SHOW THE FLAG
男はいつものように、昼休みのときを屋上でひとり過ごしていた。
オールバックの黒髪にハードなサングラス。矢神高校でも札付きの不良。
播磨拳児。
それが彼の名だ。11月も終わりに近づき肌寒い風が吹くが、それを気に留める風もなく、彼はただ空を見上げる。無意味に青い空がサングラス越しでも眩しい。
目を細めようとしたとき、背後に人の気配を感じ、彼は振り返った。そこに憧れの少女の姿を見つけ、彼は破顔した。
塚本天満。
播磨のクラスメートにして数年越しの憧れの人。彼女は歳不相応な童顔いっぱいに笑顔をたたえ、小さな包みを差し出す。
「播磨君、もうすぐ誕生日だよね。はい、これ」
「あ、ありがとよ」
ニヤけそうな顔を必死に引き締め播磨はそれを受け取る。
「てん……いや塚本。これ中身なによ?」
「ヒゲ」
「は?」
天満の思いがけない回答に、播磨は間の抜けた声を出した。
「ヒゲって?」
「だからヒゲ」
「つ、塚本、やっぱヒゲが好きなのか?」
「ヒゲ」
「ヒゲ」
「ヒゲ」
壊れた機械人形のように同じ言葉を連呼する天満。
「おい、塚本……」
「ヒゲ!!!」
ひときわ大きな声が今度は耳元から聞こえた。
「おわっ!!」
あまりの声に体勢を崩しそうになる播磨。同時に目の前がブラックアウトする。
「ヒゲ!!」
繰り返し、耳元で声。頭を振りながら身を起こす播磨。
彼がいたのは変哲もない昼休みの教室。そして、両手を腰に当てて彼を睨み付けているのはクラスメートの沢近愛理。
長く美しい金髪を両サイドでまとめ、金色がかった薄茶の瞳に強い光をたたえたその少女の姿に播磨はじっと見入る。
そして彼は厳かに言った。
「おまえじゃない」
「なにわけわかんないこと言ってんのよ!!」
帰ってきたのはけたたましいわめき声。播磨は小指で耳をほじりながら鬱陶しげに言う。
「で、俺の素晴らしい夢を邪魔した理由はなんだ?」
「どうせろくでもない夢なんでしょ。で、明日の土曜日、暇よね?」
「暇じゃねえよ」
「で、買い物に付き合って欲しいのよ。今回は気合入れるから荷物持ち欲しいのよね」
「いやだ。つうか話聞け。暇じゃないつってんだろが」
「だって嘘でしょ」
「う……」
図星を指され沈黙する播磨。気を取り直してそれでも反論を試みる。
「だいたいなんで俺なんだよ。おめーならいくらでも喜んで手ぇ貸してくれる男いんだろが」
その言葉を聞くと、愛理はわかってるじゃないとばかりに満足げに鼻を鳴らす。
「まあね。でも、そういう人たちはダメ。私に誘われただけで舞い上がっちゃってその気になっちゃうから。あんたなら少なくともそういうことないでしょ?」
「むう」
納得しかけた播磨だが、我に返って再び反論。
「じゃなくて、だいたいなんで俺が……」
何かを言いかける彼の耳元に唇を寄せ、愛理は甘い声で囁く。
「お願い。ハ・リ・オ」
その言葉に播磨の顔がピキーンと硬直した。
「お嬢。てめ……」
サングラス越しに睨み付けてくる播磨を涼しい顔で見下ろし、愛理はニヤニヤ笑いとともに言う。
「あんたにあんな趣味があったなんてねえ。みんなにばれたら怖い不良のイメージが消し飛ぶでしょうねえ」
「ぐ……」
「さ、ファイナルアンサーは?」
愛理の言葉をかき消すように播磨は平手で机を叩く。周囲の視線が集中するのにも構わず彼は言った。
「わぁったよ。付き合うよ、付き合やいいんだろ!!」
「バ、バカ、そんな声で……」
頬を赤らめながら周囲に目をやり、愛理はそそくさと言う。
「と、とにかく、詳細はあとで連絡するからちゃんと携帯電源入れときなさいよ。いいわね」
言って早足で播磨の机から離れる愛理。そんな彼女を案の定クラスメートたちが取り囲む。
「沢近さん、とうとう播磨君と付き合うの? 沢近さんから告白したわけ?」
真っ先に聞いてきたのは嵯峨野恵。
「ち、違うわよ。単に明日の約束をしただけで……」
「デートの約束? いいなあ」
羨ましそうに突っ込んだのは結城つむぎ。
「だから〜」
言い訳に終始する愛理を冷ややかに見ながら、播磨は重大なことに気付いた。
(天満ちゃん! 天満ちゃんは!?)
