Three Presents For You
「まずったよな〜」
机に突っ伏しながら、播磨拳児は横目でその少女の横顔を追った。
小柄な体躯に童顔。そして背中まで伸ばした黒髪。
塚本天満。それが彼女の名だ。そして、播磨にとっては唯一無二のマイエンジェルでもある。
それにしてもと播磨は昨日のことを悔やむ。隣町の名所旧跡を巡るというアイデア自体は悪くなかったと思う。
しかし神社は期待外れ、寺は計算外。名誉挽回をかけていかにも高そうな店に入れば、メニューの値段のゼロが予想よりひとつ多く、余裕で全財産を凌駕してしまうというありさま。
結局そこでパニックになってしまい、明日、すなわち今で言うところの今日が自分の誕生日であることをアピールできなかったのだ。
しかしと播磨は思い直す。昨日の人生最大の危機を切り抜けられただけでも僥倖だったと。
視線を天満から、その隣にいる金髪の少女へと移す。単に天満に不愉快な想いはさせまいと差し伸べてくれた手だとは思うが、どれだけ感謝してもしたりないと思う。
しかし、それはそれとして今日のことだ。
もしかしたら天満が自分の誕生日を知ってくれているのではないかと淡い期待も抱いたが、普通好きでもない男の誕生日など知っているわけもない。今日になって「俺、誕生日なんだ」などと売り込めるような性格でもない。
たとえばクラスメイトの今鳥恭介あたりならば、余裕でそういうマネをかませるのだろうが。
結局ため息をつくことだけしかできず、昼休みも終わり、絶望に暮れたままでホームルームも終わりを告げた。
鞄を担ぎ、重い気分で播磨は校舎を出る。期末試験が近いこともあって部活動に励む生徒たちもいないグラウンドを横切り、校門をくぐった。そこで彼は思いがけない人物を見た。
陽光を浴びて燦然と輝く金髪と整いすぎているとさえ思える横顔。クラスメイトの沢近愛理だ。
「なにやってんだ?」
播磨が声をかけると、物憂げにうつむいていた彼女が髪を払いながらまなざしを向けてきた。
「言いたいことがあるんじゃないかと思って待っていてあげたのよ」
「ぐっ……」
艶然と微笑みながら言ってくる彼女に播磨は歯噛みする。が、二人きりになる機会がなくまだ礼を言っていなかったのも、言いたいと思っていたのも事実なので播磨にも反論はできない。
直立不動の姿勢をとると、播磨は深々と頭を下げた。
「昨日はほんとに助かった。恩に着る。金、すぐに返すとは言えねえけど、少しずつでもなるだけ早く返すからよ」
「まあ、あんたのためにしたことでもないから別にそんなに気にすることはないわよ。もちろん、お金は返してもらうけど」
「すまねえ」
播磨が言うと、愛理が思わせぶりな笑顔を浮かべてくる。
「いいのよ。でも、利子ぐらいは先に払ってもらってもいいかしらね」
「利子?」
播磨が眉根を寄せると、愛理は手を口に当ててあくまで上品な笑い声を立てた。
「そう。今から私にお茶を奢ってちょうだい。それで利子はチャラ」
「そんなことか」
ほっと播磨は息をつく。
「あそこでいいのか?」
「うん」
こっくりと頷く愛理。
「じゃあ、行くわよ」
言って歩き出した愛理を追って播磨は彼女と肩を並べる。そしてすぐに気づいた。彼女から漂ってくる甘い香りに。そして、すれ違う男たちの憧憬と羨望の視線に。
別に愛理に特別な感情を持っているわけでもないが、もちろんどちらも不愉快なものではない。
思いつくままに無難な会話を交わしつつ、二人は歩き続け、やがて坂道へと差し掛かる。どちらがバランスを崩したせいだろうか? 肩が触れたのは。
愛理がぴくりと身を堅くするのがわかった。
「わりい」
播磨が言うと、横目でにらみつけてきて愛理は言う。
