古今亭志ん朝さん逝く

 古今亭志ん朝さんが亡くなったということを新聞の記事で知った。すごいショックを受けた。フジTVのめざましテレビでもアナウンサーの大塚さんが「惜しい方を亡くした。名人と呼ぶにふさわしい人だった。」と解説していた。同感である。

 子供の頃から落語が好きで、数多い落語家のなかでも特に「志ん朝さん」は大好きだった。歯切れのいい語り口で話が分かりやすく、登場人物が今も「江戸」の町で生き続けているような、そんな錯覚を覚えるほど話がうまかった。

 私が中学の時は、親に買ってもらった当時流行の「ラジカセ」で、これも当時流行の「フォークソング」を、アンテナを動かしながらエアチェックしていましたが、それと同じほど夢中にAMのラジオ欄で落語の放送を探しては、せっせとカセットテープに録音し、テープが伸びてしまうほど何度も何度も聞きながら眠ったものでした。一番よく聞いていたのは「志ん朝さん」の落語だったと思います。

 繰り返し聞いていれば、当然、話しの内容は覚えてしまうけど、何度聞いても笑えるのは、「はなしか」というプロの芸人のなせる技だと思います。

 当時、落語家で名人といえば、「志ん生」や「文楽」と言われていましたし、今でも時折、新聞に「志ん生」のCD全集を紹介する広告が載ることがありますが、私はその名人の生前の姿を知りません。世代が違うせいか、私にとっての名人とは、「談志」、「小三治」、「志ん朝」といったところでしょうか。

 私の子供の頃には、「志ん朝」さんは落語以外でもテレビに良くでていたという記憶があります。ドラマだったか時代劇だったかは忘れましたが、とても印象に残っています。

 以前、東京で3ヶ月ほど暮らしたことがあり、休みの日には浅草の松竹演芸場、上野のすずもと、新宿の末広亭と各地に出掛け、ほとんど一日中漫才や落語で過ごしていましたが、遂に生の「志ん朝」さんにはお目にかかれずじまいとなってしまいました。それが、とても残念でなりません。

 せめて、永遠のコレクションとしたいので、音楽業界の方、映像が残っていましたなら、是非DVDの制作販売をお願い致します。

 

 古今亭志ん朝さん、ご冥福をこころからお祈りいたします。

 

 それから、朝日新聞社さん、平成13年10月2日の新聞記事をこのページに掲載する事をお許し下さい。

 ※ 古今亭志ん朝 演目りすとはこちら
 

朝日新聞 2001年(平成13年)10月2日 火曜日 社会面35

古今亭志ん朝さん死去 〜古典落語の第一人者〜

 格調高い端正な語り口で、人気・実力ともトップだった落語家、古今亭志ん朝(ここんてい・しんちょう、本名美濃部強次=みのベ・きょうじ)氏が、1日午前10時50分、肝臓がんのため東京郡新宿区矢来町94の3の自宅で死去した。63歳だった。通夜は5日午後6時、葬儀は6日正午から文京区大塚5の40の1の護国寺桂昌殿で。喪主は妻聖子(せいこ)さん。

 東京都出身。57年、名人だった父の五代目古今亭志ん生に入門し、朝太の名で初高座、62年、異例の早さで真打ちに昇進し、二代目志ん朝を襲名した。

 江戸前の正統派。古格を重んじ、清潔で気品を備えながらも、つやっぽさがにじむ芸風で、人情噺(ばなし)や廓(くるわ)噺に抜群の表現力を示した。代表作は古典の「愛宕山」「三枚起請」「文七元結」、父の十八番だった演目を自分の芸風に合わせて再構成した「火焔(かえん)太鼓」など。

 俳優としても、ドラマや舞台で活躍。毎夏開く落語家による踊りの会「住吉踊りの合」も二十数年間続けた。

 志ん生襲名も期待されたが、志ん朝にこだわり、名前を大きく育てた。今年3月、芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。96年から落語協会副会長を務めていた。兄は故十代目金原亭馬生。

 独演会などのチケットは売り切れが続出する人気だったが、昨年体調を崩し、8月に活動休止を宣言。このころ肝臓がんが見つかり入院した。1週間ほど前、自宅に戻り、1日朝容体が急変、家族や弟子にみとられての最期だった。

「火焔太鼓」を口演する古今亭志ん朝さん=99年2月、東京・有楽町の朝日ホールで/撮影・横井洋司氏