無実の証明2 非識字者への落とし穴 (狭山第三次再審・新しい意見書のねらい)


  →Home  

   無実の証明  はじめに

 1 無実を語る図面文字

  2 非識字者への落とし穴

  3 小豆と狭山事件
  
4 自白の再現実験 

  5 無実を示す開示証拠

   「逮捕当日の上申書」
 6 四本杉の血痕反応は陰性
 人工胃液による消化再現実験

 8 石川さんの文字とは
 9 筆記能力の時系列的分析 10 押し倒し・後頭部裂傷再現実験

 11 脅迫状の詩的表現技法
 12 最終食事の色調に関する消化再現実験 
  
13 「ソネット形式」と「万葉仮名的当て字」

  14 死体埋没再現実験

 15 玉石落下再現実験

 16 封筒・脅迫状の4日間持ち歩き再現実験
 17 封筒・脅迫状の自転車持ち運び再現実験
 18 脅迫状訂正の万年筆とインク

  19 両側腹部等の皮下出血再現実験

  20 後頭部裂傷の凶器形状再現実験

  21 頸部・頭部の皮下出血再現実験




Geolog ←クリック

ジオログ:狭山事件研究メモ

(編集員)



Yahoo!ジオシティーズ

 

 

非識字者への落とし穴

―狭山第三次再審・新しい意見書のねらいー

 

 川向 秀武(東日本部落解放研究所会員)

 

 本稿は、2006年8月19日に開催された東日本部落解放研究所の第20回研究者集会の記念講演に加筆していただき、機関誌『明日を拓く』66号に掲載されたものです。写真の追加、改行、算用数字に置き換えを行うとともに、スリム化しています。(編集人 倖彦記)

 

(司会)

 狭山の第2次再審請求は、最高裁の特別抗告が昨年の3月に棄却されました。石川一雄さんの無実を証明するすべての鑑定書、意見書が証拠として取り上げられないばかりでなく、事実審理もされずに全部葬り去られるという不当なかたちで棄却されたわけです。

 そして、今年の5月23日に第3次再審請求を東京高裁に提出しました。そのなかで「文書習得能力及び文章構成能力に関する意見書」という川向・加藤意見書が新証拠として提出されています。本日の講演は、そのことに関してお願いしてあります。

 

はじめに

 ─私にとっての狭山差別裁判と教育課題

 

 私はどちらかというと教育畑で動いてきました。狭い意味でいいますと、近代教育史、なかでも同和教育以前の戦前の融和教育史、そういう狭い領域のなかでやってきました。それから埼玉県の同和教育研究協議会、いまは人権教育研究協議会ということになっていますが、私は初代会長ということで、私が都立大学に籍をおいていましたときに、小・中・高の皆さんと一緒に同和教育の研究会を立ち上げた一人であります。

 そんななかで、最初に狭山事件について教育の課題として取り上げたのが『現代教育科学』という明治図書の雑誌なのですが、1972年9月号に「狭山差別裁判と地元教師の意識」ということで書かせていただきました。

 3番目にあります、「狭山事件史」というのは、雑誌『現代の眼』に書いたものです。一言でいえば、権力犯罪であるということを明確にしました。

 7番目にありますのは、1996年ですが、「いま一度狭山事件を教育の課題に」ということで『解放教育』という雑誌に、私が埼玉におり、狭山事件を教育課題として考えた一人として再度アピールする意味で書いたことを思い出します。

 一番最後のは今回『部落解放』8月号でのインタビュー記事です。

 個人的にいいますと、ちょうど石川一雄さんが逮捕された年は、大学を卒業すると同時に結婚した年でもあるのです。この年の3月に「吉展ちゃん」事件というのがありまして、5月になって狭山事件があり、石川さんが逮捕されたときによかったなと思っていた一人です。

 その後部落解放東日本研究集会の第4回であったと思いますが、長野県の山内町で開かれたときに出かけていきまして、そこで野本武一さんと出会い、狭山事件について石川さんではないんだということを聞いてびっくりして思いを改めたということで、現地調査等、いろいろな点で取り組んできました。

 2003年の4月に福岡教育大学からこちらに戻り、現在狭山弁護団長をしている中山武敏弁護士から、第2次請求の補強意見ということで考えてもらえないだろうかという相談をうけました。補強意見書をまとめて出しますという約束をして別れた後、2日後でしたか、狭山再審の請求が棄却されました。それならばもう少し補強して出そうということでまとめてきたわけです。

