無実の証明11 脅迫状に見られる詩的表現技法の分析 

                           ―石川さんの筆記能力の時系列分析と脅迫状との比較検討―


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   無実の証明  はじめに

 1 無実を語る図面文字

 2 非識字者への落とし穴

  3 小豆と狭山事件
  
4 自白の再現実験

 5 無実を示す開示証拠

   「逮捕当日の上申書」
 6 四本杉の血痕反応は陰性

  人工胃液による消化再現実験

 8 石川さんの文字とは
 9 筆記能力の時系列的分析  10 押し倒し・後頭部裂傷再現実験

 11 脅迫状の詩的表現技法

 12 最終食事の色調に関する消化再現実験 
  
13 「ソネット形式」と「万葉仮名的当て字」 
  14 死体埋没再現実験

 15 玉石落下再現実験

 16 封筒・脅迫状の4日間持ち歩き再現実験
 17 封筒・脅迫状の自転車持ち運び再現実験

 18 脅迫状訂正の万年筆とインク

  19 両側腹部等の皮下出血再現実験

  20 後頭部裂傷の凶器形状再現実験

  21 頸部・頭部の皮下出血再現実験

 

 

 

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ジオログ:狭山事件研究メモ

(編集員)



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脅迫状に見られる詩的表現技法の分析

 

 2012年8月22日 雛元昌弘 

2012年9月2日:東日本部落解放研究所第26回研究者集会狭山分科会で報告) 

 

はじめに

 これまで、狭山事件の筆記能力・作文能力の分析においては、「当時の石川さんには脅迫状が書けなかった」という主張に沿ってもっぱら分析が行われてきた。

 そのため、石川さんの当時の書字能力が低かった、という分析が中心となり、脅迫状そのものの分析は不十分であった。

 ここでは、脅迫状の作者がどのような筆記・作文経験を持った人物であるのか、脅迫状を中心において分析することにより、当時の石川さんがこのような脅迫状を作成することはできなかったことを明らかにしていきたい。

 

写真1 脅迫状

kyouhakujyo.jpg

 

 

1 脅迫状こそが事件の鍵

 狭山冤罪事件のそもそもの始まりは、「友だちが車出いく」という犯人からの脅迫状を埼玉県警中刑事部長と将田次席コンビが信じ込み、犯人を取り逃がしたことにある。

 自ら手柄を立てたかった彼らは、遅れて狭山署に乗り込み、先に派遣していた埼玉県警の大谷木警部と狭山署が立てた、犯人が歩いてくることも想定した張り込み計画を「パア」にした。そして、犯人は「車でくる」ものと信じ込み、40名の警察官を遠巻きに幹線道路沿いに3重に点々と配置し、歩いて畑の中から現れた犯人を取り逃がしてしまったのである。功名心にかられた中―将田ラインの大失態と言うほかない。

 普通なら、ここで反省し、犯人は極めて狡猾な人物、自分たちのレベルを上回る知能犯としてとらえ、巧妙な偽装工作が脅迫状全体や他の物証にも及んでいると考え、捜査方針を根底から変えなければならなかったはずである。

 ところが、中・将田のオソマツ・コンビは、「犯人は小学生程度の学力」「犯人は小学校にも満足に行っていないもの」となめてかかり、3重の包囲網の中にあった被差別部落出身者の山田養豚場関係者に狙いをつけ、集中的な見込み捜査を開始したのである。

そして、かつてここで働いていたことのある石川一雄さんを逮捕し、以後、検察官も裁判官もこの二人を同じ村仲間として支え続けてきたのである。

 

 この事件を被差別部落の人々が差別事件ととらえたのは、当然であった。このような脅迫状を石川さんが書けるはずがない、というのは、石川さんと同じ世代の多くの部落の人々の共通認識であった。「脅迫状を書くというようなめんどくさいことをする奴なんていないよ」というのである。

 戦争は被差別部落の人々には、さらに過酷であった。多くの子ども達は、教科書もノートも筆記用具も満足に買えず、弁当を持たせてもらえず、家計を助けるために学校を休んで働かざるをえなかった。その結果、石川さんと同世代の多くの被差別部落の人々は、満足に字や文章を書くことができなかったのである。

