理論編 A.音階の理論

コード・スケールは、調性のコードとメロディー両方の構造と運指に直結します。コードとメロディー双方の素材、材料、あるいは基準が音階だからです。

そこで、音階について、特に理論的な事柄をここで確認しましょう。

・音階の構造

とても基本的な事ですが、ダイアトニック・スケール(オクターブ8音音階)の3度づつの堆積である和音が、M、m またb5や7th、M7th と、それぞれ違った形態になるのは、基準となる三度が長、短の二種類だからです。さらに、この三度音程の内容である二つの二度音程も、全音・半音の二種類であり、この配列の順序が音階の内容であり、3度堆積の内容を確定する最小単位となります。

順次進行の中で、半音は全音より狭いことで、進行感に滑らかさを与え、全音は半音より積極性のある進行感を与えます。音階は、こういった順次進行の進行感の違いをひとつの個性とします。

オクターブ12半音を等分割する音階、半音階が連続しても、全音音階が連続しても、その帰結感は曖昧ですが、全音に対する半音の進行感の「近さ」が、音階の中に、ある種の「重心の偏り」を生じます。これを特に表現するものが「導音」です。一般的に現代人は、「音階」の基本を低音程から高い音程への「上昇」として捉えますが、古代のギリシアでは、8度からの「下降」を基本と考えていました。なので、「導音」とは、長7度から8度への半音進行に限らず、Phrigia(ミファソラシドレミ)で言えば、ファからミへの「下降導音」も含みます。いずれにせよ、ダイアトニック・スケールとその転回では、この半音によって、全音との対比が生まれ、半音程の位置関係が音階の個性となります。

また、ダイアトニックの二度は、半音を連続させません。全音と半音は短三度、全音と全音は長三度を形成しますから、この半音と全音の配置の位置関係が、長・短の三度、完全四度と増四度、完全五度と減五度、長・短の六度、長・短の七度と、二度と減二度の「ルートからの」音程関係、「全体の音程構造」を生み出します。

コード・スケールとは、この音階の特有の音程構造を三度堆積する事で形成される「四和音」との「関係」で捉える「音階」です。コードの長・短、完全音程と増・減の構造は、音階のそれと一致します。つまり、二元的な長・短音階は、その三度の長・短の音程によって定まります。当たり前のようではありますが、「素材」としての音程構造の内容が「確定している事」は、音楽にとって根本的・根源的な要素です。また、この音程構造は、「オクターブを単位として一周する」、「周期性」を持った構造です。上昇にも下降にも、音程構造の内容が「繰り返され・めぐる」という事も、音階に限らない、これを素材とする音程関係、音程構造全てに対して決定的な要素です。

この「音程構造」が、「音階の音感」の核心です。全音・半音による進行感の違いは、通時的(つうじてき: 時間を伴った。順番の。)な「動きの音感」、順次進行の「進行感」をもたらしますが、これも「音程構造」の一部、あるいは一面です。「音階」は順次進行に限らず、跳躍進行、さらには揺らぎや反復等・・・全ての進行感の基準でもあります。同時的に発音される「重音・和音」も、順次・共時(きょうじ:時間と共に、時間に伴って)的に発音される「旋律」も、「音程」という基準を共有します。

つまり「通時的に提示される音程」も、「先に鳴った音」が短い時間持続する「音感的な記憶・印象」として「基準」とされ、後続する音との「音程」の「動き・関係」として把握される事で、長・短、増・減の「音程関係」を示唆し、この「通時的な音程」が三つ以上持続・連続するなら、何らかの形で「共時的(同時的)な音程」としての「和音」、「通時的音程の順次の集合:列」である「音階」、「音程構造」が感覚される、”音感される”わけです。

この音感の「通時的」な構造が、例えば「分散和音」を成立させる条件です。「和音」とは、そもそも共時的・同時的な音程構造として把握され、これを基準とするものですが、これが「通時的」に、ばらばらに「分散」されても、やはり「和音」としての響きの性格を保ち、示唆します。「音階」も同じように、必ずしも順次進行(二度の進行)の連続ではなく、跳躍進行(三度以上の進行)によって「ランダム」な動き、ある意味「分散された響き」を可能とする素材ですが、いくつかの構成音が提示されることで「音階」としての全体像を音感的に予想・予感させます。さらに、「同時的和音」が三和音から四和音とされ、9度、11度、13度のテンションが順次加えられると、その構成音は「音階」に近づいて行きます。「音階と和音」とは、音感にとって、必ずしも対照的、あるいは対立的な素材では無く、むしろ「音程関係」「音程構造」を共有する素材であるということです。

また、音階の音程構造は、その「素材・基準」が、やはり12半音より「限定された」内容をもちます。この「確定された・限定された素材・基準」が、聴き手にとっても、「歌う・演奏する」場合であっても、常に最初の聴き手であり、かつ歌い手でもある「音感」に対して、ある種の「意思・期待や予測」、さらにそれらと「合致」した際に感じる「統一感・帰結感・解決感」を得る事を容易とします。

・ダイアトニックの構造

以下の図形は、十二半音を正十二角形で表し、長音階の各音を半音を単位として配置したものです。

                                               

長音階は、I (全音) II (全音) III(半音)IV (全音) V (全音) VI (全音) VII(半音)VIII の二度の順序、配置を持ちます。この12半音での7つの音の位置関係、配置を基準として、「起点が異なる音階」がチャーチ・モードです。長音階を基準と考えるなら、この構成音のうちの二音を「省く・とばす」事で「ペンタトニック」となります。また、各音から、一音とばして数えると、3度堆積の和音、三和音、四和音、テンション・コードの構成音となります。

西洋音楽理論では、この長音階の構造が、全ての音階、和音の基準となります。

--*注: 上記のような五度環、四度環、12半音の環などの「環」の図形・象徴は、あくまで和音、音階等の「音程構造」を視覚的に捉え、理解を助けるためのものです。この12角形で表した音階の形が、左右対称・非対称、であるとか、視覚的に均整がとれたものであるか・・・といった審美的(しんびてき:美しいと感じとる、判断する事)な印象は、音階の「響き」とは、全く関係ありません。一本の線を「弦」や「管」に見立てて、その分割によって得られる音程という「図形・象徴」はいわゆる簡略化された「絵」ですから、音程と物理的な「形」の関連性がありますが、多角形による音程構造の「図形・象徴」には「音程」の物理的な根拠は全くありません。

 

もし、音階の音程関係・音程構造を完全に図形で表そうとするなら、音階のルートと7度が二次元(平面)で接することはありえません。「I」の7度上の「VII」と、半音下の「VII」は「同じ音高」になってしまうからです。ドからドへ、オクターブで「階名(音階の音名)」は確かに一周しますが、その「環が閉じる場所」は、当然、オクターブ上の異なる音です。オクターブの関係は、音階にとっても和音にとっても、「同じ音名」として同一性を持つものであり、オクターブの環、「周期性」の性格も音階の性格の一つではありますが、異なる二つの音の関係、三つ以上の音の構造の中では、「音高」のオクターブの位置によってやはり性格が異なります。

 

つまり二次元的・平面的図形は、「階名」の音程関係、特に前後関係・隣接関係・順序と、その結果生ずる各音低同士の「度数」を「オクターブ以内に均した」もので、「音高」を排除した象徴です。仮に、三次元的な螺旋(らせん)状のようなものであっても、「音」の構造を図形に厳密に表わす事は不可能です。二次元であれ、三次元であれ、あくまで図形は図形、象徴は象徴です。

 

さらにいえば、「音が”高い・低い”」という「言葉」にも、物理的な「地面からの高度」は一切関係ありません。音感としての感覚と物理的質感、「重い・軽い音」「硬い柔らかい音」・・・空間的な感覚「高い・低い」「広がりがある、引き締まった」・・・等々、あるいは光や色彩の感覚としての「明るい・暗い」、さらには「情緒・感情」としての「楽しい・悲しい」といった「表現」、つまり「音」と他の物理現象や身体的感覚・情緒的感覚との関係・関連性が成立するのは、人間の「脳」によって関連付けられる象徴的な感覚・意味づけの機能によるものであって、ほとんどの場合広い意味での「教育・学習」によるもの、つまり「文化」として共有されるものです。

 

「重い・軽い」「硬い・柔らかい」・・・等の表現は、振動する物質といくらかは関連するものですが、「高い・低い」「明るい・暗い」等の表現・イメージ・感覚は、「物理的」な質量や数値と厳密には一致せず、また、脳科学的な「感情・情緒」の反応に対応・一致するわけではありません。

 

図形・象徴に限らず、音楽・楽音に用いられる「表現の用語」は、多くの場合「あやふや」なもの、いわゆる後天的なもの、「文化的・人間的」なものです。こういった文化的な何か、「象徴」を成立させているのは、人間という種の脳の構造の同一性であると考えられます。音楽とは人間の脳の産物であり、文化そのものではあるものの、音楽の理論を論じる際に、「物理的な根拠」「数学・算術的・幾何学的な発想・論理」と、「イメージとしての象徴」とが混同されるべきではありません。

 

それでも、こういった図形・象徴は、音程関係・音程構造を視覚的・知覚的に把握する上で便利なものですから、本書でも用いる事にします。--

・ペンタトニックとダイアトニックの関係

ダイアトニックよりも歴史的に古く、また文明の起源の地域を問わず成立していた「最古のオクターブ音階」の一つは、五音階(ペンタトニック)です。ペンタトニックは様々なヴァリエーションを持ちますが、代表的なもの、一般的に「五音階=ペンタトニック」と言う場合、全音と一音半による、メジャー・ペンタトニック I II III V VI (ドレミソラ)を指します。

このメジャー・ペンタトニックの転回、VI I II III V (ラドレミソ)を、マイナー・ペンタトニックと呼び、基本的に、ペンタトニックとは、「I」 からのメジャー・ペンタトニック、「VI」からのマイナー・ペンタトニックの長・短の二つを指します。それぞれ、メジャー・スケール、ナチュラル・マイナーとルートが一致し、これらは、ジャズ・ポピュラー、ロックでも最も多く用いられる五音階です。

半音音程を持たない五音階(五音の音階)を、全音的五音階と呼びます。日本の旋法の音階である、陰旋法「ミファラシレ」や、沖縄地方の琉球音階「ドミファソシ」等は、半音を特徴とする「半音的五音階」に含まれます。また、日本民謡、童謡の中心的な音階、陽旋法は、「レミソラド」 つまりAmペンタトニックのレからの転回(起点の異なるペンタトニック)です。

古代の中国大陸でも、最も原始的な音階の代表は、ペンタトニック(メジャー・ペンタトニック)とその「転回と変形」です。さらに、考古学的な発見による、楽器や、その「絵」の形状から推測されるところでは、古代メソポタミア、古代エジプトでも、五音階のヴァリエーションと、五音階に一音から二音が付加・変形された音階を用いていたとされます。古代メソポタミアは、地理的には現在のイラク、歴史的にはペルシャの大帝国を生んだ文明で、現在の中近東全域に、その文化が受け継がれています。アラビアの音組織は「マカーム(地位・場所・地点という意味)」と呼ばれ、音階の「階」の文字や、「Scale(スケール : 目盛り・定規 ; 段階・階級 ; 規模)」と似た意味合いを持つ言葉です。インドの音組織は「ラーガ」と呼ばれます。「ラーガ」の語源は、「色彩」「感覚」といった意味合いを持つもので、「規則性」を指す、「スケール」や「音階」、「マカーム」とは少々趣き(おもむき:意味・雰囲気)の異なる言葉です。

しかし「マカーム」「ラーガ」に限らず、また五音階・七音階に限らず、そもそも「音階」とは、全ての文化の中で、単に「オクターブ単位の音の横の動きの基準」としての素材ではなく、「ある一定の性格を持つ”旋律”の”方法”」、つまり「旋法」としての意味合いを持ちます。西洋のダイアトニックを素材とした「旋法」の代表が「教会旋法(チャーチ・モード、グレゴリアン・モード)」です。現代人のセンス(感覚・感性)にとっても、特に「五音階とその転回」は、その音階の内容を用いると、「適当に弾いても、何らかの性格的な響きを生じる」ものです。その「五音階を適当に弾く・鳴らす」際に、何らかの「響き性格」や「特定の音への帰結感」を感じる「音感の傾向」が、「旋法」の内側に働いている力学であり、それが「音程構造」であるとも言えるでしょう。

--詳しく後述しますが、「旋法」と「調性音楽のメロディー・フレーズ」とは、全く性質の異なる音感のシステムです。しかし、近代以降の西洋音楽、調性音楽は、メロディー・フレーズの素材として、この「旋法」を取り込んで行きます。「調性に同居した旋法・旋法性」、あるいは「コード進行を伴った旋法」として、例えばスペイン民謡やブルース、演歌等の形態が形成されてゆくわけです。

これらの「調性に同居した旋法・旋法性」は、調性の素材である「ダイアトニック」や「コード・スケール」と決定的に矛盾した構成音を持ちますが、調性のもつコード進行のパターン、「終止」の方向性と、旋法の持つメロディーの「終止」と言える帰着感の方向性とが重なる・重ねられることで、いわば「つじつまがあう」という形で、「形式」として成立する事が可能となります。

こうした「矛盾した構成音同士が、終止の方向性によって共存が可能になった形式」は、これらの民族・民族音楽の成立後、受け皿となった「調性」のシステムそのものに、ある種の「変革」をもたらします。この調性音楽の構造の「変革」の産物、あるいは「変革」そのものが、「ジャズ」であり、「ロック」です。--

マカームの五音階や七音階の多くは、陰旋法や沖縄旋法のような半音の位置関係による特徴を持ち、これが「長短調に二元化された西洋音楽の響きとの明確な違い」の一つでもあります。後述しますが、これらの起源の古い音組織の音階は、西洋の「平均律」を基準とすると、四分の一半音から八分の一半音の「微分音」を持ちます。

インダス文明もメソポタミアの影響を受けつつ、非常に高度な音組織を形成しており、特に相当古い伝統も正確に継承されていると推測されていますが、やはり原始的な五音階とその転回も共有しています。さらに、これは非常に重要な事ですが、基本的に「文字」による文化を形成しなかったアフリカ大陸の民族が持つ音楽様式も、五音階を軸とする音組織を形成しています。

洋の東西を問わず、古くから伝わる素朴な民謡やわらべ歌は、「無伴奏」で歌う事が可能・容易で、多くの場合、ペンタトニックとその転回、ペンタトニックの一部、あるいはペンタトニックに一音、二音が付加された音階をメロディーとします。「ペンタトニックの一部」とは、二音の旋法、三音の旋法による「わらべ歌」や、完全四度から完全五度ほどの音程による旋法として、各大陸、各文明・文化に共有されるものです。あるいは、こういった「狭い音域の旋法」が「接続されたもの」「拡大されたもの」が、「オクターブに達する旋法」であり、その「素材を並べたもの」が「音階」であるとも言えます。

音程の狭い揺らぎ、あるいは動物の鳴き声の模倣や声・言葉の抑揚が「メロディー」の原始的、原初的な形態で、そこから徐々に音程を広げ、「音程」そのものが定着し、二度、三度・・・完全四度から完全五度ほどの音程による「旋法」が成立し、そこからオクターブに達する音階が確立したと仮定して、その”一つの頂点”が、「五音階のヴァリエーション」という音組織であったと推測出来るでしょう。

素朴な民謡やわらべ歌は、その「地方」その「文化」で成長した者にとって、ほとんどの場合、論理的な音使いや、高度な音感と、高度な声帯の操作を必要としません。また、発生・発展した地域が遠く離れた古代文明が、共通する原始的な音階を共有していたという事は、完全音程や五音階とその転回が、人間の音感と声帯を担当する脳神経の回路(脳が神経細胞によって、ある種の「計算」をする手順、構造)に対して、何らかの自然な妥当性、合理性を持っているからであると考えられます。

十万年ほど前に発生したとされる「現生人類」、ホモ・サピエンスは、その誕生の時代から後、骨格や頭蓋骨の容積、つまり脳の体積は現代人とほぼ同一であり、少なくとも「解剖学的」には、そこからなんら「進化」しているわけではありませんから、「原始時代・先史時代」の人類も、文字・記号・数字や機械的な道具等の文化的・社会的な「技術」を持たなかっただけで、「知的活動」を含めた「ヒト」としての「資質」や「能力」が現代の我々と全く異なったものだったとはいえません。なので、「過去の文化」や「原始的・原初的な文化」が、今より「劣ったもの」であるとか、文化的な質そのものが、時代を経る毎に「進化」するという「文化観・進化観」は、必ずしも科学的ではありません。これは音楽についても同様で、「原初的」「素朴」である事、必ずしも「技巧的・論理的ではない」ということだけで、「過去の音楽」や「前時代・前々時代の音楽」、あるいは「西洋の音組織以外の音楽」の内容が、薄いとか劣っているとは決していえません。現存する民謡や民族・民俗音楽の原型、あるいはその資料は、「文字・記号」等の成立した年代、つまり現生人類が文明を得た時代以降のものですから、どれも相当に「高度」な内容を持つものである事は確かです。

弦や管を「等分割することで完全音程、あるいは協和音程が得られる」、弦や管の「長さの比によって、協和音程、不協和音程が決まる」といった、「物体」と「音」という全く異なった何物かを関連付けるロジックを、人間が「持ち得た・持ち得る」事、また、多くの場合、そういった計算とある種の技術で得られた「音高」に関して、それぞれの受け手が、「共通する印象を持ち得る」と言う事も、さらに、そういった音響物理的な事柄を「全く知らなくても」「全く意識」しなくても、例えば、オクターブはオクターブとして認知されるという事も、人間という種の脳の構造の共通性によるものでしょう。

さらに、音高、音程、音律、あるいは、協和不協和といった音組織の原理は、様々な地域と時代、あるいは異なった文化との「交流・合流」の中で、「習慣」として、「試行錯誤」として、「方法論」として成立し、発展し保たれ、あるいは廃れ、忘れ去られ、さらには再発見・再解釈されて来たものであり、言語や思想・概念のように「文化」、生の様式としての性格を帯びるものです。これを、単に倍音、倍音列、共鳴・・・等々の物理現象によって理論的に統一する事は不可能です。

