| 東日本大震災の経過 |
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2011年3月11日14時46分、マグニチュード9の大地震が宮城沖で発生。 まもなく大津波が発生、沿岸の町を飲み込む。 同時に、福島第1原子力発電所、福島第2原子力発電所、女川原子力発電所等も、被災。 特に、福島第一原子力発電所の被害は甚大で、地震により停電。 津波により、各種計器類も故障、非常用ディーゼル発電機も次々と故障。 原子炉の冷却水の循環が止まり、まったくの手探り状態になってしまう。 2011年3月12日 政府が「原子力緊急事態」を宣言。福島第一原子力発電所半径3kmからの退避を勧告 (その後、半径10kmからの退避→半径20kmからの退避、20kmから30kmは屋内退避に拡大) 2011年3月12日15時36分、福島第一原子力発電所1号機が爆発(水素爆発?)。建屋が吹っ飛ぶ。 2011年3月12日 政府、福島第2原子力発電所も半径10kmからの退避を勧告 2011年3月14日、11時1分、福島第一原子力発電所3号機が爆発(水素爆発?)。建屋が吹っ飛ぶ。 2011年3月15日、福島第一原子力発電所2号機、4号機でも爆発や火災。 この間、火災や放射能漏れや、燃料プールの加熱や、ヘリコプターや 放水車による放水やら、色々ある。(すいません、時間があれば纏めます) 2011年3月19日、牛乳やほうれん草で放射能汚染が発覚する。 2011年3月20日、福島第一原子力発電所2号機、3号機から発煙。 2011年3月22日、11日ぶりに、電源が一部復旧。海水から放射能検出。 2011年3月23日、原子炉建屋から発煙、電源復旧進まず。東京でも水道汚染進む。 2011年3月24日、作業員、ベータ線熱傷。3号機の水溜りから高濃度放射性物質。 2011年3月26日、1号機2号機の水溜りからも、高濃度放射性物質。復旧作業遅遅として進まず。 2011年3月28日、原子力発電所構内の土中から、プルトニウム検出。お先真っ暗。 2011年3月29日、タービン建家、トレンチに高濃度汚染水。海上汚染も進む。 2011年3月31日、フランスサルコジ大統領来日。全面支援表明。 2011年4月2日、立杭側面の亀裂より、汚染水の海洋流出を確認。 2011年4月3日、東京電力が、社員2名の死亡を確認と発表。 2011年4月4日、汚染された滞留水1トンを海洋投棄。もう、無茶苦茶。 2011年4月6日、汚染水の流出止まる。もっと時間が掛かると思っていたので、吃驚。 2011年4月7日、東北・宮城沖で強い余震、震度6強(M7.4)。 2011年4月11日、震災から1ヶ月。本日も、震度6弱の余震。停電により、一時給水がストップ等トラブル。 2011年4月11日、政府、飯舘村等「計画的避難区域」を発表。 2011年4月12日、本日も、震度6弱の余震。原子力安全・保安院、「レベル7」認める。 2011年4月17日、東京電力が収束に向けた工程表を発表。最短で6〜9ヶ月で第2段階完了予定。 2011年4月18日、国会に東京電力清水社長が参考人出席。 2011年4月22日、20km圏内を「避難指示区域」から立ち入り禁止の「避難警戒区域」へ。 2011年4月22日、東京電力清水社長が避難住民を訪問、謝罪。遅すぎるでしょう。 2011年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所事故から、丁度25周年。 2011年4月27日、福島第一原子力発電所で作業していた女性1人が限度量を超え被曝。(その後、2人に) 2011年4月29日、小佐古敏荘内閣官房参与(東京大学・放射線安全学教授)、福島第1原子力発電所事故の政府対応に対して抗議の辞任。 2011年5月05日、福島第一原子力発電所1号機建屋内に事故後初めて入ってダクト作業。 2011年5月06日、菅首相、浜岡原子力発電所停止を中部電力に要請。 悪夢は、終わらない… |