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イ ン ド 、 ネ パ ー ル 旅 行 記

1999・2・3〜10

 長い1日がやっと終わった。お湯がぬるくシャワーも使えず、これが憧れのインドの高級ホテルかとすこし憤慨しながら床に着く。それでもあっという間に熟睡。日本との時差3時間30分、日本時間だと4日の午前3時半過ぎだ。5時半に起床だったから22時間が経っている。
名古屋空港10時30分発のTG737便はJALとの共同運航便でDC10だった。6時間のフライトの後バンコクに到着、時差2時間の為まだ暑い、日本は寒波の為−1度、空港のトランジットルームにて5時間の待機、数年前まで東洋一を誇る空港だけあってとても広く免税店が軒を連ねる。ただし喫煙ルーム以外は禁煙。

持参したウイスキーやビールを飲みながら時間を過ごす。19時45分TG315便B777にてデリーへ時差1時間30分現地時間の22時40分インディラ・ガンディー国際空港に無事到着する。インドは暑い国と思っていたが以外と寒い。

ガイドはネットワークトランストラベルインディアのAJAY CHADHA(アジェィチャダ)さん34才の好男子、
デリー大学出身で日本にも留学経験が在りよく日本の事情を知っている。
沖添乗員を入れて20名の団体旅行の開始だ。我々の団体名はニューインダスグループと言う。

 2月4日少し遅く10時観光開始、昨夜というより明け方迄結婚式のインド音楽が鳴り響き、睡眠不足の仲間も居る。
ラクシュミ・ナラーヤン寺院、ヒンズー教の本尊ビシュヌ神とその妻ラクシュミ神が祀ってある。お賽銭を寄付すると額に赤いマークをつけてくれたが小生はマークを断る。

寺院内は土足、写真撮影禁止だった。バスを降りたとたん物売りと乞食の洗礼を受ける。ハンセン病の乞食が足元を子犬の様に付きまとう。全旅行中このしつこさにうんざり。
それでも日本人は何か買ってしまうから良いカモなのだろう。蛇使い、猿回しの大道芸人、修業僧の写真撮影には10ルピーを支払う。日本円にして約30円。1ドルは40ルピー換算だった。

 インドの紙幣はホッチキスで止めてあり全てのお金に穴が開いている。小額紙幣は非常に汚い、15言語の表示がある紙幣はインドならではとの事、一部お土産にする。

 第1次世界大戦の戦没者を追悼して建てられたデリーの中心にあるインド門や大統領官邸近くの広場を観光する。

 デリー市内南14キロにあるインドで最も古いイスラム寺院跡、クワットゥル・イスラム・モスク、1198年完成したが当時の彫刻が大変美しい。その北側に未完のアラーイの塔、インド一の石造の塔で直径14,2m、高さ72,5mのクトゥブ・ミナールの観光を済ます。

 昼食はインド料理、日本人の口に合わせあまり辛くないレストランに入ったがそれでも辛い。
タンドリーチキン、しゃぶしゃぶのカレー、ナン等、チャダさん右手だけで上手にナンをちぎって食べていた。
さすが右手の国だ。2名の若い日本人観光女性客に会う。

 午後国立博物館へ、遠藤周作の最後の旅や、深い河で有名なチャームンダー女神を探す。建物は見た目より大きく仏教美術、ヒンズー美術、ガンダーラ美術等々インド屈指の博物館である。

 ムガール帝国のお城ラール・キラーへ、ここは現在も軍隊が使用しており入場禁止、城門の前にて写真撮影をする。警笛と喧騒の中ラージ・ガートへ、残念ながら明日スリランカ大統領見学の為入場禁止。

 人口1200万東京と同じ人口がこの狭いデリーの街に暮らす。
インドの人口9億8000万人、世界第2の国である。150tの三輪タクシー(日本円で約40万円)、タタ製のバス、トラック、人力車が我先にと狭い道を走り抜ける。

