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西インドの旅+香港?

2007年2月3日〜10日+2日

2月3日憧れのインドへ、関空12時発のAI315便に乗って香港経由デリーへ。
エアバス製A310−300でスクリーンも手動の古い機体だった。
無事デリーに到着、スルーガイドはビストさん。1週間よろしくネ。
比較的空港に近い新築の「ザ グランド ニューデリー」に宿泊。
現地時間で21時ごろ。日本時間だと0時半、約12時間かかる。

 

4日9時に市内観光に出発。「クトゥブ・ミナール」、1993年世界遺産に登録。
インドの石造建築物で最も高く、72,5m。
インド最初のモスクもあるが偶像崇拝をしないイスラムなのに古い石材を使ったため
彫刻が残っている。
前回訪ねた時より随分整備され発掘も進んでいた。
物売りも居なくなった。

「フマユーン廟」、1993年世界遺産に登録。
1565年ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの墓廟である。少し違うのは皇帝没後妃が建設
しているこ
とである。ペルシャ建築とヒンズー建築とが融合した優美な姿をしている。
アーグラのタージマハルの原型となりムガール建築と呼ばれる。

デリーの「インド門」は第1次世界大戦で亡くなった方の名前が刻んである記念碑的門で
高さ42m
ある。周りには何時も多くの市民や観光客が散策をしている。

インドの父、マハートマ・ガンジーを荼毘にふした「ラージガート」を観光する。
国賓が来ると必ず訪ねる場所である。前回はスリランカの大統領が来て閉鎖されていた。

  

16時35分発国内線にてボーパールへ、ジェットエアウェイズ9W3307便で1時間
だが、空港
でハプニング。荷物が多すぎて運べないという。
参加者16名、添乗員1名、全線ガイド1名の荷物
は18個になる。
「5個ほど明日の昼まで待って欲しい」と言う。

交渉の結果5個だけ重すぎたら明日にして、乗せられたら運ぶ。との約束で搭乗した。
空港で荷物をもらったら全員の分があったので一安心しました。
プロペラの付いた小さい飛行機だか
ら荷物室が少なく団体に対応していないことが原因だった。

  

「ヌーUSサパーパレス」に宿泊。このホテルは昔の宮殿を改装してホテルにした市内を
一望できる
丘の上に建つ2階建ての瀟洒なホテルだった。

 5日朝8時半出発、目指すは1万年以前の壁画が残る「ビーマベトカ観光」。
1時間半で到着。小高い丘陵地にあり昔ここに河が流れていたという。
岩肌に絵が書いてあった。
一番古い白色の絵が1万5千年前、次の赤い絵が1万2千年前、最新の緑や青の絵が
1万年前とい
う。2003年に世界遺産に指定された。

二名ほど早くに歩いていったら「虎が出るから一緒に行動してください。」
ベンガル虎が出ても不思議でない場所だった。駐車場で1万年前のトイレに男性は青空、
女性は片方レンガの壁だけの開放トイレで用をたす。

次の目的地サーンチーへ。板バネの古いバスにゆられて又2時間。万歩計が歩かないのに
勝手に上っ
てゆき25千歩を示している。結局持って行ったがあまり役にたたなかった。

レストランで昼食後「サーンチー遺跡」へ、100mの丘を登ると直径37m、高さ16m
大きなストゥ
ーパと一回り小さい第3塔が見える。この丘全体が仏教遺跡として1989年に
世界遺産に指定されてい
る。
大きい第1塔はアショーカ王(在位前268頃〜前232)の時代に創建されたが当時は
半分位
の大きさで1世紀後のシュンガ朝の時代に現在の姿になった。
四方にはトーラナと呼ばれる石門があ
り釈尊の教えや生涯の物語がびっしりと彫られている。
東には僧院跡もあった。
南には第17寺院やアショーカ王の石柱もある。
世界中の仏教徒が訪ねる場所で、今日も沢山の信者や僧侶が参詣していた。

 説法する僧侶

私は以前ある方に「インドに行ったら是非このサーンチーを訪ねなさい」と教えて頂いた
ことが
あり、その方の約束をやっと果たした気になった。
でも随分不便な所で観光コースにはめったに入っていない.
やっと見つけ今回の旅となった。