彼女に聞かれたら最悪なことになる。必死に周囲を見回す播磨。
好奇心たっぷりな女子やそれプラス敵愾心を含んだ男子たちの姿がいくつも目に入ったが、幸いなことに天満の姿はない。
彼女だけでなく、美琴や晶の姿もなかった。恐らく愛理も含めた4人で外へ出て、愛理ひとりが抜け出してきたと言うところなのだろうが、播磨にとってはどうでもいいことだ。
ただひたすら、今日の顛末が天満の耳に入らないことを祈る播磨だった。
買い物の手伝いは予想以上にハードだった。
デパートに入ってからすでに2時間を経過し、播磨の両手には計7つの紙袋があったが愛理の購買意欲はとどまるところを知らない。
しかも買い方がハンパではないのだ。比較的廉価なスウェットやニットをまとめ買いしたかと思えば、ドルチェ&ガッバーナのジャケットだのヴェルサーチのスカートだの、ありえない値段の物件にもおしげもなく金を注ぎ込む。
当然季節柄冬服ばかりなので余計にかさばるという罠もあり、播磨はグロッキー寸前だった。
「ねえ、ヒゲ。これ、どっちが似合うと思う?」
珍しく愛理が意見を求めてきた。彼女が手に持っていたのは黒いスエードのジャケットと茶色い本皮のハーフコート。播磨に分かるのはその2つがどちらも値が張る物件だと言うことだけで、それ以外のことには興味もない。
「黒い方でいいんじゃね?」
「ふんふん」
そっけなく播磨が言うと、愛理は2度頷き、店員を呼ぶ。
「すいません、これ両方ください」
「おい!」
「おめーぜってーなめてんだろ」
さらに重くなった荷物を必死に抱えながら播磨が言うと、愛理はニコニコと応える。
「まあ、細かいことは気にしない。男の子でしょ、ハリオ」
「ハリオはやめろ!」
肩をすくめただけで播磨の怒声をやり過ごし、愛理は思い出したように手を伸ばして紙袋のひとつを播磨から受け取る。
「これはとても高いものだから、あんたには任せておけないものね」
「だったら最初から執事でも使っとけ」
ほんの少し荷物が軽くなったことにほっとしながらも播磨は怒鳴る。
「ナカムラは今日は別口の用事があるのよ。まあ、もう迎えに来てる頃だから安心しなさい。それ持ったまま電車で帰れとか言うほど私も鬼じゃないし」
「もうすでに十分鬼だがな」
そんなやり取りをしながら2人はエレベーターに乗り、地下駐車場へと向かう。
通用口を抜けると上客専用らしいスペースに黒塗りのリムジンがすでに到着していた。
「お疲れ様でした、お嬢様」
黒いタキシードの男、ナカムラが恭しく頭を下げる。
「そいつは疲れてねえと思うぞ」
「播磨様もお疲れ様でした」
彼の憎まれ口にも眉ひとつ動かさず、ナカムラは播磨にも丁寧におじぎをし、彼の持っている荷物をてきぱきとリムジンに詰め込んでいく。
「ふあ、生き返るぜ」
身軽になってほっとした表情で両腕をグルグルと回す播磨。そんな彼を見つめたあと、愛理はナカムラに視線を移して言う。
「ナカムラ、あれ、持ってきてるんでしょうね?」
「もちろんでございます」
軽く頷くと、愛理は播磨に視線を戻す。
「ヒゲ。今日はお疲れ。ってことで、ちょっとしたご褒美をあげるわ」
「ん?」
眉根を寄せる播磨をよそに、愛理はナカムラからなにかを受け取ると、それを播磨に差し出す。
「!?」
愛理が差し出したのは黒い本皮のダブルタイプのライダーズジャケットだった。タグに刻まれているブランド名は聞いたことのないもので、従って何十万もする代物ではないだろうが、ぱっと見にも作りはしっかりとしており、それでなくともこの手の品物が2万3万で買える物ではない事ぐらいは播磨も知っている。
「これいくらだよ?」
硬い声で尋ねる播磨に愛理は涼しい声で答える。
「ああ、気にしなくていいわよ。こんなの私にとっちゃほんの小遣い……」
「ふざけんな!!」
播磨の怒声に息を飲んで愛理は立ち尽くす。
