島原街道(諫早から愛野)
全行程 約13.7キロメートル
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諫早 川床 長野 有喜 愛野



水害まで本明川に架けられていた眼鏡橋があった位置を徒歩で渡るところから島原への街道は始まっていました。
街道は栄町のアーケードにあった諫早屋敷入り口を避け、東側を通ります。
銀行で道が無くなっているところがありますが、角々に恵比須様が祀ってあります。
 しばらく行くと、街道沿いに安徳天の碑などがあります。
県道55号を渡ると道が判然としなくなり危険ですので、北側の道へ迂回されたほうが安全です。
土井口番所からは島原北目道、あるいは千々石へ出て千々石街道へと引き継がれます。

   

諫早
伊能忠敬測量日記より

◎本隊
文化九年 十一月二日
(1812年12月5日) 朝は曇天。

 七っ半頃
(午前6時頃)に深海村を出立した。・・略・・又、島原街道の船越村枝梅津(埋津)。正左衛門宅で昼休み。人家前より初める。諫早町へ逆に測る。諫早町入り口の印まで七町一十間(782m)・・略・・印より初める。上町。下町。三っ辻で先手と合同で測る印迄、三町三間五尺(334m)。島原街道を一十町一十三間五尺(1,116m)。総測(総測量距離)三十一町二十六間一尺(3,429m)

前手も後手も九っ後
(午後0時過ぎ)に諫早の田町へ着く。止宿(ダイエー付近)は酒屋藤兵衛宅、同 市兵衛宅、同 宇兵衛宅。此の夜は曇り晴れで測量する。島原領愛津村(雲仙市愛野町)の庄屋深浦九郎左衛門が深更(夜おそく)に来る。


○支隊 坂部・永井・門谷・保木・甚七の大手分け
十一月二日

・・略・・栄昌と島原道との追分けの印から初める。島原道を測量する。本明川を渡る(文化七年の洪水で石橋が流されているので、この時は飛び石で渡ったと思われる。眼鏡橋は27年後の天保十年・1839年に架けられる)三十間(54.6m)。川の中が界。古町となる。木戸がある。下町(現在は本町)の三辻に印を残す。二町一十八間(251m)・・中略・・又、下町の印から初めて、本街道を測る。石橋(欄干橋)が五間(9m)。又、土橋が二間四尺(4.9m)。新町で、また手分けと合流して測り、印に繋げる。三町二十五間三尺(373.6m)。総測一里二十六町三十六間一尺(6,829m)。止宿(諫早市栄町)は別手の方にある。


十一月三日 朝は小雨。それより大雨。

 六っ後に諫早町を出立した。我等
(われ。伊能忠敬)・永井・門谷・尾形・佐助は船越村枝梅津の人家前、則ち島原街道の印より初める。梅津川(埋津川)は土橋(埋津橋)で四間(7.27m)

川床
鷲崎村。川床村。

長野
松原で大雨になったので印を残す。打ち止めて、三十四町二十一間(3,747m)


十一月四日 晴天。

 朝七っ半後
(午前6時過ぎ)に両手共に森山村を出立した。後手は永井・門谷・尾形・佐助。我等は先に愛津村へ行く。肥前国高来郡川床村に昨日打ち止めた印より初める。長野村

有喜
有喜村。同村の諫早と長崎の街道追分けで野陣で昼休み。印迄、二十九町四十一間(3,238m)。唐比(カラコ)村。

愛野
 それより島原領愛津村の印で海辺と街道を合流して測る。一里二町二十一間(4,184m)。街道は通ばかりで一里三十二町二間(7,422m)。是より沿海。愛津村の内、字土井の(番所跡)迄、沿海が六町四十五間(736m)

 
…中略…

 両手一同愛津村の止宿に着く。本陣は庄屋の深浦九郎左衛門宅。両手一同一緒に宿泊する。

島原の付回役人の林鉄兵衛と奥村立助。勝手方の堂崎村庄屋江川彦左衛門、島原村の森崎惣左衛門、島原町年寄の姉川伊兵衛、同乙名の木田勘助が来る。佐嘉の江頭伊平と荒木丈右衛門が来る。島原より使者の奥村加兵
(奥村嘉兵衛)が領主(十二代 松平忠馮)よりの国の産物を持参し、贈られる。品物は別記。此の夜は晴天で測る