PARIS

僕の人生はパリから始まったと言っても過言ではない。
そんな、パリの思い出を綴ってみたいと思う。
当時の写真も、追々UPしていく予定ですので乞うご期待!。



五回目のパリ

今年でパリも五回目だ。
一回目('84)は六ヶ月
二回目('88)は三ヶ月
三回目('91)も三ヶ月
四回目('98)は16日間

そして、今回は僅か8日間だけだった。
この滞在日数に比例して人生の中の自由な時間は極端に短くなった。
84年にパリに行った目的は「ただモナリザが観たい」と言う単純な動機
だけだった。
ヨーロッパを旅行してからオランダ辺りで二、三ヶ月滞在してから、帰国
―――というの言うのが当初の予定だった。
パリに着いた途端、気に入った街になった。
そして、フランス語の学校に行った時に知り合った人が画家T氏だった。
もし、僕がこの人に出会わなければ現在の「画家 横山雄二」は存在し
ないかも知れない。
僕は彼に連れられてモンパルナスの「グラン・ショミエール」と言う画塾に
行った。
当時は毎日、三時からクロッキー教室でヌードデッサンのクラスがあった。
四時半に受講代(確か1500円くらい)を管理人が集めに来るんだけど、
お金のない僕は、その四時半を過ぎてから、タダで描きに行ったものだ。
ただし、この四時半を過ぎると、さすがにモデルも疲れるので、十五分ポー
ズ(四回)と五分ポーズだけとなり、かなり早く描き上げなければいけない。
僕は彼に連れられて美術大学(エコール・デ・ボザール)の講堂で毎週水曜
に行われているクロッキーの講義にも、内緒で出入りしてたので、かなり早
く描くことには慣れだした頃だった。
何と言っても、毎週、ダンサーが来て踊っているポーズを描くわけだから、
必然的に早くなる。
ただ、本格的な作品に仕上げるには、時間が必要ということで、時には奮発
して三時の開始時間から教室に入って受講料を渡して描いたりしていた。
朝から街に出て街角のスケッチ、昼からヌードデッサン、夜は美大と自分の
部屋で静物のデッサンーーー、日曜には無料だった(当時)ルーブル美術館

絵画鑑賞と、今、考えると「何をやっているのか?」と思うほどの絵画浸けの
毎日だった。
別に画家になるためにやってるんじゃなかったし、彼のデッサンなんかを見せ
てもらうと、プロはそんなに簡単になれるものではないと悟った。
僕は間違いなく、「下手の横好き」だったに違いない。
あれほど上野の国立美術館で押し競饅頭状態で観た「モナリザ」をルーブルで
観ていたら「日本での齷齪していた自分は何のか?」と、仕事も辞めてパリに来
たはずなのに、将来に対する不安の中にほんの少し「何か分からない」情熱の
灯火(まだ炎にはなっていない)がゆらゆらしているのが自分でも分かった。

                                            (つづく)




僕はこの最初のパリの旅でもう一人、大阪から同じ便でパリに着いたM田氏とも
知り合いになった。
彼は「ヨーロッパ一日、XX円の旅」というガイドブックで僕のアパート探しを手伝
ってくれた。
僕は彼に連れられて、空港から市内に入った。
メトロのオデオン駅を出たら、車が石畳をけたたましく駆け抜けて行く。
「これが映画の中で観たパリだ!」
そして、空港から僕が英語で電話予約したサンミッシエルのホテルに向かった。
荷物を置いてから、すぐに近くのノートルダム寺院まで行った。
まあ、すべてM田氏の案内だ。
塔の展望台へ登ってパリを一望するが、到着初日ということもあって、地理の立地が
理解出来なかった。
その後、僕はノートルダム寺院の中には一度も入ってない。
この日は、疲れもあって多分、夕食はサンドイッチだけを食べたと思う。
ホテルに戻ったら、疲れですぐに眠ってしまった。
翌朝、裏の通りを歩く女性の靴の音で目覚める。
「ああ、これが映画の中で観たパリだ!」