「いいわよ、別に」
かすかに頬が染まっているのがわかる。愛理のような女でも、男と体が触れるのは恥ずかしかったりするのだろうかと播磨は考える。相手が自分のような何の取り柄もない男だったとしても。
と、小さなため息を挟み、愛理は視線を前方に定めたまま言ってきた。
「あんたさ、天満のこと好きなの?」
「ぶっ!」
完全な不意打ちに思わず播磨は吹き出す。
「な、おめ……いきなり何て……つうか……そのよ……」
その場を取り繕おうと繰り出す声は言葉にはならない。愛理は視線をこちらに向けてきて静かな笑みとともに言う。
「やっぱりね。烏丸君のこと、知ってるわよね?」
その名前を聞いて、播磨は眉をしかめた。
「知ってんよ。知ってんけどよ、どーにもなんねえことあんだろうが。おめーにはわかんねえだろうけどよ」
「そうでもないわ」
愛理は横顔で寂しげに微笑み、瞼を数瞬閉じてもう一度繰り返した。
「そうでもないわ」
その面差しがやけに悲しげに見えて、播磨は小さく息を呑む。
「おめー……」
黙っていることもできず声をかけるが、結局言葉は見つからない。無言のまま角を曲がると、もうその店は目の前だった。
喫茶メルカド。播磨にとっても、愛理にとっても馴染み深い店だ。
ここまで来て播磨は思う。よくよく考えれば愛理は自分とお茶を飲んで何が嬉しいのかと。そして思い出す。いつだったか面白い話しなさいよと言われたことを。
昨日の借りもある。せいぜい面白い話をすることにするかと思いつつ入り口をくぐる。
放課後という時間帯もあり、店内は混み合っている。空席を探して視線をさまよわせた播磨は、予想外の人物が一人腰掛けているのを見つけ、思わず声をあげた。
「天……塚本!」
その声に気付いたのかどうか、彼女もこちらに目を向けてきた。
「あ、愛理ちゃん、待ちくたびれたよぉ。それに播磨君も一緒だったんだ」
「お待たせ、天満。さ、ヒゲ。座りなさいよ」
「お、おう」
思いがけぬ展開に、胸をドキドキさせながら播磨は促されるままに天満の向かい側に腰掛ける。愛理は当然のように天満の横に腰掛ける……と思いきや、そうはせずに立ったままで二人を交互に見やってきた。
「愛理ちゃん……」
不思議そうに呟く天満を見たあと播磨の方に視線を向けてくると、愛理はにっこりと笑ってその言葉を送り出してきた。
「誕生日おめでとう、ヒゲ。これが私からの誕生日プレゼントよ」
「な……」
「ええっ」
二人はそれぞれに驚きの声を上げた。そして、魅入られたように愛理から視線を外せなくなった播磨に、天満が言ってくる。
「播磨君、今日誕生日だったの? 私と一日違いだったんだ。昨日のお礼もあるし、お祝いしなくちゃ。ね、愛理ちゃん」
しかし愛理は静かに首を振る。
「私はちょっと用事ができちゃったのよ。ごめん」
「ええ?」
残念そうにぶつぶつ言う天満をよそに、愛理はそっと播磨に囁いてきた。
「まあ、せいぜいがんばりなさい」
「お嬢……」
播磨はこみ上げてくる想いをたった一言に凝縮して声に変えた。
「恩に着る」
そう言うと、愛理は小さく微笑んで播磨の肩を叩いてきた。そして軽く手を振りつつ歩み去っていく。
「それならさ、お茶飲んだら何か買い物行こうか。私、プレゼント買ってあげる」
大好きな少女が浮かれたように嬉しいことを言ってくる。だが、播磨は叩かれた肩に残った感触のほうに心を奪われていた。
用事があるなどと言ったのはもちろん嘘だ。後ろ髪を引かれるような思いでメルカドを去り、愛理が向かった先は自宅。そして今、彼女は部屋に一人こもり、ソファの上で雑誌を読んでいる。
「はぁ……」
小さくため息をついて雑誌を放り出すと、愛理は傍らのテーブルに置いた包みを手に取る。ちょうど手のひらに乗るぐらいの大きさの長方形の箱。
