軍事に関する独創的な検証
主に第二次世界大戦以前の兵器や戦略について私論を述べる。
独断と偏見に基づく意外な批評集。
日米安保の検証
武器と戦法
長槍による集団戦法
日本刀神話の虚実
主力兵器ではなかった
刃こぼれ伝説と南京大虐殺
三国志の現実
本当は詰まらない三国志
三国志の嘘
一騎打ちはなかった?
やくざな劉備玄徳
十万本の矢
空城の計
三国志の魅力
人物評価の虚実
過大評価された人物
諸葛孔明
過小・地味な評価された人物
劉備玄徳
公孫?(後日追加予定)
夏候淵(後日追加予定)
真珠湾とミッドウェーの情報戦
真珠湾陰謀論の嘘
ミッドウェー海戦の敗因
偽情報の果たした役割
アメリカ兵の敢闘精神
第二次世界大戦前後の航空機
戦闘機雑学
最強戦闘機と最優秀戦闘機
戦闘機のロマン
プロペラ同調装置
日本陸軍
一式戦闘機 隼(隠れた名機)
三式戦闘機 飛燕(唯一の液冷戦闘機)
四式戦闘機 疾風(大東亜決戦機)
五式戦闘機
日本海軍
零式艦上戦闘機(過大評価される機体)
紫電改
イギリス空軍
スーパーマリン スピットファイア
ドイツ空軍
メッサーシュミットBf109
フォッケウルフFw190
メッサーシュミットMe262
アメリカ陸軍
ロッキードP38ライトニング
P40カーチスウォーホーク(頑丈で扱いやすい)
リパブリックP47サンダーボルト
ノースアメリカンP51マスタング(低価格の万能機)
ボーイングB17フライングフォートレス
ボーイングB29スーパーフォートレス
アメリカ海軍
グラマンF4Fワイルドキャット
グラマンF6Fヘルキャット(日本機にとっての万能機)
チャンスヴォートF4Uコルセア
ソ連空軍
ヤコブレフYAK3・YAK9(木製格闘戦闘機)
ラボーチキンLagg3
ラボーチキンLa5
イリューシンIL2地上襲撃機
第二次世界大戦前後の戦車
戦車の敵
歩兵
航空機
避弾経始(ひだんけいし)
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武器と戦法
長槍による集団戦法
重装歩兵部隊(手作りの世界史実物教材より)
彩色していないので分かり難いかもしれないが、左の写真は高校社会科教師が作った古代ギリシャ時代のファランクス(重装歩兵部隊)の模型である。
まず最前列の兵士たちが長槍を水平に構えている。そして後ろの列に行くほど槍を持つ角度が高くなっている事がお分かりだろうか。
狭い間隔で並び槍ぶすまを作り前方の敵を突く、それは何となく分かると思う。
但し、この写真だけでは動きが分かり辛いと思うので付け加える。まず最前列の兵士が前進して攻撃を終える。攻撃を終えた兵士は地面に伏せる。次に二列目の兵士が前進を開始して一番前に出る。これを繰り返し後ろの列の兵士がどんどん前に出てくる。
前列の兵士の前に出る際に踏んづけたのか横を通り抜けたのかについては私もよく分からない。
日本でも戦国時代には長槍を持った兵士に槍ぶすまを持たせる戦法は織田信長をはじめとして盛んに使われた。槍の扱いに特別習熟していなくても特に勇敢でなくても隊列を作り前方の敵を突けばよいという点で優れた集団戦法だ。
日本刀神話の虚実
主力兵器ではなかった
日本刀は反り返った美しい形状と抜群の切れ味を持つ独特の刀である。「武士の魂」とも称せられるように強い思い入れを持つ人も少なくない。太平洋戦争でも多くの日本軍人が戦場に持ち込んだ。
「過去において日本刀が主力兵器だったからだろう」と思われがちだが、日本刀は恐らく一度も戦場において主役だった時代は存在しないと思われる。当然の事ながら日本刀を使った剣術が主戦法となったことも恐らくない。但し館の内部など限定された狭い空間での斬り合いなどにおいては日本刀が主役になった事はあるかもしれないが。
戦場において日本刀の不便な面は射程が短い事だ。弓矢や投石などの飛び道具と比べて射程が短いのは当然だが槍や薙刀などと比べても長さで劣るため現実には使いづらい。長槍については「長槍による集団戦法」でも説明したが、集団になると編隊を組み槍ぶすまを作って前進する方法で更に効果を発揮した。これだと剣術の様な熟練も必要ない。
しかも、日本刀は矢や槍や薙刀などと比べて金属部分が多い。つまり効果である。高価な上に射程が短く熟練を必要とする。そんな武器が主力兵器になる可能性は低く野戦において多くの場合、補助兵器として使われてきた事はほぼ間違いない。
それではなぜ武士の魂のように言われてきたのか。一つは既に述べたように高価という事もあるだろう。恐らく雑兵の中には日本刀など携帯していなかった者もかなりいると思われる。大体、長槍など飾れる部屋も限られている。
長槍と日本刀の対決でも1対1であれば必ずしも長槍が有利なわけではない。あくまで戦場において集団で闘う場合に長槍が有利という事で果し合いのような状況であれば剣の達人が槍の名人に勝てる可能性も十分にある。世の中が平和になり戦争も無く集団戦法が必要なくなった江戸時代辺りから日本刀が武士の魂とされるようになったのではないかと思う。
刃こぼれ伝説と南京大虐殺
世界的に名刀の誉れが高い日本刀。しかし、耐久性と切れ味について妙な噂が出回っている。「2、3人斬ったら刃こぼれして切れなくなる」とか「人を切ると油がついて切れが悪くなる」といった説明だ。
こういった話がまことしやかに語られ常識になってしまっている。私もよく聞かされ、その話を信じていた事もある。しかし、一方で日本刀の凄まじいばかりの切れ味の記録や証言も残っている。江戸時代には罪人の死体を3体重ねて胴切りにした話もある。
たった2、3人斬っただけで使い物にならなくなったら兵器としての意味が果たしてあるのか。これに関しては前項で日本刀が主力兵器ではなかった事を説明したので2、3人斬れればそれでよかったという考え方が出来ないわけでもないが。
人を切るために作られた兵器であり世界的にも究極の切れ味を誇る日本刀がなぜ日本人自体によってそんなに低く評価されてきたのか。
実は南京大虐殺論争と大きな関係があるようだ。南京大虐殺は殺された人数や存在の是非をめぐって左翼と右翼で激論が繰り広げられている。その中の一つとして「百人斬り競争」がある。二人の日本陸軍将校が日本刀を使いどちらが百人先に殺せるかを競い合ったという話だ。保守派の中から「日本刀で百人殺せるわけが無い」という指摘が出た。日本刀ではせいぜい2、3人しか切れないというのだ。その根拠というのが山本七平ら日本人作家の証言によるものらしい。自分の体験では3人目でもう使い物にならなくなったという事らしい。
ここで肝心なのは日本刀といってもピンからキリまである。昭和の初期に製造された日本刀には粗悪品が多かったらしく、そういう刀を使った経験が盛んに語られた事により日本刀の切れ味が著しく低い評価を受ける結果になってしまったようだ。
必ずしも嘘をついているわけではないのかもしれないが南京大虐殺を否定したいがために普段日本の技術をやたらと褒め称える人たちによって日本刀の品質が極端に低く語られることになったのは皮肉な事だ。
三国志の現実
本当は詰まらない三国志
三国志は中国四大奇書の一つとされ世界中で愛読され日本でも非常に人気の高い書である。漢帝国末期から始まる攻防をテーマとしているが、三国志には何種類かある。代表的なものが魏を正統とし歴史を淡々と記録した「正史」と蜀を正統とし物語として面白おかしく脚色した「三国志演義」がある。
通常、日本でよく読まれるのは三国志演義のようだ。
大変人気があり確かに三国志演義は面白いのだが、一体何が面白いのか。実は歴史的な事実だけを見ると特に面白い出来事は殆どない。実際には百姓同然の劉備玄徳が三国のうちの一国の皇帝にまで出世した点は特筆に価するが、それならば既に漢の初代皇帝「劉邦」が平民の身でありながら皇帝に上り詰めているし、中国全土を統一した劉邦に対して劉備は一国だけしか治めておらず三国の中で蜀は最も弱い。
それではなぜこんなに多くの人に三国志は愛されているのか。それは事実と創作の巧みな融合にあると私は考える。三国志演義はかなり多くの脚色があり事実と異なる点はたくさんあるが、かと言って事実を全く無視しているわけでもなく大きな流れではほぼ史実に忠実である。
許されるぎりぎりの範囲で面白い嘘(という言い方が果たして適切かどうか分からないが)をちりばめた作文能力に尽きると思う。
三国志の嘘
それでは本当にあった事と嘘みたいに思われているが本当の事を検証してみよう。
一騎打ちはなかった?
