貴志川線論〜〜寒流レビュー
――「たま駅長」への弔辞――





■初めは悪い印象から

 筆者が貴志川線の状況を認識し始めたのは、営業廃止が提案されたという報道だったと記憶する。当時の筆者は、地方鉄道の営業継続に懐疑を抱いており、このまま廃止に至るのだろうと漠然と思っていた。

 上記のような第一印象があったことから、平成16(2004)年 9月 2日放送のNHK総合「難問解決!ご近所の底力」を視聴した際には、

「廃止に直面した鉄道営業を継続するなどという大きな話は、『底力』如きで解決できる問題ではあるまいに」

 と内心冷笑していた。率直にいって、無茶だとも感じた。同番組中では鈴木文彦先生が核心を衝いた良いコメントを提供していたのが記憶に残ったものの、一過性の話題提供に終わると思いこんでいた。

 ところが、貴志川線は営業を継続することになった。南海電鉄から経営分離され、両備グループが乗りこんでくるというから、さらに驚きが伴った。ここで筆者に「何故?」という疑問と興味がわいた。





■「たま駅長」報道に触れて

 だからといって、貴志川線に対する印象が好転したわけではない。三毛猫を駅長に任命したという報道に触れた際には、

「くだらぬ」

 真っ先に浮かんだのはこの一言だった。鉄道経営にあたり、動物の駅長とは話題づくりの際物に近く、本質からは著しく遠い、というのが筆者の考えだった。当時の筆者の思いは以下の一文にまとめてある。

   ▼「時間つぶし」の生贄

たま駅長
貴志川線の象徴「たま駅長」……「たま駅長」を抱いている小嶋代表も重要人物
伊太祁曽での「たま電車」計画発表イベントにて  平成20(2008)年撮影


 筆者の予見に相違して、「たま駅長」ブームは一時の熱狂では終わらなかった。最初に近畿ローカルで採り上げられ、さらに全国放送もされ、火が着いて消えなくなった。ここで筆者における興味と関心が強固になった。貴志川線に何度か通い、沿線の状況を実見し、資料や文献を調べた。調べれば調べるほど、続々と面白い材料が浮かび上がり、より深く調べる動機づけとなった。当「志学館」に発表した記事は以下のとおりである。

   ■貴志川線の利用者動向と経営判断
     【同編内】 平成24(2012)年 6月22日和歌山市内水害における貴志川線
     【同編内】 まとめ
   ■和歌山電鐵サタデー・ナイト
   ○たま駅長、電車になる。


 これらのうち「貴志川線の利用者動向と経営判断」は、改題・改稿のうえ現実世界にて研究論文化している。研究論文化するにあたっては、とある学会の審査を通過せしめ、同学会の論文集に掲載されるに至っている。すなわち、貴志川線経営再建事例には、交通論における普遍性・新規性のある知見が含まれている、と認められたことになる。





■貴志川線の成功要因

 貴志川線が何故成功したかといえば、沿線人口が最大の要因といえる。和歌山都市圏の鉄道駅勢圏人口において、JR和歌山線(田井ノ瀬−粉河間)が減少のち増加の横這いにとどまり、JR紀勢線(宮前−海南間)は深く落ちこんでいる。これに対し、貴志川線は減少のち増加で、しかも和歌山線より明瞭な反転増加傾向が認められる。

 貴志川線(神前−貴志間)の駅勢圏人口は約27,000名、このうち就業人口は約12,000名である。利用者となりうる人口の絶対数を沿線に擁していた事実は貴志川線に社会的便益と収入をもたらす基礎条件であり、和歌山電鐵による認知度向上努力は、この基礎条件があればこそ成り立っているといえる。

※ちなみに、紀勢線(宮前−海南間)の駅勢圏人口約13,000名、うち就業人口約 6,000名。和歌山線(粉河−田井ノ瀬間)の駅勢圏人口約14,500名、うち就業人口約 6,500名。

和歌山都市圏鉄道駅勢圏人口推移
和歌山都市圏鉄道駅勢圏人口推移(平成12→17→22年度)


 貴志川線の沿線人口構成の面白さは、各駅近傍の住民のみ貴志川線を利用し、各駅から 500mも離れると住民(新住民が中心と想定される)は貴志川線を認知していなかった点にある。この状況を知った両備グループ小嶋代表は、

「認知されながら利用されない鉄道では利用促進は難しく経営が好転する可能性は低い、逆に認知されていない鉄道になんらか認知インパクトを与えれば利用促進が進む可能性がある」

 と考えたというから、さらに面白い。両備グループが貴志川線経営再建に乗り込んだのは、他の要因と併せ成功の見込みが得られたからこそである。冷徹な経営判断による経営再建参画であるがゆえに、(未だ暫定的な状況とはいえ)これに成功したのはある意味で当然というべきだろう。





■「たま駅長」の功績

 以上までの概観からすれば、「たま駅長」なくとも貴志川線は経営再建に成功したものと想定しなければなるまい。しかしながら、「たま駅長」がいなければ、その成功は地味で目立たぬものに終わった可能性が高いこともまた事実であろう。

たま駅長
在りし日の「たま駅長」
改築前の貴志駅にて  平成20(2008)年撮影


 「たま駅長」最大の功績は、貴志川線の知名度を全国レベルに引き上げたにとどまらず、まさにワールド・ワイドな知名度を築いた点にある。「La voie du chat (邦題:ネコを探して)」というフランス映画に採り上げられるなど、「たま駅長」は『日本一有名な猫』として知られるようになる。台湾では『幸運の招き猫』と神格化されているとも聞く。

 貴志川線に全国から、さらに遠く外国からの観光客が集まるようになったのは、間違いなく「たま駅長」の知名度あればこそであろう。「たま駅長」は貴志川線の華であり星でもある。貴志川線存続にかける目に見えない努力の積み重ねの上に、「たま駅長」という大輪の花があるともいえる。

 ……この機微を伝えるのは難しい。華やかなスター活躍の背後には、多くの裏方の地道で目立たぬ活動がある、と例えれば少しはわかりやすくなるだろうか。照明が集まる舞台の上ばかり見ていては本質がわからなくなる、ということでもある。

 「たま駅長」は平成27(2015)年 6月22日、16歳にて天に召された。その余徳はなおも残り、貴志川線に幸いするであろう。今年度一杯で和歌山電鐵貴志川線は満十年を迎える。最初の正念場が間もなくやってくることになる。





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