等裁判所で行われていて、代表的意見としては「裁判員一人一人が真剣に考えていて、論議も活発に行われていた」「参加してよかった」とか「裁判官に対するイメージも変わったと言われることもあり、やりがいと生きがいを感じている」といった意見があったり、いろんな職業や生い立ちを抱えている裁判員、そういう立場からの発言は非常に重みがあって、「自分たちにない視点から裁判官にない貴重な意見をもらって参考になった」と言っているのが目立ちました。面白いなと思ったのは、「一番感じるのは、自分たちは悪いことをした人に今まで会いすぎていると。裁判員は初めて悪い人を見るので見方が違うことを感じる」と言っています。裁判官としてはうまくいっているということを全体としては言いたかったのだと思います。
裁判員の感想は先ほど出たように最初いろいろあったけど、やってみてよかったという意見が多いのも事実です。では弁護士さんはどうなんだろうと、なかなか手に入らなかったのですが、ある弁護士さんのブログで見つけました。NHKニュースからの引用で、裁判員が弁護士に対して低い評価をしていると。3人に1人、32%の裁判員が弁護士に対して「適切とは思わなかった」、あるいは「どちらかというと適切とは思わなかった」に対して、検察官に対しての否定的な回答は5%に止まったと。このブログの筆者は、弁護士の主張に無理があって納得できなかったと言われても、弁護士は被告人の意見を代弁する人で、被告人がこうだと言えばそうじゃあないんでしょうと言うこともできないし、やってられない、刑事事件はいやになってしまう、みたいなニュアンスで書かれていて、私としては不安になります。多くの刑事事件では犯行を認めているのが大多数でしょうから、検察側がいろいろ攻めるのに対して構図としては不利ですよね。
何年か後に制度の見直しがありますね。その時に、現行では重罰が適用される犯罪に対しては選択の余地なく裁判員裁判となっていますが、織田先生がおっしゃっていたように、それが選択できるようにするとか、あと、死刑の量刑まで裁判員が決めるのはどうかとか、弁護士さんとしては本音のところ今の流れに対してどう思っておられるかお聞きしたいです。
織田 最初の弁護士の言うことが分かりにくいことに関してですが、基本的に検察は有罪を取れると思った事件しか起訴しない。そこの意味ですでに弁護士はかなり不利な事件を受けていて、例えば人を殺した、性犯罪を起こした人間を弁護すると、場合によっては被害者がこういう格好で歩いていたから性犯罪が起きたみたいなことを言わなきゃならない場合もありますが、裁判員の方からすると何を言ってるんだ、そんなやつを弁護してと。今回私が担当した事件に関しても、インターネットの掲示板で、二人殺して、そんな奴を弁護するなんて何を考えているんだ、自分の奥さんが殺されたらどう思うんだとか書かれましたけれど、被告人の弁護は弁護人しかできない仕事で、言っていることが理解できない、共感できないと言われてもしょうがないと思っています。
裁判員裁判について非常に難しいのは、重大事件かどうかで分けているんですね。例えばひったくり事件で、自転車の籠に入れている物をひったくってこけちゃったら強盗致傷という罪になることがあります。となると、これは裁判員裁判になります。悪いと思ってすぐにお金を返したとしてもケガをさせた以上は強盗致傷は成立していますから、裁判員裁判になります。
従来の裁判ですと、裁判員裁判の対象となる重大事件であっても、1回裁判をやってその後判決言い渡しに1週間後に来てもらって終わってしまうタイプの事件もあるんです。罪名こそ強盗致傷ですが、実際は自転車籠の窃盗でたまたま転んで怪我してしまったとか。そういう事件を裁判員裁判でやると、資料にありますが、公判前手続が平均4、5ヵ月かかります。普通の裁判だと起訴されて1ヵ月半後くらいに1回目の裁判が入ります。その後1週間後に判決言い渡しになるとすると、2ヵ月ぐらいで、執行猶予がつけば出られるんですね。ところが裁判員裁判になったために、4、5ヵ月入れられちゃうことになります。保釈も考えられますが、保釈にはお金がかかります。お金がない人が被告人には多いです。保釈決定が出てもお金を積まないと出れません。とすると、できるだけ早く裁判をやるのがいいことになります。被告人の身柄拘束が長期間に及ぶということが一番の問題になってくるのかなあと思います。
