男女共同参画・デートDVとジェンダーなど
男女共同参画(DV、デートDVとジェンダーフリーなども)に関する考察を行う。
男女の対立を煽る従来の運動から対話型運動へ移行を図る。
デートDV・ドメスティックバイオレンスの知られざる恐るべき実態
女性専用車両
セクハラ(セクシャルハラスメント)の検証
九州大学の女性枠問題
タカリの構図
男女共同参画予算は防衛費の2倍?
男女共同参画造語
自作の用語
コビル君・・・ひたすら女性に媚まくる男性フェミニスト
女男な人・・・「男女は差別だから女男じゃなきゃだめっ!」という人(後日追加予定)
よく使われる造語(後日追加予定)
ジェンダーフリーの考察
ジェンダーフリーの問題点
曖昧な定義
バックラッシュの定義
二極分化思考からの脱皮
ジェンダーフリーをめぐる騒動
ジェンダーフリーの凋落
成城トランスカレッジ「ジェンダーフリーとは」の間違い
ジェンダーフリーサイトとして有名な成城トランスカレッジ「ジェンダーフリーとは」の間違いを指摘する。
混合名簿
同室着替え
ジェンダーフリーとフリーセックス
ジェンダーフリーとジェンダーレス
バックラッシュについて
自作自演という決め付け
ジェンダーフリーとオリンピック
意味不明の問答集
荻上チキ(乙川知紀)氏の手口
お笑いジェンダー講師「桂文也」の研究
落語家としてはあまり名が売れていないが、自治体などが主催する男女共同参画の講演者として稼ぎまくっている桂文也の実像に迫る。
お笑い男女共同参画
サイト上の矛盾
男性聴衆に対する無礼
男女共同参画の考察
運動や行政への提言
対立から対話へ
なぜ挑発するのか
差別されている男性として語る
男性並みに働くという事
運動のための運動
女性の意見とは
性差別を弄ぶ政治家
男女平等と女性解放の違い
女性の味方のふりをする男
卵が先か鶏が先か
田中真紀子と扇千景
男女共同参画行政のやる気の無さ
女性に対する配慮と保護の是非
数字で差別は分からない
男女共同参画の罠
アンケートの設問
講演会の茹でガエル作戦
女性の政治参画
女性政治家が少ない理由と対策及び問題点
経済面で女性が不利
女性候補の姿勢
女性を副知事に登用するという公約
クオータ制の問題点
差別が無くても結果はばらつく
男性差別の疑い
性差別だけが差別ではない
逆に差別が横行しかねない
相応しくない人が議員になると女性自身が困る
男女共同参画関連用語の意味と解説
男女共同参画関連用語の意味
参考までに男女共同参画やジェンダーフリーに関連する用語の意味を紹介致しますが、統一的な定義がない用語も少なくありませんので、人や組織によって多少受け止め方が違う事にご注意下さい。
アファーマティブ・アクション
アンペイド・ワーク
HDI(人間開発指数)〈Human Development Index〉
エンパワーメント
加害者再教育プログラム(ドメスティックバイオレンス)
間接差別
クオータ制
合計特殊出生率
サバイバー
GEM(ジェンダー・エンパワーメント指数)〈Gender Empowerment Measure〉
GDI(ジェンダー開発指数)<Gender Development Index>
ジェンダーバイアス
ジェンダーフリー
セクシャルハラスメント
デートDV
ドメスティックバイオレンス
ドメスティックバイオレンスシェルター
配偶者暴力相談支援センター
バタードウーマン
ハネムーン期
バックラッシュ
ポジティブアクション
モラルハラスメント
リプロダクティブ・ヘルス・ライツ(生涯にわたる性と生殖に関する健康と権利)
男女共同参画関連法令
男女共同参画に関する法令を理解して頂くために代表的な法令の条文を掲載致します。下記をクリックして参照して下さい。
| ※ |
通称「ドメスティックバイオレンス防止法(DV防止法)」の正式名称は「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律」です。 |
配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律
男女雇用機会均等法
男女共同参画基本法
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上記タイトルをクリックすると当サイト内にある「女性専用車両の問題点」のページに飛びます。
上記タイトルをクリックすると当サイト内にある「セクハラ(セクシャルハラスメント)の検証」のページに飛びます。
九州大学の女性枠問題
asahi.com(2011年5月18日16時17分)に下記のニュースがある。
入試に女性枠導入「男性への差別」 九大へ批判集まる
九州大学(福岡市東区)が、2012年度の入試から理学部数学科の定員に「女性枠」を導入する計画について、「男性への差別だ」などと批判の声が寄せられ、見直しを迫られていることが18日、分かった。19日に会議を開き、今後の方針について協議する。
同大は女性研究者を増やすことを目的に、数学科の後期日程定員9人のうち5人を女性枠とすることを決定し、昨年3月に発表していた。これに対し、電話や電子メールなどで批判が来ているという。
文部科学省によると、全国の大学・大学院で女性教員が占める割合(2007年10月1日現在)は18.2%で、国立大学は約12%。一方、同大では学内全体で8.7%(2009年5月1日現在)で、さらに数学分野では3%(同)とほかの分野を大きく下回っている。女性の志願者を増やし、将来的に研究者の増加につなげたい考えで、同大は「優秀な女性の人材を育成しなければ、数学分野のみならず社会にとっても損失が大きい」としていた。
どう考えても男性差別という批判は真っ当だ。
一般に採用した基準が公表されず機会の均等が疑わしい企業の職員募集と違い大学入試は機会の均等が最も明らかな筈だ。
それなのに女性を優遇しなければならない理由がさっぱり分からない。
「優秀な女性の人材を育成しなければ、数学分野のみならず社会にとっても損失が大きい」という主張が仮に正しいとしても九州大学にしか出来ないと言うのであれば思い上がりだ。
また一般より低い基準で採用した女性が果たして優秀と言えるのかどうかも疑問だ。
仮に国策として女性の研究者を一定の割合で確保しなければならないとしよう。
その場合でも個々の大学にばらつきがあっても構わないのではないか。
それでは私が別の方法を提案するが、例えば女子大の殆どを工学部に変更するというのはどうだ。
「女子大は馬鹿大だから、ろくな研究者に育たない」というのであれば、それこそ女性差別だ。
国家の将来を考えているかのような偉そうな事を言っても本音は「男だけだとむさくるしい。若くて可愛い女の子がたくさんいれば嬉しい」という下心ではないのか。
そんな事をされて結局一番迷惑するのは優秀な女性だろう。
「あいつは実力はないが女だから優遇されて出世したのだろう」と思われるのがおちだ。
タカリの構図
男女共同参画予算は防衛費の2倍?
「男女共同参画予算は防衛費の2倍もある」という男女共同参画批判を2004年〜2006年頃に保守系メディアなどでよく見かけた。
この説がデマであるという批判も左翼系フェミニストのサイトで幾つか掲載されたが代表例を下記に記す。
1.珍説17・男女共同参画の予算は防衛費より多い|誰かの妄想
2.「男女共同参画予算10兆円」のカラクリ - 『バックラッシュ!』発売記念キャンペーン跡地
上記2ブログは「本当は男女共同参画に(防衛費の約2倍に相当する)10兆円も使われていない」という説明なのだが、実に分かり難い。
特に2番目のサイトは分かり辛いので私が遥かに分かり易く説明する。
そもそも予算には「このテーマをどの省庁に管轄させるべきか、どの項目に計上すればよいのか」が不明確な場合が多い。重複やどこに入れるべきか微妙な分野がよくあるからだ。
例えば科学技術の研究開発は日本では主に文部科学省の管轄だが、他の省庁でも独自の研究開発は行っている。防衛省や国土交通省や経済産業省などの研究開発はそれ自体が科学技術の振興が主目的ではない場合もあるが結果的に技術の進歩や蓄積に貢献している。
一例を挙げると防衛省が国防用に開発したスーパーコンピューターの性能や実用性が十分高ければ国家単位の高速計算機の開発は防衛省主導という手もあるが、防衛費として計上される可能性もある(詳しい事は分からないが)。
文部科学省以外の省庁に配分される研究開発関連予算が文部科学省に配分される予算を上回る場合もあり得るわけで文部科学省に配分された純粋な研究開発費と広い意味での研究開発関連予算には大きな差が生じる場合もある。
つまり、「男女共同参画の管轄省庁(男女共同参画局辺りか)に配分された男女共同参画を直接的な目的とした予算」と「周辺まで含めた男女共同参画関連予算」とは金額的には全く別なのに男女共同参画嫌いの保守派が意図的に混同している・・・というのが上記フェミニスト2サイトの趣旨だ。
上記2サイトでは具体的にだらだらと得意になって説明している。
「男女共同参画関連費と言っても男女共同参画が主目的ではなく男女共同参画予算が計上される訳ではないが間接的に関わってくる分野が殆どだ」と言えば済むだけなのだが・・・
具体的には、
「高齢者等が安心して暮らせる条件の整備」に、厚生年金、国民年金の国庫負担が含められ、これらが約6兆2595億円に上っていること
が10兆円の内の6割にもなっていると強調されている。
更に残り4兆円の内訳については2兆円が「高齢者等が安心して暮らせる介護体制の構築」で0.5兆円が「障害福祉サービスの推進」と解説している。
つまり直接男女共同参画と関係ありそうな費用は1.5兆円だと言うのだ。
上記2サイトは以上の事から結論として「男女共同参画に直接つぎ込まれる予算は1.5兆円に過ぎず、男女共同参画予算が10兆円というのはデマだ」と結論付けているが、私からすると語るに落ちた感がする。
実態とされる1.5兆円以外の関連予算は一体男女共同参画と何の関係があるのか私にはイメージがさっぱりわかない。
うんとこじつけなければ「高齢者等が安心して暮らせる条件の整備」が男女共同参画に入らないような気がする。
普通は予算をより多く獲得したいから意図的に実態より小さく見せかけるものだが、わざわざ実態より遥かに大きく見せかけた理由は何なのだろうか。
上記2番目のサイトにヒントになりそうなコメントが投稿されていた。
がらむ 2010/10/15 22:23
フェミニンが仕事してますってアピールするために、余所の予算を自分の所に抱え込んだって事でOK?
