二十歳の夜に



 アンドロメダ、カシオペア、ペガサス、そしてペルセウス。
 空を見上げれば星座たちが美しく瞬いている。沢近愛理は、夜風に身を任せながら、隣を歩く男に腕を絡めた。
 黒いジャケットに頬を寄せるとスエードの感触が心地よくて、愛理は思わず瞳を閉じる。
「酔ってっか?」
 言った男の名前は播磨拳児。短く刈り込んだ黒髪を逆立て、夜であるにも関わらず濃いサングラスをかけている。
「酔ってないわよ〜」
 言いながら愛理は空いている左手で自らの金髪を払う。
「でも、おいしかったわね。何杯飲んだかしら。マンハッタンでしょ。テキーラサンライズでしょ。ソルティドッグにロングアイランドアイスティー。それに……」
「ったく、おめー飲みすぎなんだよ。人のおごりだと思ってよ」
 播磨が口を挟んでくると、愛理は彼に絡めた腕に力を込めながら言葉を返す。
「そう言えば、あんたあんまり飲まなかったわね。まあ、お酒強い方じゃないし」
「いや、俺があんま飲まなかったのは、そういう理由じゃねえんだがな」
 仏頂面でそう言う彼の横顔を見ながら愛理は密やかに笑った。今日二人が訪れたのは本格的なカクテルバー。物によっては一杯千円以上というプライスは彼にとっては厳しかったことだろう。申し訳ないと思う反面嬉しくも思う。
 ふと正面を見やり、愛理は播磨の腕を引く。
「ね、あれ見て」
「お?」
 播磨の視線の先にいたのは見覚えのある制服を着たいかにも初々しそうなカップル。恥ずかしげに手を繋いでいる二人がやけに微笑ましい。
 愛理は笑顔で彼らを見つめながら言う。
「ったく、高校生の分際でこんな夜中まで。生意気なんだから」
「そういうおめーだってまだ未成年だろうが。酒カパカパ飲みやがってよ」
 播磨の言葉を聞くと、愛理は心外そうに眉をしかめて答える。
「なによ。未成年なのはあんたも同じでしょ」
「俺はいいんだよ。あと一週間で二十歳だからな」
「ふん」
 愛理は鼻を鳴らすとそっぽを向く。
「なによ。ほんの三ヶ月ぐらい誕生日が早いからって」
 腹を立てた振りをして腕を放すと、すかさす播磨が大きな手のひらで頭を撫でてきた。
「少しいいか?」
「え?」
 播磨の目線の先を追うと小奇麗な公園。人影はない。彼の意図を察して少し頬が熱くなるのを覚えながらも、極力平静を装って愛理は頷いた。
「少しだけ……ね」

