シャッターチャンス
11月も終わりに近づいたある日の昼休み。
自分の席にひとり腰掛け、顎杖を付いてため息をつく男がいた。
端正な部類に入るであろう細面にメガネをかけたクールそうな男。
男の名は冬木武一。面倒見のいい気さくな男という一面よりも、エロカメラマン
として知られるもう一面のほうが通りがいいだろう。
彼は、困っていた。その理由は至極簡単。お金がないのだ。
先月、無理をしてカメラのレンズを買い足したのがまずかった。
現在の経済状況でそれをやることに躊躇がなかったわけではない。
お年玉が入るまで待とうと一度は決めたがそれではクリスマスにも元旦にも間に合
わない。
というわけで迷ったら買いという信念を貫いて財布の紐を緩めたものの、お金がない
という現実はあまりにも厳しい。
友人は多いほうだと思うが、金を貸してくれる気前のいい友人に心当たりはない。
「ま、カメラに散財した金だ。カメラで稼ぐさ」
ひとり呟いて彼は教室を見回す。
そういう視点で見ると、2−Cは素材の宝庫だ。
慎ましやかな美貌が人気の永山。文化祭以降需要がうなぎ上りの一条。健康的な
色気が売りの嵯峨野。マニア人気の高い大塚。そして、フェロモンのかたまり冴子。
だが、最終的に彼が目に留めたのは、その中の誰でもなかった。
静かに立ち上がると、冬木は友人たちと話し込んでいるその女生徒へと歩み寄ってい
った。
「沢近さん、少しいいかな?」
遠慮がちに声をかけると、彼女、沢近愛理は、美しい眉根をかすかに寄せてこち
らに目を向けてきた。
「なに?」
唇には穏やかな笑みを浮かべながらも、瞳にはわずかに警戒の色。
それを和らげるために笑顔を浮かべ、冬木は右手でカメラのシャッターを押す仕
草をしながら左手を拝むように立てる。
「放課後、少しだけ時間もらえないかな?」
「写真? なんでまた……」
「お恥ずかしい話で」
言って冬木は親指と人差し指で丸を作る。
「沢近さんの写真ならいくらでも売れるからさ。お礼はそれなりにするし」
「お礼なんて別にいいけど」
愛理はまんざらでもなさそうに小さく鼻を鳴らし、三人の友人を見回す。
「私たち、放課後はメルカド行って勉強することになってるのよね」
「そんなに時間はとらせないよ。30分ぐらいでいいから」
「うーん」
愛理は小首をかしげて小さくうなる。
彼女がちらりと教室の隅に視線を投げるのに気付き、そしてその先に誰がいるの
かを知って、冬木は思わず言った。
「沢近さんのそういうところ、すごくかわいいよ」
「はあ!?」
気色ばむ彼女に冬木は慌てて手を振る。
「い、いや、口説き文句とかそんなんじゃなくってさ。素直にそう思っただけ」
「ったく……」
小さく舌打ちをする愛理。すると、じっとこちらを見ていた愛理の親友の一人、
高野晶が口を挟んできた。
「行ってきたら? 気分転換にもなるかも知れないし」
「え?」
愛理が驚いたように彼女を見る。
「それってどういう……」
「別に。このところ、愛理、少しふさいでるように見えたから」
「そうだっけか?」
「私もそんな風に見えなかったけど。さすが晶ちゃん」
周防美琴と塚本天満が口々に言う。
愛理は無言で肩をすくめて、こちらを斜視で見てきた。
「キレイに撮ってくれるんでしょうね?」
「もちろんだよ。俺の腕は知ってるでしょ」
「変な写真撮ったら、承知しないからね」
「わかってるって」
冬木が胸を叩くと、愛理は小さく息をついた。
「いいわ。それなら放課後ね」
「助かるよ。恩に着る」
両手で愛理を拝んで冬木は深々と頭を下げた。
彼が立ち去ると同時に口を開いたのは高野晶だった。
「大した眼力だわ。愛理を選ぶなんて」
「ちょ、ちょっと気味が悪いわね」
顔をしかめる愛理をちらりと見て、晶は唇だけで笑う。
「そうじゃなくて。愛理の性格を読んでるってこと。おだてに弱くてこういう話には乗りやすい」
「ちょっと……」
「おまけに見栄っ張りで経済的にも余裕があるから謝礼を要求される心配もない。まさにうってつけの人材ってとこね」