macska 2010/10/15 23:51
逆でしょ。本当はそんなに予算をかけていないのに「日本は男女共同参画のためにこんなに予算をかけています」と内外にアピールするために、なんでも関連予算として計算上含めているだけでは。
macskaはブログ運営者を支持する側の投稿者だが、もしこの推測が当たっているのなら政府は極めて不純な動機で無関係なものを無理やり関連予算として計上した事になる。
10兆円という数字を保守派が都合が良く利用したのだとしても、付け込まれたのは元々政府がいい加減な額を算出した事が発端だ。
やる気がないなら止めるべきだし、形だけの男女共同参画であればやはりタカリの構造と言われても仕方ないと思う。
男女共同参画造語
自作の用語
コビル君
男女共同参画などの集会において主に中高年の男性に多いが、やたらと女性を褒め称え媚まくり男性を貶しまくる頭の悪そうな男をしばしば見かける。
これを「コビル君」と呼ぼうと思う。具体的な定義は下記の様な感じで如何であろうか。
表向きは男女共同参画を大義名分とし女性をやたらと持ち上げるが、女性を褒め称え媚まくり男性を貶しまくるだけで何ら中身が無く女性にやたら甘い下心見え見えの男性フェミニストの事
コビル君の褒め言葉はとても陳腐だ。例えば「女性は元気が良い」、「ダンスサークルに行くと女性ばかりしかいない。野郎はだめだ」というのは札幌市男女共同参画センターの討論会に参加していた年配男性の言葉である。終始こんな事ばかり言っていた。彼は女性の意識が高い事をやたらと強調するのだが、褒め方のセンスが致命的に悪く普通の感覚の女性にとってみれば「そんな褒め方されてもねえ」という感じだった。幼児を褒めるのと訳が違うのだから褒めるにしろ他に褒めようがないのだろうか。
またやたらと男性を敵視するのも特徴だ。「世間一般の男たちは意識が低いが、俺は違うぞ」とやたらと強調する。それこそが真の目的なのであろう。何が違うのか。例えばコビル君から「世間一般の男たちは平均して○○分しか家事を手伝わない。けしからん。男が家事をやっていると言ってもせいぜいゴミ捨てを家事と称しているに違いない」と言うような話をよく聞く。ゴミ捨ては立派な家事だし、そういう決めつけに一体何の根拠があるのかさっぱり分からない。そもそも男性が本当に家事をやってもそんな決め付けしかされないのであれば、やってもやらなくても同じ事なのでそれこそやる気をなくしてしまうだろう。男性に対して家事なんかやるなと言っているようなものだ。本末転倒の議論になっている事に全く気づいてない。
男性と女性が対立している時に論争の中身に関係なく必ず女性の味方をするのも特徴だ。女性に対する厳しい意見が出た時に発言者が男性なら内容の是非に関わらず差別男として罵倒するが、発言者が女性の場合は一切抗議しない。
要するに本当は女性の事なんか全く考えておらず女性にもてたいだけなのだ。
女男な人
よく使われる造語(後日追加予定)
ジェンダーフリーの考察
ジェンダーフリーの問題点
曖昧な定義
ジェンダーフリーは和製英語で定義は様々だが「社会的性差(ジェンダー)の押し付けから自由(フリー)になる」という考え方が最も一般的だ。
ジェンダーフリーは「必ずしも定義が一定ではなく曖昧である」点が大きな問題だ。「性差を完全に無視する」のなら話は簡単だが、運動家の中にはむしろそうでない人の方が多いようだ。個々の事例についてみると解釈の仕方によって考え方が大きく違う場合がよくあり、全体として見てもかなり違う思想も少なくない。
「多少の違いはあっても僅かな違いであり基本的にジェンダーフリーを唱える人はほぼ同じ考え方だ」と言える状況では全くない。女性解放運動系、男性解放運動系、性的少数者解放系運動などをはじめとしてグループ間の差はかなり大きく、場合によっては殆ど違う場合が少なくない。更に同じグループ間でも無視できない個人差が存在する事があり、私が所属する団体でも「えっ、そんな考え方だったの」と驚くような解釈の違いがメンバー間にしばしば見受けられた。
「社会的性差(ジェンダー)の押し付けから自由(フリー)になる」という程度のあたかも俳句のような短い文章から個々人が想像を巡らす訳であり、個々の事例について解釈に大きな差が出るのはむしろ当然かもしれない。
どの部分でどの程度性差を考慮するか明確な規定が無いから解釈に驚くほどの差が出るのだ。
その事が様々な誤解や運動の進行に対する障害になる場合が少なからず見受けらる。
バックラッシュの定義
バックラッシュはジェンダーフリーに反対する勢力を呼ぶときに使われる言葉だ。
これもジェンダフリーと同様に明確な定義は無い。そもそもジェンダーフリー自体に明確な定義が無いのだから、それに対抗するバックラッシュの定義も自ずと不明確なものになる。
一般的には保守反動勢力扱いされているが、保守反動思想であることが条件に入るのかどうかも曖昧である。「ジェンダーフリー」という概念自体が定義が明確化されておらず多様なので、どのジェンダーフリーに反対する意見なのかよく確認する必要がある。
既に説明した通りジェンダーフリーは非常に幅広いので、ジェンダーフリー活動家自体が違う流派のジェンダーフリーをバックラッシュ扱いする場合もあり得るので安易にレッテル貼りしない方が良いと思う。
二極分化思考からの脱皮
男女問題に関する従来の運動は「男対女」、「男女共同参画賛成派対反対派」、「進歩派対保守派」などのように単純に二項対立に分けてしまう極めて単純な構図だった。
よく言われる言葉に「男は仕事、女は家庭という性別による固定的役割分担意識を払拭したい」というのがある。性別による固定的役割分担意識を払拭したいという考え方は間違っていないが、現実には女性の社会参画を全く認めない人も性別に対するこだわりが全く無い人も殆どいない。運動をしている人の中にも性別に関するこだわりはかなりある。
だから、殆どの人を男女共同参画推進派と呼ぶ事も逆に性差別意識の持ち主と呼ぶことも出来る訳で、便宜上無理やりグループ分けしているに過ぎない。
考え方の違いは光のスペクトルのように明確な境目がない。絵の具のセットは通常は色合いの順で並べられているが、境目やグループの個数は何とでも設定できる。
ジェンダーフリーとバックラッシュという対立している仲の悪いグループに対して、必ずしもどちらかが全面的に正しくどちらかが全面的に間違っていると考える人ばかりではない。「半々で正しい」とか「6:4の割合で正しい」と思うような人がいても不思議は無い。
女性が管理職になることを積極的に支持する人の中にも「消防士など女性に向かない特殊な職業には就くべきではない」という人もいる。
男女混合名簿にしても賛成か反対かではなく「どちらでもいい。現場のやりたい方にすればいい」という意見も少なくない。
或いは出産休暇の存続の是非についても「賛成か反対か」という単細胞的な二極分化思考で決まるわけではない。例えば「出産休暇は必要だが1日で十分だ」と言う人(実際にいるかどうかは分かないが)は事実上廃止派と殆ど同じだ。「賛成か反対か」ではなく「何日必要か」という問いかけが必要だ。廃止派はその内の「0日派」という事になる。
或いは国会議員の女性枠設定についても「賛成か反対か」だけではなく、女性枠を何%に設定するかが問題になる。1%、30%、45%など人によって様々だろう。現状では1%枠に設定する事は「女性枠が要らない」というのと実質的に殆ど差がない。
同じ人や団体でも古い部分も新しい部分も持ち合わせている人はいるし、むしろそういう人の方が多い気もする。また既に述べた通り、具体的な個々の分野に関する「新しさ」についても程度の差だから、そのレベルは無限と考える事も出来る。そういう訳で、もはや「古いか新しいか」という単純な発想では対処できない。
ジェンダーフリーをめぐる騒動
近年、ジェンダーフリーバッシングだとかジェンダーフリーに反対するバックラッシュなどという言葉をよく見かける。
私は「反対勢力が曲解してジェンダーフリーを貶めている」という言い方はなるべく避けた方がよいと思う。ジェンダーフリーを名乗る人たちの中に一部極端な人たちがいるのは事実なので、それを見てジェンダーフリーを誤解して悪く言っている人もいるかもしれないからだ。
実際に行政など主催する会合において過激な性教育(過激かどうかは主観の問題だが)とされる行為を実施している団体もある。また、自治体などから講演会によく招かれる講師が「フリーセックスとジェンダーフリーは一緒」と表明している例も確認している。
必ずしも極端な保守的思想の持ち主という訳でも、嘘をついた訳でもないのに悪者と決め付けられたら当然良い気分はしないだろう。敵に回さなくても良い人たちまで敵にしてしまうのは賢くない。私としてはジェンダーフリー運動自身と反対勢力の双方に対するバランスの取れた批判が必要と考える。
ジェンダーフリーの凋落
ジェンダーフリーが急速に落ち目になった理由としてバックラッシュなる反対勢力の妨害が理由としてよく挙げられる。
しかし、私はバックラッシュがジェンダーフリー凋落の要因とはあまり思わない。なぜなら実際にジェンダーフリー叩きの中核をなしているのは大手マスコミや大物政治家ではなく普通(かどうかは微妙だが)の女性中学校教師や女性労働者などが多いからだ。
ジェンダーフリーが落ち目になった最大の理由は運動している人たちが飽きてきたからだ。かつてウーマンリブ活動が盛んだったが今ではウーマンリブという言葉を使う人は殆どいない。
特に外来語の場合、格好よくて先進的なイメージがあるが、逆に飽きられやすく根付きにくい欠点がある。ブームに便乗する人が少なくないからだ。今流行のドメスティックバイオレンス運動もそうだ。
元々信念がなく「皆がやっているから自分もやる。皆がやめるから自分もやめる」という主体性の無い人が多かった。だから弱小勢力からちょっと批判を浴びるという小さなきっかけだけで簡単に崩壊してしまったのだ。かつてジェンダーフリーと大騒ぎしていた人たちが下火になってくるとドメスティックバイオレンスやデートDVにシフトし始めた。ドメスティックバイオレンス運動もいずれ同じ運命を辿るだろう。
成城トランスカレッジ「ジェンダーフリーとは」の間違い
荻上チキ(乙川知紀)氏が運営する成城トランスカレッジ「ジェンダーフリーとは」はあまりにも内容が奇異で有名だが、その間違いを指摘する。
まじめにジェンダーフリー運動をしている人にとって迷惑なのは荻上チキ(乙川知紀)氏のようなふざけた運動家である。アドレスは下記の通り。
成城トランスカレッジ「ジェンダーフリーとは」〜Q&Aですぐわかる!〜
http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/genderfreeQandA.html
字が茶色で「Q.」と「A.」が先頭につく問答形式になっている文章が引用文である。
混合名簿
| Q. |
男女混合名簿はどうなんのさ? これもなくすの? 面倒だし、非効率的だよ。 |
| A. |
私は学生の頃も、いろんな機会に実際に教壇に立ったときも混合名簿でしたけど、特に問題なかったなぁ。男女別名簿って効率的ってデータあるの? 不便に感じたことなかったし、大学とか普通に混合だから、別にいいんじゃないのかな。男女別名簿って、日本とインドだけらしいね。それが分かった1985年の国際婦人ナイロビ会議では、各国から「早く変えるべき」って意見が出されたとのこと。もちろん名簿変えたからといって差別がなくなるわけじゃないけど、だからといって変えても全然問題ない気がするし、わざわざ分けなくてもいいんじゃない? もちろん名簿を混ぜたら着替えも一緒、てことはありえないしね。
※ちなみに、混合名簿はジェンダーフリーとは別の文脈で進められていたもの。ジェンダーフリーへのバッシングでとばっちりをくらっている感がある。 |
これは保守系のサイトでも指摘されているが男女別名簿が日本とインドだけの筈が無い。イスラム圏などが男女混合である筈もないし、日本とインド以外にも男女別名簿はたくさんある筈だ。調査した18ヵ国の中では2国だけということであり全世界の国を調査したわけではない。
そもそも外国がどうであろうと何の関係もない。外国の実態がどうであろうと男女混合名簿が必要なら使えばよいし、不要なら使わなければよいだけだ。
ジェンダーフリー推進派の中からも混合名簿の不便さを指摘する声が挙がる事がある。身体検査や体育など全てを男女混合にするなら面倒はないだろうが、通常は分けるから混合名簿は不便だと考えるのが当然だろう。
例え不便だろうと現場の人が使いたいのであれば使えばよいし不便がなかろうと使いたくないのであれば無理に使わせる必要もない。
同室着替え
| Q. |
でもさ、男女同室で着替えた例があるって言ってる人もいるよ? |
| A. |
