《綜合ヨガ経典》
@『バガヴァ―ド・ギ―タ』
Aパタンヂャリ―の『王(ラジャ)ヨガ』
B仏陀の『沈黙の声』
C新約聖書の『四福音書』
Dマイトレヤ(弥勒)大師の『アグニ・ヨガ』
E『神智学』
超人王 理論
識別魂開発【統覚方法パタンヂャリ―のラジャのヨガ(瑜伽:)】
《経典》
ジュアルカル大師 アーリス・ベリー伝授 三浦関造先生 田中恵美子先生翻訳
(編集責任者)藤本満正
【魂の光】アーリス・ベリー《序文》より抜粋
人類が,低級な人類から〜高級な人類.超人(アデプト):聖者:賢者になって行く間には,
色々な統覚方法[ヨ―ガ(瑜伽)]がありました。
※レムリヤ人種族
[第三亜人種]と,いわれている最初の全く肉体的な人種の時代には,
統覚方法[ヨ―ガ(瑜伽)]は,当時の幼稚な人類に課せられたのは,ハタ・ヨ―ガでありました。
ハタ・ヨ―ガ〔統御の目的〕
呼吸・〔統御の効果〕肉体と生命力は肉体のヨ―ガであって,色々な器官,筋肉,肉体構造上の色々な部分の必要と操作に気付かせるものでありました。
当時の超人(アデプト):聖者:賢者達の問題は,動物と余り変わらなかった人類に,彼等自身が自分自らの器官を制御し,人間の姿に象徴されているものの意味を知ることが出来るように,彼等の種々な器官の目的,意義,必要性を教えることでした。 ですから,この初期の時代にはハタ・ヨ―ガ統覚方法の実修によって,人類は秘伝の入口に達しました。当時,人格の変容による第三秘伝を得ることは,当時の人間の達することが出来る最高の秘伝でありました。
※アトランチス種族時代[第四亜人種]には,
二つのヨ―ガによって,人間の子等の進歩がもたらされました。
第一は,ラヤ・ヨ―ガと言われるヨ―ガで,エーテル体を安定させる諸中心のヨ―ガ〔統御の目的〕意志・〔統御の効果〕心の力で,又,且つアストラルとサイキック性質の進歩をさせるヨ―ガであります。
後に,情緒の体即ちアストラル体の進歩から脱皮して,バクティ・ヨ―ガ〔統御の目的〕愛・〔統御の効果〕聖なる愛の力が,ラヤ・ヨ―ガ〔統御の目的〕意志・〔統御の効果〕心の力と結合し,現代独特のアーリヤ原種族の中を,ずっと流れてきたものの動機とも言える神秘主義,神(如来)への帰依の基礎が出来上がりました。
第四秘伝は当時は目的でありました。
※今や,アーリヤ種族[第五亜人種]では,
メンタル体の鎮圧と心の制御は,ラージャ・ヨ―ガの実修によってもたらされます。
ラージャ・ヨ―ガ〔統御の目的〕理論・〔統御の効果〕識別の力の達得による第五秘伝は,進化している人類にとってのゴールであり新時代ます。
斯くして,各時代に於いて,凡てのヨ―ガはその場を得,有益な目的を果たして来ました。それで,ハタ・ヨ―ガの実修や,色々な型の瞑想や呼吸の訓練によって為し遂げられる諸中心の進歩を特別に扱う実修に戻ることは,或る面から見れば,一種の退歩であると言うことが明らかになって来るでしょう。
ラージャ・ヨ―ガの〔統御の目的〕
理論:知識:行動:真我・〔統御の効果〕識別の力:知性:行動の実修を通し,又,自分の意識を集中する人によって発見されるべきである自己制御の急所を掴むことにより,ヨ―ガの他の型は不必要であると言うことが分かるでしょう。
何故なら,この一層偉大なラージャ・ヨ―ガは,より低いものの実修を通さないでも,結果的には全てのヨ―ガを自動的に含んでいるからです。
《綜合ヨガ(瑜伽)》〔種類〕
1:第三亜人種 [レムリヤ種族]
ハタ・ヨ―ガ〔統御の目的〕呼吸・・・・・・・・〔統御の効果〕肉体と生命力
2:第四亜人種 [アトランチス種族]
ラヤ・ヨ―ガ 〔統御の目的〕意志・・・・〔統御の効果〕心の力
@バクティ・ヨ―ガ 〔統御の目的〕愛・・・・・〔統御の効果〕聖なる愛の力
Aシャクティ・ヨ―ガ 〔統御の目的〕エネルギー・〔統御の効果〕自然の活動力
Bマントラ・ヨ―ガ 〔統御の目的〕音・・・・・〔統御の効果〕音の振動力
Cヤントラ・ヨ―ガ 〔統御の目的〕形・・・・・〔統御の効果〕幾何学的な形の力
3:第四〜五亜人種 [アーリヤ種族]
ディヤ―ナ・ヨ―ガ 〔統御の目的〕思考・・・・〔統御の効果〕思考形成の力
4:第五〜六亜人種初め[アーリヤ種族]
ラージャ・ヨ―ガ 〔統御の目的〕理論・・・・〔統御の効果〕識別の力
@ジュナナ―・ヨ―ガ 〔統御の目的〕知識・・・・〔統御の効果〕知性の力
Aカルマ(クリヤ)・ヨ―ガ〔統御の目的〕行動・・〔統御の効果〕行動の力
Bクンダリニ―・ヨ―ガ〔統御の目的〕クンダリニー〔統御の効果〕心霊的な神経の力
Cサマ―ディ・ヨ―ガ 〔統御の目的〕自己(真我)〔統御の効果〕エクスタシ―の力
★ヨ―ガの分類の方法は研究者によってそれぞれ違いがありますが,
W・Y(エヴァンス・ウェンツ)博士の分類法です。★
※私達は,シャカムニ仏陀:キリスト:弘法大師:親鸞聖人:日蓮聖人:
その他幾多の聖者:賢者の生涯を学ぶ時,魂の力を進歩させるとはどんな意味なのか,自由を得て,
溢れる栄光の中で地上を行く一人の神:仏:菩薩:観音となるとはどんな意味なのか,私共にはっきりとしてきます。
理論:識別:統御:統覚方法[ラージャ・ヨ―ガ]経典では,適当な法則と,若し人が従うならば,
その人を『神汝と共に有り』『同行二人』完全にする規則や手段を具体化させます。
一歩一歩と我々の前に進化の段階的制度を展開し,人を普通の善人の状態から,秘伝の候補者の段階を通って,
シャカムニ仏陀:キリスト:弘法大師:親鸞聖人:日蓮聖人:その他幾多の聖者:賢者が今立って居られる進化の高位の所へと秘伝を授け,或いは到達させようとしています。魂の啓示は偉大な変貌をもたらすのです。
この大きな変貌.変化はどの様にして出来るのでしょう。欲望と一層低い性質の犠牲者である人間は,
どの様にして,この世の肉体の悪魔に打ち勝って勝利者となれるのでしょうか?。
それは,肉体を持つ人間の肉体的.頭脳(脳髄)が,自分自身,魂に気付いた時に出来るのです。
そして,この意識的感知は心の領域に本当の自分自身を写し出す時にのみ可能となります。
魂というものは,先天的に外界から自由で,何時も孤立した単一の状態にあります。
然し乍ら,肉体を持つ人間は,自分自身の肉体的.頭脳(脳髄)の意識で実在のこうした二つの状態を知らねばなりません。即ち,自分自身は意識的に欲望の凡ゆる対象から自由となり,
凡ての壁となっている三界の凡ゆる形態から離れ,自由となった統一体として立たねばなりません。
意識状態が,肉体を持つ人間の感知の状態も,霊的人間によって知られているのと同じ様になる時,
ゴールに達するのであります。その人は,もはや,自分自身を肉体と同視しており,
自分自身の肉体が自分自身をこの世の犠牲者とするようなことはありません。
そして自分自身は,輝かしい顔で自由に歩き,自分自身の顔の光は,自分の会う全ての人々を照らします。
自分の欲望は,もう肉体を欲望の活動に振り回しませんし,自分のアストラル体は,自分自身を服従させはしません。