M田氏とも、もう、二十年以上の付き合いになる。
今回のパリ旅行はパリでM田氏と落ち合った。
氏と、またパリを歩くというのも不思議な縁だ。

実は初めてパリに行く二年前(82年)に僕はオーストラリア(豪州)に行った。
当時の友人の誘いで行ったんだけど、僕の嗜好には合わなかった。
それと、当時は全く英語が出来ず、すべて友人任せだったこともあるのだろう。
やはり、僕にはヨーロッパの方が向いていた。
何と言っても、美術館の充実ぶりが素晴らしい。
そして、そのオーストラリア旅行の時に飛行機に乗り合わせた女性と、何とパリ
で再び会うことになろうとはーーーーー。

                                           (つづく)





オーストラリアの友人

少し、オーストラリア(豪州)のことも書いておこう。
北海道を旅している時に知り合ったオーストラリア人のJが誘ってくれたので
僕は初めて海外旅行に出た。
まあ、日本国内の観光地は殆ど行っていたけど、海外となると話は別だ。
いや、言葉も習慣がかなり違う。
友人のJはオーストラリアの西部に住んでいたんだけど、わざわざ僕のため
にシドニーまでヒッチハイクをして迎えに来てくれた。
後日、彼女のお母さんに会った時に、「ヒッチハイクをして僕を迎えに来てく
れた、優しさに感謝してます」といったら、
「若い娘がヒッチハイクなんてーーー」と、彼女はお母さんからお目玉を喰らって
いた。
彼女は「こんな時に英語を使うな!」と、僕に怒るしーーー。
僕としては思いっきり感謝の気持ちを拙い(まるで駄目な)英語で伝えたんだけ
ど。(自爆)

彼女はシドニーからメルボルンを廻ってアリススプリングス、それからパースへと
いうバスのプランを立ててくれたけど、彼女は友人の誕生日があるとかで、バスで
先にパースに帰ってしまった。
僕は英語が全く分からず、バスをどう乗り継いで、休憩の時に何を食べる等など本
当に心細い旅だったけど、乗り合わせた旅人たちが暖かかったし、親切だった。
特にキャンベラからメルボルン、そしてアリススプリングスまでというのはバスの
旅人には周遊コースになっているのか、バスの中の乗客は殆どが顔見知りだったと
いうこともある。
中には映画のように「出来上がってしまったカップル」もいて最後部の座席でいち
ゃいちゃやっている。
日本に行ったことがあるという紳士は「おれと一緒にダーウインまで行こう」と言
ってくれたけど、「パースにいる友人に会いに行く」というのが精一杯の英語力だ
ったなあ。
食事休憩の時にレストランの外に座ってたら、
「何か食べたか?」(と、身振り手振りで尋ねてくれる人もいた)
まあ、疲れと不安と英語が駄目というこで食欲がないこともさることながら、立ち
食いうどんもなければ丼物もない、頼みのマクドナルドもない。
レストエリアは殆どがフードコートでいろんな店があるんだけど、食べたいと思う
ものがなかった。
みんな、親切に話かけてくれるんだけど、英語が出来ないので返す言葉がない。
日本国内で列車を乗り継いで旅をしている時は、夜行なんかを使うと、一日のうち
に交わす言葉といえば、駅のそば屋や駅弁を買う時だけで、それもなければ一言も
喋らない日は何日もある。
それにしても、外国人はよく喋るし、話しかけてくるので返答出来ない自分が情け
なかった。
(まあ、この一件があったから僕は独学で英語を勉強したんだけど)
そのバスの旅は友人のJがルートを作ってくれたので彼女は僕がどこに滞在している
のか、全て知っていたので、しょっちゅうユースホステルに電話してきてくれて嬉
しかった。
友人Jは日本語ペラペラで、彼女と話しをする以外、日本語を使うことはなかった。
82年といえば「襟巻きトカゲ」よりもまだ前で、現在のようにオーストラリアへ
日本人が旅行すると
いう、オーストラリアブームのはるか以前の話だから、日本人に逢ったのも、エア
ーズロックで逢った人だけだった。

アリススプリングスから、再びメルボルンに戻って、一路パースまで。
メルボルンからは二泊三日のパスの旅だ。
そして、パースに着いた時は一気に疲れが出た。
彼女が車でディーポまで迎えに来てくれた。
家族や友人達に紹介してくれたんだけど、またまた英語がーーー。(大汗)

