民話・昔のはなし・言い伝え
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民話
 西宮市のHPや山口村誌の記録を集めたものです。
 民話は右のリンク(西宮市HP)でご覧下さい。
タイトル 西宮市HP 山口村誌
船坂峠のひだる坊  
ナスのたたり
黄金の仏様 (浮き足如来さん)  
行基の鯉塚
座頭谷のいわれ
白滝姫の涙水

昔のはなし
 船坂小学校教師であった中村博子さんが船坂の長老から聞き取りされ、1970年にまとめられた「郷土の昔からのおはなし」から抜粋したものです。
杢兵衛(もくべえ)酒屋 宮さん (だんじり)
宮さん (お祭りと生市) 宮さん (踊りが大好き)
宮さん(山王神社) 石宝殿(いしのほうでん)
天然氷

言い伝え
 同じく「郷土の昔からのおはなし」から抜粋したものです
百姓の神様  彼岸の雪
いのこの大根畑  こぶしの花
49日苗
 
きつねのはなし
 きつねにまつわる話は各地に有るのですが、船坂にもありました
 同じく「郷土の昔からのおはなし」から抜粋したものです
きつねにだまされたはなし きつねと塩鮭のはなし
きつねにばかされたはなし おせきぎつね
 

西宮市HP(民話)


伝説
杢兵衛(もくべえ)酒屋
100年余り前の「摂州名所荒増巡覧」(3)という本に「有馬の途中、船坂村に茶店あり、杢兵衛(もくべえ)という旅人に知られたる居酒屋あり。有馬まで一里山中過ぎて都の嵐山の景ありて言語にのべがたし」と書かれているようにこの茶屋で一服するのです。

 毎晩その茶屋に立ち寄る人がある。山の方から一升どっくりをさげて来る人がいる。そこで、そこの主人がついて行くと雨がしょぼしょぼ降ってきた。なおもついて行くと一升どっくりさげたおじいさんが途中でたぬきになった。主人はびっくりしてその夜は布団をかぶって寝てしまった。それで、おかみさんに「翌日から酒を売るな」と言って早く寝た。翌晩、そのたぬきが買いに来たので「たぬきにはよう売らん」と言うと「酒を飲まんと長生きできんので、なんとか酒を飲ませてくれ。わしは金を払う」と言った。「木の葉で人をだまそうと思っとるんやろ」と主人が言うと、「いや、これは本当のお金や」というから」そしたら、「どっからとって来たんや」と言ったら「お地蔵さんからもろた」と言う。
「お地蔵さんから取ってきたんやろ」と言うと、「いや違う、もろたんや。わしは酒飲まなんだら命がなくなる。わしの年は180才や」といったので、そこでそこの主人はかわいそうになったから「売ってやる」というと大変よろこんだ。「これっきり来るなよ。そのかわりこの酒ただでやる。樽ごとやる。大きな樽をやるので来てくれるな。」というた。「それやったら4日程したらなくなるな」というて悲しそうな顔して帰って行った。それから3日たった朝、杢兵衛のおっさんが戸を開けたらたぬきが樽を持って死んでおった。

昔のはなし
宮さん(山王神社)
船坂のお宮さん・山王神社には大巳貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)が祀られています。有馬温泉との官営が深いということです。その昔は年中行事の1つとして秋祭りには馬場先(馬を乗りとめる所;宮さんの境内)で馬遊びをし、遠くから集まって来てそれを観てたのしむというにぎやかな行事がおこなわれていました。
祭日は毎月1日、20日。 夏祭りは7月20日。秋大祭は11月20日。


昔のはなし
宮さんのお祭りと生市
船坂は山村であるため、生魚を食べる機会がなかったので秋の祭りには魚の生市があって、農協の辺から中田長四郎さんの間の両側に店が出て夜半まで混雑したものです。11月20日がお祭りで、19日には夜店がのきなみ並んでいたものです。大阪、神戸、西宮、尼崎の魚屋が生きのよい魚を持ってきて市を開いていた。遠く三田や有馬からもその市の日に買いに来ていました。船坂の人たちはたこなら何匹も、大きなブリ一本、かまぼこを積み重ねる位買ってたそうです。戸棚を開ければちょうちんがともってるというほど魚の生きのよい目がずらりと並んでいるという。このようにたくさん買い込んだ魚は、お祭りに来た客のもてなしとおみやげに使い、家ではたきなおしたり、焼きなおしたりして何日も楽しんで食べていたという。

