効用関数の話





 「輸送単位概論」久々の追加記事である。なぜ新たな記事を書こうと考えたかといえば、今まで頭の中では認識していながら巧く表現できなかった、しかも実は普遍的なロジック(経済学の基礎理論:効用関数)が、形を成して浮かんだからである。

 ある交通サービスの提供を考えてみる。単純化のため、このサービスを二モードに限定し、かつサービスの質は同等と仮定する。この二モードによるサービスを便宜的に○・●と表し、ある時点(1)で市場には以下のようにサービスが供給されているものとする。

   ○○○○○○○○○○
   ●●●●●●●●●●

 時点(1)におけるサービス選択率は、当然ながら○50%、●50%である。

 ここで、ある時点(2)において、サービス供給量が下記のとおり変動したものとする。

   ○○○○○○○○○○
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●

 厳密にいえば、供給量が変動した時点で二モード間のサービス質は等価といえなくなるのだが、ここでは無視する。即ち、供給量以外のサービス質は一定不変、と考えてほしい。

 さて、時点(2)でのサービス選択率は如何ほどになるか。選択率が供給量に単純比例するならば、○25%、●75%ということになる。サービス供給量増に伴う効用増は逓減し、対数曲線をたどると考えるならば、サービス選択確率が○40%、●60%あたりに分布する可能性もありうる。時点(2)における選択確率は、需要総量の伸び次第で大きく変動しうる状態といえよう。

 さらに、ある時点(3)において、サービス供給量が下記のとおり変動したものとする。

   ○○○○○○○○○○
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●

 時点(3)でのサービス選択率は如何ほどか。対数比例では○34%、●66%となるが、実際には単純比例の○10%、●90%に近い水準になるはずだ。○を積極的に選択しようにも、市場での○供給量が低下しているため、○の選択をやめ●を選択する利用者が増えるからである。要するに、○は●に埋没するわけだ。

 その結果、サービス質が対等でありながら○の選択率は落ちこんでいく。否、ここまでくるとサービス質対等という仮定が成立しなくなる。供給量の差が即ちサービス質の差、という認識になるだろう。時間がさらに進み時点(4)に至ると、○はサービス供給量を絞らざるをえなくなる。

   ○○●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●
   ●●●●●●●●●●

 こうなればもはや勝負あったで、○の選択率は限りなくゼロに近づくことになる。僅少な供給しかないサービスを選択する、酔狂な利用者は少ないからである。





 時点(4)の状況はデフォルメした表現になっているが、似たような状況を既に記事にしている。「モーダルシフトはなぜ進まないのか?」がそれである。○は鉄道貨物、●はトラック輸送、と考えればわかりやすいだろう。鉄道貨物は昭和45(1970)年度まで輸送実績を伸ばしながらも、既にシェアを落としており、昭和46(1971)年度以降は輸送実数まで減少の一途をたどり始めた。

 鉄道貨物が無為無策であったわけではない。しかし、市場の要求に応えられるほど充分にサービスを供給できたかといえば、さにあらずというのが、前掲記事中のグラフに如実に示されている。

貨物グラフ
交通機関毎の貨物輸送実績(トンキロ)……「鉄道貨物輸送と停車場」(上楽隆)に記載されたデータより作成



 トラック輸送は小口荷主のニーズに柔軟に対応できる特性を備えており、サービス供給が爆発的に増加した。これに追随できず、鉄道貨物は短中距離帯でほぼ絶滅するに至った。鉄道貨物が今日もなお生き残っているのは、長距離帯では高いシェアを維持しているからである。即ち、サービス供給量が維持され続けているからこそ、鉄道貨物は命脈を保っている、ともいえる。これは因果律を逆転させた表現では決してない。鉄道貨物がサービス供給をやめれば、他モードが乗りこみ代替するのは確実だ。

 長距離帯とは異なり、短中距離帯では、トラック輸送が百%近い圧倒的高シェアを保持している。サービス供給量がこれに比例している以上、鉄道貨物に限らず他モードが挽回を図ろうにも、状況は極めて厳しいと考えなければならない。

 同様のことが、旅客における夜行需要についてもいえる。ここ30年ほどのタイムスパンで、新幹線を代表とする昼行特急のサービス供給量はかなり増えた。航空輸送のサービス供給量も伸張著しく、LCC各社を筆頭とするチケット価格低廉化も進んでいる。各都市での宿泊サービス供給量も伸びており、かつ宿泊料も安価になっている。高速バスによる低廉輸送サービス供給は、近年変動したとはいえ、長期的視点に立てば確実に増えている。

 このように、代替サービス供給量が増強されている趨勢において、夜行列車の地位低下は免れない。たとえ夜行列車のサービス質をいささか向上したところで、サービス供給量が漸減している以上、シェア挽回は至難と考えるべきだろう。よしんば画期的なサービスを開発し、一時期でもシェア回復できたとしても、新幹線や航空にはまだ二の矢(増発)・三の矢(時間短縮や低価格化)が控えているのだから、最終的な帰趨は明らかだろう。大岡昇平の表現を借りるならば、

「戦力が底を突いた時、再びマリアナ、レイテの冒険的攻撃作戦が現れるのだが、それはかりに勝ったところで、戦果を拡大する手段がなかったという意味で、真の勝利に繋がるものではなかった。敗戦を遷延するだけの効果しかない攻撃であった」(レイテ戦記)

 ということにならざるをえまい。

 JR各社はおそらく、利用者数減少傾向・運転要員確保困難・車両老朽化などから夜行サービス維持を嫌気しているに過ぎない、と想定される。「ななつ星」や蒸気機関車復活が出来る以上、夜行列車維持に技術的制約条件など存在しないに等しい。輸送事業の基軸にならないことが明白なのだから、積極策を打つ意志を失っているだけのことだ。

 そして、筆者もJR各社と同程度に夜行サービス存廃を論ずる気力を失っている。JR・航空各社が専ら昼行サービス供給に重点を置き、多くの利用者がそれを受容し、しかも需給調整規制が撤廃されている今日、夜行サービス存廃はそもそも力を入れるべき論点になりようがないのだ。

 倦んだ筆者が敢えてニュートラルな立場から論考するならば、今まで記したロジックと、過去に記してきた全ての記事を総合し、下記のように結論する。即ち、「鉄道においても夜行サービスを存続すべき」と主張する輩は、輸送市場の現状を的確に認識せず、普遍的な論理(効用関数)をもわきまえない、二重三重の意味で不合理な思考の持ち主である、と。

 固定的な「べき」にとらわれ、御都合主義で虚飾する手法を、筆者は採らない。結論を固定してしまうと、論理のどこかが破綻する。過去に何度も表明したとおり、筆者は科学的思考を尊びそうでない手法を嫌悪する者である。この立場は、何度繰り返しても罰が当たらないと考えるので、敢えて再び記してみた。それが本稿を記す真の動機である。





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