 狭山事件のスタートは、誤った脅迫状分析による犯人取り逃がしにあり、石川さんの誤認逮捕もまた、脅迫状の誤った分析、筆跡鑑定と被差別部落の人々への無知・偏見から出発している。

 しかしながら、この脅迫状こそが、石川さんの無実を証明するもっとも有力な証拠となるのである。

 

2 脅迫状の筆記能力・作文能力鑑定と裁判

 これまで、狭山事件の脅迫状と石川一雄さんの筆記能力や作文能力の違いについては、次のような多くの鑑定書によって争われてきた。

 

  二審:大野晋鑑定書(漢字力・万葉仮名的用法、句読点)           昭和47年7月18日

      磨野久一鑑定書(文章構成能力・用語)                 昭和47年7月26日

  上告審:大野晋第2鑑定書(漢字力等)                      昭和51年7月31日

       磨野久一第2鑑定書(文書構成能力等)                       昭和51年1月10日 

  二次再審:日比野丈夫鑑定書(横書き、『りぼん』手本)                  昭和61年8月1日

        山下冨美代意見書(漢字の出現率、文字の異同比率)     昭和61年10月1日 

        宇野義方鑑定書(『江』表記、仮名の字画の連続、漢字力)  昭和61年10月30日 

        大類雅敏鑑定書(「。―」などの句読法)              昭和61年12月5日 

        江嶋・鐘ヶ江・福岡意見書(国語能力の生活史的解明)     昭和61年12月10日

        戸谷克己意見書(作文能力)                    平成5年4月7日

        内山・熊谷意見書(識字学級生による脅迫状聞き書き)     平成15年9月27日

        川向・加藤意見書(文字習得能力・文章構成能力)       平成18年5月2日

 

 普通なら、このような専門家からだされた鑑定書に対しては、素人の裁判官は証人調べを行い、あるいは検察側の反対鑑定を待って、公平に判断を下すべきである。医師免許を持たない医師に手術が許されないのと同じである。

 ところが、自由心証主義のもとで、自由な証拠の解釈を任されたと錯覚している裁判官達は、何らの国語学的・教育学的な専門的知識や被差別部落の人々の筆記能力や作文能力の実態を知らないままに、自由に鑑定書を解釈したのである。

 自由心証主義というのは、本来は権力から自由な立場で判断することを裁判官に期待した理念であるが、現実には、裁判官に恣意的な解釈を欲しいままにさせる「自由権力行使主義」でしかなかったことがここに示されている。

 

3 伝達文としての脅迫状の高い能力

脅迫状は、用件を相手に正確に伝えることを目的とした「伝達文」である。

 普通、日常的に書く日記や覚え書きなどは、「ああして、こうして、こうなった」色の、いわゆる「ダラダラ書き」か、日常会話をそのまま文章にしたような「会話文」である。

 これに対して、脅迫状は相手に用件をこと細かに伝える「伝達文」であり、「いつ、どこで、誰が、何を、どうした、何のために」の5W1Hが正確に書かれていなければならない。

 この5W1Hは、中学校で初めて学ぶのであるが、わが国の国語教育は教養受験教育であって、実用重視の実学ではないため、大学をでたからといって、この5W1H文がちゃんと書けるようにはなっていない。義務教育だけでは、伝達文作文能力までは身につかないし、ましてや、小学校教育を満足に受けていない石川さんが知ることのない別世界である。

 脅迫状は誘拐事件の多くが4〜9の要件しか伝えていないのに対し、20の要件を伝えており、大きな差を示している。

 さらに、注目しなければならないのは、脅迫状は通常の「起承転結」文ではなく、最初に結論を持ってくる「結起承転」文の構成をとっていることである。最初に用件をまとめて簡潔に延べ、続いて細かな条件を指定しているのである。このように、最初に文章全体を要約して書く方法は、新聞や雑誌などで見られる最初に「リード文」を置く方法で、一定の訓練なしにはできないものであり、当然ながら、義務教育で身に付くようなものではない。

 一般的な文章は時系列で順を追って書かれるものであり、誘拐事件の脅迫状でいえば「ガキはあずかっている」「娘を預かっている」のように、犯人は子どもを誘拐していることをまず相手に告げ、次いで、金を要求するものである。子どもが生きていて無事であることを相手に信じさせ、引き替えに金を取ろうとするのである。

