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シルクロードの旅

西安・ウルムチ・トルファン・敦煌8日間
     1995年9月5日〜12日

 今回の旅は名古屋空港出発で、西安まで直行で行けるのが魅力だ。
勿論上海経由だが飛行機を降りて乗り換えをする手間が省けるのと時間的に早く行けるのが良い。

 今回の参加者の中に海外旅行が初めてと云うメンバーが居るのがチョット心配だが?
スムーズに西安に到着、レストランで夕食後ANAホテルへ。
朝食のお粥がメチャ美味しかった。こんな味生まれて初めて。

まず華清池の観光、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の恋の場所である。楊貴妃が使用した湯殿もあるが写真撮影禁止。今回の旅行は撮影禁止の場所が多そうだ。

 次に兵馬俑坑の観光、数千体の兵馬俑が整然と並ぶ。でも体育館の2階から見て居る様で凄さは伝わって
こないし、写真も撮れずグルリと回って御終い。1号坑、3号坑を観光する。
帰り道ざくろを売っていたので数個買い、昼食時に試食したがざくろはざくろ。

         ザクロ

 大雁塔へ、上の方に登っていったメンバーもいたが、チョ遂良の雁唐聖教序の碑文を写真に撮り時間を過ごす。
売店に碑文の拓本が売っていたが全部真っ赤な偽物だった。
本物はと聞くと20万円という。字の上手な人が真似て碑を作りその拓本を売っている。
日本人向けお土産だ。
下りてくるとアヒルの木彫りを売りに来る。千円、千円の声。最初2匹ぐらいから始まり50匹近くまで増えていった。後で聞くと最高75匹まで粘った日本人がいたそうだ。
誰も買わずに帰ってきたが、後日日本で1匹500円で売っているのをみて悔しがっていた。

         西安記念写真

 夕刻の便でウルムチへ、今夜の泊まりはホリディイン・ウルムチ。
新疆ウイグル自治区博物館へ。ここにはローラン美人のミイラが展示されている。
勿論撮影禁止、ビデオで隠し撮りをしたが見つかり大目玉。
日本にも来た事があるがどれか解らないほど沢山在った。

 バザール見学の後、バスにてトルファンへ。約4時間、途中で昼食、トルファンに近づくにつれ広大な砂漠が迫ってきた。
         バザール
 途中山の中で川が流れていたのでガイドに、「この川は何処に流れていくの?」と聞くと答えはあっさり
「砂漠に」と答える。海ではないと思ったがナルホドとうなずく。
 ラクダ草と石ころだらけの大平原に道路が一本。

         砂漠

 街に近づいて交差点があった。こちらに行くと何処へ行くのと聞く?
トルファン駅だという。でも何も見えない。42キロ先に在るという。????
海抜100m、夏には50度近くにもなり冬は厳しく寒い。年間降水量30ミリ。
一体どうして22万人の人が暮らすのか不思議。

私達は緑洲賓館にて2泊する。夕食後近くのトルファン賓館の野外ステージで行われる
ウイグル族の踊りを観賞する。約1時間ほどであった。

          トルファンの踊り

疲れて居たのか漠睡。朝からベゼクリク千仏洞へ、火焔山の中にあった。途中の道がぬかるんでいる。
昨夜大雨が降ってあちらこちらで道路が陥没していると言う。信じられない光景で本当に雨が降ったの
だろうか?
現存83窟、ここも撮影禁止、ドイツやイギリスの探検隊が持ち去って何もない窟が多かった。
でも空は真っ青赤い火焔山とのコントラストが素晴らしい。また遠くに万年雪を抱く天山山脈が望めた。           

         千仏洞

西遊記に出てくる火焔山、火を噴く山と形容されているが大きさにビックリ。
全長100km、南北の幅10km、平均海抜500m、約200万年前ヒマラヤ山脈の大地殻変動の際に
出来たという。

         火焔山

アスターナ古墳群へ、途中本当に道が川になっており迂回をして到着する。
内部のミイラを見学する。実際には高昌国貴族のお墓だそうだ。
雨も降らず、乾燥していれば自然とミイラになってしまうと思われた。

        アスターナ古墳

帰り道バザーが開かれていたので立ち寄る。原色に近い織物が多数売られて賑わっていた。

         バザー

昼食はホテルで、干しブドウから作ったワインだというので皆で飲んでみた。結構美味しく
お土産に2本ほど購入。

トルファンは干しブドウの産地でいたる所にブドウ棚があった。実を取り3日も干せば完成。
1キロ120円程度で買えた。甘くて非常に美味しくお土産に買ってきたが不評だった。
大都市や日本ではこの干しブドウ高価なんですがネ。

午後はカレーズの見学、天山山脈の雪解け水を直線距離にして60kmも引いている。
何本もあり全長にすると3000kmとも云われている。10m〜20mおきに井戸を堀り、それを横に繋いで
水を引く技術はペルシャより伝わったといわれる。
水は冷たく飲料水、生活用水、干害用水に利用されていた。

