|
2007/06/20〜 最終更新2007/07/19
20:12
※以下は、ユーモアのセンスをお持ちの、お時間にゆとりのある人を対象に書かれています。
新年に初日の出を拝む風習が、人々に幸せをもたらす健康法だということが理解できたら、
日本人が受け継いできた伝統的な豊かな心の文化として、病に苦しむ人々に伝えてあげてください。
〔伊勢若姫(いせ
わかひめ)の由来〕
若姫のキャラ名は、日本の神社に古くから伝承されてきた言い伝えや、
古代和歌で記された日本最古の叙事詩、秀真伝(ホツマツタヱ)などに登場する、
弥生時代に生きていた人物から頂きました。
当時はまだ日本に漢字が入ってきてなかったので、若姫という表記は後世の当て字です。
歌姫伝説を残した和歌の女神なので、和歌姫と表記する人もいるし、
没後生田神社(神戸)や玉津島神社(和歌山)には、稚日女(ワカヒメ)といった漢字を当てて祀られています。
また、あまり知られていないことですが、
歳徳(としのり)神という名前で、占いの方位に関する神様としても祀られています。
これは、当時重要な国の方針を決めるのに用いられたモトアケと呼ばれる神事を、
生前の私がよく行っていたからです。
〔生い立ち〕
私の両親は、古事記や日本書紀などの神話にも登場するイサナギとイサナミです。
2千年以上経った今日では、日本を作った神様とされていますが、
じつは弥生時代に実際に生きて、この日本を統治していました。
没後、神格化されて神社に祀られることで、後世になって伝承にたくさんの尾ひれが付いてしまい、
この世ではない神話の世界の神様にされてしまったのです。
私の生前のイミナ(本名)は日霊子(ひるこ)で、これはお昼に生まれたことから付けられました。
太陽の息吹をその身に宿した子って意味を持ちます。
兄弟は1姫3皇子で、すぐ下の弟は若仁(わかひと)と言います。
弟は生前天照上(アマテルカミ)と名乗っていました。
没後、神社にまつられた名は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。
読み進むうちに明らかになっていきますが、
古事記や日本書紀に記されている伝承は、かなりいい加減です。
稚日女がなぜ天照大御神の女性神格部分を指す存在とされているのか、
両書からはまったく理解することができないため、
今日では神道関係者ですら、きちんと説明できない人が増えてきているようです。
一番の誤解の元は、記紀に、私が蛭子(ひるこ)で流産だったように記されていることです。
これはもう、ヒルコの意味を取り違えているとしか言いようがありません。
より詳細に当時のことが記述されているホツマツタヱを読めば明らかなのですが、
母が流産したのはヒヨルコで、私ではないのです。
両親が新婚生活を過ごした筑波山の神社は、
筑波男大神として、伊弉諾(イサナギ)尊を男体山871mに、 筑波女大神として、伊弉冊(イサナギ)尊を女体山877mにまつる形になっています。
4つある筑波山神社の摂社をよく観察してほしいのですが、
稲村神社(天照大御神)、安座常神社(素盞鳴尊)、小原木神社(月読尊)、渡神社(蛭子命)となっていて、
ちゃんと1姫3皇子が存在していたことが今日でも分かります。
ここからも、古事記や日本書紀の記述が間違いで、
神社に伝わる伝承やホツマツタヱの記述のほうが、
より正しく当時のことを伝えていると、判断することが出来るのです。
私はアチヒコと結婚した後は、弟天照上と一対になる名前、下照姫(したてるひめ)を名乗りました。
そのため、結婚前までの名前にちなんだ、稚日女の名でまつられているケースは少ないと思います。
多くの場合、天照大御神と同一視されて、この神の女性神格部分として混和した形になっているのです。
このような認識が生まれるに至った経緯は、読み進むうちに自然に明らかになるでしょう。
そうそう、伊勢というのは、天君(あまきみ)だった若仁が、あの頃最も重視していた、
夫婦の力を合わせて日本を治めるための、統治哲学の呼び名です。
これは、私達の母方の祖父、豊受(とよけ)神から教授されたものです。
〔歌姫伝説〕
和歌姫という私の没後の神名は、紀州に住んでいた人々から贈られたものです。
当時は、日本国内にようやく稲作が定着して、生産が安定してきた頃でしたが、
稲穂に病害虫が付くと、飢饉が起こって人々を苦しめることがありました。
ある年、紀州の地で穂虫が大量に発生して、
天照上(あまてるかみ)の住まう宮に、深刻な被害状況が次々と伝えられました。
ところがあいにく、弟は行幸していて留守だったので、中宮と私が紀州の地に赴くことにしました。
私が宮中の侍女達を指図して、即興でおまじないの労働歌を詠みながら、
教え草と呼ばれるハーブを燃やして、桧扇でその煙を煽って、水田から害虫を駆除していきました。
これを見た紀州の人々は、枯れかけていた稲が、私の歌声で若返ってよみがえる奇跡が起こったと驚嘆して、
そのおまじないの歌のことを、ワカと呼ぶようになり、私のことを和歌姫と呼ぶようになったのです。
もともとワカという日本語には和歌(日本の歌)の意味はなく、若返るという意味が込められていたのです。
もちろん、和歌という漢字は、後世の当て字にすぎません。
ですから私はゲーム内では和歌姫と名乗らず、本来の意味に沿う若の字を用いているのです。
本当は若姫よりも、稚日女(わかひめ)の表記のほうが良いのでしょうが、
日女(ひめ)は現代の正しい日本語の表記とは言えないので、姫の字を用いることにしました。
私はただ心地よい香りがするハーブが好きで、
