| 描写〜PICTER〜 1, 美大と言うところは、一種の自尊心の塊だ。 よく言えば、だれもが皆自分の美術的センス、それに付随する作品に絶対の自信を持っている。 だからこそ、それが打ち砕かれた時の反動は大きい。 「直人君が自殺したわ」 綾子がそういったのは、その日の大学の講義がすべて終わり、構内のカフェテリアでバイト前の軽い間食を取っていた時だった。 「……そうか」 幹久はデニッシュから一旦、口を外しておもむろに指を組む。 直人は幹久、綾子と同じ高校の同級生だった。三人は大学こそ違うがそれぞれ田舎から東京に出てきていて、頻繁に連絡を取ったり実際に会ったりしていた。 「メールでよかったのに」 幹久はそういいながら、鞄の中のケータイを見る。 メールは届いていないし、着歴もない。連絡が取れないので直接来た、というわけではないようだ。 綾子の大学は幹久の大学のすぐ近くにある。徒歩でも十数分と言うところだ。 「直接、言った方がいいと思ったの」 綾子はそういって、幹久の正面に座る。 「彼、賞に落選したんだって」 「……」 「高校の時は一度も――大賞とかぐらいしか取ったこと無かったのにね」 綾子は遠い目をして、呟くように言う。 彼の両親から連絡を受けたこと、最近の彼の様子、彼に自分の絵を描いて貰っていたこと…… 彼女の話は三十分以上続いて、バイトには結局遅れた。 直人のアパートは大学に近い学生寮で、恐ろしく古ぼけていた。 両親共に公務員(プチブル)の幹久のアパートとは雲泥の差だった。だが、部屋の中は案外片付いていて、その中央にポツンと白い布の掛けられたキャンバスらしきものがあった。 幹久は少し考え、丁寧にその布を取る。 こんな時は、片手でマントを翻すように取るのが格好いいのだろうが、キャンバスというものがどの程度の衝撃に耐えられるか分からなかった。 そんなことを考えながら布を取ると、不意に目の前に綾子が現れた。 ――いや、絵だ。 これが、綾子の言っていた絵か。 幹久は、カフェテリアの話を思い出す。 鉛筆――だとおもう――で下書きさ(ラフにかか)れた綾子は、椅子に座りどこか遠くを見ている。 「外で、鳥の鳴き声が聞こえたんだ」 背後で綾子の声がした。 玄関が開いた音には気がつかなかったが、一拍おいて扉が閉まる音がする。 「最初は正面を見てたんだけど、鳥の――地元(むこう)で聞いたことのある鳥の鳴き声がしたから、一瞬そっちを見てね。そしたら、直人君がそのままで、って。それまで書いてたスケッチブックを破り捨てて、新しくこっちで書いたの」 「そう……」 絵の中の綾子は無防備だった。 窓はないが、室内の綾子は室外の何かを見ている。 それは、ひどく神秘性を伴っていて、綾子に十年間言えずにいる言葉を不意に思い出させた。 2, 「元気そうだな」 病室の綾子は見るからに病的にやせ細り、血行の悪さのせいか色も薄く見えた。 それでも、元気そう、と声を掛けてしまったのはあまりの数日間の急な変化に、彼女の背中に死の影を見つけてしまうのを畏れたからかも知れない。 「ごめんね、心配掛けさせて」 ベッドから半身を起こしている綾子はこちらを向いてそう言った。 「見舞い、果物でよかったか?」 幹久はそういって、手に持っていたビニール袋を綾子に見えるように持ち上げる。 コンビニの白い袋に入っているのは、リンゴだ。 洒落た詰め合わせは、本当に病人の見舞いをするような妙な錯覚を覚えて、箱で買ったリンゴを五、六個コンビニ袋に入れてきた。 「喰うか?」 「うん」 綾子は頷く。 彼女が入院したと聞いたのは、直人の葬儀から一週間程後のことだった。葬儀から日に日に誰の目にも明らかなほど衰弱していた彼女は、とうとう高熱を伴って学校で倒れてしまいすぐに救急車で病院に運ばれたらしい。 搬送後、すぐさま精密検査をしたがこれといった理由は見つからず、いわゆる原因不明の病気というヤツらしい。 「ちゃんとゴハンは食べてたんだけどね」 ムリするように、力なく微笑む彼女が痛々しい 「……そうか」 視線を落とすと、彼女の右手から伸びる点滴のチューブが目に入る。食事も、小食だが問題なく取ってはいるらしい。 しかし、熱が40度近くある。本当なら、こうして半身も起こしているのがやっとのはずだ。それでも、見舞いが来るたびに彼女はこうしている、と女性看護師の一人が病室に入る前に言っていた。 ムリさせないためにも本当は面会謝絶にしたいと。 「そういえば、私の絵。直人君が書いてたの、どうなったんだろ?」 