エンジ色の包装紙に銀色のリボンできれいにラッピングされている。
「結局渡せなかったわね」
さほど後悔はない。こうなることはある程度予想していたし、そのために父親にも合いそうなデザインのものを選んだのだから。
そう、後悔はない。ないはずだ。愛理は何度も自分に言い聞かせる。
壁にかけられたカレンダーに目をやる。自然と視線が固定された。今日、すなわち十二月一日のところに。
それにしてもと愛理は思う。播磨の好きな相手が、八雲ではなく姉の天満の方だったとは。
昨日、場違いな店で悶々としている彼の様子で薄々気付き、そして今日それをはっきりと知った。
「バカね」
ひとり呟く。なぜわざわざ天満なのかと。天満の心には烏丸しかいない。そしてこのところ、その二人が急速に接近していることにも、播磨は気付いているだろう。それなのになぜわざわざ天満なのだろうかと。八雲でも、そして自分でもなく。
もっとも、そんな播磨のことが気になって仕方ない自分も同じぐらいバカなのだろうとは思うが。
ふと時計を見る。午後六時。メルカドを出てから優に一時間以上が経過している。今頃は二人は買い物でも楽しんでいる頃だろうか。
デレデレしている播磨を想像すると正直腹も立ってくるが、元々自分が仕組んだことだ。どうせ天満の心が播磨に向くことなどないのだから、今日だけでも夢を見ていればいいだろうと意地悪く思う。
と、そのとき携帯電話が着信音を奏でた。腰を浮かすとサイドボードに置いてあったそれを手に取る。液晶には、見覚えのない番号が表示されている。
少し首を傾げてから、愛理は通話ボタンを押した。
「もしもし」
そして、数秒後に返ってきた声は聞き覚えのある男のそれだった。
「すっげえ家だな。おめーほんとにここに住んでるのかよ?」
「なっ……」
思わず愛理は、携帯を握り締めたままバルコニーに走る。確かに門の外にそれらしき人影が見える。
「なんで……」
愛理が言うと、電話越しに彼はバツが悪そうに答えてきた。
「番号は無理に塚本から聞いてよ。ちょっと出て来れねえか?」
思いもかけぬ言葉に愛理は息を呑む。
「ちょ、ま、待ってて」
短く答えると返事も待ちきれずに電話を切る。小走りにドレッサーへと走り髪に軽くブラシを通す。
「もう、来るなら来るで早めに連絡してきなさいよね」
ぼやきながらも弾む胸の鼓動を押さえ切れない。服は……えり好みしている暇はない。
部屋着を脱ぎ捨てると、クローゼットを開き、目に付いたデニムのキュロットと黒いVネックのセーターを身に着ける。
その過程でせっかく整えた髪が乱れてしまったことに気付き、自分を罵りながら再びドレッサーへ。
ようやく再び髪を整え直して立ち上がると愛理は思わず駆け出し、そんな自分が悔しくて舌打ちとともに歩調をゆるめる。
家を出て庭を通過し、門をくぐると彼はそこにいた。
制服のままでバッグとまとめて左手に紙袋を持っている。天満からのプレゼントなのだろう。そして右手には小箱。ケーキだろうか。
「お待たせ。てゆーか、どうしたのよ?」
愛理が尋ねると、播磨は少し視線を泳がせたあとで言いにくそうに口を開いた。
「わりい。昨日のことよ。塚本に喋っちまった」
「はあ?」
思わず愛理は身を乗り出して問い詰める。
「なに考えてんのよ。人の厚意台無しにして。バカじゃないの?」
「っせえなあ。仕方ねえじゃねえかよ。天……塚本のやつ、何度も何度もしつこく昨日はありがとうって言ってきやがってよ。耐えられなくなっちまって」
「バカ……」
言いながらも思う。この男らしいのかもしれないと。嘘のつけない性格なのだろう。