「こんなもんを俺が喜んで受け取るとか思ったのかよ!? 見くびんな!! ちょっとしたご褒美? ほんの小遣い? やっぱおめーは俺とは住む世界がちげーよ」
コンクリートを蹴ると彼は愛理に背中を向けた。そのまま立ち去ろうとする彼に少し慌てたように愛理が声をかけてくる。
「ちょ、ちょっと……」
足だけ止めて振り返らずに播磨は言う。
「少し前にもおんなじように女友達の買い物に付き合ったことあってな。そのときにはTシャツをもらった。おめーから見れば鼻くそみたいな安物さ。だけど心はこもってた。今日だっておめーがそういうのくれたら俺は笑って受け取れたと思うぜ」
「播磨様」
沈黙を守っていたナカムラが、半歩足を踏み出す。それを遮るようにして愛理は言う。
「あんたがいらないと言うなら、無理に受け取ってもらう必要もないわね。お疲れ」
「ふん」
鼻を鳴らして播磨は歩き出す。手ぶらにも関わらず、彼の足取りは先ほどよりも遥かに重たげだった。
「ちくしょう! なんだってんだよ!!」
スラックスのポケットに両手を突っ込み、歩道を歩きながら彼は苛立たしげに呟く。
「金持ちだからってあんなもんを嫌みったらしく。お駄賃とか言われてホイホイ受け取れるかよ。バカにしやがって」
だが、言いながらも彼の脳裏に浮かんでくるのは愛理の顔ばかりだった。いわれのない罪悪感に蝕まれながら彼は一人愚痴る。
「俺は悪くねえぞ、くそったれ!」
「いいえ、あなたは最悪よ」
その言葉は唐突に背後から聞こえてきた。振り返ろうとした瞬間、背中に冷たく硬いものが押し当てられる感触。
氷のような声でその女は続ける。
「振り向いてもいいわよ。その時は遠慮なく撃つから。勘違いしないでね。私はものすごく腹を立てているの。あなたを撃ちたくて仕方がないの。でもそんなことはしたくない。彼女はそんなこと、決して望まないと思うから」
「誰だ、てめえ?」
播磨の問いかけを無視して彼女は言う。
「もう一度言うわ。あなたは最悪よ。嘘だと思うなら今夜零時。矢神橋のドコストアに行ってみなさい。あなたは自分自身を呪うことになるわ」
「どういう意味だ?」
「必ず行きなさい」
唐突に銃口らしき感触が消える。恐る恐る振り返った播磨の目に映ったのは、なんの変哲もない街の風景だけだった。
夜零時。謎の女に言われるままに播磨は矢神橋にいた。やけに冷たい風が吹き、MA−1タイプのブルゾンをも貫いて彼の肌を抉る。
ドコストアはもう目の前にある。別にコンビニに入るのに緊張することもない。にも関わらず、彼の鼓動は知らず速くなる。
「ここになにがあるってんだ?」
扉を開き、一歩足を踏み入れる。目に入ったのは棚を整理している女店員の姿だった。
正確に言えば特徴のある二つに縛った金髪だった。
「いらっしゃいませ〜」
愛想のいい声とともに彼女が振り向く前に、播磨は脱兎のごとく店から脱出していた。荒く息をつきながら、播磨は自問する。
「あれ、どう見てもお嬢だったよな? なにやってんだ、あいつ?」
どう考えても導かれる結論はひとつしかない。だが、それを認めるということは、自分の行為があの女が言ったとおり最悪だと認めることになる。
「くそったれ!!」
苛立ちを拳にこめて壁に叩きつける播磨。痛みを噛み締めながら彼は胸中で呟く。
「違うよな、お嬢じゃねえ。俺だよ。俺は何をした?」
自分が何をしたのか、どうすればいいのか。その結論を導き出すには、彼はあまりにも若すぎた。
「失礼しま〜す」
「お疲れさま〜」
引継ぎの男店員が満面の笑顔で手を振るのに愛想笑いで応え、愛理は店を出る。すでに時間は午前1時を回っている。
一陣の寒風が吹き、愛理は思わずコートのファーを掴んで襟元で合わせた。
夜空を見上げながら、彼女はひとり愚痴る。
「なにやってんだろ、あたし。もう、こんなバイト、なんの意味もないのに」