幹久のむいたリンゴを会話もなくかじっていると、思い出したように綾子が言った。 「お前が、持ってるんじゃなのか?」 綾子にしてみれば、形見のようなものだ。 当然のように、綾子が持っていったものだと思っていた。 「ううん。なんか、いろいろあって忘れちゃってた」 「探してやるよ」 「え?」 綾子が少し驚いたような顔をする。 「探してやる。そのかわり、見つけてもお前にはやらない。退院して、元気になったらくれてやる」 「……やさしいね。幹久」 「結局、優しい人止まりだけどな」 「知ってる」 綾子が微笑む。 「ああ」 最後に残ったリンゴを、熾烈な争奪戦の末に胃袋に収め幹久は病室を後にした。 3, たいした労もなく、絵はすぐに見つかった。 直人の寮に、数週間前と同じくそこに白い布を掛けられていたからだ。 葬式の後も彼のアパートは手がつけられていなかった。直人の両親が彼の生きていた証にと、しばらくは部屋をそのままにしていて欲しいと頼み込んだからだ。もっとも、学生寮ということもあって、四月以外は入居者はほとんど望めないため、そんな我が儘も通ったのだろう。 「それにしても、綺麗に片付いているな」 静かな、静寂の支配している空気に耐えきれず幹久は独りごつ。 綺麗に整理された部屋。 自殺するものは身辺を整理するらしいから、綺麗なのは当然なのかも知れない。 「だとしたら、俺は決心してから半年はかかるな」 幹久は自嘲気味にそういって、自分を鼻で笑う。 だが、そう思った瞬間。別の疑問が浮かぶ。 「なんで、綾子の絵は片付けてないんだ?」 幹久は引き寄せられるように綾子の絵の前に立つ。そして、先日は出来なかった片手で翻すように、白い布を取り払う。 次の瞬間。幹久の背筋を、恐ろしく冷たいものが腰から駆け上った。 「何だよ。これ」 幹久は目を疑う 下書き(モノクロ)だったはずの綾子には色がついていた。入院前の、血色のいい、神秘的な綾子の色。 しかし、その周囲の背景には全く色がない。 誰かが色をつけたのか。そう思ったが、そんなことをした所でだれが得をするのだろう。それに、ここまで生々しい色は幹久は見たことがなかった。しかし、この筆跡は生前の直人に恐ろしく似ている。 「これじゃまるで」 綾子の色を吸い取っているようだ。 「まさか、そんなわけ……」 幹久は自分に言い聞かせるが、また別の自分が自問してくる。 「……そんなわけ無いと言い切れるのか?」 もし、仮にこの絵が綾子の精気のようなものを吸い取っているのなら―― 「――処分しなければいけない」 幹久は恐る恐る、スケッチブックを手に取る。 焼かなければいけない。半ば使命感にも近いその意思は既に彼の心の中でふくれあがっている。 気がついた時には、キッチンのコンロで切り取った綾子を焼いていた。 黒く灰となって舞い上がっていく厚紙。四分の一以上が焼失した時、隅に小さく書かれた「望郷」と書かれた文字を見つける。 タイトルだろうか。そう思っている間に、その文字も黒く灰となって舞い散った。 「望郷……」 コンロの火を消し。 黒い灰を処分しながら幹久は思案する。 絵の中の綾子は故郷の鳥を見ていた。故郷を見るという表の意味。 そして、直人自身の東京に出てきて自らの凡才さを知らしめられ、故郷に帰りたい。帰郷を望む意味。 それでも、綾子の絵を完成させずにはいられなかった直人の意思。そして、結果的に綾子を自分と同じ所へ連れて行ってしまうこととなったとしても。 「自殺か」 幹久はそこまで、執着できない。 そう思った。 3, それから、数日と経たず綾子は退院した。熱も下がり、その他の症状も改善して退院した彼女はいつもの綾子だった。 「退院おめでとう」 病院の正面玄関に立った幹久に、出てきた彼女は微笑む。 「ありがとう」 結局、彼女の病の正体は分からなかった。やはり、絵が原因だったのかも知れないし、もしかしたらただの、未だに人には知られていない未知の病気なのかも知れない。 ただ、それは何をしても分からないままだろう。 「ところで、荷物が少ないんじゃない?」 綾子が言う。 「私の絵は?」 「あー」 幹久は明後日の方を向く。 「それがさ、なんていうか……。公明正大なことを言ったわけですが……」 「見つからなかったの?」 「はい……」 「ふうん。結局、優しい人にもなれないんだ」 「うわぁ。今のは、会心の――いや、喰らったんだから痛恨か。痛恨の一撃なんですが」 おどけて腹を押さえて前屈みになる幹久。 「許す」 ドン、と綾子はカバンで彼の背中をおもいっきり叩いた。 |