ジェンダーフリーによって同室着替えがなされるというのは完全にデマ。「性差別をなくすため、一緒の部屋で着替えましょう」とか言うわけないでしょう。むしろ逆。あたりまえだけど、これは「男女同室着替えがあるかないか」という問いとは別の問題だから注意してね。詳しくはこちらをどうぞ。
そういえば小学校の頃とか、同室で着替えるのが一般的だったりしたけど(今もそうかな?)、その時だって全員すっぽんぽんになってたわけじゃなく、服の下に水着はいておいたり、プールタオルで隠しながら着替えたっけ。でもやっぱ、更衣室や個室があったほうがいいよね。 |
「性差別をなくすため、一緒の部屋で着替えましょう」とか言うわけない という根拠が分からない。
「自分たちは男女同室着替えに反対である」というだけの話であり、他のジェンダーフリー論者が同室着替えを推奨していたとしても不思議は無い。
ジェンダーフリーの定義や言葉の趣旨は非常識であろうと反社会的であろうと構わない。それが嫌であれば関わらなければよいのだ。そこが分かっていないから、こういう話になるのだろう。
ジェンダーフリーとフリーセックス
| Q. |
ジェンダーフリーはフリーセックスだ! |
| A. |
「フリー」しかあっておまへんがな。「多様な性」と言うと、「大人数でセックス」を連想するのはムッツリスケベのしわざ。でも、もちろんムッツリスケベでも超OK! |
当HPで説明した通りジェンダーフリーには明確な定義が無く、個々の事例については各自が勝手に規定して解釈しているのが実態である。だから「ジェンダーフリーはフリーセックス」と言う人がいても必ずしも間違いとは言えない。実際に自治体などに招聘される有名な講師の中にはそう言っている人もいる。
例えば、落語家の桂文也氏は桂文也のジェンダー日記(その記述の部分は現在なぜか閉鎖中)というサイトで「フリーセックスとジェンダーフリーは一緒」と述べている。
ジェンダーフリーとジェンダーレス
| Q. |
性差の押し付けから自由になる…それって「性差」をなくすってこと? |
| A. |
よくある誤解だけど、ジェンダーフリーは、性差を全部なくすこと(ジェンダーレス)とは違います。ジェンダーフリーは、社会におけるジェンダーによる偏見やバイアスを減らしていこうというもの(参照)。ジェンダーを全部なくすのではなく、バイアスや偏見をなくすためだからこそ、男性の育児休暇への配慮や男性の労働時間の縮減、女性の生理休暇や産休なども含まれるわけで。 |
既に述べた通りジェンダーフリーには明確な定義が無く、個々の事例については各自が勝手に規定して解釈しているのが実態であり、「ジェンダーフリーはジェンダーレス」という解釈についても必ずしも間違いとは言えない。
女性の生理休暇や産休についてはジェンダーフリー論者の中にも廃止すべきだという意見もある。
バックラッシュ
| Q. |
バックラッシュについて教えてくだちい。 |
| A. |
バックラッシュ(逆流、反動)とは、「ジェンダーフリー」という考え方を批判しつつ、逆に「伝統的」とされる男女の図式を強化、あるいは保守する可能性のある思想・運動に対して(主に推進派側から)用いられる言葉です。バックラッシュのパターンを便宜的に2つに分けると、(1)自分や自分の世代が自明視していた価値観の相対化に不安になっている方々と、(2)政治的意図や宗教的意図などから、故意に「ジェンダーフリー」に対するバッシングをし、歪曲したデマを流している方々がいます。前者の方には、「大丈夫、そういう価値観をあなたがもっていることもOK!」と言えるよう、制度的なケアと説得をしっかり行う必要があります。でも、嫌がる人に押し付けることはアウトです。 |
バックラッシュとは元々は機会のネジに関する用語であるらしく反動という意味はあるが保守という意味はなかった。いつの間にか勝手に付け加えられた解釈である。気をつけなければならないのは「自分のジェンダーフリー理論に反対する者は全て保守派の差別主義者」という方向に持っていかれかねないことだ。
自作自演という決め付け
| Q. |
やっぱ、誤解が広まっているから、「ジェンダー」とか「ジェンダーフリー」とかって使わないほうがいいんじゃない? |
| A. |
「マッチポンプ」ってご存知ですか? 自分で火を起こして自分で消す役を買って出ることで不当な利益を得ることですね。自分で誤解を振りまいて、「ほーら、こんなに誤解があるんだからやめときな」って言われてもね。自作自演はやめましょう。ジェンダーだけに、じえんだー。お後がよろしいようで。でも、より分かりやすい言葉を考えることは大事だと思う。ジェンダーフリーって「この記事」に書かれているような経緯で生まれた言葉があるし、ぶっちゃけ、あまり知られてないしね。余談だけど、これだけ起源がはっきりしている言葉って珍しいね。 |
この答えは意味不明で理解に苦しむ。質問自体には不自然さは無い。私の所属する会でも「誤解されているようだから、ジェンダーフリーという言葉を使うのはやめようか」という提案は出ている。ジェンダーフリーという名前を書き換えた団体もある。
誤解に対する何らかの対策は必要だろう。ジェンダーフリーという言葉を使うのをやめるのも一つの手だし、全く逆に徹底的に説明して理解してもらう手もある。どちらも間違いではなく好きな方を選べばよいだけの話だ。
ところが、A.を見てみると「誤解が広まっているから使うのをやめた方がよいのではないか」という問いかけに「自分で誤解を振りまいて」とか「自作自演はやめましょう」などと自作自演と決め付ける実に不思議な返答をしている。
何の脈絡も無く奇妙な決め付けが出てくることに戸惑いを感じるが、的外れとしか言いようがない。
ジェンダーフリーとオリンピック
ジェンダーフリーとオリンピックに関する、これも訳の分からない解説がある。
| Q. |
ジェンダーフリーって、オリンピックで男と女を競争させるの? |
| A. |
…という質問をしないために、ここでおさらい。その1。ジェンダーレスとジェンダーフリーは違います。その2。形式的平等ではなく、実質的平等を求めます。以上! えーと、足りない? よく「フェミニストは女を男並みにする思想だ」とか「男女の性差をなくしてひとつの性にするつもりだ」って非難があるけど、現在のフェミニズムは差異の否定ではなく差異の承認に向けて議論を展開している。男も色々、女も色々だから、特定の「らしさ」だけに固定されない選択を、というように。もちろん形式的に男女同数・男女で勝負させたりすることとは違う。むしろ今は、形式的には「男女対等に勝負していることになっている」という問題があるから、実質的に改善していこうよ、ってことなんだけど、なぜ逆の発想になるんだろう。 |
私はオリンピック自体に余り興味がないので男女別だろうと混合だろうとどうでもよいことだが、オリンピックで男女を勝負させるという発想があっても面白くてよいのではないだろうか。オリンピックで男女が勝負する事と形式主義がどうこういう事の間に一体どういう関係があるのかさっぱり分からない。
意味不明の問答集
| Q. |
よーし、僕、男らしくなりたい! モテたいもん! |
| A. |
うん。無理しない程度にがんばれ。ところで「男らしさ」にも流行があるよね。高倉健、石原裕次郎、キムタク…今は誰かな。神木君…はまだ若いって! |
| Q. |
でも、涙が出ちゃう。だって、女の子だもん。 |
| A. |
「僕女」だったのか! 男の子も泣くけど、コートの中では平気なの。 |
| Q. |
やかましい! 女は家にいろ! |
| A. |
もちつけ。 |
| Q. |
いやだい! この国を、侍と大和撫子でいっぱいにするんだい! |
| A. |
夢は大きくてもいいと思う。でも、大人なんだから我慢しようね。よしよし。ところで、すごく個人的に疑問なんですが、「日本人はサムライの子孫!」とか「サムライの血が!」とかよく聞くけど、多分、ほとんどが農家の子孫だと思う。農家の人をリスペクトしましょう。 |
これは一体何なのだろうか? これがジェンダーフリーを理解させることにどうつながるのだろうか?
私にはふざけているようにしか見えないのだが、私の意識が古いのだろうか。
馬鹿馬鹿しくてコメントする気すらおきない。
荻上チキ(乙川知紀)氏の手口
荻上チキ(乙川知紀)は自身のサイトである荻上式BLOGで小谷野敦氏が荻上チキ氏の実名を晒したと騒いでいる。
・小谷野敦さんに実名を晒された件/および匿名と顕名の擁護
しかし、小谷野敦氏の下記のサイトを見ると実名のヒントは書かれているが、実名自体は書かれていない。
・荻上チキの正体
・乙〇君に告ぐ
小谷野敦氏がヒントを晒す以前に荻上チキ(乙川知紀)氏の実名を晒したのが自分であると証言する人がいる。
・荻上チキは酷い人だった
・[悪意]はじめに実名を書いたのは俺なのに
・はじめに実名を書いたのは俺なのに - 萩上チキこと、乙川知紀さん
更に小谷野敦氏が実名のヒントを出す前に既に実名が知られ渡っていた事にうすうす気づいていながら気づかないふりをして小谷野敦氏を悪者にしているのではないかという疑惑が下記のサイトで指摘されている。
・荻上チキおぎうえちき乙川知紀おとかわとものり
彼は「実名を晒されると迷惑だ」としているが、有名人であり東京大学卒である事を得意になって語るなどの態度から今の情報化社会では調べようと思えば名前など簡単に分かってしまうのにそれに気づかないとはインターネットを語る物書きとしてはいささかお粗末だ。
そもそも、私自身が荻上チキ(乙川知紀)氏によって彼のブログで実名を晒されている。私だって決して愉快ではなく多大な迷惑をこうむっている。「人のふり見て我がふり直せ」ではないだろうか。
実名騒動以外にも下記のサイトで成城トラカレ「ジェンダーフリーとは」の間違いが指摘されている。
・成城トラカレ「ジェンダーフリーとは」の嘘とデマ
例えば、「ジェンダーフリーとジェンダーレスは連続していて、明確な境界線はないという」という意見が成城トラカレ「ジェンダーフリーとは」では完全に無視されている。
お笑いジェンダー講師「桂文也」の研究
お笑い男女共同参画
21世紀初頭、札幌では行政や政党などが主催する男女共同参画関連の講演会に遥洋子氏をはじめとする関西系お笑い芸人講師が大挙して押しかけた。恐らくこの時期は全国的にそうだったのだろう。その手の講演会には話題性だけで中身が無いものが多かったが、特に酷いのが落語家の桂文也である。
彼は落語家としては馴染みの無い名前だが、ジェンダーや男女共同参画などの講演会でかつては引っ張り凧だった。
しかし、私には講演の内容に違和感があった。殆どの男女共同参画の講師に偏りや欠点はあるものだが、彼はその典型だった。ここでは桂文也の問題点を詳細かつ客観的に突き止めていくことにより男女共同参画運動の問題点を探っていく。
男女共同参画に関する彼の主張を端的に語ると、これはよくあるパターンだが「男の意識は低く、女性は被害者である」ということだ。何でも強引にジェンダーのせいにして男をひたすら責めまくり反省を促す、そういう内容であった。
フェミナチの野望というサイトで「話の内容がフェミニズム・パンフレットのレベル」と酷評されているが、同感だ。
自治体などからの講演の依頼はかなり多かったらしく、かつてはかなりの過密スケジュールだったらしい。講演が年間百回という年もあったようだ。落語家や吉本興業などのお笑い芸人らが人材派遣業者の講師として登録されているらしく、自治体に積極的に売り込んでいるようだ。自治体関係の男女共同参画に関する講演料もかなり高く、有名な講師の謝礼は20万円から50万円程度が当たり前のように払われている。
私が参加している会合で実施する講演会の講師を選ぶ際に自治体の職員から「吉本興業の芸人もリストにあるがどうか」と言われたが、私は奇異な感じがしたし、メンバーも反対した。
男女共同参画ブームに便乗した商売という気がしないでもなかったが、私は基本的に啓蒙活動をしている人についてよほどの事が無い限りインチキ活動家と決め付けない。私の経験では過激で奇異な発言についてギャグや冗談なのかと思ったら本人が本当にそう思っていた例が少なくない。桂文也についてもインチキに見えるが本人は本気かもしれないから、確かな証拠は無い以上インチキ講師という呼び方は控えてきた。
サイト上の矛盾
しかし最近、桂文也のサイトを読んで不可解に思った。下記の文章は桂文也の主張を書いたサイト「桂文也のジェンダー日記」の2003年11月12日の一部を引用したものだ。
それにしてもここのところ人権講演会への依頼が非常に多い。同和対策法の時限が来たからと言うことでやたらとジェンダーやら男女共同参画へとシフトしているようだ。私としては専門ジャンルだからいいのだがなんと私のまがいもの、というかいわゆる「バチもの」と関西で言うところの類似品が出て来ている。実は私の同じ職業の人間、つまり落語家だったりするのだがなんともこいつはジェンダーのかけらも理解してないどころかどうも講演で間違ったことを言って実施団体からひんしゅくをかっているようなのだ。で名前が私と一時違い。地方ではじっさいいつくか間違ったらしい。そいつのプロダクションが間違うように売り込んでいるらしい。しかも私より少々安く売ってるらしい。昔良くあった「美空ひはり」や「船本一夫」や「石原裕太郎」「北鳥三郎」なんてところである。いやはやなんともせちがらい夜の中になったもんだ。
