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「般若心経」は日本人にとってもっとも身近なお経といわれています。
600巻(約300百万字)にも及ぶ莫大な大乗仏教の経典の教えを、わずか267文字に集約したものが「般若心経」で、
西遊記で孫悟空を連れた三蔵法師玄奘がはるばる天竺(今のネパール)から持ち帰ったサンスクリット語の経典を漢訳したことでも有名です。
このお経のベストセラー「般若心経」の日本語訳は、数え切れないほど多くの書き物やHPで紹介されていますが、わたしが最近知った「心のページ」http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/hannya.htm にある故花山勝友氏の訳は、対訳式でとてもわかりやすく優しいので、引用のお許しをいただき、「ふくのページ」の読者に紹介します。
なお、引用にあたっては、フォント・色などと、わたし自身にもわかりやすいよう少しの編集をしています。
「心のページ」の編者氏に、よいページをお知らせくださり、感謝します。 (2005年お彼岸)
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ぶっせつまかはんにゃはらみたしんぎょう
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ
しょうけんごうんかいくう
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
どいっさいくやく しゃりし しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
くうそくぜしき じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ
しゃりし ぜしょほうくうそう
空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相
ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん ぜこくうちゅう
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中
むしき むじゅそうぎょうしき むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう
無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
むげんかい ないしむいしきかい むむみょうやく むむみょうじん
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽
ないしむろうし やくむろうしじん むくしゅうめつどう むちやくむとく
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
いむしょくこ ぼだいさつた えはんにゃはらみったこ
以無所得故 菩提薩捶 依般若波羅蜜多故
しんむけいげ むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう
心無礙 無礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想
くうぎょうねはん さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい こちはんにゃ はらみった
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若 波羅蜜多
ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
のうじょいっさいく しんじつふこ こせつはんにゃはらみったしゅ
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪
そくせつしゅわっ ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい
即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
ぼじそわか はんにゃしんぎょう
菩提薩婆訶 般若心経
般若心経 (三蔵法師玄奘訳)
かんじざいぼさつ
観自在菩薩
観音菩薩が、
ぎょうじんはんにゃはらみったじ
行深般若波羅蜜多時 深遠な知恵を完成するための実践をされている時、
しょうけんごうんかいくう
照見五蘊皆空 人間の心身を構成している色・受・想・行・識の五つの要素がいずれも本質的なものではない(空)と見極めて、
どいっさいくやく
度一切苦厄
すべての苦しみや迷いを取り除いた。
しゃりし
舎利子
そして舎利子(釈尊十大弟子の一人)に向かい、次のように述べた。舎利子よ、
しきふいくう
色不異空
形あるものは実体がないこと(空)と同じことであり、
くうふいしき
空不異色
実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在するものだ。
しきそくぜくう
色即是空
したがって、形あるものはそのままで実体がないものであり、
くうそくぜしき
空即是色
実体がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。
じゅそうぎょうしき
受想行識
残りの、心の四つの働きの場合も、
やくぶにょぜ
亦復如是
まったく同じことなのだ。
しゃりし
舎利子
舎利子よ、
ぜしょほうくうそう
是諸法空想
この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、という性質があるから、
ふしょうふめつ
不生不滅
もともと、生じたということもなく、滅したということもなく、
ふくふじょう
不垢不浄
よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、
ふぞうふげん
不増不減
増えることもなく、減ることもない。
ぜこくうちゅうむしき
是故空中無色
したがって、実体がないということの中には、形あるものはなく、
むじゅそうぎょうしき
無受想行識 感覚も念想も意志も知識もないし、
むげんにびぜつしんに
無限耳鼻舌身意 眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし、
むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法 形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞれの器官に対する対象もないし、
むげんかいないしむいしきかい
無限界乃至無意識界 それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる分野もない。
むむみょう
無無明
さらに、悟りに対する無知もないし、
やくむむみょうじん
亦無無明尽
無知がなくなることもない、
ないしむろうし
乃至無老死
ということからはじまって、ついには老と死もなく、
やくむろうしじん
亦無老死尽
老と死がなくなることもないことになる。
むくしゅうめつどう
無苦集滅道
苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そしてその方法もない。
むちやくむとく
無知亦無得
知ることもなければ、得ることもない。
いむしょとくこ
以無所得故
かくて、得ることもないのだから、
ぼだいさった
菩提薩垂
悟りを求めている者は、
えはんにゃはらみった
依般若波羅蜜多 知恵の完成に住する。
こしんむけいげ
故心無圭礙
かくて心には何のさまたげもなく、
むけいげこむうくふ
無圭礙故無有恐怖 さまたげがないから恐れがなく、
おんりいっさいてんどうむそう
遠離一切転倒夢想 あらゆる誤った考え方(煩悩)から遠く離れているので、
くきょうねはん
究境涅槃
永遠にしずかな境地(涅槃)に安住している。
さんぜしょぶつ
三世諸仏 過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたものたち”(仏たち)は
えはんにゃはらみつたこ
依般若波羅蜜多故 知恵を完成することによっているので、
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
得阿耨多羅三藐三菩提この上なき悟りを得る。
こち
故知
したがって次のように知るがよい。
はんにゃはらみった
般若波羅蜜多
知恵の完成こそが、
ぜだいじんしゅ
是大神呪
偉大な真言(真実に目覚める智恵の教え)であり、
ぜだいみょうしゅ
是大明呪
悟りのための真言であり、
ぜむじょうしゅ
是無上呪
この上なき真言であり、
ぜむとうどうしゅ
是無等等呪
比較するものがない真言だ。
のうじょいっさいく
能除一切苦
これこそが、あらゆる苦しみを除き、
しんじつふこ
真実不虚
真実そのものであって虚妄ではない、と。
こせつはんにゃはらみつたしゅ
故説般若波羅蜜多呪 そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。
そくせつしゅわつ
即説呪曰
すなわち次のような真言(呪文)だ。
ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝 往き往きて、彼岸(真実の世界)に往き、
はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝
完全に彼岸に到達した者こそ、
ぼうじ
菩提
悟りそのもの(成就)だ。
そわか
僧莎訶
めでたし。
はんにゃしんぎょう
般若心経
知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典。
文献:「心のページ」http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/hannya.htm
般若心経 はんにゃしんぎょう 大乗仏教の経典の中で、もっとも短く、漢字の経典は、若干異同はあるが、わずか267字なので多くの宗派が勤行(ごんぎょう)にもちいてきた。日本でも浄土真宗以外の宗派で勤行にもちい、日本人にとってもっとも耳にしやすい経典である。四国八十八カ所の遍路や西国三十三カ所の巡礼たちも、かならずこの経をとなえている。
「般若心経」の正式の名前は「摩訶般若波羅蜜多(まかはんにゃはらみった)心経」という。「大般若経」600巻の神髄を集約したという意味である。
「般若」とは知恵であり、サンスクリットのprajnaの音をうつした語である。般若の知恵とはきわめて直観的で、現象界に差別のないことを実証できる知恵であるといわれている。「波羅蜜」とは悟りにいたることであり、この経典は、一切の現象界に差別のないことを知り、それゆえに現象界にはかかわるべきなにものもない、すなわち「空」であることを知る知恵についておしえている。「色即是空、空即是色」(現象や事物には、かかわるべきなにものもないし、それがまた、現象の世界でもある)という言葉は、大乗仏教の特徴のひとつである「般若の空」を見事につたえているといえる。
「般若心経」の漢訳は7訳あるといわれるが、もっともよくよまれているのは玄奘訳の「摩訶般若波羅蜜多心経」である。また大品、小品の2種類があるサンスクリット原典のうち、玄奘も訳した小品の写本は、609年(推古天皇17)に中国からつたえられ、法隆寺に保存されている。
文献:Microsoft(R) Encarta(R) Reference Library
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◆大まかな意味
観音さまが修行によって深い智慧を完成した時、物体や精神には実体がなく空であると悟り、すべての苦悩や災厄から抜け出すことができた。
舎利子(お釈迦さまの弟子)よ、物体は実体のないものであり、実体がないのが物体である。つまり、物体の本質は実体がないということであり、実体のないものこそが物体なのだ。これは、感覚や意識といった精神的なことも同じである。舎利子よ、すべての現象には実体がないのだから、生じることも滅することもない。汚いとかきれいということもない。増えたり減ったりすることもない。物体もなく、精神や感覚もない、目に映る世界もなければ、意識に映る世界もない。悟りを妨害するものもなく、悟りを促すものもない。老いも死もないし、老いや死がなくなることもない。苦しみの原因もなければ、苦しみを解決する方法もない。悟れないし、悟りもない。何もないのだから。菩薩さまは、こうした深い智慧によって、すべてにこだわりがない。こだわりがないから恐怖もない。すべての誤った妄想からはなれて、究極の静寂の境地となる。過去・現在・未来の仏さまも、この深い智慧の完成によってこのうえなく優れた境地となった。この深い智慧こそが、比類なく最上の、すべてを明らかにする真理の呪文である。これは偽りなく、本当にすべての苦を除く。ここに、この深い智慧の呪文を示そう。
行ける者よ。行けるものよ。彼岸に行ける者よ。
彼岸にともに行けるものよ。悟りよ幸いあれ。
彼岸に渡る智慧の教え。
◆般若心経とは?
おそらく、多くのお経の中で最も有名なのが般若心経でしょう。日本で一般的に知られている般若心経は、西遊記の三蔵法師のモデルである玄奘三蔵の翻訳によるもので、これは、全600巻という膨大な量の「大般若経」から、エッセンスだけを抜き出してまとめた、いわばダイジェスト版のようなものです。般若心経の「心」の字はそれを表しています。
正しくは「般若波羅蜜多心経」と言い、原語のサンスクリット語で分解すれば、「般若=プラジュニャー(最高の智慧)」・「波羅ム=ハラム(彼岸=悟り)」・「イ多=イター(渡る)」ですから、「彼岸へ渡るための智慧」となります。これに「心=フリダヤ(核心)」が加わって、「プラジュニャーパーラミターフリダヤスートラ」(スートラ=経=教え)つまり、「悟りをひらくための智慧を説いた教え、その核心」という意味になります。
◆内容は?
「空」の境地を説いています。空の境地とは何事にもこだわりのない心のことで、悟りにもこだわるな、煩悩の克服にもこだわるな、と教えます。煩悩の克服や悟りにこだわると、それが執着になってしまい、かえって悟れない結果になってしまいます。こうしたこだわりをすべて捨てれば、おのずから空の境地がひらけ、彼岸=悟りへ到達できるということでしょう。
文献:鎌倉新書 http://www.e-sogi.com/arekore/kyo1.html
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