又,自分自身を負かしはしません。冷静と調和により,
その人は怒り,興奮,激情欲望そして普通の人の生涯を特色付ける感情的な反動から自由になり,
平和の地点に到達します。高慢の悪魔,メンタル性質の誤用の典型,
そして,心のゆがめられた知覚力はうち負かされて,その人は三界に自由になります。
魂の性質,神の子の愛の性質に受け継がれた素質と能動性,又,愛と活動力がもたらされる時,
現われる智慧はこの世でのその人の生涯を特色付けます。
※パタンヂャリーの生まれた時は,良く分かっていません。このことについては沢山な議論があります。
大抵の西洋の権威者は紀元前八百二十年から三百年の間としていますが,一部の人はキリスト生誕後としています。しかし,印度教の権威者達はもっとずっと早く紀元前一万年頃にさかのぼるともいっています。
[訳者註。ポールブラントンは紀元前二世紀頃と言い,宇井伯寿氏は紀元前一百八十五年頃と言っています。]
※パタンヂャリーは幾世紀もの間,彼が生まれる迄口で言い伝えられていたものをまとめた,ラージャ・ヨ―ガの教えの完成者であります。
[訳者註。
ギータに……我は不滅の瑜伽を太陽に授けたり,太陽はこれをマヌ(摩奴)に授け,
マヌ(摩奴)はこれをイクシワークに授けたり。
各相授け,相継ぎて王族聖者に伝わりたるが……と言って,
アルジュナに,クリシュナより太陽の誕生が先にいわれただろうに,
貴方が太初に当たり,太陽に授けたりと言うのは可笑しいと言う所が第四場にありますが,
ヨ―ガ(瑜伽)統覚方法の教えは,元祖と言う者が無く,強いて言えば天啓的なもので,
太古から世々に伝えられて来たものと考えて良いと思います。]
※パタンヂャリーは二十一世紀の新人類の役に立てる為に,教えを文字にした最初の人でありました。
ですから彼はラージャ・ヨ―ガ[理論:識別:統御:統覚方法]学派の元祖とされています。
ラージャ・ヨ―ガ[理論:識別:統御:統覚方法]は四巻から出来ています。
H巻一 【統覚への問題】 〈一〜五十一〉
X要旨気紛れな霊媒性質の克服について
★1高級な低級な性質の意味
★2統覚への障害物とその撤去
★3ラージャ・ヨ―ガ体系の到達点
H巻二 【統覚への歩み】 〈一〜五十五〉
X要旨向上の手段について
★1五つの妨害物とその撤去
★2八つの手段の説明
H巻三 【統覚への達成とその結果】〈一〜五十五〉
X要旨魂の力について
★1瞑想とその段階
★2瞑想の二十三の結果
H巻四【霊明の光】〈一〜三十四〉
X要旨孤立した統覚方法
★1意識と形態
★2統覚方法又は贖罪
一九二七年五月 ニューヨクにて アーリス・A・ベリー
【ギータ】一切生類の胎宮たる我が神性を知れ。
我より高き何者も存在すること無し。
万有は糸に貫かる真珠の如く我によって貫かる。
我が自性こそ万有の動力因なれ。
我は我自身の低級自然の奥に隠れて,
万有一切を展開し又展開す我は一切の本源成り。
我は又万物一切の種なり。
我無くして一切静物も動物も存在すること無し。
『如何なる勤行を成さんも
我に捧さぐる者と知れ』
H巻一 【統覚への問題】 〈一〜五十一〉
X要旨気紛れな霊媒性質の克服について
★1高級な低級な性質の意味
★2統覚への障害物とその撤去
★3ラージャ・ヨ―ガ体系の到達点
[一]《アウム。》
《次に述ぶるものは統覚(瑜伽)の科学に関する教訓である。》
☆科学とは〜科学でも標準は統覚・統一であって,物事の関係を通して特性や機能を一層良く知り,根本的に凡てを抱合する法則即ち統覚・統一を知ろうと努めます。
又,宗教では倫理と信仰の間で同じ様に統覚・統一を考えます。
芸術では,絵画でも,音楽でも,詩でも,関係の無いものを寄せ集めるように思える近代芸術でさえも,
心に触れる何にか一つのものに統覚・統一しょうとする調和の意図があります。
哲学でも勿論,統覚・統一を絶えず求めます。
☆教訓とは〜実践を通して,経験して,初めて理解すること。
☆統覚・統一と言うが,一体何にと統覚・統一するのかと人は尋ねます。
その答えは,多分,神聖な生命と,唯一の生命と,真我と,永遠と,無限と超人アデプト等に結合することだと言われましょう。しかし,ラージャ(理論:識別)・ヨ―ガ(瑜伽)の統覚方法では,先にゴールや行果を期待してはならないと教えます。
☆統覚・統一とは〜神聖な生命と,唯一の生命と,真我と,永遠と,無限,超人アデプト等に目標として持ち,
今の一瞬間の中に喜びを見出し,そして,私共の生活の中から統覚・統一を邪魔する妨害物を,
取り除いた時,統覚・統一の方から私共に近づいて来ると考えて,どんな妨害物が有るのか,
それを撤去するにはどうしたらよいかを考えて先ず,実行することでありましょう。
[二]《統覚は霊媒性質を克服し,低級知を抑圧して成功の域に達する。》
☆心の作用を制御すること。
心の作用の中には,アストラル体の情緒的〈欲望:感情〉なものと,
メンタル体の知的〈考え方〉なものと二方面があります。
☆〔沈黙の声〕でも
『心は,真実を裏切る最大の裏切り者なり。 弟子よ,この裏切り者を殺せ。』と,
教えられましたが,この場合の『心』は,
アストラル体の働き,情緒的〈欲望:感情〉心の作用を指しています。
☆此処で言われている,気紛れな霊媒性質の克服は,情緒の体,即ち,
アストラル体の制御,欲望:感情の制御を意味します。
勿論,所謂低級神秘力としての霊媒性質も含んで居ります。
これはアストラル界の低級霊,死者の霊等との接触を意味します。
☆この様に,アストラル界の低級霊,死者の霊等との接触した場合は,
A.太陽叢の異常発達に寄るものなのか?,
B.潜在意識(遺伝:両親:先祖)的に過去の記憶に寄るものなのか?,
A.の場合は,太陽叢のエネルギーを胸線三密環流法で浄化します。
B.の場合は,観の転換(過去:現在:未来)法にてマントラで浄化します。
☆低級知については,低い個人我のメンタル体〈考え方〉の産物で,
アストラル性質と全く同じ様に統覚・統一への障害となります。
☆即ち,情緒の体を克服するには,欲望:感情を克服する事であり,
メンタル体を制御することは,低級知を抑圧することで有って,
克服されない欲望:感情(霊媒性質)と調節されない低級知は,魂の光を遮断し,魂意識を否定し,
こうした障害物のある間は,統覚・統一は不可能です。
[三]《成功の域に達すると,実在の中に居る自我を知る。》
☆成功の域に達した人は次の様になる。又,次の様になれる人は成功する。
☆1.自己を見る。
☆2.魂の真の性質を知る。
☆3.自分自身の内なる真実在と同視し,最早肉体とは同視しない。
☆4.中心に住み,外側に住まない。
〔核心を掴み,廻わりの雑多のものに動かされない。〕
☆5.霊的意識に到達する。
☆6.内なる神を認める様になる。
実在の中に居る自我を知るとは,本当の自分と言う者は,滅すべき肉体ではなく,不滅の実在の一断光
:ギータに〔瑜伽の実修に依って静けさを得,心安定しなば,自ら烱然として照らすなり。