 これに対して、狭山事件の脅迫状は、最初に「子どもの命がほ知かたら」から書き始め、「何のために」「いつ」「何を」「誰が」「どこで」「どうする」の用件(5W1H)を端的に最初の2行で要約しているのである。

これは、作成者が編集経験などのある、高度な作文能力を持っていることを示している。

 

4 脅迫状の高い表現力

 しかしながら、脅迫状は、単なる伝達文ではない。相手から金をとるための「脅し・すかし」が必要であるとともに、逮捕されないための偽装工作が必要である。

 前者でいえば、「殺す」を「子供の命がないとおもい。―」「小供は死。」「西武園の池の中に死出いる」「子供死出死まう」「こどもわころしてヤる」と5通りに書き分けている。しかも、「殺す」という自分を主語とした直接話法は1つだけであり、「子ども」を主語とした間接話法を駆使している。

時間厳守も「時が一分出もおくれたら」、「時間どおり」(2回)と書き分けるとともに、「子どもわ1時かん後に車出ぶじにとどける。」と時間指定の約束まで行っている。

 さらに、「もし〜たら・・・・、もし〜たら・・・」の仮定条件文のような、高い表現力も見られる。子どもを無事に帰す、あるいは殺す条件を「時が一分でもをくれたら」「刑札には名知たら」「時かんどおりぶじにかえツてきたら」「近じょの人にもはなすな」「ちがう人がいたら」と細かく指定しているのである。

 後者の偽装工作でいえば、「友だちが車出いく」と書いて埼玉県警を手玉にとったように、偽装工作は極めて巧妙で効果的であった。そればかりではない。真犯人は「子どもわ1時かん後に車出ぶじにとどける。」と脅迫状に書き、同時に、佐野屋脇に現れた時には「30分たてば帰らなくちゃあならないんだから帰るぞ」と言い、車ならぬ徒歩で、往復1時間のところに主犯が被害者を監禁しているかのように振る舞っている。佐野屋から徒歩30分というと、ちょうど、山田養豚場の主人の実家や石川さんの家のある被差別部落の距離にあたり、しかも、そのすぐ近くの農道から死体が発見されているのである。「車出いく」が偽装工作であることがはっきりしている以上、「友だちが」や「子どもわ1時かん後に車出ぶじにとどける。」もまた、巧妙な偽装工作とみるのが合理的な判断であろう。

 

5 脅迫状に見られる詩的表現技法

 さらに、脅迫状の高い表現力を示すものとして、脅迫状全体に見られる詩的表現技法について、分析したい。

 なお、この分析をわかりやすくするため、対照資料として、被害者の兄が『産経新聞』(5月23日夕刊)に投稿した手記の表現技法を脅迫状と比較分析した。

 

長兄の手記

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                                注:写真は4行分、切り取られている。

 

善枝の位牌の前で犯人逮捕の報をきき

「善枝! 本当にこの人なのか?」

と聞いても 遺影は何もいわず、表情すら

変えられないのです。

 ・・・・

犯人たるおまえに

なぜ善人に戻って呉れなかったのか、悪に

取りつかれたおまえでさえ戻るのみの善を

おまえはもって居た筈であり、その善は

今日のこの日を待っては居なかった筈なのに・・・

苦しかった事だろう善枝よ!

安らかにねむりたまえ!

 

 彼は地域で「天才」と言われ、中学校時代は1・2を争っていたが、農家の長男であったため、川越高校入間川分校を卒業した後、会計事務所に勤めながら簿記学校へ通い、政府外郭団体の新聞づくりなどの後、農業後継者となっている。地域では絵を描いたり、詩を作ったりで一風変わっていた。

 注意していただきたいが、私は被害者の兄を犯人扱いする故・亀井トム氏の『狭山事件』の3人共犯説や、殿岡駿星氏の『狭山事件の真犯人』などの単独犯説には組みしていない。

 動機、筆跡、アリバイからみて、被害者の兄は100%この事件とは無関係である。にもかかわらず、氏の文章を対照資料として用いるのは、脅迫状作者が彼と同等の詩的表現技法を身につけていることを示すためである。

 HP『中学受験(中学入試)専門 国語プロ家庭教師』には、「詩の表現技法一覧表」として次の12の技法があげられている。それらが脅迫状と兄の手記にどのように見られるか、一覧表を作成して比較した。

 

表 脅迫状と被害者兄の手記に見られる詩的表現例

 

詩の手法

脅迫状

被害者兄の手記

1 行分け

行分けを行う。

友だちが車出いくからその人にわたせ-

時が一分出もをくれたら 子供の命がないとおもい。-

刑札には名知たら小供は死。

苦しかった事だろう善枝よ!