前半におけるフィクションの一つとして反董卓連合軍の一兵卒である関羽が華雄将軍の首級をあげる場面がある。実際には華雄は孫堅軍との戦闘中に討ち取られており関羽が討ち取った訳ではない。
これが関羽の勇猛さと面子を重んじる袁紹の融通の利かなさと伝統や身分に囚われず有能な人材を使う曹操という印象を読者に与えている。しかも、出陣前に曹操から飲酒を勧められた関羽が「後で頂く」と言い残し、冷めないうちに戻ってきて酒を飲み干す。この描写が実に巧みである。
現実問題として雑兵による一騎打ち志願を総司令官が許す訳がない。どう考えたって現実的ではないからだ。そんな事をする位なら多数の雑兵を一度に当たらせるとか伏兵として弩で待ち構える方がよほど確率が高い。そもそも抜け駆けを許していたら統率が取れなくなってしまう。
三国志演義ではやたらと武将による一騎打ちのシーンが出てくるが、現実にはそれらの対戦は殆どなかったようだ。だから武芸において一体誰が強いのかは実際のところ分からない。
ただ、太史慈と孫策の一騎打ちは本当にあったらしく引き分けに終わっている。
やくざな劉備玄徳
三国志演義の中で態度の悪い役人を張飛が鞭で打ち据えて劉備が諌める場面があるが、実は劉備自身が役人に暴行している。この事を知っている人は結構多いと思うが、劉備は品行方正な人格者として描かれているが、実際にはかなり短気な荒くれ者だ。
義に厚いとされる劉備が妻子を見捨てて自分だけ逃げる場面がしばしばある。弱者に対する思いやりがありすぎて優柔不断なイメージすらある劉備だが、現実はかなり冷徹である。
漢王朝の復興を大義名分にかかげてはいるが、忠君愛国思想の持ち主であるかどうかもかなり疑わしい。むしろ逆臣とされる曹操の方がよほど漢王朝にとって忠臣ではないかと思われてくる。
単なる冷徹なやくざ者というのがより実態に近いような気がする。逆にそれが劉備の魅力であると考える人がいるかもしれないが。
十万本の矢
魏と呉の赤壁の戦いにおける「十万本の矢」の話は多くの読者にとってかなり印象的だろう。
「十万本の矢を短期間で調達するにはどうすればよいだろう」と呉の周瑜が諸葛孔明に相談した。この極めて難しい作業を諸葛孔明はあっさりと請け負う。
諸葛孔明は霧の夜に船を出し太鼓を叩いて魏軍をけしかけた。霧が酷いため魏軍は孔明の作戦とは知らずに矢を射掛けて上陸を阻止する戦法に出た。頃合を見はかり帰還した諸葛孔明は船に突き刺さったおびただしい数の矢を持ち帰った。
というのが三国志演義において諸葛孔明がとったとされる作戦だ。これを読んで諸葛孔明の知略に感動した人も多いだろう。私もそうだ。しかし、これは事実ではなく別の故事からとった話のようだ。
孫権は水上の戦闘で船の片側におびただしい敵の矢を受け船が傾きそうになったため急いで船の向きを変えさせ、もう一方の側に矢を射掛けさせバランスをとらせたことがある。恐らく諸葛孔明が考え出したとされる「十万本の矢」の話はこの孫権の逸話を参考に創作したのではないかと言われている。
空城の計
蜀の宰相である諸葛亮が使ったとされる「空城の計」についてwikipediaに下記の記述がある。
『三国志演義』では蜀の諸葛亮が野戦で魏に敗れた際に、蜀軍は魏軍と比べて圧倒的に兵力が少なかった。そこで諸葛亮は一計を案じ、城に引きこもって城内を掃き清め、城門を開け放ち、兵士たちを隠して自らは一人楼台に上って琴を奏でて魏軍を招き入れるかのような仕草をした。魏の司馬懿は諸葛亮の奇策を恐れてあえて兵士に城内に踏み込ませなかったという(正史では、漢中争奪戦の際、蜀の将軍・趙雲が空城計を使って曹操を撤退させたのが初である)。
諸葛亮は三国志演義の話とは正反対に奇策を殆ど用いない人で、司馬懿との対戦において「空城の計」を実際には用いていない。
諸葛亮の作戦に関する三国志演義の創作の典型的な例だ。
但し、「空城の計」自体は必ずしも非現実的で荒唐無稽な作戦ではない。
徳川家康が三方ヶ原の戦いで武田信玄の軍と戦った際に「空城の計」を使ったという記録がある(これには疑問を持つ人もいるが)。
三国志の魅力
それでは三国志の史実は全く面白くないのか。創作だけが面白さのすべてなのか。他の時代となんら変わるところがないのであればもっと他の時代の物語がクローズアップされてもよいのではないかという疑問を持つ方もおられるかもしれない。
もちろん史実の中にも三国志が支持される理由は幾つかある。
- 国土がほぼ同等の面積の三国に分かれた。
- 名もなき雑兵の下に当時を代表する屈指の武将が二人も集まった。
- 諸葛孔明という天才的策略家が出現した。
国が三つの勢力に分かれたというのは策略として大きな意味がある。争う国の数は少な過ぎても多過ぎても詰まらない。項羽と劉邦の楚漢戦争のように国が二分した1対1の戦争では相手は一つしかない。勝敗が比較的短期間で決まってしまう。実際、楚漢戦争は10年もかからずに終わっている。
三国になると単純に弱い国を攻め滅ぼせばよいというわけではない。最強の国と組んで弱い国を滅ぼしてしまうと残りは2国だけになるから弱い方の国は最強の国の標的になり簡単に決着してしまう。従って相対的に弱い2国が連合して最強国に立ち向かう事になり簡単に決着が付かない。そのため三国志は話がとても長くなっている。
平民の劉備の下に関羽と張飛という恐らく当時共にトップ10に入るであろう第一級の武将が集まったのは恐らく作り話ではなく偶然であろう。既に述べた関羽による華雄斬りのフィクションはあるものの強さに関しては両人とも第一級の武将を相手に出来るほど強かったのは事実であるようだ。
この事も話を面白くしている要因の一つであろう。
そして天才軍師として描かれる諸葛孔明の存在。実際には三国志演義で表現されているほどの軍事の能力はなかったようだが、政治家や戦略家や発明家としては抜群のセンスを持っていたようだ。「国家三分の計」は諸葛孔明のオリジナルではなさそうだが、それを劣勢の劉備に提案した事がこの時代の歴史に大きな意味を持たせる事になった。
人物評価の虚実
過大評価された人物
■諸葛孔明(諸葛亮)
諸葛亮は三国志演義において軍事策略家として極めて高い評価をされている。奇想天外な作戦が見事に当たりまくり、軍事能力には神がった感すら漂う。
しかし、それらの奇策の中にはフィクションも少なからず存在する。
・曹操の配下の夏侯惇が十万の兵を率いて南下するが、諸葛亮の作戦でこれに大勝する。
・「赤壁の戦い」において霧の夜に舟を出し曹操軍が射掛けた十万本の矢を獲得する。
・殆ど手勢の無い状況で敵将の司馬懿に城を包囲された孔明は故意に城門を開け放ち伏兵があると見せかけ司馬懿を虚しく退却させる(空城の計)。
・諸葛亮の死後に攻め寄せてきた司馬懿の軍は敵の中に諸葛亮の姿を見つけ慌てて退却するが、実は諸葛亮の木像であった(死せる孔明生ける仲達を走らす)。
これらの奇策を読んで感動した人も多いだろうが、素人にも分かり易く奇想天外な上記の作戦は三国志演義の創作である。例えば「赤壁の戦い」において諸葛孔明は直接勝利に結びつくような事を殆ど何もしていない。
現実の諸葛亮は必ずしも三国志演義のイメージとは一致しないのだ。
劉備の遺言では馬謖について「あれは大した者じゃないから重用しないように」と言われているが、戦略上の要地である街亭の守備に付けた馬謖が致命的な失敗を犯して大敗している。軍事だけに関しては劉備以下だった可能性もある。
奇策の幾つかがフィクションであると既に説明したが、現実には彼は奇策をあまり(と言うか殆ど)使わないで手堅い作戦にほぼ徹している。
また、演義では司馬懿が諸葛亮に翻弄されているが、現実には軍事に関して言うと諸葛亮が必ずしも司馬懿を凌駕していたわけでもなく、特に後半戦の攻防にいおいては司馬懿は諸葛亮の挑発に殆ど乗っていない。
但し、私は軍事の能力に関しては過大評価されていると思うが、やはり能力的にはただ者ではなかったようだ。蜀軍の陣地の跡を検分した司馬懿が「天下の奇才なり」と評しているように天才的な能力を持っていたようだ。
どちらかと言うと彼の中では軍事より政治家として有能だったのだろう。劉邦と戦った項羽や三国志の呂布のように軍隊の扱いに関しては天才的でも政治家として役不足であればなかなか天下を取るのは難しい。
曹操軍から十万本の矢を騙し取ったような作戦(既に述べたようにフィクション)は話としては面白いが現実には補給や兵士の調練などを含めた国力の増強といった地味な分野こそが肝心である。
木牛流馬(恐らく一輪または四輪の車がついた輸送器具)や兵器など様々な発明し、屯田兵制度を導入し、兵士の訓練にも力を入れ国力を増強していった。
こういう事は地味だが国家戦略上は非常に重要であり後方兵站が充実し兵の練度も高い蜀軍が北伐を敢行するたびに魏は多大な出費と大軍の遠征を余儀なくされた。
多くの事柄に精通し嘘を見抜く能力が高く賞罰は明らかで公平という(性格なども含め)能力は軍事においても大きく影響してくるが、彼の偉大な長所を文章として著した場合にはせいぜい2〜3ページで終わってしまう。
三国志演義では物語として盛り上げるために(実際には殆どが存在しなかった)細かい軍事作戦の成功を強調しただろう。