空気は乾燥し木の葉までほこりっぽい。日本人向けの高いお店でショッピング。

 インド舞踊の鑑賞、空調設備の無いお世辞にも綺麗とは言えない劇場だった。最初のうちは我々だけであったが始まる頃には西洋人を含め客席は半分以上うまっていた。足に付けた鈴の音がぴったり会い、手風琴とボンゴの曲が楽しめた。約1時間。カタ(=物語り)、カリ(=演劇や遊戯)の意味があり、神話を題材とした舞踏劇。インド南部独特の踊りで、顔を原色で化粧しているのが特徴。カタカリ・ダンスと言う。

 夕食は中華料理、スープが美味しかった。ビール150ルピー。インドでは近年中華料理に人気が集まっているとの事、中流以上のお客が多かった。

 市中のあちらこちらで結婚式が行なわれていた。今の時期がベストシーズンだそうだ。
広場にテントを建て1週間も披露宴が続く、費用は100万円程も掛けている。我々の宿泊したアショクホテルも毎夜披露宴が開催されている。今夜も二頭立ての白馬に引かれ、音楽隊と一緒に颯爽とホテルに入場、3階で披露宴を行なっていた。さらに一般の招待客は1階のコンベンションホールと庭園にて立食パーティが一晩中続く、何百人という人がインドサリーを身にまといお祝いを続ける。小生物好きにパーティ会場に潜り込み写真撮影。

ガイドに頼んでおいた甲斐あり、今夜のお湯は暖かかった。シャワーを浴び休む。

 2月5日4時半モーニングコール、東洋一の豪華列車シャタブディ・エキスプレス、インド風の簡単な朝食付で全席指定席、我々はC−2号車、ジュース、水も準備されていた。6時30分デリー中央駅発、まだ暗い、約1時間も走るとインドの大地が白み始める。朝靄に霞むインド、窓は曇って写真撮影が出来ない。昔乗った日本の汽車を思い出しデッキを開けて写真撮影、途中乗務員に叱られる。8時10分アーグラの街に到着。
バスはデリーから夜中走って来たとの事、まずホテルにチェック・イン、ムガール・シェラトンは最高のホテルで2階建てのすばらしいホテルだ。展望室よりタジ・マハールが遠望出来る。

 早速世界遺産のタジ・マハール観光へ、バスを降りて人力車に乗る。物売りの激しい攻勢、飛行機より厳しい手荷物検査を経て入場、タバコ、ライター、三脚、お菓子、バッグ全て制限されている。持ち込めた物といえばカメラ、ビデオ、靴の袋のみ。

 さすが白亜の殿堂タジ・マハール世界からの観光客がいる。遠くアーグラ城も見える。
今日は金曜日モスクでの礼拝があり入場無料。ぐるりと観光し数人でモスクの方へ見学、変なおじさん壁にをあてろと言う。モスクの中の声でも聞こえるのかと思いきや壁にタジ・マハールが綺麗に映る。ベリーグットと言ばこちらに来いと招く、写真撮影のポイントを教えてくれた。4箇所も回ると最後にバクシーシちゃっかりチップを取られた。さすがインド人。帰りがけ手で摘むスタイルをして写真を撮っている観光客が多数いた、何の事か解らない?よくよく考えてやっとタジ・マハールを摘んでいる写真に気が付いた。帰りも人力車、往復40ルピー、チップを2ドルも請求してくる。さーすがインド人。

 タジ・マハールを作った末裔が象眼細工のお店を営んでいる。値段も高い。白檀の念珠を記念に購入、昼食はホテルのレストランにてバイキング。

午後アーグラ城の観光へ、愛妻ムムターズの為にタジ・マハールを建設し息子に幽閉された五代皇帝シャー・ジャハーンが眠る城、遠くヤムナ川越しにタジ・マハールが遠望出来豪華で堅固なアーグラ城、現在も半分は軍隊が使用している。

 我々は汽車で来たので時間が有りのんびりと観光も出来た。庶民のバザール、シャーガンジ・バザールを散策、観光客相手のお店も無くインド牛とのんびりぞめく。チャダさんがインドのウイスキーとラム酒を差し入れしてくれる。バイキングの夕食後早速井上氏の部屋で日本より持参したお米でおにぎり、雑煮で乾杯。いまいち盛り上がらなかったがそれでも楽しい一夜、紅茶のお土産の予約をする。小生お土産をホテルの売店で、象眼細工のお皿1万円で購入した。