その友人たちの中の一人が、アルバイトをしながら画家を目指しているといった。
もう三十歳は過ぎているように見えた。
「夢や目標」を持つのに年齢は関係ないと、その時、僕は思った。
この出来事は僕の中でひっかかっていたことでもある。
当時、僕はパン屋で働いていたけど、マンガ、シナリオ、絵と作品を残す仕事が
したいと思っていたからだ。
「芸術家になりたい」と言えば、恥ずかしくなるほど現実は甘くないことは知って
いた。

友人Jも美術を専攻していて、僕に画家になることを勧めていた。
去年、そのJから突然、メールが届いた。
僕の個展の案内を送った時にメールアドレスを書いてあったからなんだけど、
まさか、本当に僕が画家になるなんて、その時は思ってもみなかったに違いない。
オーストラリアのことは長くなるので、またの機会にまた書くとする。(で、いつ?)



ここからが飛行機で知り合った女性の話

本当に英語が出来ない、まして国際線の飛行機に初めて乗って、トランジットだ
リボーディングだと訳の分からないことばかりで、隣の席に乗り合わせた女性は
神戸からオーストリア(欧州の)へ行くと言った。
台北で給油、シンガポールで乗り換え。
オーストラリア行きの僕は四時間、オーストリア行きの彼女は五時間の待ち合わ
せだった。
彼女は親切に乗り継ぎのことや英語で尋ねる時の会話を教えてくれた。

そろそろ、僕の出発時間が来た。
搭乗前にトイレに行ったら、変な親父が手のひらで小銭をジャラジャラさせていた。
後で分かったことだけど、チップ(トイレの使用料?)をくれという意味だ。
そのことを彼女に言った途端、
「そんな、気味の悪い人がいるなら、あたしもトイレに行っておくから着いて来て」
と言われたんだけど、もう僕の搭乗時間だから行かないといけない。
最後は、
「あなたは、そんな冷たい人なの」と、言われる始末で困ってしまい、病人や緊急
の休憩室を探してなんとか一安心させてから、僕はオーストラリア行きの飛行機に
乗れた。
勿論、最後の搭乗者だったことは書かなくても、ご理解出来ると思う。

オーストラリアから戻った僕はシンガポールの空港内で撮った彼女の写真を現像し
てから、その時にもらった彼女のオーストリアの住所に送った。
が、返事は来なかった。

二年後の一月のパリ、僕はフランス語の学校に行った時に画家のTさん、そしてKさ
んと知り合った。
クラスが日本人クラスだったので(どこのフランス語学校かすぐ分かる)授業が終
わってからもよくカフェやそれぞれのアパートで話なんかをして親しくなっていた。
ある日、K氏が一緒に生活している女性がいるといって連れて来たのが、なんとシン
ガポール空港ですったもんだあった、彼女だった。
オーストリアに行くと言っていたのに、パリに来ていた。
いろんな事情があったんだろう。(彼女から飛行機の中で聞いていた)
ただ、僕はK氏に昔に会ったことがあるとだけ伝えた。
この事件はいろいろと細かな葛藤があるんだけど、日本国内の旅だけでも、日本っ
て狭いなって感じていたのに、「世界も案外、広くない」と僕に思わせたことだけ
は確かだ。



この物語には後日談があってーーーー

K氏は、その女性との生活を維持していくため、労働許可もないのにラーメン屋で
働いているところを摘発され、強制送還され、その女性は姿をくらませたーーと、
風の噂で聞いた。



まあ、古いパリの話ばかりも何なので次回からはこの三月のパリのお話を書きます。



                                  (つづく)