過小・地味な評価された人物
■劉備玄徳
三国志演義は蜀を正当とし劉備玄徳を正義として描いているが、劉備の仁徳を強調したいせいか魏を正当とする「正史」と比べて能力に関してはむしろ低く書かれていて、言わば「贔屓の引き落とし」の様になっている。
まず、「桃園の誓い」については三国志演義全般に見られる創作の一つと思われる。
漢王室の流れを汲むと称する怪しげな平民の下に、後に当時を代表する事になる第一級の武芸者が2人もたまたま現れて素性を確かめもせず帰属するなどという事はほぼあり得ない。
確かに劉備の身分は低かったが、第一級の将軍であった盧植に師事していた事からも才能についてはある程度嘱望されていたと想像できる。
もちろん孫堅クラスの軍閥とは規模においてとても比較にならないだろうが、地元では評判となり優秀な人材が集まっていたものと思われる。その中の二人が関羽と張飛だったのだろう。関羽と張飛に関しては比較的素質があったから重用したのだろうが、武人としての優れた素質を有した劉備自身が彼らを鍛えた事によってさらに磨かれていったのではないかと私は思っている。
もしかすると武術に関しても劉備の方が関羽や張飛より上だった可能性もある。
臨終の際に諸葛亮に対して「馬謖は口先だけの男であるから、くれぐれも重要なことを任せてはならない」と将来を正しく予見する遺言をした事からも分かるように第一級の軍人(或いは政治家)として人を見る目が備わっていたからこそできた発言だろう。
それだけ高い能力を持っていなければ、単に運だけで平民から皇帝にまでのし上がれる筈がないし、何よりも曹操の様な奇才が訳の分からない平民を恐れる筈がない。
劉備の能力について曹操が部下(名前は忘れた)に尋ねた事がある。
その返答は「劉備は一地方を治めるだけの能力はあるが、天下を治めるとなると役不足だと思う」というようなものであった。
この評価はほぼ正しい気がする。
実際彼は天下が三国に分裂した内の一国である蜀の皇帝として立派に統治したが、天下は取れなかった。
恐らく劉備自身が「この程度が自分の限界」と見たのではないだろうか。
だからこそ関羽の仇を取りに呉の征伐に向かったのだろう。本来、天下を狙う者がすべきではない行為だが、「平民からここまでこれたのだからもう十分だ。天下なんていらないよ」という気持ちだったのではないか。
そう考えると辻褄が合う。
■公孫さん
■夏候淵
真珠湾とミッドウェーの情報戦
上記タイトルをクリックすると当サイト内の「アメリカの陰謀に関する検証」のページの「真珠湾陰謀論の嘘」に飛びます。
ミッドウェー海戦の敗因
偽情報の果たした役割
アメリカは日本が太平洋のどこかで大きな作戦を展開する意図がある事は暗号解読により突き止めていた。但し、日本の暗号の中にあるAFという場所がどこなのか特定できずにいた。
AFを特定する情報戦で有名な話がある。アメリカ海軍将校が一計を案じ「ミッドウェーでは濾過装置の故障で飲料水が不足している」と平文で電文を打たせた。すると日本軍の暗号の中に「AFでは水が不足している」という情報があり、これでAFがミッドウェーと特定できたという話だ。知っている人も多いと思う。
この話について強い疑問を持っている。話が出来過ぎている。日本軍はそんなに馬鹿なのか。
まず本当にそういうことがあったのか。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「ミッドウェー海戦」には下記の様な記述がある。
このエピソードについては、実際の暗号解読状況や手法を秘匿するための粉飾とする説もある。半藤一利らによれば、該当する日本側の電文は残っていないという。
このように本当にそのような事があったのかどうかすら疑わしいのだが、仮にそういう事実があったとしよう。果たしてこの情報が日本軍の攻撃地点を特定する上でどれだけの効果があったのか。
まずこの情報については日本軍の罠ではないかという意見が海軍省をはじめとしてアメリカでかなり強かった。ミッドウェーが日本軍の攻撃地点と決して全面的に信じられてきた訳ではない。また、ミッドウェー攻撃に確信を持っていたニミッツ提督にしても上記の偽情報を流す前からミッドウェー説にかなりの確信を持っていたようだ。日本軍が陸上戦力を伴っている事など多角的な情報から攻撃地点をミッドウェーと判断したのだろう。
映画「ミッドウェー」で機動部隊の司令官に任命されたスプルーアンス提督がニミッツ提督に対してミッドウェーの南西部に機動部隊を配置する意図の説明をする。「海軍省の唱える日本軍謀略説も一理あるので、攻撃目標がハワイだとしても対応できるようにする」という説明は分かり易く合理的だった。
このスプルーアンスの話からも分かる通りミッドウェー近海に機動部隊を展開させたのは単に日本軍の攻撃地点がミッドウェーである確率が高いというだけではなく、ミッドウェーの方がハワイやアメリカ本土と比べると日本に近いという事情もあった。ミッドウェーの南西に機動部隊を配置しておけば、もし予想が外れても先回りして迎撃できるチャンスはある。
ミッドウェーの水不足という偽情報による情報収集が全く役に立たなかったとは言わないが、攻撃地点を確定する際にせいぜい5%程度の役割しかなかったのではないだろうか。もちろんその程度でも重要である事には変わりはないが、決して中核をなすような情報ではなかったと思う。情報戦の駆け引きや裏話を語る上で面白い話なので拡大解釈された可能性がある。
アメリカ兵の敢闘精神
ミッドウェー海戦におけるアメリカ海軍の勝利については諜報活動や索敵などの情報面が強調される事が多いが、私はアメリカ兵の敢闘精神を高く評価している。
事前に情報を察知していたと言っても実際にアメリカ海軍のミッドウェー海戦における用兵は極めて愚劣と言っても過言ではなかった。アメリカ海軍の機動部隊は艦隊を密集させない隊形を組んでいるので攻撃によって全滅させるのは難しい。従って防御面では優れているが、発進した艦載機が編隊を組むのが難しいという欠点があった。そのために爆撃機や雷撃機などの艦船を攻撃する際に主力となる航空機と戦闘機の隊がうまく集合する事が出来なかった。
雷撃機の部隊は戦闘機の到着を待たずに日本の空母攻撃を敢行した。映画「ミッドウェー」で日本の参謀の一人が「戦闘機の護衛を付けずに雷撃機が突っ込んできます。あれは自殺行為です」と言い、続いて南雲長官が「我が方に劣らぬ勇敢さだ」と褒めるシーンがある。
戦闘機の護衛をつけない爆撃機や雷撃機の運命は悲惨だ。B17やB29の様な厚い装甲と強力な防御放火を持った爆撃機と違い、空母積載の急降下爆撃機や雷撃機は貧弱な防御放火しかもたないので戦闘機の餌食になり易い。アメリカ海軍の雷撃機は次々に襲い掛かるものの日本海軍の零式艦上戦闘機に次々と打ち落とされていった。極めて高い確率で打ち落とされる事を覚悟した殆ど自殺行為と言ってもよいような攻撃だったのだ。
だが、この愚劣な特攻作戦が高度の高い上空にに日本軍戦闘機の空白を生じさせ、タイミングよく隙をついたアメリカ海軍の急降下爆撃機が一気に3隻の日本空母を葬る事になる。
もし、この特攻作戦が無ければ線化が全く逆の結果になっていた可能性も十分にある。
ミッドウェー海戦に限らず、日本が敗戦した大きな理由の一つとしてアメリカ兵の敢闘精神を過小評価していた点がある。
航空機
戦闘機雑学
最強戦闘機と最優秀戦闘機
第二次世界大戦最優秀戦闘機候補の代表格はP51マスタングだ。しかし、最強かと言うとそうではない。最優秀と最強は全く別の概念だ。
ドイツのメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機はP51にとっても1対1でまともにやりあって勝つのは極めて難しい相手だった。
ジェット戦闘機は別格としてもレシプロエンジン戦闘機でもスピットファイアの方が空戦性能が優れていると言われているし、メッサーシュミットBf109も1対1でベテラン同士が空中戦をした場合にはなかなか決着が付かなかったようだ。これらの戦闘機以外にも日本の戦闘機でさえ互角に戦える物もあった。
どれが最強戦闘機だったかは戦闘機ファンのロマンを掻き立てるが、私はあまり意味がないと思う。戦闘機の存在意義は戦争に勝つことであり戦闘機オリンピックに勝つことではない。レシプロ戦闘機自体がドングリの背比べ的などれも大差ない行き詰った状況であり、敵を凌駕する究極の戦闘機を作りたいのであればジェット戦闘機やロケット戦闘機の様に根本的に概念の違う次世代戦闘機を発展させればよい。
レシプロ戦闘機の機体に関して言うと第二次世界大戦以前にスピットファイアやBf109など完成に近い物が出来上がっており大戦中の進歩はあまりない。元々戦闘機の性能はエンジンが重要で、よほど機体が悪くない限りほぼエンジンで決まると言っても過言ではない。特に液冷戦闘機はどの機体もそれなりに美しくこれは酷いという物はあまり見かけない。
複葉や固定脚であるとかソ連のI16の様にどう見ても前近代的な形状である物を除けば、ある程度のレベルに達した機体なら金と手間をかければ最強の戦闘機になり得ただろう。
