雨のち曇りーーーーばかりだ

 

この数週間、晴れた日が殆どない。

ジャズフェスもあまり盛り上がらなかったようだ。(まずビールが売れない)

新聞にショーン・レノンの記事が出てたけど評判が良かった。

ステージではフランス語で話してたそうだ。

 

上のボウズの野球チームも雨で試合が中止になっているが、かれこれ20試合

くらいの消化で、未だヒットがない。一試合に大体2打席回ってくるんだけど、三

振か四球だ。硬球でやっているので死球が怖いといっているので、まあ、まぐれ

以外にヒットは出ないだろう。

下のボウズは監督の推薦で一つ上のレベルのチームに参加するということで、

上のボウズよりは運動神経がいいようだ。ただ、センスがよくても練習が嫌いな

ので、スポーツ選手には向いてないと思う。

 

床のニス塗り後の片付けもそろそろ終わりそうだ。

空いているスペースにばらばらに収納してあったものが整理出来て、少しは快

適になりつつある。

自分でかなり以前に描いた作品なんかが出て来て驚いた。

 

キャンプ旅行はノーバスコーシャに行くとヨメさんのたまうが、ただビーチに行くだ

けで二千キロの走るのはガソリンの無駄だと言って聞かした。

ようやく納得したのか、アメリカに変更になりそうだ。

日本への帰国は八月だ。

予定通りと言えば予定通りなんだけど、全然、作品を描いてない。

引越しして出て行った人にもらった家具のリペアをしたり、個展時の書類を整理し

たりボウズたちの野球の練習、それにトロントの義姉が実家で過ごしているので

実家詣出等など、夏はホントに雑用が多い。

 

画廊の方は大量の作家のリストラ(?)があったにもかかわらず、僕はまだ残って

いる。

まあ、いつ契約解除されても心の準備だけはしておこう。

芸術家に明日の安定した生活なんかは期待出来ない。

 

                                        07・07・15記

 

 

 

 

 

 

ジャズフェス

 

今年はボブ・ディランがやって来る。

ショーン・レノンもやって来る。

ジャズとどう言った関係があるのか分からないけど、まっ、いいか!。

去年のポール・サイモンのように曲調、或いはジャズミュージシャンと

の融合なら理解出来るんだけどーーー。

最近はちょっとマンネリ化してるのと、入場料の高騰で僕自身は会場

に行く機会は激減している。

十日間に一、二度くらいになってしまってるからなあーーー。

子供が生まれる前は(毎年)毎日昼から夜、夕飯食べてから、また深

夜までーーーというジャズ浸りだった。(と、いっても無料のコンサート

はデキシーが多いが)

 

街は観光客が多く見受けられる。

昨日、プールに行って久しぶりに本気で泳いだ。

20分で千メートルだった。

プールサイドで見ていたボウズたちはいつまで泳ぐの?と言う感じだっ

た。

水泳に関しては若い頃とそんなに体力的に堕ちているとは思わないん

だけどジョギングに関してはちょっとーーー。

まあ、これは体の調子が悪いせいもあるーーーと思う。

 

二、三日前に今年最高気温の32度というのがあったけど、夜は涼しか

った。

この頃は24、5度と日中も過ごし易い。

 

 

07・07・03記

 

 

 

 

 

突然の引越し騒ぎ

 