人影も少ない夜道を愛理はとぼとぼと歩く。いつもならナカムラのリムジンが迎えに来る時刻だが、その気配もない。
「なにやってんだろ?」
先ほどとは全く違う意味で同じ言葉を呟き、彼女は携帯電話を開く。そのとき、背後からエンジン音と車の気配が近づいてきた。
「ナカムラ?」
エンジン音がまるで違うことをいぶかしみながら振り返った愛理が見たのはやけに古く、そして下品な改造が施された国産大型セダンだった。
歩道にいる愛理に並んだ瞬間、セダンの後部ドアが開かれ、ひとりの男が飛び降りてきた。
「!?」
悲鳴をあげるいとまさえなかった。口を塞がれ、気が付いたときには、もう愛理はそのセダンの後部座席にいた。
「っしゃあ! ゲットぉぉぉ!! しっかし、こいつほんといい女だよな。取引に使うだけじゃ割りに合わねえ。アジト戻ったら楽しもうぜ!」
愛理を抱きすくめた短髪の男が狂喜の声をあげる。なめるようにじっくりと愛理を見つめ、不意に我に返ったように叫んだ。
「って、なにやってんだ! とっとと出せよ!」
「あ……ぁ……」
運転席にいる金髪の男は、ルームミラーを見つめたまま硬直していた。エンジンがフル回転する音だけが異様に響くが、車が発進する様子は一向にない。
「何だ? うげっ!!」
短髪の男も振り返って絶句した。
(なに?)
不自由な体勢ながらも無理やりに振り返って愛理は驚愕に目を見開いた。スモークガラス越しに見えるのはオールバックとサングラス。見間違えようのない播磨の顔だった。
そしてその顔は鬼のように険しく引きつっている。両腕は下に、まるで何か重いものを持ち上げているかのように。
(まさか?)
疑う余地はなかった。播磨が車の後部を持ち上げているために、後輪が空回りして車が発進できないのだ。
(どうしてヒゲが? ありえな……てゆーか、どうすれば? いくらヒゲでもこんなの続くわけないし、そうしたらどういうことに?)
自分のなすべきことを整理するまで0.3秒。それを実行に移すまで0.2秒。すなわち0.5秒後には愛理はそれを実行していた。
自分を戒めている男の手に思いっきり噛み付いたのだ。
「てっ!!」
播磨の姿に見入っていた男が、突然の痛みに悲鳴を上げる。腕の力が緩む。
力では男にかなわなくても、元より愛理は運動神経に優れ、なによりも機転が利く。
左手でドアハンドルを引っ張り、右手で男を突き飛ばして振りほどく。ドアロックがかかっていないことは確認済み。
男を突き飛ばした反動も利用してドアに体当たりをかまし、車外に飛び出す。アスファルトに叩き付けられる激痛を覚悟した瞬間だった。黒い影が愛理の下に滑り込んだのは。
愛理を抱きとめたのはとても硬く、だがアスファルトより遥かに優しく暖かい感触だった。
「怪我はねえか? お嬢」
「ヒゲ!」
思わず泣き出しそうになる愛理をそっと押しのけるように播磨は立ち上がる。
「話してえことはいろいろあるが、その前にやることがあるんでな。そこで見物してな」
身を起こした愛理が播磨の肩越しに見たのは、先ほどセダンに乗っていた2人の男だった。
「ざけたマネしやがって。ぶっ殺してやるぜ!!」
運転席にいた金髪がわめく。その右手には不気味に光るフォールディングナイフ。
だが、播磨は冷徹な声で言う。
「奇遇だな。俺もてめえらをぶっ殺したくてしょうがねえんだよ。来い、ゴルァ!!」
「!?」
愛理が息を呑んだのは、播磨の怒声が本物の殺気を孕んでいたから。教室で日常的に聞いていたそれとは根本的に違う。
「うがぁ!!」
その怒声に釣られたように金髪がナイフを振りかざして襲い掛かってくる。播磨もアスファルトを蹴った。
男のそれを遥かに凌駕する速度で一瞬に間合いを詰める。
「な!?」
泡を食った男が突き出したナイフを、首を振ってよける。紙一重で避けるはずだったであろうそれがわずかに頬をかすめ、鮮血が散ったのは播磨が怒りに我を忘れていたせいだろうか?
