敵は赤くはれ上がった右肩だった
寝ぼけ眼でコーヒーを飲みながら新聞を眺めていた私の目に、この言葉が飛び込んで来たのは1991年8月20日の朝の事であった。
それは、朝日新聞のスポーツ欄に、夏の甲子園大会を特集したページの「球音」と題された記事であった。記事の右側には大きな文字で「松商学園 力尽きる」、左側には「上田 終わった力投の夏 樋渡」とあり、「力投する松商学園の上田」と記された大きな写真が載せられていた。
もともと野球にはあまり興味がなく、プロ野球の試合もほとんど見ない。高校野球は地元の県や地区の代表校が出ている試合だけを辛うじて応援するといった程度であったので、いつもであれば甲子園大会の記事はじっくり読まないのであるが、なんとなくこのタイトルにひかれて記事を読み始めたのだった。
明るいはずのメロディーが、上田の背に、重くのしかかるように聞こえた。打席に立つたび、三塁側アルプス席が奏でる応援歌だ。「♪子供のころから エースで4番−」。選抜大会準優勝投手の敵は、星陵ではなく、赤くはれ上がった右肩だった。
前日の延長十六回、四日市工・井手元投手から受けた死球。一晩中、氷で冷やしたが、痛みは去らなかった。297球を投げた疲労と重なり、試合前の練習ではフォロースルーが十分に取れない。
中原監督は、試合直前まで迷った。「中島に投げさせようかと思った。でも、上田が投げさせてくれ、というから」。エースで四番は、逃げるわけにはいかなかった。
本来の投球はできない。肩痛からカーブの制球が定まらない。6四死球、2暴投が、3失点につながった。「でも、肩の状態を考えれば、できすぎだと思います。本当によく投げた」。捕手で主将の辻が、ボソリと話した。
しかし、上田の端正な顔に、涙はない。時々、笑いさえ浮かべて、最後の夏を振り返る。「終わった気がしないんですけどね。死球の影響は、人間だから、あります。でも、それを負けた原因にはしたくない。暴投から点を取られたし、打つ方も四番として恥ずかしいです」。汗をゴシゴシぬぐいながら、声のトーンは暗くない。「春の何倍もマークされながら、ここまでこられた。胸を張って、帰ります。応援してくれた一人ひとりに、心の中でありがとう、といいたい」。
アルプス席の応援歌はこう続く。「♪みんなの夢をかなえたい−」。アイドル的な人気まで加わった「エースで四番」は、やっとひとまず、重圧から解放される。上田の笑顔の裏に、背負い続けてきた荷物の重さが、見えた。
(西村欣也)
記事を読み終えた私には、なんとも言えない心地よさが残った。今まで、新聞紙上にこのような記事があっただろうか。記事の書き出しと終わりが対になっていて、その部分だけをつなげて読んでも気持ちが良い。松商学園の上田投手に、というよりも記事そのものに感動した。
それまで、新聞の記事は読んでも、記事の最後に書かれてある名前を気にした事はなかったが、このような文章を書く「西村欣也」さんとは、どんな人だろう。以前から、このような記事を書いていたのだろうか。そう思いながらも、その後しばらくの間は「西村欣也」さんの記事に再会した事はなかったのだった。
今回は、ここまで。 続きがあるかどうかは、本人にも不明です。
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