而して,安定したる真我は,無限の歓喜を見出さん。〕であり,無限の歓喜を見出す事である。
[四]《今日に至るも猶人間は真の自我を
知らない。我が肉体を自己自身だと
思い,我が為す様々な事を,
自我が為した事だと思っている。》
☆ギータに〔我も,又彼の王族等も住す。何人と雖,永久に存在を止むる事無し。この肉体内に住む住者は,
幼壮実老を体験:経験して他の体を纏う。孤立せる我欲に惑わされたる自我は「我こそ実行者也」と思う。……〕
☆孤立せる我欲は,霊媒性質と低級知とより生まれて来るのである。
☆結局,私共は感情的にせよ,知的にせよ,自分達の心の状態に依って,
私共を取り巻く全てのものを見て行きます。私共の心の中にある妨害物が,丁度,
色眼鏡の色レンズの様な役目をするのです。
☆真実を見誤る一切の原因は,私共の心の中にあるとして,パタンヂャリーは,
先ず,私共の心の中の知的状態を観察させます。
[五]《心(マインド)の状態には五種在って,これが苦楽の原因である。》
☆心に生ずる一つの考えは思考の流れの中の,消えてしまう単なる泡ではなく,
五感.六感で感じた物全てを記憶し,その記憶は永続性のあのものとして,思考します。
☆心と言うものは,楽しいことや苦しいことの全てがある家庭の様なものなのです。
貴方が,娯楽室で座ってテレビを見ているとします。愛すべき小庭には,二.三本の枝振りの良い木々や,
花壇が在るのですが,それ等については何も考えてはいません。
考えてはいないけれど,木や花壇は其処に在るのです。貴方が全然気が付かないだけなのです。
☆同様に心の中に私共は,沢山な色んな考え.感情.動作.行動を持っています。
その考え.感情.動作.行動は一度は心の中で認められた事なのです。
特別な時以外は忘れてしまっていますが,やはり,心の中にあって,何時でも喜怒哀楽の影響を与えて要るのです。
ヨ―ガ(瑜伽)は私共に,積極的にこうした心の中の考え.感情.動作.行動にぶつかって,行くように要求します。
丁度,私共が家庭で次の様な事をする様な者です。
『この古い割れたお茶碗は処分しなければいけないね。?
その代りに,新しいお茶碗を買いましょうね?。』と主婦は言います。
貴方はお茶碗が古くなって割れてしまうまで,放っては置かないでしょう。
☆過去の苦しい.悲しい.辛い経験について,
心がもって要る強い考え.感情.動作.行動は時が立つに連れて忘れられてしまいますが,
現在の楽しさの上に陰気な影を投げ掛け,あの苦しい.悲しい.辛い経験が無ければ,ずっと楽しいでしょうが,
すつかり色あせたものとしてしまいます。それは丁度,悪い歯の根元にある見えない腫れ物の様にうずくのです。
「歯の痛み」の様に,大抵の人々は苦しみを後の苦労の種として良く知っています。
☆日常生活(修行)の中では,或る事の快.不快は,程度の問題となって来ます。
例えば,お風呂の温度が丁度良いとします。しかし,熱いお湯をさしたり,冷たい水を加えたりすると苦痛になります。
強度の楽は苦に変わります。
☆此処で私共が理解せねばならぬことは,制御の訓練は,苦の考えにも,
楽の考えにも,共にしなければならない事です。
☆低級な性質の中での意識活動と言うものは,
考え.感情で染められた心つまり低級な人間の欲心の所産であって,この様な衝動を十分考慮された聡明な思い.
言葉.表情.動作.行為.行動と置き換える(観の転換法)事が,ラージャ・ヨ―ガ(瑜伽)のゴールである。
☆ギータに〔悲喜苦楽を等しく観ずる者は,最高の統覚者なり。〕
☆私共は統覚者への第一歩として,移り気な霊媒性質(感情.欲望)と織り成して,
人間に苦や楽をもたらす,低級知(考え)を抑圧する為に,先ず,低級知(考え)を生ずる心の状態を観察しましょう。
[六]《心の五種状態とは,正知,不正知,空想,惰眠,記憶これである。 》
[七]《正知の基本は正しい認識,正しい帰納,正しい立証である。 》
☆正知とは,外界から正しい知識を得る心の状態を言います。
正しい知識を得る為に三つの方法があり,これは,正しい認識,正しい帰納,正しい立証の三つです
☆認識とは,木を見てそれを知る時の様に直接,知覚によって知る事です。
☆帰納とは,例えば,凡ての人間は脳髄を持っている。A君は人間である。
だからA君は脳髄を持っていると言う様に推理として心に受け取る事です。
☆立証と言うのは,或る確実な証拠によっての証明としてそれを知る事です。
[八]《不正知は形にとらわれて物の本質を捉えて居らない。 》
☆夕方,畑の仕事から家に帰ろうとしている百姓が居ました。彼は遠い所に人が立って居ると思って,
近づいて見ると,人ではなくてポストだったと気が付きました。
☆又,地面に蛇が居ると思いましたが,近づいて見ると縄の切れ端でした。
☆前の例の様に,人や蛇は間違った知識,即ち,不正知です。大抵の人はこうした間違った考え方(心の錯覚),
間違った五感の感覚(鼻.口.皮膚.目.耳の錯覚)等実に沢山するものです。
[九]《空想は,真の存在成らざる雑多等架空的な心の形象に頼る事である。》
☆空想は実際には無いことを,ある様に心の中で組み立て事です。
☆「密教」の教えの中に,『エネルギーは思想に従う』実際には無いものであっても,
その人の空想によって描かれた心像があまりにも鮮明で力強いものである時,『エネルギーは思想に従う』に従って,その思想を実現させる方向に働きます。
☆「御名に誓って」の中に,理想主義者が,理想の建築物を心の中で打ち立てると言う所がありましたが,
美しい理想主義的熱望は私共の打ち立てるべき空想でありましょうが,欲望の上に打ち立てられる空想は,
私共の束縛を一層倍増して,統覚への成功を阻むものとなりましょう。
[十]《惰眠は,知覚の不活発から起こる。》
☆惰眠とは,心の作用の眠りの事であって,第六感,即ち,直感の働きを無くし,
感覚の働きを拒絶する事である。こんな場合は,
人間は幻想や妄想や間違った印象や強迫観念に取り付かれ易く成ります。
☆怠情な心的機能の弛緩により心的機能の不活発による心の空白,
無意識状態は決して進歩をもたらさ無い事を知らなければならない。
[十一]《記憶は,過去の経験を心が保存すること。》
☆記憶には,この世での経験に基ずく物ばかりではなく,
魂の意識の中に貯えられて要る前生からの記憶も在るのです。
☆記憶と言うものは,普段は意識の上に上がりませんが,一度,意識に上がると,
一つ糸に繋がれた数珠の様に,次から次へと連続して現われてきます。
☆ギータ〔怒りは,
記憶の混乱を来す…〕 ☆正しい記憶は,正知の要素である立証とも成り,得ますが,
怒りが記憶を混乱させると,これが出来無い事に成ります。
【心の制御】
一々目をつぶって自分の心に見入ると,丁度家の中に色々な家具が備えてある様に,
色々な考えが,色々な感情が,色々な欲望が,色々な表情.表現.動作.行動が心の中に
在る事に気が付きます。心の家具は知識です。