2007年春のパリ



前回のパリはサッカーのワールドカップの時だ。

丁度、ニューヨークで個展をしたんだけど、日本の友人が来たいと言うんだけど

日程の調整が合わず、その後、パリの旅行を計画していたのでパリで会おうと

いうこになった。

と、また以前のパリの思い出になってしまったが、今回はM田さんとパリで落

ち合った。

この海外で落ち合うというのは以前のように、何ヶ月も滞在している数日間なら

いざしらず、短期間でのランデブーというのは飛行機の切符の日程合わせや

ホテルの予約、現地で待ち合わせ場所等など、ちょっと大変だ。

おまけに僕は着の身着のままタイプの旅人故、あまり旅先で時間に縛られたく

ない。

どうにか、M田さんの日程の航空券を手に入れて旅立った。

夜のフライトで春休みになるからか、若い高校生の団体と同乗だった。

なんだか、みんな(一人くらいはちょっとと思うんだけど)ビックリするくらい

可愛い女の子たちばかりで、僕はてっきり「この娘たちはモントリオールの

娘じゃない。きっとパリから来て、パリに戻るんだろう」と思ったものだ。

(事実は不明だが)





3月6日



約六時間のフライトでパリに着いた。

九年前に着いたゲートだ。



メインゲートからはほど遠く、何にもない殺風景なターミナルだ。



ロワシーの以前の終着駅(現在はセンターのゲート駅と言うのが出来た)ま

では徒歩二分と迷うこともなく便利は便利なんだけど、旅の情緒というのは

感じられない。

午前十時前だったので、M田氏の滞在するホテルに電話しようとも思ったが

飛行機の中は座席が小さくて快適ではなかったので、予約してあったホテル

に入って休憩しようと思い電車で市内に入る。



市内は一律の料金なのでダンフェルトまで行き、一週間のパスを買う。

メトロに乗り出したら、懐かしくなって疲れもどこへやら、オペラまで乗る。

何か日本食が食べられるだろうと踏んだんだが、まだ早くて開いてない。

飛行機を降りた時は曇っていた空も雨になり、やはり予約してあったホテルへ。



チェックインの時間よりははるかに早く一時頃の到着だけど入室させてくれた。

ベットに横になったらいつの間にか眠ってしまっていた。

5時頃M田さんの電話で起こされる。

こっちに来るというのでホテルの近くで食事しようと思ったんだけど、時間が少

し早く別のビストロでビールを飲みながら、僕の好きなオニオンスープを頼んだ。

M田氏とは毎年、日本であってるんだけどパリで会うと言うのも奇妙なものだ。

二十年前はすべてM田氏任せだったフランス語も困らない。何といってもセカン

ドクラスをパスしたんだーーーと、言って小学校レベルなんだけど。

M田さんも郊外へ出かけていたらしく疲れているというので八時半頃にはお開

き。

ホテルの部屋に戻ってテレビを付けた。

僕はいつも星無しのホテルしか使ったことがないので、部屋の中にテレビ、電

話があるというのはちょっと贅沢。

時計を見たら、まだ九時過ぎだ。

「まだ、ビールが飲み足りないな」

シャンゼリゼのモノプリなら、まだこの時間は開いてるなと思い出掛ける。

雨はまだ降っているけど、モノプリは駅の上にあるので傘なんかいらない。

ジョルジュサンク駅を降りたらメガバージンストアが出来ていて中を覗く。

残念なのはフランス映画のDVDが殆どない。

多分、これは映画産業や映画館を守る一環なのか、ハリウッド製のDVDばか

りだった。

お土産にはDVDと決めてあったので残念。

モノプリでビールやチップスを買ってから凱旋門まで歩いて6号線に乗る。



この6号線は地上を走る区間が長く、僕がパリにいる時には何の目的もなくて

も乗っている

ラインでパリの町並みを見ながらいろんなことを考え、いろんなことを思い出

しーーー。

本当に懐かしい風景に出会えるラインだ。

84年のパリにはエドガー・キネに半年間住んでいたこともあるので、このライン

には思い入れがある。

