□□□□▲旅のフィールドノートから▼□□□□□□□□□□□□□□□□□
NO.81 2000年 5月24日 発行
番外 日本国 岐阜県・富山県(1997年 5月)
合掌造りの郷1.白川郷
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shuilong/ryokouki/note.htm
no.80発行部数「まぐまぐ」704「Pubzine」93「melma!」122 計919
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★6月から第4章 中国雲南省西双版納タイ族自治州スタート!★
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○今回は、日本の旅行記です。有名な世界文化遺産に登録された合掌造りの郷
です。
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●観光と白川郷
「白川郷」といえは合掌造りの巨大な家が並ぶ雪深い山奥の寒村というイメ
ージがつよい。
白川郷のある岐阜県大野郡白川村は岐阜県北部にあり、ちょうど大きく石川
富山両県に突き出したようになっているので、岐阜というイメージは薄い。
総面積の95パーセントを森林が占める山間地で、標高2720メートルの御前峰
を最高峰とする白山一帯は白山国立公園に指定されている。
このように書くといかにも山に閉ざされたところのようだが、実際は整備さ
れた国道156号線沿いにあり、東名自動車道一宮ジャンクションから東海北陸
自動車道がのびているので車で行くこと自体に問題はない。結構開けた「世界
文化遺産」である。
白川郷は幕末期の飛騨の国産品である焔硝の産地として知られていたが、当
然、今ではそのような需要があるわけがない。そのため1960年ごろの燃料革命
以降、収入源を観光に求めるようになった。
それは土地ぐるみの大規模なものではなく、地域そのものの潜在的な観光資
源を利用した世帯ごとの民宿経営であった。
これは白川郷に限ったことではなく、飛騨地方一帯が観光に依存する率が他
よりも相対的に高いところである。特に白川村(1959年)や荘川村(1950年)
は他地域よりもいち早く民宿経営が行われた地域で、このことからも産業資源
と観光資源の関係がうかがわれる。
たとえば民宿経営世帯を当該市町村の総世帯数で割り1000分率であらわした
「民宿率」は白川村で89、同じく合掌造り村のある荘川村で71となっている。
ちなみに高山市は4だ。確かに民宿率からは観光に依存していることがわかる
と思う。(『〈新日本地誌ゼミナールW〉中部地方』大明堂,1983)
飛騨の観光資源はいくつかのパターンにわけられるが、白川郷は「歴史的環
境保存型の施設」である。
●世界文化遺産の集落
山間部開けた集落にある建物のほとんどが合掌造りで、確かに遠目には迫力
がある。と同時に見慣れないせいか奇妙な違和感もあり、元からそこにあった
はずなのだが、取って付けたように感じられる。
大きな駐車場が集落の対岸の国道沿いにあり、ほかにも集落内のあちこちに
も駐車場があるがすべてが有料だ。
古い家並みに反して、アスファルト舗装されたメインストリートには合掌造
り風の土産物屋が軒を連ねて、集落内でもっとも取って付けたような感じがす
るところだ。
違和感の最大の原因は生活感がないことだ。集落としては大きい。戸数もあ
るので大家族制が崩壊していたとしてもそれなりの人口があるだろう。
ところが観光客相手の売店はあるが、集落内には生活必需品を扱っている店
がない。そのほか建物の周囲にも洗濯物などひとの生活感をあらわすものがな
い。
●「死んだ村」
「死んだ村」正直これが感想である。あまりにも古いものを残すことだけに
こだわりすぎ、集落そのものを殺してしまったように感じる。しかし、そこで
人々は生活している。それも世界文化遺産としての宿命なのだろうか。
確かに合掌造りの集落は見ごたえがある。近くの丘の展望台からの眺めは本
当にすごい。
しかしここまで生活感がなければ博物館と同じだ。既に過去のものとなった
死んでいるものの「展示」でしかないのだ。
それに輪をかけるように徘徊する観光客。なによりも彼らがすべてをぶち壊
している(残念ながらぼくも含まれるが)。
一応は博物館のようなものもある。単に合掌造りの家を開放しているだけな
