浄土教の源流を訪ねて 1982年6月7日〜11日
1982年4月に戒厳令(深夜外出禁止令)が解除された6月私達日韓仏教親善の旅は始まった。
今回の目的は高田派僧侶尹さんの寺院と韓国浄土教の史跡を訪ねることが主たる目的であった。
6月7日名古屋空港よりソウルの金甫空港へ、初めての海外旅行で胸は高鳴っていたがソウルより
来る大韓航空の便が来ない。何かの事情で金甫航空が閉鎖されているとの情報。
待たされること3時間。やっと機上の人となる。当時はカメラ1台、フィルム10本だったか20本だったか
定かでは無いがとにかく規制の厳しい状態であった。
その時お土産にワイヤレスアンプを持参したら税関でストップ。遅れて居る所にさらに交渉が続いた。
結局税関に預けたまま韓国仏教団のお出迎えをうける。
すぐさまホテルで日韓仏教交流会が開催された。青年会が民族衣装で歓迎。民族舞踊の披露もあり
和やかな初日を迎えたのであった。


早朝より韓国仏教の総本山曹渓寺に参詣後尹さんのお寺本願布教院西願寺へ。
当時は地下鉄も無く朝のラッシュアワーは通勤バスが数珠繋ぎで人口の多さに驚いた。
彼のお寺には婦人部の方たちが多数で迎えをして頂き、全員で勤行をして別れる。


次の目的地は北西の都市、束草へ、洛山寺、神興寺の観光を終え雪岳山ホテルに宿泊する。
韓国の二大観光地で山の雪岳山、海の済州島だそうだ。
最近よく見る韓国焼酎鏡月グリーンはこの山の水を使っていると宣伝している。
朝からバスは38度線を越え南北の国境非武装地帯へ、この一体を守備する軍隊の隊長が
仏教徒でその案内でバスは進んで行く。警備は物々しく銃剣を付けた兵士ばかりが目に付く。
勿論戦車、大砲は言うにおよばず緊張の一瞬であった。バスは山道を喘ぎながら登って行く。
あともう少しの所で岩が道を塞いでいる。全員歩く覚悟でいたらジープに分乗して目的地無事到着。

ここには韓国浄土教の発祥の寺院が建立されているのであった。名を乾鳳寺、兵士が塗装の
修復を行っていた。南北戦争後韓国人も足を踏み入れない場所になっている。
ガイドの洪さんも同行してくれた金君も、勿論尹さんかて初めての場所であった。
全員で読経をして説明を受ける。

この地は中国より北朝鮮を経由した浄土教はこの寺に伝わり後世韓国に布教されていった
由緒ある寺院であった。この寺より少し登った所に碑が建立されていた。
日本人が立てたもので大正4年の銘が刻んであった。
戦後日本人がこの寺院を参詣したのは我々が最初であったとおもわれる。

向かいの山は北朝鮮。非武装地帯に居ると思えない静寂な場所であったが、
一週間前にゲリラとの銃撃戦があったと聞く。
またわき道には地雷があるかも知れないので注意をされた。
韓国では現在休戦中で終戦を迎えたのではないと言う。
午後からは韓国の北街道を南下、海岸線の警備は厳しく細い竹の垣がズット続いていた。
主要な場所には解らぬようトーチカも作ってあった。
慶州佛国寺ホテルに到着。明日の朝は早いぞ。
夜明け前よりバスにて石屈庵の見学、修学旅行生が沢山来ていた。

朝食後佛国寺の見学、1995年に世界遺産に指定された韓国一の
寺院である。裏にある修行道場も見学させてもらった。

午後慶州博物館に寄り、発掘された立像の阿弥陀如来を見学する。
日本人には立像の阿弥陀如来は不思議でないが中国、韓国には存在していない。
何故なら中国、韓国共以前には立像も在ったが仏教排斥で消えてしまったのだ。
後年中国、韓国に伝えられた仏像は皆坐像であって立像は伝わっていない。
今戦争中のアフガニスタンのバーミアンの石仏は立像であったが残念な事にタリバンに
よって破壊されてしまった。
慶州からソウルまで高速道路で帰ってきたが当時対向車は数えるぐらいすくなかった。
最後のお別れ会を開き、翌朝には帰国の途に着いた。

左が金君、中央尹さん、右はガイドの洪さん


帰国後西願寺へ本山の一光三尊佛の模刻を送りました。
2001年10月24日記