先日、突然、下の大家がやって来て、かねてから頼んでいた床の

ニス塗りを急にやると言う。

これは、かなり以前から頼んでいたんだけど、業者と急に話がつい

たとかで、この機会を逃すと、またいつのなるか分からないと言う。

しかも、夜の八時に話に来て明後日だと言う。

中一日の大作業だ。

まあ、僕は引越しを二十回以上経験しているし、三階の部屋から、

この二階の部屋に移った時はたった一人で荷物を全部運ぶくらい

慣れているんだけど、問題はいつも、口約束だけで、本当に業者は

来るのかどうかだ。

あまりにきつく大家に念を押すもんだからヨメさんが止めに入る始末

だ。

このアパートは前にカレッジがあるので学生が多く(殆ど)住んでいる。

彼らの多くは一年、或いは二年で出て行ってしまうので、床の傷や窓

の不具合なんか、文句を言っても修理に掛かる時間や何度も打診する

面倒を考えると、大家に頼むより少々我慢しても出て行く方が早い。

―――と、これが大家の「思う壷」なワケで、一室を除いて、全ての

部屋を片付けた。

問題の日には少し遅れたけど、業者も来た。

その間、両親の家に厄介になった。

もし業者が来なかったら、ホテルの滞在費くらいの賠償をさせるつもり

だったので、それくらい強い(?)決心がなきゃ、ここの大家や動かない

からなあーーー。

ともあれ床はきれいになった。

あっちこっちに散乱していた作品や額、ビデオや本といった物が各ジャ

ンル別に整理出来てめでたしなんだけど、まだ完全に片付いてない。

これも一両日後には片付くだろう。

この間、ギャラリーからは新作の催促があったり、ボウズの学校の終

業、それに野球チームの試合等など、頭の中がこんがらがるほどてん

やわんやの毎日だった。

まあ、これで夏のバカンスに入れるし、秋までは少しのんびりと作品が

描けるしシナリオも書ける。

今年もキャンピングを予定しているけど、ヨメさんの行きたい場所と僕の

嗜好が合わず、まだ未定だ。

まずは、今月末のジャズフェスを楽しんでからーーと、いきたいトコロだ。

 

07.06.24記

 

 

 

 

また、暫らく更新が出来なかったな。

 

いつの間にか、このHPも七周年、アクセスカウンターが3万と

なった。

HPを継続、維持していくのは、かなりキツイ状況に変わりはない。

開設当初、こんなに絵の仕事が忙しくなるなんて想像してなかった。

 

この一か月間、季節外れの雪があったり、観測史上初という26度

もあった。

ボウズといっそ、雪でも降らないかなあーーと言っていたら、今日、

5月15日は6度で雪という予報が出ていたが雪ではなかった。

ただ、ボウズは予定していた野球チームの試合が出来なくて残念

がっていた。

 

この月曜日に画廊へ作品を搬入した。

36X48インチの作品だから大体、畳一枚弱のサイズなんだけど

もっと大きな作品を描けと言われて、どんなモチーフ(主題)を描こ

うか思案中だ。

確かに作品が大きくなればなるほど、僕のように風景画なら、その

風景の中にいるような臨場感が出せるし表現できる。

現実感と言ってしまえば写真になる。

絵は写真ではない。

それと、アメリカに住む絵画のコレクターから特注の依頼があった。

が、これはまだ細かいこと(サイズ等)の打ち合わせが必要みたい

だ。

今年は日本の個展(宝塚)を中止して、こちらでの油絵に集中してい

る。

夏のバカンスまでは休む暇もないけど、体の調子が悪い。

今まで過ごしてきた人生の中でも最悪の健康状態だ。

横山雄二の運命や如何にーーー。

 

07.05.15 記

 

 

 

 

冬に逆戻り


今日は四月の四日だ。
昨日の朝から振り出した雨は霙に変わり、昼過ぎから雪に変わった。
降っては解けていた雪も昨夜からの気温の低下で積もりだした。
木々の枝先に丸く積もった雪はさながら白い梅の花のようだった。






 

 

 

 

PARIS

先週、パリから戻った。
僕の人生はパリから始まったと言っても過言ではない。
そんな、パリの思い出を綴ってみたいと思う。
当時の写真も、追々UPしていく予定ですので乞うご期待!。



五回目のパリ

今年でパリも五回目だ。
一回目('84)は六ヶ月
二回目('88)は三ヶ月
三回目('91)も三ヶ月
四回目('98)は16日間

そして、今回は僅か8日間だけだった。
この滞在日数に比例して人生の中の自由な時間は極端に短くなった。
84年にパリに行った目的は「ただモナリザが観たい」と言う単純な動機

だけだった。
ヨーロッパを旅行してからオランダ辺りで二、三ヶ月滞在してから、帰国

―――というの言うのが当初の予定だった。
パリに着いた途端、気に入った街になった。
そして、フランス語の学校に行った時に知り合った人が画家T氏だった。
もし、僕がこの人に出会わなければ現在の「画家 横山雄二」は存在し
ないかも知れない。
僕は彼に連れられてモンパルナスの「グラン・ショミエール」と言う画塾に