 2月6日8時40分バゲッジダウン、9時出発と思いきややけにのんびり。

又もやスリランカ大統領の為デリー空港閉鎖、飛行機が出発していない、それでも遅めに空港へ、何故かここは軍の空港、警備が非常に厳しい。到着してみると我々のバスしか居ない、諦め又市内へバック、観光も出来ずシルクのお店で時間つぶす。2時間も待たされ空港に到着してみればレストランは休業、昼食も出来ずバッグにあるお菓子等で空腹を紛らわす。搭乗チェックは非常に厳しく乾電池の入ったカメラ、懐中電灯、髭剃全てトランクバッグに入れる。ベナレス(バナーラシ)迄写真撮影は出来なかった。結局搭乗出来たのは13時10分発カジャラホ経由B737機15時10分着であった。しかしまだ移動出来た事は幸いであった。今日の午後からはタジ・マハール、アーグラ城、ホテルは大統領の為入場禁止になったからである。

アーグラからベナレス迄車で行くと12時間。

 飛行機を降りると早速カメラの準備、10Km離れたサルナートへ、ここは釈尊が初めて5人の修業僧に仏法と説いた初転法輪の地、4大仏跡の1つである。靴を脱ぎムルガンディ・クティ・ビハール(根本香積寺)の参拝、ダメーク・ストゥーパの見学、時間の都合上先に考古学博物館を見学、国章となったライオンの像、仏座像やヒンズーの像を見学、又公園内に戻り大寺院跡を見学する。チベット僧が火を焚き礼拝をしている。そこに日本人僧が喜捨に訪ねる、ここに学校建設をしているのでお力をかして欲しいとの事、皆さん寄付をする。帰り掛けシルクの店に寄る。またしてもお買い物。

ホテルはヒンダスタン・インターナショナル、大きな高層ホテルだった。夕食は全員でインド最後の宴会、油井、吉川2名胃の調子が悪いのでお粥と梅干し、その結果翌日より元気になる。
昼食がなかったのでチキンカレー、ビールの特別メニュー、昨晩頼んだ紅茶を受け取り荷物整理。

 2月7日5時15分モーニングコール、インド最後の見せ場ベナレス、真っ暗闇の中ガートへ、小舟に乗りガート見学、船の周りにやはり物売り、「インドの神様千円よ」日の出前に到着したのが残念でした。気温は随分と低い、それでも川に入り沐浴をする人・人。牛と物売りと乞食の狭い露地を火葬場まで、「5千円、3千円、千円」の声、「要らない、ダメ」だんだん足が速くなる、「先頭もっとゆっくり」こんな所で道に迷ったら帰れなくなる、牛の糞をさけながら必死についてゆく、やっと火葬場、朝日が美しかった。写真撮影禁止が恨めしい。人力車に乗りバス迄帰る。

ヒンズーの聖地沐浴、火葬、死を待つ街ベナレス。久美子さんのホテルに泊まってゆっくり見学がしてみたい。近くにはゴールデンテンプルも見えた。

 バーラト・マータ寺院インド亜大陸が飾ってある寺院、近所の子供達と記念写真、ホテルに帰り朝食、一身田の安保さんに偶然出会う。空港へ。でも、またまたインド、飛行機がいない。
2階のレストランでティーを飲み時間潰し、それでも飛行機はまだ居ない。チャダさんとここで別れる。待合室で軽食と飲み物が支給され待つこと2時間、やっと15時10分エアバスA320にてネパール、カトマンズへ。

トリブヴァン国際空港着16時、ここでもチップ目当ての子供達が群がってくる。今夜は5つ星のアンナプルナホテル、簡単な軽食とビールを飲んでチェックイン、ここも2階建ての瀟洒なホテル。夕食は8時より2階のレストランにてバイキング、1ルピーは2円、1ドル65ルピー。インドと比較すると非常にカトマンズは美しく感じた。