 播磨に促されるままに公園に入ると、愛理はベンチの前に立つ。そのまま播磨を見やると、彼は小さく舌打ちしながらポケットからハンカチを取り出し、ベンチの上に敷いた。
「ほらよ」
「ありがと」
 にっこりと笑って愛理はその上に腰を落とす。すぐに播磨がその隣に腰掛けてきた。
「しかしよ。あの制服見ると、いろいろ思い出しちまうよな」
「そうね」
「いろいろあったよな」
「うん」
 膝の上で作った両拳を見つめて愛理は答えた。自然といくつもの想い出が蘇ってくる。こうして播磨と過ごしている時間は凄く幸せだし、これから先、もっとたくさんの幸せを築いていけるのかもしれないが、今にして思えば、彼の気持ちが、そして自分の気持ちすらもわからず悶々としていたあの頃の想い出が宝物のように思えてくる。
 そんな彼女の想いを知ってか、播磨がしみじみと言う。
「しかしよ。おめーが半泣きで俺にコクってきたときにはマジでびびったぜ。おめーが俺のこと、そんな風に見てたなんて夢にも思わなかったからよ」
「なっ……」
 意地悪げな笑みとともに言ってきた播磨を睨み付けながら愛理は抗弁する。
「なに言ってんのよ!? 私は、あんたが天満に振られて落ち込んでるのを見るに見かねて……」
「お嬢……」
「あ……」
 肩を抱き寄せられて愛理は沈黙した。サングラスの奥の瞳がじっとこちらを見つめているのがわかる。彼の要求に屈したように愛理は瞳を閉じた。
 頬に大きな手が添えられる感触。そして、もうおなじみになった暖かく、柔らかいものが唇にかぶさってくる。
 唇を重ねただけの優しいキス。彼とは大人のキスも経験済みだが、愛理はむしろ、こんなキスのほうが好きだった。
 いたわるように重なってきたそれが、名残惜しげに離れた。
「バカ……」
 愛理が播磨の胸に顔を埋めると、そっと彼が髪に指を絡めてくる。
「好き」
 唇を重ねた後は、どうしてもこの言葉が漏れてしまう。たいていの場合、彼は何も言わず、髪を撫でてくるだけなのに。
 彼の愛撫に身を任せながら愛理は思う。もう何度目の口づけなのだろうと。思い出せない。初めて唇を重ねたあの日のことだけは絶対に忘れないけれども。
「なあ、お嬢。今度の土曜日。つうか、まあ俺の誕生日なんだけどよ」
「うん。ごめん。やっぱり昼間は空けられないわ。でも、夜は大丈夫だから。たまには私がおごってあげる」
「いや、それはいいんだけどよ」
 髪を撫でる手を止めて、彼は言いにくそうに口ごもる。
「その日な。ちょうど絃子のやつ留守なんだけどよ。その、なんだ……」
「なに?」
 思わず顔を上げて播磨を見やると、彼は顔中に脂汗をたぎらせ、頬を痙攣させている。
「どうしたのよ?」
 怪訝げに愛理が尋ねると、播磨は必死に口をうごめかしてくる。
「そのよ。泊まってってくれつったら怒るか?」
「なっ!?」
 思わず息を呑み、愛理は播磨から離れた。酔いのせいではなく、違う理由で全身が熱を帯び、早鐘のような鼓動を心臓が叩く。
 熟れたトマトのように染まっているであろう顔をうつむけて愛理は言う。
「そ、それってそういう意味で言ってるのよね?」
「ああ。やっぱ、ダメか。急すぎるよな。ほんと俺って」
「ヒゲ……」
 上目遣いで播磨を見つめる。彼は大きな肩をがっくりと落とし、叱られた子供のようにうつむいていた。その姿がやけに可愛らしく思え、愛理はようやく深呼吸とともに少し心を落ち着けることができた。
「そのね。聞いてもいい? どうして急に?」
 愛理が言うと、播磨はサングラスの位置を直してから恐る恐るという風に口を開いた。
「この間見ちまったんだよな。おめーがメルカドで知らねえ男とお茶飲んでるとこ」
「あ……」
 思わず愛理は口を押さえる。
「見られてたんだ。そのね。あの人はサークルの先輩でね。そういうんじゃないのよ。あんたのことだってちゃんと話してあるし。でも、気に障ったのなら謝るわ」
「いや、そうじゃなくてよ」
 手のひらを振って播磨は言ってくる。
「別に怒ってるとかそういうんじゃねえんだよ。それ言ったら俺だって妹さんと打ち合わせで会ったりするしな。それよりよ」
 そこで言葉を切って深くため息をつき、播磨は夜空を仰いでから言う。
「なんか不安になっちまってよ。大学の友達とかにおめーの写真見せるとぜってー言いやがるんだよ。釣り合わねえって。んで、おめーの行ってる大学の名前教えると、気をつけたほうがいいぜって口裏合わせたみてえによ」
「……私が信用できない?」
 愛理が真顔で言うと、慌てたように播磨が答える。
「い、いや、そういうんでもねえけどよ。なんか、怖くてよ。おめーを失っちまったら、俺、どうなっちまうのかって。塚本に振られたとき、ほんとにこの世の終わりかと思った。おめーがいてくれなかったら、正直、俺、どうなってたかわからねえ。だから、怖くてよ」
「ヒゲ……」
 愛理は思わず身を寄せると彼の大きな背中に手を回す。
「そんなこと、あるわけないから」
「お嬢……」
「でも、さっきのことはもう少し考えさせて。やっぱりすぐには」
「そうだよな。つうか悪かったよ。突然バカなこと言っちまって。気ぃ悪くしたろ」
「そんなことないわ」
 言うとその言葉が嘘ではないことを証明するために、そっと彼の頬に口づける。
「帰りましょ。送ってってくれるんでしょ」
「ああ」
 ノロノロと立ち上がると、彼は手を差し伸べてきた。その手を握り返しながら愛理は思う。
 この手に全てを委ねることになるのだろうかと。
 彼が自分を欲しがってくれていることは嬉しい。しかし……。
 頭を振って思考を止めると、愛理はしっかりと播磨に腕を絡めた。