吉田勉 さっきおっしゃっていた、被告人が裁判員裁判か裁判官裁判かを選べる選択の可能性はどうですか。
鯰越 検察はできるだけ裁判員裁判になることを避けようとする傾向はあります。新潟であった事件で、たぶん私が弁護人でなければおそらく裁判員裁判で1号事件でやっていた事件かなと思います。逮捕された時の理由は殺人未遂でしたから。ところが、起訴する段階では傷害事件に落としました。いま、織田先生が紹介されたような事件をやっていて、強盗致傷事件でした。それで、私と私のボス弁と2人で複数専任でつきました。そしたら検察は窃盗と傷害に落としました。
最終的な私の理想は刑事事件だけで法律事務所の経営が成り立つような仕組を弁護士会の中で作ることが非常に重要なことだと思っています。今のところの多くの弁護士さん達は一般的に刑事事件は儲からないということで、民事事件が主軸です。もっと言うと、刑事事件は片手間です。民事はお金が入りますから一生懸命に頑張ってやります。こういう体質はまだあります。最大の理由は刑事事件だけで事務所経営が十分成り立たない仕組になっているからで、その仕組みを作っていくことが必要です。それから、刑事事件の大半は国選事件です。国選事件の報酬が非常に安いのです。それで刑事事件の国選だけでも十分やっていけるようになっていけば、弁護士のスキルアップとかに繋がっていくんだろうと思います。イギリスやカナダに友達がいますが、もう自分は刑事事件だけをやる、それだけでやれるのかと聞くと、やれるって言ってました。そういう体制が作り上げられるか、それを抜きに弁護士にスキルアップしろと言っても現実性がないのかなという感じがします。
あらためて市民との連携
雛元 狭山事件とか土田日石事件、みどりちゃん殺し事件など、冤罪事件の支援関係の仲間にいろいろ聞いてみますと、基本的には裁判員制度賛成で、これをどう良くしていくかという立場なんです。
例えば、みどりちゃん事件ですが、凶器のナイフが被告の家にあることを発見したのは支援者です。甲山事件は真相を解明するのにすごく時間がかかっています。総監公舎事件では、被告が出てきて被告が動かなかったら弁護士だけだと勝てなかったのではないでしょうか。狭山事件では、松川事件が勝利した後に、担当した優秀な弁護士と国民救援会の支援があったのですが、それでも被告は自白維持していました。
先ほど出された裁判方式の選択権の話、伺って率直にいいなって感じです。基本的には事実認定に関して市民が入っていってほしい。狭山で言えば、脅迫状が書けたか書けなかったか、市民がいればすぐ決着がついたケースだと思います。そういった点では裁判員裁判がいいのですが、今言ったような難しいケースでは、時間をかけ、いろんな支援がないと十分な弁護ができない。
私も弁護士事務所にいたことがありますので分かりますが、おっしゃたように弁護士の皆さんは非常に忙しい。少人数で片手間というか、みなさんちょこちょこってやるだけです。ですから幅広い支援がないと、難しい事件では真相究明は厳しいですね。それから鑑定書が争点の事件ですと理科系の人が入っていないと難しい。交通事故なんてそうで、物理的に簡単に計算できるようなことが、鑑定書で間違っていることを見抜けるかどうかです。
裁判員制度を基本に、いい方向にどう変えていくか徹底的に議論していくことが必要と思います。
司会 いま、雛元さんから証拠の検証、事実認定についても市民の関与が必要とありました。ところが、公判前整理手続の中で開示された証拠を目的外使用の禁止ということで外に出してはいけないというのがあります。そのためにせっかく出た証拠をいろんな人たちがいろんな意味で検証したりできない。証拠開示は進んだ、大量に出るけれども、弁護士は忙しく全てを分析する力量がない。その時市民を含めて証拠に当たる。そういう道が今の形では閉ざされているのではないですか。
藤沢汎 証拠を見せることの何がいけないとされているでしょうか。
