「数は力」〜〜鉄道車両の技術的価値





 筆者が過去に書いた文章のうち、鉄道車両の数について触れたものを、抜粋してみる。

2.2.2 モ600 の問題点

 モータリゼーションの進展により路面電車は全国的に衰退し、昭和40年代に入ってからは廃止が相次ぎ、新車の投入はほとんどなかった。かような時代に新製されたモ600 は、その存在だけでも充分な意義があるといえる。事実、昭和52(1977)年に東京都7000形更新車が出るまで路面電車に新風は吹かなかったし、純然たる新車は昭和55(1980)年の「軽快電車」登場まで待たなければならなかった。機構をとりあげても、直流 1,500V区間・ 600V区間の双方で運行可能な複電圧車であり、極めて貴重かつ稀少な存在である。
 モ600 がローレル賞を受賞したのもうなずける。しかしながら、モ600 が優れた車両であるとは、残念ながらいえない。
 …(中略)…
 モ600 の最大の問題点は、その数が過小という点につきる。6両しか投入できなかったのは、なぜか。新岐阜直通列車のダイヤ構成が苦しくなり、利用者の逸走を招いたことを鑑みれば、モ600 の数の少なさが及ぼした影響は極めて甚大である。

(名古屋鉄道美濃町線の輸送改善策を検証する:平成12年 6月25日)

美濃町線モ800

名古屋鉄道美濃町線のモ800(平成16(2004)年撮影)
岐阜600V線区の場合、要素技術は斬新でも、常に投入数が少ない傾向があった。それが車両の価値そのものを押し下げている。

■保存機材の選定に対する疑問■

(1) C55・C57が双方選定されたのはなぜか?
 C55・C57は、ボイラー圧や動輪形状などが異なるだけで、事実上は同型機といえるものである。しかも C55は製作両数もさして多くなく、時代を代表しているとはいいにくい。本来 C57に包含されるべき機材とみなすのは、 C55にとって厳しすぎるであろうか。

(2) E10が選定されなかったのはなぜか?
  E10はマイナーな存在ながら、国鉄最後の(即ち日本最後の)純新製機材である。これを保存機材に含めないというのは、如何なものであろうか。

(3) B20が選定され C12が選定されなかったのはなぜか?
  B20は入換機で、製作両数はわずか15両にすぎない。入換機には保存する価値がないとまではいわないが、他の保存機材と比べるとかなりの遜色があることは確かである。入換には第一線を退いた機材が充てられることが多かったが、この機材は入換専用機であり、第一線の運用には充てようがなかった。
 これと比べ C12は、ローカル線が主体とはいえ本線での運用が豊富にあり、製作両数も 293両と多い。入換に充当される機会も多かった。かような C12が選定されず B20が選定されたというのは、著しくバランスを欠くように思われる。

(蒸気機関車保存に思うこと:平成12年 9月25日)

梅小路D511

梅小路蒸気機関車館に保存されているD511(平成16(2004)年撮影)
最大多数の機関車である D51には、当然ながらその数に相当する価値がある。

 北勢線は車両置換してから既に永く、そろそろ更新を考えなければならない時期にきている。近鉄は、その更新投資を嫌気しているのではないか。スタンダードな軌間であれば玉突き配転もできるが、超ナローとあっては全て新製するしか手がない。鉄道車両の単価の高さは改めていうまでもなく、その投資に見合うだけの収益が北勢線に期待できるかと問われれば、残念ながら極めて厳しいと応えざるをえない。

(近鉄北勢線廃止へ:平成12年10月 2日)

北勢線

近鉄時代の北勢線(平成15(2003)年撮影)
「特殊軌道」を「一般軌道」に変えない限り、車両置換投資はいつか必ず重くのしかかるはずなのだが。

 鉄道趣味の世界では、古いもの、マイナーなもの(1両しか存在しない変わり種車両のような)、鄙びているもの、等々が尊重される傾向にあります。…(中略)…世の中では、最先端なもの、メジャーなもの、繁華なもの、等々が尊重されるのが普通です。
(私信:平成14年 2月 7日付)

 クルマでいえば、「カローラ」は「ハリアー」よりも、技術的価値が高いと思います。この価値観は、社会的ステータスとも趣味観とも相反しますが、技術史を追究していけばそういう結論に至るはずです。
 数は力であり、存在意義そのものでもあります。だから 103系に価値があるといえない点は苦しいですが、少なくとも 103系は車両史の画期ではあるわけです。
(私信:平成14年 2月18日付)