厳密な意味では、全ての文化・民族音楽に「共有された」音響現象としての原理は、突き詰めてみると「オクターブだけ」になります。西洋音楽のもつ「数のロジック」と、倍音・倍音列・共鳴・合成音等々の「数で表される音響現象」は、その対応関係を理解する事が容易なのですが、西洋音楽自体も、必ずしも、近世以降に「測定・計算」が可能となった「数のロジック」の方法論・原理、つまり「計算や方程式」によって自らの音組織を構成してきたというわけではありません。

西洋音楽の音律、あるいは西洋音楽によって育った音感によって、種々の民族音楽を捉えると、どうしても平均律やダイアトニックによる協和・不協和を「基準」としてしまうものですが、平均律も調性も、ヨーロッパの民族音楽のロジックであって、当然の事ながら、他の民族音楽を論理化する「基準」「基礎」となり得るものではありません。

さらにいえば、「西洋音楽」そのものも、様々な文化、「音感の習慣」の合流と淘汰の結果によるものでり、音楽に限らず「純粋に西洋的なもの・純粋に東洋的なもの」、あるいはそれらの「音感の習慣の”起源”」という問題・定義は非常に困難な、あるいは「決定的な理論化」が不可能なものです。「録音」によって残された資料は当然の事ながら、「楽譜や文献」によって残された資料にも、さかのぼる事が可能な年代に限界があるからです。


--*欄外注釈:

・古代からの音楽理論と「音律」

西洋音楽の音階と和音の「理論」の原型は、紀元前500年代に、ピュタゴラスらの哲学者によって、同じ張力の弦の長さの「比」と、弦の長さの分割による音程の変化、音の重なりが生じさせる響きの関係から、「哲学」の一部として、現代で言うところの「自然科学」、「数学・幾何学」の一環として研究、分析され、試行されたものです。例えば、「ピュタゴラス音律」とは、「弦」を用いて完全五度を繰り返すことで12半音を確定する「音律(音程の規定)」です。この時代に、既に12半音とその音程による協和・不協和の基本的な概念が成立し、論述されていました。同じ音律「十二律」は、「管」を使った別の方法で、古代の中国(紀元前300年代頃)にも成立しています。

音律とは、平均律(オクターブを12等分した振動比による半音の音律)や、純正律(完全協和音程と不完全協和音程を、整数の比で設定する音律)など、音階と和音の音高を規定するものです。「音」そのものが、振動の「数」によって変化が認識される「物理現象」でもありますから、音の物理的学的、数学的な側面を、「数」のロジックで研究するのが、近代以降の音響物理学です。

古代から、音楽は、数学的、算術的なアプローチ(方法論)によって、音律に限らず、「音楽の仕組み」(理論)が試行錯誤されてきた一面を持ちます。また、数学・算術は、多くの文化で、「世界観」に関わるもの、宗教性や神秘性、魔術・・・の一面を持っていましたから、例えば、西洋では、天文学・占星術と音楽理論、キリスト教神学と音楽理論が関連付けて考えられていた時代もあります。こういった、いわば「文明・文化」としての音楽は、多くの面で、「方法論」や、道具を含めた「技術」によって、その時代、その地域の音楽理論と音楽形態の習慣を構成します。

しかし、数学的な計算によって「確定」される、あるいは「技術化」されたのは、協和・不協和の内容と、音階のそれぞれの音程を定める、「音律」であって、当然の事ながら、原始的・原初的な音階そのもの、あるいは音楽そのものも、「音感」も、「計算」によって「”発明・開発”」されたものではありません。ピュタゴラス音律や古代中国の「十二律」とは、12半音という音階、協和音の「素材・単位」を整理し理論化、技術化したものです。

特に「音律」とは、合奏や楽器のチューニングの技術的な共有のために音高を定めるという方法論に属するものです。基本的な音階、原始的な音階が「音感」によって先に習慣化し、その音高と音程を厳格に定める基準として音律が用いられるという事です。西洋の「平均律」は、その前段階の音律を含めて、「全てのダイアトニック和音を濁りを最小限に響かせる」為の音律で、これが可能にした「調性」の発展、転調の発展は、前述の「文化=時代・地域における、習慣と方法論」としての音楽に非常に大きく貢献している事は事実です。しかし、平均律は、あくまで、個々の音の音程を演奏中に微調整出来ない「鍵盤楽器」の「調律(チューニング)」のための技術的な音律であって、これによって「転調」が「発明」されたわけではありません。むしろ、鍵盤楽器で全ての調での演奏を「可能にする」ための必要に応えたのが「平均律」です。

以下は、基音(音律の基準となる音)を「1」とした場合の純正律、ピュタゴラス音律のオクターブ以内の音程です。これらの音律は、そもそも、それを導き出すための方法・計算が異なるため、2度と5度・8度以外の音程に大きな食い違いが生じます。

 純正律

2度 9/8=1.125

3度 5/4=1.250

4度 4/3=1.333....

5度 3/2=1.5

6度 5/3=1.666

7度 15/8=1.875

 ピュタゴラス音律

2度 1.125

3度 1.265625

4度 1.35152....

5度 1.5   

6度 1.6875

7度 1.8984375

純正律は基音の長調の主要三和音 ドミソ 4:5:6 ; ドファラ 3:4:5 レソシ 3:4:5、と分数の分母がそれぞれ偶数、奇数で共通する音は、振動数が公約数を持つので、整数の比となり、完全に調和します(これを協和が”純正”であると呼びます)。こうして長三度が4:5、短三度が5:6として純正な三度の響きが導き出されるわけですが、純正律によって確定された他のダイアトニック和音、特にレファラの短三和音は、9/8 : 4/3 : 5/3 公約数を持たず、非常に複雑な振動数の比を持つため、実用が不可能なほどの不協和、うねり・濁りを生じます。

ピュタゴラス音律は、基準となる音から、完全五度、同じテンションの弦長の2:3の分割で、ド ソ レ ラ ミ シ・・・の五度環を一周することで、12「半音」というより、「完全五度音程の12音」を設定し、これを各々オクターブ下げ、音階の形に均すものです。ドの五度ソ → ソのオクターブ下げの五度レ、レの五度ラ・・・といった方法です。 

完全五度は1.5倍の振動数になりますが、1(ド)x1.5(ソ) x1.5(レ) x1.5(ラ) x1.5(ミ)・・・ 1.5倍を12回繰り返すと、1.5(ソ)x1.5=2.25(レ) x1.5=3.375(ラ) x1.5=5.0625(ミ) x1.5=7.59375(シ) ・・・と、小数点以下がどんどん広がります。つまり、ドにとっての完全五度、あるいは五度環の「隣同士の音」は完全音程で協和しますが、例えば、ド ミの長三度の音程は 「ドから完全五度を四回繰り返した音」であって、4 : 5.0625 になり、純正な協和4:5になりません。

ピュタゴラス音律は、ペンタトニック等の単純な音程・旋律に用いる際、非常に明快で力強い音程感を与えます。上記の表で見るように、長三度、長六度、長七度の長音程は、純正律より「高い」わけで、長調、長三度・長六度を持つ旋法において、強い自己主張をします。また、長七度も「導音」として、純正律より「八度に近く・接近する」ことで、強い進行感をもたらします。対して純正律は、基音の主要三和音において完全に協和し、やはり美しく整った響きを生みます。しかし、両者の音律は同居し得ず、ピュタゴラス音律は、その構成音によって和音・和声には対応できず、純正律は極々限られた調、部分的調性にしか対応できません。一般的に「ピュタゴラス音律」は「旋律的な音律」、「純正律」は「和声的な音律」と呼ばれます。

平均律とは、オクターブを12等分する事で、全ての音程を「半音の数」として平均化し、不協和を最小限にすることで、全ての調での演奏を可能にする、計算による音律です。結果的に平均律では、8度以外は完全には協和しません。

 純正律

2度 9/8=1.125

3度 5/4=1.250

4度 4/3=1.333....

5度 3/2=1.5

6度 5/3=1.666

7度 15/8=1.875

 平均律

2度 1.122

3度 1.260

4度 1.335

5度 1.498

6度 1.682

7度 1.888

 ピュタゴラス音律

2度 1.125

3度 1.265625

4度 1.35152....

5度 1.5    

6度 1.6875

7度 1.8984375

三つの音律を比較すると、平均律が、純正律、ピュタゴラス音律の「中間的」な音律であることがわかるでしょう。平均律の完全五度は、純正な五度の近似値で、ごくわずかなうねりを生じます。長3度はピュタゴラス音律に近く、つまり純正の長三度より高く、長6度もピュタゴラス音律寄りの少し高めの音程です。2度は純正律・ピュタゴラス音律に比べて若干低い音程であり、導音となる長7度は、純正律・ピュタゴラス音律の中間的音程で、やはり純正律より高めの音程となります。完全四度は完全5度の転回ですが、これも純正律とピュタゴラス音律の中間的な値です。

ちなみに、バッハの平均律鍵盤曲集=”Das wohltemperierte Klavier (ダス ヴォールテンペリールテ クラフィール)”の Wohltemperierte とは、「良好に調弦された」という意味で、いわゆる「平均律」の事ではありません。平均律の「計算」による技術化の前段階として、様々な「12半音の”純正ではない音程” を ”ずらす事で分散させる=散らす”音律」が用いられていました。

こういった「平均律以前・以外」の鍵盤楽器の音律を「古典音律」と呼びます。完全な平均律では、どの調も「音程構造」はそのままに、「音高」が異なるだけで、調による響きの微妙な濁りと、逆に、その調でしか完全に協和しない音程による個性を持ちません。ギターの場合、楽器の物理的な構造による音色の違いだけでなく、ハーモニクスによって調弦される場合、開放弦による「部分的な純正律」を基本とするため、調の違いは、鍵盤楽器より強い個性を持ちます。ギターに限らない弦楽器、管楽器の「音律」は、必ずしも平均律によるわけではありません。弦・管楽器の場合、物理的な「弦・管の長さ」による「倍音」によって音程・音律とその基準を得るわけで、単旋律楽器であっても、その音程は「純正」に近いものとなります。「楽器そのもの」が「音律的な構造」を形成する「原理・機能」を備えているという事です。

なので、近世から近代にかけて、音律は主に「鍵盤楽器」の各音程のための技術を中心として発達し、実用されて来ました。近代後半までの西洋音楽は、「平均律」を一つの中心軸としつつ、実質的には種々の「古典音律」を実用していたと考えて良いでしょう。古典音律は、鍵盤楽器に現在も一部で使用されていますし、ピアノもオルガンも、ほとんどの場合、全ての音を「純粋な平均律」に調律される事はありません。低い音をより低く、高い音をより高く、微妙な調律をすることで、「調律カーブ」を与える事が普通です。

つまり、現代「実用されている平均律」とは、ある意味ではいくらかの曖昧さをもった「数学的に純粋とも呼べない平均律」であり、その点では「古典音律」とそれほど遠い性格のものではありません。現代、特に1960年代以降に、「古典音律」が音楽学で注目され、ある種「復興・流行」することで、「平均律は”劣った音律である”」かのような誤解・印象が生じ、これも「流行」しましたが、平均律が「妥協」としての性格、「折衷的性格(せっちゅう:それぞれの良いところをとる事)」を持っているとしても、特に西洋音楽の「旋律と和声」両面に対して「有効」で「実用的」な音律であることは間違いありません。万能な音律が存在しないからこそ、「古典音律」が必要とされ、結果的に技術的・実用的な「平均律」が定着したからです。

以上、少々ややこしい、「算数」的な事柄ですが、「音律」とは、「”音感”を外部に技術的に固定化したもの」であり、いくつかの異なる目的と方法を持つ音律同士が、「互いに近似値」であるという事、「完全な音律・統一的な音律」も、「音律を確定させる万能のロジック」も「存在しない」という事だけ理解しておいて下さい。

・音感の習慣と民族文化の合流

さらに時代をさかのぼった、音階という「人間の音感の”一つの傾向”」、あるいは「歌」を起源とする原始的な音階も、必ずしも計算によるもの、技術的なものとはいえません。

例えば、最初の人類の誕生はアフリカ大陸であるとされますが、この最古の人類の直系の子孫であろうアフリカ大陸の多数の部族が、掛け算や割り算の概念を持たない文化の中で、「五音階」、さらに「七音階」もしくはそれに類似する音階を持ち、文字や散文によるロジックのない文化の中でそれを保ち、さらに、非常に高度に発展させています。--「アフリカの音楽」というと、「アフリカ系アメリカ人の祖先」=「ブルースやゴスペルの祖先」のような印象を持ちますが、アフリカの民族音楽のヴァリエーションは非常に広く、(特にリズムのヴァリエーションは凄まじく広く)技巧的にも複雑で、「アメリカの近現代の民謡、民俗音楽」としてのパターン化されたブルース等とは、かなり異質なものです。--

アフリカ大陸の北部は、特に「中世」に世界的に優位な勢力を持った、あるいは当時の西洋よりはるかに高度な文化を誇った、イスラム圏の帝国から侵略・支配を受け、音楽にも当時のイスラム文化の影響が強いものです。こういったイスラム文化との合流を経たアフリカ文化を「アフロ・イスラーム様式」あるいは「アフロ・アラビア様式」と呼び、異なった文明・文化との交流が認められないアフリカ文化を、「純アフロ様式」と呼びます。

「アフロ・アラビア様式」の音楽文化・音感の習慣は、特に使用される楽器や、旋法・リズムのロジカルな性格にアラビア文化の強い影響が認められるものですが、必ずしも「純アフロ様式」が、単純・原始的というわけでもありません。「文明・文化」とは、「文字・数字」の成立に代表されるように、「記号化・論理化・組織化」によって、様々な事柄が、ある意味では「単純化」される事で、理解伝達を可能とするものです。特に音楽の場合、「数のロジック」で「単純化された音組織」とは、整数・数式では数値化・論理化できない音、あるいは「十二半音以外の音」を、ある意味で「切り捨てる」こと成立しているわけです。これは、特に「西洋の調性音楽」に言えることですが、「理論・論理」として把握できる「音楽」とは、ある意味では「共有が容易な様式まで単純化されたもの」であることは、常に意識されるべきでしょう。

「純アフロ様式」の音楽には、西洋音楽の相当な教育と訓練を受けた者でも、到底「さばききれない」、「記譜することすら難しい」、しかしロジカルで整然としたポリリズムや、非常に複雑で激しい旋法、いわば「超絶技巧」に属するものも多く、ごく初期の「アフロ・アラビア様式」が形成される際にも、アフリカ人だけがアラブの影響を受けたというわけではなく、アフリカを訪れたアラビア系の民族も、やはりアフリカ様式に圧倒され、強烈な影響を受けたことは想像に難くありません。

また、アラビア様式、つまりメソポタミア文明系の音組織・音楽習慣と他の文化の音組織の合流は、非常に複雑な、「家系図」的な構造を形成します。例えば、「ヨーロッパ・アラビア様式」もしくは、インドからの流浪民であるいわゆるジプシーが15世紀ごろにスペイン地方に定着したことで三者が合流して形成された、「ヨーロッパ・アラビア・ジプシー様式」と言える「スペイン民謡」と、アフロ・アラビア様式、純アフロ様式とが近代の「アメリカ大陸」でさらに合流した、「アフロ・アメリカ様式」の民謡、民族音楽には、歌唱の方法、音程の揺れ、微分音、旋法の傾向・・・等々に、それぞれ見逃せない共通点があります。音律・音階について言うなら、「純アフロ様式」も、前述のアラビアの音組織の「マカーム」も、多くの微分音(びぶんおん : 二分の一半音、四分の一半音・・・)、「ブルー・ノート」とも言える中間的な音程を含みます。「純アフロ様式」の微分音は揺らぎのある中間的な音程ですが、「マカーム」は、それをある程度ロジカルに確定させています。

本書は「民族音楽学」を展開するものではなく、「ジャズ・ポピュラーの音楽様式」を、「西洋クラシックの伝統の音楽理論」によって整理するものですが、こういった、より広い意味での「音楽史」、つまり人類規模の「音楽史」は非常に興味深く、示唆に富むものです。参考文献を巻末に示します。

また、「旋法」や「調性によらない音組織」、特に「アフロ・アラビア、純アフロ形式の”調性への同居”」としてのブルース形式は、ジャズに限らず、現代以降の西洋音楽に非常に重要な要素です。さらに、意図的・論理的な「旋法、複旋法・多旋法」は、ジャズ・ポピュラーの音楽習慣の形成の、いわば「末期の始まり」、発展の到達点に現れた形式でもあります。

この「旋法」と「調性によらない音組織」の論理化・組織化は、第三巻の内容としますが、その方法論に、この「民族音楽学」が示す、「それぞれの時代の実作」としての資料とその分析は欠かせない要素となります。

「民族音楽学」は、典型的な「”現代”の音楽理論」の一つです。いわゆる「文化人類学・比較文化学」という人文科学が、現代に確立したことで可能となった方法論だからです。近代に確立した「西洋音楽の理論」の「限界」とは、その組織化の対象が「近代の前時代までの西洋音楽」に限定されている事、当時の西洋の合理主義、自然科学の前段階である「自然哲学」にその論理的・科学的根拠を置くという点です。つまり、「絶対的な基準」といったものが、また、「論理立て・組織立ての根拠」が、「近代までの西洋の文化や思想・思考の習慣」に置かれるわけです。現代の人文科学は、どの文化も「相対的(絶対的の反語)」に扱います。「民族音楽学」あるいは「比較文化」の手法は、そういう意味で「西洋の近代の限界」を超えたものですから、様々な民族音楽、民俗音楽の合流である現代の「ポピュラー音楽」の理論を展開する際に、欠かしてはならない軸となります。

・微分音と”揺らぎの音律”

前述の通り、仮に平均律の12半音を「基準」とすると、ほとんどの「文化」としての民族音楽 --成立の時代的には「古典」には属するものでも、古代から考えると、かなり新しい時代の音楽、つまりその地方の、文化様式が直接音楽の内容にまで影響を与えて形成された音楽。-- は、「微分音」を持ちます。