三蔵法師が立ち寄った高昌古城をロバの馬車?にのって見学。唐代の西域の国であった。
見渡す限りの残骸が続く廃墟であった。映画「敦煌」の一場面にここも出てくる。

         高昌古城クリックで写真拡大

交河古城の見学、ここも何も無い廃墟。両側に河が流れ絶壁30mに囲まれた要塞都市であった。

         交河古城

ウルムチよりトルファンの方が観光施設も多く楽しめた。楽器工場やバザールも観光した。

翌朝月明かりの内に起き出発。ゼンゼン空港へ。途中火焔山より上がるご来光を見る。
地平線より上がる太陽が見たかったが残念だった。

         

 ゼンゼンの街は幻の王国ローランの一部であったと帰国後知った。軍事空港で夏の間だけ近畿
日本ツーリストが契約している路線で敦煌まで1時間半のフライト、48人乗りのプロペラ機だった。
待合室も何も無く軍隊の兵士みたいな人が荷物検査をしてくれた。汽車で敦煌まで15時間、
夜行列車で行くよりはどれほど楽か?窓から下を見ると何も無い砂漠が続いている。

         砂漠

         敦煌空港

 サアー憧れの敦煌。砂漠の空港に到着。まず陽関へ、途中蜃気楼が見えた。本当に水が在るように
見えるから不思議だ。

 オアシスというのは砂漠より水が湧き出し樹木を育て又砂漠に水は帰っていく。
昔のキャラバンはこのオアシスを頼りに旅を続けたのであろうが、星を見て方角を知ったのでしょうか?
山も無ければ目安になる物もない、砂漠も平坦で無く丘や谷もあって自分の進む方角をどうして
知ったのだろうか?映画では死骸を目的に歩いたというが本当の様に思えた。

 陽関は狼煙台と小さな売店だけがある何も無い場所であった。近くにオアシスがありここに兵士は住居を構え西域より攻めて来る部族の警護にあたっていた大切な場所である。
7世紀王維はここで
  西のかた陽関を出ずれば 故人無からん
と詠んでいる。ここから一歩踏み出せば親しい仲間には会えないであろうの意。

帰りに映画敦煌のロケ現場を残した敦煌古城に立ち寄る。
帰国後レンタルビデオ屋に走り敦煌を見た。明日行く莫高窟近くの場所が懐かしく見られた。

今日は9月9日仲秋の名月の晩、敦煌賓館の庭に特設舞台が設けられ観月の舞踊が行われラッキー。
夜になると結構冷えてくる。このため風邪をひいたメンバーがいた。

         ウイグルの踊りクリックすると写真大きくなります

この旅行の最大観光地莫高窟へ、ガイドが今年入社した新米さん、それで一番詳しい女性の先生を紹介され案内してもらう。私達は特別に前もって見たい窟を依頼しておいた。
勿論特別料金はツアー代金の中に入れてあったがヒョットすると又お金を徴収されるかもと少し心配だったがそれも無く一安心。
一般の人の入れない窟も無事案内してもらった。
16・17.45・57・96・130・158・249・257・329・332・345窟の観光は終わった。
 57窟の美女観音像の模写絵をお土産に購入した。
         57窟観音クリックで写真が大きくなります
カメラ、バッグ等手荷物は水筒と懐中電灯だけしか許されず口惜しい思いをした。
 45窟も我々だけで複製の途中であった。今ごろは入場も出来なくなっていると思われる。
数日前、我々がトルファンに着いた日ここも大雨で入場禁止になっていたそうであった。

午後敦煌博物館に行く。ここには獏高窟で発掘された敦煌文字が見学出来るからである。
楊貴妃が好んだハミ瓜が出たが今朝から腹の調子が悪く食べられず今でも悔いが残っている。

夕食後鳴砂山観光、ラクダに乗って山の中腹まで、お土産に砂をもってきた。
よく揺れてラクダではなかった。腹はゴロゴロいうし大変でした。
帰りに薬膳茶と餃子を食べに近くのお店に立ち寄る。

         鳴砂山クリックで写真が大きくなります

         ラクダ

朝から帰る準備をして空港へ、ダブルブッキング、夕刻の飛行機にして欲しいとの提案、2人程風邪の為ダウン。交渉しやっと西安へ。変わりに降ろされた10数名夕刻までどうして時間潰したのでしょう?

すぐホテルへ、病人さん2名を置き碑林観光。平成の出典碑文に感動する。

         碑林

夜西安城門前にて催し物が開催されていてすごい賑わい。
2人は病院で点滴を受け帰国の時には元気になっていました。
午前中鐘楼・鼓楼を観光し全ての日程を終える。

西安に別れを告げ空路上海経由名古屋空港へ無事到着、解散、お疲れ様でした。
現地の人の言うにはシルクロードじゃないよ、クルシロードだよ。ほんとだネ!

                                     平成13年10月26日 記