その後
ホテルに1時間半かけ戻り夕食後ボーパール駅へ22時35分寝台列車で
ブシャパールへ。
この時5名の日本人と会う。
京都からの団体で明日からアジャンタ、エローラと同じコースらしい。

その他ホテルで川西市の浄土宗の僧侶等10数名と会った。
彼らは二泊しデリーに飛んで帰国する
と言っていた。
やはり日本人観光客は少ないのだろう。

サーンチーの佛塔はスリランカのダーガバ(スツーパー)に影響を与え、
さらにミャンマーやタイの
バゴダとなり日本に来て五重塔となった。

夜行列車は満席で車内は禁酒禁煙。日本のように車内案内が無いから乗り過ごす人が
多く禁酒にした
そうだ。それにしてもブシャパールには5時25分着だけ解っているが
遅れていたらどの駅か解らな
い。ガイドだけが頼りだった。
とにかく無事駅に着き観光バスにのる。真っ暗な道を走り始めるが人
が灯りも点けず
沢山歩いている。仕事に行くだろうとは思うのだが時計も無いのにどうして時間が
かるのだろう?

6日8時前に陽も上がり途中のホテルのレストランでトイレ休憩と朝食。
電気も点いていない食堂でトーストとコーヒー又は紅茶。オムレツも付いた。
終わったころにやっと電気が点いた。電気事情が悪いのだ。

  

9時前に現地ガイドのシヴァさんがやって来て「アジャンタ遺跡」へ。
途中駐車場に車を止めシャトルバスに乗り換えて10分で着く。
第1窟までにある階段や坂道をみて
椅子のカゴに乗っけてもらって観光をする人もいる。
往復6
00ルピー。

吉田さん撮影

1983年世界遺産に登録される。
第1窟が有名で蓮華手菩薩、金剛手菩薩など日本の法隆寺に影響を与えている。
内部は特殊なライト
で照らされている。フラッシュ撮影は禁止だが写真は撮れる。
でも暗すぎて外部しか撮れなかった。

第2窟、第10窟、第17窟、第19窟、第26窟を見学した。
窟内は土足禁止で靴だけ脱いではいった。外国の撮影隊が記録をとっていた。

ここで一人の日本人青年にあった。ムンバイから入ってオーランガバードで1週間目。
大阪の法学部といったか?一回生であと2ヶ月間インドを見て回る旅をするそうだ。

インドの洗礼
始めてインド旅行をすると必ずインドの洗礼を受ける。先ず下痢、嘔吐。
特に熱も無くて気分が晴れない、でも下痢は続く。脱水状態になって日本で病院へ。
インドの水には気をつけているのに?
一番騙されるのが氷、次に果物。(洗った水は水道水。)
次に歯磨き、知らず知らずに水は身体に入ってゆく。最後にシャー!!
でも慣れると治るそうです。それまでの辛抱です。
インド旅行の方には逃れがたき宿命です。

アジャンタのレストランで昼食、バスにて105キロ離れたオーランガバード市内へ。
途中シルクのお土産屋さんに立ち寄りホテルへ。
今夜のホテルは「ホテル ザ メドゥス」ロッジ風の2戸つなぎの部屋が沢山在る。
私はG5の部屋だった。ここで2連泊だから少しは身体も休まる。
市内からエローラに行く途中にあ
った。初日は沢山の宿泊客があったのかお湯が出ない。
オーランバードの気温が36度程あるので寒
くはないがそれでも水はつらい。
食事は夕食から最後までレストランでバイキングだった。
ビール200ルピー、水50ルピー、
1ルピー約3円。

 濱田さん撮影

7日8時ホテルを出発、「エローラ観光」へ。
約40分にてジャイナ教の32窟33窟を見学。繊細
な彫刻や当時の壁画も残っている。
内部をノミで掘りぬき彫刻を施す。

気の遠くなる世界だと思っていたら第16窟の「カイラーサナータ寺院」に着いて,
私の思慮を超え
た。奥行き81m、幅47m、高さ33mの巨大な彫刻を岩山から150年の
歳月をかけてノミで掘り出した
のだ。勿論ヒンズー寺院だから内部にも入れるし、
記念塔も下から生えている。全ての壁面には彫刻
が施されている。
門のテラスから全容がうかがえた。
ここで記念写真。

中心寺院の内部にはシヴァリンガが祀ってあった。
地面を良く見ると排水路も作ってあった。
山の直壁はてこの原理で落ちないよう計算してあるという。
一度は訪ねてみたい世界遺産の一つである。
1983年に登録されている。