「金は返してもらうんだから、あんたのおごりには違いないのよ。別にそんなこと説明したって誰も喜びやしないのに」
播磨を斜視で見て愛理が言うと、彼はしかめっ面を作る。
「そうは思ったけどよ。なんかよ。んで、塚本が今から礼を言いに行けってよ」
「何考えてるのかしらね、あの子も」
言いながら愛理は考える。もしかしたら天満に気付かれたかと。昨日の自分と同じように気を使ってきたのかと。
「まさかね」
「お?」
思わず漏れた言葉に播磨が突っ込んでくる。
「なんでもないわよ」
愛理は播磨が持っている小箱に目を向けて言う。
「それ、ケーキ?」
「ん、ああ。手ぶらってのもどうかと思ってよ」
「ふーん、上がってく?」
何気ない口調で愛理が言うと、播磨が驚いたように言ってくる。
「いいのか?」
「いいのかもなにも、ケーキ持ってきた相手にそれ取り上げて一人で帰れって言えないでしょ。ましてやあんた誕生日なんだし」
「そ、そっか。そういうもんなのか。なら、ちっとだけな」
「変なことしたら生きて帰れないからね」
「おいおい」
播磨をエスコートするように先ほどの逆の道を辿り、正面玄関をくぐる。ホールの中に入ると、播磨が呆然とした声で言ってくる。
「ありえねえ。どういうとこだここ。学校より広いんじゃねえか?」
大げさな彼の言葉に愛理はくすりと笑う。
「そこまではないわよ。来なさい。私の部屋、二階だから」
「お、おう」
途中何人かの使用人とすれ違い、そのたびにただの友達だからと説明するが、信用してもらえたかどうかは定かではない。なにしろ男友達を連れてきたことなど初めてなのだから仕方がない。
そして二人は二階の角にある愛理の部屋の前へとたどり着く。愛理は先に扉を開けて中を覗き込み、特に問題はないと確認してから播磨に声をかけた。
「どうぞ」
「ああ」
緊張の面持ちで播磨が部屋に入ってきた。誰でも高級とわかるであろうカーペットやアンティーク調の家具。そして何よりも広大なスペースに播磨は圧倒されたらしい。
「こんな部屋で毎日暮らしてんのかよ。金持ちってやつはよぉ……」
「あ、ちなみに寝室は別だから」
「マジか」
憮然と呟く彼にあの天蓋付きベッドを見せたらどう反応するだろうかと愛理は思うが、さすがに彼を寝室に案内する必然性は見出せず、ひとり気恥ずかしくなりながらソファを指差した。
「適当に座ってて。お茶入れてあげるから」
「おう」
播磨からケーキの箱を受け取り、まだなにやら一人で騒いでいる彼の声を背中で聞きながら紅茶の準備を始める。
手ずから紅茶を入れるのはいつ以来だろうと思い返しつつ。
茶葉は手持ちの中から二番目に高級なものを選んだ。どうせ紅茶のよしあしなど彼にはわかるわけもないのだが。
カップに紅茶を注ぎ、トレイの上に乗せるとケーキの箱を開く。シンプルな苺のショートとチョコレートケーキがひとつずつ。
それぞれを皿に乗せてさらにそれをトレイに乗せた。
「お待たせ」
三人がけのソファに腰掛け、感嘆の表情で部屋を見渡している播磨に声をかける。
「お、わりいな」
中央のテーブルの上にトレイを置いて、ふと愛理は迷った。どこに座ろうかと。
普通ならテーブルを囲む形で斜め前にある一人掛けのソファを選ぶところだが、なんとなくそれもつまらない選択肢に思え、愛理は当たり前の風を装って播磨の隣に腰掛けた。
「お……」
少し慌てたように距離をとってくる播磨。そんな彼に愛理は声をかける。
「ケーキ、どっちがいい?」
「おめーは?」
「ん〜」
少し悩んだあとで、愛理は答えた。
「やっぱりショートもらっておこうかしら」
「んじゃ、俺はこっちだな」
播磨が身を乗り出してチョコレートケーキを自分の手元に引き寄せた。愛理はティーカップをかかげ、そして彼に視線を固定して、静かに言う。