 第3次請求にあたって、他の鑑定書、斎藤鑑定書半沢第2鑑定書等非常に科学的な鑑定書が出ています。半沢鑑定は脅迫状や石川さんの作成文書の中の「な」の字のある形態が、どういう確率で出てくるかというような数学的な分析ですけれども、科学的な点から文字を分析されて、非常にしっかりとした意見書になっています。

 今度の棄却のなかで一切ふれていなかったということもありましたけれども、識字学級の現状から内山・熊谷意見書があります。これは大阪での識字学級生を中心として「脅迫状」を写し取るなかでの間違いが、石川さんと同じような間違いが多いという意見書です。ですから文字に関する意見書は、半沢さんと内山さん・熊谷さんの実践的なもの、それに加えて私たちが出した意見書ということで三つになるわけです。

 これまで私が見ているかぎり、検察側の出した筆跡鑑定というものはいかにでたらめかというのが1つあります。それに対して学習院大学の大野晋さんが出された鑑定書があります。私もあれで十分ではないかというくらいに思っていました。また棄却決定のなかで却下されていますが、当時大宮北高校の先生をされていた戸谷克己さんの1993年4月に出された作文能力に関する意見書も、国語の教師としての立場から、大宮で識字に関わるという立場も加えて実践的・科学的に綿密に指摘していて非常に立派な意見書です。これも一刀のもとに切り捨てているのです。

 ですから、私たちがどういうように提起するかという問題は大変な課題でした。前に石川さんからは識字の問題で鑑定書を出しても、のっけからずばっと一刀のもとに切り捨てられてしまうということになり、無駄ではないかという話があっていたようです。しかし、何とかそれでもこだわりながら明らかにしなければならないということで、私たちなりに、まとめました。

 この狭山事件の最も重要なポイントの一つとして石川さんの文字の読み書き能力の問題、まさに教育の問題ですが、被疑者として逮捕された当時、いわゆる脅迫状を書く力、識字力はなかった。そういうものをどういうふうに立証するのか。小学校低学年程度の問題だったというようなことを明らかにする。それはどういう意味を持つのかということを含めながら考え出されたわけですが、確定判決にしましても、棄却判決にしましても、非識字者に対する理解がまったくない。つまり文字の読み書きに苦しんでいる、いまも識字学級に学んでいる人たちの真摯な姿を少しも理解しようとしない。つまり文字の読み書きのできない人などいないという判断です。そういう裁判官の恣意的な傲慢な非識字者の実態に対する無理解さは、隠しようもありません。事件の当日のことを書いた上申書、脅迫状とその「写し」との違いが分からない。非識字者に対する理解が全くないという、これが一つのポイントではないかということをあげました。

 2番目のポイントは、漢字の問題です。漢字の出てくる率と誤字率の違いを、それぞれ脅迫状、上申書、写し、関宛手紙などについて綿密に分析をしてみたわけです。

 3番目のポイントは、『りぼん』という雑誌のルビを頼りに見て「当て字」的に書いたといっているわけです。これは、万年筆と同様に虚構でしかあり得ません。私たちが調べれば調べるほど、『りぼん』の虚構性をもっと大きく取り上げて行く必要があるのではないか。

 この万年筆と同じように『りぼん』という雑誌からルビを頼りに漢字を見つけ出したというのは、全くの虚構であると思います。あとで申しあげますけれども、雑誌の所在の確認さえ難しい。出されていないのです。

 私たちの意見書としては、この雑誌のなかの何頁を見て「命」という字が出ているのか。実際に後から紹介するように1箇所しか出ていないというようなものもあります。文字の読み書きの不自由な人が250頁ほどの本のなかで、それを探して1箇所しかない文字をルビを頼りに書くができるでしょうか。しかも写し取っておいてから書くということです。二重の手間をとっているわけです。ルビをたよりに「読む」ことと、それを「形をまねて書き取る」ということは、明らかに違いがあります。これは当時の取調官のいわゆる誘導による虚構といえるでしょう。

 『りぼん』という雑誌からルビを頼りにしたということは、誘導されたものだと私たちは判断しました。ということで、私たちの意見書のポイントは3つであるといえるかと思います。

 

 