昔のはなし
宮さんにはダンジリガない
船坂の土地には昔からお宮さんに「だんじり」がありません。
それは今から100年近く前のことです。山口村は上山口、中野、名来、金仙寺、船坂と6つの村があった。下山口と金仙寺は1つの村で昔は五ケ村といっていました。どの村にもある「だんじり」が船坂にだけないので、山口の山田先生の父が上山口の「だんじり」を新しく作ったので、1つあまってきたから船坂にあげるので使ってくださいと言われた。船坂の村では「そんなんやったらもらおかいえ」といってよろこんでもらいに行った。11月20日の祭りに間に合うように牛に引かせて、もろうて帰った。初めて村に「だんじり」ができたというので、村中がよろこんで20日の祭りに「だんじり」を引いておった。そしたら、その祭りの晩に「だんじり」を引っぱりに行った牛の馬やが火事になった。それで、昔から船坂のお宮さんは「だんじり」がきらいや、きらいやといっているのに、もらいに行ったからばちがあたったのやといって、さっそく山口に返しに行った。
それからというものは「だんじり」のことを言い出す者もいなくなったと。

昔のはなし
お宮さんはおどりがお好き
船坂のお宮さんは「だんじり」はきらいだが「おどり」は好きだといって、この頃では雨乞いをして雨を降らせてもらおうというようなことはしませんが、昔は少し雨が降らなければ、雨乞いや雨乞いやといって、1週間か10日間願をかけて「どうぞ雨を降らせてください。雨が降ったらおどりをしますさかい」というて、毎晩毎晩、村の人がドンドコ、ドンドコたいこをたたいて、おがんでいました。
雨が降ると、そのお礼やといって、おどり(雨乞い踊り)をして神さんに御礼をしたそうです。雨乞いの本当の神さんは、船坂の宮さんもおがむけれど、六甲の最高峰に石宝殿(いしのほうでん)といって、石川県の白山の大権現という神さんを六甲の天ぺんに祭って分家のようなかたちになって祭っています。六甲白山というが、この辺では石宝殿という。船坂でおがんで踊って、また石宝殿へ行っておがんで踊ります。船坂の宮さんと石宝殿とを「知人さん」と呼んでいます。石宝殿のことを船坂では「知人さん」が通り名になっています。

昔のはなし
石宝殿(いしのほうでん)
ここに祀られている神さまは大巳貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこのみこと)です。この宮さんは「日本書紀」という本に記されているの位だから古いお宮さんといえます。雨乞いの神として、ひでりの年には遠く、播州、丹波、河内などから祈願に来ていました。
昔、船坂の土地だったが、今は山口村と統一したので山口とに共有財産になっていますが「知人さん」は船坂の神さんだといって宮さん(山王神社)にも参るが「知人さん(石宝殿)」に行って雨乞いをしました。”てーんと、てーんと、おってんと、あーめーたーのむ どひょうのうち”といって、ふしをつけ、たいこをたたいて祈っていました。
(注) てーんと = 天道 = 太陽 )


昔のはなし
天然氷のおはなし
昭和のはじめ頃のお話ですが、冬になれば池に5寸位(15センチ)に氷がはっていました。長方形の入れ物に水をはっておいていると氷になる。その氷をわらで包んで氷室といっても穴ですが、そこに入れていくのです。たくさんつまっているのでとけないのです。それを夏に有馬や船坂峠を越えて「かんこーり、かんこーり」と呼んで売っていたそうです。

言い伝え
百姓の神さま
「いのこ」といって、百姓の神さまといわれています。その「いのこ」をお祝いする日が開きに2回と3回の年があって、3回あるときはその中の亥の子の日にお祝いをし、2回あるときははじめの亥の子の日にお祝いをします。「うすすり」といって4日も5日も続けて「うすすり」をして米にしていました。その「うすすり」の時に神さまが廻ってくるといけないといって、その日をよけていたいうお話です。