行った。
当時は毎日、三時からクロッキー教室でヌードデッサンのクラスがあった。
四時半に受講代(確か1500円くらい)を管理人が集めに来るんだけど、
お金のない僕は、その四時半を過ぎてから、タダで描きに行ったものだ。
ただし、この四時半を過ぎると、さすがにモデルも疲れるので、十五分ポー
ズ(四回)と五分ポーズだけとなり、かなり早く描き上げなければいけない。
僕は彼に連れられて美術大学(エコール・デ・ボザール)の講堂で毎週水曜
に行われているクロッキーの講義にも、内緒で出入りしてたので、かなり早
く描くことには慣れだした頃だった。
何と言っても、毎週、ダンサーが来て踊っているポーズを描くわけだから、
必然的に早くなる。
ただ、本格的な作品に仕上げるには、時間が必要ということで、時には奮発
して三時の開始時間から教室に入って受講料を渡して描いたりしていた。
朝から街に出て街角のスケッチ、昼からヌードデッサン、夜は美大と自分の
部屋で静物のデッサンーーー、日曜には無料だった(当時)ルーブル美術館


絵画鑑賞と、今、考えると「何をやっているのか?」と思うほどの絵画浸けの

毎日だった。
別に画家になるためにやってるんじゃなかったし、彼のデッサンなんかを見せ

てもらうと、プロはそんなに簡単になれるものではないと悟った。
僕は間違いなく、「下手の横好き」だったに違いない。

あれほど上野の国立美術館で押し競饅頭状態で観た「モナリザ」をルーブルで

観ていたら「日本での齷齪していた自分は何のか?」と、仕事も辞めてパリに来

たはずなのに、将来に対する不安の中にほんの少し「何か分からない」情熱の

灯火(まだ炎にはなっていない)がゆらゆらしているのが自分でも分かった。

                                            (つづく)




僕はこの最初のパリの旅でもう一人、大阪から同じ便でパリに着いたM田氏とも

知り合いになった。
彼は「ヨーロッパ一日、XX円の旅」というガイドブックで僕のアパート探しを手伝って

くれた。
僕は彼に連れられて、空港から市内に入った。
メトロのオデオン駅を出たら、車が石畳をけたたましく駆け抜けて行く。

「これが映画の中で観たパリだ!」

そして、空港から僕が英語で電話予約したサンミッシエルのホテルに向かった。
荷物を置いてから、すぐに近くのノートルダム寺院まで行った。
まあ、すべてM田氏の案内だ。
塔の展望台へ登ってパリを一望するが、到着初日ということもあって、地理の立地が

理解出来なかった。
その後、僕はノートルダム寺院の中には一度も入ってない。

この日は、疲れもあって多分、夕食はサンドイッチだけを食べたと思う。
ホテルに戻ったら、疲れですぐに眠ってしまった。
翌朝、裏の通りを歩く女性の靴の音で目覚める。

「ああ、これが映画の中で観たパリだ!」

M
田氏とも、もう、二十年以上の付き合いになる。
今回のパリ旅行はパリでM田氏と落ち合った。
氏と、またパリを歩くというのも不思議な縁だ。

実は初めてパリに行く二年前(82年)に僕はオーストラリア(豪州)に行った。
当時の友人の誘いで行ったんだけど、僕の嗜好には合わなかった。
それと、当時は全く英語が出来ず、すべて友人任せだったこともあるのだろう。
やはり、僕にはヨーロッパの方が向いていた。
何と言っても、美術館の充実ぶりが素晴らしい。
そして、そのオーストラリア旅行の時に飛行機に乗り合わせた女性と、何とパリ

で再び会うことになろうとはーーーーー。

                                           (つづく)





オーストラリアの友人

少し、オーストラリア(豪州)のことも書いておこう。
北海道を旅している時に知り合ったオーストラリア人のJが誘ってくれたので

僕は初めて海外旅行に出た。
まあ、日本国内の観光地は殆ど行っていたけど、海外となると話は別だ。
いや、言葉も習慣がかなり違う。
友人のJはオーストラリアの西部に住んでいたんだけど、わざわざ僕のため

にシドニーまでヒッチハイクをして迎えに来てくれた。
後日、彼女のお母さんに会った時に、「ヒッチハイクをして僕を迎えに来てくれた.