鯰越 証拠開示については検察・法務省が最後まで抵抗したのです。最終的には弁護士会と裁判所がタッグマッチを組んで、それで証拠開示を進めることにしたのです。その時の取引として、証拠の目的外使用の禁止規定を入れたのです。法務省のほうから要求してきたのです。その理由としては関係者のプライバシー保護が向こう側の主張です。関係者のプライバシーを訴訟に関係ないところで表に出すことは避けなければならない。それが正当化の理由です。私は裁判員裁判を作り上げるところをずっと日弁連の会議に出ていて、法務省や最高裁が何言っているかを全部フォローしていく中で、証拠開示の問題と目的外使用禁止規定とを天秤にかけて、やっぱり被告人のためには証拠開示が大事だ、最高裁がこれに理解を示しているから乗ろうと、最後の政治的決断でそうなりました。立法過程ではいろんな政治的取引だとか政治的判断を次々にやっていってこういう制度に決まっていく。個々の1つ2つの条文についてもそのような議論の経過で決まっています。
それから、否認でない事件に関しては1対4でできる規定がちゃんと準備されています。裁判官1人で裁判員4人。今は裁判官3人、裁判員6人の9人で裁判所は現在全部やっていますが、いずれ否認でない事件で量刑だけを決める事件に関しては、裁判官1人と裁判員4人で審理する裁判に何処かで踏み切るはずです。一番大きな問題は裁判官の数が足りないことです。横浜に比べると新潟は1部しかありませんから、刑事裁判官は4人しかいないのです。裁判員裁判が入ってしまうと、期日がもうまるまる潰れてしまうんです。その間に他の一般事件を処理しなければならないってことで、滞留が多いので東京高裁から助っ人が来ることになったそうです。そういうことで、裁判官の数は足りないし、裁判員裁判のできる法廷数も足りない。横浜は3つと聞いて驚いたのですが、新潟は3つあります。新潟は施設はあるが人が足りない、他の所では人はいるが施設が足りないと地方によってばらつきはありますが、いろんなことがまだまだ整備されていません。
雛元 ちょっと細かいことを質問しますが、開示された証拠を見て凶器がこれだとわかって、弁護士が支援者と相談して被告の家に行って探したら凶器が発見された。そのようなケースの場合、先ほどの証拠の目的外使用禁止規定との関連でどうですか。いいんですか。
鯰越 いいんじゃないんですか。
織田 例えば検察側から鑑定結果が出てきて、これはおかしいんじゃないかと言ってプロの医者に見せることはあります。それは目的が裁判のため使っているのですから。
藤沢汎 狭山の再審の動きについて今日の配布資料の中に入れさせてもらったのですが、つい最近5月23日付の上申書が私たちの前に明らかになりました。このようなものも、開示された段階では支援者の目に触れさせてはいけないものなのですか。
鯰越 そんなことはありません。
藤沢汎 そうなんですか。弁護団も検察のことを気にしてか、一切出さなかった。昨年12月に新証拠として裁判所に提出した段階で、やっと私たちの目に触れることができた。すごく制約されている感じがします。
織田 ただ、弁護士の判断として支援者の方に全員に見せるというのはなかなか抵抗があって、広く流布されちゃって出ると誰が漏らしたという話になるので、弁護士のほうでも直接ご協力してくださる方というふうに設定するんではないでしょうか。
司会 漏らしたというのは目的外使用のことでしょうが、では漏らしたことによってプライバシーを傷つけたり、大きな問題を起こした場合は確かに問題があるかもしれませんが、そうではなくて、こうした新しく出てきた証拠等をどう見るか、どう判断するか、研究するかというところでは、幅広く支援者に出したほうがいいと思いますが。
鯰越 私はあの規定は動かないだろうと思います。守秘規定しかなくって。検察もまさか弁護士が漏らしたからといって、起訴することはないと思います。たかをくくっているんですが。それは裁判員の秘密漏洩罪が規定されていますが、あの規定は検察審査会制度でもちゃんと規定されています、秘密保持義務は。
吉田勉 お二人みたいな弁護士の方は期待が持てますが、身も蓋もない質問なのですが、市民のための裁判を取り戻すという観点を一つ大事にしたいと言いながら、検察庁は一生懸命オンザジョッブ・トレーニングを嬉々としてやって対応しています。プロフェショナルな弁護士はビジネスとしては本当にこれへの対応は辛いよと言っていて、そういう中で本当に国民ための裁判をめざすとしたら、現時点で裁判員制度は一体誰のためになっているのですか。現時点ですが。
