□□□□▲旅のフィールドノートから▼□□□□□□□□□□□□□□□□□
                     NO.82 2000年 6月 1日 発行
 番外 日本国 岐阜県・富山県(1998年 5月)
     合掌造りの郷2.五箇山

   http://www2s.biglobe.ne.jp/~shuilong/ryokouki/note.htm
  no.81発行部数「まぐまぐ」704「Pubzine」92「melma!」115 計919
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★6月14日から第4章 中国雲南省西双版納タイ族自治州スタート!★
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○都合により、1日発行が遅れてしまいました(笑汗)。
○今回も、合掌造りの旅の後編です。
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●五箇山

 有名な「世界文化遺産」の白川郷より国道156線を25キロほど北上したとこ
ろに五箇山はある。白川郷から五箇山にかけてはあちこちに合掌造りの民家が
保存・解放されていて、200円前後で自由に見学ができる。
 五箇山は白川郷に比べても10戸あるかないか、そのうえ合掌造りも小さい。
しかし、白川郷に勝っているところは、生きている集落である、というところ
だ。白川郷には比べるまでもない小さな集落だが、その生きている姿は暖かさ
を感じる。
 集落のあちこちに狭いながらも畑や田がある。広さからいって自家用のもの
しか取れないだろう。
 一応20台近く停められる駐車場、合掌造りの民俗資料館、同じく合掌造りの
土産物屋兼食堂があり、とりあえず観光地しているが、訪れる人が少ないのだ
ろうかどことなく中途半端だ。
○写真ページ
 五箇山
 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/5203/japan/gokayama.jpg

●越中五箇山ユースホステル

 この五箇山には合掌造りを利用したユースホステルがある。そのためにここ
まで足をのばしたのだ。
 ただしユースがあるのはここではない。国道からはずれて山道をオートバイ
で10分程度走ったところにある。
 そこはさらに小さい集落で山の中に数軒の家があるだけだ。道もそこから先
は未舗装の林道だ。
 合掌造りの集落としては最大の白川郷も合掌造り単体となると以外と小さい
ものが多かったりする。四階建て以上のものとなると数えるほどしかない。
 ここ五箇山も集落の規模も合掌造りの大きさも白川郷に比べるまでもないが、
ユースは比較的大きな合掌造りを改築していた。国道のあちこちで移築された
合掌造りの元民家を有料で解放しているために中を見る機会は多かったが、こ
の規模で生きている合掌造りに宿泊できるところはそうないだろう。
 移築されるなどして多くの合掌造りが公開されているが、すべてが展示物と
化した「死んだ」合掌造りであるが、内部を改築して民宿などの宿泊施設とし
ているものもある。普通、ぼくたちが出会うことができる生きた合掌造りはこ
れらだろう。
 旅の二日目、そのような生きた合掌造りのひとつにぼくは泊まった。「越中
五箇山ユースホステル」それが名前だ。
 ユースホステルというと、なにやら安ホテルのような気がするかもしれない
が、このように個人宅を使用したものは民宿とほとんど同じなので悩む必要は
ない。

●羽馬誠一氏邸

 「越中五箇山ユース」こと羽馬邸は、合掌造りを紹介した一般書にも載って
いる有名な家のようで、富山県砺破郡上平村小瀬にある。ここは国道から少し
入った山の中腹の平地にある小さな集落だ(国道の脇にも小さな合掌造りの集
落がある)。
 羽馬邸は江戸時代末期に建てられたと推定される妻入りの合掌造りで、外観
をはじめ内部も本来の構造を壊さないように改装されているために昔の様子を
よくとどめている。
 客室は二階につくられ、一階は最小限の改装に止められている。玄関を入っ
たところは宿泊者用のトイレと風呂(小さいので当日は女性用になっていた。
大きな風呂と食堂は別棟にある)がつくられている。
 家の中央は居間まで一般宿泊者も入れるようになっている。二階へはそこに
作られている階段から上がる。
 中は棟下で左右に分かれていて、居間の奥は個人の部屋で、右側にはアラト
ザシキとオクノザシキの二部屋があり、奥に仏間がある。
 仏間と接しているオクノザシキには手をかけられてあり、当主らしき老人
(羽馬誠一氏そのひと?)からこれが加賀藩の禁制に触れた、という話を聞い
た。
 仏間の漆塗りであった床框の漆は削り取られ、座敷の長押はほとんどが切り
取られ、柱などの化粧材は鞘をかぶせられてしまっていた。その鞘については
老人が実際に外して見せてくれた。
 うすぐらい室内で、漆や工芸的なことはよくわからないが、素人でもちがい
がわかるほど鞘の下のつくりは立派だった。
 ただ、なぜこのような「何もない」としか見えない山奥でそれだけの財をも
つことができたのか気になったが、それを聞くほど厚顔無恥にはなれなかった。
養蚕や焔硝の生産はそれほど高収入なのだろうか。
○写真ページ
 羽馬誠一氏邸
 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/5203/japan/gassyoGo.jpg

●合掌造りの中

 先にも書いたように一階が生活の場で、二階から最上階の四階まではアマと
よばれ、本来は人の住むところではなく、蚕棚と物置に使われるスペースにな
っている。
 そこに寝泊まりさせられるのはどうかとも思うが、広いようで狭い建物なの
でやむをえないと思うことにした。それにここに泊まる人で、そのことを知る
人は一体何人いるか。
 それまでに見た合掌造りでは二階以上は室内にある囲炉裏の煙を抜くため天
井がすだれ状になっていた。もちろん人が歩くところには板が渡してあるがそ
れを外れると確実に踏み抜くことになる。もちろん、ここは客室になっている
のでしっかりとした床になっている。
 本来は家主が住む部屋と客間だけにしか天井がなく、女性と子供は中二階
(屋根裏のようなところ)に寝なければならないなど、絶対家主制的な封建的
大家族制用の住宅である。もっとも、高度経済成長もひといきついた昭和40年
代以降は大家族制がくずれ、今ではそのようなことはなくなったらしい。当然
だろう。

●客室

 二階も一階同様左右対称になっている。ユースの決まりで男女の部屋を分け
なければならないので向かって左が女性部屋、右が男性部屋になっている。
 天井は極めて低く、恐らく二メートルはないだろう。
部屋は新しい壁で四角く区切られ、広さとしては三畳ほどだろうか。茶室にす
るにはちょうどよい広さかもしれないが、とても狭く感じる。
 障子の小窓を開けると茅葺きの屋根を直接見ることができる。ここの床にも
丈夫な板が張ってあり荷物置き場になっていた。当然端の部屋以外は明かり取
りがなく、電気を消すと昼でも真っ暗になる。
 あと茅葺きの屋根のせいかカメムシが異常に多く、虫嫌いの女の子がたまら
ず自分の車で寝たと、翌朝眠たそうな目をして言っていた。しかし暗さ、狭さ、
カメムシの三つをガマンできれば結構興味深く寝泊まりができるのではないだ
ろうか。
 三階四階はオープンスペースとなっており、既に物置としては使っていない
が見学は自由で、一人200円を缶の中にカンパすることになっていた。
 二日目の朝、何もない上に、宿泊客から200円は高いなぁ、と思いながら、
お金を入れて上へ上がってみた。
 といっても、白川郷などでみたものと変わりはない。少々がっかりしながら
帰り支度をはじめた。
 朝食が終わると、徒歩できた者、自転車の者、バイク、自動車と三々五々出
発していく。それらを見送りながら、ぼくも岐路についた。

●つづく●
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