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| 田平 |
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| 上亀 |
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| 伊能忠敬測量日記より 文化十年二月十八日(1813年3月20日) 晴れ曇り。 手分けして我等(われ。伊能忠敬)・永井・尾形・箱田・佐助は朝六っ頃(午前6時半頃)に日野浦(平戸市田平町山内免) を出立した。正月二十八日に残した上亀村の追分けより初める。御厨道を測る。枝下亀。下亀川(久吹川)の土橋は三間(5.5m)。字小崎峠。野陣で小休止。枝小崎。 |
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| 大崎 |
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| 御厨村。坂瀬川は巾九間(16m)。枝西木(ニシキのルビあり)場。左に剣大明神。枝大崎。字上大崎。 |
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| 御厨 |
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| 高野川は巾二間(3.6m)ばかり。下大崎。立尾川(龍尾川)は巾十二間(22m)。字前田。字中野。志佐村と御厨浦の追分けの中印迄、通ばかり一里二十九町一十間(7,109m)。それより御厨浦道を測る。字池田。御厨浦の海辺へ出て、海印を残す。四町四十八間二尺(524m)。・・略・・総測二里一町五十六間二尺(8,066m)。四っ半頃(午前11時頃)に御厨浦に着く。止宿は本陣が谷川七左衛門、坂部の宿は勝山佐助宅、下役は高崎吉太郎宅。此の夜は晴れ曇りで測る(天文測量)。 坂部.今泉.門谷.保木.甚七の手分け 二月二十一日 曇天。 御厨浦を出立した。御厨村中触の内、字清水原に十八日に残した中印より初めて、今福街道(今福への街道。つまり、御厨筋街道の一部)を測る。字前田。字神原(榊原)。 |
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| 松浦西 |
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| 字寺ノ尾。志佐村迎ヒ坂。児川は巾三間(5.5m)。鹿ノ爪(カ ツメのルビあり)坂。志佐川端に至り田印を残す。一里一十四町三十九間(5,525m)。海辺より繋げる印である。志佐川は巾二十四間(44m)。 |
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| 松浦 |
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| 本村里。観音寺坂。調(ツキノのルビあり)川村。切通坂。大坪川(調川川)端に至り大印を残し街道を打ち止めて、二十八町二十七間(3,104m)。・・略・・街道合計二里七町六間(8,629m)。総測二里一十五町六間(9,502m)。八っ半頃(午後2時半頃)に志佐浦(松浦市志佐町浦免)へ着く。止宿は坂部の宿は大石万九郎宅、外の者の宿は大石番治郎宅。 |
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| 調川・今福 |
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| 二月二十二日 曇天。 志佐浦を出立した。・・略・・平戸の分地で松浦大膳の知行の今福村。今福浦に今印を残す(下の図)。街道に繋げる。此より沿海と街道を両用する。一里一十四町三十九間四尺五寸(5,527m)。今福川は巾十二間(22m)ばかり。伊万里街道(伊万里への街道)に里印を残す迄、九町二十一間(1,020m)。即ち伊万里街道と沿海の分かれ道。・・略・・総測三里一十三町四十二間二尺(13,277m)。七っ時頃(午後3時頃)に今福浦に着く。止宿は坂部が庄屋豊永八右衛門宅、外の者は酒屋の町田才兵衛宅。 二月二十三日 昨夜より小雨。朝、止んでから曇り。 今福浦に逗留して測る。今福村の今印より初めて、街道を逆に測る(上図)。字仏坂。調川村字中ノ触。本村上ノ触。瑞厳寺坂。大坪川(調川川)端に二十一日に打ち止めた大印に繋げる。街道三十四町一十二間四尺(3,732m)。 ・・略・・滑栄(ナメリハエのルビあり)浦(滑栄免)のナ印迄、一里一十一町五間二尺(5,137m)。平戸領今福と佐嘉領浦崎(浦ノ崎)の村界。去る九月十三日に沿海を測って残した杭に繋げて終る。三十一間四尺五寸(57.7m)。同所の幟に繋げて二十三間一尺(42m)。沿海合計一里一十一町三十七間五寸(5,195m)。又、同所のナ印より初めて、今福街道を逆に測る。高峯坂。界の番所。今福本村江迎の海辺に昨日残した里印に繋げて逆測を終る。街道二十四町三十四間二尺五寸(2,681m)。街道合計一里二十二町四十七間五寸(6,413m)。総測二里三十四町四十七間二尺(11,650m)。七っ半後(午後4時過ぎ)に今福浦へ帰り着く。 |
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