船坂の起源(推論)
 この山間地に人はどのように移り住んだのだろうか?
 このページは推論のページである。
 昔、道路がないところを人が移動するのは川筋に沿って動くのが容易であろう。
 船坂には船坂川と太多田川が流れている。
  この2つの川を下流から上ってきた人々が船坂を開拓したと考えられる。。
 
<下図参照 >
  は武庫川の支流である太多田川を遡るルート;
    このルートで到達した人々は東船坂(山王神社から東側)を形成した。
    山口村誌にはこのルートは奈良時代に有馬への道路となって、一部は”48ケ瀬”と言い通行の難所であ    ったと記録されている。つまり、奈良時代には宝塚方面から船坂を径由し有馬へのルートが出来ていた。
     太多田川を上ってきた人々は小さな平面部に住みつき集落を形成した。
  は船坂川を遡るルート;
    このルートはのように記録がないため推定である。
    北西約5Kmの地点に古墳時代後期の横穴式石室の”青石古墳”がある。(山口村誌)
     古墳が船坂川に近く、船坂川を遡って船坂に到達し下図の「船坂」を形成した。
  
  従って、歴史的にはよりものルートが早く到達したと考えられる。
東船坂

船坂

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