 その店を前にして周防美琴は携帯電話を取り出した。サブディスプレイには着信履歴はない。そして、表示されている日付は12月1日。時間は午後8時。
「しっかし、なんだってんだろうな、急に」
 美琴はぼやきながら赤と黒で彩られた暖簾をくぐった。賑やかな喧騒と雑多な料理がかもしだす独特の匂い。そしてアルコールの香り。
 居酒屋独特の雰囲気に身を投じて周囲を見渡すと、はっぴを着た女店員が寄ってくる。
「おひとりですか?」
「いや、待ち合わせだから」
 手を振って店員を制すると、美琴は周囲に視線をめぐらす。この店にひどく不釣合いな存在は、すぐに見つかった。
 高校時代からトレードマークだった長い金髪を今は後ろで一本にまとめた、まだ少女の雰囲気を多分に残した若い娘。
 彼女、沢近愛理もまた、すぐにこちらに気付き、ジョッキを掲げた。
「美琴、こっち〜」
「おう」
 笑顔で手を上げると、美琴は早足で彼女に歩み寄る。
「座って座って」
「ああ」
 言われるまでもなく美琴は彼女の向かい側に腰掛ける。愛理が身につけているプリント柄の長袖Tシャツはシンプルなデザインだが、首に巻きつけたピンク色のストールは彼女の華やかな雰囲気によくそぐっている。
 隣の席にかけてあるウォッシュ加工のGジャンも絶妙な味出しだ。相変わらず何を着ても絵になる親友を、美琴は羨ましく思う。
 ハーフコートを脱いで隣の席に置くと、それを待っていたかのように店員がやってくる。
「生中ね」
「かしこまりました」
 簡潔に美琴が注文すると、カウンターへと向かい、待つほどもなくジョッキを手に戻ってくる。
「じゃあ、とりあえず乾杯な」
「うん」
 美琴がジョッキを掲げると、愛理もまたチューハイの入ったジョッキを掲げ、二人はそれを重ねる。
 一気に半分ほどを空けると、「ぷはっ」などと言いつつジョッキをテーブルに置き、料理に箸を伸ばす。
「結構久しぶりだよな。最近どうよ?」
「まあ、ぼちぼちかしらね」
 などと取りとめのない会話をかわしているうちに、たちまち美琴のジョッキは空になり、彼女は二杯目を注文する。
 それを一口飲み、美琴は真顔を親友に向けた。
「でさ、今日はどうしたよ、急に。つか、播磨との待ち合わせの時間調整か?」
「ん、半分正解かな。なんでそう思ったの?」
 彼女の問いに美琴は笑みとともに答える。
「場所が場所だろ。ここからあいつのマンションまで、歩いて五分じゃねえか」
「まあね」
「それに……」
「それに?」
「今日、あいつの誕生日だろ」
 美琴が言うと、愛理はわずかに目を丸くして、少し驚いたように言ってくる。
「へえ、知ってたんだ」
 かすかに訝しげな彼女の様子に頭を掻きつつ、美琴は答える。
「まあ、あいつの誕生日、覚えやすいからな。で、プレゼントはもう買ったのか?」
 その言葉を聞くと愛理は深くため息をつき、チューハイを数口煽る。
「それなんだけど、とんでもないものねだられちゃってね。困ってるのよ」
「うはは。まさかバージンよこせとか言われたか?」
 カラカラと笑った美琴は、愛理が顔を真っ赤に染めてうつむいたのを見て凍りついた。
「マジ……なのか?」
 数拍の間を置いて、愛理はこっくりと頷いた。
「美琴みたいに露骨な言い方はしなかったけどね」
「んだそれ」
 冗談めかして美琴が仏頂面を作ると、愛理はもう一度ため息をついて重い声で言う。
「一週間前なんだけどね。誕生日の夜に泊まってってくれって」
「そっか……」
 美琴は真顔に戻ってビールを一口飲み、テーブルに顎杖をついた。
「で、どうするんだ?」
「決心がつかないからあんた呼んだんじゃない。私たちの中では、あんたが唯一の経験者なんだから」
 言った愛理を見て、美琴は密やかに笑いつつ言う。
「そっかな? 晶はよくわかんないとこあるし、もしかしたらとっくに経験済みかもしれないわよ。それに天満は遠恋つっても彼氏持ちなんだから、やることやっちゃってるかもよ。私たちには何も言わないけど」