「ウォラ!!!」
だがその痛みに気付いた様子すらなく、播磨はカウンター気味に右ストレートを繰り出していた。そしてそれは正確に男の左頬を砕く。
「げひゃ!!」
一撃で崩れ落ちそうな男の髪を掴み、播磨は容赦なくその顔面に渾身の右膝をめり込ませる。
「……ぁ」
言葉もなく、失神する男。だが、鬼神の怒りはとどまるところを知らない。
「うりゃあああ!!!」
男の襟を片手で振り回すと、播磨はその体をぼろ雑巾のようにアスファルトに叩きつけた。
「ひあ……ぐふっ……」
激痛で意識を取り戻したらしい男が断末魔のように痙攣する。骨折箇所は2箇所や3箇所ではないだろう。守られているはずの愛理が戦慄を覚えるほどにそのシーンは凄惨だった。
「て、てめえ……」
怒りと恐怖に満ちた声のほうを見やって愛理は硬直した。短髪の男の右手には拳銃が。そしてその銃口は播磨に向けられていた。
「なにもんだ、てめえ? ぶっ殺してやりてえが、んなことしたら俺も上のもんにシメられる。大人しく女ぁ渡せ。したら、命だけは許してやるぜ」
「わ、わか……」
言って足を踏み出す愛理を押しとどめたのは播磨だった。愛理を庇うように立ち、サングラスの奥の瞳を男に突き刺す。
「殺してみろよ。そんなおもちゃで俺を殺せると思……っ?」
播磨の語尾をかき消すように銃声が響いた。同時に播磨の足元のアスファルトが火花を散らす。
「わかったか? これはおもちゃじゃねえ。もう一度言う。女を渡せ」
その言葉を聞くと、播磨はサングラスの位置を直し、改めて男に視線を突き刺した。
「なら俺ももう一度言うぜ。そんなおもちゃで俺を殺せると思うな」
「バカヒゲ! なに言ってんの!?」
思わず播磨のブルゾンを掴み、愛理は叫ぶ。
「殺されちゃうわよ! あんたが死んだら私……。もういいから、十分だから……逃げて! お願いだから……。お願いだから!!」
「るせえ!!」
愛理の懇願に、播磨は怒声で応えた。
「俺はもう決めたんだよ! おめーを守るって。俺はおめーをぜってえ誰にも渡さねえ。誰にもだ。わかったら素直に守られとけ!!」
「…………はい」
毒気を抜かれたように呟く愛理。こんなときなのに頬が紅潮し、鼓動が早まるのがわかる。
(誰にも渡さないって……守ってくれるって、それだけの意味だよね? だけど、なんで? なんでこんなに?)