藤沢靖 日本の裁判は国家主導で、国民の意識のほうでも“社会防衛論”的なところで裁判を捉えている傾向がありますね。裁判官もそのような意識で、犯罪者を断罪するようなかっこうでやってきた。それが冤罪を作ってきている土壌なのでしょ。そこを批判して変えていくことが課題ですよね。
井桁 日本社会、裁判制度が、被害者を個人としてきちんと扱ってきたとはいえない。国家主導でしょうが、メディアをはじめとして、被害者感情を変な形で利用してしまっている。被害者を人間として被害を受けた人として処遇するのではなくて、加害者を社会の敵、しかも社会と国家を同一視し、国家に対して犯罪があったので処罰すればよい、という思想の問題です。
藤沢靖 質問です。当面制度改革がありますから、そこの最大のポイントをとりわけ冤罪との関係で話していただければと思います。
制度改革に向けて
司会 議論の途中ですが、予定した時間が来ました。最後にお二人に裁判員裁判施行1年半過ぎた中で、ここは変えていく必要はあるだろうというところの要点をお話ししていただきたいと思います。
鯰越 私は対象事件についてどうするかに関して議論があってしかるべきと思っています。今は重大事件だけですが、例えば痴漢冤罪事件とか、窃盗事件でも否認をしている事件があります。否認事件は対象事件として加えたほうがいいのではないかと思います。一般の市民の人に裁いてもらうのがいいのかという事件があります。一つは覚せい剤事件が検討になっていますがまだ議論を詰めていません。対象事件をどうするかがあります。
それからもう1つは、公判前整理手続を公開にするべきかの問題があります。公判前整理手続が今は完全に秘密になっていて公開せずにやっています。ただし、法律の規定ではあれを公開にしてはいけないとはなっていないのです。公開するかどうかは裁判官の判断なんですよ。それでなんとなく非公開でやるという実務が定着していますが、私はことあるごとに、公開してはいけないという規定はないのではないかと言っています。特に証拠の採否を巡って議論が生じている場合は公開にすべきと考えています。それが一番大きなところでしょうか。
それから死刑との関係で言えば、死刑を廃止する運動を盛り上げるべきだと思っています。死刑事件は裁判員に負担をかけるから、それを対象事件から外す方向でなしに、死刑そのものを廃止する方向でやるのが正しいのではなかろうかと思っています。その3つです。
織田 やっていて市民の方が裁判員として参加してくること自体は悪くないと思っています。ただ、もっと積極的に発言していっていただければと思います。いまの証拠開示の問題で言えば、裁判所は自分で証拠調べはできますから、裁判所のほうへ市民が証拠としてこれがないのはおかしいんじゃないかと、どんどん言っていってくれればと思います。今回の資料にもありましたが、懲役に対する量刑を見ると、やっぱり裁判官が主導しているなと正直感じます。鹿児島夫婦強殺事件でやっと裁判員裁判の特徴が面白い感じで出てきたなと思いました。それまでは裁判官についていっているところがあるんで、そこをもう少しどんどん意見を言っていただくようになれば、手続面も変わってくるし、検察官もやり方が変わってくると思います。そういったものをどんどん積極的に出していっていただければ細かいところはともかくとして、いい方向に行く、それが最終的には被告人にとって利益になる。弁護人側の発言で申し訳ありませんが。そういうふうに繋がっていくのではないかと思います。
司会 ありがとうございました。盛り上がってきたところですが予定時間を過ぎました。まだまだ議論したいところが幾つもあって、量刑なども含めて市民感覚と法曹界の常識のどこが違っているのか。そのあたりのところは本当はすごく大きな問題で、藤沢靖さんの発言に関連して言うならば、裁判員はよく分からないけれど決めなければならない、鯰越先生は分からないのだったら無罪とおっしゃっていますが、本来はそうですが、なかなか決められない。評議はあれだけ長い時間やっているのに中身が見えない。どういう格好でどう引っ張られてどうなっているのかと。そのあたりのことも本当は議論したかったのですが、また次の機会にしたいと思います。ありがとうございました。
(学習会開催日 2011年1月22日)
(なまずごし・いつひろ/おだ・しんじ/よしだ・けんすけ)
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