例えば陸軍の三式戦闘機「飛燕」。最高の職人が手間をかけてエンジンを作り、零戦の様に強度が不要な桁の部分に穴をあけて軽量化を徹底し、機体の一部に超々ジュラルミンを採用し、名人により各部品を徹底的にチューンナップした物を一機だけ作ったとすれば世界最強に十分なり得た素材だ。
P51の設計者の偉い所はひたすら性能を追求せず余力を残しておいてかなり低コストの戦闘機にまとめた点だ。何しろ低価格で扱い易いとされたP40戦闘機と価格が大差ないし、P47よりもかなり安くP38戦闘機と比べると価格は半分以下だ。
あくまで戦争に勝つための兵器として性能・稼働率・生産性などのバランスがとれていて、これといった大きな欠点がない。そういう点でP51が最優秀と呼ばれる所以であろう。
ソ連戦闘機については性能がさほど高くないので評価はあまり高くないようだが、決して設計が悪い訳でもなく、木製戦闘機でありながら大活躍した事を考えるとYak3やYak9戦闘機辺りを最優秀と呼んでも間違いではない。
戦闘機のロマン
第二次世界大戦の兵器について戦闘機に対する思い入れが強い人が多い(私自身もそうだ)。
戦闘機という名称は攻撃的だが、実は防御的兵器であり攻撃の中心ではない。サッカーで言うとキーパーの様なものだ。戦闘機は飛行機を攻撃する飛行機なので敵にも味方にも爆撃機(或いは雷撃機、攻撃機、地上襲撃機など)がなければあまり存在意義がない。
技術面についても戦闘機は高度な技術を要する兵器であるとはいえ必ずしも航空機の中で最も高度な技術が必要という訳でもない。例えば戦闘機同士であれば日本の疾風でさえP51相手に善戦したほどで主要国の主力レシプロ戦闘機の性能はドングリの背比べであったが、戦略爆撃機については日本のみならず他の列強もアメリカに引き離されている。
それでは用途や技術からして必ずしも最上位にある訳ではない戦闘機に対する人気の要因は何か。
まず戦闘機の性能は比較しやすい事がある。爆撃機の性能で比較的分かりやすいのが航続距離、速度、爆弾搭載量辺りだが、戦闘機ほど速度が重視されないし、爆撃機同士が直接戦う訳ではないので、数字を見ただけでは今一つ分かり難い。
また目的からすると戦略爆撃機は思想や戦局に左右されて全く使えない場合もある。「我が国は平和主義なので専守防衛だ」とか「無差別爆撃という残忍な手段はとらないので必要ない」などと言われれば「単に技術の低さを言い訳しているだけではないか」という穿った見方ができない事もないが、実際に平和主義の場合もありうるので一概に負け惜しみとは言い切れない。自軍に優秀な戦略爆撃機があっても守勢では使いづらい。それに対して戦闘機は迎撃であろうと侵攻であろうと戦争が起これば必要になるので「平和主義か軍国主義か」などの思想や「戦局が守勢か攻勢か」などにあまり関係なく使用される場合も少なくない。
大空を自由に高速で飛びまわる1対1の勝負というイメージも戦闘機に対するロマンを掻き立てる要因だろう。実際には対等の条件で1対1の戦闘を行う事は空中戦においてもそんなに多くはなかっただろうが、少なくとも戦車対戦車、歩兵対歩兵など他と比べると一騎打ちが起こる可能性が比較的高く一騎打ちが全くない訳でもない。
プロペラ同調装置
プロペラ戦闘機では零式艦上戦闘機の様に機種に機銃を備えた物がある。
機種に機銃を配置すると「照準が正確になる」、「機体の安定性」、「翼に装備した場合の様に翼を強化する必要が無い」など様々なメリットがある。
しかし、右の模式図で気付くが「これでは弾がプロペラに当たってしまうではないか」と思った人も多いのではないだろうか。
この点を解説する。
初期の機種装備機銃は「弾が少々当たっても構わない」という乱暴な考え方をしていた。
まず、図を見て分かる通り全ての弾がプロペラに命中する訳ではなく、回転するプロペラが弾道に当たらない確率の方が高い。
たまに弾が少々当たっても初期の頃の小口径機銃は威力が小さいので、プロペラが吹っ飛んでしまう訳でもなかった。
また、プロペラは後方に風を送るために当然、弾道に対して垂直に当たらないので言わば戦車の避弾経始(ひだんけいし)の様に弾かれ易い滑るような角度で当たる。
更にプロペラを強化するなどの安全対策が取られる事もあった。
しかし、それでも弾をたくさん撃てば多数がプロペラに命中してしまうし、やはり破損の危険はあり実戦でプロペラの損傷は無視できなかった。
また、日本陸軍三式戦闘機「飛燕」の様に20ミリの大口径機銃(機関砲)を備えた場合には1発命中しただけでプロペラが吹っ飛んでしまう。
そこでプロペラ同調装置という物が考案された。
プロペラに当たらないタイミングで弾が発射されるシステムだ。
日本機に多く採用されドイツでもBf109などに採用されたが、米英であまり使われなかったのは恐らく物量の差によると思われる。
日本では一発必中的な考え方と翼を強化するだけの生産力が乏しいなどの理由で向いていたのだろうが、米国は絶対に安全とは言えない機種の機銃を無理に使うより多少命中率が落ちても主翼に多数銃を装備して撃ちまくればよいという考え方だったのだろう。
日本陸軍
一式戦闘機 隼
ほぼ同じ年代に登場した日本海軍の零式艦上戦闘機と比べるとタイプが似て同じエンジンを使った戦闘機でありながら性能は劣るという印象を持たれているのが本機である。
まず最初の時点で必ずしも期待されていなかった。また模擬戦闘による試験では「格闘性能がぱっとしない」という理由で採用自体が見合わされる可能性もあった機体である。しかし、航続距離の長い戦闘機が必要となったため急遽採用となった幸運な面のある戦闘機である。
日本海軍の零式艦上戦闘機の華々しいデビューと同じ陸軍で大東亜決戦機と呼ばれた四式戦闘機「疾風」と比べると日本人の評価はあまり高くない。
しかし、実は地味ながら最も活躍した戦闘機と言っても過言ではないし、あまり知られていないが最終的なスペックでは零式艦上戦闘機の性能を上回っているのだ。
零式艦上戦闘機と比べた場合、確かに初期の数値ではばっとしないが、防弾という点では全くと言ってよいほど配慮されなかった零式艦上戦闘機と比べてかなり充実している。また陸軍戦闘機の中ではかなり稼働率も高く、高性能だが稼働率の低かった疾風と比べた場合、戦争終盤においても本機が実質的には主力戦闘機と呼んでも過言ではない。
アメリカからも「手ごわい戦闘機」として高く評価されており、地味ながら最も活躍した戦闘機の一つである。
三式戦闘機 飛燕
三式戦闘機 飛燕の最大の特徴は対戦中の日本機で唯一の液冷エンジン装備という事だと思う。液冷エンジンが飛燕の運命にはっきりとした明暗を分けている。
一般に縦長の液冷エンジンの方が星型の空冷エンジンより空気抵抗が少なく航空性能も高い。但し、被弾に弱く制作に手間がかかる欠点がある。一長一短あって一概にどちらが正解とは言えないが、アメリカ海軍では洋上で被弾すると生還の確率が低い事を考えて全戦闘機が空冷で、大陸で交戦する事の多いアメリカ陸軍やヨーロッパの戦闘機は被弾しても生還の可能性があるので液冷戦闘機が主流であった。
陸上の空戦の機会が比較的多い陸軍だからという理由で液冷エンジンが採用されたのであろうが、本機はもう一つの欠点である製造の難しさという点で苦しんだ。
戦争中盤の評価については微妙に分かれている。「なかなか良い活躍をした」という記述もあるが、スピードや武装については他の日本機よりは優れているが、欧米機と比べると特に優速というわけでもなく運動性については劣ってはいないが他の日本機と比べるとかなり劣るので、中途半端な戦闘機として戦い易くカモにしていたという意見もあるらしい。いずれにせよ、稼働状況についてはやはりエンジンの特殊性からくる製造や整備の問題で稼働率が低く、苦しんだようだ。
但し、終戦直後の本土防衛においては前線にいた頃より製造や整備がしっかりしていた様で比較的稼働率も高く、また元々液令戦闘機は航空性能が良く、飛燕は武装も強力なのでB29迎撃に大活躍した。
四式戦闘機 疾風
四式戦闘機疾風は大東亜決戦機とも呼ばれ三千機以上製造され性能も良かった。これは海軍の零式艦上戦闘機と別の意味で評価が微妙な戦闘機だ。
アメリカでの評価も高く、高度によってはP51やP47より上の可能性も示唆されている。これこそ世界最強の戦闘機だと誇る日本人も多いが、その点について私はどうかと思う。
性能的には優秀である事は間違いない。零式艦上戦闘機のように防弾鋼板を外して全く発展性のないぎりぎりの設計で一時的に世界最強に見えただけの戦闘機とは違い真の意味での強さを持っていた。スピードもかなり速いし防弾性も他の日本機のように低くないし、火力も強い。
但し、P51に負けなかったと言っても凌駕した訳でもない、Bf109やスピットファイアなどはP51と互角に戦える能力を持っているし、疾風の出現した時期を考えると驚異的な能力を持った戦闘機とは言えない。また、何度も言っているように戦闘機で肝心なのは抜群の空戦能力より生産性や稼働率などある程度運用できる機数を揃えられる事である。もしP51の性能を凌駕していたのであればそれこそ間抜けとしか言いようがなく、そんなものを作るのであれば多少性能が低くてもよいから生産性や稼働率の高さの点でもっと確実な物を作るべきであった。