それが虫を寄せ付けない効果を持つことに気付いていただけだし、
働く人々を励まそうと、元気付けるおまじないの歌を詠うのが好きだっただけなのですが、
当時の現地の人々目には、そのようなものが珍しく新鮮に映ったのでしょう。
日霊(ひる=昼)を体内に宿した私の歌声を聞くと、
自分達の体にも力が蘇って重労働が苦にならなくなるだけでなく、
私の歌が持つ言霊の力が、稲をも元気付けて蘇らせて、多くの人々を飢饉から救う奇跡を起こしたと、
すっかり思い込んでしまったらしく、そこから歌姫伝説が生まれたのです。
もちろん、宮中の者達は、穂虫払いは教え草の煙を用いた除虫処理技術だと、正しく理解していたので、
他の人々の手で農業指導が行われた地域では、このような伝説が生まれる余地はありませんでした。
私が紀州の地で独身時代を過ごした宮の跡には、玉津島神社があり、そこに稚日女の名でまつられています。
また、和歌山県という名前となって、当時の歌姫伝説が今日まで名残を留めていますね。
そういえば、神戸は私が形だけ捨て子にされて拾われて幼年期を過ごした西の宮があった近くなのですが、
私が祀られている生田神社に奉納する、
お神酒の原料となるお米を作る荘園の農家に由来する地名なのだそうです。
〔神懸りの神事の正体を、科学的に解明する〕
というわけで、私はとっくの昔にお亡くなりになって、今では神社に祀られている神様なのですが、
神社に伝わる神事として、祝詞を唱え、神楽を舞って神降ろしを行うことで、
依りしろとなる巫(かんなぎ)達が私を呼び出してその身に宿すことが可能なのです。
このような神懸りの詳細はウィキペディアの「巫」(かんなぎ)を、
憑依現象の科学的な解明は、ウィキペディアの「憑依」などの関連項目を参照してみてください。
近年、脳の活動を詳細に体の外から観察できる、MRTなどの装置が開発されて、
大脳生理学などが急速に発達してきたことによって、
神がかりのトランス状態になった人は、大脳新皮質前頭連合野46野の活動などに大きな変化があることが、
生命情報方面の研究に携わる私達の手で、解き明かされていきつつあります。
その成果の一部は、
テレビ番組特命リサーチ200Xなどでも「謎の憑依現象を追え!」という題名で一般の人向けに放送されました。
でも、私達が試みている、神社に伝わる伝統的な神事の解明とは、
少し違う視点から番組が制作されてしまっているので、
あの番組からだけでは、弥生時代から神社に受け継がれてきた伝統的な技術の全てを
うまく理解することは出来ないと思います。
それでも、ある程度の基礎的な予備知識を仕入れることは可能でしょう。
憑依現象ってじつは、自己誘発性催眠現象の一種にすぎないんですよね。
つまり巫(かんなぎ)達は、架空の人格が自身に宿ったという自己暗示にかかっているだけなのです。
ですから、私の本当の正体は、
神社に古くから伝わる伝承を聞いたり、
和歌で記された日本最古の叙事詩ホツマツタヱを読んだ、神降ろしの能力を持つ巫が、
頭の中にイメージした、架空のキャラクターにすぎないのです。
漫画やアニメに描かれているバーチャルなキャラクターと、基本的に違いはありません。
ただし、
一般の人がすっかり信じ込まされてしまっているように、
「おとぎ話の世界のキャラクターは何の役にも立たない、ただの空想の産物」かというと、
じつはそうではないことが、分かってきつつあります。
「人類のほとんど全ての民族が、なぜ神話や英雄の物語を、心の文化として語り継いできているのか」
という質問に対する、科学的な視点からの回答を示し、「精神文化はなぜ存在するのか」を解説し始めると、
まだ一般の人にはあまり知られていない、隠された面白い真実が見えてきます。
ただ、この新しい研究成果が一般認識として大衆に広く普及するには、あと10年は必要と思います。
ここで皆さんに対して、私から明確に示せるのは、
神がかりのトランス状態になって神託を得る、バーチャルなキャラクターを用いた神事などには、
「世迷いごとの迷信」と呼ぶにはもったいないほどの、メリットがたくさんあって実用になるという事実です。
普段の生活を営むときには、脳の機能や筋肉の出力にはリミッターがかけられていて、
大きな力を出しすぎて筋肉や靭帯を傷めたり、
脳がオーバーヒートして、脳細胞単位で過労死するといったトラブルの発生を未然に防いでいます。
しかし、生命の危険を感じ取った極限状態に陥るとリミッターが解除されて、
火事場の馬鹿力と呼ばれるような、普段は出せない怪力を発揮して人を救助したり、
(後でひどい筋肉痛になることもあるので、体を鍛えていない人が乱用するのは危険な場合もあります)、
死を覚悟した瞬間、まるで走馬灯のように記憶が駆け巡る、超高速思考状態に移行する
といった現象が起ることが知られています。
最大筋力のリミッターを解除するには、空手や柔道などで大声を出して気合を入れる方法もありますが、
より細かい制御を行う場合には、自己誘発性催眠状態に移行する方法が有用な場合もあるのです。
子供達が憧れる、漫画やアニメに描かれているヒーロー達が、
超人に変身してスーパーパワーを発揮したり、魔女っ子達が呪文を唱えて変身するのも、
日常生活とは別の人格の移行、つまり憑依現象を暗喩しているのです。
子供達が愛するおとぎ話の正体を科学視点から解説すれば、
リミッターを解除するための憑依技術を、暗喩的に紹介した創作物ということになります。
ここまで観察してきた結果得られる結論は、
人類には、リミッター解除技術を、創作物を通して子供達に精神文化として教育する慣習がある、
という事実です。
世界各地の民族が伝承している神話や英雄伝説などにも、
