真実のG

- Ain’t I Mad? -

 

 Numquam se plus agere quam nihil cum agcret, numquam minus solum esse quam cum solus esset.

                                         ―サンヴィクトールのフゴー

  • 1975年   三河、豊川にて生まれる

  • 1977年                         初の米国。妹、タカミ誕生

  • 1985年                         二回目の米国。ロス その後、アトランタへ。中三まですごす。高校は南山国際高校。

  • 1994年                         中央大学入学。電車のなかで怪しげなイラン人に話しかけられ、妙に意気投合。以来、10年も彼の巻き起こす知的、文化的、物理的騒動につきあう羽目となる。また、この頃、某シーナさんおよびジュンコさん等により今に続くジョージアという名前をいただく。しかし、「ジョージア」は女性名なので当時はあまり気に入ってなかった。

  • 1995年                         旅先の北京で20歳の誕生日を迎える。

  • 1996年                         先輩ミナミさん、同級生のブーなどによりオタクのエリート教育を施される。三日間ぶっ続けで「不思議の海のナディア」、一週間で「銀英伝」、はたまた「エヴァ」など。ほとんど苦行のようにアニメを皆とみることとなる。この頃、ミナミ家の二代目台所番を襲名。イタリアが専門だったヨコタ氏に対し、中華料理をマスターしようとあがく。結局、台所番制は4代目くらいまで続くが・・・女性は一人もいなかった。

  • 1997年                         インドへ行く中継地(のはずだった)タイにてパスポートと所持金を盗まれる。結局、インドへはいけず。世の中の世知辛さを噛みしめる。

  • 1998年                         初めての卒論。生意気にも英語で書く。National Consciousness and Approaches Toward International Law: In the Case of Japan その後、師匠に黙って法学研究科の入試を受け、事後報告で合格したことを伝える。このとき、はじめて死を覚悟する。

  • 2000年   修士論文。IMFの条件付融資について書く。今、もっとも燃やしたい論文のひとつとなっている。

  • これまでの人生に必ず「国際的」など外見からはおよそ似つかわしくもない形容詞がつきまとう。これまで卒業してきた教育装置でいうと・・・国際高等学校、国際政策文化学科、国際企業関係法、英語で受験できるところばかり受けたむくいだとあきらめている。しかし、その実、中身はベタベタの純ジャパニーズだったりする。

 

  • お金が手に入るとつい本の衝動買いをするくせが・・・。これを目撃したイシヅカ・テルキ氏によって日記を「マッドサイエンチックな生活」と命名される。また深夜、極東書店でクリックする悪癖ゆえに(届けにくる)佐川急便恐怖症に陥ったこともある。

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