人々は,自分の仕事や,日常生活や,友達や好きな本で読んだ事等,沢山の体験.経験の知識を持って居ます。
そして,その知識は,家具と同様に使うために在るのです。
しかし,一般に座禅.瞑想.精神統一.勤行等で座った時に起こる事は,思考するのでは無くて,
考えが浮かんで来るのです。浮かんで来ると言うのは,心の家具である知識を使う事ではありまません。
思考すると言う事は,知識を使う事です。思考すると言う事は,心に浮かんで来るのを配置換えをしたり,
新しいものに交換したり,それが,即ち,制御なのです。
ラージャ・ヨ―ガ(瑜伽)は,完全な思考過程の統覚方法を教えております。
心の制御の為に先ず第一に成すべき事は,心に浮かぶ考えを知ることに在るからです。
一つの考えが,浮かんだ時に,例えば,空想を正知や記憶や不正知と見誤ってはならないのです。
幼稚園では,小さな子供達は,四角な孔には四角な物を入れ,丸い孔には丸い物を入れる様に訓練されます。
私共は,五種の心的状態を見分ける事から,始めるのです。
どんな小さな,どんな偶然な考え.感情.欲望.表情.表現.動作.行動も,何彼と,
精神的.肉体的な苦や楽をもたらすものだからです。
[十二]《心は様々に変化する。この心を支配するには,倦まざる努力と無執着に寄らねばならない。》
☆「倦まざる努力」とは,文字通り,絶え間ない実行であり,絶え間ない繰り返しであり,
古いリズムを新しいリズムと置き換える繰り返しの努力であり,
深く根を張った習慣を拭い去る為の努力の反覆と言う事である。
☆「無執着」とは,凡ての感覚的知覚に,正しい機能を最終的に果たせる為の唯一の手段であります。
即ち,無執着によって,感覚は人間の上に猛威を奮っていた威力を失い,
人間は感覚から自由となり,感覚の主人となり,全感覚を指揮する時が来るのです。
これは感覚が萎縮し,無用と成った状態を意味しているのではなく,
感覚の主人となって,感覚を,団体奉仕や団体尽力での能率を増大し能力開発をする事に利用するので,
感覚は私共には,大変役に立つものなのです。
☆ギータ「至高の永住者」
〔彼は万覚の機能を以て輝き,一切を維持してこれに執着無く,属性を楽しんで属性超越す。〕
感覚はあっても,それに支配され無くなる時,万覚の機能を以て輝き,これを楽しんで,而も超越する境地に至り,
聖なる奉仕に帰って感覚を利用することが出来る。
☆心の制御は,観察の訓練をすることによって助けられるのです。即ち,何かを見たり,聞いたり,味わったり,
触って感じたり,嗅いだり,私共の肉体五感の機能は,
凡て瞬間の喜び,幸福感,楽しみに全注意をその対象に差し向けると,四角のものは一層四角にになり,
青いものは一層青いものになるのです。これも瞬間にある喜び,幸福感,楽しみを偶然として満足しないで,
「倦まざる努力」肉体に生まれ来て,凡て瞬間の幸福感,楽しみに喜びを感じ,
『生きている喜び』
『生かされている喜び』
『感謝する喜び』
『共に喜ぶ悦び』
『奉仕する悦び』
『慈愛の悦び』
『慈悲の悦び』に依って,
全意識を差し向けなけねばなりません。そして,対象物の本質に迫る事が出来れば,それ以外の事に関しては,無執着と成る事が出来るのです。
☆無執着とは,「色の付かない事。」
心を無色透明の状態に保べき事なります。
[十三]《倦まざる努力とは,心の動揺変化を自ら監督し制御する不断の心がけである。》
☆自分自身の霊的性質を十分に表現する為に,心の動揺変化を制御し,
低級な霊媒性質を監督する霊的人間に依って為される不断の努力と言う意味が含まれて要る。
こうする事に依ってのみ,霊的な人は物質界に居乍ら,日毎に魂の生活をして行く事が出来る。
☆「意志の正しい使い方は,霊的生命に参加する不断の努力である。」
五感の低い働きを制御して行くのと同じ制御を心にも適用して,
外面に向かう活動性を止めてしまい,知識の各々の分野に対して魅力を感じる事を差し控えてしまい,
そうする事に依って,心の動揺変化を監督し,制御しその努力を絶え間無く続けて行く事です。
[十四]《完全な価値ある目的を獲得しようとして,絶えず努力していると,心の確実性が保証される。》
☆真の人間を志す者は,先ず熱誠家でなければなりません。魂への熱烈な愛,
魂が必要とする知識の全てを熱愛する事。
☆狂言的,線香花火的な愛で在っては,ならないのです。むしろ,静かに地道な努力を,
そして絶えず進んで行くと,やがてそれが習慣となり,何時の間にか,
その人の性質の中に解け込むで統覚に近ずくのです。
☆ここで言う努力は,心の努力だけを指しているのであって,決して肉体的な苦行や,
普段と変わった事を指してはいない,と申し添えておきます。
[十五]《無執着とは世間的のものだろうと,伝統的なものだろうと,欲望の対象に憧れる事から離れる事である。》
☆無執着とは,「渇わかない事。」
〔渇望しないこと〕これは,水に関係ある言葉で,
水は,物質的存在と欲望のシンボルであり,アストラル界の性質のシンボルも又,水である。
魚は,神の化身のシンボルであり,又,物質を水に見立てて,
その水の中を泳いで要る魚は個性を持つ人間のシンボルで有ると教えられています。
☆ギータの第二場51-52
〔純粋理性の賢者は,行為の報果を顧みず生の足機を脱して至福の天上を往く。
爛たる汝のブッデイ ーが妄想の汚れを超 えなば,聞きたるも の,聞くもの凡てに 超然足らん。〕
☆無執着についてギータは第二場57
〔一切に執着無く如何なる快不快起こらんも狂喜せず失意せざる者は,智慧安定せる成り。〕
☆色付け〔心の中に出来た考え,苦しい事や,不平,不満,悲しみ,おごり,高ぶり,憎しみ,恨み,妬み,等諸々の疑惑,恐怖よって支配され,そのものに捕らわれ,そのものを渇望することは,
奴隷状態か束縛かの状態に心を導いてしまっている状態を,執着「色付け」と言われている。〕
☆生命が進歩,成長するには,必ず情報としての知識《体験,経験》が必要なのです。
各魂が各々勉強すべき材料が執着で有り諸々の疑惑,恐怖の「色付け」なのです。
☆徹底的にどん底の諸々の疑惑,恐怖の「色付け」執着を味わい体験,経験する事に寄り,
自分自身の本心(魂・高級な心)真,善,美の発見に,気が付き始めるのです。
☆本来の本心(魂・高級な心)は真,善,美であり,外界のものに渇望した場合,情報・知識《体験,経験》が少ないと,識別の力が無く,理解が乏しいのです。苦しい事や,不平,不満,悲しみ,おごり,高ぶり,憎しみ,恨み,妬み,疑惑,恐怖等諸々の情報・知識《体験,経験》が多くなると,識別の力が付き,理解する様になるのです。
☆総てが,自分自身を磨く成長・進歩の為の材料であり,情報・知識《体験,経験》だったのです。
☆徹底的にどん底の諸々の疑惑,恐怖の「色付け」執着を味わい体験,経験する事に寄り,今・瞬間・現実の『認識出来る自分自身』という私が居るのは,今迄に苦しみ,悩み,悶え,悲しみ,どん底の諸々の疑惑,恐怖の「色付け」執着を味わい体験,経験した過去の自分自身が,居たからなのです。