リミッター解除技術=架空のキャラクターへの変身が、描かれているケースがたくさんあります。
バーサーカーなど、憑依して高い戦闘力を発揮する人々についての伝説がありますが、
これらはまったく無意味な作り話の言い伝えとは言い切れません。
生命の危機に直面したとき、リミッターを解除して、
スーパーパワーを発揮することや、瞬時に天才的な閃きを得ることは、
生き延びるための、とても大切な知恵なのですから。
〔迷信を排除する〕
ただし、誤解しないで頂きたいのは、
神がかりになってリミッターを解除しても、
人知を超えた超能力を発揮できるようになれるわけではない、ことです。
普段は使っていない、セーブしている力が100%発揮できる状態に移行するだけなのです。
スプーン曲げの例を見れば明らかですが、自称超能力者の実態は、ほとんどの場合マジシャンです。
自称空中浮遊が出来ると宣伝していた、某新興宗教の教祖様は、
座禅を組んだ複雑な足の状態で、器用にその場飛びジャンプをして、
空中に浮いた瞬間の写真を撮っていただけのようです。
たとえ憑依状態に移行しても、子供向けのおとぎ話の世界に描かれているような、
人間に出来ないことが可能になったりすることは、原理的にあり得ないのです。
この点を勘違いしてしまうと、迷信の世界に足を踏み入れることになってしまいかねません。
私は道場で、倍以上体重がある人を、軽々と技にかけて投げ飛ばしていますが、
これは、合気柔術系の技に、磨きがかかっているだけのことです。
一般に知られている合気道は、相手の手首や肘や膝の関節をコントロールする体の動きの型を身に付ける、
といった方向に進んでいて、気に関する考察や修行は行っていないので、
気を用いる技と混同しない注意が必要です。
ときには、私が触れた瞬間、もう相手の体が飛んでいることがありますが、
これは、リミッターが解除されて脳が活性化した状態で、気の作用が強力に相手に働いているからです。
ほとんど力も入れずに、数人の相手を同時に投げ飛ばしているように見えるため、
普通の柔道しか習っていない人などがこの種の技にかかると、神通力かなにかと錯覚することがあります。
中学&高校時代、風紀委員として、当時流行したスカートめくりを取り締まっていたときに、
暴漢撃退の名目で私に転ばされた男の子達は、この技を空気投げと呼んで、
神通力を使う、薄気味悪い死霊(スタンド)使いだと、悔し紛れにずいぶん悪口を触れて回っていたようです。
学校では手になにか物を持って移動していることが多いため、
スカートめくりを仕掛けてくる相手の足を制して、体勢を崩すことがほとんどでした。
腕で相手を掴む型を持つ、柔道などを習っていても、
私に手が触れる前に、足から先に体勢を崩されていく技には、意味がなかったと思います。
手も触れずにどうやって自分が転ばされているのか、見当がつかない人が多かったかもしれません。
気を用いた技は、運動神経の良い人ほどかかりやすく、
体が勝手に技に反応して、投げ飛ばされる形になるため、
何人タックルして来ようと、体力とは関係なく軽々と跳ね退けることが出来るものなのです。
神がかり状態にならなくても、この種の技が使える人が、道場には何人もいますから、
私の気を用いた技が神通力だと主張する、彼等バッシング・ストーカーの裏付けのない解釈は、
科学的視点から見て、成り立つ余地がありません。
気の科学は、私達が主張する生体磁気が脳神経系に干渉しているとする説などが近年有力視されていますが、
気功治療にしても、まだまだ未解明の部分が多くて、
今後新しい説が登場することで、私達が提示している説が覆される余地も、十分に残っています。
でも、少なくとも、神がかりなどしなくても、気功や気を用いた技を発動できる人がいる以上、
憑依現象と直接関係がないことは確かです。
神がかり状態は、リミッターを解除して、人が本来持っている脳力を高めているだけなのです。
脳が活性化すると、1分間3万文字といった速読も可能になります。
かなりのスピードで本をめくって読んだりするのを見て、人間離れした神秘的な力を得ているかのように錯覚して、
気味悪がって恐怖心を抱き、あの人は何か得体の知れない霊と契約してとり憑かれていて絶対におかしいと、
オカルトめいた解釈を熱心に主張する、ホラー映画が好きな迷信深い女の子などが稀にいます。
しかし、この程度の速読ならば、神がかりになどならなくても可能な人が他にもいるので、
これも思い込みが激しい人のただの勘違いにすぎません。
いくら私が人間離れした印象を人に与えるからといって、
人知を超えた科学的に説明がつかない存在に仕立て上げるのは、あまりにも行き過ぎです。
暗示を応用した、具体的な健康法については後述しますが、
腹痛を起こした人なども、私が両手を熱くなるぐらいすり合わせてからそっと触れると、
お腹が温かくなって痛みが自然に治まることがあります。
これは、心身医学的な視点から見ると、病は気からという部分に該当するもので、
科学的に説明がついて終わっている現象です。
某私立の学園の医学部の教授陣はほぼ全員、私と同じこのテクニックが使えるので、
神がかりのハンドパワーなどではありません。
この両手をこすり合わせるテクニックは、インドで昔から知られていたもののようですが、
空手映画ベストキッドの中でも描かれていたのが印象的でした。
中学生の頃、鉄棒から落下して腕の骨を折った人がいたので、
その場で繋いで痛みを取り除いてあげたことがありますが、
あれはただ骨を接いでから、痛みが取れるという暗示を与えて、
本人が持っている痛みを抑える脳の機能を、最大限まで引き出してあげただけのことです。