言い伝え
いのこと大根畑
「いのこ」の日に大根畑に入ると大根がパンパンとわれると言われていました。80年ほど前まで(1900年頃)までは大根の産地として有名であった。有馬や宝塚の多くの旅館が1年中使うだけのつけもの大根として生産していたのですから。 大根に少しでも傷があるものは価値がないので「いのこの日に大根畑に入ったらいかん」とやかましくいわれていたそうです。

言い伝え
ひがんの雪
お彼岸(3月20日前後)に船坂から見える六甲の山腹に猫のひたい程の雪が残っていると、その年は不作だといわれます。

言い伝え
こぶしの花
六甲の中腹に春になると白のこぶしの花が咲きます。山を真っ白ににうめつくした年は不作だといわれます。

言い伝え
49日苗
種まきしてから本田に植える時がちょうど日数を数えると49日になる。49日苗を植えたら不幸が起こるといってよけています。その頃が植頃になるので6月1日に田植えだといって人を頼んでいても苗代植えから数えて49日だったということがよくある。その時は1日延ばすといって避けていたものである。

きつねの話
きつねにだまされたはなし
橋本のおじいさんが西宮へ行って魚の干物を買ったもどりに「こぐら」というところで(水のみ場)一服しておったらゴロゴロ、ゴロゴロとゆうて上から石がころがってくるような大きな音がする。おかしいなあと思うのだが、いっこうに石が落ちてこない。「おかしいな、ははあ、これはきつねがだましてんねんやろなー」と思うて、そこで干物を一匹ほってやって「わるさしなよ。ここに一匹おいとくさかいにわるさしなよ」といったら、ゴロゴロいわんようになった。

きつねの話
きつねにばかされたはなし
(たばこ屋さんのじいさんの若い頃のはなし)
「まったけもち」といって各家でとれたまったけをそれぞれが売りに行っていたら日落ちになってしますので、たばこ屋へ行って「このまったけ売ってきてなー、売ってきてなー」といいに行くと、「よっしゃ、よっしゃ」というて、まったけのよせやをしていた。10貫目、20貫目を背負って西宮まで売りに行っていた。そのまったけを背負って「清水谷」のところで一服してからずんずん上へ上がりかけたら、「オーイ、オーイ」と下から呼ばれる声がする。12時頃(夜かな?)に船坂を出るので誰かて怖いのや、(20才位やし)「オーイ」というし、待っとたらいいのだけど辻まで行って待とうと思い互いに「オーイ、オーイ」といいながら行っとった。上にあがってなんぼ待ってもこない。「オーイ早くあがってこいよ」といっても声がしない。そうしていると、前の山で、ゴーと火が燃えよる。3人ほどが動いているのが見えるので「オーイ」いって叫んでも返事がない。これがきつねやと思うて、タバコ吸うて、何もやるものがないので(待ったけしか持っていない)「これがきつねや」と心の中で思うたら火も消えるし、なにもなかった。

きつねの話
きつねと塩鮭のはなし
明治の頃、西宮の十日戎参拝は山越え(船坂峠を越え)して行った。大きな塩鮭をかついで、帰路へと急ぐ途中、「こぐら」に水のみ場があり誰もがそこで一息入れて峠を越えるという所だった。山の途中まで一緒だったきれいな娘とさようならをして家に帰った。やれやれと塩鮭をおろしてみると、後ろの方はわらしか残っていなかった。きつねが娘に化けて取ったのではないかという。その水のみ場で休むと必ず中味がなくなっているので、きつねにとられるという。


きつねの話

おせぎきつね

白水川に「おせぎぎつね」というきつねがいた。それは年をとったきつねでよく人を化かしているので、1人で白水川へ行くのが恐ろしかったという。また、けつね谷(きつね谷)にはきつねが住む穴がたくさんあるらしい。また、鯉塚にもきつねが住んでいたようです。
きつねやたぬきにだまされることが多く、蓬莱峡の近辺ではおいはぎも出て村の人を困らせていたので、蓬莱峡に行者さんをおまつりして8月24日にはお線香やお花をあげておまつりをしました。それからというものは化かされなくなったというお話。