☆今の瞬間の現実の
『認識出来る自分自身』という私は,過去,体験,経験して来た総ての自分自身を許さなければならないのです。
☆この世そのものは,迷いでも,妄想でも無く,涙の出る程,有り難く美しく,素晴らしい,
大自然大宇宙大霊神仏様からの賜り物なのです。そして,自分自身の手も足も体も感覚も頭脳も決して,
醜い汚ないものではなくやはり大自然大宇宙大霊神仏様からの賜り物なのです。
ただ,困るのは,渇いた喉が,幾らでも水(情報・知識《体験,経験》)を欲しがる様に,
頭脳・感覚に随喜し,何もかも,自分の方へ引き寄せてしまいたいと,思う心で有ると思います。
☆この『心』の制御の為に,不断の努力と無執着を教わっているのです。
木や石の様にじっとして,全ての事に無関心に目を塞げと,言う事ではないのです。
美しいものは,正直に美しいと思って良いのです。美しいものを,『自分の者にしたい』と思う心が,執着になるのです。可哀想な人が居れば,一緒に涙を流し,美味しいものを食べれば,正直に美味しいと思えば良いのです。
美食でなければ嫌だ,と言うのは勿論大執着に成ります。
私は執着を断ったから,何々以外は一切口にしない。と言うのも一種の執着ではないでしょうか?
それは修行の一過程として,欲望を断つ自己訓練として,
大きな意味が有るかも知れませんが,
本当に心身調和した状態に達すれば,外界の何者にも影響を受ける事が無くなるのではないでしょうか?。
☆行動しても,
言っても,
見ても,
触っても,
思っても,
捕らわれないことです。
[十六]《超然として何ものにも執着しなければ,低級知から超越して,精神人としての確実な知識が出て来る。》
☆三属性を超脱するのに二通りの方法がある。
○真人についての精神人としての知識に基ずいて特性を渇望しない事によりその結果として無執着を得,
三属性を超脱する。
〈知識〉→〈無執着〉〓[統覚]
○特性を渇望しない事により無執着を得,その結果として三属性を超脱し,真人(精神人)についての知識に基ずく。
〈無執着〉→〈知識〉〓[統覚]
☆精神人と言うのは,
○ギータでは,【内在主】であり,物質体としての人間の中には人間の如何なる
行動,動作,表情,感情,欲望,考え方,にも汚されず,肉体が滅んでも亡ぶ事の無いもの。
○ウパニシャットでは,【至上我】として,宇宙最高の絶対的実有である【梵】と同一視している。
☆三属性について,古代インド(印度)の科学と哲学では,三つの基本的な原理が在って,
凡ゆる物質的形態がその原理の異なった割合の組合せによって造られている。
この原理は西洋の原子や電子の概念に先立ち,西洋の科学者は,その影響を認めています。
三つの特性と同じ名称が,自然界,人間界の凡ゆるものの特性(物質的:精神的)を表わすのに使われています。
最も広い意味から言うと,この三つは物質とエネルギーと自然法則なのです。
この三つに対して次の様な言葉が使われています。
1.[物質]有形, 抵抗力,不活発,遅鈍,暗黒,(惰性)
2.[エネルギー] 活動,活発,不休,(動性)
3.[自然法則] 法則,秩序,リズム,調和,清純,(リズム)
☆物質体の精神的内具のヴエールの蔭に隠れていて,本来の光を輝かして居りません。
精神的内具はそれを構成して要る三属性の働きで,三界の凡ゆるものに執着しているので,
執着が丁度くもの巣を張る様に,内在主はその幕を通して凡てを観察していますが,
物質体の人間の側からは,幕の取れない内は,内在主の光を見ることは出来ません。
無執着を完成して行くと,三属性が消滅する訳ではなくその上に超越する事が出来ます。
そうなると,諸々の低級知,低級な霊媒性質はその人の圈外から遠く去って,内在主・至上我が光輝と光り出します。
☆物質体は,或る神秘な過程を経て,神によって造られたものであって,その過程を通る事によって,
三属性の配分を受け,滅ぼすべき性質と成って居ます。
☆沈黙の声
[烈日の光が苦しめる者の眼より落る涙の滴をも乾かさざるに先立ち,汝が進んでその涙を拭え。]
○隣人に対する悲しいまでの愛の心を育む時,自ずと凡ゆる利己的欲望は薄らいで,
無執着を徐々に完成して行くことが出来るのです。
☆コリント前書二章の 九節
[神の己れの涙を流るる者の為に備え給いし事は眼未だ見ず,耳未だ聞かず,人の心,未だ思わざりし所成り]
[十七]《目的意識は目的の四重性質に一心集注をして得られるものである。
四重性質とは,
@表面の現われを良く観察検討すること。
A是非善悪をハッキリ見分ける事。
Bインスピレーションで,真そのものに触れる事。
C目的と自我と一体の魂意識が起こる事。これである。》
☆
[十八]《もっと深く目的意識に入れる。
それは三昧(サマージ)に入るには外部一切の刺激と考えを断ち切ってしまって,
一心専念になって到達出来る。
三昧に入ると心は主観に映ずる天来の印象通りに働く。》
☆
[十九]《右に言う三昧は,現象世界と神々の領域を越えてはいない。》
☆
[二十]《もっと優れた三昧がある。その状態になると,純粋精神の認識力が働く。
信念,活力,記憶,瞑想正しい認識を経過して確実に現れるものである。》
☆
[二十一]《この精神状態は,意志が溌刺として醒め切った者に忽然として起こって来る。》
☆
[二十二]《意志の揮い方に様々ある。緊張意志,中庸意志,寛容意志これである。
真の意識に到達するにはそれと違った生き方がある。(至純直截な行き方)》
☆
[二十三]《大救世主に真剣な奉仕の精神が決定すれば,大救世主の知識を得る。》
☆
[二十四]《大救世主は大霊である。何者にも制限されることが無く,
カルマからも欲望からも超然と離脱している。》
☆
[二十五]《大救世主は大天使である。大救世主には,一切知識の胚種があって,無限に展開する。》
☆
[二十六]《大救世主は,時間の制限束縛を受けず,大初から存在する神々の大師である。》
[二十七]《大救世主を言葉で呼べば,アウムである。これ程至尊神聖な言葉はない。》
[二十八]《アウムを唱えて,其の意味を瞑想すると,大道を発見する。》
[二十九]《大道開けて大我の実現となり,一切諸々の障碍が払いのけられる。》
[三十]《自我大意識を遮るものはこれである肉体的無力,知的惰眠,悪性の質問,無頓着,怠惰,
色情抑制の欠乏,誤謬認識,一心集注の不可能,瞑想到達点に来て失敗すること,これ等である。》
[三十一]《苦痛感,失望感,肉体的処置法の間違い,生命流動の方向を間違えること,
これ等は低級霊媒性質に起こる妨害の結果である。》
[三十二]《種々の妨害及びそれに伴う出来事に打ち勝つためには,真理に意志を決定しなければならない。》
[三十三]《心の平和は,同情,優しさ,目的を明瞭にすることで得られる,
苦楽,幸不幸に超然たる事に依って得られる。》
[三十四]《心の平和は,又,プラナー即ち呼吸を整えて得られる。》
