この小さな山間の地域に、いつ、どのように人が移り住んできたのだろうか?
 平家の落ち武者が住み着いたと思っていたが、
 源平の「一の谷の合戦」が1184年、仁西上人の有馬温泉復興が1191年であり、わずか7年の差である。
 この間に人が移り住んで湯山(有馬温泉)への道が出来たとは考えにくい。遺跡や古墳がないので起源はわからないが、山口村誌によると万葉歌人などによって船坂を経て湯山(有馬温泉)への街道の有様を記した文献が多数あると記載されており奈良時代には船坂村が存在していたのではないだろうか?
 
 このページは西宮市発行の「山口村誌」を中心に船坂の歴史を整理したものです。
 日本3古泉のひとつである有馬温泉が隣にあり、有馬温泉にまつわる記録がある。
 有馬温泉を復興した3恩人、つまり、奈良時代の行基上人、鎌倉時代の仁西上人、安土桃山時代の豊臣秀吉との関わりが船坂の歴史や伝説に残っており大変興味深い。
時代 西暦 和暦 出来事 参考
奈良 740年頃 天平 「船阪村地誌(西宮市山口支所所蔵)」によれば「聖武天皇天平年ノ頃、湯山温泉湯船、本村ニ於テ製造セシ所以ニ因リ、村名ノ頭ニ船ノ字ヲ用ヒテ船坂村ト云フ・・・・・・省略・・・・・・・」の記述が山口村誌にある。

(注)文中の湯山とは有馬温泉を指す。
 
”聖武天皇天平ノ頃”とは行基上人が有馬温泉を復興した時期に当たる

鎌倉 1191年 建久2年 和州吉野の仁西上人(にんさいしょうにん)が有馬温泉を再興した時、湯船の板をこの地で求めたことから船坂の地名が始まったと言われている。

一般的にこの説が地名の起こりとされている。
角川日本地名大辞典もこの説を記載している
室町
(南北朝)
1383年 永徳3年
南北朝時代の動乱期、有馬郡一帯に勢力を持っていた赤松弾正氏範は三田城を築き、子の氏春は道場川原城、祐春は船坂城を築いた。
 若松弾正氏範親子は南朝側についていたが、   「永徳3年(北朝の年号)/弘和3年(南朝の年号)」北朝と戦い9月播州清水寺において父子は自害した。
 
(注)南北朝時代とは室町幕府側の京都の北朝(光明天皇)と奈良の南朝(後醍醐天皇)に別れ57年間争いが続いた(1392年まで)。
室町 1461年 寛正2年 善照寺創建される。 角川日本大辞典にも記載がある
室町
1371年ー1483年
応安4年-文明15年
船坂は大阪・京都方面から有馬・丹波・播磨方面への街道筋になり、貴族や僧侶の日記などに「船坂」の地名が出てくる。
例えば
「祇園執行日記;応安4年(1371年)」、
「有馬道の記;文明15年(1483年)」 など
 この街道は生瀬から太多田川を通り船坂につながるが、川の瀬づたいの道で通行の難所があった。この街道沿いの「座頭谷」、「知るべ岩」などに伝説がある。

安土桃山
1578-1579年頃
天正6-7年頃 播州三木の城主別所長春の祈願所であった船坂山王神社は播州三木城が攻略されたとき、当船坂山王神社も焼かれてしまった。
安土桃山 1583年から1594年
天正11年から文禄3年まで
秀吉はたびたび有馬温泉を訪ねており、ここ船坂は秀吉の直轄地であった。
<文禄検地;別名太閤検地(文禄3年)>:362石

江戸 1600年 慶長5年 領主:有馬氏
江戸 1602年 慶長7年 有馬則頼没により丹波国福知山藩領となる 角川日本大辞典
江戸 1605年 慶長10年 このころ東船坂村も存在していた。 摂津国絵図
江戸 1620年 元和6年 領主有馬玄蕃豊氏は久留米に移封され、幕府の直轄地になり明治維新まで続いた。
<延宝検地(延宝5年)>310石

江戸 1687年 貞享4年 3度の洪水
江戸 1653年 承応2年 山王神社創建(大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと) を祀る。  船阪村地誌
江戸 1690年 元禄3年 洪水;家屋9戸流出    
江戸 1865年 慶応1年 山王神社に大神宮を創建 船阪村地誌
明治 1871年 明治4年 廃藩置県が行われ、兵庫県有馬郡19区に組み込まれた。
明治 1873年 明治6年 善照寺に船坂小学校開校(はじめは船本小学校と称した)
明治 1883年 明治16年 船坂が山口村に併合された
明治 1874年 明治17年 戸数88、人口395人、 牝牛29頭
特産として寒天作り始まる。
船阪村地誌
明治 1881年 明治30年 戸数88、人口461人
大正 1926年 大正15年 戸数93、人口573人
昭和 1950年 昭和25年 宝塚ー船坂ー有馬間に阪急バス開通。
世帯数121、人口638人

昭和 1951年 昭和26年 西宮市と合併し、西宮市山口町船坂となる。
昭和 1985年 昭和60年 人口856人 国勢調査
平成 1990年 平成2年 人口769人 国勢調査
平成 1995年 平成7年 阪神淡路大震災による被害あり;死者0、一部のエリアは全壊/半壊の大きい被害を受けた。
平成 2000年 平成12年 世帯数232、人口781人 国勢調査
平成 2005年 平成17年 世帯数218、人口781人 国勢調査
平成 2010年 平成22年 少子化により3月をもって、船坂小学校は閉校された。
         
         
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