少し離れた所に7世紀頃に作られた仏教の「第10窟」を訪ねる。
形はアジャンタの寺院に似ている。
内部でシヴァさんが三帰依をパーリー語で歌ってくれた。
心地よいエコーがかかり全員感動。

ホテルで昼食後3時まで休憩。
市内にある「バーンチャーキー」と「ビビ・カ・マクパラー廟」の見学。
この廟は王子が父のためにアーグラのタージマハルを模して作ったものである。
帰りにお土産屋さんに寄ってお買い物。釈尊の石仏があったので買ってしまった。

夕食後プールサイドで遅くまで談笑した。

 バーンチャーキー

8日バスにて「ピタルカラ石窟」の観光に出発。
エローラ遺跡を超えてさらに進んでいく。

今日は道が狭いというので男性と女性の2台のバスに分かれた。
エローラより
30キロ北西にある遺跡で紀元前2世紀の古い遺跡である。
一部壁画も残っていて今後の研究が待たれる。
バスを降りて階段を下り川沿いに数窟残っている。
往復で
1200歩少しだった。

14年間ガイドをしているシヴァさんも6回目の案内だというほど誰も来ない遺跡らしい。
色の綺麗な石を拾ってきたのがお土産か?

帰りに「ダウラターバード砦跡」の城壁だけ写真を撮る。
ガイドブックによるとインドの三大砦の一つという。
将来世界遺産に登録されるとも聞いた。

ホテルで昼食後休憩、17時20分発のIC888にてムンバイへ。
アウランガバード発の飛行機に行き先が無い。全てムンバイか?185分着。
空港からホテルまで大渋滞。夕刻だからと思っていたら一日中どの道も同じ。
バスにエアコンが入っていると寒い。途中で切ってもらう。
インド最後の夕食は中華レストランでの食事だった。
「女王のネックレス」と呼ばれるマリーン・ドライブを走り南端の
ヒルトンタワーズホテルに到着する。40階建て以上の素晴らしいホテルだった。
資料によると旧オベロイホテルで04年にヒルトングループになった。

タージホテルとインド門

 

9日8時に出発し「インド門」へ、近くに有名なタージマハルホテルがある。
インド門の下より遊覧船に乗って「エレファンタ島」へ約
1時間。浅い海で濁っている。
ムンバイの東なのに海とは?と思っていたらムンバイは半島だった。
島に着くと小さな汽車がいた。全員で乗車する。発動機でブルブル動いている。
途中に駅らしきものもあった。終点から少し歩くと階段が迫ってきた。
また椅子のカゴに乗る人がいた。
1987年世界遺産登録。

6世紀から8世紀頃の造営でインド本土とは少し体裁を変えたヒンズー石窟寺院である。

現地ガイドは上流社会の奥様で日本語を忘れないためガイドをしていると言う。
説明が長い(失礼丁寧)で写真を撮る時間がなくなりそう。
帰りは汽車に乗らず波止場まで約200m。連絡船は満杯で座席も無かった。

ガイドが2階に行けという。一人本来10ルピーいるらしいがインド的交渉
「客を沢山乗せすぎて座席もない、炎天の場所に来たのだから無料にしろ」なるほど?

最初数人と交渉、最後はキャプテンとの交渉で無料になった。
風は強いし日差しも強かった。途中で船酔いか気分が悪くなってきた。
バスに乗って市内のレストランで昼食。結局食事は出来なかった。

インドのバスはヤンキーフォン
インドの運転手は前に車がいたらヤンキーフォンを高らかにパラパラパラパラパラパラヒャー
何時も賑やかなこと。バスだけでなく乗用車も後から抜いてくる。常にわが道。

歩行者も動いている車の前を堂々と横断する。しかも舞うように??
日本人では共に出来ない仕業。

「チャトラパディ・シヴァージー駅」(旧ヴィクトリア・ターミナルス)
2004年世界遺産に登録、1887年イギリスのF.W.スティーヴンスによって設計建築された。
駅前にあるボンベイ市の行政庁舎も後に作っている。