意見書の基本的立場

 ─非識字問題への理解と国語教育の視点から─ 

 

1、 非識字者問題への理解は、本件にとって欠かすことが出来ない課題である

 

 前置きが、かなり長くなりましたけれども、私たちの意見書の共同執筆者である加藤陽一さんは、北九州市の中学校の教諭をしています。私は福岡教育大学へ77年に行ったのですが、彼は78年に教員で北九州市に来まして、来てすぐに北九州市の被差別部落での識字運動に関わるということで、どうしたらいいかと私の家に訪ねてこられたという経験がある方です。非常に地道な方で、研究者でもあり、現実的にも北九州市の識字運動に関わっています。そういう加藤さんと二人でまとめてみました。

 さきほども申しあげましたようにポイントの一つは、非識字者問題があることを裁判官がまったく理解していないということがあるわけで、この非識字者問題は本件に欠かすことの出来ない問題であるという立場から書き上げました。

 判決は、一定の生活経験をふめば、文字は自然に習得できるものだ、西武園に何回も行っているであろうから西武園という字は書けるはずだと、ものすごく荒っぽい判断をしているわけです。それがまかりとおっているわけです。文字の習得というのは決してそういうものではないということを、識字の経験と国語教育のあり方や記録のなかから明らかにしています。

 解放出版社から識字関係の記録がいくつも出ています。その中の一つに『四十年目の手紙』というものがあります。『四十年目の手紙』というのは、識字学級に学ぶようになって初めて40年前に届いた手紙がやっと読めるようになったことを書いたものなのです。その方の識字の記録は、夫が戦死したわけですが、その戦死した時のことを上司の人がつぶさに書いて寄越した手紙があったのです。それがずうっと長い間読めないでいて、40年後に識字学級に通うようになって字の指導を受け、初めて読めるようになった。その間の生活の有り様、苦しみというものを書いておりました。

 生活経験を積み重ねれば自然と字がわかるようになるものでは全然ありません。識字学級でいま一生懸命学んでいる人たちの現実から見ても、同じように西武園に行ったことがあるから西武園という字が書けるものではまったくありえないといえるでしょう。たとえ生活経験を重ねても、文字の読み書きが自然に出来るものではないということを、基礎からの着実な指導があって始めて漢字を書けるようになることを、いろいろな側面から実証的にあげました。

 当時の入間市教育委員会の石川さんが通学していた小学校長からの記録があります。中学校長からの資料も提出されています。中学校の場合は、学籍簿に記録がなかったということです、一日も通っていません。小学校の場合は、特に4年から6年にわたる出欠記録と成績の記録が出ています。そういうものも見ると、常に長欠児童であり、国語の成績欄を見ますと、「読む・書く・話す・作る」ともに最下位の状況におかれていました。

 別の意見書(鐘ヶ江・江嶋・福岡氏)で、当時の小学校の退職されている先生に聞き取りをした記録が残されています。6年生では百日を超えていたわけですが、元の担任の先生の話によれば、学校には来てちょこっと顔を出したけれども、ほとんど授業には出ていない。「こっちにいらっしゃい」といって招いたけれども、それでも入ってこない。しかし出席扱いにしたということでした。それは、職員会議で石川さんを卒業させるために出席を多くしておこうということだったとのことです。出欠記録も「作られた記録」であるということが、意見書のための聞き取りで明らかにされているわけです。その結果、石川さんは非識字者の状況のなかに放置されていたということがわかります。

 漢字学習は、偏と旁を合わせて学習していくわけです。これを小学校の低学年からみますと、画数の少ない方から段階的に増えて行く。小学校2年生くらいから非常に増えている。偏と旁を段階的に学習する、そういう積み重ねて行くことが必要であり、初めて漢字を学習していくには、こうした段階制を抜きに正確に書くようになれません。

 それから同時に判決のなかに全くの独断で、見ることと書けることを同じに考えていることです。すでに指摘したことですが、西武園に何回も行っているのだから書けるはずだということではまったくありえません。

またルビに依存して脅迫状を書くために用意をして写しておいたと判断しているわけです。そのように誘導されているわけですけれども、実際には、無理があります。ルビに依存して漢字を読むことと、その字を正確に写して書くということは明らかに違うわけです。