 そして美琴はわざとらしく深くため息をつく。
「もしかしてさ。私らの中で、未経験なのあんただけじゃないの?」
「ちょ、怖いこと言わないでよ」
 愛理が顔色を失うのを見てくすくすと笑い、美琴は真剣な表情で親友に向き直った。
「で、どうすんだ? つうか、あんた自身はどうしたいんだ?」
「うん」
 愛理はいくぶん手間取りながら鳥の軟骨を箸でつまむとそれを噛み締めながら言う。
「私はもう少し先でも……というか、そんなこと全然意識してなかったのよね。冷静に考えれば、そういうことあってもおかしくない時期なのかもしれないけど」
 チューハイをまた一口飲み、愛理はため息をついた。その様子をじっと見てから美琴は静かにサラダに箸を伸ばす。
「私にしてみれば、あんたが羨ましいけどね。やっぱ告白とかして、付き合い始めて、キスとかして、それで……ってのがほんとだと思うし。私の場合は順序が逆だったから」
 美琴が苦笑混じりに言うと、愛理は気まずそうに視線を泳がし、小声で一言言う。
「ごめん」と。
 それを聞くと美琴は大仰に肩をすくめ、ビールをあおったのちに答える。
「いや、別に後悔とかないし。今はこういうのもありかなって思ってるから」
「幸せ?」
 愛理の問いを聞いて、美琴は気恥ずかしさに頭をかく。
「正面切って聞かれると照れるけど。まあ、肯定かな」
「そっか」
 愛理は顎杖をつきながら箸をさまよわせ、視線を外したままで聞いてくる。
「最初のときって……その、どうだった?」
「しんどかったよ」
 美琴が即答すると、愛理の瞳に不安げな光が強くなる。それに気付かない振りで美琴は続けた。
「痛かったし、怖かった。まあ、私の場合、あのときは気持ちの整理ができてなかったってのもあるわけで。あんたたちの場合はそのへんは大丈夫だとは思うけど」
 今はまっすぐにこちらを見つめてくる親友の瞳を見返して美琴は言う。
「とにかく、最初のときから幸せだったとか、ましてや気持ちよかったなんてのは幻想だからな」
「そのくらいはわかるけど」
 物憂げにため息をついた愛理を見下ろし、美琴はできる限りの柔らかい口調で言う。
「まあ、深刻に考えなくていいと思うよ。私の見た限り、今の播磨はあんたにぞっこんだからさ。あんたが今回のこと断ったとしてもそれであんたに愛想尽かすとかないだろうし、逆にそういう関係になったからって付け上がったりとかも考えにくいしな」
 ビールを煽ったのちに美琴は続ける。
「クリスマスまで待ってもらうってのも手だと思うし」
 最後の言葉は聞こえなかったのだろうか。愛理は上気した頬に片手を添えて独り言のように呟いた。
「そっか。そう見えるんだ。ふーん」
 テーブルの料理がほとんど片付き、美琴が3杯目のジョッキを7割方飲み干したとき、愛理が前触れもなく携帯電話を取り出した。馴れた手つきでそれを操作すると、彼女はすっきりとした表情でそれを耳に当てた。
「私。今部屋? いつもの店で美琴と飲んでるのよ。出てこない? ――――わかった。じゃ、待ってるから」
 それだけ言って彼女は携帯を畳む。
「播磨来るのか?」
 美琴が尋ねると、愛理は微笑と共にうなずく。
「うん。5分で来るって。慌てふためいちゃって」
 幸せそうに微笑む親友の顔がひどくまぶしく見えて、美琴は無言でビールを飲み干した。
「そっか。じゃあ、私は行くわ。よろしく言っといて」
「ええっ!?」
 心外そうに愛理が身を乗り出してきた。
「なんで? せっかくだから会っていきなさいよ。変に気とか使うことないから」
 心底残念そうな愛理に後ろめたさを感じながらも、美琴は手のひらを振る。
「そうしたいってのもあるけど、ああいう話聞いた後だと照れくさくってさ。また今度、みんなで集まろ」
「……わかった。美琴、今日はありがとね。勘定は私が持つから」
「そっか? じゃ、遠慮なく。おやすみな」
「うん」