とは言え、本機は従来の日本にあったような格闘戦に執着することがなく、ある程度小回りを捨てて一撃離脱という概念を取り入れた点で私はかなり高く評価している。
五式戦闘機
大きな期待を背負って投入された三式戦闘機「飛燕」は液冷エンジンの不調に悩まされた。美しく流麗な気体を見て分かる通り機体の設計自体は悪くないが、液冷エンジンの製造の難しさが、飛燕の活躍を困難なものにしていた。工場では機体の設計は進むがエンジンの供給が間に合わずエンジン無しの機体だけが並んでいる状態だった。
そこでたまたま空冷エンジンをつけてみると高性能を発揮して五式戦闘機となった。
この話は多くの人が知っているだろう。
欧米ではエンジンを換装して性能が飛躍した例は多い。P51マスタングがその代表で、スピットファイア、Bf109なども初期型と後期型では全く違う戦闘機と言ってよいくらい性能が向上している。
これらはいずれも液冷エンジンから液冷エンジンに換装した事例である。この場合は比較的上手くいく場合が多い。シリンダーが水平に並んでいる液冷エンジンの場合、馬力がましても縦に長くなるだけだから径を殆ど変えずに換装が可能なので機体の方は機首を多少長くする程度の改修で済む場合が多いからだ。
それに対して空冷エンジンから液冷エンジン又は液冷エンジンから空冷エンジンに換装する場合、機体の胴体の太さが違うので難しい場合が多い。
従って五式戦闘機は機首と胴体に多少段差がある。しかし、比較的上手く収まって流麗な戦闘機として仕上がっている。それで高性能を保つ事ができたのだろう。
これもまた評価が微妙な戦闘機である。高性能である事は間違いないが、終戦間際に出現している事と既に疾風や紫電改などの大馬力高性能空冷戦闘機がある事を考えると特別本機が必要とされる理由も少ない。また生産機数が393機と紫電改より更に少なく、大局に影響を与える事はなかった。
結局この戦闘機は、いかに日本が液冷エンジンを苦手としてきたかを如実に示した戦闘機とも言える。
日本海軍
零式艦上戦闘機
零式艦上戦闘機(略して零戦)は評価が大きく分かれる戦闘機だ。当時、世界最高だったと意見もあれば凡作だという意見もある。
特徴としては小回りが利き航続距離が極端に長い事があげられる。その反面、機体が弱く防弾は殆ど施していない。優速だという意見もあるが、せいぜい500キロ中盤程度しか出ない。イギリスのスピットファイアやドイツのメッサーシュミットBf109の方が先に現れ速度も速い事を考えると速度に関しては世界最高水準とは言えない。
果たして世界最高水準に達した時期が一瞬でも存在したかどうかは疑わしい。初期の戦いであまり強敵とは戦っていないからだ。
初陣では27機撃墜した事になっている(実際にはそれよりずっと少なかったらしい)が、その相手は複葉機など旧式機だった。
また、数値的には大した事のないアメリカ海軍のF4Fやアメリカ陸軍のP40カーチスウォーホークにもかなり苦戦している。敵の一流の戦闘機の中で零戦が圧倒したのは初期の頃のP38ライトニングくらいだ。
イギリスを代表する名機スピットファイアとの対戦においてオーストラリアで数倍の敵を圧倒する戦果をあげた例がある。しかし、その時のスピットファイアは型が古く保守や運用がどうもうまくいっていなかったようだ。スピットファイアは速度で零戦を凌駕しているだけでなく零戦が得意とする旋回性についても水平方向であれば負けていない。スピットファイアとまともにやりあったら恐らく勝てなかっただろう。
世界最高とまでは言えないにせよ一時的には世界的にかなり高い水準にあった事は確かなようだが、必要ない部分の重量を極力減らすための細かい穴を開けるなど徹底した軽量化、機体を全金属化し一部を超々ジュラルミンを採用するなど贅沢な仕様、旋回性を高めるために翼の先端を丸くするなどの工作などの成果によるものだ。
名機かどうかの判断は難しい。戦闘機は格闘戦オリンピックに勝つために存在するわけではない。零戦の優れている面は裏返すと寿命を短くする要因でもあったからだ。「改造はされたが改良はされなかった」という言葉に象徴されるように一瞬でも世界最高水準に達したのは発展性や生産性が低いからであり、大戦全般を通して考えると既に説明した隼戦闘機の方が概念としては優れていたように思う。スピットファイアやメッサーシュミットBf109が常に改良を続け主力戦闘機であり続けたのとは対照的だ。
紫電改
戦争終盤に活躍した日本海軍の戦闘機。2千馬力級の空冷エンジンを積んだ戦闘機でほぼ同時期の陸軍四式戦闘機疾風とよく比較される。
疾風より遅くデビューし、3千機生産した疾風に対して紫電改は400機しか製造されていない。またカタログスペックでは最高速度が疾風より遅い、などの要因で疾風より格下の扱いを受ける事が多いようだ。
もっとも紫電改は疾風より翼の面積が広く空戦フラップを採用しているため旋回性は高い。また戦後のアメリカ軍による調査では紫電改の方が疾風より高い速度を計時したようだ。
このように評価は微妙である。陸軍四式戦闘機疾風と同様に2千馬力級の空冷戦闘機にしてはアメリカのF6FやP47と比べて遥かにスリムだし、F6Fよりは性能が高い。そこが良くも悪くもあるのだろう。良く絞られた胴体に空戦フラップなど凝った機構を取り入れたため性能は抜群だった。F6Fのような「ただ飛べばよい」という感じのする荒削りな機体の戦闘機と比べて高性能ではあるが、その反面、生産性や稼働率という面でかなり悪影響を与えたであろう事は容易に想像が付く。それが生産機数400機という数字に表れている。
良いか悪いかは人によって評価が大きく分かれるだろうが、個性的なネーミングと高性能で印象に残る戦闘機である。
イギリス空軍
スーパーマリン スピットファイア
第二次世界大戦のイギリスを代表する主力戦闘機がスーパーマリン スピットファイアであるが、1936年3月5日には既に初飛行している。ドイツのメッサーシュミットBf109戦闘機よりは少し遅いが他の戦闘機と比べると出現時期がかなり早い。しかも大戦を通して改良が続けられ常に第一線級の主力戦闘機として君臨している。その点は大きく評価できる。
ロールスロイスの優秀な液冷エンジンを積んだ本機は空戦性能も素晴らしい。速度は大戦を通し殆どの時期においてトップクラスであった上に旋回能力も高かった。横転では究極の格闘戦闘機であった零式艦上戦闘機すら上回ると言われている。
これだけ素晴らしい性能の戦闘機ではあるが、当然欠点もある。航続距離の短さと楕円形翼の採用などによる生産性の低さである。特に航続距離の短さはP51や零式艦上戦闘機と比べるとせいぜい五分の一程度しかないというお粗末さであった。これは元々迎撃戦闘機として開発された事と当時支配的であったドゥーエの理論によって護衛戦闘機があまり必要でないという思想があった事などもあるので仕方ないという意見もあるが、幾ら設計が良好であろうと概念が間違っていたのであればやはり欠陥と言われてもやむを得ない。
高い空戦性能を存分に活かしバトルオブブリテンにおけるドイツ戦闘機迎撃には大活躍した。しかし、その後は航続距離がネットとなりP51に世界最優秀戦闘機の座を奪われてしまう事になる。恐らく1対1の空戦ではP51に勝っていたと思われるので航続距離の短さはいかにも惜しい。
第二次世界大戦の途中から活躍しだしたP51と比べて大戦前から標準配備され大戦を通じて活躍しただけに航続距離という一つの欠点のために最優秀戦闘機の座を譲らざるを得ないのは気の毒ではあるが、何度も述べるように戦闘機は特に欠点がなく生産性や稼働率などを含めて無難である事が重要なので残念ながらP51より格下とされても仕方ない。
しかしながら第二次世界大戦を代表する名機である事は疑いのない事実である。
ドイツ空軍
メッサーシュミットBf109
第二次世界大戦前後のドイツを代表する2大戦闘機の一つ。初飛行が1935年5月28日で第二次世界大戦中に活躍した主力戦闘機の中では最も古くほぼ同年代のイギリスのスピットファイアより約1年早く出現している。
特徴は小さな機体に液冷の強力エンジンを積んだ高速一撃離脱型の重戦闘機である事だ(見た目はスマートだが重戦闘機の定義は翼面加重の大きさで決まる)。
スピットファイア同様、第二次世界大戦が始まるかなり前から出現し大戦を通して改良を続け終戦まで第一線級の性能を保ち続けた。妙に直線的な風防は気になるが古い割にはスタイルは洗練されたイメージがある。
欠点としてはスピットファイアと同じ程度の短い航続距離しかないことでバトルオブブリテンにおいてはイギリス上空で短い時間しか空中戦を行えなかった。また翼面荷重が高く降着装置の間隔が狭いために着陸しづらいため必ずしも新米にも扱いやすい機体ではなかった点が上げられる。
第二次世界大戦最優秀機と呼ばれるP51マスタングとの比較でさえ、共にベテランが乗って1対1の空中戦をした場合にはなかなか決着が付かなかったと言われている。
フォッケウルフFw190
第二次世界大戦中にメッサーシュミットBf109と共に主力戦闘機として大活躍した。