平仮名と誤字がやたら多くて読みづらい。断言していないが、要するに「同業者の中に自分の真似をして男女共同参画に便乗したインチキ落語家がいる」と言いたげだ。
同和対策法の時限が来たからということでやたらとジェンダーやら男女共同参画へとシフトしている者が多いのはその通りだろう。それについては私も苦々しく思っている。でも桂文也自身はどうなのだろうか。「私としては専門ジャンルだからいい」と言っているが、そもそもこの人の専門は何なのだろう。落語ではなかったのだろうか。ジェンダーフリー北海道のパンフレットでは「落語家として活躍される一方、日本ジェンダー学会に入って勉強をされており、「ジェンダー」や「男女共同参画」等の人権問題の講演などを積極的に行っています」と書かれている。専門と言ってもその程度に過ぎず、もともとこの分野は建築士のような資格や許認可など必要なく誰でも参入できるのだから専門ジャンルという表現自体が妙だ。
もし「単なる落語家が講師をやってはいけない」と言うならそれこそ自己矛盾を孕んでしまう。何故なら、私が2004年2月17日にジェンダーフリー北海道が主催した「桂文也のジェンダーブレーク」で質疑応答の際になぜわざわざ講師に落語家を選んだのか疑問に思い質問すると「落語家に対する差別だ」と彼が大騒ぎしていたからだ。
まがいもの扱いされた落語家の名前が一字違いという点については、「人気講師である俺の名前に意図的に似せた」とでも言いたげだが、語尾に「らしい」とついているところを見ると確かな証拠は無いのだろう。そもそも落語家は似た名前が多い。桂文也に似た名前であれば例えば「桂文珍」という有名人がいる。穿った見方をすれば、桂文也こそが意図的に超人気落語家の桂文珍と似た名前で売り出そうとしたと疑われても仕方ないのではないか(実際にどちらが先なのか私は知らないが)。
「ジェンダーのかけらも理解してない」という点についても主観の問題だ。それなら私から見ると桂文也こそがジェンダーのかけらも理解していないように見える。「講演で間違ったことを言って実施団体からひんしゅくをかっている」などの話にしても語尾にはいずれも「ようなのだ」という感じで断定はしていない。間違ったとされる内容にしても具体的に書くならともかく具体的な説明は何もなしで伝聞だけではフェアではない。それならば私からすると桂文也の講演会だって間違った情報や方法がたくさんあったと思う。
プロダクションがその落語家を桂文也より安く売り込んだ事をなぜ責められなければならないのだろうか? それのどこがいけないことなのだろうか? 自治体としては少しでも講演料が安ければ助かるし、講師だって安くするように努めるべきではないのだろうか。伝道者が多ければ男女共同参画がそれだけ多く広まっていくのだから、歓迎すべきことではないのだろうか。困る人がいるとすれば、それは桂文也自身だろう。HPで本人が言っている通り落語家には保証が無く収入は安定していない。メシの種を奪われそうになって腹を立てている、それだけの事ではないのか。
同じく「桂文也のジェンダー日記」の2003年11月12日の下記の記述を読むと、そもそも桂文也自身に女性センターからクレームが来ているようだ。
前にも書いたかもしれないけど「男達にジェンダーを理解させるのはタクラマカン砂漠にスポイトで水をまいて緑化作業をするようなものだ」と言うのはまさに真実ですよ。それだけ女達を家に閉じ込め、自分達の意のままになる召し使いにしたいのだろうか。それで何が嬉しいのだろう。私にはわからない。(いや本当はなぜ男達がそうなるのかはすでに実証されてわたしゃわかってるんですけどもね。じゃなくてなぜこんなに簡単なことが理解出来ないのかが考えられないと言う意味なんですよ。)さらに月末に行くある女性センターからは最近市議会や各方面からの男女共同参画に対するいろいろな意見が出て来ているので、、、」と暗に発言への注意を促された。つまり「どうぞ穏便に。」と言うことだと私は受け止めた。ほうほう私の発言の過激さがそこまで行き渡ってるんですかい。へえーっ、となるとますます燃える私の特性を御存じないらしい。そうなりゃよけいそんなバカおやじを焚き付け、逆なでし、逆上させた上で一分の隙も無い論理と哲学と科学と実証で完膚なきまでに叩きのめして再起不能にしてやる。と、今日も雄叫びを上げる私でした。(2003/11/12)
上記の引用文を読むと「バカおやじ」という言葉が出てくるがクレームをつけたのが男性だという事を本当に確認したのだろうか。お得意の決め付けではないのか。彼と一文字違いの落語家も桂文也自身も苦情が来ているわけだが、自分と一文字違いの落語家について一方的にその人が悪いと決めつけ、自分に対する苦情については理解しない方が悪いと責任転嫁する。
過激であれば受けると思う人はよくいるが、桂文也は自分こそが真実に気付いていない事に気付くべきだろう。
過激さを追求していくうちについには「「フリーセックス」と「ジェンダーフリー」は一緒なんです」となってしまった。お陰でジェンダーフリーは一気に失速してしまったのであり多くの人が迷惑した事に気付くべきだ。
男性聴衆に対する無礼
宝島社二〇〇六年一月一日発行・別冊宝島Real069「男女平等バカ」に桂文也の無礼な態度に関する記述がある。
かつてネット上に公開していた「桂文也のジェンダー日記」では「先日も講演に行って余りに客席の男たちが反応しないものですから、ここにいる男達、お前達の存在そのものが犯罪なんだと言ってみたり…」 などの記述をしている。
下らないギャグの連発で女性をやたらと褒め称え男性をやたらとけなす事で会場の中高年女性は爆笑するが、男性が沈黙する。私が傍聴した講演会でもそういう場面が見受けられた。知的レベルの低さをギャグで補う低レベルな講演に男性が白けても責められないだろう。まじめに男女共同参画を考えるためにわざわざ金と手間をかけてやってきたのに悪者扱いされるのでは嫌気がさして当然だ。そこで女性と一緒になってげらげら笑う男がいるとすればその方がよほどおかしい。
私が聞いた時は「男たちは意識が低いから笑わないんです」という程度の話だった。これでもかなり悪質だが、「ここにいる男達、お前達の存在そのものが犯罪なんだ」という発言はもはや人間失格としか言いようがない。
彼は「桂文也のジェンダー日記」の中で子供のしつけが行き届いていない若い母親を叱りつけた話を得意になって書いていたのだが、自身のマナーを省みる必要があるのではないか。
男女共同参画を考察する
運動や行政への提言
対立から対話へ
20年以上前の随分古い話なので知らない人も多いかもしれないが、女性が「私作る人」と言った後に男性が「僕食べる人」と言う台詞のある即席ラーメンのコマーシャルがあった。当時これが女性解放運動家の逆鱗に触れて大問題となった。結局、抗議を受けてコマーシャルは中止になったが、後味の悪さが残った。これが、フェミニストに対して極めて悪い印象を与える事になった。年配の女性議員(たしか市川房江氏だったと思う)がテレビに向かって激しく怒った様子で「性的役割分担の強要はけしからん」みたいな事を言っていた記憶がある。私は「このままだと男は女の奴隷にされるのではないか」という恐怖感を持った。
そのラーメンのコマーシャルについて補足すると、ジェンダー(社会的に作られた性差)という見地からすると確かに好ましくなかったかもしれないが、「このコマーシャルは絶対に性差別だ」と断言できるほど明確な表現があった訳でもなかった。たまたま、「私作る人」と言ったのが女性で、「僕食べる人」と言ったのが男性だったというだけなのかもしれないのだ。その点が運動に対する不信感を募らせる理由になっていた。
この運動は今日のジェンダーフリーという観点からすると非常に進んでいたという見方もできなくはないのだが、私はもっと穏やかに話し合って説得すべきだったと思う。そうすれば男性としても必ずしも理解できない事は無かっただろう。こういう強引な運動の在り方が逆に男女共同参画を大きく後退させてきたのではないだろうか。
ただ、私の運動も教条的な女性解放運動の裏返しにならないように注意する必要はあるとは思う。女性を一方的な悪者として糾弾するような事は断じて避けなければならないと考える。
なぜ挑発するのか
日本でフェミニストと呼ばれる人物の中で代表的な存在に東京大学教授の上野千鶴子氏があげられる。彼女は女性学の権威的存在である。マルクス主義フェミニズムから独自の展開をみせたそうだ。
私は彼女の作品を読んだり講演を聞いたりした事がある。確かに彼女の知識は豊富である。しかし、ジェンダーに関して訴える手法に大してはいささか疑問がある。
彼女の著作(確か「発情装置」だったと思う)に書いてあった紹介文の中には「挑発して引き付ける手法はさすがである」というような内容の文言が書かれてあった記憶がある。
確かにディベートや裁判の弁護やインターネット掲示板上での喧嘩のように何でもいいから相手をやり込める必要のある論争においては、相手を挑発するのは極めて有効な手段かもしれない。
しかし、男女共同参画運動において上野氏が男を挑発しなければならない理由が今一つ分からない。あまり有名でない人や十分な発言の機会や手段を与えられていない被差別者が注目をあびるために大衆に向けて大声で叫ぶというならまだ理解できるが、彼女は有名大学の教授であり既に発言の手段も機会も十分に与えられている。知名度も十分に高い。相手を挑発しなければならない理由がどうも分からない。
これは参議院議員の田嶋陽子氏についても同じ事が言えるが、彼女は怒鳴るタイプであるが、彼女についても怒鳴らなくても知名度が十分高いから話を聞いてくれる人はたくさんいる筈だ。
彼女らに共通して言えるのは、ジェンダーフリーという概念を普及させる上で挑発的な言動は何の意味も無く、むしろマイナスの印象を与えるという負の結果しかもたらさないという事だ。男性を不必要に挑発する事で、男性からだけでなく女性からも見放されつつある事に気付くべきであろう。
差別されている男性として語る
私は売れっ子作家ではないので、印税の収入は年間百万円にも満たない事が多い。だから、印税収入だけでは生活できない。そのためにアルバイトをする事もある。CADオペレーターやキーパンチャーなどの仕事を希望しているのだが、これらの仕事は雇い主が女性を優先して採用したがる傾向がある。
男女雇用機会均等法ができたが実際には男性であるために断られる事は少なくない。求人広告での差別は格段に減ったが実際には差別は存在する。求職者としては却って分かり辛くなっており、はっきりと「男性のみ」、「女性のみ」と書かれていた頃の方がむしろましだったとも言える。
その事で逆に「女性もそういった差別を受けているのだろうな」という事が容易に想像がつく要因となっている。私は男性として差別されている事で、逆に女性に対する理解や同情を持つこととなった。
このように女性に対する差別が理解できるかどうかというのは、その人が男か女かという事ではなく、弱者の立場が理解できるかどうかで決まってくると思う。大学教授や弁護士に聞いたところで、それが女であれ男であれ、実態というのはなかなか理解できないだろう。
本当に差別の実態が分かるのは差別した人やされた人なのだ。
男性並みに働くという事
「平等を主張するなら女性も男性並みに働くべきだ」という意見がある。これは全くもって正論だ。これに対して女性の中からは「女性が男社会にあわせて男性化する必要は無い」という意見が出ている。
同じ給料や地位を要求するのなら、女が男なみに働くのは当然の事だ。男女共同参画とは女性もまた男性並みの責任を取らなければならない。
ただ、この事に関して勘違いがあると思うのは、女性が今の男性の労働にあわせる必要は必ずしも無いという事だ。今は失業者があふれているし、主婦をやっていた人たちが労働に参加する事になれば、労働者一人当たりの労働時間は当然減らさなければならない事になる。そうでないと雇用が増えない。また、労働生産性も著しく向上しているから、今の日本では週休3日で1日6時間程度の労働でも十分やっていける筈なのだ。
むしろ男性の労働時間を減らす事に力を入れるべきなのである。そして、その分の労働を女性に分け与えればよいだけの話なのだ。男女の利害関係は一致しているのだから、喧嘩する必要など全く無い。好きで長時間労働をしている男性など殆どいないのだから、そういう心理が分からずに教条的な女性解放運動をするのはマイナスでしかない。