「ちくしょうめ」
 変わらない赤信号が恨めしい。愛理が逃げないことも、少しぐらい遅くなったところで本気で怒ったりしないことも知っている。だが、今、播磨拳児は一刻も早く彼女に会いたかった。
 腕時計を見る。銀色の文字盤を長短いくつもの針が彩る、オメガスピードマスターのデイデイト。
 大学生の左腕には不釣合いなそれは、大学の合格を賭けた勝負で絃子に勝利してせしめた思い出の品。
 9時を大きく回っているのを確認すると同時に、カレンダーが『NOV 31』となっているまぬけさに気付き舌打ちする。
 リューズを引っ張って『DEC 1』に修正する。時計から手を離して顔を上げると、横断歩道をはさんだ向こう側に彼女がいた。

 周防美琴。

 播磨にとって、ある意味大恩ある人物でさえある。あのとき、彼女が自分を拾って連れ帰ってくれなかったら。愛理と引き合わせてくれなかったら。今の自分たちはなかったかもとさえ思う。
 彼女もこちらに気付いたらしく、ぎこちなく手を振ってくる。
 播磨は、そこで待つように手振りで合図すると、信号が変わるのを待って駆け出した。
「んだよ、帰んのか?」
「ああ、ちょっとな」
 美琴は片頬で笑ったあとで真顔になった。
「とりあえずよ」
「お、おう」
 思わず自分も表情を引き締めた播磨に美琴はいかめしい顔つきのままで言った。
「スケベ」
「ぶっ!」
 派手に吹き出すと、播磨はすでに看板が見えている例の店を美琴の肩越しににらみつけた。
「あのやろう! 喋ったのかよ!」
「仕方ないだろ。女にとっちゃ不安なんだからさ」
 美琴が播磨の肩をポンと叩いた。
「沢近の奴、マジで悩んでたぞ」
「……」
 播磨は声もなくうつむく。自分の勝手な要求で彼女を苦しめていたのかと思うと罪悪感がつのる。
「あいつ、なんて?」
「さてな。どっちにしてもその答は沢近本人から聞くのが筋だろ」
「……ああ」
 グウの音も出ないとはこのことだった。播磨は、ほんの数ヶ月だけ自分より早く生まれた女を前にして、がっくりとうなだれた。
 美琴は、そんな彼に気を遣ったのか、軽くひじでこちらをつついて言う。
「おめーの気持ちもわかるけどな。行きなよ。待ちくたびれてる」
「ああ」
 深くうなずいて、播磨は足を踏み出す。そして思い出したように振り返って心から言う。
「ありがとうな」
 播磨の言葉に、美琴はただ、にいっと笑った。


 愛理の姿は、すぐに見つかった。
 出会った頃と変わらないあどけなさを宿したその横顔が憂いを含んでいることに気付き、播磨は胸が痛くなる。
「待たせたな」
「あ……」
 我に返ったように愛理が顔をあげた。無言で向かいの席に腰掛けようとすると、彼女が手でそれを制してくる。
「待って。出るわ。部屋で飲みなおしましょ」
「お?」
 絶句した播磨をよそに、愛理はレジに向かう。彼女の背中を見ながら播磨は頭を振った。
 部屋に行く=OKではない。これまでにも部屋には何度も通しているのだから。

 店を出て、二人は歩き出す。一陣の風が吹き、愛理がGジャンの襟元を合わせる。
「寒いわね」
 言って播磨のロングコートを羨ましそうに見る愛理。
「ほらよ」
 コートで愛理を包み込むと、愛理は嬉しそうに播磨の胸に頬を寄せてきた。
「拳児……」
 珍しく愛理が名前で呼びかけてくる。
「私のこと、好き?」
「そうでないように見えっかよ?」
 播磨がぶっきらぼうに言うと、愛理はふるふると首を振った。
「コンビニ寄りましょ。お酒はいくらもあると思うけど、つまみと……」
 そこで言葉を切ると愛理は軽くうつむいて言う。
「それから、朝食の材料買っていかないと」
「え?」
 固まった播磨を上目遣いに見て、愛理は続けた。
「明日の朝食は私が作るから」
「お嬢……」
 突き上げてきた愛しさに任せて愛理を抱きしめる。
(ずっと、大事にすっから……)
 その言葉を口に出して言えない自分がもどかしい。でも、気持ちは通じていると信じたい。
 愛理を抱く腕に力を込めて夜空を見上げる。
 ペガサスがまたたいていた。若い二人を導くかのように。

 〜Fin〜


夏ごろにほとんど書き上げていて、その頃から本編がおにぎり展開に入り、今こんなの公開できないじゃねえかとペンディングになっていたのですが、それが幸いして播磨の誕生日に合わせて公開することができました。お見合い編の話に関して播磨がコメントする部分は後付だったりして。なお、美琴の相手に関しては特に考えてはいませんw

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