 石川さんが逮捕されて書いている上申書、あるいは添付書類、図面とかがたくさんあります。その図面を見ますと「ひらがな」も間違えながらやっと書いているという状況です。みなさんご承知のように石川一雄の「雄」の字は「夫」の字をずっと書いています。これが初めて「雄」の字が出るのは9月6日の文書です。これも間違っているわけです。自分の名前を正確に書くというのはその人にとっての最低限の誇りなわけです。それが出来なかったというのが、当時の石川さんの識字力の状態、文字の読み書き能力が、そういう実態におかれていたということですから、脅迫状と比較するとまったく明らかに違うということになる。

 

 上申書

jyousinsyo-t.jpg

 

 私は、自白調書の添付図面というのを全部見ました。どこにどういうものをおいたとか、どういう経路で行ったとか自白させられる状況のなかでつくりあげていくわけです。その図面のなかの文字というものを見ると非常に考えさせられます。

 5月25日の添付図面ではこう書いているわけです。「五月ツいたちに せぶエんのやま でやすみしんぶん をいたところ」「エき」「コるふばくねと」。そういうことをやっと書いています。これが当時の石川さんの実態です。漢字も少し入っていますが、ひらがなが多いのですけれども、この文字というのは当時の石川さんの識字力というものを明らかにしています。7月7日までの添付図面は一貫して不正確にやっと書いているという状況です。

 

自白調書添付図面

 jihaku1s1.jpg

 

 ところが脅迫状を見ますと、漢字に「当て字」はありますが誤字はありません。一つも誤字はないのです。そして段落がしっかりしている。句読点が明確に打たれています。改行が正確です。しかも命令形に統一されている。これはすでに明らかにされているところですから、そういう脅迫状との違い。私たちは、筆跡鑑定という視点からではなくて、国語教育というところからもう一度見直してみると、脅迫状との違いが明らかになると指摘しました。

 脅迫状

 kyohakujyou-t.jpg

 

 棄却判決のなかで、非識字者に対する無理解さを露呈している箇所ですが、「漢字の知識に乏しい者は文章を作成しようとする場合に文中に多用しようとする意識が働いて、漢字の意味と無関係に同じ又は近い音のところに」、漢字を使うとしています。漢字を知らない人間は「漢字を使いたがる」ということを判断しています。石川さんの書いた上申書、作成文書を見ますと、当て字は一箇所もありません。脅迫状には当て字は多く出てくるわけです。しかし石川さんの作成文書には、当て字として出てくる漢字は一箇所もありません。

棄却判決は、「漢字を知らないから、かえって使いたがるのだ」というデタラメな判断、非識字者のおかれた実態をまったく無視した、恣意的な判断であり、非識字者の置かれた現実との違いが、はっきりしています。

 

2、漢字の使用状況と誤字状況を比較すれば、同一人物が書いたものではありえない

 

 第2のポイントは、漢字の使用状況です。どの漢字をどの程度使ったのかという問題と使った漢字がどのように誤字としてあらわれているか。それをまとめたのが資料の一覧表になっているものです。

 

脅迫状および石川一雄作成文書の漢字の使用状況と誤字状況

  k-hyou.jpg

  例えば、脅迫状を見てもらえればわかると思いますが、誤字率ゼロです。つまり当て字はありますが、その当て字はいずれも正確です。

 上申書は総文字数178、使用漢字種25、使用漢字数45、誤字率20パーセントということです。目につくのは、4番目に出てくる接見等禁止解除請求書です。これは、見本があって書いてあるわけです。つまり、書式が決まっていて、それに準じて石川さんは書かねばならなかったということです。接見禁止を解除するために出さなければならない請求書ですから、これは決まり文句があるわけで、その漢字が彼は書けなかったわけです。その誤字率は47.77パーセントということで、非常に高い誤字率を示しています。石川さんは見本がある場合、それに準じて漢字は使っているけれども、その使った漢字を間違えている。こういう意味での比較です。誤字率を重視する必要があるということで丹念に加藤さんに分析してもらいました。

 漢字の使用状況と誤字状況を比較すれば、同一人物が書いたものではありえないという結論が明らかになっております。脅迫状には34種類、75文字の漢字が出ております。当て字は9種類ありますが、明らかな誤字はありません。その脅迫状を石川さんは写させられているわけです。

 

脅迫状写し

 utusi3s1.jpg

 