また、男性並みの労働と言うのは単に労働時間だけの問題でもない。労働の質や心構えについても男性と同じ様にする必要がある。「私、女の子だから重い荷物は持ちません」という態度の女性は低賃金でも仕方ない。
運動のための運動
私は数年前から、男女共同参画やジェンダー(社会的に作られた性差)に関する集会に何度か出席してきた。そこで感じた事は「上に行くほど馬鹿になる。組織が大きくなるほど駄目になる」という事だ。
女性解放運動に取り組んでいる有名大学の教授や弁護士(男性も少なくない)には傲慢で現実を把握していない人が多かった。彼らは声高に女性の解放を訴えるが、やっている事は形式的で的外れな事が多い。雇用機会均等法によって性差別がさらに拡大したという意見もある。本当かどうか知らないが、事実だとしても全く不思議はない。法律さえ作れば差別が無くなるという単純な発想は男性官僚と変わりない。私が矛盾を指摘しても、「お前みたいな馬鹿に答える必要はない」というような尊大な態度を示される事が多かった。電車内での痴漢やセクハラについてもベンツで職場に通うような金持ちに実態が分かるのだろうかという疑問がある。
大きな女性団体のリーダーの中にも乱暴な人が多かった。「『女性に対する暴力は許せない』という表現は差別的だから、『異性に対する一方的暴力』というように男性にも配慮した表現にしてはどうか」と私は主張している。それに対してメンバーから激しく怒鳴られた。別の会のリーダーには何度も叩かれた。札幌市の男女共同参画課課長からは「あんた、ああいう質問をするのはやめなさい」と叱られた。
市民活動のリーダーとして活躍し、女性解放運動にも取り組んできた女性と話した時に不愉快に思った事がある。拙著「男女平等への道」を見せたのだが、全く読もうともせず表紙を見ただけで駄作と決め付けた。彼女は「私は何十年も女性解放運動に取り組んできたのよ。あなた、もっと勉強した方がいいわよ」と言い放った。私はそれに対して「私はフェミニストと称する大学教授や弁護士のような地位の高い人とは話が合いませんが、主婦や女性労働者のような一般の女性とは良く話し合っています」と答えた。すると彼女は、「そんなのと話し合っても仕方ない」と恐るべき差別的発言をした。市民活動やボランティアで年数や実績を誇るのは良くないと思う。そんな所に上下関係を持ち込んで欲しくないし、何の見返りもないから尊いのではないのだろうか。女性解放運動は日本社会の理不尽な慣習に対する反発によるものではなかったのだろうか。こんなところに上下関係を持ち込んでほしくない。「男は仕事、女は家庭」という頑固オヤジの単なる裏返しではないか。これでは折角、この問題に興味を持った男性がやる気を失う事になる。
フェミニストに対しては男性だけでなく、女性の中にも毛嫌いする人が多い。私自身もフェミニストに対して良い印象を持っていなかった。しかし、一般のフェミニストについて言うと、権利だけ主張する我がままな傲慢女ではなく、穏やかで責任感の強い人が多かった。集会での質疑応答の際に私が質問すると、「時間切れ」とか「今回のテーマに合わない」などと質問が遮られる事が多かったが、全く差別的ではない私の質問に答えようとしない主催者に対して疑問を感じる女性もいたようだ。「男性があのような質問をする事は勇気があって、とてもいい事だと思います。頑張って下さい」という励ましの声を掛けられる事もあった。札幌の大きな女性団体に所属している主婦は、「あの人達は主婦を馬鹿にしている」とか「主催者のミスでスケジュールが変更になったのに、大きな態度をとっていた」などと不満を打ち明けた。
過去にどんな立派な活動をしていても、現在、実態に合わないような運動は直ちにやめるべきだ。年数や実績を誇るのはよくない。
女性の意見とは
女性解放運動家(女性とは限らない)から「女性の意見」という言葉をよく耳にする。しかし、実際には圧倒的多数の女性がこう思っているという統一見解がある事例はごく少数である。多くの場合、女性の意見と言えるものは存在しない(逆に言うと何万という数の女性の意見があるという言い方もできるが)。
例えば、被扶養者に対する税金の配偶者控除の存廃がよく話題になる。詳しい事は知らないが、妻の年収が103万円を超えると税金がかかるので、103万円を超えないように調整している女性が多いらしい。「配偶者控除の存在が女性の自立を阻んでいるので廃止すべきだ」という意見をよく耳にする。私はこの意見自体には賛成なのだが、男が自分の都合を押し付けているかの様な主張には疑問を持っている。私が新聞の投稿欄で配偶者控除に関する投稿を見かけた限りでは女性の意見としては「配偶者控除を存続させるべきだ」という方が多かった。
主婦をやりたいという女性は少なくない。少なくとも成人女性の中には1割以上はいるのと思われる。
働きたいと思っている女性の中にも考え方には様々な違いがある。
キャリア志向の人もいれば、出世を望まず気楽にやりたい人もいる。保護されながら仕事したいと考える女性もいれば、特別扱いを嫌う女性もいる。
飲み会などで女性の料金が安くなるという様に一見、女性が一方的に得をしていると思われるルールについてすら、女性の中には嫌がる人も少なくない。女性が要求するのではなく、むしろ、男が押し付けている場合が少なくない。
積極的に意見を述べるのは良いのだが、勝手に女性の立場を代弁するのは考え物だ。「女性はみな同じ考えを持っている」という考え方こそが女性を画一視する女性蔑視と言えるのではなかろうか。
また、女性の意見を代弁する人の中には男性も少なからず存在する。相手の立場を考えずに勝手に相手を思いやるのは考え物だ。
性差別を弄ぶ政治家
政党関係者や政治家の中には票が欲しくて女性を利用していると思われる人も少なくない。一九九九年の四月に実施された東京都知事選挙では、「女性を副知事に任命する」と公約した複数の候補がいた。それに対して石原慎太郎氏は「優秀な女性がいれば副知事に任命するが、いなければ無理に使うつもりはない」と答えた。私は石原慎太郎氏が大嫌いなのだが、これに関しては石原氏の方が正論を言っていると思う。
「女性を副知事にする」という公約は男性に対する差別である。女性だけを知事にする事を確約して、男性を知事にする確約をしなかったのは明らかに男性に対する差別だ。男性に対する差別であると同時に女性に対する侮辱でもある。
副知事を三人任命する場合について考えよう。男女の能力を全く同じと仮定する。副知事は知事が任命するのだから、性差別意識が全く無ければ少なくとも一人が女性になる確率は87.5%だ。たまたま副知事に適任な女性が一人もいない可能性も12.5%あるが、差別するつもりは全くなくて偶然、男性だけが副知事になったのなら、それはそれで仕方ないだろう。
女性を副知事にする約束をする必要は全く無かった。それにも関わらず「女性を副知事に任命する」と宣言してしまったのは、「女は低脳だから、無理矢理ポストを割り当ててやらないと副知事にはなれない」という差別思想と解釈されても仕方ないし、どう見ても票欲しさに女性に媚びる態度にしか見えない。「女性の社会進出を促進しよう」という意図ではなく、「女性の社会進出を促進しようとしているふりをしよう」という事だろう。女性にどう思われるかという事だけを考えていた。そこを有権者に見透かされてしまったのだろう。
横田基地の返還や道徳教育の導入など石原氏の公約は実現性が低いものや実現したとしても大して意味の無いものが多かった。しかし、他の候補との大きな違いは選挙民に媚びない態度だった。「優秀な女性がいれば副知事に任命する」という彼の言葉は日頃の差別的発言を聞いていると全く信用できない。それでも他の候補よりは偽善的ではなかった。
何で読んだかは忘れたが、民主党は女性にもてない政党だそうだ。議員の数についてクオータ制の導入の提唱をはじめとして女性に対して何かと気を使っているように見えるが、それが却って女性に媚びているようで嫌われる原因となっているのではないだろうか。「俺について来い」というような女性に対して威張り腐った態度も良くないが、もっと毅然とした態度をとった方が良いのではないだろうか。単純に女性を被害者として見るのではなく、女性の甘えた部分については厳しく言うべきではないのか。
男女共同参画を標榜するセクションや政策が日本各地で導入されている。しかし、これは必ずしも女性の社会進出を助けるためという訳ではなさそうだ。政党関係者や政治家が女性票ほしさに公約する場合が少なくない。必ずしも男女共同参画を唱える人物が女性の解放を望んでいる訳ではないのだ。余計な事をしたために却って性差別がひどくなる場合すらある。女性解放を政治の道具にする事はやめるべきだ。
男女平等と女性解放の違い
日本では女子社員がお茶汲みやコピーなど補助的な業務に使われる事が多い。私は日本企業のOLの使い方に対して無駄な使い方だと思っている。優秀で意欲のある女性でも補充的な業務しか与えられないのは、彼女たちを飼い殺しにしているようなものだ。このような差別的慣行は直ちにやめるべきだと思う。
私がこのような主張をしているのは、必ずしも女性解放という意図でやっている訳ではない。私の意見に対して優秀な女性や意欲のある女性は大歓迎するだろう。しかし、現在のOL制度について有り難く思っている女性は少なくない。特に若い女性には多い。大して働かなくても金が貰えるし、男子社員からはちやほやされる。女王様のような扱いを受けて、ある意味でこんな得な商売はないかもしれない。そういう女性にとってみれば、私は非常に嫌な奴だろう。私は雑用しかできないような社員は男女に関わり無く直ちに解雇すべきだと思っている。もし、私が性差別を一切無くす政策を実行したらなら、お気楽OLからはさぞかし恨まれるであろう。
今のようなOLのあり方で男性が得をしているかというとそれは多いに疑問だ。少なくとも金銭的には得は全く無い。大して働かないOLの人件費を負担しているのは真面目に働いている社員だ。お茶汲みなんて無くても大して困らない。何か飲みたかったら、飲みたい人が自動販売機で飲み物を買えばいい。そうすれば、好きな飲み物が飲めるし、お茶汲みの人件費も節約できる。コピーだって今ではコピー機械くらいどの部署にもあるというのが当たり前になっているから、余程、枚数が多くない限り、自分でやった方が早い。ワープロ打ちをOLがやらされる事が多いが、これも無駄の極みだ。今やワープロくらい小学生でも使えるし、ワープロは清書機という考え方をする人は少なくなってきている。男子社員が手書きの原稿を書いて、それを女子社員がワープロで清書するなどという事は二度手間でしかない。男子社員もワープロくらい扱えるようにしてほしいものだ。
私は建設会社で構造計算をしていた。間違うと人身事故に繋がる可能性がある仕事だ。業務上過失致死に問われる可能性もある。無能な男性の上司より有能な女性の上司の方が有り難い。性差別意識は全く無い。しかし、逆に言うと「女だから大目に見る」という事も全くしない。女性上司のミスで刑務所に行くなんて御免だ。「女だから」という言い訳は全く聞く気は無い。「人身事故があったら上司の責任なのだから、お前が刑務所に行け。嫌なら管理職なんて辞めろ」という態度をとる。これは長時間労働しろというのとは違う。一日八時間労働でも構わないが、責任を持った仕事をしなさいという事だ。
男女平等という事は、女性にとって厳しくなる場合が決して少なくない。女性解放運動家はその点を分かっているのだろうか。「フェミニストなんて大嫌い」という若い女性は少なくない。フェミニストと称する地位の高い女性たちは女性が損をしてきたと画一的に信じ込み、女性一般の声が届いていない。「男が得で、女が損」という思想を金科玉条的に信じ込む人は男女ともに数多く見受けられる。ドメスティック・バイオレンス撲滅運動をしている人にもそこの所が全く分かっていない人が多い。弁護士や政党関係者などによく見られる。「私たちは女性解放運動をしているのだから、女性は全て味方で男は全て敵だ」と思い込みは、女性だけでなく男性にも少なくない。「数字だけ見て女性が損をしていると思うエリートの勘違いはよくあるものだ。だからこそ、性差別がなかなか解消しないのだろう。
女性の味方のふりをする男
男女共同参画やジェンダーに関する集会の参加者は殆どが女性だが、男性が出席する事もある。男性がそういう事に興味を持つ事自体は決して悪い事ではないが、男性が出席したからと言って必ずしも喜べない事情がある。私の経験では、そういう所に出席する男性は大半が、冷やかしか下心があるのではないかと思われる人たちだった。
そういう会合に出席する男性の中には男女の違いをやたらと強調するような人が少なくなかった。女性の社会進出を快く思っていないのではないかと思われるような男性をしばしば見かけた。