優しさに感謝してます」といったら、
「若い娘がヒッチハイクなんてーーー」と、彼女はお母さんからお目玉を喰らって

いた。
彼女は「こんな時に英語を使うな!」と、僕に怒るしーーー。
僕としては思いっきり感謝の気持ちを拙い(まるで駄目な)英語で伝えたんだけ

ど。(自爆)

彼女はシドニーからメルボルンを廻ってアリススプリングス、それからパースへと

いうバスのプランを立ててくれたけど、彼女は友人の誕生日があるとかで、バスで

先にパースに帰ってしまった。
僕は英語が全く分からず、バスをどう乗り継いで、休憩の時に何を食べる等など本

当に心細い旅だったけど、乗り合わせた旅人たちが暖かかったし、親切だった。
特にキャンベラからメルボルン、そしてアリススプリングスまでというのはバスの旅人

には周遊コースになっているのか、バスの中の乗客は殆どが顔見知りだったというこ

ともある。
中には映画のように「出来上がってしまったカップル」もいて最後部の座席でいちゃい

ちゃやっている。
日本に行ったことがあるという紳士は「おれと一緒にダーウインまで行こう」と言ってく

れたけど、「パースにいる友人に会いに行く」というのが精一杯の英語力だったなあ。

食事休憩の時にレストランの外に座ってたら、
「何か食べたか?」(と、身振り手振りで尋ねてくれる人もいた)
まあ、疲れと不安と英語が駄目というこで食欲がないこともさることながら、立ち食いう

どんもなければ丼物もない、頼みのマクドナルドもない。
レストエリアは殆どがフードコートでいろんな店があるんだけど、食べたいと思うものが

なかった。
みんな、親切に話かけてくれるんだけど、英語が出来ないので返す言葉がない。
日本国内で列車を乗り継いで旅をしている時は、夜行なんかを使うと、一日のうちに交

わす言葉といえば、駅のそば屋や駅弁を買う時だけで、それもなければ一言も喋らない

日は何日もある。
それにしても、外国人はよく喋るし、話しかけてくるので返答出来ない自分が情けなかっ

た。
(まあ、この一件があったから僕は独学で英語を勉強したんだけど)
そのバスの旅は友人のJがルートを作ってくれたので彼女は僕がどこに滞在している

のか、全て知っていたので、しょっちゅうユースホステルに電話してきてくれて嬉しかった。
友人Jは日本語ペラペラで、彼女と話しをする以外、日本語を使うことはなかった。
82年といえば「襟巻きトカゲ」よりもまだ前で、現在のようにオーストラリアへ日本人が

旅行すると
いう、オーストラリアブームのはるか以前の話だから、日本人に逢ったのも、エアーズロ

ックで逢った人だけだった。

アリススプリングスから、再びメルボルンに戻って、一路パースまで。
メルボルンからは二泊三日のパスの旅だ。
そして、パースに着いた時は一気に疲れが出た。
彼女が車でディーポまで迎えに来てくれた。
家族や友人達に紹介してくれたんだけど、またまた英語がーーー。(大汗)

その友人たちの中の一人が、アルバイトをしながら画家を目指しているといった。
もう三十歳は過ぎているように見えた。
「夢や目標」を持つのに年齢は関係ないと、その時、僕は思った。
この出来事は僕の中でひっかかっていたことでもある。
当時、僕はパン屋で働いていたけど、マンガ、シナリオ、絵と作品を残す仕事が
したいと思っていたからだ。
「芸術家になりたい」と言えば、恥ずかしくなるほど現実は甘くないことは知っていた。

友人Jも美術を専攻していて、僕に画家になることを勧めていた。
去年、そのJから突然、メールが届いた。
僕の個展の案内を送った時にメールアドレスを書いてあったからなんだけど、まさか、
本当に僕が画家になるなんて、その時は思ってもみなかったに違いない。
オーストラリアのことは長くなるので、いつかの機会にまた書くとする。(で、いつ?)