しかし、それらの微分音は、その民族音楽にとっては、必ずしもオクターブの24等分、48等分、あるいは、純正律等の「弦や管の長さの”比”」という、外部的な「計算」の技術によって導き出されたものではなく、自然な「節回し(歌い方の音程の揺らぎ)」が高度に方法化されたもの、あるいは習慣化されたものであるという場合がほとんどです。前述のアラビアのマカームの場合、五音階・七音階の特定の音程が微分音を持ちます。また、インドの場合、1オクターブを、22の「シュルティ」という単位に分割します。しかし、シュルティはオクターブの等分割ではありません。また、倍音列にも依存しません。旋律的な音律と協和的な音律が混在し、揺らぎを持った高度に音感的な単位です。そもそも「シュルティ」とは「聴く」という意味の言葉です。この場合、軸となる音階(主に五音階・七音階)に対して、「旋法(メロディー・フレーズの規則)」としての「ラーガ」に使用される・付加される音全体を含めて音階として扱われます。

ジャズ・ポピュラーの音楽で用いられる、平均律と異なる、あるいは特に「古典的な調性の音組織」と異なる音階・旋法の構成音の代表は「ブルー・ノート」です。一般的に、ポピュラー音楽の理論では、「ブルー・ノート」は、長調での短3度、減5度、短7度、短調での減5度を指します。しかし、「民族音楽学」での「純アフロ様式」「アフロ・アラビア様式」の音楽に現れる「ブルー・ノート」とは、短6度、さらに「短6度と短7度の間」の音も含みます。

これらの「ブルー・ノート」は、「短3度」「減5度」の場合でも、厳密には「短3度と長3度の間」、「完全5度と減5度の間」の音であり、この「間の音」とは、やはり「十二半音を基準とした微分音」つまり「二分の一半音・四分の一半音・・・」とも確定できない、「揺らぎ」を持ちます。つまり、旋法、メロディーのパターンによって、「長音程・完全音程”寄り”」であったり、「短音程・減音程”寄り”」であったりするわけです。本書でいう「ブルー・ノート」とは、「西洋音楽の中でのブルー・ノート」であり、「十二半音、平均律に”あてはめられた”ブルー・ノート」であることを明記しておきます。

さらに、「ブルー・ノート」の特に「短7度」は、「ミクソリディアの旋法」に類似する、ヨーロッパ、特にイギリスの古い民謡にも見られるもので、必ずしも「アフロ・アメリカ様式」つまり「ブルース等の近代の民俗・民族音楽」にのみ起源を求める事も出来ません。「ミクソリディアの旋法に”類似する”」というのは、やはりこの「ブルー・ノートの7度」が、揺らぎを持つ音程だからです。

・等分割音階

東南アジア、例えばタイでは、オクターブを「7等分割」する音階を用います。この場合は、「7」、素数による等分割という、例外的とも言える、非常に意図的な音律ですが、必ずしも数学的な意図によるものではなく、木琴やゴング(鐘:かね)、「音程を伴った”打楽器”」を中心として用いる「器楽」の音楽習慣から成立・定着した音律であると言われています。木琴やゴングは、調律するには、削るか、金属の場合叩いて延ばすかしかありません。細かい調律や、演奏時の微妙な音程操作が困難な楽器です。そこで、等分割の音程が、西洋の鍵盤楽器が平均律を、響きの技術的な平均化のために用いたのと同じような原理で用いられ、独特の「旋法」と「旋法による合奏形式」を発展させたものと考えられています。タイの「等分割7音階」は、平均的な性格の強いものですが、他の東南アジアの地域では、「数学的等分割ではないが、オクターブ分割的な5音階」も用いられます。やはりこれらも旋法の素材です。また、時代が進むにしたがって、これらの等分割音階に、他の「半音的五音階」も加えられ、アジア的な長短の五音階の組み合わせ--例えば、メジャー・ペンタトニックに類似する音階と陰旋法的な音階等--によって組織化されます。

こういった、音程を伴った”打楽器”による調律法と合奏形式は、元々はインド地方に発生したものと考えられており、インドでも、中世から勢力を拡大したヒンドゥー教の文化の中で、非常に複雑なリズム(ポリリズム)を伴った合奏形式の旋法として、独自の発展を遂げています。

この「オクターブ七等分音階」の音階・音律の「音程」は「二度」が半音より広く、全音より狭い音程(半音を12÷12=1として、12÷7=1.714・・・)で、約半音1.7個分、「三度」の音程が3.428・・・約半音3.4個分、つまり短三度と長三度の間、「四度」の音程が、5.142・・・半音約五つ分として四度、「五度」の音程が、8.571・・・半音約8.5個分、つまり短六度と長六度の間、「六度」の音程が、10.285・・・、半音約10.3個分、つまり短7度より三分の一半音高い音程となります。7等分の音階では、これ以外の音程関係はなく、短7度の近似値による不協和音程以外に、明確に「短音程」あるいは「短三度・短六度」としてマイナーを感じさせる音程をもちません。かといって、明確に「長調」を感じさせる音程も無いわけで、明るい・暗いといった二元的な調性からは判断できない、素朴で、どちらかと言えば楽天的な響きでありながら、浮遊した音程感から、「神秘性」すら感じさせます。

等分割された音階とは、逆に言えば音程の進行に偏りが無く、「全ての音が平等である」という事です。この事から、どの音をトニックとする旋法も、平等に響き、合奏の際にも移調(的)はトニックを「ずらす」だけで可能で、合奏の際の音程の重なりも平均的でヴァリエーションが限られます。また、音程のヴァリエーションが少ない分、リズムのヴァリエーションが追求される傾向にあります。

12半音に可能な等分割音程は、12の約数として、12等分(半音階)、2等分(トライトーン)、3等分(ディミニッシュ7th)、4等分(7th+5)、6等分(ホールトーン・スケール)の五つだけです。つまり、それ以外のオクターブ等分割、あるいは五音階、七音階に付加される揺らぎの音律の音組織は、12等分の平均律、もしくは、半音を最小単位とする西洋の音組織では、さらに微分音を用いれば可能ではあっても、あくまで「近似値」的にしか演奏出来ませんし、これらの非西洋の音組織を、西洋の音組織で理論として厳密に組織化することも不可能です。

・言語的・イントネーション的音感

タイや東南アジアでのオクターブ等分割の音律とそれを用いた音楽は、時代的には「文化」としての音楽であり、インドに始まり、東南アジアを中心に発達した、仏教的な思想、世界観とも深く関わるものでしょう。特に、前述の木琴やゴングは、「仏教音楽」の主要な楽器であり、日本に渡来した仏教でも、木魚(もくぎょ:お経にあわせて、四拍子を刻む打楽器)や、鐘が用いられます。いわゆる「お経」とは、単音か、狭い音程の揺らぎのメロディー、つまり、単独の打楽器を模倣する「メロディー」と、ある種の「ビート」による「宗教音楽」です。

ちなみに、「鐘」の使用や、ワン・ノート(変化しない音程)による、歌と「話」の中間、「唱える(となえる)」形の「宗教音楽」は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の歴史的、原始的な儀式音楽の中心でもあります。一般的に、「会話」や「言葉」は、抑揚(イントネーション)として音程の変化を伴うものですから、「一音で音程を変化させない」という事は、「自然」な事ではありません。つまり、音程を「変えない」という意図的な操作を伴うものです。この事から、ワン・ノートの音楽は、原始的な音階よりも「後」に成立したものと推測できます。例えば、前述の「純アフロ様式」に見られる「メロディー」の性格は、「言語の抑揚」と非常に密接に結びついたものです。単語や文脈・語法が、「イントネーションとしてのメロディックな抑揚と、音数的なリズム」を持つことから、いわゆる「トーキング・ドラム」アフリカでの「太鼓での通信・会話」が成立したわけです。

キリスト教の儀式形式の場合、調性が成立した後の時代から、このワン・ノートのメロディーの結尾に対して、パイプ・オルガンによる持続音のサブ・ドミナント終止、もしくはサブ・ドミナント・マイナー終止、俗に言う「アーメン終止」を「伴奏のコード進行」として用います。この「アーメン」とは、「確かにそのとおりである」という「同意」を示す言葉で、儀式を司る(つかさどる)祭司が、宗教的な文言をワン・ノートで「唱え」てから、儀式に参加する会衆が、「アーメン」を、やはりワン・ノートで「合唱」します。--後述する「教会旋法(チャーチ・モード)」の作品群の代表である「グレゴリオ聖歌」が成立するのは、8〜9世紀です。この場合は基本的に単旋律の「音階」による旋法です。--

現代で、このワン・ノート、もしくは言葉の抑揚の狭い音程の意図的なメロディー(イントネーション)が打楽器的なパルスを伴った、「語り」を主体とするビート音楽の要素が最も強いものは、「ラップ」でしょう。”宗教音楽”に対しての”民俗音楽”としてのワン・ノート、「語り」傾向のビート主体の音楽は、様々な文化圏に見られるものです。

例えば、日本には、古くから、「囃子詞(はやし ことば)」「合いの手(間の手 あいのて とも書く。この場合、歌の展開にあわせて入れられる、手拍子や太鼓、かけ声。)」と呼ばれる、歌に挿入される「セリフ」的な「語り」のリズムがあります。この「囃子詞」と、やはり、リズム感を持つ語りの「芸」としての「講談(こうだん: 落語や、物語の”語り聞かせ”」の融合から、近代には、「オッペケペー節(おっぺけぺー ぶし)」等の、反体制的、風刺的な「語り」傾向のビート主体の音楽が生まれています。いわば「明治期の日本のラップ」です。ちなみに、「オッペケペー」とは、ジャズで言えば「スキャット」、つまり、特に意味の無い、言葉・音のメロディーで、当時の一般的な「囃子詞」であったようです。おそらく、「オッペケペー」の、「オッ」は、母音によるかけ声的な音であり、「ペケペー」は、三味線などの弦の音の擬音(ぎおん: 音色やリズムを言葉で表す音:おん)の「ペケペケ」、「ペケペン」の変形でしょう。--

・調性の音感と民族音楽の合流

ところが、興味深いことに、こういった非西洋の音律、音感で育ったはずの人々が、我々日本人も含め、西洋の音組織とビート感・ビート観を「輸入」すると、あるいはその影響を強く受けると、平均律の西洋楽器と、西洋音楽が言う所の「ペンタトニック」とその転回を抵抗無く用いて、「非西洋的、現代の”民族・民俗”音楽」例えば、「ブルース」、「演歌」や「音頭」、インドや中国大陸の旧西洋植民地や台湾、東南アジアのポップス等・・・を自国の文化の中に形成します。

これは、12半音というオクターブの分割が、2、3、4、6の約数を持ち、各音が完全5度の相互関係を持つ「便利」な音律であること、ダイアトニックが、ほとんどのペンタトニックの転回のヴァリエーションの「近似値」を含む事、また、西洋音楽の持つ、音程、重音、拍子、パルスの概念や、音高・・・それらを、「数」と記号によって、五線による記譜で理解を共有する事が容易であるという「論理的・合理的」な性格、さらに、調性という強力な響きの力学に、「非西洋の民族・民俗」音楽が一部「吸収」されるという現象と言えます。

--西洋以外の文化も、古くから文字的・記号的表現として、「文章」と同じように「発音の内容と順序」を表す「記譜法」を持っていますが、「五線による記譜法」は、「拍子」と「音価(音の長さ)」が表現出来る、「定量記譜法」と呼ばれるシステムです。また、五線の平行線の構造は、「重音」や「和音」、「異なった・独立した旋律」をも表現可能で、さらに、「調号」が示され、転調に対しても明確・簡潔な指定が可能である等、非常に合理的な「構造」を持っています。こういった「音楽内容を書き記す」という行為や構造自体が、音楽内容とその可能性に及ぼす影響も無視できません。--

日本の場合は、明治期に西洋音楽の輸入が、「政策」として、「学術」として、あるいは文化的流行として行われた背景もあり、後にこれらが編纂された、いわゆる「文部省唱歌」的な、「日本音階+アルファのメロディーに、西洋の和声」といった形が、クラシックの「古典期までの和声法」の方法論によって形成されました。つまり、印象派の時期の、「旋法の構成音を中心とした、旋法のための和声」という方法論はとられていません。非常に美しいメロディーを持つ楽曲が、この時期に多く生まれていますが、和声の点では、「西洋古典の和声に、日本旋法のメロディー」という、少々「ちぐはぐ」した響きを特徴とします。

しかし、近世から近代の非西洋の文化圏、特に東アジアにおいて、古来からの自国の音組織を高度な「理論」として自覚し、継承し、異文化としての「西洋の音組織」を「理解」し、その論理化と流通・共有を可能とし、さらに「融合・融和的」「自覚的」に独自の発展を果たしたのは、当時のこの地域で唯一の独立国・文明国であった日本だけです。もちろん、これは「音楽」に限らない事であり、西洋のロジック・合理・技術に対応し、自国の文化に吸収するだけの、「知的な・文化的な下地」が当時までの日本にあったということです。いわゆる「文明開化」の時代、いくらか西洋文化への傾倒に過ぎる面があったとしても、東アジアに限らず、非西洋の文化圏で唯一、日本だけが政治・軍事・経済・教育・学術・・・の「近代化」を成功させ、現代「先進国」となることを可能とさせたのは、日本人の「論理・合理」や「技術」に対する知的風土・伝統、その質の高さによるものでしょう。

これらの「ペンタトニックのメロディーと、機能和音の進行」という点では、メジャー・マイナーのペンタトニックの楽曲の場合、アメリカ民謡等との共通性を持ちます。しかし、「文部省唱歌」、あるいは「軍歌」等は、「体制的・政治的音楽」あるいは「教育音楽」であり、いわゆる「民族音楽」ではなく、ある種制度的、あるいは文化の流行による、「異文化の影響を強く受けた民俗音楽」、もしくは、「西洋音楽の”教育”を受けた、最初期の作曲家群の作品形態」という性格を帯びます。いずれにせよ、明らかに「日本的」でありながら、日本古来の音楽とは遠く離れた構造、響きを持っています。

なんらかの「西洋」の影響を受けた「非西洋的、現代の”民族・民俗”音楽」では、微分音・非平均律・非純正律の表現は、ブルー・ノートのように、調性、あるいは変形された調性(ブルースで言えば、主要三和音全てのドミナント7th化)の中に同居するものの、色合いは薄くなり、単純なペンタトニックとその転回を素材とする音楽へ、リズムを含めたスタイルを一度「シンプル」に定着させてから、ヴァリエーションを形成して行く傾向にあります。これは、「調性」に吸収された民族音楽の音組織の、あるいは「原始的なペンタトニック」への「先祖がえり」的な性格であると言えるかもしれません。

「非西洋と西洋音楽」に限らない、「異なった系統の音感の合流」は、西洋音楽の長い歴史の中でも繰り返されてきた事柄です。「宗教音楽・宮廷音楽」と「世俗音楽」との合流です。「アフロ・アメリカン様式」の一つである、「アフロ・アメリカ系のキリスト教音楽」「黒人霊歌」や「ゴスペル」と称される音楽様式は、宗教改革以後の「教会音楽」が、会衆のための「聖歌」として、民謡や当時の流行歌の「メロディー」を用いたという構造によって成立したものです。「ゴスペル」が、ブルースとは異なった、「調性と民族音楽の融合」、特に「西洋の調性”寄り”」の構造の基となったのは、「教会の楽器」であった「オルガン」という、徹底して平均律的な楽器を「伴奏の和音・和声」として用いた習慣によるものと推測されます。

この「ゴスペル」と「オルガン」の関係、また、「語り・イントネーション」としての音楽の関係は、特に「アフロ・アメリカン様式のキリスト教の”礼拝儀式”」での形式とも関係してきます。

礼拝の指揮者(牧師・説教者)が、「単音、あるいは同一の和音」を鳴らし続ける、「オルガンの持続音」の上で、イントネーション的なメロディーを展開し、「会衆」がそれに決まったメロディーや「単純なコード進行を伴ったメロディー」で「応える」という構造、いわゆる「コール・アンド・レスポンス」の形式は、ブルースの形式と相互的な影響、つまり共通点が見られるもので、また、特に「アフロ・アメリカン様式」に特徴的な、「ワン・コードの音楽」の原型となったと考えられています。「ワン・ノート」の音楽が、「ワン・コード」の音楽に発展した構造、さらに、「モード・ジャズ」に与えた影響も見逃せません。

当然の事ながら、中世以後の「西洋」も、ゲルマン民族の大移動に始まった「異文化」の合流と集合であり、また、古くは古代のアレクサンドロス大王の遠征や、シルクロード(中国大陸の文化と古代ローマの文化圏の貿易と文化交流)によってアジアの影響を受けています。さらに、その後の特にイスラム圏の影響を、相互の「侵略」も含め、様々な形で受けていますから、特にスペインの音楽等は、ひとくちで「西洋音楽」とは呼べない性格を持ちます。スペイン民謡の場合、非常に長い期間を経て移動してきた、インドからの流浪民であるジプシーの影響が色濃いのは前述の通りです。

また、中世末期までの世界では、「自然科学」「高等数学」等が発達していたのはむしろイスラム圏とインドであり、特に西洋の算術の分野で「算用数字(筆算に用いる数字)」が、「ローマ数字 (I.II.III.IV・・・)」から「インド・アラビア数字 (0.1.2.3・・・)」に取って代わるのは、ようやく15世紀に至ってからです。この時代から「西洋数学」は飛躍的に発展します。つまり、西洋音楽の特質である「数のロジック」も、元をたどれば、「ギリシア・ローマ」の伝統と、「インド・アラビア」の伝統との融合という性格も持ちます。

西洋音楽も、近世以後、ロマン派の時代から、「西洋の中の」「西洋の外の」非西洋音楽の要素を、また、「西洋の地方音楽」の要素を、バロックからの伝統の西洋音楽の中に、積極的に受け入れています。アメリカ大陸に発生した、「ジャズ」も、ブルースやフォークの影響を強く受けた「ロック」も、そういった要素が強いものでしょう。