安らかにねむりたまえ! 

2 連

何行かをまとめて、内容上のまとまりを作り、一連とする。

くりか江す 刑札にはなすな。

気んじょの人にもはなすな 子ども死出死まう

なぜ善人に戻って呉れなかったのか、悪に取りつかれた

おまえでさえ戻るのみの善をおまえはもって居た筈であり、

その善は今日のこの日を待っては居なかった筈なのに・・・

3 体言止め(名詞止め)

文末を名詞で止める。

小供は死。

 

4 比喩・暗喩(隠喩)

他の何かに言い換える。

「は名知たら」「気名かツたら」(名前を知っている、気付いていると暗喩した) 

その善は今日のこの日を待っては居なかった筈なのに・・・(善と被害者の名前の善枝をかけている)

宛名を「少時様」から「上田江」に変更(「上田江」の字を逆さにして「江田」と読ませ、「江田昭司」さん方を狙ったと暗喩した)

5 擬人法

人間でないものを、人間のように表す。

時が一分でもをくれたら 

その善は今日のこの日を待っては居なかった筈なのに・・・

6 対句

内容の対立する言葉や似た言葉などを並べる。

くりか江す 刑札にはなすな。気んじょの人にもはなすな

悪に取りつかれた

おまえでさえ戻るのみの善をおまえはもって居た筈であり(善:悪)

もし車出いツた友だちが〜か江て気名かツたら、〜。

もし車出いツた友だちが〜か江て気たら、〜。  

遺影は何もいわず、表情すら変えられない

苦しかった事だろう善枝よ!

安らかにねむりたまえ! (苦:安)

7 倒置法

強くうったえたいことがらを先にもってくる。

金二十万円女の人がもツて

なぜ善人に戻って呉れなかったのか、悪に取りつかれた

おまえでさえ戻るのみの善をおまえはもって居た筈であり、

その善は今日のこの日を待っては居なかった筈なのに・・・

8 反復法

同じ言葉や表現を二度以上繰り返す。

刑札にはなすな。

気んじょの人にもはなすな

「善枝」「善枝」「善枝」「善枝」「善人」「善」「善」「善枝」

もし車出いツた友だちが〜たら、子供わ〜。

もし車出いツた友だちが〜たら、子供わ〜。

苦しかった事だろう善枝よ!

安らかにねむりたまえ!

9 呼びかけ

呼びかけるような言葉や表現を用いる。 

少時 このかみにツツんでこい

「善枝! 本当にこの人なのか?」

犯人たるおまえに

 なぜ善人に戻って呉れなかったのか

苦しかった事だろう善枝よ!

安らかにねむりたまえ!

10 省略

あるべき言葉をわざと省く。

子供の命がほ知かたら(「子供の命がおしくて、子供を返して欲しかったら」を省略)

犯人たるおまえに(「言いたい」を省略)

11 押韻

行の初め、終わりを同じ音でそろえる。

刑札にはなすな。気んじょの人にもはなすな

 

12 連用形止め

用言(動詞・形容詞・形容動詞)の連用形で文を止める。

もし金をとりにいツて。ちがう人がいたら

そのままかえてきて。こどもわころしてヤる。(読点でなく句点であるが)

 

その善は今日のこの日を待っては居なかった筈なのに・・

      

 この一覧表を見ていただければ明らかなように、詩的表現技法の12のうち、脅迫状は10を使い、被害者の兄も同様に10を使っている。どちらの作者も、高度な詩的表現技法を有していることが明らかである。

 昔、小椋啓の作詞・作曲で布施明が歌った「シクラメンのかおり」には、「時があなたを追いかけていく」という印象的な一節があったが、普通の人が、「時が一分でもおくれたら」という表現をとることはない。「約束の時間から1分でも遅れたら」と、人を主語として表現する代わりに、主語を「時」にして表現する擬人法は、普通、日常生活では使わない。