ここからが飛行機で知り合った女性の話

本当に英語が出来ない、まして国際線の飛行機に初めて乗って、トランジットだリボー

ディングだと訳の分からないことばかりで、隣の席に乗り合わせた女性は神戸からオー

ストリ
ア(欧州の)へ行くと言った。
台北で給油、シンガポールで乗り換え。
オーストラリア行きの僕は四時間、オーストリア行きの彼女は五時間の待ち合わせだっ

た。
彼女は親切に乗り継ぎのことや英語で尋ねる時の会話を教えてくれた。

そろそろ、僕の出発時間が来た。
搭乗前にトイレに行ったら、変な親父が手のひらで小銭をジャラジャラさせていた。
後で分かったことだけど、チップ(トイレの使用料?)をくれという意味だ。
そのことを彼女に言った途端、
「そんな、気味の悪い人がいるなら、あたしもトイレに行っておくから着いて来て」と言われ
たんだけど、もう僕の搭乗時間だから行かないといけない。
最後は、
「あなたは、そんな冷たい人なの」と、言われる始末で困ってしまい、病人や緊急の休憩室
を探してなんとか一安心させてから、僕はオーストラリア行きの飛行機に乗れた。
勿論、最後の搭乗者だったことは書かなくても、ご理解出来ると思う。

オーストラリアから戻った僕はシンガポールの空港内で撮った彼女の写真を現像してから、
その時にもらった彼女のオーストリアの住所に送った。
が、返事は来なかった。

二年後の一月のパリ、僕はフランス語の学校に行った時に画家のTさん、そしてKさんと

知り合った。
クラスが日本人クラスだったので(どこのフランス語学校かすぐ分かる)授業が終わってから

もよくカフェやそれぞれのアパートで話なんかをして親しくなっていた。
ある日、K氏が一緒に生活している女性がいるといって連れて来たのが、なんとシンガポー

ル空港ですったもんだあった、彼女だった。
オーストリアに行くと言っていたのに、パリに来ていた。
いろんな事情があったんだろう。(彼女から飛行機の中で聞いていた)
ただ、僕はK氏に昔に会ったことがあるとだけ伝えた。
この事件はいろいろと細かな葛藤があるんだけど、日本国内の旅だけでも、日本って狭い

なって感じていたのに、「世界も案外、広くない」と僕に思わせたことだけは確かだ。

 

この物語には後日談があってーーーー

K氏は、その女性との生活を維持していくため、労働許可もないのにラーメン屋で働い

ているところを摘発され、強制送還され、その女性は姿をくらませたーーーと、風の噂で

聞いた。

 

まあ、古いパリの話ばかりも何なので次回からはこの三月のパリのお話を書きます。

1

                                  (つづく)

 

 

 

 

2007年春のパリ

 

前回のパリはサッカーのワールドカップの時だ。

丁度、ニューヨークで個展をしたんだけど、日本の友人が来たいと言うんだけど

日程の調整が合わず、その後、パリの旅行を計画していたのでパリで会おうと

いうこになった。

と、また以前のパリの思い出になってしまったが、今回はM田さんとパリで落

ち合った。

この海外で落ち合うというのは以前のように、何ヶ月も滞在している数日間なら

いざしらず、短期間でのランデブーというのは飛行機の切符の日程合わせや

ホテルの予約、現地で待ち合わせ場所等など、ちょっと大変だ。

おまけに僕は着の身着のままタイプの旅人故、あまり旅先で時間に縛られたく

ない。

どうにか、M田さんの日程の航空券を手に入れて旅立った。

夜のフライトで春休みになるからか、若い高校生の団体と同乗だった。

なんだか、みんな(一人くらいはちょっとと思うんだけど)ビックリするくらい

可愛い女の子たちばかりで、僕はてっきり「この娘たちはモントリオールの

娘じゃない。きっとパリから来て、パリに戻るんだろう」と思ったものだ。

(事実は不明だが)

 

 

3月6日

 