メッサーシュミットBf109は第二次世界大戦前からドイツの主力戦闘機として大活躍していたが、操縦が難しくエンジンの生産性に難があった。そのため言わば保険機のような形で開発が進められたのがフォッケウルフFw190だ。陸地の上空で対戦する事の多いヨーロッパでは液冷戦闘機が多かったが、特にドイツの航空機においては珍しい空冷エンジン航空機であった。空冷エンジンは冷却機が要らないので一般的に空冷戦闘機は重量が軽くなり易く加速力が良いが本機の加速力は特に素晴らしかった。
あくまでメッサーシュミットBf109の補助機という位置づけではあったものの性能は素晴らしく初期の大戦では名戦闘機スピットファイアを圧倒するという衝撃的なデビューを飾っている。
出現の時期がメッサーシュミットBf109やスピットファイアと比べて遅く、最終的な性能はスピットファイアに抜かれてしまったので評価は微妙だが、ドイツの二大主力戦闘機の一つとして活躍した実績は高く評価されてしかるべきだ。
メッサーシュミットMe262
メッサーシュミットMe262ジェット戦闘機は初期のジェット戦闘機である事を感じさせない洗練されたスタイルを持ち第二次世界大戦を代表するジェット戦闘機で性能、戦果とも群を抜いている。
最大離陸重量6.4トンは当時の戦闘機としては重い部類だが、双発でありながらP47などと比べるとむしろ軽い位であり決して酷く重い戦闘機ではない。
何と言っても最高速度時速870キロは他の主力レシプロ戦闘機と150キロ以上もの圧倒的な差をつけてしまった。武装も極めて強力で初期の型でも30ミリ機関砲を4門搭載し、他にもR4Mロケット弾を搭載したMe262も迎撃に大活躍した。
開発は早くから進められ1942年4月には初飛行しているが、ヒトラーが爆撃機型の開発にこだわり戦闘機型の開発を嫌ったため運用が遅れてしまった。なぜヒトラーが爆撃機にこだわったのかというと攻撃的な性格によるものと思われる。戦闘機は名前こそ攻撃的ではあるが、味方機や自国の領土を守るという目的からすると爆撃機と比べてむしろ防御的な兵器なのだ。
ヒトラーにしてみると「戦闘機の速度を凌駕する高速爆撃機があるのなら護衛戦闘機など必要ない」という事なのだろうし、自国に侵入してきた敵機の迎撃に対する備えにしても守りを考えた消極的な考えとしか映らなかったのだろう。
このジェット戦闘機は単に性能が高いだけでなく確実に戦果を上げた点にドイツの底力を感じさせる。ヒトラーが変なこだわりを持たず後一年速く本機が迎撃戦闘機として十分な機数で迎撃体制に入っていれば、果たして連合国空軍はドイツ領内に侵入できたかどうか分からない。
アメリカ陸軍
P38ライトニング
P38ライトニングは太平洋戦争開始の頃から徐々に現れ始めたアメリカ陸軍期待の大型双発戦闘機だ。
この戦闘機に対する評価は微妙に分かれる事が少なくない。よく言われる欠点は「低空での格闘戦が苦手」という事である。そのため零式艦上戦闘機との初期の戦いにおいては全く歯が立たず「ペロ八」という蔑称がつけられた。しかし、ターボチャージャーを搭載し日本の戦闘機より航空性能が良い事を活かし上空からの一撃離脱戦法に徹するようになると日本の戦闘機は本機を容易に撃墜できないようになる。
元々迎撃戦闘機として設計されているので一流の単発戦闘機との戦闘においても互角(或いはそれ以上)にやりあったという点で多いに評価は出来る。大型戦略爆撃機に対する迎撃の機会は殆どなかったが、そういう機会があればP38が第二次世界大戦最優秀機に選ばれていたとしても不思議はない。
また、もしP51マスタングという名戦闘機が現れなければ護衛戦闘機としても当機が第二次世界大戦最優秀機になっていた可能性もある。連合軍の戦闘機として優秀な物の代表としてスピットファイアがあるが、これは航続距離が致命的に短いため初期のドイツ本土爆撃には随伴できなかった。P38は航続距離が長いのでドイツ本土爆撃の初期の頃に護衛戦闘機として使われたが、戦争後半にさしかかってくると単発戦闘機と比べても速度が見劣りするようになってきた。もし第二次世界大戦の最優秀液冷エンジンと言われたロールスロイスエンジンを使っていればどうだったか。そうすれば単発戦闘機を遥かに凌ぐ速度も出せただろうが、ロールスロイスエンジンを戦闘機1機に対して2機も搭載するのであればP51を使った方がよほど安上りだという計算もあったのだろう。
ランニングコストが安ければもっと高く評価されただろうが、戦争の中盤を支えた名機と言える。
P40カーチスウォーホーク
第二次世界大戦勃発時のアメリカ陸軍主力戦闘機がP40である。
同世代のスピットファイアやメッサーシュミットBf109と比べて数値的にかなり見劣りするのみならず、日本海軍の零式艦上戦闘機との比較でさえ性能的には格下とされている。
液冷エンジンを搭載した戦闘機でありながら冷却機が機種の下についているために横から見ると機種が尖っておらず下の方にだらっと下がった独特な形状が特徴である。機体は重く、スピードも遅い。しかし、極端に頑丈であり被弾に強かった。また重いせいで小回りは効かないが急降下速度は速かった。
性能的にはぱっとしないながらもその特性を最大限に活かしてなかなか良い活躍をしている。太平洋戦争初期に日本軍に対して質量ともに劣る状態で互角あるいはそれ以上に戦ったという点で、兵器は単に性能だけで決まるわけではないと改めて認識させる機体である。アメリカの運用のうまさには感心させられる。
性能的にはどう考えても第二次世界大戦最優秀機と言う人は殆どいないだろう。ただ、早くから登場した機体であり、大戦初期から中期までの苦しいアメリカの状況をよく支えてきた戦闘機として「アメリカで最も活躍した戦闘機」と言っても必ずしも過言ではないと思う。
第二次世界大戦の名機の一つとしてあげるべきだろう。
P47サンダーボルト
戦闘機らしからぬ巨大で太い機体が特徴の本機に対する評価は人によって大きく分かれる。
大型空冷エンジンと排気タービンを装備した本機は高速・強力な武装で高空性能と防御力に優れ急降下速度が速いという特徴があった。典型的な一撃離脱型の戦闘機であるが、反面小回りが効かないのが欠点であった。
名前は忘れたがある本によると「この戦闘機は何もない空に現れて暴れまくっただけの戦闘機」という評価があった。ターボチャージャーの装備についても「強引であまりうまくない」という意見もある。ターボチャージャーは機械式過給機と違い、排気ガスの圧力を過給のエネルギー源とする点で合理的とは言えるが、例えばスピットファイアに積んでいたロールスロイスエンジンがターボチャージャーを採用しなかったのは排気タービンを開発する技術が無かったからではない。ターボチャージャーだとレスポンス(反応)に遅れがあるので戦闘機には向かないという判断によるものだ。
機体の構造からしてもエンジンの過給方式からしても素人目にも不自然さを感じさせる戦闘機である。
ただ、P51マスタングが彗星のように登場しなければ本機が第二次世界大戦最優秀機として選ばれた可能性が無いわけでもないが、製造コストがP51の2倍近い事を考えると果たして本機の存在意義があったのかすら問題になってくる機体である。
あるとすれば被弾に強く搭乗員の生還率が非常に高い事であろう。この事は大きなポイントではあるが、B17戦略爆撃機を含めた編隊全体の生還率という事を考えた場合、やはり航続距離の長いP51マスタングを選ぶのが妥当という事になったのだろう。
怒る人もいるかもしれないが、率直に言うと私の評価は駄作の類である。
P51マスタング
P38やP47のようにアメリカ陸軍が大きな期待を込めて開発した純粋な米国製戦闘機と違い、P51はイギリスのプロデュースによって出来た戦闘機だ。開発者はドイツ人でありB型以降のエンジンはイギリスのロールスロイス・マーリンエンジンだ。
型が変わることで性能が数値的には全く別の戦闘機と言ってもよいくらい飛躍的に進歩した例は珍しくない。メッサーシュミットBf109やスピットファイアなどはどんどん新しい型を出していき、初期の型と比べて後期の型は目覚しく進歩している。
しかし、改良により性能が見違えるように変わった代表は何と言ってもP51だろう。
初期のA型はレイザーバックでアメリカ製のアリソンエンジンを搭載していた。低空での性能はよく航続距離も長く、急降下爆撃も得意なので対地攻撃でも大活躍した。しかし、航空性能が悪く、戦闘機として不適格という烙印を押されていた。
しかし、ロールスロイスのマーリンエンジンに換装したところ航空性能が目覚しく向上し、たちまち世界トップレベルの戦闘機になってしまった。このB、C型(どちらも中身は同じだが製造工場が異なる)はまだレーザーバックである。これは航続距離が長くヨーロッパ戦線でも中国戦線でも大活躍した。
更に風防を水滴型にし、12.7mm機銃を6丁に強化したのがマスタングの決定版とも言えるD型だ。見た目はA型とかなり変わっており異なる戦闘機と思う人もいる。(実際かなり変わってはいるが)