 筆跡鑑定に出すために「写し」ということで書かされているわけですが、「写し」にあらわれている漢字は18種類、29文字です。例えば、「命」という文字は脅迫状にはありますけれども、書けないので「いのち」とひらがなで書いてある。非識字者の場合は当然です。漢字が書けない場合には、ひらがら又はカタカナで書くというのは普通です。「さのや」の門の「もん」もひらがなで書かれている。「くるま」もひらがなで書かれているわけです。つまり、脅迫状にある漢字が写しになると半分くらいになってしまっています。

 脅迫状の漢字は34種類、75文字が、「写し」では18種類、29文字に減っているわけで、これが脅迫状を書いた人間と「写し」を書いた人間が同一であるとは、決して誰が見ても思えない。間違いであるということがはっきりしていると思います。

 石川さんがつくった作成文書、「見本」がなくて書いたものもあるわけです。例えば、関源三宛のもので9月になって初めて一雄の「雄」の字を書いた象徴的なものですが、

 

関源三宛手紙 9月6日

 seki2s1.jpg

 

 9月6日の関宛文書は、前段と後段と書き方が著しく違います。どういうように違うかというと、前段は定められた書式があって、それを一生懸命真似して書いているわけです。ところが後段は、自分の気持ちと実力でそのまま書いているわけです。ですから9月6日の関宛手紙というのは、前段と後段ではまったく違う。同じ文章ですけれども、書き方が違う。

 自らの文には漢字数が少なくて、見本がある場合には漢字が多いのです。しかし、その漢字の誤字率が高い。例えば、「ほん年」、「にさ」、「んち」等々、やっとひらがなで自分の気持ちを一生懸命伝えようとしていることが出ているわけです。初めて「雄」を書いたときに、この前段と後段の文章は著しく違っている。

 ところが棄却判決は、前段だけ見て「このように、きちんと書けているではないか」というような判断なのです。ここまで書けるようになっているということから「小学校低学年のレベルの状況ではない」と判断をしているわけです。

 

3、文章構成能力から見ても、同一人物が書いたものと判断することはできない

 

 次に文章構成能力という点で考えてみました。それは、すでに大野鑑定戸谷鑑定でもふれてはいますが、句読点のあるなし、段落などの問題です。真犯人の書いた脅迫状は、10段落のうち9箇所に句読点が正確に打たれているわけです。しかし石川さんの上申書は、3段落あるのですけれども、打つべきところに一箇所も打たれていない。むしろ誤りもあるわけです。句読点もよくわかっていなかったわけです。例として「エでません。でした」というように丸をどこにおいていいのかさえ当時わからなかった状況があるわけです。文章構成能力の一つですが、文節の切り方と句読点の打ち方、これらに明確な違いがあるということです。

脅迫状と「写し」の明確な違いは、「写し」でも一応命令形のように強調していますけれども、非常に簡素で迫力がありません。

 それから、促音とか拗音のことです。「とって」の『っ』が抜けたり、「きんじょ」の『ょ』がない。つまり、促音とか拗音についての理解というのは、まったく当時できていなかったということです。ですから、「ほしかたら」、「もてこい」というように書いている。脅迫状には10段落のうち9箇所きちんと表記されていますけれども、「写し」は漢字を書ききれずに訂正箇所があります。

 脅迫状には誤字による訂正箇所は一箇所もありません。ただ日や時間は棒をひいて訂正していますけれども、漢字を訂正しているところは一箇所もありません。そのように漢字の出てくる回数、誤字率の問題と文章構成能力ということで、句読点の付け方、促音、拗音などの使い方が当時しきれていなかった状況がある。脅迫状との違いは明らかでです。同一人物であるということは決してありえないということを明らかにしました。

 以上のとおり、第2のポイントは文章構成能力という視点から見ても脅迫状を書いた真犯人と石川さんの書いた文章はまったく違うということを明らかにしたつもりです。

 

4、漢字を書けないので雑誌『りぼん』からルビに依存しながら拾い出して当てはめたとしたことは、取調官の誘導による全くの虚構である

 

 3番目のポイントは、『りぼん』からルビに依存して漢字を写し出したことに対する疑問です。

 これは、本当に取調官の誘導による創作、虚構だということ、これは断定してしかるべきではないかと私たちは思っております。『りぼん』については、弁護団事務局の方に詳細に調べてもらったのですが、1019種類、1万0473個の漢字がありました。これは調べるのに大変に時間がかかっています。ダブったりしたらいけないということで一覧表をつくってくれましたが、本当に大変な作業でした。