「てめえら……」
男の声に愛理は我に返る。
「もういい。ぶっ殺す」
男の指に力がこもり、播磨が反撃に備えて足をたわめる。
「っ……」
両手を硬く組み合わせて愛理が神に祈ったその瞬間だった。
音もなく、男が崩れ落ちたのは。
「なに?」
あっけに取られる愛理。そして崩れ落ちた男の影から現れたのは見慣れた顔だった。
「ナカムラ!」
「遅くなって申し訳ありませんでした、お嬢様」
深々と頭を下げるナカムラ。
「なんだよ、そりゃ……」
脱力したようにしゃがみ込む播磨。そんな彼に歩み寄ると、ナカムラはいつもより丁寧に腰を折った。
「お嬢様を守って頂いたこと、心より感謝いたします。ありがとうございました」
「ナカムラ……」
無意識のように呟いた愛理にもう一度頭を下げ、ナカムラはいつの間にか近くにあったリムジンのトランクを開ける。
そこに二人の暴漢を乱暴に放り込み、堅い口調で播磨に言う。
「私はこれからこやつ等を処理せねばなりません。お嬢様のこと、お願いしてもよろしいでしょうか?」
播磨は夜空を仰ぎ見て、吐息交じりに答える。
「いいぜ。どうせ乗りかかった舟だ」
その言葉に深々と腰を折り、ナカムラは運転席に向かう。
「ちょっと待って」
そんな彼を呼び止め、愛理は播磨に視線を送りながらもナカムラに歩み寄る。
「あんた、もしかしなくてもずっと見てたんでしょ?」
「なんのことやら、私めにはさっぱり」
愛理の囁きに鉄面皮のままで答えるナカムラ。愛理は諦めたようにため息をついた。
「まあ、いいわ。あとのことはよろしくね」
「お任せください。それからお嬢様」
「なに?」
「ご健闘をお祈りいたします」
「!!」
たちまちのうちに愛理の顔が朱に染まる。
「バカなこと言ってないでさっさと行きなさい!!」
「失礼いたしました」
平然と答え、踵を返すナカムラ。リムジンが走り去るのをじっと見つめていた愛理は、頭の上に大きな手のひらが置かれる感触にきづいて振り返る。
「行こうぜ、お嬢」
「……そうね」
播磨の言葉に短く、しかし万感の想いを込めて、愛理は応えた。
「そこを左」
「おう!」
タンデムシートの愛理が言うと播磨はバイクの車体を傾け、十字路を左に折れた。すると、個人の邸宅であるとは信じがたいような巨大な門が見えてくる。
バイクを止め、播磨はサングラスをいじりながら邸宅の全容を見つめる。
「ここかよ。とんでもねえな」
「まあね」
呆れ果てた様子の播磨に答えて愛理がタンデムシートから降りる。
「じゃあ、もう大丈夫だな」
「うん……」
愛理にしては歯切れの悪い声。幾分うつむいて彼女は静々と切り出す。
「あのねヒゲ。私、素直に謝ったり、お礼言ったりするの凄く苦手で……」
「知ってるさ」
播磨の返答を聞いて、愛理はかすかに笑った。
「とにかく、今日は本当にありがとう。あんたの顔見たとき、死ぬほど嬉しかった」
「気にすんな。おめーが拉致られそうなの見て、ぶち切れただけだからよ」
「……うん」
播磨の言葉を聞くと、愛理ははにかんだようにうつむく。一瞬、嬉しそうに、本当に嬉しそうに微笑んだ後、愛理は視線を上げた。
「血、出てるわ」
「こんなのなんでもねえよ」
手の甲で頬のそれを拭う播磨。
「んじゃな」
言ってスロットルをふかそうとする播磨の手を、愛理はそっと掴んだ。
「意外と普通の部屋なんだな」
愛理の私室に通された播磨は、部屋のあちこちを見回す。
「そう?」
「ああ、俺はまた天井付きのベッドだの動物の剥製だのあるのかと思ってたぜ」
「んなわけないでしょ」
苦笑しながら愛理は食器棚から2つのティーカップを取り出しながら冗談めかして言う。
「ありがたく思いなさいよ。この部屋に男の子通すのなんて初めてなんだから」
「そか。そうだな」
言っていきなりベッドに腰掛ける播磨。
「ちょ……」
「ん?」
首をかしげる播磨を軽く睨んでから、愛理は軽く肩をすくめて背中を向けた。彼のために紅茶を入れながら愛理は胸中で愚痴る。