音階の起源、和音の起源といった問題、西洋音楽の音組織と非西洋の音組織による相互的な影響・・・といった問題はとても興味深いものですが、ここではそれを主題とはしません。あくまで、分析の方法として五度環や完全音程による音高の設定に触れます。

また、前述のように、音高のシステムは、計算、数の概念によっても導かれると同時に、それを受け取る人間の「脳神経」の構造が何らかの価値観、感覚を解釈として与えているものである事は間違いありませんから、単に物理現象としての、振動、共鳴、倍音・・・だけではその構造の「意味合い」を確定出来ません。音高組織(システム)の原理の、究極的な解明には、脳科学の音感、音高、協和不協和に関する神経回路の研究の発展が待たれます。--


前述の通り、「五音階」には様々なヴァリエーションとその転回がありますが、ここでは、「ダイアトニックとの関係」から、ダイアトニックの構成音に含まれ、トニックを同じくする、メジャー・ペンタトニックの構造を分析します。

メジャーペンタトニックは、起点、元になる音である「基音」の「I」から、完全五度を四回繰り返し、それを音階の形に整える(転回する)事で成立します。@I AV BII CVI DIII という順序です。

ダイアトニックの順次(二度)は、全音と半音ですが、ペンタトニックの「順次」は、全音と短三度です。この順次進行の音程の広さは、半音・全音の変化より、積極的な進行感をもたらし、また構成音がダイアトニックより少ない事で、各音の存在感、重心がより強い響きとなります。

この強い「順次進行の音程の差異」による「重心の偏り」の音感が、「旋法=音階による、音階のメロディーのパターン」を成立させます。構成音の少なさ、「限定された素材」は、七音階の場合より、音の選択に対しても、進行感に対しても、容易に「期待・予測」をさせ、また、強い帰結感をもたらします。

           ダイアトニック               ペンタトニック

     

ペンタトニックが「I」からの完全五度の連続であるという事は、ペンタトニックの構成音うち、II音、V音、VI音は、ペンタトニックの構成音の中に、完全五度上下を持つと言うことです。

             五度環

     

仮に(あくまで仮に)、ペンタトニックを、ダイアトニック、あるいはメジャー・スケールの基礎、軸として捉えるなら、ペンタトニックに対して付加された IV音、VII音は、半音三つ分の III V の間、VI I の間に、どちらかにとって全音の音程を持つ一音を挿入したものと言えます。挿入された「全音」の音程は、既にペンタトニックに存在した音程ですが、こうしてペンタトニックの二つの順次の音程に加えて、「半音」の単位が発生します。

      全音  全音 一音半  全音 一音半              半音          半音

ダイアトニックを基準に考えるなら、メジャー・ペンタトニックは、四度と七度が「無い」音階です。--このことから、邦楽(日本の民族音楽)では、ペンタトニックを四七抜き(ヨナ抜き)と呼びます。--

半音はその進行の幅・距離感が狭い分、動きが「揺らぎ」に近く、容易であると同時に、半音で隣接する音へ滑らかで強い進行感、あるいは「帰結感」を持ちます。そのため、ペンタトニックに新しく加えられた、VII音は、I 音への上昇の導音として、IV音は、IIIへの下降の導音として機能すると仮定出来ます。

この VII音の半音上昇、IV音の半音下降の動きは、V7→TM の終止の際のトライトーンの解決の形と一致します。つまり、I からのダイアトニックのみが、調性の基本、原動力であるトライトーンの解決の構造を内包しています。逆に、TM→V7という響きの動きも、III音からIV音へ、T音からVII音への滑らかな半音進行によって特徴付けられます。さらにいえば、「ペンタトニックに加えられた、IV音、VII音」のうち、両方を持つものがV7、一方のIV音がルートとされる和音が、「サブ・ドミナント」です。ペンタトニックに「IV音」のみが加えられた状態は、サプ・ドミナントの三和音、四和音、六度の付加和音の構成音と一致します。この構造は、「トニックとドミナントを”つなぐ”」というサブ・ドミナントの性格と無関係ではないでしょう。主要三和音と代理和音とは、特に特徴的な構成音と「アヴォイド・ノート」に共通性を持ち、その差異・違いが、それぞれを「異なった機能和音」として差別化するわけですが、「トニック」のアヴォイド・ノートである「IV音」、「V7」の特徴的な音程である「IV音とVII音」、「I音とIV音が同居」する「サブ・ドミナント」の性格は、いずれもペンタトニックに加えられた「IV音・VII音」と深く関わっています。

ペンタトニックの一音半の順次のどちらか一方に対する全音音程の音の挿入は、完全四度、増四度、長短七度のヴァリエーションをもちますから、メジャー・スケールだけでなく、Lydian、Mixolydian、Lydian7th が可能です。半音音程を、仮にペンタトニックの構成音の導音として捉えるならば、Lydianは、完全5度と8度への上昇の導音のペア、Mixolydianは、3度への下降、6度への下降の導音のペア、Lydian7thは、5度への上昇、6度への下降の導音のペアを持ちます。音階の基準となるルートと8度、音階の長短の二元的な響きの性格を決定する3度への導音両方を持つのは、Ionian、長音階だけです。

また、歴史的に、特に西洋音楽では、ペンタトニックがダイアトニックに同居する民謡のメロディーの場合、そのダイアトニックはペンタトニックとルートを共有する Ionian、メジャー・スケールです。

ピアノの白鍵、黒鍵の関係、五線紙の構造を見るとわかりやすい事ですが、Cの長音階のダイアトニック外の音は鍵盤では全て黒鍵で、五線紙では臨時記号を持ちます。このダイアトニック外音を#I 音から並べると、12半音をニ分割する六半音の最初の音、「#IV」 をトニックとする、メジャー・ペンタトニックの、完全五度のC#音からの転回となります。ピアノの鍵盤構造、また、五線紙の音程構造は、「ダイアトニックと増四度上のメジャー・ペンタトニックの転回による12半音」、あるいは、「Lydian と半音上のメジャー・ペンタトニックによる12半音」であると言えます。

                     

    C Major Scale        C#音からの F#  Major  Pentatonic          

 

   C Major Scale と C#音からのF# Major Pentatonic による、12半音階

さらに、ペンタトニックとトニック「I」が共通するダイアトニック(メジャー・スケール)に含まれる完全音程に注目して見ると、I II III V VI つまりペンタトニックの構成音が、「完全五度 上・下」の音を持ちます。この事から、ダイアトニックは、ペンタトニックの「I V II VI III」の完全五度の連続、V、II、VI音が完全五度上下の音を持つという性格を、I音、III音にも適応・拡大したものであるとも言えます。

          ダイアトニック         ダイアトニックに含まれる完全音程  

         

ダイアトニックの三全音の、IV音は、完全5度上のI音を持ちますが、完全5度下の音を持ちません。三全音のもう一方のVII音も、完全五度下の「III」音のみを持ち、完全五度上の音程を持ちません。IV VII の関係が増四度、減五度だからです。この、音階の構成音の中に、一方しか完全音程を持たないというアンバランスさと、三全音の不協和音程は、「解決されるべき不安定さ」として、V7の性格の中核を担う事になります。

また、長調のTからの完全5度上、完全5度下をトニックとするメジャー・ペンタトニックは、全てTからのダイアトニックを構成音とします。

   C Pentatonic      G Pentatonic    F Pentatonic        C    G    F          C69 G69 F69

逆に言えば、T メジャー・ペンタトニック、V メジャー・ペンタトニック、IV メジャー・ペンタトニックをあわせると、IV音、VII音が加えられ、Tからのダイアトニックの構成音全てを充たします。

 ペンタトニック

 構成音

 I Pentatonic

 T

 II

 III

 

 V

 VI

 

 V Pentatonic

 

 II

 III

 

 V

 VI

 VII 

 IV  Pentatonic

 I

 II

 

 IV

 V  

 VI

 

同じ発想で、上記の譜例、C、G、Fの主要三和音の構成音でも、トニックからのダイアトニックが構成されます。これは、あるいは和声・調性の原理に属するものでしょう。

 トライアド

 構成音

 IM

 

 

 III

 

 V

 

 

 VM

 

 II

 

 

 

 

 VII 

  IVM

 I

 

 

 IV

   

 VI

 

さらに、上記譜例でみるように、各ペンタトニックは、同時的・共時的に発音されるならば、それぞれ、T69、V69、IV69の、付加和音を構成します。

ドレミソラのペンタトニックは、[ドミソ] ; [ラドミ] の「平行長短調のトニックのトライアド」を持ちます。これが西洋の調性が長短調の二元的な性格を持ったことの根拠ではなく、むしろ「西洋の音組織として確立した長短調」のトニックからのダイアトニックと一致する二つのペンタトニックが習慣的に多用されるわけですが、これも調性とメジャー・マイナーのペンタトニックとの関係に欠かせない要素です。また、前述の「純アフリカ様式」にも、「三和音の構成音をメロディーとする民謡」が多く、これは「アフロ・アメリカ様式」のごく初期の音楽にも見られる性格です。「三和音に何らかの順次進行を持たせた旋法」もペンタトニックと類似した音程構造を生み出します。メジャー・ペンタトニックの場合は、ドミソの三和音に、レの経過的な二度が、ラドミのトニックの下に補助音的な二度が与えられた構造であるとも言えますし、また、CMとAmの二つのトライアドを合わせた五音は、CMの完全五度とAmのルートによる2度音程を内包しています。

    CM      Am             CMの経過音   Amの補助音    CMペンタトニック   Amペンタトニック

 

*注: 経過音=三度音程を音階的に「つなぐ」音 ; 補助音=和声音を順次進行で飾る・補助する音--後述します

 

原始的・原初的な楽器である「琴」、つまり、音階として調弦された楽器、発音構造では、五音階の構成音による「和音」が実用されていた事は想像に難くありません。また、日本の古典音楽でも、「機能和音」としての位置づけはないものの、旋法の構成音による「同時的発音」の単位を、やはり「和音」「和弦」として認識し、ある程度の組織化がされていました。

こういった「音階・旋法の構成音の同時的発音」は、音程構造としての「和音」の原型であると推測できます。--ペンタトニックの構成音による「和音」としての性格は、5.アヴェイラブル・ノート・スケールと代理和音の拡大 の章に詳しく述べます。また、短・長の調性の中での、ペンタトニックのメロディーとしての位置づけは、理論編B:に述べます。--前述の通り、「同時的(音階)」「共時的(和音)」いずれの場合も、「音程関係・音程構造」によって感覚・把握されるものであり、これらは「音感」にとって必ずしも異質なものではありません。

前述の「純アフロ様式」の旋法音楽では、いわゆる「ドローン=低音・高音に持続する同一の音、”ペダル・トーン”の原型」と、「オスティナート=同一の音形によるパターン」との組み合わせによって、驚くべき事に「主要三和音に”近い” ”コード進行”」さえ成立しています。「純アフロ様式」の旋法は、「三和音の構成音による旋法」と、「三和音に何らかの順次進行を加えた旋法」が多用され、これらの「中心音・根音」が「シフト」したり、「重なる」事で、結果的に「和音の進行」と呼んでも差し支えの無い構造が生じているわけです。

西洋音楽の「調性」と、その性格は全く異なるものの、こういった「純アフロ様式」と、「アフロ・アラビア様式」の合流、さらに「西洋の音感の習慣」との合流を経て、「アフロ・アメリカ様式」「アフロ・ヨーロッパ様式」が成立したわけです。

さらに、バロック以降の西洋の調性音楽ではあまり用いられない、「V−IV−T」のコード進行は、ブルースに特有のコード進行ですが、近年の「民族音楽学」の研究では、16〜17世紀、つまりバロック期以前から西洋で流行した「グレゴリー・ウォーカー(クラドラン、パヴァーヌ)」と呼ばれる舞踏音楽の和音の進行との共通性が指摘されます。「グレゴリー・ウォーカー」が、「アフロ・アメリカ様式」の成立した前近代において、「リバイバル」の形で、西洋で流行していたためです。

バロック期の「ポリフォニー(複数の旋律による絡み合いによって、ハーモニーを形成する形式)」、古典期の「モノフォニー(伴奏の和声と”単旋律の主旋律”の二元化)」、に対して、「ポリフォニー」に至る前段階、あるいは「完全音程の並行による原始的なポリフォニー」と平行して成立していた、「複数の旋律が動き、ある種偶然的なハーモニーを形成する音楽」を、「ヘテロフォニー」と呼びますが、オスティナートとドローンの上に、さらに旋律が動く事とで合成される「旋法の合奏形式」も、「ヘテロフォニー」の一つです。西洋音楽の「調性」の形成・確立も、いくつかの「ヘテロフォニー」と、原初的な「並行音によるポリフォニー」との合成を経て、「三和音の進行」という概念、あるいは「単位としての和音」の音感とが結びついたものです。西洋音楽の「旋法」としての音組織から「調性」への発展には、数百年の単位の時間を要したわけですが、その後の音楽様式、特に西洋に限らない非常に強力な、あるいは「決定的」な影響力を持った音組織の完成が「調性」であると言えます。この「調性と和声」の構造が理論編B:の内容です。

「民族音楽学・民俗音楽学」の分野では、「ジャズ」は、広い意味では「ブルース」等と同じく、「アフロ・アメリカ様式」の音楽です。また、「ジャズ」を音楽理論として扱う場合は、既に成立・定着した音楽習慣と音組織を、「西洋音楽の理論」によって分析し方法化するわけです。特に「ジャズ」は、「西洋の調性音楽」の中に、ある意味で吸収され、ある意味では「調性の内容・方法を拡大した」という構造を持ちます。

なので、本書では、この「西洋の調性音楽」を軸に、ジャズ・ポピュラーの音楽理論を展開します。

--注釈: 

もう一度五度環に注目しましょう。五度の連続でダイアトニックを見るなら、以下の様にIVを起点とする完全五度の連続がダイアトニックを形成します。

そこで、Cメジャー・スケールを形成する五度の連続の起点はIV音である事から、「Cメジャー・スケールの基音は”F”であり、Lydian こそ最も基本的・安定的な音階である。」とする主張もあります。これは、「倍音・倍音列・共鳴」等の、西洋の近代の合理主義、「近代自然哲学(近代科学・現代科学の前段階)」としての「物理現象の理解・解釈」に「音楽の原理」を求める音楽理論が提唱する説です。

               五度環              

       

しかし、もしその主張が妥当であるなら、ダイアトニックが発生した歴史の初頭から「Lydian が最も基本的な音階として扱われて来た」はずですが、歴史上、Lydian は、あくまで「音階」もしくは「モード」、「コード・スケール」の「一つ」としての位置しか持っていません。また、後述する、「テトラコルドン」=音域が完全四度の「琴」が、ダイアトニック以前に成立しており、これが「西洋のダイアトニック」の「形態」の起源の”ひとつ”と考えられていますから、ダイアトニックは最初からLydianの形で存在していたわけではありません。

ちなみに「ダイアトニック」の語源は、「Dia Tonic」=「二つのトニック」、つまり、ドレミファ と ソラシド の完全四度音程の四弦琴(テトラコルドン)、ドをトニックとする四弦琴とソをトニックとする四弦琴の接続によって形作られる7音階(オクターブ8音階)といった意味であると言われます。詳しく後述しますが、ド〜ファ、ソ〜ドの音程構造は、全音・全音・半音と同一です。

歴史的にも、短調の調性は、長調より後に確立したものです。短調の調性が確立する以前、西洋音楽のマイナーの楽曲は、「Dorianの旋法」が中心でした。すでに調性が確立したバロック時代、バッハの時代でも、特に歌曲は、「メロディーはDorianの旋法で、和声は短調の調性」といったスタイルが普通にとられていました。短調の調性を発展させたのは、主に器楽の和声です。なので、Melodic minorの「起源?」に関してよく言われる「推論」、「Melodic minor は、Harmonic minor の短6度から長7度の広い音程の歌いにくさを改善するために、長6度に変形した」に対して、「Dorian に長7度を持たせたのが Melodic minor」という、より単純で、かつ実際の楽曲の音使いの習慣に裏付けられた「推論」も成り立ちます。しかし、音階の構成とは、音感と習慣によって選択され、ゆっくりと形成されたものであり、どちらにせよ「推論」に過ぎません。

「ダイアトニックを形成する五度の連続の出発点がF音である」、「Fの上に三度堆積を重ねても短9度の決定的な不協和音程を持たない」ということから、「ダイアトニックの基本的な音、最も安定的な音がF音である」という主張には、少々飛躍があります。前述した通り、音階、音律に於ける「完全音程の連続」や、協和・不協和というものは、物理現象によって整理される、あるいは物理現象を利用した、音感という「脳神経が聴覚に関して行う、ある種の瞬間的な計算の傾向」の外部への固定化と技術化であって、究極的な音組織(システム)の原理とは(もしあるとすれば)、脳神経の構造にしかありません。

しかし、この「脳神経の計算の傾向」が、必ずしも西洋の合理主義、数学や近代科学がその根本とするような、「数のロジック」、割り切れる世界観と合致するとも限らないのです。倍音に依存しない音律が、西洋以外では成立し、また実用されているからです。西洋音楽の内部にさえ、そういった民族音楽との融合で現れる音使いは、必ずしも「数のロジッ」クによっては、その原理を確定できませんし、「西洋音楽の音組織」そのものが、やはり「数のロジック」によって一元的・二元的に「作られたもの」とはいえないのは、前述の通りです。

「ダイアトニックを形成する五度の連続の出発点がF音である」、「Fの上に三度堆積を重ねても短9度の決定的な不協和音程を持たない」ということは、つまり、現象として、それ以上の事でも、それ以外の事でもありません。

「Lydianには短9度のアヴォイド・ノートが無い」ということは、Lydianの安定性よりも、IVのサブドミナントの、TMとV7とを結ぶ、中間的な機能を裏付けます。--この機能的に中間的な性格は、あえてTM7にLydianを用いる事や、#11thのテンションを与える事で、トニックの響きに曖昧さを与える事や、調性以外の音組織の基本としてLydianを用いる、といった「方法論」としての発想を示唆します。