何と言っても地上を走っている時はセーヌ河を挟んでエッフェル塔が一望出来

るラインでもある。

そう言えば、大阪から来ていたと言う女子大生が団体からはぐれてしまい、迷子

になったと声を掛けられ、どこのホテルか訪ねたらエッフェル塔の近くだというの

で、じゃ、このラインに乗れば立地が分かるよと言って、道案内してあげたこと

もあったなあーーー。



ホテルに戻ったらヨメさんから電話があった。

ボウズたちも元気だ。

下のボウズは僕がどこにいるかも分かってないようだ。



ビールを飲んで横になってテレビを観ていたら、また眠ってしまった。









3月7日



時差ボケのせいもあるのか何度も目覚めた。

6時半頃には起き出してホテルから近くのマレ地区の写真を撮りに行く。

こんな時間に起きてウロウロするのは毎回、パリに着いて時差ボケで起きてし

まう時くらいしかない。






9時にM田さんがホテルに来るので戻る。

散歩がてら少し歩きバスでサンシュルピス教会まで行くが、生憎外観の工事で

サンジェルマン・デ・プレまで歩き、昼食にガイドブックに載っている蕎麦を食べよう

ということになる。

「まさか、蕎麦一杯に2、3千円も取られないだろう」とM田さんがいうが、その二千

円だった。

まあ、旅の土産話としてはいい経験だ。(しかし高い)

バスでプレイス・デ・イタリーにあるビュッテ・カイエまで行く。

この地区はモンマルトルと並んで少し石畳が残っているので昨年からM田さんと、

行って見たいと言ってた場所だ。

実は昨日、行ったんだけど地図もないし雨が降ってきたので、そそくさと退散してし

まったので実質、今日が初めて歩くことになる。

大きな期待があったんだけど、ちょっとーーーー。



その後、新しくトラム(市電)が走ったというのでポート・ド・イブリまで歩く。

車両が新しいだけに乗り心地は良かった。

ポート・ド・ベルサイユで降りてM田さんの滞在しているアベスのホテルへ行く。



近くのモンマルトル裏辺りの写真を撮りながら丘の上まで歩く。



モンマルトルの丘の上で日本から来ていたT島さんと言う女性がぶどう畑を探して

いると言う。

パリ市内では唯一のぶどう畑――というのは有名なんだけど、ちょっと時期的にーー。

まあ、このぶどう畑より前にあるシャンソニエのラパン・アジルが有名で観光客は多い

んだけど、ぶどうの季節以外は殆どの人は気が付かないと思う。

T島さんと行動を共にしてカフェ、そしてバスチーユにあるレストランに行く。

このレストランは滞在しているホテルの人に教えてもらったんだけど、ボリュームがあっ

て美味しかった。

僕はステーキ。

M田さんは鴨。

T島さんは魚料理かと思ったらホタテが出て来た。(美味しかったらしい)

僕のステーキも美味しかったんだけど、疲れのせいかあまり食べられなかった。

十時前と言う事で分かれることになるが、T島さんに6号線のことを話したら、乗ってみ

たいというので、三人でライトアップされたエッフェル塔を見に行く。

T島さん、大喜び。

C・D・エトワールで分かれて、それぞれのホテルへ。

今日撮った写真をチェックしていたらいつの間にか眠ってしまった。

よく考えたらT島さんの写真を一枚も撮らなかったな。



                                             (つづく)





3月8日



朝、5時半頃に目覚める。



7時前にはホテルを出てプレイス・デ・イタリーへ行く。




通勤前なのかメトロの車両も乗客はまばらだ。

マクドナルドで何か食べようと思ったら開店は7時半からだということで寒い中、少し待つ。

朝食メニューを取ってからバス(64番)でセーヌ河(西の方)へ向かう。

途中で「さくら」という日本レストランを見つける。

88年の夏に逢ったT口さんという女性がバイトしていた店だ。(T口さんはその後、NHKで

番組制作の仕事をしているらしい)