本機は第二次世界大戦最優秀機と言われている。それについて私は異論を挟む気はないが、必ずしも最強という意味ではない。「スピットファイアの方が空戦性能が高い」という意見もある。ドイツの名機メッサーシュミットBf109に良いパイロットが乗った場合なかなか決着がつかないこともあったようだ。
あらゆる面で他の高性能戦闘機を凌駕していたわけではなく、燃料を満載した離陸時には不安定だったり、滑空冷却器の被弾に弱いといった欠点もあった。
私がこの戦闘機を高く評価している点として製造コストが安い事をあげたい。P47の半分程度のコストで作る事が可能だ。もしその逆であればB17のドイツ本土爆撃の護衛戦闘機としてP47が選ばれていたかもしれない。空戦性能がトップクラスで航続距離が長く製造コストが安いとなれば軍としては使いたくなるのが当然だ。
総合的に見るとやはりこの戦闘機が第二次世界大戦最優秀機とするのが妥当だろう。
ボーイングB17フライングフォートレス爆撃機
第二次世界大戦当初から存在した重爆撃機の中で最も活躍したのがボーイングB17爆撃機である。四発の重爆撃機であるが、当初の目的は的の大都市に対する戦略爆撃と言うより戦術的な作戦を意図した爆撃機だった。ミッドウェー海戦でも艦隊攻撃に使用されている。
しかし、結果的には第二次世界大戦で最も活躍した戦略爆撃機となった。爆弾等裁量など個々の性能を見ると同時期の爆撃機で本機を凌ぐものはあるが、防弾性の高さなど全体的な信頼性が高く評価されドイツ本土爆撃の主役となっている。
結果的には戦略爆撃機として大活躍し、正に「空の要塞」と呼ぶにふさわしい爆撃機である。
ボーイングB29爆撃機
当ページで何度か述べた通り第二次世界大戦の各国の戦闘機についてはどんぐりの背比べで性能に物凄い差がある訳ではなく技術の劣った日本軍でも最優秀戦闘機の4式戦闘機「疾風」辺りなら状態が良ければ第二次世界大戦最優秀戦闘機とされるアメリカのP51マスタングとも互角にやりあう事が出来た。
それに対して大型爆撃機については歴然とした差があった。アメリカ陸軍は大戦当初からB17という四発の強力な大型爆撃機を保有していたが、大戦末期に現れた戦略爆撃機の決定版がボーイングB29スーパーフォートレスである。
爆撃機としてはかなり高速であり日本の戦闘機は追いつくのが困難であった。排気タービン装備による優れた航空性能や強力な装甲、防御放火は遠隔操作が可能となっており自動的に弾道計算して発砲する先進の装備が施されている。
但し、B29の日本本土爆撃については「1万m上空を悠々と飛ぶB29に対して日本の迎撃戦闘機は歯が立たなかった」と勘違いしている人が多いようだが、そうではない。航空性能が優れているといっても1万m上空から爆弾を落としても上空の気流に流されるために命中させる事はかなり難しい。今の時代は爆弾と言えばほぼ百%命中するようになっているが、当時はそうではなかった。B29の爆弾も3千m級の高度から投下される事も少なくなかった。これなら日本の戦闘機も十分に対応できるし、三式戦闘機「飛燕」、四式戦闘機「疾風」といった武装が強力な戦闘機などによってB29もかなり撃墜されている。
相手が弱いとなれば弱いなりに防弾鋼板や防御放火を外したり高度を下げたり爆弾搭載量を増やしたりして防御を弱めた状態で攻めてくるので日本戦闘機が迎撃し易い状況は少なからず存在した。
ドイツ空軍ほどではないが日本の迎撃機もアメリカ軍にとって大きな脅威だったのである。
アメリカ海軍
グラマンF4Fワイルドキャット
F4Fヘルキャットはグラマン社による太平洋戦争初期のアメリカ海軍主力艦上戦闘機だ。
見るからにずんぐりした前近代的な機体は見た目だけでなく数値的にも明らかに零式艦上戦闘機より格下であった。
艦上戦闘機という事情を加味しても情けないほどの低性能機ではあるが性能の割には活躍している。これも他のアメリカ戦闘機と同様、防弾性の高さ、急降下速度の速さなどの特徴を最大限に活かし、零式艦上戦闘機と互角かそれ以上の戦いをしている。
零式艦上戦闘機ほどではないが、欧米の戦闘機と比べると貼るかに航続距離が長いのも特徴だ。
グラマンF6Fヘルキャット
F6Fヘルキャット艦上戦闘機は日本軍戦闘機相手に最も活躍した戦闘機だ。高性能艦上戦闘機として期待されたチャンスボートF4Uコルセアと並び開発が進められていた言わば保険機的な存在であったが、F4Uコルセアが艦上戦闘機としての使用に難がある事からF6Fが主力艦上戦闘機として採用される事になった。
ズングリした胴体にただ大きい翼をくっつけた不細工な見かけ通り2千馬力級のエンジンを積んでいる割には600キロ程度しか出ず、性能的には凡作という人もいる。日本の疾風あたりでもエンジンが好調であれば恐らくF6Fよりも高性能であろう。
確かに性能的には傑出した数字は無くドイツの高性能戦闘機と比べるとかなり見劣りする感じはするが、日本機相手には却って丁度よかったという意見もある。
と言うのは、その程度の速度でも日本の戦闘機からすると優速であり十分対抗できた。また特筆すべき点として大型で重く太めの機体であるにも拘らず運動性がなかなか良かった点だ。零式艦上戦闘機ほどではないにせよ他のアメリカ機と比べるとある程度格闘戦はこなしていたようだ。
零戦は軽量なので上昇が得意だったが、F6Fヘルキャットは重いが2千馬力級のエンジンでこれも上昇力に優れていた。重いので零戦より降下速度も速く、防弾性も高かった。
つまり日本機と比べるとこれといった明確な欠点は無い。唯一劣っていると思われる旋回性についても上述のようにまるで相手にならない訳でもなかった。F6Fより高性能とされるF4Uよりやり難かったと思うパイロットも少なくないようだ。
ドイツ機相手だと果たしてどうだったかと思うが、日本機には丁度良い性能だったようだ。艦上戦闘機であるという事も艦上戦闘機が比較的多い日本戦闘機と対戦し易い要因の一つだろう。
決して上手な設計とは言えないが、実に上手い具合に日本機と相性があって大活躍する事になった。
結果的には名機と読んでも良い機体である。
チャンスヴォートF4Uコルセア
1940年5月に初飛行した2千馬力級エンジン搭載で逆ガル翼の大型戦闘機である。試作機は時速650キロを記録した高性能戦闘機であるが、艦上戦闘機として設計されながら視界不良や失速特性などで着艦に難があったため大戦末期まで艦上戦闘機としては使われなかった。
性能的には第一線級の戦闘機である事は間違いなく、それなりの活躍はしているのだが、名戦闘機かと言われると微妙だ。
まず艦上戦闘機として設計されたのに空母に着艦できない事から欠陥機と言う人もいる。
性能的には安くて高性能なP51、航続距離の長いP38など優れた戦闘機が他にもあり、海軍が被弾に強い空冷戦闘機にこだわっていなければ最後まで使われなかった可能性もある。
日本の戦闘機パイロットにとってはF4Uは強敵である事は間違いないが、むしろF6Fヘルキャットの方を嫌がっていたようだ。グラマンF6Fヘルキャットでも述べたが日本の戦闘機にとっては特に欠点の無いF6Fが嫌だったようで、旋回性で明らかに劣るF4Uの方がむしろ数値的には低性能であるF6Fよりやり易かったようだ。
かと言って無意味な駄作かというとそうでもなく、本機が空母上での運用が可能になると急速にF6Fにとって代わっているし、第二次世界大戦中の名戦闘機と言うより、どちらかと言うと朝鮮戦争など第二次世界大戦後における空母艦載型の便利な戦闘爆撃機という感じだろう。
ソ連空軍
ヤコブレフYAK3・YAK9
第二次世界大戦中に最も活躍したソ連の戦闘機がヤコブレフYAK系であるが、その代表作がYAK3・YAK9だ。
時期的にはほぼ同時に登場し、性能的にも小型軽量で高速、小回りがきくのが両機の特徴だが、特にYAK3は究極の格闘戦闘機だった。
特筆すべき点としてはラボーチキンLagg3など他のソ連戦闘機と共通するが、木製戦闘機であったという点だ。
一撃離脱が主流となる時代に格闘性能を重視し、しかも木製であるというのはいささか時代遅れである印象を受けるかもしれないが、必ずしもそうとは言えない。
当然、全金属製にすれば性能はよくなる訳だが、木製にしたせいで金属を節約する事が出来た。人口も多く地元で戦っているソ連としては戦闘機に関しては「質より量」という概念で対応したのは正解だったようだ。
もし戦闘機オリンピックなるものを開けば同世代の他国の高性能戦闘機にはかなわなかったであろう。しかし、戦闘機の製造は性能競争に勝つ事が最終的な目的ではない。そういう面で質より量に徹して世界トップレベルのドイツ空軍戦闘機を追い詰めたヤコブレフ戦闘機は名機と呼ぶにふさわしい機体と思う。
ラボーチキンLagg3
ソ連の主力戦闘機であったヤコブレフYak戦闘機同様にラボーチキンLagg3戦闘機も木製である事が大きな特徴だ。同世代の戦闘機の中で最低の性能とも言われているが、本機の低性能は木製にする事によって重量が重くなっている事があるので必ずしも駄作と言う訳ではない。「室より量」という方針に徹したソ連空軍機の典型とも言える。