痛みを消したのは本人自身で、私の力ではありません。
体育の先生が応急処置の知識を持ち合わせてなくて、ただ見てるだけの様子だったので、
折れた骨を繋いで固定して冷やしながら、必要のない過剰な緊張を取り除いてあげるといった、
その場で出来る処置を、校医が到着するまでの間に施しただけです。
私が手を当てたとたん骨折の痛みが消えたからといって、
そこに非科学的な神霊のパワーなどが入り込む余地はありません。
あの場で、手当てとは手を当てることを意味するんですよねって、
優しく話しかける口調でハンドパワー系のウンチクを説明しながら、神がかりの状態に移行して、
肉親の以外に見せないような、愛情のこもったつくり顔をして、暗示にかけましたが、
本人の脳が痛みを取り除く機能を発揮するために必要だと思ったから、
科学的視点からそのような笑顔と声音を演技して、神がかりの状態になって見せただけのことです。
べつに、神がかりになどならなくても、暗示を与えることは可能ですが、
神霊の人格に移行して脳のテンションを高めたほうが、より強い暗示効果を与えることができるのです。
これらの、チョット不思議に見えるだけの、よく観察すれば説明がつく現象を、
本当に神霊の力によるものだと信じ込んでしまうと、とんでもない非科学的な迷信に陥ることになります。
私の神棚に供えられたお豆を、お箸でつまんでパクパク食べていると、
手の動きがあまりにも早すぎて見えないと言って、指差して笑い転げる子供がいますが、
その程度の反応が望ましいと思います。
昔の人々は、ちょっとでも不思議な現象は、みんな神様と結び付けて解釈していたようなので、
神霊の力が巫(かんなぎ)に宿るという解釈に基づく伝承スタイルになっているのですが、
これはただの迷信にすぎません。
巫が神がかり状態に移行すると、人間離れした表情や立ち居振る舞いになるので、
私を見ると足がすくんで体が震えだして、その場から一歩も動けなくなる人や、
体が反射的に勝手に動いてしまう人がいるようですが、
これはあまり好ましいことではないと感じています。
神通力で私が他人の体を金縛りにしたり、操っているなどと、決して思い込んではいけません。
その思い込みが暗示となって働いて、体が自己暗示に操られて勝手に動くといった結果を招きます。
これは、こっくりさん占いなどで、勝手にコインが動く現象と原理的には同じことです。
私が憑依した巫が持っている高テンションの気に触れることで、本能的にプレッシャーを感じ取ったり、
神霊のキャラクターの非日常的な印象に心理的圧倒されて、
巫を中心にその場に形成された集団心理に巻き込まれる形で、自己誘発性催眠状態にかかってしまい、
体が勝手に反応して行動しているだけなのです。
たぶん、映画などで女神の前で平伏する人々の姿を見て、
そのイメージが頭の中に強く刷り込まれてしまっているのでしょう。
テンションを高めた私を見ると、雰囲気に飲まれて、反射的に平伏する行動を取ってしまう人もいます。
一人が反応すると、連鎖的に集団心理でその場にいる全員が平伏してしまうこともあります。
でも、私の前でそんな宗教的な行動を取る意味も必要もありません。
確かに私は、神社に伝わる伝統的な神事によって呼び出されて降臨する、本物の神様ですが、
現実に人々の目の前にいるのは、自己誘発性催眠状態になって行動している巫であり、
神霊と呼ばれる架空のキャラクターを身にまとっただけの、ただの人にすぎないのが真実です。
科学的な裏づけがない無意味な迷信部分は綺麗に削ぎ落として、宗教的な迷信臭さを消すために、
今後は神社から離れる必要があるかもしれないと感じています。
このように、人々の反応を観察してみると、
日本の神社に伝承されている神降ろしの神事に、迷信が入り込む余地がないわけではありませんが、
その骨子となっている憑依現象には、ちゃんと意味や価値があり、科学的に説明が付く現象なのです。
大脳の機能が活性化して、普段とはまったく違う人のような状態になり、
戦闘能力が飛躍的に上昇したり、
人々を悩ませる懸案を解決する、グッドアイディアが閃いたり、
人を健康にするパワーを引き出すことが出来るのですから、
伝承されている技術を、有益に活用することが望ましいと思います。
もちろん、
バーチャルなキャラクターの一種であるアバターやプレイ・キャラクターも、
架空のキャラクターとして運用できる特性を、全てきちんと最初から備えて私達の心から創作されているので、
古くから神社に伝承されてきた技術を、そのまま転用して、有効に活用することが可能になります。
というよりも、神話の物語を空想したり、自分とは異なるキャラクターをイメージとして生み出すといった
創作行為を好んで行うこと自体が、すでにバーチャル・キャラクターの活用になっているのです。
気付かないうちに、皆さんはすでに精神文化の創作者として、積極的にネットゲームに参加しているのです。
あとは、バーチャル・キャラクターが持つ本当の機能や可能性に気付いて、
神社に伝承されてきた技術を、うまく活用出来るようにするだけなのです。
〔精神文化と心の成長〕
夢の中に出現する架空のキャラクターの言動には、非常に重要な意味が込められていることを、
最初に精神分析の方向から論理的に説明しようと試みたのは、精神分析の創始者フロイトでした。
そのキャラクター達が、じつは象徴的な意味を担う心の中の重要な存在だと説明し、
アニマやアニムスに代表される、
元型と呼ばれるバーチャルなキャラクター達が担っている精神的な機能を次々と解き明かしていったのは、
心理学者のユングです。