当時はどこに場所があるかも知らなかったんだけど、こんな外れにあったんだ。

バスの中からエッフェル塔が見えたので降車する。

何という橋か名前も知らないけど何枚か撮る。



その後、オデオンへ行く。

ここが僕にとって一番想い出のある場所だ。

この通りにある「ステラ」という安ホテルで過ごした時間が一番長いというのもあるが、ここで

いろいろな人と出逢った。

「ステラ」は今も健在でシングル(バスなし)30ユーロ(約5千円弱)からと料金も安いままだ。

通りには日本レストランが8軒も出来ていて、オペラ界隈にようだった。




リュクサンブール公園を散歩した後、サンジェルマンに新しく出来ていたモールがあったので

アップルパイとクロワッサンを買った。

12時にM田氏とC・D・エトワール駅で待ち合わせだ。

20分も前に着いてしまったので、さっき買ったペストリーを食べる。

M田氏も丁度12時にやって来た。

今日は郊外の街、シャトー・ロワシーまで行く。




印象派の画家が描いた風景が残っているということなんだけどーーーーーー。

約四時間くらい散策した後、M田さんのアイデアでサンジェルマン・アン・レーまで路線バスで

行くことにした。

この街は初めてパリに到着した時にM田氏が案内してくれた街だ。

当時は寒くて、ただ公園内の写真を撮っただけなんだけど、今回は街の中を散策をした。

それと時間的なものなのか現地の人が多く、活気のある街にみえた。



パリ市内に戻ってレストランで夕食でもーーーと、思っていたんだけど、「コメルス」というレスト

ランは7時開店で、かなり時間がある。

ガイドブックで他のレストランを探し、サン・ポール(メトロ)通りに行くーーーーが、ここは閉鎖し

ていて営業してなかった。今日は朝から歩きづめだったので、かなり疲れていたので食事は中

止ということにした。(レストランで食事を取ると二時間はかかる)

ホテルに入る前にマクドナルドでハンバーガーを齧って帰る。

部屋に入ってベットに横になったら、いつの間にか眠っていた。

9時過ぎにM田氏から電話があって、部屋を移動したら妙に綺麗なんだけど、料金が間違っ

ているんじゃないかということをフロントで問い合わせて欲しいと言うことだ。

まあ、M田氏のフランス語より僕の英語の方が確かなので明朝、M田さんのホテルに出向い

てフロントに説明することにした。

そして、また眠りにつくがーーーー、今度はウチのヨメさんからの電話だ。

もう12時過ぎだ。

「のんびり、眠らせてくれよー!」



                                                   (つづく)



3月9日

今朝も5時半起床だ。

そのまま、外に出る。

まだ清掃車も走ってない。

ボージョ広場の写真を撮ってマレ地区の中に入って行く。




写真を撮りながらポンピドーセンターまで歩きメトロに乗ってM

田さんのホテルへと向かう。

すでにM田氏はロビーで待っていた。

このホテルは前回の98年の時に使ったホテルーーーのようなんだ

けど、隣にも似たようなホテルがありーーーー。

なんとT島さんは隣のホテルに滞在しているそうな。

一声かけてもいいんだけど、彼女はもう、びっしりと日程を決めて

あるそうで日本からツアーの予約をしてあったそうだから、もう出

かけているに違いない。

まずM田さんの部屋に行ってみるが、成る程広い。

ただ、ドアの裏に料金が示されていて、ベットが二つあるがひとつだ

けを使うのなら49ユーロで二人で使うと79ユーロになると書いて

ある。(フランス語で)