逆に女性にやたらと媚びる男性も少なくなかった。「女性が一方的な被害者で、全て男が悪い」と決め付ける男性をよく見かける。だが、女性の社会進出に対して理解的な態度を示す男性にも注意が必要だ。「女性の収入が男性の半分であるのはけしからん」などと言う人は一見、平等主義者に見える。しかし、よく聞いていると実は男女の違いを強調する差別主義者である場合が少なくない。女性団体には既婚の中高年女性が多いので、結婚相手や恋人を探すのが目的という人は少ないと思うが、商売をやっている人が人脈を広げるために女性の人気取りをするような事はあるようだ。
就職をまじかに控えたある男性大学生は男女の違いを認識する必要性を強調し、次のような例をあげて説明した。「僕の就職予定になっている会社の社員は男女共に十六時間働いていますが、これでは女性が不利になります。だから、男女同じ条件にするという事は女性を排除する事になると思います」と主張した。それに対して私は、「男女を同じ条件にしなければ女性の社会進出は進まないと思います。そもそも何故十六時間労働なのでしょうか。明らかに労働基準法違反だと思います。女性にとってハンディの殆どないレベルまで男性の労働条件を変更すれば良いのです。男女ともに一日六時間労働で週休三日でも構わないと思います」と答えた。すると彼は、「それでは会社が競争に勝てないと思います…」と不満げに答えた。まだ就職もしていないのになぜ会社主義に染まっているのか理解に苦しむのだが、同じ能力で男性が一日十六時間働いて女性が八時間しか働かないのなら企業は女性を雇いたがらないだろう。何故そんな事に気付かないのか不思議に思った。
女性の人権を声高に叫ぶ男性の中にも差別主義者は少なくない。私の場合は妻も恋人もいないのでドメスティック・バイオレンスとは無縁だが、私が知っているある男性はドメスティック・バイオレンスの加害者でありながら女性の人権を強調している。
やたらと女性に同情する男性に対しては疑ってかかるべきだ。
卵が先か鶏が先か
日本の男性の中には、「男は仕事、女は家庭」というような性差別思想を持つ人が少なからず存在する。中高年男性をはじめとするこのような古い固定観念は一掃しなければならない。しかし、このような性別による固定的な役割分担のある社会や偏った役割分担思想を持った男性を生み出した責任は女性にもある。
「女の子に乱暴してはいけない」と言われた経験のある男性は少なくないだろう。「男の子は厳しく躾なければならない」という事もよく言われる。こういう事は母親が息子に対して教え込む場合が少なくない。女性教師が男子生徒に対して言う事もある。何故、男の子には厳しさが求められるのかというと、「男性は将来、外で働いて家族を支えなければならないが、女性はどうせ結婚して主婦になるのだから、厳しい社会訓練をしてもあまり意味が無い」という考えがその根拠の一つだと思われる。
日本では、自分の息子を男中心社会と言われる今の社会に無理やり順応させようとする母親が少なくない。これでは母親が性差別を助長している事になる。日本の母親には息子を企業戦士にしたがる傾向がある。「あなたは労働組合の闘士になりなさい」と息子に教える母親は殆どいない。「息子を企業戦士にする事は間違っているが、社会が男中心の間違った社会なのだから仕方ない」と思っているのなら、性別による伝統的な役割分担を押し付けたがる古臭い考えの男たちと同じ過ちを犯している事になる。というより、考え様によっては、女性こそが性別による固定的役割分担を押し付けた主犯であると考える事さえできる。母親によって企業戦士に仕立て上げられた男性は、会社に頼らざるを得なくなり、結局、女性に対して「男は仕事、女は家庭」という役割分担を押し付けざるを得ない情況に追い込まれる。
大卒の女性にも保守的な人は多い。私は、企業のために私生活を完全に犠牲する事を強要される日本社会のあり方に対して常々疑問を感じていた。消費者や労働者の権利を無視した会社中心主義がまかり通っている。このような状況に対して大学生の時、「おかしいのではないか」と同じ大学の女性の同級生と女性の先輩に話しをした事がある。すると、彼女たちは私の意見を真っ向から否定し、「社会のあり方を素直に受入れる事のできない方が未熟で間違っている」というような見解を示した。男性に対して体制順応的な態度を強要する女性が多く見受けられた。企業や権力にやたらと媚びる女性も少なくない。
また、若い女性の中には結婚相手として、高収入な男性を求める人が多かった。「低収入で構わないから、仕事より家事を優先してくれる男性と結婚したい」という意見はあまり聞かれる事はなかった。そうすると、男性としては女性にもてるためには仕事優先にしなければならないという事情があったわけだ。女性自身が古臭い性別役割分担にはまった男性を求めていた面が少なからず存在する。「アッシー」、「メッシー」、「みつぐくん」などと男性を呼び、家来のように散々使役していた女性も多い。そのような男女関係を見ていると、結婚前の男女関係は女性の方が強い立場にあるように見える。このように若い女性が威張り腐っているのは、「女性はどうせ差別されていて、大した働き場も無いのだから、今のうちに男から搾り取っておかないと損だ」という発想があるのかもしれない。男性としては、「結婚前は散々、女の言いなりになって金も使ってきたのだから、結婚してしまったらこっちのものだ」という意識がある。歪んだ関係である事は間違いないが、どちらが先かはよく分からない。どっちもどっちという感じがする。
企業での性差別についても、同じ様な事が言える。女性団体は女性に対する性差別が存在する事を口実に女子保護規定の必要性を主張してきた。しかし、女子保護規定の存在が女性の就職難を招いたという見方もできる。企業は営利団体なのだから、保護しなければならないような社員を雇いたがらないのはむしろ当然だ。女子保護規定などというものは、女性が自らの首を締めるようなものだ。
大学と企業の関係についても、同じ様な事が言える。私は建設業界で働いていたが、会社も大学も男女関係については極めて保守的だった。たまたま、そうだったのかもしれないが、両者のそのような体質は深い関係がある可能性が高い。大学では女性が特別扱いされていた。そのような人たちが社会人となって、保守的な企業を構成しているのかもしれない。また、大学関係者には企業の御用学者が多いから、企業の風土に合わせた教育をしている可能性もある。どちらが先かはよく分からないが、何らかの関係はありそうに思う。
現代日本のあらゆる世代の男性について言える事だが、男性が生まれた時には既に男女の役割分担が固定された社会の枠組みが存在している。男性が母親や女性教師をはじめとして女性から、「男はこうしなければならない。男らしくしなければならない」と押し付けられる事は少なくない。固定された性的役割分担の押し付けについて、「男による女への押付けが先」か「女による男への押付けが先」なのかを辿っていくと石器時代にまで遡る事になってしまう。男と女のどちらが先なのか詮索する事はあまり意味の無い事だ。
もちろん、そのような偏った考えの女性を生み出したのは男性にも大きな責任がある。日本の若いOLの中には甘えた社員が少なくないが、中高年の男性管理職が彼女たちを甘やかしたためにそうなってしまった場合が少なくない。性差別を生み出した原因が、男と女のどちらが先かであるかはとにかくとして、企業の文化をはじめとする体制に媚びるような態度は男女ともに改めなければならない。
田中真紀子と扇千景
小泉純一郎内閣には史上最多である5人の女性が大臣となり、史上最多の女性入閣となった。しかし、外務大臣に任命された田中真紀子氏と国土交通大臣の扇千景氏とでは、女性大臣に対する考え方が全く違うものであった。
当初から諍いの絶えなかった田中真紀子氏は「主婦の視点」をしばしば口に出し、女性である事を前面に出していた。本人や支持派の人たちは田中氏への批判に対して、「女性に対するやっかみ」である事をやたらと強調した。
それに対して扇千景氏は、「今回は史上最多数の女性の入閣ですが?」というマスコミからの質問に、「私は政治家として大臣に選ばれたのであって女性だから選ばれたとは思っていません」というように田中氏とは対称的なコメントをした。
私は扇千景氏の政策事態に対しては物足りなさを感じる。もっと積極的に公共事業を減らす姿勢を見せてほしいと思っている。しかし、女性である事に甘えない、やたらと女性を強調しない態度には好感が持てる。
「ビート・たけしのTVタックル」で田嶋陽子参議院議員と松島みどり衆議院議員が田中騒動に対して議論した。田嶋氏は「彼女が女だから、あれだけ叩かれたのではないか」と言うのに対して松島氏は「それは違う。そもそも、女だからなれたのであって、本来、当選回数から言って自民党のルールでは大臣になれない筈だったのが、女だから特別になれたのだ」というような意見を述べた。更迭された事に関しても、むしろ、女性であるからこそ厳しい処罰が出来ず、罷免が遅れたのが実態だろう。
田中氏の騒動は、彼女が女性だから罷免された訳ではない。部下に対する暴力や監禁、私用で部下に指輪を買わせる、大事な会合をすっぽかす、重要機密を漏らすなど、あまりにも素行が悪すぎたからだ。
私は田中真紀子氏が組閣当初なぜ改革派と呼ばれるのか不思議に思った。彼女がテレビで「父、田中角栄を冒涜するのは許せない」と田中角栄批判に対して息巻いているのを見た記憶がある私は、彼女を女性議員というより二世議員、田中角栄の娘と見ていた。鈴木宗男氏との争いも改革や正義という事ではなく、利権争奪戦にしか見えなかった。
単に女性であるから、女性の味方という見方はそろそろ終わりにしたいものである。
男女共同参画行政のやる気の無さ
現在東京都知事である石原慎太郎氏をはじめとして強い権力を持つ男性による悪質な女性差別発言はあとを絶たない。
それに対して、女性の解放を声高に訴えている筈の男女共同参画行政はまことに及び腰である。
fem-netMLより転載します。
先日、石原都知事「ババァ」発言の撤回・謝罪を求める集会のお知らせをfem-eventsに出しました。たくさんの方々に参加していただきたいのでチラシをあちこち配っているところです。
ところが、このチラシを東京ウィメンズプラザ・交流コーナーのチラシ置き場におくのをお願いしたところ、拒否されてしまいました。いままで、シンポや集会のチラシを拒否されたことは、私の知り限りはありません。
東京ウィメンズプラザに、問い合わせ・抗議をお願いしたいと思います。
*以下は、メンバーがウィメンズプラザに電話を入れたときのやり取りです(長いですが読んでください)。
*今後はウィメンズ側と話し合いを持つ予定(その報告は後日)。
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「9・13のチラシは交流コーナーには掲示しないというのがウィメンズプラザの結論である」として、理由を次のように述べました。
(1)東京ウィメンズプラザは東京都の施設であり、交流コーナーにチラシを置くことは、東京都の施設を無償で提供するサービスである。
(2)石原都知事は東京都のトップの責任者である
集会の内容は石原知事の発言を批判するものである。
発言は知事がなされたものでしょうが、知事は東京都の施策を代表するものであり、東京都の施策に反する内容のものを原則として東京都の施設に掲示するわけにはいかない。
私が「石原発言は東京都の施策に沿ったものということですか」と聞くと、「沿ったものと言うか・・・・、原則としてですね・・・・・」とか言って、言葉につまり、「次長に代わりましょうか?」と逃げた。
電話を代わった次長とのやりとりは以下。
| 私 | 「9・13集会のチラシを交流コーナーに置けない理由は、東京都が無償で提供する施設に、東京都の施策に反する内容のチラシを置くことはできない、という理解でいいか?」 |
| 次長 | 「適切でないということです」 |
| 私 | 「適切でないという理由は?」 |
| 次長 | 「総合的に考えて適切でないと判断したということです」 |
| 私 | 「チラシの内容が東京都の施策に反しているということですか」 |
| 次長 | 「東京都の施策に反するものであるかどうかは、具体的にお話もうかがってないので、そこまで踏みこんでは言えない」 |
| 私 | 「あらためて書面なりでお問い合わせすることになると思います。あて先は、次長でいいですか?」 |
| 次長 | 「いいです」 |
女性の人権を訴える筈のウィメンズ・プラザが完全に東京都の手先になっている。即ち、石原慎太郎氏の手先になっているという事だ。
私自身も男女共同参画関連の多くの人たちと関わってきた中で行政のやる気のなさを実感している。私は某自治体の男女平等参画審議会の重鎮と顔見知りだが、審議会の終了後に喫茶店で、「男女共同参画に関して行政にはやる気があるようには思えない。女性票が欲しいなどの理由で、ただ、形式的に繕っているだけではないのか」という様な意見を述べた。すると、「その通りだ。やる気なんて無い。すぐに委員がころころ変わるのに、うまくいくはずが無い」と驚くほど素直に答えた。
