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アディスアベバ。ここは世界で3番目に標高の高い所にある首都。 それもそのはず、ここの標高は2300m〜2500m。 平均気温は16℃と低く、湿度も低いのでとても過ごしやすい。 雨もよく降る。大雨季は7月〜9月、小雨季は3月〜4月。 この間土砂降りと言うのにぴったりな雨が毎日降る。そして道路は川と化す。 一方、雨季以外の乾季は洗濯物が気持ちよいほど乾く。空も真っ青、これぞアフリカ。 しかし、朝は車の排気ガスで薄黒く、人々の気管支は病んでいる。 250平方kmの街は活気にあふれ、東アフリカ最大の市場「マルカート」では毎日人とロバでごった返す。 おかげで物乞いも繁盛。「100m歩けば物乞いに当たる」そんな勢いで、ここでは物乞いまでごった返している。 2010年代に入り、著しい経済成長が続くエチオピア。 至るところで建設ラッシュが続き、大きなショッピングモールもオープン。 2015年には東アフリカ初となる路面電車(LRT)が開業。 同年には日本とエチオピアを結ぶ直行便が就航し、両国の距離もぐんと近くなっている。 古い顔と新しい顔を見せるアディスアベバ。街の光景は日々変わっていく。 (2016年1月記載)
【チャットについての注意】(2016年1月記載) エチオピアでは、チャットという麻薬類(エチオピアでは合法)が生産されています。 街中やバスでは、エチオピア人がチャットの葉を噛んでいるのをよく見かけます。 しかし、「チャットはあくまで麻薬類」であり、「日本では違法となる」ものです。 「現地人と仲良くなりたい」「現地人がやっているから大丈夫だろう」などという理由で、 興味本位にチャットに手を出すことだけは絶対にしないで下さい! 日本人であることを忘れず、慎重に行動して頂くようお願いいたします。 【写真撮影時の注意】(2016年1月記載) エチオピアでは、政府施設や軍事施設、橋脚など重要箇所での写真撮影は厳しく制限されています。 取り分け、アディスアベバの政府中枢施設(特に宮殿周辺!)での写真撮影は厳禁となっており、 カメラを出しているだけで、カメラを没収される可能性があります。 宮殿周辺ではカメラを出さないようにご注意下さい。 |
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あなたはアフリカと聞いて何を想像しますか? 私は「大平原、地平線、野生の王国、暑い、砂漠、サンコンさん」を想像してました。 たぶん皆さんもそんなアフリカ像を持っていると思います。 でもアディスアベバに、それに当てはまるモノは1つもありません。
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| 19世紀末 |
ショワ州の王だったメネリック2世がアディスアベバのエントット山に都を移す。 木造建設から石造りの建物になり、人口増加と商業発展を促した。 |
| 1886年 |
タイトゥ皇后によりアディスアベバと命名。 アディス=新しい、アベバ=花という意味。 |
| 1900年 |
木材不足のためアディスアベバから55km西に行った街に首都移転計画。 タイトゥ皇后によりアディスアレムと命名。アディス=新しい、アレム=世界という意味。 |
| 1902年 |
再び首都をアディスアベバに移動。メネリック宮殿建設 Dr.メラブによりユーカリの木を植林。 |
| 1908年 | メネリック2世の死後、孫のイヤスが皇帝に即位。 |
| 1916年 |
イヤス皇帝はイスラム教を支持していた為に王位剥奪。 メネリック2世の娘のザウディツが女王に即位。 |
| 1930年 | ザウディツ女帝の死後、摂政として仕えていたハイレセラシエが皇帝に即位。 |
| 1935年 | イタリアに侵略される。 |
| 1941年 | イギリス軍と共にイタリア軍を撤退させる。 |
| 1963年 | ハイレセラシエがOAU(アフリカ統一機構)本部をアディスアベバに設置。 |
| 1974年 |
革命によりハイレセラシエの帝政を廃止。 軍事社会主義に移行。 |
| 1987年 | 国名をエチオピア人民民主共和国に。メンギスツが大統領に就任。 |
| 1992年 |
社会主義政権崩壊。 メレス・ゼナウィが暫定大統領に就任。 |
| 1995年 | 国名をエチオピア連邦民主共和国に。メレス・ゼナウィが首相に就任。 |
| 2012年 |
メレス・ゼナウィ死去。後任の首相にハイレマリアム・デサレンが就任。 |
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