能の背景・周辺

能そのものではありませんが、時代背景や関連分野について書かれた本です。



清水正之次郎『日本思想史』ちくま新書、2014年 ← 2016年1月6日、新着情報
第2章「中世」、第5節「芸道論と室町文化」のなかに、「世阿弥と能の思想」、「『風姿花伝』」、「時分の花・離見の見」、「『井筒』から」、「鎮魂の形式」という5つの項があり、能について説明しています。。


安田次郎『寺社と芸能の中世』(日本史リブレット80)山川出版社、2009年 
田楽や延年そして猿楽成立の歴史が述べられています。大和四座のストライキ、宇治猿楽の活動などが紹介されています。宇治猿楽の四座のひとつに、幸座があります。小鼓方の幸流はここから来ているのでしょうか。

コンドル著・山口静一訳『河鍋暁斎』岩波文庫、2006年 
鹿鳴館の設計で有名なコンドルは、日本画家河鍋暁斎に師事していました。コンドルが師の姿、日本画の技法を記録した本です。暁斎は能画も描いており、この本にも、道成寺の鐘を見つめる白拍子、能「紅葉狩」に登場する鬼女などの絵が紹介されています。

浜野保樹編・解説『大系黒澤明』別巻、講談社2010年
「能の美」という1983年に書かれた脚本が収められています。上映されなかった作品です。能舞台や面、装束、作り物が紹介され、以下の能が登場します。「翁」「絵馬」「賀茂」「竹生島」「八島」「忠度」「頼政」「敦盛」「羽衣」「松風」「湯谷」「井筒」「野宮」「隅田川」「葵上」「求塚」「花月」「烏頭」「船弁慶」「山姥」「猩々」「石橋」。

脇田修・脇田晴子『物語京都の歴史』中公新書、2008年 
タイトルのとおり、京都の歴史について書かれた本です。著者は、ご夫妻で歴史学者をなさっています。晴子氏は幼少より能を習い、ご長男は高校生のときから、修氏は還暦を過ぎてから狂言を習われています。というわけで、各所に能・狂言が登場します。出てくる能の演目は、「自然居士」「放下層」「鉄輪」「白髭」「田村」「熊野」「花月」「通小町」「女郎花」「嵐山」「野宮」「百万」「砧」「弓八幡」です。狂言も多数登場します。

栗山民也『演出家の仕事』岩波新書、2007年 
著者は、新国立劇場演劇研究所所長です。著者が、舞台芸術の世界に入るきかっけのひとつが能との出会いだとのことです。能については、小鼓方幸流十六世宗家幸祥光のエピソードが紹介されています。幸祥光が演奏を録音したときのことです。SP盤の時代なので、再生のとき常時ギーという音が鳴ります。幸祥光は試聴用テープを聴くなり即座にNGを出したそうです。「鼓の音とは、音と音とのあいだにある静寂こそが命なのです」と、彼は述べたとのことです。

小林保治編『平家物語ハンドブック』三省堂、2007年 
『平家物語』についての小事典です。第1部が「『平家物語』への招待」、第2部が「物語の鑑賞」、第3部が「物語の登場人物」、第4部が「物語の背景」、第5部が「『平家物語』の残したもの」です。第5部に「『平家物語』と能」という節があります。それによると『平家物語』を典拠にした能は以下のようになります。
 
典拠となった『平家物語』の章句
頼政 橋合戦、宮御最期(巻四)
実盛 実盛(巻七)
忠度 忠度都落ち(巻七)、忠度最期(巻九)
俊成忠度 上に同じ
経正 経正都落付青山(巻七)
清経 宇佐行幸付緒環、太宰府落(巻八)
木曾最期(巻九)
兼平 上に同じ
敦盛 敦盛最期(巻九)
知章 知章最期(巻九)
通盛 一の谷落足、小宰相(巻九)
碇潜 先帝身投、能登殿最期、内侍所都入(巻十一)
二度之懸(巻九)
八島 大坂越、八島軍・嗣信最期、弓流(巻十一)
祇王 祇王(巻一)
仏原 祇王(巻一)
千手 千手前(巻十)
熊野 海道下(巻十)
大原御幸 先帝身投(巻十一)、大原御幸、六道之沙汰(灌頂巻)
俊寛 康頼祝詞(巻二)、足摺(巻三)
咸陽宮 咸陽宮(巻五)
朝敵揃(巻五)
小督 小督(巻六)
木曾 木曾願書(巻七)
蝉丸 海道下(巻十)
藤戸 藤戸(巻十)
景清 弓流(巻十一)
正尊 土佐房被斬(巻十二)
鵺(巻四)
絃上 経正都落付青山(巻七)
土蜘蛛 剣(巻十一)


三田英彬編『日本文学研究大成 泉鏡花』国書刊行会、1996年 
泉鏡花は、太鼓師の娘を母とし、その母の兄が宝生流シテ方松本金太郎、従姉に松本長をもつという能に縁の深い家系の出身です。鏡花は「歌行燈」という能を題材にした作品を書いており、この本には、吉田昌志の「『歌行燈』覚書」という論文が収められています。この論文は「歌行燈」の主要登場人物のうち、宗山(伊勢に住む邪道の能楽師)のことをおもに扱っています。「歌行燈」についてはこのホームページの「玉之段と小説・映画『歌行燈』」というページをご参照ください。

小松和彦、宮田登、鎌田東二、南伸坊『日本異界絵巻』ちくま文庫、1999年(原著は河出書房新社、1990年) 
異界に深い関係がある人物と、異界に属する妖怪変化を扱った本です。酒呑童子、土蜘蛛、鞍馬天狗、さらには「紅葉狩」の主人公鬼女紅葉、「殺生石」の主人公玉藻前が登場します。