[三十五]《心(マインド)は,感覚的認識に関係あるものに一心集注をして確実に練り出せる。》
[三十六]《光と輝きを瞑想すれば,大霊の知識に到達して平和を得る
(註,心臓の中心チャクラと松果腺サハララ・チャクラの光輝をみて,瞑想すること。)》
[三十七]《心(マインド)が安定し,妄想を放棄すれば,低級性質が浄化して放縦わがまゝが無くなる。》
[三十八]《夢が与える知識を瞑想しても心の確実性を得られる。
(註,情緒の潜在意識コンプレックスを克服し得るからである)》
[三十九]《心の平和は,又,最も懐かしい人に一心を集注しても得られる。》
[四十]《かくの如く,自我実現は,無限に小さいものから無限に大成るものへと展開し,
原子から至上大霊へと拡大して知識が完成される。》
[四十一]《潜在意識を完全にコントロール(支配)出来れば,思った通りの事が実現される。
知る者(自我)と知識と目的物が水晶の玉に映じた色彩の様に鮮やかになる。》
[四十二]《言葉,意識,目的がぴったり統一的になれば,これを正しい精神状態と言う。》
[四十三]《記憶に惑わされず,どう言ったら善かろうか?。目的達成が出来るかどうか?。
そう言う事を考えずに,只,観念がハツキリして居れば,理屈ぬきに正しい認識に到達している。》
[四十四]《一心集注は思索を辿っても,思索の辿りを採らなくても精妙な目的に到達するものである。》
[四十五]《粗雑なる思惟は,精妙なものとなり,精妙なものは,純粋大霊の認識状態に進んで行くものである。》
[四十六]《瞑想は,種が芽を出すようなものである。》
[四十七]《一心集注の技術が充分旨くなれば何も考えないで,至純な精神的啓明の現れとなるものである。》
[四十八]《これでこそ認識は真理そのものとなる。》
[四十九]《優秀な認識は厳として合理的な心が現し得ないものを掴み出す。》
[五十]《優秀な認識は,あらゆる印象及び習慣をはね付ける。》
[五十一]《優秀な認識状態を抑制して,もっと深く入って行くと,普通意識の三昧に到達する。》
H巻二 【統覚への歩み】 〈一〜五十五〉
X要旨向上の手段について
★1五つの妨害物とその撤去
★2八つの手段の説明
[一]《魂と心(マインド)を統一する行作(カルマ)ヨガは,燃えるが如き熱誠,
精神的読書,大救世主への献身奉仕を必要とする。》
[二]《この三者は,魂のビジョン(直感洞察力)をもたらして,一切の妨害物を排除する。》
[三]《統一の妨害物は,無知,人格,欲望,憎しみ,執着,これである。》
[四]《無知は顕幽いずれを問わず,一切妨害物の原因出来る有る。
これを払いのけ,これに打ち勝ち,これを根こそぎにせよ。》
[五]《無知は有限,不純,苦悩,真我への叛逆を永遠,純粋,天福,真我と取り違える。》
[六]《人格は,知るもの(魂即ち,真我)と知識の用具(心)を同視する不完全な者である。》
[七]《利己的欲望は快楽の目的に執着する。》
[八]《憎しみは,感覚の対象に対する嫌悪の情から起こる。》
[九]《情を引くものに対する緊張した利己的欲望が執着になる。
凡てのものは自己保存の為一種の形を有つ。賢者と雖これを有つ。》
[十]《五種の妨害物を仔細に知れば,健全な知的態度で,これに打ち勝てるものである。》
[十一]《妨害物の活動は瞑想で一掃される。》
[十二]《カルマは五種妨害物を根とし現生活に結果を生み出す。でなければ他日の生活に現れて来る。》
[十三]《カルマの根が有れば,その結果は誕生になつて現れ,苦楽の人生となり,
苦楽の経験に成る。》
[十四]《カルマの種は善悪の原因に従って,楽しみとなり苦痛ともなる。》
[十五]《霊明の光に遇った人は,三界にわたる存在がすべて,低級知性の故に苦痛で有ることを知る。
低級知性の諸活動は,諸々の苦しみ,不安,悪潜在意識の三重原因を造り出すものである。》
[十六]《まだ現れない苦痛は,あらかじめこれを撃退することが出来る。》
[十七]《妄想は苦痛の原因だから撃退してしまえ。》
[十八]《認識出来るものには,三つの性質が絡まっている。 サトヴァ,ラヂャス,タマス
(リズム,動性,惰性)これである。一切の物質関係問題,感覚的なものにはこの三性質が絡まる。》
[十九]《物質性質は,四重に創られている。特性的,非特性的,表示的,超感覚的これである。》
[二十]《魂は純粋意識である。純粋意識は心(マインド)が考えている様子を監視している。》
[二十一]《凡てのものは魂の為に存在する。『心』も魂の為に存在するものである。》
[二十二]《統一に達した人には客観的物質世界は無い。
自由の体験が無い者にだけ客観世界は存在すると思われる。》
[二十三]《魂が心(マインド)に触れた程度で認識程度が決まるものである。》
[二十四]《無知であるから認識の差異が起こる。》
[二十五]《無知が終局を告ぐれば,大自由を得る。》
[二十六]《完全なる認識には束縛なるものが無い。》
[二十七]《大霊の啓明に到達するには,じりじりと七重の難関を通過しなければならない。》
[二十八]《ヨガの方法が確実に実行されると不純が一掃されて煌々たる大霊の啓明に遇う。》
[二十九]《ヨガの八方法はこれである。訓戒即ちヤーマ,規定即ちニヤーマ, 座法即ちアサーナ,
生命力即ち呼吸のプラナヤーマ,超越即ちプラチャハーラ,一心集注即ちダラーナ,
禅定即ちディアーナ,三昧即ちサマージである。》
[三十]《訓戒即ちヤーマの五戒とはこれである。
1.他を害するな
2.凡てのものに真実であれ
3.盗むな
4.淫乱を禁ぜよ
5.貪慾を断て。》
[三十一]《ヤーマは,人種,土地,時代の如何を問わず世界的義務である。》
[三十二]《規定即ちニヤーマの五則はこれである。
1.心身を清浄に保て
2.自ら足るを知れ
3.熱誠に燃えよ
4.精神的読書をせよ
5.大救世主に献身奉仕せよ。》
[三十三]《ヨガに反する思想が起こったら,その思想と反対に行け。》
[三十四]《ヨガに反する思想は有害甚だしく虚偽,窃盗,不潔,貪慾である。
個人的なると団体的なるとを問わず,他より強いられ,又,自ら欲して為した何れでも,
貪慾,怒り,無知によって為した事は,程度の大中小を問わず,
その結果は耐えがたき苦痛闇黒である。だから,それ等と反対の思想を養成すべきである。》
[三十五]《完全に他を害しない人の前には一切の敵意が止む。》
[三十六]《凡ての者に対する真実な心が完全ならば,その人の言葉と行為はすぐ認められるものである。》
[三十七]《絶対に盗まれない統一の人は,自分の浴するものを悉く得る。》
[三十八]《不純を一掃すれば力が出て来る。》
[三十九]《貪慾を根こそぎ棄つれば,再生の法則を直感することが出来る。》
[四十]《心身清浄なら,自身の体をも,他の全ての体も嫌悪する。》
[四十一]《純潔から平静な精神,一心集注力,五官の克服力,大我を見る能力が現れる。》
[四十二]《自ら足るを知れば天福を得る。》
[四十三]《燃ゆる熱誠,一切不純思想の排除!!