「一応、改めて言っとくわね。誕生日、おめでとう」
「お、おう。あんがとな」
照れくさげに答えると、播磨は紅茶を一口飲み、ケーキを頬張る。
「あのよ。俺も改めて言っとくな。昨日はありがとな」
「何度も言わなくていいのよ」
愛理も紅茶を一口飲み、そして思い出してしまった。プレゼントの存在を。思い出した以上は渡さなくてはいけないのだろう。
「仕方ないわねえ」
ため息混じりに愛理は呟く。
「なにが?」
不審げに聞いてくる彼を無視して、愛理は腰を上げた。そして、例の長方形の包みを持って戻ってくると、ソファに腰掛けたのち、それを播磨に差し出した。
「一応、誕生日プレゼント用意しといてあげたのよ。受け取りなさいよね」
「マジかよ」
驚いたかのように包みを受け取り、呆然とそれに見入る播磨。固まったかのような彼の横顔に向けて、愛理は小さく咳払いをする。
「あのね。こういう場合は女の子の目の前であけるのがむしろ礼儀なのよ」
愛理が言うと、播磨は視線を包みに固定したまま尋ねてくる。
「あのよ。塚本が言ってたんだけどよ」
「なに?」
「おめーここんとこ、あいつ……あの影の薄い……」
「晶?」
「おう。そいつと一緒にバイトしてたってマジか?」
「な!?」
思わぬ言葉に愛理は絶句する。なぜならそれは事実だったから。天満にばれていたのは完全に計算外だったが。
「えっと、その……。そのこととそのプレゼントは関係ないからね」
言った愛理を播磨は黙ったままじっと見つめている。その視線に耐え切れずに愛理は言いながら首を振る。
「と、とにかくあけなさいよ」
「お、おう。んじゃ、あけるぞ」
「うん」
愛理が頷くのを確認したのち、播磨は包みを開いていく。中から現れたのは黒いプラスチックのケースだった。
「お?」
呟きながら播磨がそのケースを開くと中にあったのは細身のフレームのサングラス。
小さく口笛を吹きながら、播磨がそれを手に取る。少し大きめのティアドロップ型で、レンズの色は濃いグレー。フレームの色はゴールド。
「気に入った?」
愛理が尋ねると播磨はこっくりと頷いたが、不意に苦々しげな表情を浮かべるとサングラスを静かにテーブルに置いた。
「どうしたの?」
愛理の言葉に播磨は小さく首を振る。
「なんでだ? 昨日といい、さっきといい、これといい。なんでこんなによくしてくれんだ? 訳わかんねえ。このままじゃ受け取れねえ」
「ヒゲ……」
愛理は小さく息を付き、しばし瞳を閉じたのちに思い切って言った。
「好きだから」
「なっ!?」
口をぽかんと開いたままでこちらを見つめ、硬直した彼の鼻先を指で軽く弾いて愛理は笑った。
「好きなのよ。人にプレゼントしたりするの。あんただってこういうの断るのが失礼だってことぐらいわかるでしょ。素直に受け取っときなさいよ」
「そ、そっか」
荒い息をつきながら胸を撫で下ろし、播磨が言う。
「そこまで言うならもらっとくけどよ。でも、ほんとにいいのかよ? これ高かったんじゃねえのか?」
「いいのよ。私はあんたからいろんなものもらってるから。このくらいいいの」
「は? なんのことだ?」
「わからなくていいわ。それより、着けてみてよ」
「ああ」
播磨は愛理に背中を向けるようにして自前のサングラスを外した。そして、代わりに先ほど愛理がプレゼントしたそれを着けると振り返ってくる。彼の素顔を見逃したのは残念だったが、それでも愛理は嬉しかった。なぜなら、そのサングラスが思いのほか播磨によく似合ったから。
だから、愛理は心の底から言った。
「似合うわよ」
「ほんとか?」
「ほんとよ」
愛理は立ち上がると、播磨の腕を取る。