それと、友人のS水くんが来週には来るので、その予約の確認をフロント

にしておくというのが説明の理由だ。

まあ、この程度の予約ならフランス語でも出来るけど英語でした。

これでS水くんが到着しても何の心配もない。まずはめでたし。

今日はシャルトルに行こうと言ってたんだけど、どうも雲行きが

怪しい。

中止にしようということになる。

M田さんはサンドニ市の方へ行きたいというので東駅で別れる。

夜は昨日行った「コメルス」というレストランで落ち合う約束

をする。

その後、僕は北駅の裏通りを歩いて写真を撮ったが、とうとう雨

が降り出した。

オペラへ出て日本食店でおにぎりを買って、食べる。

少し胃の調子がよくなった。

バスに乗って凱旋門に向かう。

雨が止んだのでメトロに乗り換えフーチ駅へ行く。

本当にこの駅は絵になる。

ディファンスへ行ったことがなかったので行く。

まあ、この辺りに行って絵になるところなんかはないのは分

かっているんだけど、天気が悪いだけに丁度いい機会だ。

長期滞在していたのなら間違いなく映画を観に行ってたろう。

大きなショッピングモールで回転寿司+サラダバーなんかもあって、

結構暇つぶしになった。

PAULというチェーン店のパン屋があったので食べた。

この美味さでこの値段の店がモントリオールにないのが寂しい。

メガバージンストアがったのでDVDを買った。

部屋に戻ったら、4時半で約束の時間までは、まだ二時間くらいある。

ベットに横になった眠ってしまう恐れがあるので、腕時計のアラーム

をセットするーーーーが、やはり、眠ってしまった。

それにしても、よく気が付いて目覚めたものだ。

慌ててメトロに乗り込んで「コメルス」へ。

M田さんは、もう待っていてネクタイまでしていて、ちょっとした勝負服

である。

予約をしてなかったせいか、階段下の悪い席だ。

M田さん、どうも壁際に座りたいと言い出すので席を替わる。

その方が店内を見渡せるそうだ。

M田さんの注文は忘れたけど、僕は「ステーキのエシャロットソース添え」

を頼む。

味はいいんだけど、ウエートレスがやたらせかすもので、落ち着いて食べ

てられないなあと二人でボヤく。

こんな店では落ち着かないということで、デザートは頼まないで外のカフェ

でコーヒーを飲む。

が、この店は周りにタバコを吸う客が多く、またまた落ち着かない。

もう帰ろうということでメトロに乗ってから分かれる。



3月10日



今朝は5時に目が覚めた。

お腹の調子が悪いせいか眠りが浅い。

ホテルを出てマレ地区の写真を撮る。






今日はM田さんとシャルトルへ行くと言う事でモンパルナスから電車に乗る。

約束の時間より少し早めに行って散策する。

前回、前々回のパリには、この辺りを散策してないので懐かしい。(

まあ、絵になるところがないこともある)

丁度、朝市があって日本人や日本人観光客の姿が多く見られた。

アコーデオン弾きの演奏もあって、パリを実感した。

初めてのパリ滞在はこの地区で半年も生活してたんだなーーと、

当時のホテルへ行ったら、何と豪華に変身していた。

愛想の悪かったパン屋は潰れてなくなっていたけど、ワケの分から

ない日本レストランはまだあった。

ババン駅からエドガーキネ駅に抜けるデランバー通りは昔のままだ。




切符売り場でM田さんと落ち合って切符を買う。

M田さんは「シニア割引」があるとかで大喜び(?)。

タイミング悪く、次の列車は一時間待ちだ。

座席の前には日本人のご夫人二人が座ったがお互いに会話はなかった。

ここはパリだ。

なるほどパリだ。



約一時間半くらいでシャルトルだ。

駅からは大聖堂が見える。






二十年前に来た時とはかなり通りや道が違う。

かなり区画整理されたようだ。

僕はお腹が空いてないんだけどM田さん、少しお腹

が空いたと言うので、一人でレストランに入った。

本当に小さな町で、すぐに見て回れてた。

同じ観光客に何度も通りで顔を合わすくらいだから、

に、三時間もあれば回れてしまう。

夕食はシャルトルでと決めていたんだけど、予定を変え

て4時48分の列車でパリに戻ることにした。

モンパルナス駅前にある「ヒポポタマス」というファミリー

レストランでステーキを食べる。

一つの皿に肉、野菜、ポテトと乗っているので手っ取り早

く、パリでは一番気に入った店だった。(ちょっと高いが)