いずれにせよ、トニックとドミナントが、アヴォイド・ノートを持つ事が、調性を成立させる一つの要件です。アヴォイド・ノートは、コード上では、短い音価として解決されるか、それがメロディーとして長い音価で強調される場合には、「コード進行を促す一音」となります。(理論編 B: 「概論1.」を参考にして下さい。)

これは、旋法が持つ、ある種の「重心の偏り」に似た構造です。長音階が、安定と不安定、協和と不協和の素材を内包しているからこそ、調性を規定する音階となり得たのだと言えます。本書の立場、立ち位置は、この西洋音楽が非常に明確に確立させた、一つの中心的な方法論、あるいは「習慣」である、「調性」というひとつの音楽的体系を、ありのままに分析し、方法化する事にあります。--

・チャーチ・モードとその構造

和音の構成音を基本形から、オクターブ上下に転回する事と意味合いは多少異なりますが、音階の起点によって、全音・半音の順序とルートからの各音の音程、位置関係が変わることも「転回」と呼びます。その意味で、チャーチ・モードは、長音階の転回です。

--ちなみに、チャーチ・モードは、古代ギリシアの旋法に由来します。それぞれの名称は、古代ギリシアの”地名”です。しかし、チャーチ・モードとギリシア旋法の各名称には食い違いがあります。また、ギリシア旋法は「下降」を音階の基準と捉えていました。いずれにせよ、「古代ギリシアの音組織」の「再解釈」が「教会旋法」と言えなくもありませんが、これらはあくまで「別物」です。これは、旋法が注目され・再解釈された近代の西洋音楽や「モード・ジャズ」との関係にも言えることです。「教会旋法」、「民族音楽の旋法」、「印象派の旋法」、「モード・ジャズ」それぞれは、「旋法」のごく基本的な構造にのみ共通性を持つもので、新しい時代を基準とするなら「再解釈」という意味での関連性は持つものの、「用い方」「文脈」、全般に関して、全くの「別物」です。旋法に関しては、第三巻に詳しく述べます。--

ダイアトニック・スケールは2度の連続であり、2度は、半音と全音の2種です。音階の構造は、この半音と全音の順序、配置で決定します。この順序の配置が、ルートからの各音程を、完全4度・増4度、完全5度・減5度、長・短3度、6度、7度いずれかに規定し、順次の連続の中で固有の響きを持たせます。コードと同じように、3度がその音階の基本的な長、短調の響きを主張します。

この順次(横の音程関係)のパターンと、各音のルートからの音程関係、各音の配置の音程構造が音階の内容であり、調が変わる、あるいは根音(モードの場合は主音と呼ぶ)が変わっても、コード(縦の音程構造)と同じように、音程関係のパターンと音程構造によって、DからのIonianはD.Ionian、EbからのDorianはEb.Dorian・・・等々として響くわけです。

ダイアトニックであるメジャー・スケールとその転回であるチャーチ・モードは、順次において半音音程を二つ含み、全音音程を五つ含む構造です。起点とする音が変わると、全体の音程関係、また、半音の位置が「ずれる」ことで、長短の音程(3度、6度、7度)と、増減(2度 4度 5度)に変化を生じます。

 Ionian の各音程と、順次の配列

 ド (C)

 レ (D)

 ミ (E)

 ファ (F)

 ソ (G)

 ラ (A)

 シ (B)

 ド (C)

  ルート

  二度

  長三度

 完全四度

 完全五度

 長六度

 長七度

 八度

 

   全音

   全音

   半音

   全音

    全音

   全音

   半音

 

半音と全音の配置の構造を分析するのに、最も古くから用いられる音階の型、基準に「テトラコルドン=4弦琴」があります。--これは、全音・半音で形成される音階がまだオクターブの音域で定着する以前に、古代ギリシャで用いられたもので、この4度の音域を持つ音階、あるいは楽器が、二つ接続されて音域をオクターブに達する音階を形成した事が、オクターブの8音階の「形態=形」の起源の「ひとつ」であると考えられています。テトラコルドンは、本来、完全4度の音域ですが、ダイアトニックの4度は増4度を含むので、音階の分析には増4度のテトラコルドンも用います。--

テトラコルドン

 

テトラコルドンは、4度を順次でつなぐ場合の半音と全音の配置を表します。上に挙げたものは、ダイアトニックに含まれる、完全4度と増4度の4種類です。

@〜Bのテトラコルドン、完全4度は5半音であり、全音二つと半音ひとつの組み合わせです。全音一つと半音三つの組み合わせでは、半音が連続する事になるからです。

C増4度は6半音なので全音三つの組み合わせとなります。--全音三つは、文字通り三全音=トライトーンであり、音程を表す時はファとシの増四度、シとファの減五度を指します。--

@〜Bのテトラコルドン、全音二つと半音ひとつの場合は、半音をどこに配置するかで三種類の可能性を生じます。

メジャー・スケールは、テトラコルドン@の二組が全音はなれて組み合わされたものです。つまり、完全4度までと、完全5度から8度までの同一のテトラコルドンの組み合わせになります。また、このテトラコルドンとテトラコルドンの「間」は、全音、半音いずれかの二度となります。ダイアトニックを二つのテトラコルドンを並べることで作る事を、「テトラコルドンの接続」と呼びます。

各々のチャーチ・モードを、テトラコルドンの接続で分析すると以下の構造となります。テトラコルドン@〜CをそれぞれT.C.@〜T.C.Cと表記します。

 Ionia

 T.C.@

 全音

 T.C.@

 Doria

 T.C.A

 全音

 T.C.A

 Phrigia

 T.C.B

 全音

 T.C.B

 Lydia

 T.C.C

 半音

 T.C.@

 Mixolydia

 T.C.@

 全音

 T.C.A

 Aeolia

 T.C.A

 全音

 T.C.B

 Loclia

 T.C.B

 半音

 T.C.C

上記の分析から各チャーチ・モードの音程関係の特徴の類似性を引き出すと、

1.イオニア、ドリア、フリギアは、同型のテトラコルドン二組が全音でつながれる。--つまり、主音からの完全4度と、完全5度から8度までの完全四度音程は、2度音程の内容が同一です。

 

2.増4度のテトラコルドンを含むのは、リディアとロクリア。増4度のテトラコルドンを含む場合は、二つのテトラコルドンは、半音でつながれる。また、減5度を持つのはロクリアのみ。増4度を持つのはリディアのみ。--増4度のテトラコルドンは三全音=トライトーンである。ファ・シの関係は転回されても、増4度⇔減5度は、同じく三全音です。

 

3.短2度を持つのは、フリギアとロクリア--この二つは、前半に●半● 全 ● 全 ● の同型のテトラコルドンを持つ。この短2度は、下降の導音としてルートへ向かう傾向の音です。

 

4.8度への上昇の導音(長7度)を持つのはイオニアとリディアのみ。イオニアとリディアの違いは4度のみ。

 

5.長3度を持つ場合、長6度を持つ。短3度で長6度を持つのはドリアのみ。

 

6.イオニアとミクソリディアの違いは7度のみ。

 

7.ドリアとミクソリディアの違いは3度のみ。

 

8.ドリアとエオリアの違いは6度のみ。

 

9.エオリアとフリギアの違いは2度のみ。

 

10.フリギアとロクリアの違いは5度のみ。

となります。

上記の音程関係を踏まえて、長短の3度で二元的に長音階Ionia、短音階Aeolia を基準にその違いをあげると、以下のようになります。この「違い」の一音を、モードの「特徴音」と呼びます。

 長三度を持つ音階

 短三度を持つ音階

 Ionia (長七度を持つ)

 Aeolia (短六度を持つ)

 Lydia (増四度、長七度を持つ)

 Doria (長六度を持つ)

 Mixolydia (短七度を持つ)

 Phyrigia (短二度を持つ)

 

 Loclia (短二度、減五度を持つ)

・チャーチ・モードの半音の位置関係

チャーチ・モードは、長音階の転回ですから、オクターブを12角形に模して考えると、一周する音階の起点だけが異なり、8音の音程関係の相対的な順序は変わりません。つまり、全音、半音の配置が順序はそのままに起点が「ずれる」ことで、各チャーチ・モードが形成されると言えます。

ダイアトニックの転回は、5つの全音と、二つの半音を持つので、この二つの半音、III音とIV音、VII音とI音の位置関係が、各チャーチ・モードの特徴となります。

 Ionia  

  I II (III IV) V VI (VII I) 

 R 2 (3 4) 5 6 (M7 8)

 Doria   

  II (III IV) V VI (VII I) II

 R (2 m3) 4 5 (6 b7) 8

 Phyigia

  (III IV) V VI (VII I) II III

 (R b2) m3 4 (5 m6) b7 8

 Lydia

  IV V VI (VII I) II (III IV)

 R 2 3 (+4 5) 6 (M7 8)

 Mixolydia

  V VI (VII I) II (III IV) V

 R 2 (3 4) 5 (6 b7) 8

 Aeolia

  VI (VII I) II (III IV) V VI

 R (2 m3) 4 (5 m6) b7 8

 Loclia

  (VII I) II (III IV) V VI VII

 (R b2) m3 (4 b5) m6 b7 8

       

 

         Ionia                 Doria               Phrigia

 

 

 

          Lydia               Mixolydia              Aeolia

 

       

        Loclia 

 


 

・コード・スケール

・チャーチ・モードとコード・スケール

コード・スケールとは、以下の二つに定義出来ます。

A.各ダイアトニック・コードの三度堆積の基準となる音階

= コードの各音程の基準となる音階

B.各ダイアトニック・コードの非和声音(コード・トーンの隣接音)の音程を規定する音階。付加音、テンション、アヴォイド・ノートの基準となる音階。

= コードに対して、テンションとテンション・リゾルブ、アヴォイド・ノートとその解決、つまり、コード上でのメロディーの動きの基準となる音階

各ダイアトニックをルートとするチャーチ・モードは、三度堆積によって形成される四和音の、三度の長・短、五度の完全音程、減音程、7度の長・短の基準となりますが、これを、「コードとの関係」で捉える音階が、「コード・スケール」です

コード・スケールは、四和音のR 3 5 7 の構成音を、二度の関係でつなぐ、2 4 6 の「隣接音」各音を音階の形に並べたものとも言えます。つまり、コード・スケールは、四和音の構成音を軸に、この構成音を、「つなぐ」「飾る」音階です。調性音楽の中でのコード・スケールの音階的な動きとは、「コードの響きの音階的な表現」です。また、調性音楽のメロディー、フレーズは、コード・トーンを軸として動きますから、この「軸を巡る動き」の基準が、コード・スケールです。さらに、調性音楽とは「コードの進行の響き」によって、「軸となる、コード・トーンの”変化とつながり”」によって、より広い範囲での「メロディー・フレーズの動きの傾向」を形作るものです。「コードの上でのメロディー・フレーズの傾向」「コードの変わり目でのメロディー・フレーズの傾向」こそが、実践的・実用的なメロディー・フレーズの”手法”となります。

・コードを基準として音階を捉えると、各音は、「コード・トーン(和声音)」か、「ノン・コード・トーン(非和声音)」の二つに分かれます。さらに、非和声音は、静的な音階の捉え方・理解と同時に、メロディーとしての動きによって、その意味合いが異なり、名称も異なりますから、ここに確認しておきましょう。

1.隣接音(ネイバー・トーン)=音階として、コード・トーンに二度で隣接する音。=コード・トーンとの位置関係。オクターブ以内の長・短2度、完全・増4度、長・短6度

2.非和声音(ノン・コード・トーン)=三和音、四和音、付加和音を基準として、これらの構成音以外の音。

3.テンション・ノート=三度堆積を基準として、”四和音”の上部(8度より上)に重ねられて、テンション・コードの構成音となる隣接音、長・短9度、完全・増11度、長・短13度。アヴォイド・ノート以外の非和声音。--三和音に付加される 6度、9度は、6th、9th、あるいは6.9th の「付加和音」です。七度と同居する事が、テンションの条件です。(7章.テンションとテンションコードのフォームを参照。)--

4.アヴォイド・ノート=コードの響きに対して、非常に強い不協和音程を生むので、二度進行してコード・トーンへ変化する(吸収される)非和声音

こうして整理すると、隣接音、非和声音、テンション、アヴォイド・ノートは、それぞれ重なり合う意味を持ちます。テンションとアヴォイド・ノートは、隣接音、非和声音に含まれますが、テンション・コードの構成音としてのテンション・ノートは、「テンション・コード」の和声音です。

              和声音

 非和声音

 三和音

 R 三度 五度 

 

 二度 四度 六度 七度

 

 四和音

 R 三度 五度 七度 (転回によってバスに配置が

 可能な和声音)

 二度 四度 六度

 付加和音

 R 三度 五度 と 六度 九度 の両方かどちらか

 四度 七度

 繋留和音

 Sus4

 Sus2

 R 四度 五度 (7thSus4の場合七度も和声音)

 R 二度 五度 (三度が隣接音に変化した和音)

 (三度 六度 七度) 繋留音以外の非和声音

 と繋留音に隣接する和声音  

 テンション

 ・コード

 四和音とアヴォイド・ノートを除いた8度より上の隣接音

 アヴォイド・ノート

しかし、テンションも、四和音の構成音の「隣接音」として、「隣接した和声音」へ向って動き、コード・トーンに変化することで、「緊張=テンション」を解決させる傾向を持ちます。これが、「テンション・リゾルブ」です。隣接した和声音への動きは順次進行(二度進行)ですから、上昇の二度、下降の二度の二種類のみです。こういった、テンション、アヴォイド・ノートとしての「隣接音」が、「コード・トーンへの動き」を明確に持つ場合、「アプローチ・ノート(接近音)」と呼ばれます。

 テンションの解決

 二度上昇

 二度下降

 9th

 三度 (10度)

 八度

 11th

 五度 (12度)

 三度 (10度)

 13th

 七度

 五度 (12度)

テンション・リゾルブとは、要は「コード上の非和声音のメロディーの形」の傾向です。テンションが解決せず、留まるなら、「緊張」を担う音として機能します。その場合、次のコードのへ同音進行で引き継がれる事で次のコードのコード・トーンに変化する(つまり次のコードのコード・トーンが先取りされている)か、次のコードのコード・トーンへ順次進行で進む事が多く、「コード進行に伴ったテンションの解決」となります。--理論編B:非和声音とメロディー の章に詳しく述べます。--

こういった、メロディーがコード・トーンを軸として動く傾向、メロディーが、コード進行に伴っての動きの原則を持つ事が、「調性音楽のメロディー」の特徴です。また、複数のメロディーが、その音程関係の変化のパターンによって、「和音の連結」の傾向形作ったのが、「機能和音」による調性音楽の「和声」です。--理論編 B を参考にして下さい。--

チャーチ・モード(教会旋法)は、調性どころか、「和音」の概念が音階と同時に実用される以前の、音階の個性による旋律音楽、「旋法」の素材です。「教会旋法」とは、音階そのものが、音階の五度を中心に、ルートと8度への動きの傾向、法則を持つ音楽です。ちなみに、この五度を中心とする旋律の傾向から、第五音をドミナント=支配(音)と呼んだのが、ドミナントの語源です。

長音階の転回、各音からのダイアトニックが、チャーチ・モードと一致するために、各コード・スケールに便宜的にこれらのモードの音階の名称を用いますが、コード・スケールとは文字通り音階であり、旋法ではありません。

5度を中心として、主音から5度へ向かう傾向、5度から主音へ向かう傾向と、そこで通過する順次の配置、また5度と主音を取り囲む順次の配置が生む響きで旋法は表現されます。また、コードと同じく、三度が長・短の二元的な響きを担います。これは、部分的であれ、コード・スケールとコード・トーンとの関係に似てはいますが、全く異なる性質のものです。

例えばV7のコード・スケールであるミクソリディアの第7音は、チャーチ・モードとしては、決定的にモードの主音であるソへ上昇する傾向を持つ音です。しかし、調性の中での、あるいはコード進行の中でのV7の第7音、ファは、ドミナント・コードとして7度の重い不協和音程と、3度シとのトライトーンの緊張した不協和音程を持ち、ソへ上昇せず、V7の7度として留まります。この動き、響きによって、ドミナント7thの7度は、トニックの3度、ミへ向かい解決する傾向を持ち、それこそが調性での役割となります。

この場合、モードとして見れば、ミクソリディアの第7音が、イオニアの第3音へ向かったわけで、ミクソリディアはその旋法性を全く発揮していません。ミクソリディアが旋法性を発揮していないわけですから、「モードのチェンジが起こった」わけでもありません。ここでの音階は、あくまで長音階です。そして、ドミナントの7度がトニックの3度へ解決した、V7からTへの解決の一部であり調性の部分です。さらにいえば、「長調」でのメロディーの傾向と、「Ionian旋法」は一致しません。調性そのものも、「メロディー、フレーズの傾向」としての「旋法」の性格を残すものである事は間違いありませんが、音程関係の変化による、より重層的・相対的・複合的な音組織として、「単独の音階の動きの傾向」だけで規定する事が可能な音楽では無いということです。この「調性」の仕組みを最も端的に「表現する・説明する」ものが、「機能和音による和音の進行の”パターン”」であるわけです。

つまり、コードとスケールの関係、「コード・トーンを軸とした音階的な動き」とは、結果論的には、スケールは、コードの響き、コード進行の上では、「コード・トーン」と、「コード進行上のコード・トーン同士の動き」に「吸収されてしまう」、という事でもあります。

このある種の「力関係」を、あくまで”意図的”に操作するのが、「コード・スケール」の用い方です。

・調性の部分としてのコード・スケール

旋法は、単一の音階の順次の配置のバランスと、各音程の性格によってその響きを表すものですが、調性の中での音階の動きは、音程の束としての進行感を軸とし、さらにコードの響きの色彩の一部として、より多彩な、相対的な性格を持ちます。

調性音楽の中では、長調の場合、各ダイアトニック・コードは、トニック・コードとその代理和音(TM7、IIIm7、VIm7)、サブ・ドミナント・コードとその代理和音(IVM7、IIm7)、ドミナント・コードとその代理和音(V7、VIIm7b5)に分類されます。