「なっ……」
「うはは」
絶句した愛理にかわり、豪快に笑ったのは周防美琴。
「沢近、すっかり手玉に取られたってわけか」
「う、うっさいわね」
仏頂面で愛理は頬を膨らませる。それを見て天満も笑った。
「いいじゃない。愛理ちゃんが男の子に人気があるのは事実なんだから。写真、できたら見せてね」
「……そうね。たまにはこういうのも悪くはないわ」
ちらりと愛理が視線を走らせた先に、サングラスをかけた大男が居眠っているの
を、晶は見逃さなかった。
放課後。二人が向かった先は校庭の花壇。時代がかった一眼レフのカメラを見て、
愛理が物珍しげに言ってくる。
「それ、デジカメじゃないわよね? 最近、珍しくない?」
「ああ」
冬木はチタンの冷たい感触を楽しみながら答える。
「デジカメも使うけど、俺はやっぱりメインはこれだから。天気もいいしモデルも
いいし。絶好の撮影日和だね」
「そうね」
愛理はあっさりと冬木の言葉を肯定し、空を仰ぐ。
そんな彼女に小さく苦笑しつつファインダーを覗いていると、愛理が声をかけて
きた。
「で、私は何をすればいいの?」
「普通に。適当にくつろいでくれていいよ。こっちからある程度注文は出すけどさ。
沢近さんは適当に遊んでてくれればいいから」
「遊んでろって言われてもねえ」
ブツブツと言いながら愛理はその場でクルリと一回転する。
髪をかきあげてポーズをとる愛理に、冬木は苦笑した。
「もっと自然に。カメラ目線とか気にしなくていいから。うん、そんな感じで」
さまざまにポーズを変える愛理に、冬木は盛んに話しかける。
「試験近いのに、時間とらせちゃってごめんね。勉強のほうははかどってる?」
「ぼちぼちかしらね。古典とかはやっぱり厳しいけど」
「その代わり、英語は楽勝だろうから羨ましいよ」
「自慢にはならないけどね」
言いながらもまんざらでもなさそうな愛理。
「クリスマスは予定とかあるの?」
「うん。家のほうでパーティーに出なきゃいけないから。あなたは?」
「俺? 残念ながら今のところは予定なしかな」
「ふうん」
興味なさそうに愛理は鼻を鳴らす。
これは人によってそれぞれなのかも知れないが、冬木はこういう場合、できる限
りモデルと会話するように心がけている。
ひとつには、モデルをリラックスさせるため。そしてもうひとつは……ぶっちゃ
け女の子と話すのは楽しいからだ。それが愛理ほどの美少女ともなればなおのこと
に。
そして撮影は順調に進む。始めのうちは表情も硬かった愛理だが、冬木との雑談
が進むうちに表情がほぐれてきた。
調子が出てきたのか、花壇の前にしゃがみこんで花を見つめたり、まぶしそうに
手のひらをかざして太陽を見つめたり。
ポーズもさまになってきた。
「深呼吸してみて」
「こう?」
組み合わせた両手を前に伸ばし、愛理は大きく背中をそらす。雪白い喉笛を絶妙
なアングルで捕らえてシャッターを切る。
「そのままね」
角度を変えつつ立て続けにシャッターを切りながら、不意に冬木は言った。
「沢近さんの好きな相手って、やっぱ播磨なの?」
「な!?」
たちまちその場でつんのめり、愛理は素っ頓狂な声をあげた。
「あ、あんた、いきなり何言うのよ!?」
真っ赤に染まった愛理の顔を、すかさず冬木は激写する。
「沢近さん、恋してるでしょ?」
「な、なんで……」
「秋ぐらいから、すごくキレイになったから。俺にはわかるんだ」
「い、いい加減なこと言わないでよね」
必死に平静を装おうとする様子がやけにかわいらしく、冬木は夢中でシャッター
を切る。
「でもさ、わからないよ。播磨のどこがそんなにいいかな?」
「聞きたいのはこっちよ! なんで私があんなやつを……っ?」
慌てて言葉を切る愛理。冬木はひそやかに笑いつつ言う。
「告白はいつ? それとも待つの? どっちにしても沢近さんなら楽勝だろうけどさ」
その言葉を聞くと、愛理の顔からすーっと表情が消えていった。
美しいかんばせを伏せ、力なく彼女は唇を動かす。