 『りぼん』を石川さんの妹さんが友人から借りて、家にあったものを見て脅迫状を書いたということになっているわけです。ところが、現物は出ていません。貸したという人も出ていません。つまり、『りぼん』という雑誌の所在でさえ明らかでないというのはまさに虚構であることが明らかになっているわけです。

 仮に『りぼん』から引用したとしても、一度写し出しておいて、脅迫状に引用する作業は無理ではないでしょうか。どういうことかというと、西武園の「武」とか警察の察を「札」にかえているのですが、「武」とか「札」は『りぼん』の中1箇所しか出てきていません。「命」という字にしても、2箇所出てきているだけです。「様」という字は3箇所です。1箇所、2箇所しか出てこない漢字を見つけて写しだすことができるでしょうか。

 脅迫状から出てくる、必要に応じて拾ったとされる漢字は、「西武園」、「死」、「供」、「夜」、「命」、「車」、「様」などです。脅迫状に書いてあるこの字は、いずれも見事に闊達に書いています。筆運びが非常に滑らかに書いています。いま識字学級で学んでいる成人の人たち、学習している人たちとはまったく違います。

 私は前に識字のお世話をさせてもらったことが何回かありますが、みなさん一生懸命に鉛筆を握り、力強く書いて鉛筆の芯を折ってしまうことが多くありました。力の入れ具合が分からないことで、本当に力一杯書くわけですから、芯も折りますし、滑らかには書けません。

 ところが、脅迫状は西武園という字を闊達に書いております。園の字も画数が多いのに誤りなく書いています。ところが、脅迫状の「写し」では書ききれないで「西ぶエん」と書いています。添付図面を見ますと、「西」すら書けなくて「せぶエん」と書いています。脅迫状に出てくる西武園が、筆運びが滑らかに書いているにもかかわらず、「写し」や添付図面では漢字が書けないで、ひらがな・カタカナを用いてやっと表記しているというのが事実です。

 それから、脅迫状の字について細かく分析すると不自然さが浮き彫りになります。「子供」を例に挙げると、一行目に「子供」、四行目に「子供」、五行目になると「小供」になっています。特に「小供」は意図的と見るべきではないでしょうか。石川さんの写しを見ると、五箇所すべてが「子ども」であって、「子」は身につけていたと思われますが、「供」の漢字は習得できていなかったために、おそらく全部ひらがなで書いているということだと思います。脅迫状の場合には変化していますが、変化の仕方が意図的であると考えるべきではないでしょうか。

 また、脅迫状の「車出」のように「出」を使用していることも、不自然なことです。『りぼん』にも出てくるのですが、「て」に濁音をつけて使うことの方が自然です。すでに「かえて」、「ころして」と「て」が使われています。一方で「て」を使いながら、漢字を書く段になって「で」は「出」を使う。これは、まさに不自然としかいいようのない問題です。「このかみにツツんでこい」では「で」は使われているのです。脅迫状のなかに「死出死まう」がありますが、この死んでしまうの場合、死というのは殺すとかいう意味が分かっているのに、「死出死まう」というように「し」を「死」としていることの不自然さ。まさに意図的なものとしかいいようがありません。

  「な」の字は半沢鑑定で「な」の字の書き方の特徴について科学的な分析をして、確率論を応用して石川さんが書いたものではないことを明らかにされています。また『名』の字にしても、会社で休暇届を出すのに「氏名欄」というのがあり、そこに名前を書いて拇印を押す、ハンコを押すかたちで出しているわけです。名というのは氏名欄ということで、すでに会社関係の書類で理解をしていた、知っていたというのが妥当ではないでしょうか。いわゆる「は名したら」の「名」をわざと「な」の当て字として使うというのは意図的以外ありえないと考えます。

 というように、私たちは筆跡鑑定ということではなくて、いわゆる国語的な理解、非識字者のおかれた立場、現状、そういうところから見て、明らかに脅迫状を書いた人と石川さんの書かれたものは違うということを明らかにしてみたということです。

 

 最後になりますけれども、棄却判決において、筆跡の違いを心理的状況が違うからということで、かなり苦し紛れに筆跡についての理解のときに形態の違いがありうる場合もあるとしています。心理的状況が違っていたから筆跡が違うのだということをいっているわけですが、明らかにすり替えに過ぎないと思います。