「お?」
腕を引かれるままに立ち上がった彼をドレッサーの前に連れていき、その前に立たせた。
「どう?」
鏡の中には自分よりも頭半分高い、がっしりとした体格の少年が満足げな笑みを浮かべていた。本来なら、彼よりも一回り以上年上の男性が着用するのを前提としたそのサングラスのおかげで、播磨はいつもよりクールに、そして頼りがいがあるように思える。無意識にそちらに体を寄せながら愛理は言う。
「ほんと似合うわよ。サングラス、本人にナイショで選ぶの無謀かと思ったけどよかった」
「そ、そっか。ま、サンキュな」
「うん」
不意に播磨は真顔になると、思いつめたかのようにうつむいた。そして口の中で何事かを呟く。
「どうしたのよ?」
愛理が尋ねると、播磨がいきなり振り返って両肩を掴んできた。
「ひゃっ」
思わず悲鳴をあげて逃れようとするが、がっしりとこちらを捕らえた彼の両手がそれを許してくれない。そして彼は、愛理の目をまっすぐに覗き込み、かすかに震える声で言ってきた。
「お嬢。なんかやらせろ」
「もへ!?」
突然の言葉に思わず奇声が出た。そして動揺と期待と不安で痛いほどに激しく脈動する胸を押さえて必死に言う。
「な、何それ? あんた、もうちょっと言い方あるでしょ。ちゃんと言ってくれれば考えないでもないのに。こ、これだから女を口説いたことのない男って言うのは。だ、だいたい、あんた天満が好きなんでしょ? もう私に乗り換え?」
「こらこら!」
慌てて愛理から手を放し、真っ赤になった顔で彼は抗弁してくる。
「そうじゃねえ。つまりよ、ここまでいろいろされちまっちゃ気がすまねえんだよ! なんでもいいから言い付けろ。使い走りでも部屋の掃除でもなんでもいいからよ」
「そ、そういうこと。紛らわしい言い方しないでよね。少し期待……ごほん。えっと、気にしなくていいって言ってるのに」
「言われても気がすまねえから言ってんだ。なんとかしてくれというか、しろ」
もだえ苦しむように言ってくる播磨を見て、愛理は小さく微笑んだ。サングラスを突き返すこともできず、しかしこのままでは気も済まず、葛藤に苦しんでいるのだろう。それならばそれを楽にしてやるのも女の役目なのかもしれない。そして何より、先ほどの播磨の言葉のせいで浮かんだビジュアルが脳裏から離れず、胸の鼓動もやまない。
その二つの問題を一度にクリアする方法は……。一計を案じて愛理は密やかに笑った。
「いいわ。それならちょっとしたテストに付き合って」
「お、なんだ?」
興味深げに身を乗り出してきた彼に、愛理はことさらに平然とした声音で言う。
「まず、私と背中合わせに立って」
「あ? こうか?」
言われるままにした彼を横目で伺い、愛理は次の指示を出す。
「それじゃ、目をつぶって。私がいいって言うまで開いちゃダメよ」
「ああ。決闘でもやんのかよ?」
播磨の問いには答えず、愛理はそっと足音を忍ばせて彼の前方へと回り込む。息がかかるほどの位置まで近づくと、サングラス越しでも彼がしっかりと瞳を閉じているのがわかる。
疑うことを知らないかのような彼の姿に、こんなふうに騙まし討ちで奪うのは悪いのかと思う。しかし、ここまで来てあとには退けない。なにより、先に奪ってきたのは彼の方なのだ。愛理の心を。
「三つめの誕生日プレゼントよ」
ごく小さな声で呟いたあと、愛理は目一杯背伸びをした。
〜Fin〜
今思うと汚点とすら言える、とても恥ずかしい物件だけに今回収録しようかどうか悩んだんですが。まあいいかと。
S3が壊れ、S3’に移行して最初の作品でもあります。
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