見た目はYak戦闘機に劣らない美しさで近代的な概観からも高性能機としての資質を感じさせる。全金属製にして優秀なロールスロイスエンジンを搭載すればトップクラスの戦闘機になっていたかもしれない。本機のエンジンを空冷に換装してYak戦闘機と共にソ連の主力戦闘機として活躍したLa5戦闘機を見るとやはり本機の機体設計は優れていたのではないかと思う。
低性能と言われながらも優秀なドイツ戦闘機相手になかなかの活躍を見せており、ソ連にとって対戦中の苦しい時期を乗り切ったという点で本機の果たした役割は大きい。
ラボーチキンLa5
性能が低いなりに活躍はしていたラボーチキンLagg3の液冷エンジンを空冷エンジンに換装したのがラボーチキンLa5である。
この戦闘機は既に大活躍していたYak戦闘機と共に主力戦闘機にのし上った。
陸地上空での空戦が多いヨーロッパ戦線では冷却機の被弾に弱いが一般的に高性能である液冷エンジンの戦闘機が主流である点と空冷エンジンから液冷エンジンに換装したという2点において異端な戦闘機であると言える。
イギリスのスピットファイアやドイツのメッサーシュミットBf109をはじめとして殆どの主力戦闘機がエンジンの換装をしているが、空冷エンジンと液例エンジン間での換装は例が少ない。両者のエンジンの断面の太さが違うので機体の設計をかなり変えなければならない場合が少なくないからだ。
液例エンジンから空冷エンジンに換装して性能が向上した例として日本の五式戦闘機が有名だ。五式戦闘機は三式戦闘機の胴体に空冷エンジンを積んだものだが、あまり計画性が無いにも拘らずカウリングと胴体のつなぎ部分に違和感が無い流麗な戦闘機に仕上がっている。それに対してラボーチキンLa5はいかにも液冷戦闘機の機体に空冷エンジンをくっつけたという頭でっかちのようなぎこちなさを感じさせ、性能はともかくLagg3のような美しさはない。
しかし、実績に関しては大戦末期に現れ生産数も少なかった五式戦闘機と比べ、Yak戦闘機ほどでないにせよ比較的早くから登場し大活躍した点で五式戦闘機を上回っている。
主力戦闘機と呼ばれる割には性能的に大した事のない気もするが、ドイツ戦闘機との戦闘条件が本機の特長(例えば低空性能が高い)にあっていたのだろうと思う。
イリューシンIL2地上襲撃機
兵器の中には期待されたが大して活躍しなかったものもあれば、大して期待されず特に革新的な技術が盛り込まれたわけでもないのに抜群の活躍を見せた物もある。
後者の代表がタンクキラーとして大活躍したイリューシンIL2シュトゥルモビーク(地上襲撃機)だ。
この攻撃機は数値だけを見ると特に優れた感じはしない。スピードは時速400km程度しかでず、武装は初期型で20mm砲と12.7mm機関銃で当時の戦闘機と比べても特に強力な装備とは言えない。(「戦車」のところでも説明しているのでここでは詳しく説明しないが、戦車の上面装甲は意外に薄く、この程度の武装でも穴を開ける事が可能だったようだ)。見た目は細長く胴体もスマートで単発の液冷戦闘機という印象で特に大きいわけでもなく、強力なタンクキラーの割にはほっそりしている。
この機の特徴は何と言っても防御力の強化に一点集中したところだ。何しろ胴体主要部を約1tもの桶のような防弾鋼板ですっぽり覆っている。
20mm以上の地上砲火でないと落とせなかったと言われている。これは地上からの対空砲火での撃墜は非常に難しいという事を意味する。20mm砲というのはかなり大きな機関砲で歩兵が携行するのは難しい。歩兵の携行する小銃程度では落とせない。逆に口径が大き過ぎると速射や連射が難しくなり低空飛行する本機を落とすのは困難だ。落とせる口径の砲は限られており、多連装対空機関砲や対空戦車位しか対抗できなかったと思われる。こういった状況で地上部隊は対応にかなり苦労したであろう。
これだけの防御力があれば地上砲火に対してはスピードが多少遅くても問題はなかったかもしれないが、弱点はあった。それは速度が遅いために敵戦闘機の攻撃に弱いという事であった。装甲が強力なイリューシンIL2でもさすがに戦闘機からの被弾に対しては平気というわけにはいかなかった。
「機関砲を搭載し防御を徹底的に強化した攻撃機によって戦車を襲撃する」という開発者のセンスが光る大ヒット作と言える。
何しろ当時の主力ソ連戦闘機の殆どが木製(もちろん鉄の節約のため)であった事を考えると本機に思い切って鉄資源を配分した点はソ連当局のうまさと言えよう。
戦 車
戦車の敵
戦車というと「陸の王者」というような陸上で無敵の存在というイメージがある。高価で陸上において強力な兵器である事は間違いないが、必ずしも思われているような無敵の存在ではなく案外脆さがある兵器である。
戦車の最大の仮想敵は戦車だが、歩兵や航空機に対しても意外な脆さを見せる事がある。
それを詳しく説明しよう。
歩兵
題名は忘れたがドイツ対ソ連の戦争映画で名戦車として有名なソ連のT34戦車がドイツの歩兵によって次々に破壊されていくシーンを見た事がある。例えば戦車の下に潜り込み、棒の先端に吸着部分のついた兵器(トイレの清掃用具みたいな形状だった)を戦車に付着させて爆破するというような恐ろしく原始的な方法だった。
「第二次世界大戦を代表するT34ほどの名戦車がそんなに簡単に歩兵によって破壊される訳がないだろう」とその時は思ったが、後で知った知識では決してあり得ない話ではないと分かった。
自動車ほどではないが最高で何十キロという速度を出せるし、戦車軍団は荒野を疾走する無敵の最強軍団というイメージがある。しかし、映画によくあるそういう活躍は現実には殆ど不可能だ。
まず、戦車は非常に視界が悪い。車だって内部からだとかなり視界が限定される。まして殆どが装甲で覆われ、外部の一部しか見渡せない戦車兵にとって死角はかなり多い。戦車長がハッチから身を出せば視界は広くなるが格好の狙撃の対象となる。
もし戦車だけの部隊だと敵歩兵が回りこんで吸着爆弾を取り付けるなどされると対処が難しい。ガソリンエンジン車だと火炎瓶攻撃だけで燃え上がってしまう場合すらある。そういう意味で日本陸軍が敢行した肉弾攻撃自体は必ずしも現実を無視した馬鹿げた作戦ではなかった。
戦車といえども随伴歩兵がいなければたちまち敵歩兵の餌食になってしまうのだ。戦車軍団が単独で戦場を高速疾走し敵を蹴散らすという光景こそが実は不自然なのだ。歩兵の速度でノロノロ移動する戦車より、その方が娯楽作品としては面白いから好まれたのだろう。
航空機による地上襲撃
イリューシンIL2地上襲撃機は後期の型に37mm砲を搭載したものもあったが、後側面からタイガー戦車を撃破し得たという。
タイガー戦車と言えば戦車王国ドイツを代表する当時世界最強クラスの戦車だ。前面装甲が150mm近くあり、50mm以上の戦車砲でさえ跳ね返す事の出来た戦車がなぜ37mm程度で撃破し得たのか不思議に思っていた。
答えを言うと戦車の装甲は部位によって大きな違いがあり特に上面装甲は意外に薄くせいぜい20mm程度しかない。この程度であれば20mm砲でも穴を開ける事が可能なのだ。イリューシンIL2地上襲撃機のところでも多少触れたが、現に20mm砲搭載型でも戦車を相手に大きな戦果を上げている。
従って戦車にとって航空機は大きな脅威となる。特別の大口径砲を積まない普通の戦闘機でも機銃や機関砲だけで戦車を撃破し得るのだ。
それならばなぜ上面装甲を強化しないのかという素朴な疑問を持つ方がおられるのではないだろうか。
建築構造技術者としての経験からすると上面に前面装甲並みの厚さを持たせても戦車が潰れて持たないという事は恐らくないだろう。
ただ航空機に対抗するとなると上空からは戦車底面を除いて上面、前面、側面、後面のどこからでも狙える。それらの全ての面を同等に強化するとなるとかなりの重量になってしまい、足回りに対する負担が増えたり機動性が低下するなどの悪影響が現れる。そこで地上部隊からは狙いにくい上面の装甲を薄くして航空機による攻撃の損害はある程度やむを得ないと割り切っているのではないか。
(と私は推測しているが、もし戦車に詳しい方で私の意見が間違っているという方がおられたら教えて頂きたい)
避弾経始(ひだんけいし)
避弾経始または避弾径始(ひだんけいし)とは戦車や装甲車などの装甲を傾斜させる事で防御能力を高める方法である。
ソ連のT34が有名だが、装甲を傾斜させるメリットは大きく2通りある。
まず砲弾などを弾き飛ばす事が一つ。
戦車砲などは通常、仰角が浅く水平に近い角度で打ち込まれる。右図を見て頂くと分かり易いと思うが、打ち込まれた砲弾が斜めの角度で衝突する事になるため当たった砲弾や弾丸が滑って弾かれ易くなる。
もう一つの役割は装甲の厚さが見かけ上厚くなる事だ。
装甲の厚さ100mmで45°に傾斜させた場合を考えよう。これも図を見て頂くと分かり易いと思うが、水平から入った砲弾が貫通するには斜めから侵入する事になるため約141mm貫かなければならない事になる。
但し、欠点もある。垂直の装甲より生産性は落ちる。
また、車内が狭くなり搭乗員の操作が難しくなり易いので戦車兵から必ずしも評判が良い訳でもないらしい。
近年では兵器の進歩により第二次世界大戦時より避弾経始の効果が薄れたため現代の戦車には垂直な装甲の戦車も少なくないが全く効果が無くなった訳でもない。