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ファミリーコンピューターの登場
1983年7月15日 14,800円(税当時は無し)

当時各メーカーから発売されていたゲーム機を「おりゃ〜〜〜!」と鼻息で倒す勢いで現れたスーパーマシーン。
友人宅にあったカセットビジョンが欲しくて買いに走ったんだけど、結局このファミコンを購入。
(アルカディア、ぴゅう太なんてのもあったのだが・・・)
当時の俺よ良くやった!つくづくそう思う、この後日本中を駆け巡るテレビゲーム症候群の正に起源。
▼My ファミコン
見よ、この使い込まれた愛機を!自宅勉強机から発掘された伝説のマシーンである。
このファミコンは、当時問題となった“ベースボール魔球戦法”のしすぎで破壊、2台目のマシーンである。
このMADE IN JAPANを強調したかのような紅白カラーに、当時の日本電子産業の魂を感じるではないか。
コントローラーに500円玉は貼らないでね
▼My Family BASIC
84年に発売されたファミリーベーシック。
これで一体何が出来たのか?と質問されるのは大変痛いところである。
色、形、そして何よりもファミコンと合体させてこそ栄えるそのスタイルは完璧と言えよう。
それはまるで燃費の悪い外車でスーパーに街乗りするステータスシンボルでもある。
その後“V3”なる謎の続編?が販売される。
▼My Disk System
86年に発売された期待の周辺機器。
それまでの紅白路線から一点、モダンなデザインは高級感さえ漂う。
僅か500円でソフトの書き換えが可能となったDISK WRITERは革命的だったが、
家の近所には存在しなかったという寂しい思い出が蘇る。
電源の確保には
単一電池を6本使用と、その荒々しさが古き時代の日本男児を感じさせる。(専用アダプターも有り)
尚、ディスクシステム書き換えサービスは、
2003年9月30日にて終了。
そして伝説へ…
任天堂が遂にファミコンとスーパーファミコンの生産を2003年9月末に中止。
更に2007年10月31日をもって、ファミコンならびにスーパーファミコンの修理サービスを終了した。
83年に日の目を見たスーパー電子玩具も、遂にここで歴史の幕を閉じたのである。

実際には、古い骨董品的な半導体の調達が困難になったのが理由らしいが、最後の最後まで泣かせてくれるあたり、流石である。
ファミコンが国内外で6000万台以上、スーパーファミコンが国内外で4900万台以上と、まさに『一家に一台』と言える存在であった。
任天堂=花札ではなく、任天堂=ファミコンという構図を後世に語り継がねばなるまい。
さらば、ファミコン!そしてありがとうファミコン!
最近のゲームはわからないけど、年をとってもお前を語り継いで行く!!
▼ファミコン周辺機器の歴史▼
ファミリーコンピュター
1983/7/15 14800円 任天堂
ファミリコンピューターロボット
1985/7/26 9800円 任天堂
カラオケスタジオ
1987/7/30 7500円 バンダイ
光線銃
1984/2/18 3000円 任天堂
ブロックセット
1985/7/26 4800円 任天堂
3Dシステム
1987/10/21 6000円 任天堂
ファミリーベーシック
1984/6/21 14800円 任天堂
ジャイロセット
1985/8/13 5800円 任天堂
ゲームボーイ
1989/4/21 12500円 任天堂
データレコーダー
1984/10/5 9800円 任天堂
ディスクシステム
1986/2/21 15000円 任天堂
スーパーファミコン
1990/11/21 25000円 任天堂
ジョイボール
1985/6 3980円 ハル研究所
ファミリートレーナー
1986/11/12 8500円 バンダイ
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