これに依って体力と五官の完全な機能が起こる。》
[四十四]《精神的読書は,神聖なものとの接触を来たらせる。》
[四十五]《大救世主への献身奉仕に依って,瞑想の目的なる三昧に到達する。》
[四十六]《坐法は安楽でシッカリしていなくてはならない。》
[四十七]《安座したら気楽にして,無限成るものに心を集注することが大切である。》
[四十八]《坐り方が完全であれば,感覚的に気がかりになるものが無くなる。》
[四十九]《正しい坐法を取ったら,次にプラナーの正しい支配即ち吸う息,出す息の訓練に入れ。》
[五十]《プラナーの正しい支配は外的,内的,静止的である。場所,時間,回数を決めて,
長くても短くても適切にやれ。》
[五十一]《そうやっていると,雑念にも感覚的刺激にも超越して第四段階に到達する。》
[五十二]《これで光を隠蔽するものが漸次取り退けられる。》
[五十三]《すると,一心集注の瞑想をする準備が出来る。(これがプラチャハーラーである)。》
[五十四]《プラチャハーラーとは,真の思索力が五官を克服して,
いままで考えていた下ら無い目的から脱却して仕舞うことである。》
[五十五]《この結果,感覚器官が完全に鎮まる。》
H巻三 【統覚への達成とその結果】〈一〜五十五〉
X要旨魂の力について
★1瞑想とその段階
★2瞑想の二十三の結果
[一]《一心集注とは,一つの優れた目的に心を集注すること。》
[二]《一心集注を持続するのを禅定という。》
[三]《心が実在の中に吸い取られて,個人的な自己成るものに気が付かなくなるのを三昧という。》
[四]《一心集注,禅定,三昧の継続状態をサミヤーナと言う。》
[五]《サミヤーナの結果,光明が輝き出る。》
[六]《この発光状態は漸次進歩して尚一層明らかになる。》
[七]《サミヤーナは,呼吸,無より一層深い主観的結果を現すものである。》
[八]《しかしサミヤーナも,真の高い三昧に比べると,外的要素が混ざっている。
真に高い三昧は,客観的対象を目的としないで,低級知の認識範囲に囚われない。》
[九]《知的状態と言うものは,次のように起こるものである。
1.見るものに対して心の反応が起こる。
2.心の反応に対して正邪を見定める期間が来る。
3.心の反応を吟味して,それに解答を与えようとする段階に入る。
4.以上が過ぎ去って,認識の完全な統一状態に成る。》
[十]《この心的習性を教養して精神的認識の確実さが得られる。》
[十一]《心的習性を教養して,不完全な考えの起こるのを抑制すると瞑想力が出て来る。》
[十二]《無理無しに心の動きを抑制して,能力と考えがぴったりすると,一心を集注することが出来る。》
[十三]《この過程踏むと,対象の様子,その特性,時間条件内に於ける活用法が解って来る。》
[十四]《対象の特性と言うものは,現れているもので,隠れているものでも解るものである。》
[十五]《進歩状態は,心理的変化と,思索の基本精神に応じて定まるものである。》
[十六]《物の三重性(過去現在未来)に一心集注の瞑想をすると,
過去にあったこと,未来に起こることが分かるものである。》
[十七]《音とその対象と,その精神的意味を知ろうとすると心に混乱が起こる。
しかしこの三つに一心集注の瞑想をすると,生命が何を表しているかスッカリ解るものである。》
[十八]《自分の心に起こる考えを解する力を得ると,前生の知識が得られる。》
[十九]《一心集注の瞑想で,人の心にある思想の様子をハッキリ知る事が出来る。》
[二十]《たとえ,人の心の中に在る考えが現わされなくても,何を目的としているのか,
それを知る事が出来るものである。》
[二十一]《コーザル体と肉体との相違に一心集注の瞑想をして,
統一に入れたら,肉体を見えないものにする事が出来る。》
[二十二]《カルマには二種類在る。すぐ結果の現れるものと,ズッと後で現れるものとがある。
カルマに一心集注の瞑想をすれば統一者は三界に於ける自分の経験の期限を知る事が出来る。
この知識は暗号で示される事もある。》
[二十三]《人と自分との統一は,感情の三状態即ち,『同情,思いやり,感情沈静』に一心集注して得られる。》
[二十四]《象の力に一心集注の瞑想をすると象の力又は,その力の光が我が内に目覚める。》
[二十五]《目覚めた光(松果腺や眉間)に一心集注の完全な瞑想をすれば,精妙なもの,
隠れたもの,遠隔の場処にあるものに就ての意識が起こって来る。》
[二十六]《太陽に向かって一心集注の瞑想をすれば,七つの世界に就ての知識が得られる。 (七つの世界は, 物質界,
アストラル界,
メンタル界[コーザル界],
ブッディ界,
至上我界,
モナッド界,
聖なる大霊)。》
[二十七]《月の一点に一心集注の瞑想をすると,月の作用による物の知識が得られる。》
[二十八]《極星に一心集注の瞑想をすると,惑星,遊星の軌道に就ての知識が得られる。》
[二十九]《太陽系の中心に一心集注の瞑想をすると,身体の構造と状態に付いて完全な知識が得られる。》
[三十]《喉の中心に一心集注して居れば飢渇が止まる。》
[三十一]《喉の中心の下なる神経に一心集注をしていると,均衡調和が保たれる。(この神経は副甲状腺)。》
[三十二]《自主の体験に到達した人は,頭の中の光の焦点を造ると, 神聖な存在者,
大師,超人(アデプト)達を見,且つそれ等と接触することが出来る。》
[三十三]《一切のものは爛として光り出る輝きの中で知る事が出来る。》
[三十四]《心臓の中心に一心集注の瞑想をすると,宇宙大霊意識が目覚める。
(心臓の中心は心臓右房の右上である)。》
[三十五]《相対矛盾の経験は,人格と魂(個人我と普遍我)を区別することの出来ないことから起こって来る。
客観的存在物は,精神人が使う為に存在するものである。
この瞑想で至上精神の直感的認識が起こる。》
[三十六]《この経験,この瞑想の結果,
高等聴覚,
高等触覚,
高等視覚,
高等味覚,
高等臭覚が発達して
直感の働きに成る。》
[三十七]《高等五官力を揮うのは,
至高の精神実現には障碍となるが実際世界に於ける魔力として役に立つ。》
[三十八]《束縛制限を起こす原因から超越して自由を得ると入我我入を理解して,
人の肉体の中に入る事が出来る。》
[三十九]《ウダナー(頭部エネルギー)を鎮めると,水難溺死することなく,
茨の路,沼沢の上を歩いて昇天の力を得る。》