0系

山陽新幹線の 0系(平成16(2004)年撮影)
未だ生き残りがいるのは、長期に渡って大量生産されたから。その間速度向上されなかったという課題はあるが、安定した高性能車両であったとの事実は燦然と残る。

 筆者は 103系に対し及第点を与えられない。性能・内装・外観いずれも劣悪な水準にあり、現代はもとより登場当時に要求された水準からも乖離していると考えられるからである。しかし、それでも 103系を無視し続けるわけにはいかない。最大多数を誇る 103系は車両史に残る存在であり、歴史を顧みようとする者は必ず取り扱わなければならないからである。
 かように大きな存在である 103系が、及第点に達しない劣悪な水準の車両にとどまっていることが、苦痛のたねである。数両しか存在しないマイナーな車両であればともかく、最大多数の車両とあれば、無視して通り過ぎることなどできない。交通の世界にあって、数は力であり、存在意義そのものでもある。

(究極の異端児〜〜川越線の 103系3000番台:平成13年 8月26日)

可部線103系

可部線にしぶとく残る 103系(平成16(2004)年撮影)
要素技術に見るべきところはなくとも、日本の車両史上最大多数であるということだけで、価値を見出さざるをえない車両。





 筆者の価値観の基本は何度か繰り返したとおり「数は力」で、要はよりすぐれた(価格を含む)技術水準の車両はより幅広く普及する、と考えている。 103系は、技術水準からすれば「偉大な例外」といわざるをえないが、日本の鉄道車両史上最多両数という事実は残る。

 例えばコンコルドなどは、いくら超音速で飛べても、世界中に普及できなかった以上は、その技術水準が評価されなかったからというしかない。ロングセラーが続くB7*7シリーズや急速に普及しつつあるA300シリーズの方が、航空機としては価値が高い。「カローラ」と「ハリアー」の喩えは極論であるかもしれないが、「ハリアー」は「クラウン」の亜種にすぎないのだから、まず比較すべきは「カローラ」と「クラウン」ではないか、という意味を含めたつもりの記述である。

 筆者の価値観は以上のとおりであり、こうして並べてみると、大きなブレなくほぼ一貫した記述になっている。

都電6000 札幌市M101

左:日本の路面電車史上最大多数の都電6000型  右:超稀少車種「親子電車」札幌市交M101  (いずれも平成16(2004)年撮影)
戦後の一時期までは、路面電車でも多数の同系列車が存在していたが、いつか「少量他品種」となってしまった。
標準車・汎用車が育たなかったことは、路面電車衰退の原因の一つに数えるべきである。



 この価値観が正しいかどうかは、とりあえず措く。この価値観に従って鉄道車両を評価するならば、数が多いほど価値が高く、数が少ないほど価値が低いということになる。

 敢えてもう一度繰り返す。鉄道車両は、数が少ないほど価値が低い。いかなる周辺状況があろうとも、数を揃えられなければ、その車両は価値が高いとはいえない。

 逆にいえば、パーツの技術水準が如何に高くとも、投入数が抑えられてしまえば必然的にその車両の価値は下落してしまう。都電5500型が典型で、せっかくの高性能電車でありながら、数を揃えられなかったばかりに徒花で終わってしまった。大阪市電3500型は50両も投入されたが、それでも全線のネットワークでは稀釈されてしまった。戦前からの老朽車を駆逐するためには、もっと多くの数が必要だったのである。

 たった数両の保有車両を置換することが、会社の存続に関わる岐路となっている三セク鉄道も存在しているのだ。たとえ大手であろうとも、車両を置換する投資が重荷となる日が遠からずやってくる。鉄道車両においては、少数系列をつくることは可能な限り避け、標準車両・汎用車両を追求すべきである。かつての日車標準車などの試みは大きな流れにならなかった。近年のJR東日本E231系や日立A-Train を基点とする標準車も、どこまで育つか今のところまだ見えない。しかし、育ってほしいと切に願う次第である。会社間をまたがって普及する標準車両・汎用車両が登場しない限り、鉄道の未来は拓けない。

いすみLE系

上総中野に待機するLEカー(平成13(2001)年撮影)
需要が少なく財務体質が弱いローカル鉄道には、安価な標準車・汎用車を投入すべきなのに、なぜか超稀少なフルカスタム車しか投入されない傾向がある。
日本の鉄道は、どこかがねじれている。





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