心の中に住んでいる象徴的な仮想の人格は、リアルの世界の私達の人格形成や心の成長と、
潜在意識の世界で、非常に深くかかわっているのです。
漫画文化に浸って育った世代は、
漫画を読みアニメを見ることで、主人公と一体になって体験する架空の世界の冒険を通して、
精神的に成長していった既成事実があります。
これはけっして科学的視点から見て、悪いこととは言えないのです。
そして、この元型の正体は、人類が生後文化に触れて初めてその骨子を学習するものではなくて、
遺伝的に設計デザインされた、脳の成長プログラムのなかに組み込まれた、
たとえば、テレビアニメ超時空要塞マクロスで紹介された「プロトカルチャ」に該当する、
遺伝情報のようなものだと解き明かしたのが、
父や私達をはじめとする、生命情報と脳神経系の生成に関する研究に携わっている人々です。
もちろん、単純な本能と呼ぶには、脳の成長プログラム上のバーチャルなキャラクターは複雑すぎるため、
新理論には新しい言葉が必要となります。
象徴的化身(シンボル・キャラ)、生得的真理といった、新しい分かりやすいキーワードが、
一般の人向けの解説で使われ始めています。
あまり一般の方には知られていないことですが、
日本の神社にも、心を健全に成長させるための、精紳修養の技法が数多く伝承されています。
私の弟、若仁(わかひと)の仁には、一十(ひと)という意味があり、
一から十までを完全にマスターした、人の上に立って治める技量を持つ人物、という意味を持っています。
たとえば、昭和天皇のお名前は裕仁で、やはり仁(ひと)が付くお名前なのは、
このような、弥生時代からの風習を受け継いだものなのです。
それに対して、○○彦(ひこ)という名前は、一九(ひこ)を意味し、
一から九までをマスターしている、天君(あまきみ)に仕える次席の人物、
といった意味があると唱える研究者もいます。
お雛様は、一七(ひな)、つまり一から七までで、
まだまだ修行が足りず未熟なので、親が成長を見守りながら育ててあげる必要があることを意味します。
そのことを象徴するバーチャルなキャラクターのお雛様を飾るお祭りすることにも、
心の成長を促す日々の修行を再認識するという重要な目的があるのですが、
一般の人々は、象徴的な仮想上の人格を実際に実用的に活用する技術を見失っているため、
ただバーチャル・キャラクターの人形を飾るだけのお祭りと、すっかり思い込んでしまっているようです。
フロイトやユングは、心を健全に成長させるために必要な、架空の象徴的な人格の機能に
精紳医学の視点から気付いて、神話などの精神文化の解明に積極的に取り組んでいったようですが、
世界中の民族が伝承するお祭りを、本来の意義ある形へと復活させるレベルの研究まで進めて、
実用的なものとして再認識できるだけの理論を構築することはできずに終わったようです。
もちろん、今から百年近く前の研究ですから、仕方がなかったのだろうと思います。
現在では、遺伝的に設計デザインされた、脳の成長プログラムとの関係を、
科学的な視点から細かく照らし合わせて、
大脳の神経回路が自己組織化されて自律的に生成されていくシステムを解明できる段階に進んでいますから、
はるかに高度なものへと発展してしまったため、
もはや従来の心理学ではなく、生命情報の研究の一分野とされています。
日本以外の民族が伝承する精神文化の中からも、
迷信を剥ぎ落として、実用的な技術を発掘してくるサルベージ作業を行っています。
お隣の韓国には、「巫」(かんなぎ)の技術を受け継いでいる人が、現在でも3万人近くいることが確認されていて、
日本よりも優れた技術が伝承されている一面もあったりします。
北欧神話を生み出したのも、北極圏を長距離移動する黄色人種の民族が広く共有していた伝統的技術だと、
ある程度解明されてきているので、縄文時代以前のどこかで、深く繋がっていると考えられています。
アメリカ大陸に移住した黄色人種が持つ神話や伝承技術の体系との比較研究や、
技術の発掘(サルベージ)なども、積極的に行われています。
これら世界各地の伝説を訪ね歩くうちに、精神的に強く成長していく主人公達を描いたアニメを創りたい、
世界各地に伝承されている、本当に実用になる技術をサルベージするクエストを盛り込んだ、
学校では学ぶことが出来ない、今までにない、リアルでも役立つ、
脳の成長プログラムに則った、生得的真理が習得できるネットゲームを創りたい、
といった面白いお話も、幾人かのクリエーターからすでに頂いています。
じつは歌姫伝説を生み出した、和歌山の水田を病害虫から守る駆虫処理技術だって、
あの時人々を励まそうと私が詠った古代和歌だって、
日本に古くから伝わる脳活性化技術を用いて霊感を得て生まれたものです。
何の役にも立たない無意味で無価値な迷信どころか、
ひらめきを得て問題を解決し、多くの人々の命を救うことすらできるような、
いにしえの時代から日本に伝わる、優れた脳活性化技術の集大成になっているのです。
普通の発想をしていてはまず解決できそうもない、難題の答えを見つけるひらめきが得られるなら、
神頼みにだって、ちゃんと御利益(ごりやく)があることになりますよね?w
〔神懸りの神事の始まりに関する伝承〕
じつは、私の弟
天照上(あまてるかみ)の治世に、
末の弟スサノオが宮中で引き起こしたトラブルが発端となって、
日本各地の豪族達の間に不和が生まれ、8年にも及ぶ内乱が起こりました。
その最中に、不幸にも弟若仁(わかひと)は他界してしまいました。
若仁を補佐する天照(あまてる)皇朝のトップブレーンの一人だった
