千々石街道(島原から千々石)
全行程 約21キロメートル
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 杉谷 三会 有明 国見 田代原 野取 千々石


千々石街道を約1日半で測量を終えています。信じられない速さです。

後に島原藩が測量した正確な村絵図から、街道をショートカットして測量している部分が数ヶ所あることが判ります。

途中、山道が不明瞭な部分があり、危険ですので迂回してください。猪が出没する森もありますので、ご注意ください。

山中では携帯は通じませんので、
単独では危険です。

   

島原
伊能忠敬測量日記より

文化九年十一月八日
(1812年12月11日) 晴天

 (伊能忠敬測量隊の内、手分けされた坂部・門谷・尾形・保木・甚七は街中の他の場所を測量した後)
又、大手橋を渡る(文化三年に石で架橋された)。有馬町萬町の印より初める。但し、大手前の印より四十四間(80m)。橋を渡って此の印を残す。古町の内、桜町。筋違橋通という。島原本村の城の後ろを測る。枝柏野名。

杉谷
杉谷村枝杉山名。字原組。本村馬場名。庄屋の宮崎七郎左衛門宅で小休止。馬場名の内、字宇土。山寺名の内、字中尾。同じく坪浦の人家脇の(伊能下図では三)印で打ち止める。千々石(チヽワのルビあり)街道、しめて三十五町四十六間(3,902m)。

八っ半後に宿本陣は古町の内、堀町の町年寄中村孫右衛門宅(現在のエレナ一番街店)、別宿は古町の内、中町の乙名の古賀源左衛門宅、同じく木田伝左衛門宅)へ帰る。


十一月十一日 晴天

 坂部・今泉・箱田・保木・佐助の手分け。別手の伊能忠敬本隊は深江の方へ南下する)

島原城下を七っ半(午前6時)に出立した。

 高来郡杉谷村山寺名字坪浦の
(伊能下図では三)印より初める。街道を測る。三会(ミエのルビあり)村木崎名。

三会
東空閑(コガのルビあり)村浜口名の内、字一本松。
野陣で小休止。大野村。

有明
湯江村。
湯江村と多比良村とで
(界について)争論のある所。

国見
字魚洗河(ブアラヒコのルビあり)内。土黒(ヒジクロのルビあり)村字下田代。温泉堂へ行く道がある。

田代原
字平石峠、字上田代とも両方の名がある。野陣で昼休み。

野取
この部分は『測量日記』に記載なし。

千々石
千々石(チヽワのルビあり)村小倉名の内、字大堀。字牧ノ内。字白津(シロヅのルビあり)。右に釜蓋城、千々石大和守の古城である。字阿弥陀寺。小浜街道の近道がある。字太刀馬場。字樋口で打ち止める。総測四里四町一十八間二尺(20,106m)。外に二十四間(43.64m)海辺へ打ち出す。
それより半里程
(2kmほど)行く。千々石本村船津名に六っ後(午後5時過ぎ)に着く。止宿は庄屋宮崎平八郎宅。