「そんなことないわ。あいつの眼中に私なんてないし。それに私はもう……」
「沢近さん……」
沈黙した彼女は小さくうつむき、じっと自分の影をにらむ。
その瞳には悲しみの影。軽い突風が長い金髪を揺らしても彼女は微動だにしない。
こんな……こんな悲しく美しい表情を捉えるチャンスは二度とないだろう。
冬木は確信をこめてそう思う。
だが、どうしても。どうしても。指先が動かない。この表情を写真に収めること
は、ひどい冒涜のような気がして。
「ふう」と吐息をひとつ挟んで冬木はカメラを下ろす。
「お疲れ様」
「もういいの?」
愛理は深く息をついて、数秒顔を手のひらで覆った。
そして、しばし視線を宙にさまよわせたのち、思い切ったように言ってきた。
「ねえ、さっきの話、ほんとうなの? 恋をしてる女の子がわかるって話」
「……自分では、わかるつもりだよ」
冬木が答えると、愛理は小さな咳払いを挟んで口を開いた。
「そのね。一年の塚本八雲。知ってるわよね?」
「もちろんだよ。塚本さんの妹だしね」
「あの子、恋をしていると思う?」
「え?」
愛理をしばし見やったのち、冬木は尋ねる。
「なんでまた……」
すると、愛理はたちまち口ごもり、
「べ、別に。と、友達の妹なんだから心配したって当然じゃないの……」
「そっか。そうだよね」
「変な風に勘ぐってないでしょうね?」
「ないよ。で、なんだっけ?」
「あんたねえ……」
冬木がとぼけると、愛理がギリリと歯を鳴らす。たじろぎながら冬木は慌てて手
を振った。
「えっと、塚本八雲ちゃんね。恋……してると思うよ」
「そう……」
愛理の瞳が鋭く細まる。それをちらりと見て冬木は続ける。
「沢近さんほどわかりやすくはないけどね。まだ、自覚はないんじゃないかな。自分の感情に戸惑っているように見える」
冬木が言うと、愛理は頬を膨らませ、ちらりとこちらを見やってくる。
「そんなに私、わかりやすかった?」
その言葉に無言で肩をすくめ、冬木は一枚の写真を取り出して愛理に手渡した。
「これ、お礼になるかわからないけど」
「え?」
かすかに瞳を輝かせた愛理だが、写真の中身を見ると、失望の声を漏らす。
「なによ。私の写真? こんなのもらったって」
その写真は教室の風景。真剣な表情でシャープペンのお尻をくわえている愛理が
写っている。
そして、隅のほうにはかろうじて天満の顔が引っかかるように見て取れる。
「でも、いい表情してるでしょ。自分で持っててもつまらないなら播磨にでもあげたら?」
「わけわかんないこと言ってないで。あなたも恋人の一人でも作ったら?」
写真をヒラヒラと振りながら歩み去っていく愛理。
遠ざかっていく背中を見送りながら冬木は呟く。
「一本取られたか。まあ、お幸せに」
休日をはさんだ12月1日。1時限目が終了したあとの休み時間も半ば過ぎた。
愛理は、隣に座ったクラスメイトの顔を覗き込む。
仏頂面をサングラスで彩ったその顔も、昨日の狼狽振りを想い出すと失笑の対象
でしかないけれども。
それでも、ポケットの中に忍ばせた写真を握った指先は震える。
バカなことをしていると思う。こんなものを彼が喜ぶとは思えない。それでも…
…それでも、今日が誕生日だと知った以上、何もしないままに終えるのはイヤだっ
た。
意味もなく小さく咳払いして愛理は立ち上がる。播磨が座る席の前を横切りなが
ら、できるだけさりげなく、ポケットの中の手を抜き出すと、狙いたがわずその写
真は播磨の机の上にヒラヒラと舞い降りた。
「なんだこりゃ?」
それを拾い上げると鼻先にぶらさげて、眉をしかめる。
「ああ」
その声で気が付いたフリをして愛理は播磨に向き直った。
「こ、この間ね。ファンの人にもらったの。自分の写真なんてもらって私が嬉しいわ
けないのに。バカみたいでしょ」
「ふうん」
「た、ただのファンだからね。私ぐらいになるとそういう人もいるし。付き合ってると
か全然そんなんじゃないからね」
「へえ」
暖簾に腕押し状態の彼に苛立ちながらも愛理は言う。
「そ、そういえば、修治君に聞いたんだけど」