これらの主要三和音による、ダイアトニック・コードの分類は、「機能和音」つまり、それぞれのコードが、主要三和音のいずれかの機能を担う事、調性音楽としての意味合いを担うという事です。調性音楽の中で、各ダイアトニック・コードは、機能和音として「調性の部分」となります。あるいは、それが調性音楽での和音の「機能」です。

コード・スケールとは、コードの響きを音階として表現するものですから、コード・スケールも、調性の部分として機能します。その方法は、「機能和音の構成音を軸とした動き」です。

また、コード・スケールが確定する、「テンション」の内容も、調性の部分として機能します。ダイアトニック・コードには、TM7、IVM7 の二つのM7、IIm7、IIIm7、VIm7の三つのm7と、四和音の構成音が一致するコードを持ちます。この各ダイアトニック・コードにテンションが付加されると、四和音では表現できなかった、コード・スケールの響きの違いを、コードの響きで表現する事が可能になります。

つまり、長調のダイアトニック・コードのM7に#11が用いられる場合は、その機能は、IVM7か、TM7に意図的にLydiaを用いる場合に限られます。あるいは、m7が9thのテンションを持つ場合、このm7はIIIm7ではありえません。IIIm7のコード・スケールのPhrigiaは、b2(b9)を持ち、9thを持たないからです。同じように、m7が13thのテンションを持つ場合、IIIm7、VIm7ではありえません。こうして、テンション・ノートは、「縦のコード・スケール」としての性格を持ちます。

調性の各機能和音、各ダイアトニックの三度堆積の基準となり、また各コード・スケールの音程構造を規定するのは、トニックからのダイアトニックです。調性音楽でも、トニック音とドミナント音は強い重心を持ち、メロディーとルート進行の開始と終止の中心的存在です。このことは、調性音楽に残る旋法の性格と言えます。転調していないコード進行の上でのメロディーとは、前後するコードのコード・トーンの連結、前後するコード・スケールの変化であると同時に、「トニックからのダイアトニック」を素材とする一貫性を保ちます。

明らかな転調の場合は、このトニック音からのダイアトニックと、それによって規定されるダイアトニック・コードのコード・スケール全体がシフトします。一時的転調、SDm、二次的ドミナントと、二次的ドミナントに前置される二次的IIm7のコード・スケールの場合は、もとの調のトニックからのダイアトニックに対して、最小限の変化音を持つ音階がコード・スケールとなる事で、連続性を保ちます。--二次的V7、二次的IIm7のコード・スケールについては詳しく後述します。--

--*注釈: 「コード・スケール」という概念が、現在の形に明確に理論化されたのは、もちろん「現代」以降です。これには、理論編B:で述べる、「現代の記号としての和声観・和声感」が深く関わっています。また、「テンション」の内容は、西洋の伝統音楽の中で徐々に拡大したものであり、ポピュラー音楽でも、ここで述べているような「テンション」の内容が習慣的に広く用いられ、理論的な理解として共有されるのは、1960年代以降です。

もちろん、古典的な音楽理論が、明確な名称としての「コード・スケール」を多用しなかったとしても、その「概念」を持たなかったわけではありません。「古典」の実際の作品を分析する場合においても、コード・スケールの理論は有効であり、その音使いと矛盾しません。

しかし、「テンションの内容の拡大」によって、「和声音にテンションを加えて行くと、音階の構成音へ近づいてゆく」という構造から、「コード・スケール」という捉え方・概念が、特に現代のポピュラー音楽の理論にとって、「有効・有利」となったわけです。--

・調性での”音階”に関する「誤解」と「半分の理解」

フレーズ、あるいは「音階」の響きが、「コード進行に吸収されてしまう」とは、例えば、Cメジャーの単純なコード進行の上で、Aナチュラル・マイナー、あるいはAマイナー・ペンタトニックを、ある程度「ランダム」に弾いても、結果的に「Cメジャー、Cメジャー・ペンタトニック」として「響く・聴こえる」という”音感的な現象”です。

トニックからのダイアトニックを素材とする「単音」のメロディー、スケールは、強い方向性を持った複数のメロディーの「束」であり、音程の動きの「パターン」である「コード進行」に吸収され、結果的にその一部分として「響いてしまう」わけです。これは「調的な音感」がもたらすものであり、あるいは「調性のメロディー、フレーズ」を成立させている重要な要素です。

こういった「調的な音感」こそが、「手探り・耳探り」で、ある意味「適当に弾く」アドリブが「成立」する根拠です。

単純なコード進行の上では、そのキーのトニックからのダイアトニック、ペンタトニック・スケール、あるいは、あからさまな短調の進行に対しては、短調のトニックからのマイナーの三種の音階が、ブルース等の進行には、ブルー・ノートを含んだマイナー・ペンタトニックが・・・と、「”このキーでは” ”このコード進行のまとまりでは” この音階を ”使う・使える”」という発想で、「耳探り・手探り」のフレーズに、時折「そのジャンルの常套句のフレーズ」を織り交ぜる、つなぎ合わせるといった方法でも、「アドリブ」あるいは「フレージング」は可能です。

こういったアドリブでの「アヴォイド・ノート」は、「意図的に解決される」というより、同時進行的に、感覚的に、あるいは反射的に「長い音価を持たせることを避ける」音として扱われます。また、「音階練習的なフレーズ」であっても、それが「着地」して、長い音価を得る音、「フレーズが何らかの落ち着きを感じさせる音」は「コード・トーン」で、「緊張感を持つ音」あるいは「あいまいな響きを持つ音」が「テンション・ノート」です。さらに、ジャンルの常套句的フレーズが有効なのは、聴き手として、「既にコード進行に妥当なフレーズである事が証明されている」からです。

つまり「手探り・耳探り」であっても、その「探っている音」、「感覚」とは、既に成立し共有された音感の習慣、広い意味での「調性の内容」そのものであるわけです。結果的に伴奏に対してフレーズが「有効」であるならば、「音使い」に関して、意図的・積極的であるか、受身であるかの違いがあるだけの事です。つまり、どんなに無意識的・恣意的(しいてき:根拠の無い思いつき)にフレージングする場合であっても、調性音楽として成立している音使いとは、「結果的・結果論的」に、現代のポピュラー音楽を含めた「調性」の内容、「”調性の法則性”に従った内容」となっています。

シンプルな「ロック、フォーク」、「ハード・ロック、ヘビー・メタル」や「ブルース」、場合によっては、ジャズの転調の少ないスタンダードの超定番曲等のアドリブは、多くの場合、上記の内容を「方法」とするでしょう。もちろん、慣れに従って、対応出来るコード進行の幅も広がり、「手探り・耳探り」のフレージングも、思わぬ響きを生み出しますし、そういった響きを蓄積したり、何らかの響きの「狙い」をもって、フレーズを「作曲」し、試行錯誤することが、アドリブの幅を広げてゆきます。

しかし、この「単純なロック等のアドリブの方法」、「手探り・耳探りの方法」では、一時的な転調、明らかな転調を多用する楽曲や形式、特に「ジャズ」には対応できません。また、「コード進行の妙(みょう=魅力)」や「コード進行に対するフレーズの緊張感」、あるいは「楽曲のテーマの印象」を、自分なりの解釈で表現するという「積極的なアドリブ」には、なりようがありません。

つまり、多くの場合、「単純なロックの等のアドリブの方法」とは、「伴奏」としての調、コード進行に「フレーズが吸収される」という「受身」の音楽体験、あるいは「受身の音感」によって成立します。コード進行に「合う・合わない」「あわせる」という言葉そのものが、その発想、習慣の内容を暗に表しています。

もちろん、アドリブとは、どこまでも「手探り」「耳探り」な要素を持ち、偶然性と、組み合わせによる瞬間的、同時進行的な選択肢・可能性を持つもの、それを行使するものである事は確かです。「手探り」「耳探り」は、当然ジャズのフレージングでも、部分的には用いられます。--しかし、この「手探り・耳探り」の有効性・妥当性は、演奏者の技能、特に「演奏能力」に依存するものです。--

逆に言えば、上記の方法・習慣を持つ「ジャンル」とは、「特に考えずに手探り、耳探り」でアドリブする事が出来る、場合によっては、それが有効である音楽スタイルであると言うことです。この方法が、「ジャズ」あるいは「コード進行を表現するフレージング」の方法では”発想できなかった”響きを開拓してきた事、その方法が「調的なジャズの手法より結果的に広く流通した」事、あるいは逆に、末期の「ジャズ」が、この方法論を導入した事も事実です。

しかし、より自由なコード進行、「一時的転調」と「明らかな転調」に対応しつつ、それを自然に行って破綻が無いという状態には、それなりの準備、慣れ、「仕込み(事前のフレーズ作り、アドリブ作曲)」が必要です。「コードの響きと進行を、メロディー・フレーズによって表現する」という、ジャンルを問わず、しかし特に、調的なジャズに代表される方法、積極的なアドリブは、コード進行と転調、各コードの構成音、各コードのコード・スケールを、音名・音程だけでなく、音感的にも、運指の上でも、理解・把握する事、つまり、基礎編で述べた「コード・フィールド」--コード・フォームとコード・スケールのフォームの関係--を把握し、さらに、「テーマのコード/メロディー」の演奏と「伴奏の和音」として、実際に連結される「コード進行」を迷い無く弾ける程度まで把握する事、楽曲の「コード進行の調的なまとまり--一時的転調と明らかな転調--」と「調性の部分としてのコード・スケール」とを把握する事ではじめて可能になります。

「コードの進行」「コードの変わり目」での「メロディー・フレーズの傾向」は、「テーマのメロディーとコード・フォームの連結」と「伴奏の和声: 和音の滑らかな、あるいは勢いのある連結」によって、理解されるものです。メロディー・フレーズの「軸」が、和声音であり、その和声音同士の連結の方法が「和声」です。「コード進行を表現するフレーズ」とは、多少の遠回り、つまり「ノン・コード・トーン」をはさんで接続される場合でも、「前後のコード・トーン同士の連結」によって規定されるものです。調性音楽での「コードの変わり目でのメロディー・フレーズの傾向」は、統計的・構造的に、「順次進行」でつながれる事が多く、「同音進行」「跳躍進行」でコードの変わり目が接続される場合は、「前後の和音の共通音」か「安定した和声音(三和音・付加和音・四和音の構成音)を足場とする跳躍進行」による連結がほとんどです。つまり、「調性音楽のメロディー・フレーズ」とは、法則性と呼べるほどの明確な「パターン」を持っています。どんなに恣意的なフレージングをする際にも、「結果的に」この「パターン」に含まれる音の動きが、いわば「整ったフレーズの内容・傾向」であるわけです。

ところが、このコード・スケールとチャーチ・モードに関して、あるいは「ジャズのアドリブ」全般に関して、「ジャズは、コード毎にスケールを変える・スケールが代わる」という「誤解」、あるいは「半分の理解」が流通しているように思われます。実は、これは、「単純なロック等のアドリブの方法」での、「Cのキーで一時的転調をしていないなら、結局はCメジャー・スケールが”つかえる”」「Cメジャー・スケールを”弾けば良い”」という理解と「裏表」の発想です。

「このスケールが使える」「このスケールを使う」という発想は、いわば「旋法」、あるいは「半・旋法」的な発想です。前述のロックのアドリブの方法論や、ブルースという「コード進行の上でのモード」からの発展であり、そこでの音階の用い方は、横のつながりを手探り・耳探りで動かす、留まる、という方法です。これは、コード進行に「合う、合わない」、「合わせる」といったいわば「消極的・受身」なアドリブ、ロックやブルースの手探りのアドリブの延長でしかありません。

しかし、ここで言う「コード・スケール」を、ロック、ブルースの発想で用いると、「コード毎にスケール(モード)を変える・スケールが代わる」という方法、あるいは「理解」になってしまいます。結果的に、コードの進行毎に、ルートからの「音階練習的なフレーズ」を連続する、あるいはそういった方法を「模索」する事になります。また、初歩的な教本等では、単なる「情報・名称」として「コード・スケール」と「モード」が、半ば「混同」されている場合も多いものです。

ロック、ブルースでの「アドリブの”スケール”」という発想は、主にルートからの往復的、スケール練習的な動きで成り立っていますから、例えば TM7−VIm7−IIm7−V7 という、「Tからのダイアトニックで経過的、手探り的」に弾く事も可能なコード進行でも、いちいち I Ionia、VI Aeolia、II Doria、V Mixolydia・・・と、ルートからのスケール練習的動きで弾き分けようとすると、明らかにスケール練習のトニックが変わるだけのフレーズになり、明らかに稚拙な印象になり、連続性を持ちません。フレーズの重心が、常に「ルート」に集中するからです。前述の通り、ジャズであれその他の形式であれ、「手探り・耳探り」が有効である文脈もあるわけですが、ロック、ブルース等でのある程度のアドリブの能力があっても、「スケール、モードをコード毎に変える」という概念に従うと、単純なコード進行上でも、とたんに「アドリブ」が不可能になります。

調性音楽の「フレーズの重心」とは、全てのコード・トーンであり、また「テンション」です。この「重心」はコード進行や文脈によって異なり、また「コントロールや選択」が可能なものです。さらに、特に「コード進行の単位」としては、トニックへの解決感や二次的V7の解決感としての「フレーズの重心」は、トニック・コード、仮トニック・コードの構成音・付加音にあります。「調性音楽のメロディー・フレーズは、コード・トーンを軸とする」とは、「コード進行」つまり「コードの変化」に沿って、進行するコードのコード・トーンへ「メロディー・フレーズ」が「向ってゆく」という事でもあるからです。つまり、「コード・スケール」とは、「音階」として把握するために、便宜的に各コードのルートと一致する形で表現されるものですが、「音楽の素材」としての用い方は、ほとんどの場合、純粋に「音階」あるいは「音階練習」としての形をとるわけではありません。

仮に、注意深くフレーズの重心を「ルート以外のコード・トーンに分散させる」場合、また、「コード進行の前後のコード・トーンの連結を、フレーズに反映させる場合」、結局の所は、「進行するコードのコード・トーン、コード・スケールを自覚してフレージングする」という、調性音楽全般のフレージングの基礎となんら変わりはありません。つまり、「このコードには、このスケールを使う・使える」という「発想」は、いわばアドリブのために非常に「単純化された」、理論的な事柄、あるいは「素材の個々の音の動きの方向性・傾向」が省かれた「断片的な情報」のようなもの、初心者にも特に把握がしやすい「音階」という素材に理解が偏った「情報」であると言えます。「アドリブに関する”俗説”」とでも言えるでしょうか。

また、この「TM7−VIm7−IIm7−V7」 が、TM7−”VI7”−IIm7−V7 もしくは TM7−VIm7−”II7”−V7 と二次的V7を含む場合、これらの二次的V7は、「一時的転調」、あるいは「仮のトニックへのV7のケーデンス」、つまりVI7の場合IIm7への、II7の場合V7への「ドミナントの終止の響きを”借りた響き”」を、一時的・部分的に持っているわけです。この場合、二次的V7は、あくまで「仮のケーデンス」として「一時的」である転調の性格から、その調の中での「”コード・スケール”からの最小限の変化音」によって、その基本的な「コード・スケール」を形成します。この場合、「一時的・部分的」にであれ、「仮」にであれ、「調が変わっている」わけですから、当然の事ながら「コード・スケール」も変化します。しかし、この「一時的な転調のコード・スケール」は、あくまで「コード進行」の要求によって確定する、あるいは要求されるものであり、やはり「調性の部分」です。--二次的V7、二次的II−V、SDm等の”二次的機能和音”と呼べる、一時的転調のコード・スケールについては詳しく後述します。--ごく基本的なコード進行に対しても、それを楽曲が「メロディーの変化音」によって要求している場合は特に、「コード毎にスケールを換える」「コードのテンション、オルタード・テンションを含む音階を選択する」ことにはなりますが、これも、あくまで「調性」の部分、コード進行とメロディーの関係が要求するものであり、「モードが変わる」というわけではありません。

さらに、これらのコード進行が、仮に1拍毎のハーモニック・リズムならば、1拍毎に、「スケールを変える」事など不可能ですし、その1拍に、「モード」としての性格を表現する事も不可能です。前述の通り、「調的に安定しているコード進行上での”音階”」とは、トニックからのダイアトニックとしての一貫性を持ちます。詳しく後述しますが、「短いハーモニック・リズムの二次的V7」は、場合によっては「無視される」事、「本来の調のコード・スケールによって経過的に歌われる」事も可能です。--「コード進行の調的なまとまり」に従って、「トニックへの志向性」「トニックからの志向性」の大まかな流れに沿って、結果的に「アウトサイド」となっても、要所のコード・トーンに「着地する」という構造は、特に器楽的なフレーズには当たり前のように用いられるものです。こういった文脈では、「手探り・耳探り」の音感が活用されます。--

ポスト・モダン・ジャズ期、あるいはモード・ジャズ期以降に、「部分的に調的な旋法」と言える「ブルース形式」や、調性の楽曲でも、「同じコードが長く連続する」進行に対して、その「コード・スケール」あるいは、「アヴェイラブル・ノート・スケール」を、「モード」として扱うという手法が生まれます。

さらには「必ずしも一時的転調とも呼べない=機能和音と呼べないコードの進行」に対する「音階的な素材」として、「アヴェイラブル・ノート・スケール」を、「その和音の構成音を含む音階」として、メロディー・フレーズを形成するという手法が生まれましたが、こういった方法は、「調性音楽の一部分を旋法として扱う」という手法、「編曲」に属するもの、あるいはそれを土台とするものであって、必ずしも、調性そのものにそのまま対応させること、調性の基本的な構造を表現する上で適当な方法ではありません。さらに言えば、調性の基本的な構造を把握する上で適当な概念とは言えません。選択肢としての「アヴェイラブル・ノート・スケール」そのものは、初歩的なものに関しては一般的な手法ではありますが、それ以前に、先ずは、調的な楽曲の構造、楽曲そのものが求める、必然的な「コード・スケール」を理解把握している事が必要条件となります。