約六時間のフライトでパリに着いた。

九年前に着いたゲートだ。

メインゲートからはほど遠く、何にもない殺風景なターミナルだ。

ロワシーの以前の終着駅(現在はセンターのゲート駅と言うのが出来た)ま

では徒歩二分と迷うこともなく便利は便利なんだけど、旅の情緒というのは

感じられない。

午前十時前だったので、M田氏の滞在するホテルに電話しようとも思ったが

飛行機の中は座席が小さくて快適ではなかったので、予約してあったホテル

に入って休憩しようと思い電車で市内に入る。

市内は一律の料金なのでダンフェルトまで行き、一週間のパスを買う。

メトロに乗り出したら、懐かしくなって疲れもどこへやら、オペラまで乗る。

何か日本食が食べられるだろうと踏んだんだが、まだ早くて開いてない。

飛行機を降りた時は曇っていた空も雨になり、やはり予約してあったホテルへ。

チェックインの時間よりははるかに早く一時頃の到着だけど入室させてくれた。

ベットに横になったらいつの間にか眠ってしまっていた。

5時頃M田さんの電話で起こされる。

こっちに来るというのでホテルの近くで食事しようと思ったんだけど、時間が少

し早く別のビストロでビールを飲みながら、僕の好きなオニオンスープを頼んだ。

M田氏とは毎年、日本であってるんだけどパリで会うと言うのも奇妙なものだ。

二十年前はすべてM田任せだったフランス語も困らない。何といってもセカン

ドクラスをパスしたんだーーーと、言って小学校レベルなんだけど。

M田さんも校外へ出かけていたらしく疲れているというので八時半頃にはお開

き。

ホテルの部屋に戻ってテレビを付けた。

僕はいつも星無しのホテルしか使ったことがないので、部屋の中にテレビ、電

話があるというのはちょっと贅沢。

時計を見たら、まだ九時過ぎだ。

「まだ、ビールが飲み足りないな」

シャンゼリゼのモノプリなら、まだこの時間は開いてるなと思い出掛ける。

雨はまだ降っているけど、モノプリは駅の上にあるので傘なんかいらない。

ジョルジュサンク駅を降りたらメガバージンストアが出来ていて中を覗く。

残念なのはフランス映画のDVDが殆どない。

多分、これは映画産業や映画館を守る一環なのか、ハリウッド製のDVDばか

りだった。

お土産にはDVDと決めてあったので残念。

モノプリでビールやチップスを買ってから凱旋門まで歩いて6号線に乗る。

この6号線は地上を走る区間が長く、僕がパリにいる時には何の目的もなくて

も乗っている

ラインでパリの町並みを見ながらいろんなことを考え、いろんなことを思い出

しーーー。

本当に懐かしい風景に出会えるラインだ。

84年のパリにはエドガー・キネに半年間住んでいたこともあるので、このライン

には思い入れがある。

何と言っても地上を走っている時はセーヌ河を挟んでエッフェル塔が一望出来

るラインでもある。

そう言えば、大阪から来ていたと言う女子大生が団体からはぐれてしまい、迷子

になったと声を掛けられ、どこのホテルか訪ねたらエッフェル塔の近くだというの

で、じゃ、このラインに乗れば立地が分かるよと言って、道案内してあげたこと

もあったなあーーー。

 

ホテルに戻ったらヨメさんから電話があった。

ボウズたちも元気だ。

下のボウズは僕がどこにいるかも分かってないようだ。

 

ビールを飲んで横になってテレビを観ていたら、また眠ってしまった。

 

 

 

3月7日

 

時差ボケのせいもあるのか何度も目覚めた。

6時半頃には起き出してホテルから近くのマレ地区の写真を撮りに行く。

こんな時間に起きてウロウロするのは毎回、パリに着いて時差ボケで起きてし

まう時くらいしかない。

9時にM田さんがホテルに来るので戻る。

散歩がてら少し歩きバスでサンシュルピス教会まで行くが、生憎外観の工事で

サンジェルマン・デ・プレまで歩き、昼食にガイドブックに載っている蕎麦を食べよう

ということになる。

「まさか、蕎麦一杯に2、3千円も取られないだろう」とM田さんがいうが、その二千

円だった。

まあ、旅の土産話としてはいい経験だ。(しかし高い)

バスでプレイス・デ・イタリーにあるビュッテ・カイエまで行く。

この地区はモンマルトルと並んで少し石畳が残っているので昨年からM田さんと、

行って見たいと言ってた場所だ。

実は昨日、行ったんだけど地図もないし雨が降ってきたので、そそくさと退散してし

まったので実質、今日が初めて歩くことになる。

大きな期待があったんだけど、ちょっとーーーー。

 

