□□□□▲旅のフィールドノートから▼□□□□□□□□□□□□□□□□□ 番外 日本国 奈良県(2000年11月) 茶畑を求めて ◇◇◇◇▼旅のフィールドノートから▲◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ―――――//―――――――――――――――――――――――//――――― ○久しぶりの日本の番外編です。 ―――――//―――――――――――――――――――――――//――――― ●茶畑を求めて ぼくはひさしぶりにバイクを走らせていた。目的は茶畑。といっても、静岡 を目指していたのではない。 ぼくの住んでいるところから、静岡はちょっと遠い。だからぼくは奈良北部 を目指した。そう、そこにも茶畑はある。 奈良北部から京都南部、滋賀南部には茶畑が多い。特に、京都のものは「宇 治茶」として有名だ。 また、滋賀のものも、その歴史は古く、信楽周辺のものは「朝宮茶」と呼ば れ、歴史のあるところだ。 茶畑と言うと、静岡でよく見られるようななだらかに連なる風景を思い出す かもしれないが、ぼくが向かうのは、山の斜面や山間や小さな盆地、つまり山 の間にある茶畑だ。 ●なぜ、今ごろ茶畑を そう、今は秋。南のダージリンですら秋摘みの季節は終わりかけだ。日本で も番茶の季節は終わっているのではないだろうか。 だから、もちろんお茶を買いにいったわけではない。そもそも、お茶がほし ければお茶屋にいくべきだ。 では、なぜ? それは茶畑の写真を撮るためだ。 どうして茶畑を? それは、インドへ行ったとき、アッサムの地域研究所で出会ったお茶の研究 している博士から、日本の茶園の写真がほしいというメールをもらったからだ。 どうやら、本を書くために必要らしい。 インドでいくつかお茶に関する本を書いるような人で、日本のお茶に興味を 持っているのだが、手元にはほとんど資料が無いようだった。それで、たまた ま訪れたとき、日本人がきているという話を聞いて私に会ってくれたようだ。 そういう縁で茶園の写真を送ることになったのだが、あいにく本屋では適当 なものを見つけることができなかった。お茶の本は多いが、茶畑の全景がきれ いに写っている本はなかった。 というわけで、とりあえず、近場の茶園の写真を撮ることになった。 ●小さな茶畑 まるで高速道路のような国道25号線、名阪国道を針インターまで走り、そこ から国道369号線を北上する。 道は2車線あり、交通量が少なくて車がハイスピードで走っている。山道だ が、カーブは大きく調子は変わらない。暑くもなく、寒くもなく、バイクで走 るのにはちょうどいい。 走り始めてすぐ茶畑がある。しかし、茶畑といっても一面に広がるようなも のではない。山の斜面や山間の狭い空間を利用した小さな物だ。 それでも立派な茶畑だ。というか、小さな山が連なるこのあたりに、延々と 広がる茶畑はつくれないはずだ。さっそく写真を撮る。 そしてしばらく山道を行く。また、小さな茶畑が。今度は畑のところどころ に柱があり、その先には小さなファンがついている。 このファンは冬の寒い時期に地面の空気を撹拌して、霜が降りるのを防ぐた めだ、と聞いたことがある。ぼくにとっては、茶畑らしい風景だ。 ●山の中の茶所 丘のような小さな山のうねりが続き、道は上に下に、右に左にと曲がるが、 信号も無いのでペースを落とさないで快適に走れる。交通量も少ないのがいい。 あっという間に柳生につく。もちろん、柳生十兵衛で有名な柳生だ。出発の 時間も遅く、目的地でもないので止まらない。ちなみに、ここは奈良市だ。 茶畑の写真はいくらか撮ったのでここで降り返し、名阪国道に戻る。といっ ても同じ道ではおもしろくないので、県道4号、25号と走り、布目ダムを抜け て県道80号で山添村を目指すことにした。 ここも国道と同じような道が続き、快適に走ることができる。と思っている と、布目ダムのところで「自動二輪終日通行止」という立て看板が。文句をい いながらUターンして別の道に。ダムを超えて、県道80号に入る。 ここも小さな山の間の限られた土地に茶畑がつくられている。そういった茶 畑がところどころにある。平らなところは田んぼになっているが、そうでない ところには積極的に茶畑がつくられている。このあたり一帯が茶所であること の証のようだ。 もちろん、日本一の茶所である静岡県の延々と茶畑が続いている風景と比べ ると、とてもささやかなものだが、静岡の茶畑自体、明治以後、産業復興のた めに開墾されたもので、歴史は新しい。 おそらく、江戸時代の茶畑はこういう感じではなかっただろうか。 ●煎茶と番茶 柳生から30キロもない道。あっという間に名阪国道だ。 インターの直前に農協の販売所があったのでお茶を買おうと寄ってみた。中 には茶箱が10個近く並んでいたが、よく見てみると、煎茶ばかりだ。 日本の今のような煎茶がつくらるようになったのは18世紀ころの京都からだ。 開発したのは永谷宗園。なんとなく聞き覚えのある名前のはずだ。 そして次第に日本に広がっていた煎茶だが、だれもが飲めるようになるには 200年必要だった。 なら、それまでは多くの人は茶を飲まなかったかというと、そうではない。 農家では茶樹を垣根のように植え、または田畑の周囲に植え、それを摘んで自 家用の茶をつくっていた。番茶だ。 だから煎茶はあまり地域性が感じられないが、番茶には地域性がよく現れて いる。意外と、日本中に葉いろいろな番茶があるものだ。 というわけで、ぼくは日本を旅する時は、その地域の番茶を買うことにして いるのだが、山添村の農協には番茶が一つも無かった。これも、現代の茶所を 表す所以だろうか。 悲しく思いながら、ぼくは名阪国道に入った。 ●完● Copyright 2002 Taki. □□□□▲旅のフィールドノートから▼□□□□□□□□□□□□□□□□□
■旅行記■
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