「は?」
「今日誕生日だってね。一応おめでとうって言っておくわ」
「お? サンキュな」
ぶっきらぼうに、しかし素直にお礼を言ってきたことにやや気をよくして、愛理
は切り出した。
「そうだ。ねえその写真、私が持っていてもしょうがないし、よかったらもらって
くれない? その……誕生日プレゼントってことで」
「はあ!?」
播磨はいぶかしげに愛理を見やり、あきれ果てたように言う。
「なんで俺がおめーの写真なんてもらわなきゃいけねえんだ?」
「っ!」
何気ないその言葉は、傷つきやすい愛理の胸をえぐるに十分な鋭さを内包していた。
「な、なによそれ……。人が……もういい!」
言って写真をひったくろうとしたとき、その手首に力強い手のひらが絡んできた。
「え?」
愛理に構わず、播磨は写真に顔を近づけてマジマジと見る。
「ヒゲ……」
「あのよ、お嬢」
「な、なに?」
ややバツが悪そうに視線を泳がせ彼は言ってきた。
「やっぱよ、この写真、もらってもいいか?」
「え?」
失望が大きかった分だけ、喜びがこみ上げてくる。それを必死に飲み下し、あく
まで平静を装って言う。
「な、なによ。欲しいなら最初から言えばいいのに。いいわ。あんたにあげる」
「そっか。サンキュな」
「う、うん」
そのまま写真に見入る播磨。その横顔を見つめつつ、愛理は頭の隅でもったいな
いなどとバカなことを思いつつ声をかけた。
「そのね。気持ちはわかるけど。そろそろ手を放してくれない?」
「お、わりぃ」
その言葉に従った彼を見下ろしながら、愛理は自らの手首を自ら握って喪失感を
補う。そして小声で呟く。
「誕生日おめでとう」
その声はとても小さく。愛理自身にすら聞こえなかったけれども。
歩き出したそのとき、不意に播磨が声をかけてきた。
「お嬢」
「な、なに?」
振り返ると、視線は写真に固定したままで、彼は言ってきた。
「昨日はありがとな」
「あ……」
思わず愛理は胸を押さえる。
「べ、別に、好きでやったことだから」
言ってからその言葉に別の解釈が可能なことに気付いて、愛理はひとり頬を染め
る。
ため息をひとつついて。静かに愛理は教室の扉へ歩を進める。扉を目前にして振
り返ると、彼はまだ写真を見つめていて。
教室を出ると中を覗き込む。まだ彼は写真を見つめている。
「よし」
小さくガッツポーズをとる愛理。
「なにが?」
「きゃあ!」
突然背後から声をかけられ、愛理は文字通り飛び上がった。
「あ、晶。びっくりするじゃないの」
「私のほうこそ愛理の声にびっくりしたんだけど。どうしたの?」
「な、なんでもないわよ。そ、それよりトイレ付き合いなさいよ」
「私、今戻ってきたところだけど。それに、もう授業始まるわよ」
「付き合い悪いわねえ」
ぶつぶつとごちると立ち去っていく愛理。
その背中を一瞥したあとで教室に入ると、晶は当然のように播磨に目をやる。
何かの写真を凝視している彼に気付いて静かに後ろに回りこんだ。
その写真の中身を見て、晶は全てを悟った。
愛理が嬉しそうだった理由も。播磨がそれを受け取った理由も。
播磨のサングラスの奥の視線は、恐らくは愛理には向けられてはいない。
それはきっと、写真の片隅に写るもうひとりの少女に……。
それを思うと晶の胸はわずかに軋む。
しかし、と晶は思い直す。
播磨の視界の隅には自然と愛理の姿も映ることだろう。そしてなにより愛理の写
ったその写真を播磨は大切にするはずだ。
そう考えれば、愛理の心も少しは救われる気がする。
きっと。きっと播磨は、その写真から愛理を切り離すようなマネだけはしないは
ずだから。
晶は根拠もなく確信した。
〜Fin〜
本編の♭35からのネタです。こんな話があったらいいなと。05年最後の作品に
なりそうです。というか間違いなくなります。しかし、私は結構冬木が好きなようで。
気が向いたらつむぎとの話とかも書いてみるかも。
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