 というのは心理的状況の変化をいうのであれば、むしろ逆ではないかというのがわれわれの見解です。時間的にも切迫し、精神的にも興奮状態にあるはずの脅迫状執筆時より、時間的にも余裕があり、より公的な性格を持つ被疑者段階の文章の方が、書字、表記すべてに対して正確かつ丁寧であらねばならないと思います。つまり、取り調べ段階での自分のアリバイを明らかにしようとすれば、添付図面も同じであると思うのですが、時間的にも余裕がありますし、脅迫状とは違いますから、被疑者段階での石川さんの文字の方が正確かく丁寧であらねばならないわけです。一生懸命に書いている当時の作成文書の方と脅迫状に書かれているものは明らかに違うわけです。

 心理的状況でいえば逆ではないかというように私たちは考えています。

 

 その他いろいろなところに触れていますけれども、最後に私たちは2点にまとめました。

 第一に、「非識字者のおかれた実態の理解と重ね合わせながら当時の石川一雄の識字能力を検討し、しかも仮名や漢字の書写能力を個別的に判断せずに上申書、写し、中田宛手紙、関宛手紙等時系列的に詳細に検討するならば、脅迫状の文面はまったくの別人が執筆したものであることは明らかである」こと。

 第二は、「『りぼん』から漢字の当て字を拾い出し引用かつ多用したとされているのは、取調官の誘導によりなされたものである。われわれが綿密に示したように非識字者である石川一雄が行った行動ではありえないことは明白である」というようにまとめておきました。

 

 以上は私たちが、文字習得能力及び文章構成能力に関してまとめた内容の概要です。いわゆる筆跡鑑定というよりも国語的鑑定といいましょうか、そういうような立場から見ても明らかに石川一雄さんの書いたものではない。非識字者への理解がまったくできていない、恣意的な判断にもとづいたものである。『報知新聞』を見ていた、『読売新聞』を見ていた、I養豚場の関係者の供述調書から自動車教習所の本を見ていたというところを引用して、棄却判決では文字の読み書きがかなり出来たはずたという判断をしています。

 しかし、私たちの鑑定書で明らかにしましたけれども、「見る」と「書けること」とは違う、見ると読むとは違うということをはっきりさせました。石川さんが、自動車教習所で自分も免許を取りたいという気持ちから見せてもらったということはありえると思いますが、字を書いていたとか、具体的に教習所に行く手続きをとったとか、そういう実行行為というのはないわけですから、見ていたことで書けるはずだという見方はまったくの間違いだという点についても触れています。

 

 私たちの意見書のポイントというのは繰り返しますけれども、3点あって、現在でも非識字者が一生懸命努力している、非識字者が字を学んでいる姿に対する理解と重ね合わせながら、石川さんの当時の識字力をきちんと時系列的に判断するならば、脅迫状を書いたということはあり得ないということです。

 2番目には、漢字の使用数と、そのなかでの誤字率を見ると、明らかに違いますし、文章構成能力、句読点の打ち方、促音、拗音の使い方などを十分にしきれていない状況がありますから、それから見ても脅迫状の執筆者と明らかに違う。

 3点目には、『りぼん』からの漢字の引用は、まったくのでっちあげだったということです。その証拠に「命」等一箇所しか出ていないものもあるわけです。250頁の本のなかから抜き出して、それを書き写して達筆に正確に書けるかというのは、まさに虚構です。これを知って判断すべきだということを提起したということです。

 

参考(筆者が書いたもの)

1.「狭山差別裁判と地元教師の意識」『現代教育科学』1972年9月号

2.「狭山闘争一一周年と地元教師の当面する課題」『解放教育』1974年9月号

3.「狭山事件史──権力の捏造と民衆の闘い」『現代の眼』1976年6月号

4.「狭山裁判が教育に問うもの」『現代教育科学』1977年1月号

5.「狭山裁判と社会科教育の課題」『教育科学・社会科教育』1977年3月号

6.「狭山裁判闘争と部落解放教育」『証言・戦後同和教育三〇年』解放出版社、1983年

7.「いま一度、狭山事件を教育の課題に」『解放教育』1996年5月号

8.「非識字者への無理解が誤判を生んだ」『部落解放』2006年8月号