ブルーノ・タウト著、森訳『ニッポン』講談社学術文庫、1991年
著者はドイツの建築家で、1933〜36年に日本に滞在しました。この本は桂離宮に現れた日本の美を絶賛していますが、能にも触れています。彼は能「竹生島」を題材にして、現代風の汽船で周遊して琵琶湖の何を知ることができるのかと疑問を投げかけています。そして能「竹生島」では音楽と律動と歌と詞と衣裳が一体となって、自然の芸術的表現をなしていると述べています。

伊藤由貴子『日本音紀行(音の風景をたずねて)』音楽之友社、2005年 
オホーツク海の流氷の音から、宮崎県えびの高原の野生鹿の鳴き声まで、日本各地の音を取材した本です。竹生島、三井寺といった謡蹟も紹介されています。

林道義『囲碁心理の謎を解く』文春新書、2003年
囲碁においては、部分と全体とのバランスが大切だそうです。著者は能についてもこのことがあてはまるとして次のように述べています。「同じことは能の役者の目配りにも言えるそうである。能の役者は、観客席の方を向いて演技するときに、観客席のどこか一点を見るのではなく、ぼんやりと全体を見ていて、その視線はつねに自分の視野の中心に向けられている。そして注意は舞台の全体に向けられると同時に、特に自分の演技に集中している。ここでも全体への注意と部分への集中が両立しているのである」

佐伯順子『泉鏡花』ちくま新書、2000年
書名のとおり、泉鏡花を紹介した本ですが、鏡花の作品が能の影響を受けているため、能への言及が各所に見られます。なかには、能関係の書籍よりも端的に能の特徴を指摘している箇所もあります。たとえば、「能の場合、演技をする俳優が舞台上に存在しているにもかかわらず、写実的な舞台装置がないゆえに、装置があれば見てわかるはずの情景描写や登場人物の置かれている状況、動作まで、謡で「語る」ことが少なくない」という説明がその例です。佐伯氏の祖母は能楽師で山口県萩市に能舞台をもっていたとのことです。

五味文彦、佐野みどり、松岡心平『中世文化の美と力』(日本の中世7)中央公論新社、2002年
足利義満が死に、義持に政権が移ったころ、日本の絵画界では、はなやかさよりも余白を重んじる水墨画が本格的に描かれるようになりました。時を同じくして、世阿弥も隙間を重んじる抑制的演技を重視するようになりました。このように指摘して、文化界全体のなかでの能の位置づけを示した本です。1986年、松岡心平氏が主宰者のひとりである橋の会が「半蔀」を2回上演しました。立花供養の花が舞台に置かれるのですが、1回目は池坊流の岡田幸三氏の花(シテ山本順之氏)、2回目は草月流の勅使河原宏氏の花(シテ8世観世銕之丞)が用いられ、それぞれのカラー写真が掲載されている点も興味を引く本です。

馬場あき子『鬼の研究』ちくま文庫、1988年(原著は1971年)
能には「黒塚」などに見られるように鬼がたびたび登場します。日本では鬼がどのようなものとして考えられてきたかを論じた本です。某能楽師から、能をやる人は必読といわれました。「謡曲とは、一種の整理の文学としての価値を一方に持っているが、それは、それまでの文学上のさまざまな素材や問題を、ほとんど網羅するばかりに取りあげ、一定の型のなかで巧みに処理し整理してくれているのである」という指摘は、なるほどと思わせます。

小松和彦、内藤正敏『鬼がつくった国日本』光文社(文庫)、1991年
これも鬼に関するものです。馬場あき子の本よりもやさしく書いてあるので、こちらを先に読むのもひとつの手です。

桜井英治『室町人の精神史』(日本の歴史12)講談社、2001年
中世の人々がどのようなことを考えていたかを明らかにし、能がまさに中世人の思考様式にぴったりの芸術であると指摘している本です。日本中世史の専門家から勧められました。

村井康彦『日本の文化』岩波ジュニア新書、2002年
日本文化における当座性に注目した本です。連歌にせよ、俳句にせよ他人と同席して作品をつくりあげていくことに意義があり、作品の命は会が終わるとともに終わるとのことです。世阿弥についてもページを割いていて、林屋辰三郎が指摘した「衆人愛敬、貴人賞翫」問題を論じています。

高橋昌明『酒呑童子の誕生(もうひとつの日本文化)』中公新書、1992年
酒呑童子、猩々という大酒飲みについての言い伝えを分析した本です。これらのキャラクターは能の題材にもなっており、「大江山」「猩々」を見るときに、あるいは習うときに読むとよいかもしれません。

佐谷真木人『平家物語から浄瑠璃へ(敦盛説話の変容)』慶應義塾大学出版会、2002年
平敦盛は『平家物語』ではほんのわずかしか描かれていません。敦盛のイメージが、能、幸若舞、浄瑠璃の題材としてとりあげられるなかで、どのように変化していくかを追っている本です。敦盛の個性がまったく問題にされなかった時代(『平家物語』が書かれた時代)から、熊谷直実の子どもが敦盛の身代わりとして殺されるというストーリーをつくりあげた時代への人々の考え方の変化が述べられています。

種田道一『能と茶の湯』淡交社、2002年
ともに中世に成立した芸術である能と茶道を関連させて述べた本です。筆者の種田氏は金剛流職分であると同時に宗道という茶名も持っており、裏千家学園講師として能の講義を務めています。巻末の能楽四季別一覧が便利です。


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