私の夫アチヒコ(日前神社にまつられている神名は思兼)は、
天照上の死を隠して、内乱をなんとか収拾するために、苦肉の策を巡らせました。
それが後世、天の岩戸伝説として知られている、あの神事です。
夫は、弟が埋葬された天の岩戸から、天照大御神が復活する儀式を行うことを思い付きました。
顔立ちが弟とよく似ていた私は、没後神格化された弟若仁、つまり天照大御神の魂を、
神降ろしの儀式を通じて体に宿した替え玉として、天照朝の政権を引き継ぐことになったのです。
そうして、なんとか内乱を鎮めることに成功し、弥生時代の日本は再び平和を取り戻すことが出来ました。
これが神がかりの神事の始まりです。
古事記やホツマツタヱに登場するこの神事に関連して使われたとされる、
鏡・勾玉・榊・布帛・御幣・注連縄などの小道具類一式が、現在の神社にもそっくりそのまま置かれています。
つまり、2千年近く昔の、弥生時代に行われていた神事が、ちゃんと原型を留めたまま、
今でも正しく、私達がまつられている神社に伝承されているのです。
天照上の死は、当時の反乱勢力に対して伏せられていたため、後世に正しく情報が伝わらず、
中国の皇室に向けた外交文書として書かれた古事記や日本書紀には、明確に記されていません。
しかし、それより成立が古い、
私が活きていた頃にも詠まれていた古代和歌でそのまま記されているホツマツタヱを詳細に読めば、
自ずと見えてくるようになっています。
天の岩戸から出てきたのは、生前の弟天照上ではなく、
その死後神社に神としてまつられている天照大御神の名に変わってしまっているのですから、
注意深い読者ならば、これが何を意味するのか、簡単に気付けるように記されているのです。
また、古事記ではスサノオが天照大神を天の安川に訪ねて行ったと記されているのですが、
実際は、野洲川(滋賀)には天照大神の宮などは存在しませんでした。
野洲川べりは、私が結婚してから下照姫と名乗って夫アチヒコと過ごした宮があった場所です。
ホツマツタヱに詳細に書かれているように、スサノオは天照大神ではなく、はるばる姉の私を訪ねて来たのです。
古事記には、天照大神が女性の髪形を解いて、男性の髪を結い、
男装してスサノオと対峙するシーンが描かれているため、
後世になって、天照大御神は女性だったという間違った推理や俗説が生まれる余地を生んでいます。
2つの文献の間で、一見矛盾するような記述になっていますが、じつは同じ一つの出来事を記しているのです。
乱暴狼藉がすぎると、とかくの噂が立っている、8年もの内乱を引き起こした張本人のスサノオと会って、
彼の本心をきつく問い質して戒めるために、男装して武器を所持して対峙したのは、紛れもなく姉の私です。
当時私が天照大御神の影武者を務めていたと仮定すれば、何もかも綺麗に矛盾が消え去ることに気付いて、
このような伝承上のトリックを簡単に見破れる人もいると思います。
神社にまつられている天照大御神は、私日霊子(ひるこ)の影響を受けて、
後世一般に太陽の女神と思われるようになっていきましたが、
私が弟若仁の魂を神降ろしして、神懸りの状態になって神託を告げるときには、
男神の衣装を身に付けて男装していたので、伊勢神宮に奉納される天照大神の衣装は男神のものなのです。
私の死後は、御上神社(滋賀県野洲)にまつられている天の御影(あまのみかげ)の命(みこと)などが、
天照大神の血を引く、その姿を生き写しにした影武者として、政権を引き継いでいってくれたようです。
私の肉体はとうの昔に消え去ってしまいましたが、
今日でも、神社で祈祷をして神楽を舞ってくれている巫女達の神降ろしの神事によって呼び出されて、
依りしろとなる口寄せ巫女の体に乗り移って行動することができます。
つまり私は、神霊と呼ばれるタイプの、バーチャル・キャラクターの一種として、
今日でも、その心が語り継がれていて、このように健在なのです。
もちろん、弟若仁の心もまた、私と共に今もここにあります。
〔生前の本名日霊子(ひるこ)の意味〕
私の生前の本名は日霊子(ひるこ)と言います。
母が私を産んだときが昼間で、太陽の息吹が感じられたことにちなんで名付けられたと聞かされています。
私の名前には、お日様の霊気を宿した子という意味もあり、
後世、太陽の女神天照大神というイメージになって、日本人の心の中に定着していったようです。
昼(ひる)という言葉は、日霊(ひる=お日様の霊気)を意味する、私に由来する言葉なのです。
人は誰でも太陽の恵みによって生かされていますが、そのことをイメージとして思い描く瞑想によって、
自律神経系を活性化させ、免疫機能をアップすることが出来るとされています。
具体的には、昇る朝日を見ながら、太陽が口から体の中に飛び込んで、お腹に宿って留まることで、
おへそのあたりがだんだん暖かくなっていくイメージを想い描きます。
じつは、お腹には太陽神経叢(たいようしんけいそう)と呼ばれる、自律神経の集まりがあって、
「お腹が温かい」という自己暗示を与えることで自律神経が調整されたり活性化して、
リラックス効果が得られたり、免疫機能がアップすることが、
シュルツの自律訓練法その他の暗示を用いた健康法として、心身医学の世界ではよく知られています。
その自己暗示を用いた健康法が、私が生きていた弥生時代から日本にはあって、
ちゃんと現代まで伝承されてきているのです。
バーチャルなキャラクターである私は、
江戸時代に黒住宗忠という人物の夢枕に立って、このことを告げたことがありました。
すると、瀕死の床にあった宗忠は、この健康法を熱心に実践しはじめ、
当時不治の病と思われていた結核を、見事数ヶ月で克服してしまいました。