残念ながら、これが実態である。
女性に対する配慮と保護の是非
女性に対する保護の是非をめぐって男女共同参画の推進を唱える人の間でも意見が分かれている。
私は「男女平等であるのだから、出産休暇をはじめとするあらゆる保護を無くして全く同じ条件で働くべきだ。但し、出産や育児などに関する配慮は必要だ」と考える。まず育児については男性でも出来るので、男性も積極的に参加できるように環境を整備する。
問題は妊娠や出産だ。「保護は要らないが配慮は必要だ」という意味が分かり難い人がいるかもしれないが、こういう事だ。
男女が全く同じ条件で働く二通りの場合について考える。
(1)男女共に一日16時間労働で年間の休暇取得合計が1ヶ月
(2)男女共に一日8時間労働で年間の休暇取得合計が2ヶ月
妊娠や出産などのハンディのある女性の社会進出を考えた場合には後者の方が女性にとって相対的に有利になる。
アメリカには出産休暇というものが無いそうだ。そういう細かい名目の休暇が無くて、有給休暇という形にまとめられた大雑把な年次休暇が与えられるそうだ。それも日本の様なケチなものではなく、使わないで何年か貯めておけば長期間に渡り休めるような仕組みになっている。出産したい女性の場合、有給休暇を貯めてそれを使って安心して出産のための休暇をとる事ができる。出産休暇が無くなったとしても、制度を改めて有給休暇を十分に増やせば出産したい女性も何ら困る事は無いし、むしろ今までより働きやすくなると思われる。出産休暇というのは言わば「女性を雇うな」と言っているようなものだ。
この様に男女の労働条件は同一でも全体として男女共に労働量を減らしていけば女性のハンディを軽減する事が可能である。あくまで保護を無くして同じ条件のもとで女性の社会進出がし易い状況を整備すべきだ。
数字で差別は分からない
差別やセクハラの存在をどう認定するかが問題になる訳だが、管理職や政治家や収入などの著しい男女差を以って差別と決め付けたり、女性社員などからの性差別の訴えの多さで差別の度合いを決め付ける態度には問題がある。
管理職や収入などの男女比の著しい格差は、先天的な素質、意欲、労働時間、社会的偏見などによって発生する。それは決して差別だけの問題ではない。「平均的な女性の収入は男性の収入の半分だから差別だ」と言われても困る。考えようによっては「女性の方が仕事に取り組む意識が低い」という見方も出来るからだ。収入の低い女性が全て性差別によってそうなっているとは限らない。
「機会を均等に与えていれば管理職などの男女比はほぼ一対一になる筈だ」という意見はよく聞かれるが何の根拠も無い。工学部出身の女性の比率は男性に比べて著しく低いのだからメーカーなどでは全く無かったとしても女性の比率が著しく低くなっても何ら不思議は無い。
工学部に女性が少ない事について、進学の指導教官や親の意識を槍玉に挙げる人もよくいるが、これも妙な話だ。大学受験の資格は誰にでもあるのだから、教師が何と言おうと最終的には本人が決める事なのだからあまり関係ない筈だ。教師の意思で左右されるのであれば本人に「工学部に進みたい」という確固たる意思がないと思われても仕方ない。また、工学部や四年生大学に女性が進学する事に対して親が費用を積極的に援助してくれないというのなら、優秀な学生に対する学費免除政策を積極的に推進すれば状況はよくなるだろう。
性差別の訴えが多い組織が差別的と考えるのも早計である。私は性差別やセクハラの被害を訴える女性たちが必ずしも嘘つきだとか我がままであると決め付ける気はないが、訴えを真に受けた場合も厄介な事になりがちである。
と言うのは、建設業界のように性別役割分担意識が強い業界には男性と同等に働きたがるキャリアウーマンは入りたがらない。だから女性が補助的な業務を与えられて責任のある役職につきづらいという差別があっても、もともと内部の女性からの不満自体が少ないし、封建的な会社では声も出しづらい。
また、「男性と同じ仕事をしたにも関わらず給料や昇進に差が有る」という話もよく聞くが、もっと遅れた会社であれば、女性が男性と同じ仕事をする機会すら与えられない場合もあるので、同じ仕事をさせてくれるというだけでもましな方と考える事も出来る。よりましな会社が槍玉に挙げられるのも妙な気がする。
また、女性である事により昇進が遅れたという様な訴訟では、一人ではなく大勢で訴えた方が効果的である。これもまたそういう会社というのは女性の登用が比較的進んでいる企業で起こる事が少なくない。
このように性差別の訴えを真に受けてしまうとよりましな会社が糾弾されるという理不尽な事になりかねない。
家事についても同じ事が言える。家事と言っても料理と掃除では全然やっている事が違うし、仕事との違いは場所が家庭か職場かという事と報酬がもらえるかどうかというだけの違いである。だから、料理はしたいが掃除はしたくないという人もいるだろうし、一概に家事と仕事のどちらが得とか楽しいとか決められない。
だから、家事や育児の時間が長い男性が必ずしも偉い訳ではない。料理は好きだから自分が担当し便所掃除は嫌だから妻に押し付ける夫がいるとすれば、決して好ましくはない。しかもその場合、料理は一般に時間がかかるが掃除はよほど広い家でない限り何時間もかかるものではない。数字だけ見れば夫は優等生という事になってしまうだろう。
家事の分担についても上辺だけの数字で決める事は出来ない。
男女共同参画の罠
アンケートの設問
2chというインターネットの巨大掲示板で「内閣府大臣官房政府広報室」による「男女共同参画社会に関する世論調査」に対する素朴な疑問の投稿があった。設問に誘導尋問じみた奇異な記述があるそうだ。調べてみると確かにおかしい。
平成十二年度二月の調査票の二番目に次の設問がある。
「あなたは,社会全体でみた場合,男女の地位は平等になっていると思いますか。この中から1つだけあげてください」
これに対する回答は次の六つだ。
・男性の方が非常に優遇されている(SQへ)
・どちらかといえば男性の方が優遇されている(SQへ)
・平等(Q3へ)
・どちらかといえば女性の方が優遇されている(Q3へ)
・女性の方が非常に優遇されている(Q3へ)
・わからない(Q3へ)
つまり、男性の方が優遇されていると明確に答えた人以外が設問Q3に行くように指示されるのだが、その設問Q3は次のような内容だ。
「あなたが,女性の人権が尊重されていないと感じるのは,どのようなことについてでしょうか。この中からいくつでもあげてください」
「平等」又は「わからない」と答えた人の中には「やや男性のほうが優遇されているかな」と思った人が存在する可能性が全くないわけではない。しかし、そういう人たちは設問Q3へ行くように指示された人の中では例外的な存在と考えるのが自然だろう。
女性の方が得だと思う人にこういう質問をするのは一体どういうつもりなのだろうか。そして「男性の人権が尊重されていないと感じるのは,どのようなことについてでしょうか」という設問はない。
「女性が被害者である」という結果に導こうとする誘導尋問と思われても仕方ないようなバランス感覚に欠けた調査票なのだ。
ちなみに平成十六年度版についても覗いてみた。内容は平成十二年度と微妙に違うがこれもまた女性が被害者と言う前提で設定されている。
という訳で、どうやら平成十二年度の調査票がたまたま職員のミスで作られた訳ではなく、意図的に誘導尋問的な設問が作成された事はほぼ間違いなさそうだ。
男女共同参画講演会・茹でガエル作戦の罠
最近は自治体などによって盛んに男女共同参画やドメスティックバイオレンスの大規模な講演会が頻繁に開催されているが、男性が講師の場合に実に不思議な光景を見かけることがよくある。
講演の内容としては最初は男性、特に中高年の意識の低さを徹底的に糾弾し、女性をやたらと持ち上げる。そして家父長制に対して「男がすがる古臭いもの」として切り捨てる。男性が家事を手伝わないことを責め立て、それが女性の社会進出の妨げになっていると喚きたてる。一見女性に対して理解のある男性の様に思われ、古臭い男性を小馬鹿にして笑い者にする発言に対して会場の女性(年配の方が多い)から拍手や歓声が上がる。会場の女性はうんうん頷きながら熱心に聞き入る。大体これが一時間以上続く。
しかし途中から流れが変わってくる。オヤジに対する批判の矛先がなぜか若者に変わって来る。「今の若者は我慢が足りない。甘やかされているので厳しく躾ける必要がある」。ここでも女性たちはうんうん頷く。「何でこういう話になったのか」多少奇異な気もするが、若者に対するこういう見方は主観の問題だから必ずしも間違いとは言い切れない部分もあるし、あやしい雰囲気を感じるが、この場面では意図が今一つよく分からない。
しかし、更に話を聞いていると次第に講演者の意図が明確になってくる。
徐々に主張の趣が変化し、ついに「父親の威厳で厳しく躾けなければ駄目な子供が出来上がってしまう。だから父親の子育てが必要だ」という方向にまで行ってしまう。最初は女性の社会進出を進める目的で家父長制に大反対だった筈なのに最終的には家父長制の擁護という正反対の方向に変わっている。
しかし、この期に及んでも女性たちはうんうん頷き続ける。もちろん女性が保守的な思想を支持していけないこともないし、家父長制を支持する女性がそういう集会に来ていけないこともない。しかし、最初に講師の意見に賛同の意を表したのは一体なんだったのだろう。
カエルはぬるま湯に入れられた状態で徐々に加熱していくと熱湯になっても飛び出さないでそのままじっとしていると言われる。
最初に一時間ほど保守派男性を徹底的に糾弾する講師の態度を見て、女性の味方であると安心させられた女性聴衆はその後何を言われようとただ頷くだけだ。正反対の方向に話を持っていかれても変化に何も気付かずににこやかな顔をして帰っていく。人間の意識はたった一時間で支配されてしまう。そう考えると恐ろしい気もする。
最初と最後の発言が全く食い違っているのに会場から異議がないと言う不思議な講演会。男の意識の低さがよく指摘されるが、騙される女性の意識も決して高いとは言えないのではないだろうか。
女性専用車両
「女性専用車両」専門のページを独立させましたので下記のリンクをクリックして下さい。
女性専用車両の問題点
女性の政治参画
議会に占める女性議員の割合は国政、県議会、市議会、村議会あるいは都市と地方などによって大きなばらつきがあります。一般に地域別での女性議員の割合は地方が都会より低い傾向があります。どの議会も女性議員が男性議員より圧倒的に少ないのが現状です。衆議院で5%程度、比較的比率が高い参議院でも15%程度でしかありません。
女性議員の少なさが性差別としてよく取り沙汰されます。もし、性別に関係なく実力と意欲で決まるなら女性議員がもっと多くてもよさそうな気がします。しかし、選挙権、被選挙権は男女平等に与えられており選挙に性差別は無い筈です。それでは女性議員は何故こんなに少ないのでしょうか。理由は様々と思いますが、私なりに思いついた二つのポイントをあげて説明致します。
女性議員が少ない理由
経済面で女性が不利
被選挙権は所定の年齢以上であれば国籍など特殊な事情がない限り誰にでも与えられます。立候補する事自体は特に難しくありません。貧乏な人が立候補する事も可能です。しかし、現実には主婦や貧乏学生が議員に当選するのは非常に困難です。それはある程度の票を得るためには、かなりの額の金が必要だという事です。選挙活動というのはいわばコマーシャルの様な所がありますから、必ずしも主張や人格が立派な人が選ばれる訳ではありません。
必ずしも個人が全ての選挙費用を捻出する必要はないし、政党に所属する人は政党が人や費用の面で面倒は見てくれますし無党派候補についてもある程度の公的な補助は受けられますが、二世議員の存在を見ても分かるとおり、経済的基盤や政財界との繋がりを持っている人の方がやはり有利です。
ポスター、街宣、パーティー等の表の費用だけでなく、買収など違法な金もあります。裏の部分に関してはどの程度の金が動いているか分かりませんが、やはり経済力のある方が有利です。
その点で、経済力や社会的地位の低い女性が結果的に不利になります。女性候補は数が多くありません。投票者の選択肢が狭まるので選挙戦で女性が弱いという結果につながっています。
違法行為を取り締まって選挙資金を制限すれば良いのですが、それは簡単にはいかない事情があります。候補者の監視が難しいし、ボーダーライン上の行為も多くて、どこまでが違反なのか微妙な事例が少なくありません。
●ボーダーラインの選挙活動として考えられる例
ゴルフの会員権の購入などの各種会費、慶弔費、見舞金、広告費、寄付金、パーティー、飲食、高級車・宝石・貴金属などをはじめとする高額製品の購入
金がかからない又は金をかけさせない選挙にするにはどうするか?