(ったく、ソファもあるってのに。普通女の子の部屋に入っていきなりベッドに座る? まあ、あいつらしいと言えばそうだけど)
2つのティーカップをキャリー付きのサイドテーブルに置き、愛理はそれを播磨の前に運ぶ。
「サンキュ」
短く言うと播磨は紅茶を口元に運ぶ。
「ほう、いい匂いじゃねえか」
「わかる? 最近紅茶に凝っててね。これはスリランカの農家から直接取り寄せたの」
「へえ。金持ちはやることが違うな」
ゴクリと紅茶を飲み、播磨は不思議そうに言う。
「んで、おめーなにやってんの? 俺が言うのもなんだけど座れよ」
「……そうね」
愛理は渋々と言った感じで播磨の横に腰掛け、自分のティーカップに手を伸ばす。
数口それを飲んだのち、ティーカップを覗き込みながら愛理は尋ねる。
「ねえ、ヒゲ。なんであんたあんなとこにいたの? バイトのこと、私誰にも話してないのに」
「ああ」
播磨はカップを置くと静かに答える。
「昼間、おめーと分かれた後、変な女に銃突きつけられてよ。夜、ドコストアに行けって言われてな。バイトしてるおめー見たときは驚いたぜ」
「そーなんだ」
愛理は天井を見上げて小さく微笑んだ。
(余計なことしてくれちゃって)
「ところでな、お嬢」
「なに?」
「俺を無理やりここに引っ張り込んだ理由ってなんだっけか?」
播磨の言葉を聞いて愛理は赤面した。
「引っ張り込んだとか人聞きの悪いこと言わないでよね」
言ってすくりと立ち上がると、数秒後には救急箱を持って戻ってくる愛理。
播磨の隣に腰掛けると、早口で言う。
「ほら、傷口見せなさいよ。なによ、もう血止まってるし。こんな傷ぐらいで大騒ぎして」
「騒いでるのはおめーだ!」
その言葉を聞き流して、愛理は救急箱から絆創膏を取り出す。
「ほら、じっとしてなさい」
「お、おう」
幾分緊張の面持ちで視線をそらす播磨。そんな彼に愛理はぺたりと絆創膏を貼り付ける。
「これでよしっと。うん男前になったじゃない」
にっこりと笑った愛理を横目で見て、播磨はふいに真顔になる。
「なあ、お嬢」
「ん?」
冷めかけた紅茶を飲み干すと、播磨は言いにくそうに切り出す。
「あの皮ジャンな。おめー、バイトで貯めた金で買ってくれたのか?」
「……」
愛理は不機嫌そうに視線をあさってに泳がせ、ぶっきらぼうに言う。
「だとしたら?」
「すまねえ!」
深々と頭を下げた播磨を見て愛理は目を丸くする。
「俺、ひでえこと言っちまった。ほんと……」
言いよどむ播磨の肩を叩いて、愛理は言葉をさえぎる。
「もういいのよ。私も非常識だったわ。ちょっと驚かしてやろうっていたずら心だったんだけどね」
「お嬢……」
「初めてじゃないのよ、ああいうことしたの。前にも同じことしてお父様にプレゼントしたことがあるの。今回は値段の張るものがリサーチに引っかかったからあせったけど、まあ、意地みたいなものね」
言った彼女を不思議そうに見つめた後、ひとつの咳払いを挟んで言いにくそうに播磨は言う。
「あのよ。こんなこと言えた義理じゃねえっての百も承知で言うんだけどよ」
「ん?」
「あの皮ジャン、やっぱもらってもいいか?」
その言葉を聞くと、愛理の表情がぱっと輝いた。そして緩む表情を無理やりに意地悪げな笑みに変えて斜視で播磨を見る。
「ほんと言えた義理じゃないわよね」
「めんぼくねえ」
「まあ、いいわ。あんなのお父様にも合うとは思わないし。持ってきてあげるから、大人しく待ってなさい」
「すまん」
ゆっくりとした足取りで部屋を出ると、愛理は後ろ手でドアを閉める。そして、
「Gotcha!!」
小声で言うと、大きくガッツポーズを取った。
「ふうん、似合うじゃない」
ジャケットに袖を通した播磨を見て、愛理は感心したように言う。大きな姿見に自らの姿を映し、播磨は首をかしげる。
「だけどよ、自分で言っといてなんだけどほんとに貰っちまっていいのか? 埋め合わせとか……」
「そうね。それじゃ約束して」
「なんだよ?」