 2月8日9時出発ガイドはSAHAYOG RANJIT(ランジット)さん、バスは一路スワヤンブナート(目玉寺)へマニ車のある参道をバスは上がってゆく、別名モンキーテンプル、猿がたくさんいた。丘の頂上に建つ巨大な目玉が市内を見下ろしていた。参道にはいつものごとく物売り、インドの物売りと違って少しのんびり、あまりしつこく無いのがいい、ここも「5千円、3千円、千円」の声、スツーパーの周りにヒンズー、チベット等の寺院が取り囲んでいる。高さ15mの目玉のある仏塔はおよそ2000年前の建造物であり、世界遺産に指定されている。

 マッラ王朝の旧王宮広場へ、猿の王ハヌマン像の立つ王宮入り口、その前にカーマスートラ寺院、少し戻ると「生き神」クマリの館、「頭気をつけて下さい」少女が親切に叫んでいる。中に入るとガイドの呼び掛けでクマリがちらっと顔を出す。クマリの写真撮影は勿論禁止、内部の精巧な彫刻写真を撮る。一歩外に出ると先程の親切な少女はクマリの写真を「1ドルよ」と押し売り。なかなかしたたかである。
雨の神マチェンドラナート、人家に挟まれ小さくたたずんでいた。しかしなかなか立派な建物であった。王宮前広場にはお土産物店が所狭しとならんでいた。ガイドの案内で一軒のお店に入りトイレ休憩、チベットに比べると精巧な曼陀羅が安い。
店の外に一歩出ると物売りの攻勢、なかなかしぶとくバスに帰るまでついてくる。途中ハンセン病乞食がたくさんいた。

 ホテルに帰り徒歩2〜3分にあるネパール料理のレストランへ、ラクシーという50度以上あるお酒が振る舞われる。1m近くも上の方から小さい杯に注ぐパホーマンスに全員拍手喝采。井上氏12杯でダウン、食事はあまり辛くもなく大半は食べられた。

 午後は古都パタン(美の都)へ、途中カトマンズの聖地パシュパティナートに立ち寄る。ヒンズー寺院手前に橋があり、両岸にはガートが沢山並んでいる。薪を積み葬儀が行なわれていた。この川はガンジス川の支流でパグマティ川という。乾期の為水も少なくゴミだらけの川であった。ここに遺骨を流していた。写真撮影が出来た。

 パタンの王宮まで市場を通り過ぎるがなかなか活気があり物売りもついてこない。内部の広場には店が沢山あるがここには押し売りはいないので、のんびりしてすばらしい古都であった。ここにある五重の塔は日本の五重の塔に影響を与えたそうだ。この街の歴史は古く、299年にベーラ・デバ王によって築かれた。

 夕食は5ドル追加で日本料理、天婦羅や煮物が美味しかった。

 2月9日最後の日、午前中時間があるというので空港からエベレスト飛行遊覧のOP,120ドル、但しエベレスト山が見えない場合100ドルバック、又はヒマラヤの展望台ナガルコット観光のOPこちらは30ドルであった。坂井氏、沖氏、小生はナガルコットへ、途中の段々畑のある田舎の風景や、活気の有るカマルディヤナの町を見学する。往復70キロ、3時間。エベレストもヒマラヤも天候に恵まれず素晴らしい景色はおあずけだった。今度ネパールに来る機会があればナガルコットのホテルに宿泊してみたい。遊覧組もエベレストが見えず早々に引き上げてきた。時間があるので空港近くのチベット仏教の拠点、ボウダナートの見学。ここも世界遺産に指定されている。

 国内空港にてカレーの昼食13時50分TG320便A300にてバンコクへ約3時間のフライト、7時間の待合室は仮眠室を利用する人、お買い物をする人、宴会をする人、様々に時間を過ごす。バンコクを午前1時50分TG738便DC10にて名古屋8時30分無事到着する。各自思い思いに自宅への帰路に。
お疲れ様でした。

 古都パタンの広場で帽子に頂いたバクシーシの1ルピー、2ルピー紙幣は私の一生の宝に成るであろう。           平成11年2月11日