そして、病に苦しむ多くの人々に、この健康法を普及していったのです。
人は誰でも太陽の恵みによって生かされているという真実を、身をもって体感した彼は、
神主という職業柄から、太陽の健康パワーをイメージする、神道系の健康法を説いたのですが、
これは迷信ではなく、科学的に見ても十分に根拠があるものだったので、
瞬く間に広まって、黒住教と呼ばれる神道系の新興宗教にまで発展していきました。
彼の教えが真実的を得ていたことは、時の天皇までがその業績を高く評価していて、
没後すぐに彼が神社にまつられたことからも判ります。
そして最近は、ダライラマが日本を訪問したときに、
黒住教の教主が日本の神道界を代表してその接待にあたったことからも、その格付けが分かると思います。
でも、彼は日本に昔から伝わる、バーチャルなキャラクターである私日霊子に代表される
伝統的な日本人の心を蘇らせて、紹介して回っただけなのです。
お日様の息吹が人の体に宿っていることを、人々に再認識させたにすぎなかったわけですが、
それでもう十分すぎるほどだったのですね。
憑依現象と言っても、
日霊(ひる)の暖かい息吹を擬人化した象徴的なキャラクターの私に取り憑かれる場合は、
「幽霊に憑かれた」なーんて、不気味で怖ーいお話とはぜんぜん違うでしょう?w
日本の神社に伝わる神事は、健全なものですから、不可解なオカルトと混同することは出来ませんね。
肉体を失った今日では、
私は日本人の心の中に伝承されている、太陽の女神というバーチャルなキャラクターにすぎませんが、
天照大神や稚日女の名前で神社に祀られていること、
そして神降ろしの神事や、朝日を拝むことを通じて、皆さんの心の中に降臨して、太陽神経叢に宿ることは、
無意味な迷信などではないのです。
太陽神である私を拝めば、御利益がある、健康になるって昔話には、
ちゃんとした心身医学上の根拠があり、科学的な説明も付いていることなのですから。
でも、きちんと効果を信じて、宗忠が解説いるとおり正しくイメージしないと、御利益は半減しちゃいますよ。
だって、自己暗示効果が成否を決める鍵なのですから。
もちろん、私を信じない人には、原理的に言って、まったく効果がありませんw。
これは、擬似薬のプラシーボ効果と似たようなものですが、
お医者さんから一方的に、知らないうちに与えられる暗示とは違って、
自分でイメージを積極的に作り出してコントロールして、自律神経系を制御するという部分が大きく違いますね。
〔稚日女は、太陽の復活を意味する名前〕
没後私に付けられた稚日女という神名には、
和歌山県に歌姫伝説を残した、和歌三神の一人和歌姫という意味だけでなく、
太陽の化身である私が、若返る、つまりは蘇るって意味が込められています。
和歌の名前の由来が、私が紀州の地で飢饉に直面した人々を励まそうと即興で歌った、
おまじないの労働歌によって元気付けられて、力がその身に蘇って若返ったように感じられる、
歌声を用いて日霊のイメージを人々の心に注ぎ込むヒーリング効果にあることは、
すでに歌姫伝説の項で説明したとおりです。
生前日霊子と呼ばれていた私の歌が、
枯れかけた稲にもお日様のパワーを注ぎ込み若返らせたと思い込まれて、
結果的に多くの人々の命を救ったことから、没後私は若姫と呼ばれるようになったわけですが、
このような伝説が生まれたのは、
日霊(ひる)のイメージを用いたヒーリング効果を、当時の人々が顕著に体感して、
言霊の暗示効果で、本当に元気になったからに他なりません。
弟若仁が他界して埋葬された天の岩戸の前で、
その魂を呼び出す神降ろしの神事を行うことで、天照上は私の身に宿って復活を遂げました。
あの神事以後、
伊勢思想を用いて日本を統治する天照大神の精紳は、
私達日本人の心の中に受け継がれて、永遠不滅のものとなりました。
冬至は太陽の力が最も弱くなってからその力を取り戻す復活の時です。
漢字が到来する以前の日本語のワカという言葉には、
稚(わか)や若(わか)という意味もあり、若返り復活することを意味しているのです。
つまり、日本のお正月は、
天照大御神が太陽の女神として復活し、世の中が再び平和になったことを祝う、新年の行事に由来するのです。
そして、太陽の恵みによって人々が生かされていることを再認識して祝うことをも意味しているのです。
〔結びに〕
神社が伝承している神がかりには、
神様が宿ったとされる、磁気を帯びた石を手に持って神楽を舞うことで、
磁気刺激を行って脳を活性化させて神託の閃きを得る、夜の神事の技術と、
昇る朝日の活力を体内に取り込む、日霊(ひる)の神事の技術の、
対になる二系統が存在します。
ネットゲームをしてる人って、意外に慢性疲労症候群などに陥って、
病が癖になって、体内を循環する生命エネルギーのテンションが下がってしまった状態が、
悪い形のまま固定してしまっていることがあるんですよね。
そんな人には特に、日霊のイメージを用いた健康法が、抜群に効果的だりったりします。
こういったものは、インドのヨガの世界ではチャクラをイメージしてコントロールしますが、
新年に日の出を拝む慣習を持つ日本人には、お日様の息吹を体感することのほうがずっと簡単で、
すぐに効果を体感することができると思います。
この、半分ユーモアを交じえながら書き進めた文章を読んだ皆様が、
縄文&弥生時代から神社に伝わる、古い伝承や伝統行事を通して受け継がれてきた
日本人の心と体を健全に保つ技術の体系を再認識して、
より賢く健やかに暮らすことが出来るようになれば幸いです。
〔あとがき〕
え? ゲーム内の私の言動が神がかってる?