その後、新しくトラム(市電)が走ったというのでポート・ド・イブリまで歩く。

車両が新しいだけに乗り心地は良かった。

ポート・ド・ベルサイユで降りてM田さんの滞在しているアベスのホテルへ行く。

近くのモンマルトル裏辺りの写真を撮りながら丘の上まで歩く。

モンマルトルの丘の上で日本から来ていたT島さんと言う女性がぶどう畑を探して

いると言う。

パリ市内では唯一のぶどう畑――というのは有名なんだけど、ちょっと時期的にーー。

まあ、このぶどう畑より前にあるシャンソニエのラパン・アジルが有名で観光客は多い

んだけど、ぶどうの季節以外は殆どの人は気が付かないと思う。

T島さんと行動を共にしてカフェ、そしてバスチーユにあるレストランに行く。

このレストランは滞在しているホテルの人に教えてもらったんだけど、ボリュームがあっ

て美味しかった。

僕はステーキ。

M田さんは鴨。

T島さんは魚料理かと思ったらホタテが出て来た。(美味しかったらしい)

僕のステーキも美味しかったんだけど、疲れのせいかあまり食べられなかった。

十時前と言う事で分かれることになるが、T島さんに6号線のことを話したら、乗ってみ

たいというので、三人でライトアップされたエッフェル塔を見に行く。

T島さん、大喜び。

CD・エトワールで分かれて、それぞれのホテルへ。

今日撮った写真をチェックしていたらいつの間にか眠ってしまった。

よく考えたらT島さんの写真を一枚も撮らなかったな。

 

                                             (つづく)

 

 

3月8日

 

朝、5時半頃に目覚める。

7時前にはホテルを出てプレイス・デ・イタリーへ行く。

通勤前なのかメトロの車両も乗客はまばらだ。

マクドナルドで何か食べようと思ったら開店は7時半からだということで寒い中、少し待つ。

朝食メニューを取ってからバス(64番)でセーヌ河(西の方)へ向かう。

途中で「さくら」という日本レストランを見つける。

88年の夏に逢ったT口さんという女性がバイトしていた店だ。(T口さんはその後、NHK

番組制作の仕事をしているらしい)

当時はどこに場所があるかも知らなかったんだけど、こんな外れにあったんだ。

バスの中からエッフェル塔が見えたので降車する。

何という橋か名前も知らないけど何枚か撮る。

 

その後、オデオンへ行く。

ここが僕にとって一番想い出のある場所だ。

この通りにある「ステラ」という安ホテルで過ごした時間が一番長いというのもあるが、ここで

いろいろな人と出逢った。

「ステラ」は今も健在でシングル(バスなし)30ユーロ(約5千円弱)からと料金も安いままだ。

通りには日本レストランが8軒も出来ていて、オペラ界隈にようだった。

リュクサンブール公園を散歩した後、サンジェルマンに新しく出来ていたモールがあったので

アップルパイとクロワッサンを買った。

12時にM田氏とCD・エトワール駅で待ち合わせだ。

20分も前に着いてしまったので、さっき買ったペストリーを食べる。

M田氏も丁度12時にやって来た。

今日は郊外の街、シャトー・ロワシーまで行く。

印象派の画家が描いた風景が残っているということなんだけどーーーーーー。

約四時間くらい散策した後、M田さんのアイデアでサンジェルマン・アン・レーまで路線バスで

行くことにした。

この街は初めてパリに到着した時にM田氏が案内してくれた街だ。

当時は寒くて、ただ公園内の写真を撮っただけなんだけど、今回は街の中を散策をした。

それと時間的なものなのか現地の人が多く、活気のある街にみえた。

 

パリ市内に戻ってレストランで夕食でもーーーと、思っていたんだけど、「コメルス」というレスト

ランは7時開店で、かなり時間がある。

ガイドブックで他のレストランを探し、サン・ポール(メトロ)通りに行くーーーーが、ここは閉鎖し

ていて営業してなかった。今日は朝から歩きづめだったので、かなり疲れていたので食事は中

止ということにした。(レストランで食事を取ると二時間はかかる)

ホテルに入る前にマクドナルドでハンバーガーを齧って帰る。

部屋に入ってベットに横になったら、いつの間にか眠っていた。

9時過ぎにM田氏から電話があって、部屋を移動したら妙に綺麗なんだけど、料金が間違っ

ているんじゃないかということをフロントで問い合わせて欲しいと言うことだ。

まあ、M田氏のフランス語より僕の英語の方が確かなので明朝、M田さんのホテルに出向い

てフロントに説明することにした。

そして、また眠りにつくがーーーー、今度はウチのヨメさんからの電話だ。

もう12時過ぎだ。

「のんびり、眠らせてくれよー!」

 

                                                   (つづく)

 

 

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