[四十]《サマナー(太陽叢エネルギー)を鎮圧すると,出て来る火花が焔に成る。》
[四十一]《エーテルと音との関係を一心に瞑想すると,精神聴力器官が発達する。》
[四十二]《肉体とエーテルとの関係を一心に瞑想すると,
物質界から昇天して空間を旅行する事が出来る様になる。》
[四十三]《内から発する光を遮るものを一掃すれば,肉体離脱状態が起こって,思索の制限を脱する。 これが大霊の光を発する状態である。》
[四十四]《各種原素を含む五種のものに一心集注の瞑想をすると,各種原素を支配する力を得る。
五種のものとは,
粗雑なる性質,
原素の特性面,
精妙面,
滲透面,
基本目的で在る。》
[四十五]《この支配力で,極微の中に入る力,その他の大神秘力一切を発揮する事が出来,
又,身体が完成されて生老病死の障碍から超越する。》
[四十六]《形の均整,色彩美,ダイヤモンドの緻密性は肉体の完成をもたらすものである。》
[四十七]《五官の性質,
五官の特性,
五官の自我性,
五官の普遍性,
五官の有益な目的に一心集注の瞑想をすれば,
五官を大いなる直感力に使う事が出来る。》
[四十八]《その結果,行動は全て意の侭に迅速に行われ五官を離れて認識が自由になり,
エーテルを支配する事が出来る。》
[四十九]《魂と大霊の区別が解れば,
如何なる事情の上にも至上の力を発揮して普遍の統一力を現す事が出来る。》
[五十]《ここまで到達し得ても,この様な魂の力を有っていても,冷静な態度を取っている人は,
一切束縛の種から離れて大自由を得,超物質の統一に到達する。》
[五十一]《世の如何なるものも,天上の如何なるものも,悉く棄てゝしまわないと,
悪接触の再起可能性が残るものである。》
[五十二]《直感知は,刹那々々にも,永い期間渡っても,
一心を集注して識別機能を活用する事がで発達するものである。》
[五十三]《この大直感知から,凡ての存在を見分ける能力が生まれ,
その種類,特質,空間に於ける位置を認識する能力が生まれる。》
[五十四]《大直感知は大救世主であり,普遍全知で有って,過去現在未来を永遠の今に生きる。》
[五十五]《客観的なものと魂とが平等の純粋状態に達すれば,
神との統一が達成されて大自由そのものとなる。》
H巻四【霊明の光】〈一〜三十四〉
X要旨 孤立した統覚方法
★1意識と形態
★2統覚方法又は贖罪
[一]《高級神秘力も低級神秘力も,再生に当たって定まる。
一種の薬剤に因っても神秘力は起こるが,力の言葉(マントラム),
熱誠なる要求,瞑想に依って現れるのが健全真実である。》
[二]《低級意識から高級意識に移って行くのは,違大な創造的進化過程の一部分で有る。》
[三]《ヨガの実習技術は,高級意識そのものの真原因ではないがその妨害物を除くに必要である。
さながら農夫が種蒔のため土地を耕すようなものである。》
[四]《身体諸器官を創造した者は自我(魂)である。だから人は個人感の喜びを有つ。》
[五]《大意識は一つで,一成る大意識の低級な幻力が様々な思想や物質になる。》
[六]《瞑想で新たに目覚めた意識は,カルマに超越している。》
[七]《自由を得た者の諸活動は,相反する者の活動に妨害されるものでない。
自由を得ていない者は三種のカルマを持つ。》
[八]《三種のカルマ(大中小)から,それにふさわしい結果が出て来る。》
[九]《人種,時代,場所が違っていても,記憶と因果にはつながりがある。》
[十]《永遠に生きようとする欲求の原始は知ることが出来ない。》
[十一]《欲望,根本原因,人格,結果,生き抜こうとする意志,目的の維持により形体は創造され統一を保つ。
これ等が互いに引力を失うと,形体も亦消えて行く。》
[十二]《過去現在未来は実在の中にある。現在の時間観念の中にあるものは,
発達したる特性の結果であって,未来素質の隠れたる種子を持つ。》
[十三]《特殊性は,隠れているものも,現れているものも自然の三性質(リズム,動性,惰性)を持っている。》
[十四]《客観的存在の現われは,結果を生ずる原因の凝集に依って出来るものである。
(結果を生ずる原因は,心の諸変化の統一されたもの)。》
[十五]《意識と形態の二者は相異成るものである。
形態は似ていてもその意識は異なる水準に動く。》
[十六]《一成る心から現われた多種多様なものが,それぞれの衝動で動く。》
[十七]《形態は心がその形態の色で染まっているか否かにより,認識されたり,されなかったりする。》
[十八]《内なる精神人(魂)は,絶えず活動する心を知り,結果を生ずる原因を知る。》
[十九]《心は光を発する原因ではない。》
[二十]《心は二つの対象即ち,心自体と心の外にあるものを同時に知る事は出来ない。》
[二十一]《心の知識が,心によって知られるとすれば,
無数の精神人が居なければ成らず,記憶の混乱が起こる。》
[二十二]《内成る精神人は自己の高い思索力を知っていて,その反映を心が受けるのである。
その反映に寄って自我発見が行われる。》
[二十三]《内成る知者(精神人)と,その知者が認識した光を受けて,
心は始めて普遍的の働きを起こすものである。》
[二十四]《心が内成る精神人の光を受けると精神人の器になつて統一の働きを始める。》
[二十五]《心と自我の真性質に立脚する統一状態が起こる。》
[二十六]《心は一成る自我の真性質に従って明白な認識が出来,啓明の度を増して行く。》
[二十七]《しかし心は,習慣的に他の知的印象を受けて,感覚的に物事を決めるものである。》
[二十八]《他から習慣的に受けた印象は 妨害物である。これに打ち勝つ方法は己に説いた。》
[二十九]《啓明の純粋な統一を熱望して,無執着を発達させる者は,
訓練された認識力で,霊知を掩う雲に気が付く。》
[三十]《ここまで進歩すれば,苦悩とカルマに打ち勝つ。》
[三十一]《凡ての妨害物と不純物を剥ぎ捨てると,無限知識が湧き出て,
心で知る間違ったものは影のように消えてしまう。》
[三十二]《これに寄って心の動揺は起こら無くなる。》
[三十三]《心の変化動揺の結果として起こる時間の観念も亦終わりを告げて,永遠の今が有るだけ。》
[三十四]《物質自然に関する三種の心の働きが, 自我の上に主力を揮う事が無いようになって,
純なる統一状態が現われる。至純な精神意識は一なる者である。》
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