レストランの前が地下鉄駅なのでM田氏と別れてから

スーパーのINNOで買い物をする。

相変わらず、レジ前は長蛇の列だ。

6号線のメトロに乗ってプレイス・デ・イタリー周りでホテ

ルに戻る。

買ったビールを飲んだら、いつの間にか眠ってしまった。

多分、九時過ぎだった。



    3月11日



朝、M田氏より電話がある。

四時にリュクサンブール公園の池で待ち合わせることになる。

もう、帰る日が近いということもあってナシオンからリヨン駅、

シテ島、ポンピドーセンターと精力的に歩く。





歩きすぎて足の小指のマメが潰れた。

オデオンに行ってからセーヌを渡りリュクサンブール公園に着く。

まだ三時だ。




モンパルナス通りの方から入ったのでテニスをしている人たちを

見ていたら春の日差しで眠くなる。

四時にM田氏と合流。

サンミッシエルで食べようということになるが、少しディナーには

早いのでソルボンヌの前のカフェで休憩する。

このカフェは以前使っていたホテルの前なんだけど、入ったこと

はなかった気がする。

まあ、表のテラスに座ると一体、このテーブルは並んでいるカフェ

の、どのカフェのテリトリーなのか分からない時があるからなあ。

とにかく店内のトイレが恐ろしく年代モノ(?)だった。

サンミッシエルの通りでレストランを探す。

この通りは僕のお気に入りで観光客相手でもあり、庶民的でもある。

何より、初めて来た時にM田さんに連れられて歩いた通りでもある。

表の看板はグリース(エーゲ海)なんだけど、黒板にはいろいろとメ

ニューがあったので入ることにした。

僕は魚がきらいなので、やはりステーキを頼んだが胡椒が効いてな

くて、ちょっと間の抜けた味だったがオニオンスープ、デザートのプリ

ン共、美味しかった。



表に出たら、もう暗かった。

女性と一緒なら「夜はこれから」なんだけど、そこは年寄りのオヤジ

二人ということでシテ島まで歩き、地下鉄で分かれる。

今日は一週間のパスも切れてたので、僕は歩いてホテルまで戻る。

僕は夜のパリが好きだ。

いや、夕暮れから夜になる頃は感傷的でもっと好きだ。

写真を撮りながらホテルまで戻る。

受付で清算をしてもらう。

「明日の出発の時でいいよ」と言ってくれるんだけど、明日は早朝の

出発で時間がない。

部屋に戻ったら一気に疲れが出た。


昨日と今日で一体何時間、何キロ歩いたんだろうーーー。



3月12日 



何と朝の四時半に目が覚めた。





窓を開けたら月が教会の向こうに見えていたので何枚か写真を撮る。

モーニングコールを六時半に頼んでいたので、それを取ってから部屋

を出る。

受付に行ったら、従業員の男はまだ眠っていた。

ホテルを出てパン屋を覗いたら、まだ焼けてなくて仕方なくマレ地区

へ行って写真を撮る。

最終的には八時前までにシャトレからRERに乗れれば大丈夫だ。

七時半頃、パン屋を覗くがまだ焼けてない。

これはウチのボウズたちのリクエストでパリの美味しいペストリーを

買って来て欲しいというのでこだわっているんだけど。

仕方なく別のパン屋で買うことにした。

あらかじめ靴屋の前で段ボール箱を拾ってあったので、それに詰め

込んだ。

そう言えば、その箱を平たくして小脇に抱えてテアトル広場を歩いて

いたら絵描きと間違われて、誰ひとりとして「ニガオエカキマショーカ」

と似顔絵描きが寄ってこなかったなあ。

後でM田さんに話したら、「中々、いいアイデアだな」と関心(?)され

た。

7時45分頃にはシャトレに着く。

空港に向かう電車は込んでいたが座れた。

北駅が東駅だったか忘れたけど、到着した日に見たアコーデオン奏者

が乗り込んで来た。

約30分くらいで空港に到着。

トランザットのカウンターには搭乗者の姿はなく、もう手続きを済ませた

のだろう。 それに、このビルディングはレストランも土産物屋もない、小さな売店で

サンドイッチやコーヒーを売っているだけの小さなターミナルだから、こ

こで時間を潰す人はまずいない。

自動販売機が二つくらいしかないし、ホントに風情がない。

出国審査を受ける人が大勢並んでいる。

そのせいか出発時間の10時15分が、結局12時になってしまった。



また、窮屈な席だ。

おまけに真ん中の座席だ。

身動きがとれず、目を閉じていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。

離陸も気がつかなかったからなあ。



7時45分頃にモントリオールに着く。

冬時間から夏時間に変わっていた。

バーガーキングで昼食を取ってから市バスで市内に戻る。

部屋に戻ったら義母がボウズたちを学校から連れ帰ったところだった。

その後、ヨメさんも戻りニコルズで夕食だ。

パリに比べて何と物価の安いこと。

旅の片付けは明日だ。

今回は本当に駆け足だったけどパリを堪能した。

いまだ僕の中ではパリの魅力は色褪せない。

そして何と言っても僕の人生の出発点だ。



(了)