--しかし、調性の中でも、「複数のコード・スケールの可能性が行使できる」コード、コード進行、つまり「調的に複数の可能性を持つコード進行」に対して、「アヴェイラブル・ノート・スケール」が有効になります。調性の中での「アヴェイラブル・ノート・スケール」の性格については詳しく後述します。

アヴェイラブル・ノート・スケールの使用、特に、「二次的機能和音」あるいは借用和音(順固有和音)に対する「コード・スケール」は、トニックのルートからのダイアトニックの転回ではないため、一般的に、これを「モーダル・インターチェンジ」と呼びます。しかし、「モーダル・インターチェンジ: 旋法的な交換 : 転旋 」という用語は、調性の理論の中では比較的新しい時代から用いられるようになった用語で、必ずしも厳密な定義が確定しているものではありません。5章のアヴェイラブル・ノート・スケールの項で、この考え方・概念・方法に関して詳しく述べますが、「モード、モーダリティー = 旋法・旋法性」と「トーナル、トーナリティー = 調的・調性」とは、特に理論的な理解の上では、常に峻別(しゅんべつ: しっかりと分ける)されるべき事であり、混同されるべきではありません。実際の手法として、「アヴェイラヴル・ノート・スケール」が、調性の文脈の中で、いくらかの旋法的な響きを持つ場合であっても、これは、そうした「意図」、音感的な意図の上での選択だからです。

前述の通り、「どんなに音階的動き」「音階を意識した音使い」をしても、それが「調性の文脈」として成立している限り、つまりそれが「コード・スケール」あるいは「アヴェイラブル・ノート・スケール」として機能している限り、これは「旋法」ではありません。また、「垂直(ヴァーチカル)・水平(ホリゾンタル)」とは、「和声的な音使い(垂直)」「音階的な音使い(水平)」と理解され、特に近年多用される用語です。しかし本来、西洋の古典の音楽理論では、「垂直(和声)」「水平(対位法)」の概念・説明として、18世紀頃から用いられていたものです。その意味合いは、「垂直・水平、両方の要素があってこそ、調的な構造が成立する」というものであって、現代的な、特に「アドリブの方法・実用」として、非常に単純化された解釈とは異なるものです。

コード進行をもった旋法に対して、あるいは調性のコード進行を、部分的に旋法として扱う場合に、「コードに対して使用可能な音階を選択する」という意味では、「モーダル・インターチェンジ」という用語は適当ですが、調性の文脈の中で、借用和音、一時的・部分的転調による「音階」の変化が「モーダル」という言葉で表現される事は、少々厳密性に欠ける、あるいは誤解を生じる用語の用い方と言えるかもしれません。

借用和音、一時的・部分的転調とは、やはり「一時的・部分的」なものであり、これらの和音は「固有の機能和音」へ進行する事を前提とするものです。調性の中での「モーダル・インターチェンジ」が成立している範囲は「二次的な機能和音」に限られており、固有の機能和音への進行と同時に、トニックからのダイアトニックの一貫性に即回帰します。

--古典的な和声理論での「モーダル・インターチェンジ」の代表の一つに、bIIM-Tm もしくはbIIM-TM のSDm代理終止が挙げられます。古典和声では、このbIIM-Tm を、「Tからのダイアトニックを Phrigiaとした短調への部分的な転調」と解釈していた時期もあります。この場合、確かに三和音の形態はPhrigia旋法の汎用ケーデンスに一致し、bIIMのコード・スケールは、IIImの半音上、つまりIVM としてLydianが充てられ、これはジャズ・ポピュラーの解釈とも一致するものの、古典的な音楽でも、実際の音使いでは、「解決した先のトニックマイナー」がPhrigiaとしては扱われるわけではなく、普通の短調のトニック・マイナーのコード・スケールとなることがほとんどです。つまり、和音の特徴的な進行、半音下降の終止から、bIIM-Tm ; bIIM-TMの終止が、便宜的に「Phrigia終止」と呼ばれるものの、一時的転調をしているのはbIIMのみであって、二つの和音の進行の範囲、ハーモニック・リズムの範囲が「Phrigiaを基準とする短調」に「インターチェンジ」しているわけではありません。

なので、古典和声理論でも、現在では、ほとんどの学派で、この「Phrigia終止」のbIIM、あるいはbIIM7の四和音は、「IIm7b5のルートが、半音下げられ、トニックへの半音下降進行のために変形された機能和音」と捉え、それに基づいて、短調の II Loclianのルートの半音下げ bII bIII IV V bVI bVII I = bII Lydian 長調の場合、II Dorianのルートの半音下げとして、bII III IV V VI VII I =bII Lydian のコード・スケールを充てます。つまり、ジャズ・ポピュラーの理論と同じく、「Phrigia終止」は「SDm終止」として理解されているわけです。--

「モーダル・インターチェンジ」を、「アヴェイラブル・ノート・スケールの行使」と定義するなら、これは結果的には、また和声的には、「リハモニゼーション(再コード付け・コード変更)のコード・スケール」となります。つまり、アヴェイラブル・ノート・スケールの行使は、特に「アドリブやフェイク(メロディーの変形)」においては、伴奏の和音やベース・ラインが動きの基準とするコード・スケールとは「異なった音階」を用いる「可能性」を含みます。さらには、楽曲のコード進行自体を、「チェンジされた音階をコードスケールとするコードに変形する」という意味合いも持ちます。これは第三巻で述べる、「非機能・非典型的和声」の手法として用いられるものです。

三和音・四和音の構成音が同一でも、音階としての他の構成音が異なる場合、例えば、普通の調的な進行のTM7にLydianを用いる場合は、三和音・四和音の構成音に矛盾はありません。しかし、このTM7は、厳密な意味でのトニックとしては機能しませんし、当然サブ・ドミナントとしても機能しません。あくまで「トニックのコード・スケールをLydianとする」という意味であり、ここには原則的な調性の裏づけが無い以上、「モーダル・インターチェンジ」としか表現出来ない構造であると言えます。また、伴奏の和音とベース・ラインがIonianを基準としている場合は、当然「異なった音階の並行的な構造」、つまり「アウトサイド」、もしくは「ポリ・モード(二つの異なる旋法)」、あるいは「ポリ・トーナル(二つの異なる調)」を結果的・部分的に生じさせます。

この「アウトサイド」の構造は、特に「民俗音楽」としてのジャズ・ポピュラーにおいては、必ずしも「理論的・論理的」に模索されたものではなく、特に「ジャズ」という演奏習慣・形式によって習慣的に派生したものです。また、「伴奏の和音・和声と旋律の音階・旋法との矛盾した構造」、あるいは「その矛盾が許容され、共有が可能な形式として成立・完成された構造」とは、前述の通り、「つじつまが合う」形での「調性に同居した旋法・旋法性」によって、直接的には「ブルース」によって形成されたものです。ブルー・ノートを含んだブルースの旋法の構成音は、例えばトニックからのb5音はV7のM7に相当する音であり、調性の構造と完全に矛盾した音程を生じさせます。一般的にV7上でのトニックからのb5音は、半音的な経過音・装飾音として扱われますが、この音が「粘る」ある程度長い音価で留まる事も可能です。このブルー・ノートが「伴奏の和声音を半ば”無視”しても、形式として成立する」という構造は、和声・旋法共に、トニックへの方向性を共有しているという事でしか、結局の所論理化出来ないため、「つじつまが合う形」と表現しているわけです。いずれにせよ、「調性に同居した旋法」は、調性の内容を規定する音程の方法論やパターンを、部分的に「破る」ものです。伝統的な調性が、現代の民族音楽へと発展する際に、この「音程的に矛盾した・破れた構造」を許容し活用したという事は、ジャズを扱う際にも非常に重要な事柄になります。調性の中でのブルー・ノートの相対的な関係性については後述しますが、形式としての「ブルース」の理論に関しては、第三巻の内容とします。

いずれにせよ、調性の文脈の中では、あくまで「基準となるコード・スケール」があってこそ、「インターチェンジ(交換、入れ替え)」が成り立ちます。また、例えば「モーダル・ブルース」のような、T7 IV7 V7 を、T Mixolydian IV Lydianb7 V Mixolydian 等々とする構造は、「モードのチェンジ」、もしくは「下地となるコードと共に変化するモード」であって、「モーダル・インターチェンジ」ではありません。この場合、T7に対して、Mixolydian→I m Pentatonic+b5とするなら、「モーダル・インターチェンジ」です。つまり、「単独の和音」に対して、コード・スケールとは別の音階を用いる事、あるいは「複数のコード・スケールの可能性をもつ和音」に対して、その可能性を行使することを、「モーダル・インターチェンジ」と呼びます。--

また、ロックで使用される「ブロークン・コード=コード・アルペジオ」等のフレーズは、大半はルートからの上昇、下降を素材とする単純なパターンの分散和音で、ほとんどの場合、音域がどんなに広く、派手に動いても、構成音は三和音ですから、やはりコードのルートに過度に重心を置く、単純なシーケンスが、仮に「ジャズ的」な文脈の中で用いられると、稚拙な印象を与えます。

「調性音楽」での「音階」とは、どんなに音階練習的な動きをしている場合でも、基本的に「コード・スケール」であり、また、コード・スケールとは、テンション、付加音を加えた構成音は、「アヴォイド・ノートを除くか、ふさわしく解決させる」、「横の分散和音」となります。装飾的な半音進行を含む場合でも、あくまで「分散和音としてのコード・スケール」の各音が軸となります。これを把握する事、そして、各コードの分散和音としてのコード・スケールのフレーズ、またそれをコード進行という、コードとコードの連結に拡大する「フレーズ作曲」の方法を身につける事で、初めて「調的に・意図的な」アドリブが成立します。

この「コード・スケール」の内容を確定させるのが、「ダイアトニック・コードの機能和音」であり、二次的V7、二次的II−V、SDm等の一時的転調による”二次的な機能和音”であるということです。つまり、「調性」の基本的なコード進行の構造、「機能和音としての位置づけ」と「コード・スケール」とは表裏一体であって、音階と和音・和声の理解両方が「運指の上」で結びついて初めて、「調性音楽」が「操作が可能なシステム」となるわけです。

この、「コード・スケールと機能和音の位置づけの運指の上での”統合”」が、基礎編で述べた、「コード・フィールド」です。

--*注釈:

 

この「アドリブ、フレージング」の「事前のフレーズ作曲」、いわゆる「仕込み」が、ジャズのアドリブ、あるいは「コード進行の魅力をフレーズで表現するアドリブ」、「楽曲のメロディーを、別の歌い方で表現するアドリブ」を成立させる、唯一の条件です。このフレーズ作曲の際には、論理的、理論的な「思考」ももちろんですが、「手探り・耳探り」の試行錯誤も重ねる事になります。「フレージングの音感」とは、言葉としては矛盾しているかもしれませんが、楽器を弾くものにとって、「指使いの音感」とでも言えるものでしょう。

 

また、事前に作曲されたフレーズが多いほど、同時的にそれを変形させ、偶然性をコントロールする能力も向上します。非常に説明の難しい事柄ですが、「即興的なフレーズ」とは、「フレーズそのものが、行き先を促す」、「後続する音群の可能性・偶然性を提示する」という”感覚”を持っています。つまり「事前に作曲されたフレーズ」とは、常に「変形の可能性」をその性格の一部とするものでもあり、それが、そもそもの「即興性」の構造です。

 

これは、いわゆる「反射神経」ではなく、楽器を用いた作曲、編曲の能力に含まれる、自然な演奏能力の一部です。また、コピーした「常套句」の内容を、他の文脈に用いる事や、それを変形させる事も、広い意味での「音感」に含まれるものであり、「作曲・編曲」の一部です。

 

そして、この「事前のフレーズ作曲」の試行錯誤に、最も能率的・効果的なのが、「コード/メロディー」なのです。「テーマの独奏」としてのコード/メロディーと、理論編B:の本論で述べる、「伴奏の和声」によって組み立てられた「コードの連結」がコード/メロディー化されることで、その楽曲、そのコード進行に妥当な、調的な「メロディー・フレーズ」の動きと素材が、「運指」と「響き」の両面で充分に実現・表現されます。

 

コード/メロディーは、その内側に、また、指板上の実際の動き、形の中に、調性音楽のメロディーの動きの傾向、素材となるコード・トーン、テンション、コード・スケール、伴奏のコードとリズム全てを含み、常に、コード進行とメロディー/フレーズを同時進行させることが可能です。さらに「トニックを志向する機能和音」「トニックから別の機能和音を志向する機能和音」を、ひとつの「まとまり」として捉えて、コード/メロディーのコード部を省略し、これらのまとまりを「経過的に歌う」ということも自然と可能になります。

 

コード/メロディーとは、「常にコードがフレーズ、メロディーと並走していなくてはならない」といった決め事ではありませんから、単音でのフレーズも、コードの響きを自覚し、「コード部を弾かないコード/メロディー」として演奏する事が可能です。その際、運指的により自由になっている事で、音域の広い、密度の濃い「器楽的フレーズ」を弾く事も出来ます。こういった「仕込み」に際して、独りで、同じ箇所を、何千回繰り返す事も可能ですし、どんなテンポで練習することも可能です。なにより、「曲・歌」そのものを、充分に表現してこそ、味わってこそ、その曲、歌にとって必然的なアドリブが自然発生します。

 

「テーマの印象を自分なりに変形する」にしても、「コード進行を表現する”フレーズ”」という点においても、その楽曲の「テーマの独奏」と「伴奏の和声」を迷い無く弾けるところまで把握していなければ、そもそもの「表現の軸」が不在なまま、「あわせる」というのは全く矛盾した状態でしょう。また、コード進行も、多くの「常套句」を含むものですから、「伴奏の和声」の部分的なパターンが促すフレーズの傾向が、そもそもの「フレーズの常套句」となります。こういったパターンも、コード/メロディーによって、キーの違い、文脈の違いに縛られず、フレーズ・メロディーとして蓄積されます。

 

よく言われる、「アドリブとは瞬間的・同時的作曲である」という言葉は、必ずしも間違いでは無いものの、それを「”準備の無い”作曲」と捉えるなら、いわゆる「迷信」に類する言葉でもあります。事前に決まったコード進行の上で、「手探り・耳探り」で「適当」に、所々で「常套句」つまり、成功が実証された音使いを用いる、といった方法でアドリブする事が、果たして「作曲」と呼べるものであるかどうかはともかく、アドリブとは「同時的作曲」というより、「事前作曲の同時編曲」と呼ぶのが正確です。

 

「事前作曲」の能力も、「同時編曲」の能力も、個々人のものとして発展して行くものですから、あるいは、限りなく「瞬間的・同時的な作曲」に近づいてゆくものでしょう。しかし、「自由に、即興で」とは、「考えて、狙い通りに」という事と裏表であり、「適当に」とはかけ離れたものです。仮にアドリブを「瞬間的・同時的な作曲」と呼ぶとしても、事前にじっくりとフレーズ作曲できないなら、瞬間的・同時的に、イン・テンポでのフレーズ作曲など出来るはずが無いのです。また、「フレーズそのものが促す方向性」に、無理なく従うこと、「楽曲そのものが自然発生させるフレージングに応える」という、音感を実際の楽音へ変換する能力は、「演奏能力」に直結するものです。

 

これらの「事前作曲・同時編曲」を、より「イン・テンポでの操作」に近づけるために、メトロノーム、マイナス・ワンの使用は欠かせません。質の良いマイナス・ワン教材は、それぞれの奏者がアドリブによって伴奏をしているものではありますが、かなり「こなれた」、「有効なパターンがある程度確定された」内容を持つものです。合奏(セッション)では、他の演奏者との相互関係、相乗関係で、「ひらめき」「気付き」をもたらし、ある種の偶然から、思いもしなかった響きを出す事も多々あります。そのひらめきや偶然を、何度でも繰り返せるものとして、さらに発展させられるかどうかは、事前作曲の質、量にかかっています。

 

事前作曲そのものが、「ひらめき」と「気付き」を捉える、形にする試行錯誤の習慣だからです。これは、「アドリブ」や「フレーズ」に限らない、「作曲」についても同様の事でしょう。「瞬間的・同時的・共時的」でないメロディーやコード進行、リズムなど、そもそも無いからです。--

「コード毎にスケールを変える」とは、半分の理解、あるいは誤解です。半分は正解です。一時的転調をする場合も、調的に安定している場合であっても、「コード・スケール」は、確かにコード進行ごとに”変わる”からです。また、特に短調の場合、トニックからのダイアトニックにそもそも三つの可能性を持ちますから、ごく基本的な進行に対しても、「コード毎にスケールを換える」ということが「必然」となる文脈は当然存在します。

しかし、ここで「その調に一貫性を与える、トニックからのダイアトニック」を把握していないなら、また、基本的な「コード・スケール」が、「その調のトニックからのダイアトニックの転回」である事を論理的にも、運指的にも把握していないなら、「コード毎にスケールを変える」という理解は、まったく作用しない・実用できない発想となってしまいます。また、「基本的な調性の中での各コードの位置づけ」を理解していないなら、部分的な「調(キー)」の状態・位置づけも正確に把握出来ませんし、調的な響き・前後関係にふさわしい「コード・スケール」を選択することも出来ません。

特にジャズに代表される「調的なアドリブ・フレーズ」の「コードとスケールの関係」、あるいは「コード・スケール」という素材を単純化して定義するならば、「コード・トーンとそれを順次進行でつなぐその構成音」とは、要は「順次進行を含んだ”分散和音”」としての性格を持ちます。なので、「コード毎、あるいはまとまったコード進行毎に、分散和音としてのコード・スケールでフレージングする」というのが、「コード進行を表現するアドリブ」での「コード・スケール」の「用い方」の基本中の基本、あるいは真理です。

--そもそも「フレーズ」とは何なのか?については、第3章の内容とします。分散和音としてのコード・スケールの性格、構造については、4章に詳しく述べます。さらに、必ずしも「コード・スケール」を意識せず、いわば「単純なロック等のアドリブ方法」を意図的にジャズ・ポピュラーの方法論へと導入した手法も一般化していますから、これについても後述します。

