平成18年1月23日(月)
新たな歴史が始まった。
八日市場市と野栄町の合併により
匝瑳(そうさ)市が誕生した。
匝瑳
(そうさ)とは?
匝瑳という地名は、現存のものでは、
奈良東大寺正倉院に伝わる
庸調(「ようちょう」朝廷に納めた特産物)に見られる
天平13年(741年)の記録が最も古いとされています。
匝瑳の由来は、
平安時代前期の歴史書「続日本後紀(しょくにほんこうき)」によれば、
大化の改新(645年)の100年以上前、
5世紀の終わり頃から6世紀にのはじめにかけて、
畿内(現在の近畿地方)の豪族であった
物部小事(もののべのおごと)という人物が、
坂東(ばんどう・現在の関東地方)を征した勲功によって、
朝廷から下総国の一部を与えられ、
匝瑳郡(そうさごおり)とし、
小事の子孫が物部匝瑳(もののべそうさ)氏を
名乗ったと伝えられています。
匝瑳の語源については諸説あって定まっていませんが、
930年代に編纂された漢和(百科)辞典である
「倭名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)、
略して倭名抄(わみょうしょう)」には
狭布佐(さふさ)と書かれています。
「狭」は美しい、「布佐」は麻の意で
”美しい麻のとれる土地”であったことから、
狭布佐(さふさ)が転じて匝瑳(そうさ)になったと考えられます。
なお、漢和辞典によれば、
漢字の「匝」は、訓読みで”匝(めぐ)る”と読み、
一巡りして帰るという意味があり、
「瑳」は、訓読みで”瑳(あざ)やか”
あるいは”瑳(みが)く”と読み、
あざやかで美しいという意味があります。
八日市場は現在の中央地区5村が明治22年に合併し、
匝瑳郡福岡町へ、
大正4年12月8日八日市場町へ改称
その後、昭和29年3月31日には1町9村が合併し、
7月1日の市制施行で八日市場市となりました。
匝瑳郡野栄町は
昭和29年7月17日に2村の合併により誕生していました。
1市1町の合併に伴い、
昔から使われていた”匝瑳”が
新市の名称に決まったのは
一番無難な選択だったのかも知れない。
今後の匝瑳市の発展を心から願いたいところである
「八日市場市・野栄町合併協議会NEWS」より引用