(1)インターネットを活用する
長所 インターネットだと殆ど金や手間や時間がかからない。特別な専門知識を必要としない。
短所 中傷誹謗や偽情報が出回る恐れがあり、簡単に本物と偽者の区別がつきにくい。
(2)街宣をやめる
長所 街宣には莫大な金がかかるが街宣をやめる事によって金がかからなくなる。また、騒音や交通渋滞などの問題点も解消する。
短所 選挙民に直に触れ合う機会が減ってしまう。候補者の生の声が聞き難くなる。
(3)違法行為や不明朗な行為をやめさせる
長所 不正による余分な金を使わせない事により経済的基盤の弱い人、例えば主婦や学生などが相対的に有利になる。
短所 チェックが簡単ではない。海千山千の政治家の不正を簡単に見抜けるものではない。また、ボーダーライン上の行為も多く、どこまでを合格とするかという問題がある。
女性候補の姿勢
しかし、いくら女性候補が少ないとは言え、それにしても女性の当選者が少な過ぎる。共産党や社民党などでは女性候補がかなり高い割合を占めている。十五年以上にわたる私の投票経験では、投票用紙を見ると選挙によっては女性候補が2〜3割くらいを占めている場合もしばしば見受けられた。
仮に全候補に占める女性の割合が2割で男性有権者が女性に全く投票しなかったとする。女性の投票者が20%の確率(つまり男性候補と女性候補に同じような割合で投票した場合)で女性候補に投票したとすれば、女性の当選者は約1割となる。しかし、実際には女性議員の数は1割にも満たないというのが多くの議会の現状だ。という事は女性自身が女性候補にあまり投票していないという事になる。
これは女性候補自身や女性候補を擁立する政党などにも問題がある。
ただ女性であることをアピールするだけで女性の支持を得ようとする安直な女性候補や政党が多いのです。見れば女性と分かるのだから「私は女です」と言うのは無意味だ。
やたらと女性政策を強調する女性候補もいるが、議員というのは性差別問題の解消だけが仕事ではない。また、女性解放だけを声高に訴えているが、男女共同参画についてすら具体的な政策が明確に打ち出されていない女性候補もしばしば見受けられる。
政党も女性候補を客寄せパンダ的な扱いをしている。男女平等の政治を目指しているのではなく、女性票が欲しいために女性をダシにした政策が取られている。女性議員を増やす本来の目的は優秀で意欲がありながら女性であるために力を発揮できない女性を支援するためだった筈だ。
ある政党が、人気はあるが実力は無い女性を20人擁立する場合と知名度は低いが実力はある女性を20人擁立する場合では、後者の方が女性の活力を活かすという点では好ましい。しかし、前者の方が多数の票を得られる事が多い。票が欲しいがために人気だけの女性を送り出す事はしばしば見受けられる。
タレント化は男性にも見られるが特に女性候補については、その傾向が顕著だ。
女性に媚びるだけで実効的な政策を何ら打ち出さないのでは、男性から支持されないだけではなく、女性からの支持さえも得られない。
その様なやり方では一時的には女性の票を増やす事は出来るかもしれないが、女性議員の質より頭数を重視するやり方では、結局は「だから女は政治に向いていない」という印象を与えてしまい、長い目で見ると逆効果だ。
また、女性議員や女性候補を評価する側も単に女性の数が多いから喜ぶというのではなく、質がどうなのかという事に着目すべきだ。
そういう女性候補のあり方を如実に示している例として2002年の長野県知事選の長谷川敬子候補があげられる。女性候補として注目されたが、冷ややかな見方をされていた。週刊金曜日2002年9月6日号では保屋野初子氏による下記の様な手厳しい批判があった。
女性有権者たちの目はとくに厳しかった。まず、なぜ女性候補なのか。女性候補だから女性に推されて女性政策を引っさげて出てくるのか。県議らが「勝手連」として応援するとはどういうことか−。一枚目のポスターのうたい文句は「台所から県政を変える」。途中から登場したシンボルマークは「鍋」と「アイロン」で、政策らしきものはわからない。「アナクロもはなはだしい」と、私が聞いた女性たちは口をそろえた。
結局彼女は男の傀儡と見なされた訳だが、このような子供騙しが通用するほど女性有権者は馬鹿ではない事を背後の男どもには早く気づいてほしいものだ。
女性を副知事に登用するという公約
2007年の北海道知事選挙候補だった民主党の荒井さとし氏の公約に下記の様な「女性副知事を登用します」というものがあった。
(5)女性副知事を登用します。
北海道を再生する上で不可欠なのは、女性に活躍の場を用意することです。赤ちゃんの誕生から進学、雇用まで、一貫して「人財」育成に女性の視点を取り入れます。
たまたま副知事にふさわしい女性がいないのなら無理に使う必要はないのであり、「これはおかしい」と思った。
そういう男性が立候補するのは筋が通らない。どうしても女性を積極的に政治参画させたいのであれば、本人は選挙参謀として仕えればよい。
副知事は補佐とはいえ非常時には知事の代役となるので知事と同等の能力が必要であり、副知事が務まるのなら知事も務まる筈だ。それだけの能力のある女性がいるのなら最初からその女性を知事候補として擁立すればよい。
そもそも政治に女性の視点が必要と言うのなら副知事を女性にするより現職として実績を残している女性知事の高橋はるみ氏に投票する方がよほど現実的だ。
「俺に投票するな。高橋氏に入れろ」と言っているようなもので、「この人は馬鹿なのか」と思った。
女性票が欲しいがための浅はかな知恵なのだろうが、こんなもので果たして女性が喜ぶのだろうか。是非聞いてみたいものだ。
民主党が女性に人気がないのは、こういう嫌らしさがあるからだろうか。
おおいに反省して次の選挙に臨んでほしい。
クオータ制の問題点
女性議員を増やすために女性議員の最低比率を定めるクオータ制の導入を意見があるが、その問題点を指摘する。
差別が無くても結果はばらつく
議員の男女比が半々にならなかったからといって必ずしも差別とは限らない。時期や場所によってたまたま有力な女性候補がいなくて、女性議員が男性議員より遥かに少なくなるという事はあり得る。差別は無かったがたまたま男性議員が女性議員の2倍以上になったのなら、それはそれで仕方ない。
男性差別の疑い
もし、女性議員数の最低ラインを決める事により当選した女性議員より優秀な男性が落選したとすれば、これもまた性差別と言える。アメリカの大学で黒人や少数民族を優先して入学させる制度が実施された。これは逆差別ではないかという指摘があった。中には割算もできない黒人が大学生になる例もあった。優秀な黒人が黒人であるために大学に進学できない事態を解消するためというなら分かるが、本来の趣旨と外れている。
性差別だけが差別ではない
議員の不均衡は性別によるものだけではない。例えば、年齢についても著しい偏りがある。中高年の議員が多く男性でも20代の議員はあまり見かけない。在日朝鮮人や黒人などの比率にも配慮しなければならなくなる。女性の少なさだけが強調されるのは逆に言うと女性が強者だからという見方もできる。この様にバランスを言い出すときりがない。もしあらゆる要素に対してクオーター制を導入すると、バランスだけで強制的に決められてしまい兼ねない。
逆に差別が横行しかねない
差別は数字だけで表せない事がある。自分の愛人や家族の女性を重要なポストにつける経営者もいるし、単なる企業の宣伝として扱われている女性経営者や女性現場監督もいる。男女の比率が半々ならば性差別が無いとは限らない。
数的な不均衡を根拠に差別の存在を訴えると却って女性にとって不利益をこうむりかねない。数字だけで判断して男女半々になっていれば差別が無いとするならば、男女半々の組織では、それを男性に逆手に取られて「男女比率が半々であるから我々の組織には性差別など存在しない平等な組織という事が分かるだろう。我が社で性差別を訴える女性は甘えているだけだ」という言い分で居直られる可能性もある。
家事についても同じ事が言える。家事を積極的に行う男性が平等思想の持ち主とは必ずしも言えない。育児をする男性の中には「女に子育てを任せていると偏った軟弱な子ができるから、父親が育てなければならない」という差別的な発言をする人もいる。
このように数字上の平等を実現する事が却って差別を追及し難くする要因になる可能性がある。
相応しくない人が議員になると女性自身が困る
人格や能力が議員に相応しくない女性がクオータ制によって議員になると男性が困るだけでなく、政治や経済に悪影響を及ぼす事で社会に悪影響を与える恐れがあります。そうなると女性自身も困る事になる。
男女共同参画関連用語の意味と解説
男女共同参画関連用語の意味
参考までに男女共同参画関連用語を紹介致しますが、統一的な定義がない用語も少なくありませんので、人や組織によって多少受け止め方が違う事にご注意下さい。
アファーマティブ・アクション
積極的差別是正措置。差別の結果に対する是正として行われる措置及びそれに類することを言う。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
アンペイド・ワーク
無償労働。賃金や報酬が支払われない働き方や活動を指す。
HDI(人間開発指数)〈Human Development Index〉
基本的な人間の能力がどこまで伸びたかを測るもので、基礎となる「長寿を全うできる健康的な生活」、「知識」及び「人並みの生活水準」の3つの側面の達成度の複合指数である。具体的には、平均寿命、教育水準(成人識字率と就学率)、調整済み1人当たり国民所得を用いて算出している。(福島県男女共同参画副読本より)
エンパワーメント
力をつけること。
加害者再教育プログラム(ドメスティックバイオレンス)
ドメスティックバイオレンス加害者を対象に啓蒙活動を行い、ドメスティックバイオレンス加害者が暴力を振るわない様にさせる運動。
間接差別
外見上は、性中立的な規定、基準、慣行等が、他の性の構成員と比較して、一方の性の構成員に相当程度の不利益を与え、しかもその基準等が職務と関連性がない等合理性・正当性が認められないものを指す。(内閣府)
クオータ制
ポジティブ・アクションのうち一定の数値枠を割り当てる制度をいう。
合計特殊出生率
15歳から49歳までの女性の年齢別出生率の合計で、1人の女性が一生の間に産む平均こども数を表す。(内閣府)
サバイバー
通常の意味は生存者のこと。ドメスティックバイオレンス関連の用語としては、「ドメスティックバイオレンスの被害を受けた人のうち生きていく力を取り戻した人」などを指す。
GEM(ジェンダー・エンパワーメント指数)〈Gender Empowerment Measure〉
女性が積極的に経済界や政治生活に参加し、意思決定に参加できるかどうかを測るもの。HDIが能力の拡大に焦点を当てているのに対して、GEMは、そのような能力を活用し、人生のあらゆる機会を活用できるかどうかに焦点を当てている。具体的には、女性の所得、専門職・技術職に占める女性の割合、上級行政職・管理職に占める女性の割合、国会議員に占める女性の割合を用いて算出している。(福島県男女共同参画副読本より)
ジェンダーバイアス(gender bias)
社会のあらゆる場面に存在する、ジェンダーにかかわる偏りをいう。社会の仕組みや人々の行動様式、意識など、さまざまなレベルにおいて、明示されたものであれ、暗黙のものであれ、性による区別や男女の非対称的な扱いがなされている。(福島県男女共同参画副読本より)
GDI(ジェンダー開発指数)<Gender Development Index>
HDIと同じく基本的能力の達成度を測定するものであるが、その際女性と男性の間で見られる達成度の不平等に注目したもの。HDIと同様に平均寿命、教育水準、国民所得を用いつつ、これらにおける男女間格差(平均余命、初等・中等・高等教育の総就学率、勤労所得等の格差)を考慮して算出しており、「ジェンダーの不平等を調節したHDI」と位置づけることができる。(いいねっと金沢HPより)
ジェンダーフリー
ジェンダーフリーとは、文化的・社会的文脈における「男」「女」の性のイメージや役割であるジェンダーにとらわれず、個々人それぞれが自分らしく個人としての資質に基づいて果たすべき役割を自己決定出来るようにしようという、「ジェンダーからの自由を目指す」思想、および、この思想に基づいた運動を指す。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ジェンダーフリーより)
セクシャルハラスメント
男女共同参画会議女性に対する暴力に関する専門調査会報告書「女性に対する暴力についての取り組むべき課題とその対策」(平成16年3月)では、セクシュアル・ハラスメントについて、「継続的な人間関係において、優位な力関係を背景に、相手の意思に反して行われる性的な言動であり、それは、単に雇用関係にある者の間のみならず、施設における職員とその利用者との間や団体における構成員間など、様々な生活の場で起こり得るものである。」と定義しています。
なお、「人事院規則10-10」では、セクシュアル・ハラスメントを「他の者を不快にさせる職場における性的な言動及び職員が他の職員を不快にさせる職場外における性的な言動」と定義しています。
また、「事業主が職場における性的な言動に起因する問題に関して雇用管理上配慮すべき事項についての指針」(平成10年労働省告示第20号)では、「職場において行われる性的な言動に対する女性労働者の対応により当該女性労働者がその労働条件につき不利益を受けるもの」を対価型セクシュアルハラスメント、「当該性的な言動により女性労働者の就業環境が害されるもの」を環境型セクシュアルハラスメントと規定しています。(内閣府HPより引用)
デートDV
デート相手から受けるドメスティックバイオレンス。
ドメスティックバイオレンス
「ドメスティック・バイオレンス」とは英語の「domestic violence」をカタカナで表記したものです。略して「DV」と呼ばれることもあります。
「ドメスティック・バイオレンス」とは何を意味するかについて、明確な定義はありません。内閣府では、人によって異なった意味に受け取られるおそれがある「ドメスティック・バイオレンス(DV)」という言葉は正式には使わず、「配偶者からの暴力」、「夫(妻)・パートナーからの暴力」などという言葉を使っています。(内閣府)
DVシェルター
ドメスティックバイオレンスから逃れてきた被害者のための一時避難所。
ドメスティックバイオレンス被害者に対し、居住場所や食事などを提供し、様々な相談に応じるなど、ドメスティックバイオレンス被害者に対する支援を行う。
配偶者暴力相談支援センター
施設の名称ではなく、機能の名称である。センターの機能を有している施設については、都道府県の設置する婦人相談所や市町村が独自に設置する施設などが想定されているが、地方により実情が異なるので、申立前に事前に確認をする必要がある。配偶者暴力に関する相談のほか、緊急の場合の被害者の一時保護やその後の自立支援などを行なう機関と定められている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
バタード・ウーマン
ドメスティックバイオレンスにおける被害女性のこと。バタード(battered)とは「殴打される」という意味。
ハネムーン期
レノア・ウォーカーが唱えた暴力のサイクル説の中でドメスティックバイオレンスの加害者が精神的に安定し比較的暴力と無縁な時期。
バックラッシュ
ジェンダーフリー活動家がよく使う言葉で、ジェンダーフリーに反対する勢力を呼ぶときに使われる。
一般的には保守反動勢力扱いされているが、「ジェンダーフリー」という概念自体が定義が明確化されておらず多様なので、どのジェンダーフリーに反対する意見なのかよく確認する必要がある。
ポジティブアクション
過去における社会的・構造的な差別によって現在不利益をこうむっている集団に対して一定の範囲で特別な機会を提供すること等により実質的な機会均等を実現することを目的とした暫定的措置。(福島県男女共同参画副読本より)
モラル・ハラスメント
精神的な暴力、嫌がらせのこと。これもドメスティックバイオレンスの一部と考えられるようになっている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
リプロダクティブ・ヘルス・ライツ(生涯にわたる性と生殖に関する健康と権利)
性と生殖の自己決定権。