しかし本書の目的は、あくまで「調性音楽の全体像」を、「ギターの独奏」によってつかむ事ですから、「アドリブ」を含めた独奏の形式の組み立てについては、第二巻の内容とします。ここでは「アドリブ」に急がず、じっくりとコード・スケールについての理解を深めてください。また、「調性音楽」の素材である「音階」と「和音」とは、「和声」の内容によって結び付けられるものです。この「和声」が、理論編B:の内容です。結局の所、「音階」についての理解も「和音・和声」についての理解も、その両方の構造を巡る事でしか、「音楽・曲表現」の方法・実体に結びつかないものです。一方の理解が進む毎に、他方の理解が進みます。なので、理論編A:と理論編B:とは繰り返し「行き来」して読むようにしてください。--

・長調のコード・スケール

以下は、基礎編の7章「テンションとテンション・コードのフォーム」で述べた基本的な事柄と重複しますが、ここでは、「音階」としてのコード・スケールについて再確認しましょう。

コード・スケールは、「コード・トーンと隣接音: コード・トーンに二度音程で隣接する音=非和声音」の音程関係を基準とし、また、コード・トーンにさらに3度堆積されたテンションの内容を決定するので、度数、つまりルートからの音程で把握します。また、ダイアトニックの機能和音として、他の和音との関係を捉える場合は、I II III IV V VI VII の表記によって、機能和音全体の構造を関連付けて「見渡す」ことが可能です。

テンション・ノートは、コード・トーンの隣接音のうちアヴォイド・ノートを除いたものです。隣接音はオクターブの音階内での度数で、テンションはコードの上部に配置されるので、オクターブ上げた音程で表わします。

・トニックとトニック代理

TM7 

Ionian R 2 3 P4 P5 M6 M7 

R 3 5 M7 に対して、隣接音の 2 P4 M6

テンションは9th 13th アヴォイド・ノートはP4

IIIm7

Phrygian R b2 m3 P4 P5 m6 7

R m3 5 7 に対して、隣接音の b2 P4 m6

テンションは 11th アヴォイド・ノートはb9th b13th

VIm7

Aeolian R 2 m3 P4 P5 m6 7

R m3 5 7 に対して、隣接音の 2 P4 m6

テンションは 9th 11th アヴォイド・ノートは b13th

トニック・コードに共通するアヴォイド・ノートは、ファ音(IV音)の11thです。トニックの性格を表す長三度と短2度、短9度の決定的な不協和音程を持つためです。IIIm7のb13thのアヴォイド・ノートは、トニックの8度(ド)ですが、IIIm7の完全五度と短2度、短9度のアヴォイド・ノートとなります。IIIm7の五度を省略してこのb13thを加えると、III V I II 短9度の不協和音程は持ちませんが、結果的に T9の3度バス配置となり、コード自体が変化します。

全てのトニック・コードのアヴォイド・ノートを除いた、テンションを含むコード・トーンは、I II III V VI VII となります。また、全てのトニック・コードの四和音に共通する構成音は、III、V の二音です。よって、「IV音を持たず、III、V音を持つ」事が、トニック・コードの必要条件となります。

*#IVm7b5は、平行短調(CMaj に対する Am)のトニック・マイナーの代理和音として、長調のトニック代理に加えられます。

#IVm7b5

Loclian R b2 m3 P4 b5 m6 7

R m3 b5 7 に対して、隣接音の b2 P4 m6

テンションは 11th b13th アヴォイド・ノートはb9th

・サブ・ドミナントとサブ・ドミナント代理

IVM7

Lydian R 2 3 +4 P5 M6 M7

R 3 5 M7 に対して、隣接音の 2 #4 M6

テンションは 9th #11th 13th

IIm7

Dorian R 2 m3 P4 P5 M6 7

R m3 5 7 に対して、隣接音の 2 P4 M6

テンションは9th 11th 13th

主要三和音のサブ・ドミナントは、IVM7で、IV6の転回がIIm7です。サブ・ドミナントは、アヴォイド・ノートを持ちません。最小限サブ・ドミナントを表現する音と音程は、IとIVです。トニックにとってのアヴォイド・ノート、「ファ」と、ドミナントにとってのアヴォイド・ノートである「ド」の二つの音です。この、ド・ファどちらかを欠いて、テンション、付加音を持つと、トニック、ドミナント、どちらかの機能和音に変化してしまいます。

つまり、IV VI I III の四和音に、VII(#11th)のテンションが加えられ、完全五度の I音が省かれると、VII IV VI III のV7.9.13 の構成音となり、ドミナント・コードとなります。また、IV VI I IIIの四和音のルートが省略され、V(9th)のテンションが加えられルートが省かれると、VI I III Vと、トニック代理のVIm7の構成音となります。

*注釈: IIm7のアヴォイド・ノートについて

現在流通している「ポピュラー音楽理論」の多くは、IIm7のM13th、長6度を「アヴォイド・ノート」と捉えています。IIm7に長6度、あるいはM13thが加わると、構成音が「II IV VI VII I」となり、V7の性格の中核である、IV音・V音のトライトーンを含み、かつVII音 I音の半音、もしくは長7度、短9度の音程の可能性を持つからです。また、この長6度に隣接する短7度が省かれると、IIm6 [II IV VI VII] となり、これは、V7.9/II Vのルートと8度の省略形となり、「ドミナント」としての機能をもちます。

本書の「アヴォイド・ノート」の定義は、機能和音の四和音の構成音と短9度の音程を持つことと、「その一音が加わる事で、別の機能をもつ」事ですから、IIm7の13thはその両方の条件を持っているようではありますが、IIm7.13は、13thが短7度より高く配置されるなら、短9度の音程は持ちませんし、短7度を省略しないなら、トライトーンは持つものの、トニック音も持つわけですから、機能和音としてのドミナントの定義には当てはまりません。基礎編に述べた通り、「6度の”付加音”」とは、「7度と同居しない事」が条件であり、7度と同居する6度は13thの「テンション」です。この長6度が7度より低く配置される場合、VII I の半音の不協和な音程を生じますが、モード・ジャズ以降には好んで用いられる音程です。いずれにせよ、「ヴォイシング」つまり「和音の配置」によっては「注意を要する音」ではあるものの、「アヴォイド・ノート」の定義には当てはまらない音であるという事です。

そもそも、IVM7に#11thをテンションとして認めるなら、IV6/II であるIIm7に13thのテンションを認めないのは論理的に矛盾しています。実際に習慣的にも、モダン・ジャズ期以降、IIm7.13thは多用されるものですから、本書では、13thもIIm7に有効なテンションとして加えてあります。

また、IIm7.11 [II IV VI I V] は [V II IV I VI] に転回すると V7.9.Sus4となります。基礎編に述べた通り、V7.Sus4 は、V7の長三度が、アヴォイド・ノートである完全四度に「一時的に変形されて留まった状態」、つまり「繋留(けいりゅう:つなぎとめられる)=サスペンテッド」された、「不完全なドミナント和音」ですが、実質的にその構成音はサブ・ドミナントの内容をもちます。V7.9.Sus4は、IIm7/Vと表記される事も多い和音です。この場合、「ドミナント音をバスとする、サブ・ドミナント代理和音」であり、その機能がサブ・ドミナントであることを暗に示すものです。

V7.Sus4を、「ドミナント」と解釈する場合、あるいは「V7.Sus4を独立した第四の機能和音」として捉えるなら、IIm7/Vに対する13thのテンションは「その一音が加わることで別の機能和音へ変化する」という定義に当てはまりますが、全ての機能和音が四和音・付加和音の構造を持つ場合、V7.Sus4は厳密な意味でのドミナントではなく、「Sus4からV7へ回帰する場合」は、「V7上の非和声音の解決」であり、また、「V7.Sus4からトニックへの解決」は、「ルート進行はドミナント進行」するものの、他の構成音の動きは「サブ・ドミナント終止」の構造と一致します。V7.Sus4は、「ドミナント音をルートに持ったIIm7」、「トニック音を先取りし、長三度が省略されたV7」、いずれの可能性も持ちます。基礎編で述べた、「異なる機能和音の三和音の重層構造としての四和音」とはまた違った形で、「サブ・ドミナント、ドミナントの中間的な和音」であると言えます。

また、Sus4は、「長三度が完全四度に繋留された状態」を指しますから、半音で接する長三度は和音に共存できません。その意味では、V7のアヴォイド・ノートは完全四度ですが、「Sus4のアヴォイド・ノート」は、長三度という事になります。しかし、この7thSus4の長三度も、完全四度より高く配置されるなら、緊張感をもった非常に美しい和音として響きます。つまり、完全四度より高く配置された長三度は、Sus4の「テンション」となるわけです。一般的なポピュラーの理論ではSus4のテンションとしての長三度が扱われることはほとんどありませんが、モード期以降のジャズでは用いられる和音です。しかし、これも、IIm7.13/V と解釈するならば、理論的には矛盾しません。

いずれにせよ、IIm7としての13thは、前述の通り、アヴォイド・ノートとしての性格を満たしていません。7thSus4の機能について、アヴォイド・ノートの性格については、「和声」の構造と関わるものなので、理論編B:で詳しく述べます。また、7thSus4とルートの完全五度下をバス配置とするm7については理論編A:でも詳しく後述します。--

・ドミナントとドミナント代理

V7

Mixolydian R 2 3 P4 P5 M6 7

R 3 5 7 に対して、隣接音の 2 P4 M6

テンションは 9th 13th アヴォイド・ノートは P4

VIIm7b5

Loclian R b2 m3 P4 b5 m6 7

R m3 b5 7 に対して、隣接音の b2 P4 m6

テンションは 11th  b13th アヴォイド・ノートは b9th 

ドミナント・コードのアヴォイド・ノートは、P4「ド」音です。V7の長三度に対して、短二度、短9度の不協和音程を持ちます。解決先のトニック音を同居させる場合は、三度を省略し、V7Sus4として、異なるコードになります。「I音を持たず、IVとVIIのトライトーンを持つ事がドミナントの条件」です。

V7 Alterd Dominant 7th Scale

Alterd 7th R b2 m3 M3 b5 b6 b7

オルタード・テンション b9 ; #9 ; #11 ; b13 

上記のAlterd Dominant は、V7の構成音とオルタード・テンション全てを、音階の形に並べたものです。こういったダイアトニック外の変化音を持つ音階を、オルタード・スケールと呼びます。オルタード・スケールは、ドミナント7thのオルタード・テンションを含むコードのコード・スケールとして、テンション音の根拠となり、また、テンションを持つV7、あるいはV7の四和音に対して「使用可能な音階=アヴェイラブル・ノート・スケール」になりますから、これらはまとめて後述します。

コード・トーンに対する隣接音は、それぞれ、2度はRと3度に、4度は3度と5度に、6度は5度と7度に挟まれています。それぞれのコード・トーンに対して、上・下に、全音・半音の音程関係を持つので、それを把握している必要があります。これは「コード・トーンを軸とするメロディー・フレーズ」に対しての実践的な要素です。これは、コードの三度音程の構造を把握する事で可能になります。

・V7.Sus4

V7.Sus4

Mixolydian R 2 3 P4 P5 M6 7

R 4 5 7 に対して、隣接音の 2 3 M6

テンションは 9th 13th アヴォイド・ノートは 3

特殊なテンション 4度より高く配置した長三度

V7.Sus4は、V7−V7.Sus4−T や IIm7−V7.Sus4−T の終止の文脈では、基本的にドミナント7thの変化和音としての機能を持ちます。

しかし、この構成音は、V I II IV であり、「IV VII のトライトーンを持ち、T音を持たない」というドミナントの機能とは矛盾します。構成音の内容で機能を判断するなら、「T音とIV音が同居する」、「サブ・ドミナント」の条件を充たしています。

古典の音楽理論では、V7.Sus4の機能は「ドミナント」もしくは「不完全なドミナント」ですが、これはV7とサブ・ドミナントの付加和音以外の機能和音を「三和音」とする場合の考え方です。古典の機能和声理論では、IIIm7もV6のルート省略形と考え、「ドミナント」と解釈しますが、全ての機能和音が四和音・付加和音と解釈されるジャズ・ポピュラーの理論では、IIIm7は、「III音V音を持ち、IV音を持たない」というトニック・コードの条件を満たすものとしてトニック代理です。つまり、ジャズ・ポピュラーの和声では、「構成音の内容」が機能を決定させる条件です。

なので、V7.Sus4は、IIm7.13/V のドミナント音をバスに持つサブ・ドミナントとして、構成音としてはサブ・ドミナントであり、和声的には、特にバスの進行はドミナントとして機能する、中間的な機能和音です。--理論編B:に詳しく述べますが、和音の”機能”とは、文脈(用いられ方の前後関係)によっては、二重に重なった意味合いや、多少のあいまいさを帯びるものです。また、「和音の機能」とは、「音感」のもつ「力学(抽象的な意味での)」、あるいは「傾向」であり、「物理的」あるいは「数学的」な厳密さを持つものではありません。ある和音の機能に関して、あいまいさや矛盾があるとしても、その和音がその和音としての構成音と配置の実体を持っている事が重要であり、場合によっては「機能」とはいくつかの「解釈」のうちの一つという性格を帯びます。--

いずれにせよ、V7.Sus4は、V7の長三度が本来のドミナントのアヴォイド・ノートである完全四度の変化した和音でもありますから、V7.Sus4のアヴォイド・ノートは長三度に交代します。しかし、完全四度より高く配置された長三度は「特殊なテンション」として可能です。

・コード・スケールの三度音程の構造

コード・スケールとは、コードの響きを音階的に表現する音階ですから、三度堆積による四和音を軸とした「コード・トーンをつなぎ・飾る」動きは、コードの三度音程の構造に従います。

長短の三度音程は、半音で分割すると、長三度は半音四つ分、短三度は半音三つ分です。

 長三度

 ●半●半●半●半●

 短三度

 ●半●半●半●

ダイアトニック・スケールとその転回では、半音は連続しませんから、長短の三度音程はコード・スケールの中で、以下の音程関係を持ちます。

 長三度

 ● 全 ● 全 ●

 短三度

 ●半● 全 ●

 短三度

 ● 全 ●半●

ダイアトニックの三度音程は、長三度一つと短三度二種類しかありません。この三度が組み合わされる事で、三和音の5度、減5度の外声と、四和音の短七度、長七度の外声、そして、長短の六度の音程に変化が生じます。

三度音程の組み合わせは、一方の3度と、もう一方のルートが重なる構造である事に注意してください。--例: ド (ミ) ソ の場合、 ドミの長三度と、ミソの短三度の組み合わせ。--

三度音程の組み合わせによる五度音程

 

 長三度 + 短三度 

 完全五度 

 短三度 + 短三度

 減五度

 長三度 + 長三度

 増五度(ダイアトニック外)

 

三度音程の組み合わせによる七度音程

 

 長三度 + 短三度 + 長三度

 長七度 

 短三度 + 短三度 + 長三度

 短七度(減五度を持つ)

  短三度 + 長三度 + 短三度

 短七度(完全五度を持つ)

 短三度 + 短三度 + 短三度

 減七度(ダイアトニック外)

 長三度 + 長三度 + 長三度

 八度(増五度を持つためダイアトニック外)

六度音程は、各ダイアトニック音階が長七度を持つ場合は、最後の三度音程が全音二つなので、必然的に長六度となります。短七度の場合、三度音程の組み合わせによる最後の三度音程の内容によって決まります。つまり、●半● 全 ● であれば、短六度、● 全 ●半● であれば、長六度です。また、減七度は長六度の異名同音ですから、減七度を持つ場合は、必ず短六度を持ちます。

--長三度の二つ、三つの組み合わせは、ダイアトニック外音を含み、六音階である、ホール・トーン・スケールをコード・スケールとする四和音、V7+5 もしくは、V7.#11.b13を形成します。また、短三度の三つの組み合わせは、ディミニッシュ7thコードを形成します。後述します。--

・ダイアトニックに含まれる三度音程は、要は各音に三度堆積したものですから、ドミ、レファ、ミソ、ファラ、ソシ、ラド、シレの7種類です。

また、三度堆積を繰り返す事で、ダイアトニックの全ての三度音程が網羅されます。ドミソシレファラド です。

 I III

 長三度

 ● 全 ● 全 ●

 II IV

 短三度

 ● 全 ●半●

 III V

 短三度

 ●半● 全 ●

 IV VI

 長三度

 ● 全 ● 全 ●

 V VII

 長三度

 ● 全 ● 全 ●

 VI I

 短三度

 ● 全 ●半●

 VII II

 短三度

 ●半● 全 ●

 

各四和音のコード・スケールと三度音程は、以下の通りです。先に、チャーチ・モードの半音の位置関係を確認しましたが、それをコード・トーンとの関係で把握してください。

 

       Ionia                Doria               Phrygia 

 Ionia

      II     III

 III  IV   

  V    VI   VII

 ● 全 ● 全 ●

 ●半● 全 ●

 ● 全 ● 全 ●

 

 Diria 

 II      III   IV

 IV     V    VI

  VI   VII   

 ● 全 ●半●

 ● 全 ● 全 ●

 ● 全 ●半●

 

 Phrygia

 III  IV    

  V    VI   VII

  VII  I       II

 ●半● 全 ●

 ● 全 ● 全 ●

 ●半● 全 ●

 

        Lydia              Mixolydia              Aeolia

 Lydia

 IV     V    VI

 VI    VII  

  I    II    III

 ● 全 ● 全 ●

 ● 全 ●半●

 ● 全 ● 全 ●

 

 Mixolydia

  V    VI   VII

 VII  I     II

  II    III  VI

 ● 全 ● 全 ●

 ●半● 全 ●

 ● 全 ●半●

     

 Aeolia

 VI     VII  I

  I       II   III

  III  IV     V

 ● 全 ●半●

  ● 全 ●半●

 ●半● 全 ●

 

 

       Loclia

  Loclia

 VII  I     II

 II    III  IV

  IV    V       VI

 ●半● 全 ●

 ● 全 ●半●

 ● 全 ● 全 ●

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