く、体裁を繕うために写真パネルや、民具の展示を行っている。それも地方に
ありがちのただやみくもに並べるだけの展示だ。
きわめて質が悪い。これならば、素直に使われていた当時の様子を(それが
昭和であっても)再現してくれた方がよい。
これが世界文化遺産の現実である。近年、この白川郷が世界文化遺産に登録
されてから観光に力を入れているのは知っていた。しかしこのような中途半端
な開発など何の意味もないではないか。ぼくは落胆した。
しかし、それも世界文化遺産としての白川郷の運命だ。この運命を選んだの
は行政なのか、それとも白川郷の人々かわからないが、その代償は、白川郷に
住む人々にとってどうなのだろうか。
●大家族集落
飛騨・越中・加賀が接する飛騨山地の千メートル以上の山々に囲まれた荘川
流域にある白川郷(岐阜県)と五箇山(富山県)にある急勾配の茅葺き切妻造
りの民家を指し、「合掌造り」とは本来の呼び名ではなく、明治末か大正中期
のころから一般化したジャーナリストの造語らしい。土地のひとたちは 「柱
ダテ」「オオヤ」と呼んでいたらしいが、残念ながら今ではこの呼称を伝える
人はいない。
この地方は山地のために田は少なく、主に焼き畑によるヒエ・アワ・キビな
どの雑穀類をつくっていたので、農家は主に養蚕を収入源としていた。その生
産性を増すためには養蚕空間を増やすことが必要であった。
そのためにいく棟もの蚕室つくるよりも、建坪を大きくし、立体的に屋根裏
を効率よく使うことを選択した。
そして三階建、四階建の建物になり、屋根の妻側も最上階まで一杯に使うよ
うになった結果このような巨大な切妻造りが生まれたらしい。
ただこの地方は深雪地帯で、屋根を急勾配にすることは物理的に雪の荷重に
強く、さらに雪の滑落や雪下ろしにも有利なことから、養蚕が先行して合掌造
りの形態が生まれたと一概にはいえないだろう。
むしろ雪対策として急勾配の屋根が造られるようになり、広い屋根裏を有効
に使うために養蚕に使われ始め、これらが相乗効果となり次第に巨大化してい
ったのではないかと思う。そして住宅の巨大化と養蚕のための人手の確保から
大家族制もはじまったのではないだろうか。
○写真ページ
合掌造り
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/5203/japan/gassyoSi.jpg
●合掌造り
建物は専門の大工が建てるが、巨大な屋根だけは村人たちの共同作業による
もので、用材はすべてその土地で得られるものだけを使いっている。このよう
なところにも大家族制に至る理由が隠されているのではないだろうか。
茅葺き屋根はだいたい50年に一度は葺き替えが必要らしい。合掌造りは知っ
てのとおり巨大である。いくら大家族制といえども20人やそこらで葺き替えが
できるわけがない。それは親類縁者をふくめ集落全体の労働奉仕になる。
その奉仕によって家の格や質がわかるのである。これは民俗社会においては
それほど珍しいものではないが、ここまでの大規模なものはそう多くはないの
ではなかろうか。大家族制とともにこの辺りの集落の民俗的特徴だろう。
大きな合掌造りで屋根が部分的に新しくなったものをいくつか見かけたが、
大家族制の崩壊と過疎化の結果、1度にすべてを葺きかえることができなかっ
たのだろうか。
現在の核家族化がすすむ都会の人間にとってこれは想像もできない制度なの
はまちがいない。世界的な文化遺産に指定された巨大な合掌造りの集落は、こ
のような昏い前時代的な制度によって維持されてきたことをわすれてはならな
い。
戦前に生きたひとたちにとって、今となっては合掌造りは破壊すべき象徴だ
ったのではないかと思う。
とはいえこれらの家は珍しいだけではなく機能的な美しさを備えているのも
事実である。そしてその美しさは一つ一つの建物が持っているものだけでなく、
白川村荻町のように谷筋に沿って同じ方向に合掌造りが並ぶ姿は集落としての
美しさも備えている。
その意味で白川郷は集落内を歩くよりも、集落を一望できる展望台から眺め
るほうが美しいものである。
○写真ページ
展望台から見た白川郷
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/5203/japan/sirakawa.jpg
●つづく●
Copyright(C), Taki 2000
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