温泉堂道(小浜から雲仙)
全行程 約8.3キロメートル
現在、鬢串から笹之辻までは非常に危険な状態です。
街道地図の掲載は中止します。
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小浜 籠立場 雲仙


温泉(雲仙)への街道です。伊能忠敬測量隊もはるばる九州肥前の雲仙まで来て、物見遊山的な測量といえると思います。

先に支隊の坂部達が街道の途中まで測量し、時間の関係もあったのか測量せずに見物に登っています。

当時も雲仙のことは江戸まで聞こえていたのでしょう。

忠敬も詳しく日記に残しているところをみれば、雲仙の地獄に興味をおぼえたにちがいありません。

道は判然としない所が多く、
危険な状態です。急な斜面も多く、単独行は危険です。


小浜
伊能忠敬測量日記より

 
坂部.今泉.箱田.保木.佐助の手分け

文化九年

十一月十四日
(1812年12月17日) 曇天で風がある。

 
・・略・・印より温泉堂道を打ち上げる
籠立場
字道前。脇川巾六間(11m)。字鬢櫛(鬢串)。字笹ノ辻。野陣で昼休み。字猿岩に印を残して打ち止める。街道が三十一町四十八間(3,469m)。総測一里二十二町二間(6,331m)。それより測らずに温泉堂へ一見しに行く。真言宗古義満明寺で小休止。一乗院。それより小浜村へ夜五っ半頃に宿(庄屋の本多駒太郎宅、百姓の伊兵衛宅)へ帰る。

この後小手分けは沿海を南下する。サ印より先の測量を忠敬の隊へ譲る。

十一月十八日 未明は曇りで風がある。

 六っ半頃
(午前8時頃)迄は小雪。先手は七っ半後(午前6時過ぎ)、後手は六っ後(午前7時過ぎ)に小浜村を出立した。・・略・・

 先手は我等
(われ。伊能忠敬)・永井・門谷・尾形・甚七。小浜村字猿岩(小浜町南木指猿岩)印より初める。温泉岳山へ打ち上がる。字長坂。

雲仙
瀬戸原。殺生禁断の制札がある。温泉堂と小地獄の追分けの印迄、二十九町五十二間(3,258m)。女郎ヶ水。小地獄川(清水川)。小地獄に至る。七町三十四間(825m)。所々に温泉が湧出ている。

 又、
印より初める。温泉堂。釈迦堂。一乗院を歴て地獄の入口迄測る。両界の松がある。娑婆と冥途の界であると。サイの河原の入口に至る。一十六町五十一間二尺
(1,839m)。外に四面社(温泉神社)迄測る。二十四間(44m)印よりサイの河原入口迄、一里一十町四十三間二尺(5,097m)。総測一里一十八町四十一間二尺(5,966m)。温泉山一乗院満明寺。古義真言宗。寺領はない。領主より五人扶持。奥院は妙見と普賢であるという。すぐに一乗院にて昼休み。温泉山の内、湯壷は二っ。一っは古来よりあって(承応二年・1653年に開湯)、一っは新湯(享保十六年・1731年に開湯)という。外に小地獄一ヶ所。熱湯が湧出るのが数十ヶ所。多い湯名に地獄の名を附属する。

それより測らずに山を下り六っ前
(午後5時前)に千々石村に着く。止宿は両手共に庄屋の宮崎平八郎宅。着後に佐嘉の江頭伊平、荒木丈右衛門、大庄屋の勝良五郎治が来る。此の夜は曇天で測れない(天文測量)