東京駅に似ているのは設計者の辰野金吾がロンドンで同じ頃ヴィクトリアン・ゴチックを
学んだからである。

この後買い物をして空港に向かう予定であったが、飛行機の時間が1時間早くなったとの
連絡で渋滞の道を空港に向かった。
車内でチケットを受け取り荷物も持って入場した。
ここでガイドのビストと無事別れた。
これでインドの旅行は全て終わった事になるが、悪夢の最終章の始まりでもあった。

夏服から冬服に着替えたり、最後の荷物整理をしたりしてトイレに行くが
途中でチケットの確認がありチケットを持っていないと通過できない。
添乗員が空港ガイドにチケットを渡すように言ったので「確認があるよ」と言ったが
「大丈夫」の返事。いざ行ったら
NG

又配って入ってカウンター近くまで行ったらチケットが1枚足りない。
別人に渡してしまったのか?再発行が出来ないので新規に購入する。
パスポートを提示しなければ航空券には成らないから数ヶ月先に返金があるかも知れない。
電池やフィルム袋でスーツケースを開けたり閉めたり。それでも全員無事機内に乗れた。
20時半発、早速と夕食の機内食。
今日の機体は随分と新しい。往きに来た機体とは全然違った。
ムンバイからデリーまでは約3時間23時半には到着。
ここから香港までは満席である。0時半に離陸、またもや機内食を食べる。
うとうとして10日7時半には香港到着。

半数の客が降りて機内清掃や手荷物のチェックも済み、食事なども無事運びこまれた。
8時半発の予定なのに一向に動かない。その内朝食を配り始めた。何か変だ?と思った。
食事が済んでも動く様子がない。右のエンジンを見たらカバーが開いていた。
何の説明も無く手荷物を持って機外へ。
トランジットコースを通って出発ロビーで待つ事に。
「お一人様75香港ドルで昼食を、不足は個人負担です。」
まだこの時点では帰れる予定と思っていました。
次に貰ったのが香港の入出国カード、とにかく記入して今夜は香港泊まりが確定。
出国ロビーから入国ロビーに行く方法は空港の人間でないと解らない、
全員で126名長蛇の列になる。AIとの交渉は6名の添乗員が行った。
我々のグループが最後だから前の人を見失わないよう必至だった。
エレベーターを使って下の階へ、やっと出国カウンター。
でもスーツケースは出してくれるのか?これがないとホテルで苦労する。

出国ロビーの出口は飛行機です
この階の出口は飛行機以外に無いのです。
だって機内に爆弾を預け外に出られたら大変です。
到着ロビーからはトランジットで出国ロビーに簡単に行けますが、帰りの道はありません。
香港の空港はバカほど広い。何処に降り口があるのか誰も知らない。

さすが他の団体の女性のプロ添乗員、交渉し荷物を出させた。これで一先ず安心。
表に観光バスが3台待機。ともかく沙田市リーガル・リバーサイド・ホテルへ。
部屋割りをして夕食、朝食の券をもらい近くのコンビニで水やビールを買って寝ることに。
家に連絡をして明日の予定をキャンセルする。

明日の予定の入っている人は夕方のキャセイ航空で帰っていった。

明日同じくAIがデリーより来て関空に行くがこれには乗せてもらえない。
部品を持って来るので修理出来次第出発だと情報が入り、昼食券が配られた。
ホテルの食事は美味しいがのんびりとは言っておれない。籠の鳥状態であった。
明日の予定がキャンセル出来ない人は今夕のキャセイで出国していった。
我々のメンバーにも2名いた。約7万円の自腹。

18時20分チェックアウト、22時フライト、午前2時着との連絡。
「やれやれこれで帰れる」と思いきや夕食会場の案内???今夜も泊りか?

夕食後タクシーを使って「気晴らしに九龍へ行こう」と7名で出発。
九龍を散策し地下鉄にも乗って、タクシーで10時過ぎに帰ってきたら
添乗員が叫ぶこと。「11時に出発です。2時のフライトが決定しました。」

早速荷物の整理やチェックアウトの準備。バスに乗って香港の夜景を見ながら空港へ。
機内に乗り込んでも飛ぶまで心配だった。2日も客を待たせても詫びの一言もない。
ビールやワインをがぶ飲みして寝たら関空でした。
スーツケースを宅配し香港ドルを再両替して帰路につきました。
皆さん大変お疲れ様でした。一生忘れることの無い思い出が出来ました。
でも香港の食事が美味しくてインドの食事を忘れました。

   2007・2・15 水平記