 文字を1字1字正確に書くことすらできなかった石川さんが、このような詩的表現技法を駆使して脅迫状を書くことができないことは、言うまでもない。

 

6 兄の手記は真犯人を暗示している 

 以上、分析してきたように、脅迫状は詩に親しんでいた被害者の兄と同等のレベルの詩的表現技法を身に付けた人物によって書かれている。

 しかも、兄の手記は、善枝の位牌の前で犯人逮捕の報を聞きながら、「『善枝! 本当にこの人なのか?』と聞いても遺影は何もいわず、表情すら変えられないのです・・・」と、石川さんが真犯人であるかどうか、疑っているような文章から始まっている。

 しかも「犯人たるおまえに」から始まる、犯人への呼びかけは謎に満ちている。逮捕された石川一雄さんに怒りをぶつけるというよりは、まるで、別の真犯人に対して呼びかけているような、詩的な、謎に満ちた表現となっている。

 普通なら「犯人へ」あるいは「犯人、石川一雄ヘ」であろう。「犯人たるお前に」という呼びかけは奇妙である。

 さらに「もどるはずの善をお前は持っていたはずであり、その善はこの日を待っていなかったはずである」という表現は、もっと謎に満ちている。この「善」という名詞は、被害者の「善枝」にかけていることは明らかである。

 普通なら、逮捕され石川さんには、「善にたち帰って」真実を自白して欲しい、真相を語って欲しい、というのが自然である。「善はこの日を待っていなかった」というと、逮捕される前に自首して欲しかった、ということになってしまうのである。

 このような表現は、逮捕された被疑者にではなく、真犯人に「お前の善(殺された善枝)は、他人に罪をなすりつけることを望んではいないのではないか」と呼びかけた場合にのみ、出てくる表現ではなかろうか? 極めて高度な擬人法であり、比喩法である。

 被害者の兄は真犯人の「善」に、自首することを詩的に呼びかけているとしか思えない。このようなメッセージを密かに伝えたのは、それを理解できる、同じ詩の仲間に対してであろう。しかも、自ら警察に告発することをためらわれた親しい人物か、社会的な地位のある人物の可能性が高い。その対象は数人に絞られてこよう。

 しかしながら、真犯人は初めから被差別部落の若者に罪をきせようと犯行計画を練り、万葉仮名的用法などで脅迫状を書き、ポケットに折りたたんで入れて角がすり切れるまで持ち歩いた計画犯である。中刑事部長らに「犯人は小学生程度の学力」「犯人は小学校にも満足に行っていないもの」と思いこませた、「車出くる」と信じさせた人物である。さらには、死体を被差別部落の近くに埋めた卑劣な人物である。

 被害者の兄の呼びかけに答えるような「善」は持ち合わせてはいなかったのである。そのことが、被害者の姉の登美恵さんの自殺に繋がることになった可能性はないのであろうか?

 

7 裁判所は事実調べを行うべき

 社会経験がほとんどなく、目に通すものといえば警察官の捜査報告書や調書、判決文、書くものといえば法律解釈や事実認定の形にはまった判決文しか体験したことのない多くの裁判官には、このような詩的表現技法に満ちた脅迫状と当時の文字も満足に書けなかった石川さんの文章表現力の違いなどはわからないであろう。ましてや、文章を書けない被差別部落の人たちのことなど知る由もない。

 書字能力や文章力、詩的表現技法などの判断基準をなんら持ち合わせていない素人裁判官が、鑑定人の助けなしに事実認定を行うことなどできないはずである。偏った経験則に基づく主観的判断で再審開始か否かを決定することは許されない。

 これだけ多くの新証拠が、もし、2審で提出され、事実調べが行われていたら、という原点に立ち返って、事実調べを行うことを強く求めたい。

 なお、検察官の不起訴・起訴猶予の不作為を正すために、11人の検察審査員による検察審査会が裁判所に設置されているように、裁判官の誤りを正す再審裁判は、本来は陪審裁判で行われるべきと私は考えている。陪審員なら、専門家である鑑定人の説明を求めるに違いないし、多様な教育・社会経験の陪審員がそれぞれの判断基準で脅迫状が書けるかどうか、判断できるからである。

 裁判員制度が開始されながら、再審裁判が旧来のままというのは、許されない。