警戒の様子を見せる播磨を微苦笑で見て、愛理は言う。
「今日みたいな無茶、二度としないって」
それを聞くと、播磨は照れ隠しのように不機嫌そうな声で答える。
「いいじゃねえかよ、別に。俺の勝手だ。俺が死んだところで誰も泣いてくれる奴なんていねえし」
「泣くわよ」
「は?」
「私、こう見えて凄く涙腺緩いのよ。もしあんたが死んだら、絶対泣く自信あるから。だから、二度とそんなこと言わないで」
「……ありがとよ」
とても小さな声は、しかしはっきりと愛理の耳に届いた。
「お嬢。おめーも気を付けろよ。まあ、おめーがさらわれるような事があったら、すぐに俺が助けに行くがな」
「え?」
思わぬ言葉を聞いて、愛理ははにかんだようにうつむく。そんな彼女に背中を向け播磨は真剣な声で言う。
「犯人を」
「なによそれーー!!」
思わぬオチに、怒りのシャイニングウイザードならぬドロップキック。それがまともに播磨の背中に決まる。
「ぐおっ!!」
まともにカーペットに突っ伏し、激しく痙攣する播磨。
「ったく、期待させるんじゃないわよ」
パンパンと手を払い仏頂面で播磨を見下ろす愛理。助けを求めるように右手を差し出し、ぶるぶると震える彼を見て、愛理は眉をひそめる。
「なによ、大げさ……」
言いかけて愛理は息を呑んだ。
「まさか!」
播磨に駆け寄ると愛理は彼のジャケットに手を伸ばす。
「ヒゲ! 服脱ぎなさいよ!!」
「ま、待てお嬢。それはいくらなんでも気が早すぎるぞ。俺たちはまだ結納も……」
「ふざけたこと言ってんじゃないわよ!」
本気で服を剥ぎ取りにかからない剣幕の愛理を見て、焦ったように播磨が言う。
「わかった、わかったからちょっと待て」
愛理を手で制して、播磨はジャケットとスウェットを脱いでタンクトップ一枚になる。そんな彼に肩を貸し、ベッドへと連れて行く愛理。
「そのままでいいから、そこに横になって」
「ああ」
ベッドにうつ伏せになる播磨。愛理は少しだけ震える指で、タンクトップを捲り上げていく。
最初に目に付いたのは背中を斜めに走る大きな古傷。播磨から直接ではないが、愛理はこの傷のことを少し聞いたことがある。
愛のメモリーとか名誉の負傷とか。
それを聞いたときには鼻で笑った愛理だが、今ならわかる。きっと今日のように誰かを守ろうと負った傷なのだろう。そしてその誰かこそが、播磨の本当に好きな相手なのだろう。
それを思うと愛理の胸はちくりと痛む。
(だけど……)
さらにタンクトップを捲り上げていくと肩甲骨の辺りに拳大ぐらいの痣があった。愛理を抱きとめたときにどこかで打ったのだろう。
その痣に指を這わせながら愛理は思う。これは私を守るために刻まれた傷なのだと。そこに軟膏を塗りこみながら愛理はその行動とは裏腹なことを思う。
(ずっとこの傷が消えなければいいのに)
名残惜しそうにタンクトップを下ろそうとしたとき、愛理は播磨の口から静かな息が漏れていることに気付いた。
「寝てる」
くすりと笑って愛理は播磨の体に毛布をかける。彼が起きないように細心の注意を払って。
彼が眠るベッドの横に膝を突いて座ると、愛理は播磨の寝顔にじっと見入る。
「結局言えなかったわね」
彼の耳元に向けて愛理は、もっとも伝えたかったその言葉を囁いた。
「誕生日、おめでとう」
言葉とともに、そっと彼の頬に唇をかすめる。マットに顔をうずめると、愛理はすっと瞳を閉じた。
そして愛理は、播磨を追いかけるように眠りの国へと旅立っていった。
〜Fin〜
初めてのスクランSSです。今読み返すと、キャラはつかめていないわ、展開は強引だわ、ベッドに関するPF設定も知らなかったわ。特に沢近が当然のように漫画のこと知ってるってなんだよ(ナカムラから聞いててもおかしくないとか思ってました)とかツッコミどころ満載なわけですが。
とにかく、これがスタートでした。
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