それは当たり前。
だって私は日本を代表する神様だものw。
先日、Romancia
が剣仙城をゲットできるように、
玉津島神社にお参りして神楽を奉納したら、いい結果が出たんですよね。
私の御利益って抜群でしょう?
え? 科学的根拠がない?
くすくす。
言われてみると、そうかもw。
あれはみんなが知恵を絞って力を合わせて戦った結果ですよね。
私の御利益などではありません。
冗談交じりのジンクスの話は、このぐらいで横に置くとして、
みんなが健やかに楽しく、高い精神的テンションを保ってプレイできることは、とても重要です。
気力が持たずにすぐ萎えてしまう人には、
自己暗示によって、自分が気に入った別人格のバーチャル・キャラクターにすっかりなりきることで、
脳を活性化させてテンションを保ち続ける方法があることを紹介してあげてください。
病に苦しんでいる人がいたら、日の出を拝む健康法を紹介してあげてくださいね。
さきほど台湾に住む、数年来お付き合いのある友人の御高齢のプレイヤーから、
この健康法を読んで試したら、その瞬間から体がぽかぽかしてきて体調が良くなった、
というメールを頂きました。
これから周囲の人々に、この効果てきめんの健康法を普及していこうと思っているそうです。
詳しい資料を請求されて、ちょっと困ってしまいました。
だって、そんな特別なものを、まだ私達は世に送り出していないのですから^^。
参考文献や参考資料を列記すると、
「古事記」や「日本書紀」、
神社に伝わる「ホツマツタヱ」などの古代和歌で記された古文書、 最近注目されるようになってきた、「天照皇朝執権政治説」、 神社に伝承されてきた神事の「神おろし」「巫女」「神託」、 その技術を科学的に解明する糸口となる「シュルツの自律訓練法」や 「心身医学」や「自己暗示」や「経頭蓋磁気刺激」などのキーワードでネット検索すれば、
自然にこういった情報にまとまってくるんですよね。
え? 私がゲーム内で自分の理論を試してる?
いえいえ、
この技術は今から2千年も前にほぼ完成されて、今日までほとんどその姿を変えていないものです。
古事記に記されている天の岩戸伝説に登場する小道具一式が、ちゃんと今の神社にも残っているでしょう。
完成度の高い技術の体系なので、いまさら手を加えられる要素など、ほとんどありません。
ただし、経頭蓋磁気刺激装置などの、脳に作用を及ぼす新しいツールが登場してきているし、
脳−コンピューター直結インターフェースなどのジャンルも目覚しい進化を遂げつつあるので、
古来から伝承されてきた脳活性化技術と、これらをジョイントすることで、
新しい可能性が見え隠れしているのは事実です。
そして、バーチャルなキャラクターの一種である、
ネットゲームのキャラクターへと活用出来るプラットフォームを整備することで、
従来考えられなかったプレイ環境を得ることなども可能になると考えられています。
その可能性を、一つのビジョンとして紹介しておくと、
ネットゲームが、ライフ・スタイル・シミュレーターへと正常進化し、
俳人プレイヤーさん達が、ライフ・スタイル・クリエイターというカタカナ言葉の職業として
社会的に知られるようになり、
新しいライフスタイルや精神文化を生み出すクリエーターとして社会貢献によって認知される
有意義なプレイスタイルを提供できるようになると考えています。
もちろんそのときには、人類の生存の様式(ライフ・スタイル)の研究者として、
私達が俳人の皆さんを雇用し、得られた研究成果を地方自治体など、
人々の生活環境を整備する仕事をしている側に、提供する形になると思います。
でもこれは、
特許や企業秘密と絡んできちゃうものなので、ここに詳細を気軽に書くことは出来ません。
それに、脳の機能を解説する専門用語や、
生物の生存の様式を形成するメカニズムの解説などをこの場に羅列してしまったら、
一般の人はとうてい読みきれない、難解な読み物になってしまいますよね。
ですから、今の私に書ける一般のプレイヤー向けのメッセージは、ここまでということになります。
ライフ・スタイル・クリエーターという職業が本格的に一般社会の人々に知られるようになって、
社会認知されるのに、あと10年以上かかるかもしれませんが、
おそらくこれは、ネットゲームが辿る正常進化の必然の流じゃないかなと予想しています。
|