スリランカ旅行記 2003.10.2〜8
スリランカ旅行が解禁になって1年余、昨年の9月に企画をたて募集を始めたのが今年に入ってからだった。一度は中国の大理、麗江の話も出たが少し強引であったがスリランカに決定した。それは北海道の八割の面積の国に世界遺産が7個もあり、5箇所が1度の旅行で観光できる事、タイ、ミャンマーと同じく国教を仏教に制定している国だったからである。
いざ決定してからが大変だった。何故なら情報が全くと言って無い国だった。
「地球の歩き方」しかガイドブックも出ていない、インターネット上にも旅行記や写真集がほんの少し掲載されているだけであった。
私たちの旅行のポリシーでホテルは最高級とまではいかないが高級ホテルをいつも頼んでいる。
今回も少し割高だがグレードアップして旅行社にお願いをした。
さて今回どんな珍道中になるのやら・・・・
10月2日、名古屋空港8時集合。碧南市のK氏と相模原市のN氏の県外参加者2名と合流、15名の団体である。10時発香港行き、CX533便に心はずませながら搭乗する。サーズの影響か往復ともガラガラ。定員の半分も搭乗していなかった。機内食とビールを飲みながら13:10分着。
さて香港に着いてからが大変!。新空港になって初めての者ばかり、どこに何があるのか解らない。それにとんでもなく広大な空港でゲートが71もある。
5時間20分のトランジットをどう過ごすか?時間が早いので未だ出発ゲートの案内も出ていない。とりあえず36番ゲートの近くに集合場所を決め各自自由行動。
最初の失敗はこの36番ゲートにしたこと。お店は近いのだがトイレに行くにも喫煙室に行くにも往復500m程歩かねばならなかった。やっと出発ゲートの案内が出た。「何?2番ゲート?一番端のゲートだ」

歩くこと約15分、動く歩道もあるのだがなにせ遠い。やっとたどり着いたが何も無いがらーんとした待合室。またまたトイレと喫煙室に500m?
18時35分発、バンコク経由スリランカ行きCX703便に搭乗した。旅行社の行程表にはバンコク経由なんて書いてなかったぞ?機内食を2度食べなくちゃ?香港からバンコクまで約2時間40分、バンコクからコロンボまで3時間6分。バンコクにて機内清掃等々で1時間半ほど待たされる。
とにかく両国間は満席。23時45分無事コロンボ空港に到着。日本との時差3時間。
現地ガイドのプレーマ氏の案内で観光バスに乗車。イスズの長距離バスの中古車だが綺麗に整備されている。30分程でニコンボのロイヤル オーシャン ホテルに到着。部屋割りをしている途中に大雨。床が木製で情緒はあるが随分古い建物だった。
シャワーを浴びたが熱いお湯は出なかった。
ベッドを見てさらに驚く。毛布が無い!シーツ1枚だけ?バスタオルをその上にかけてすぐ寝る。
もうすぐ日本だと夜明け。22時間以上かけて着いたのだ。
3日 モーニングコール7時、朝起きてびっくり?窓の前にはインド洋が広がっている。
朝食を1階のレストランで済ますと早速海岸へ、広い砂浜が延々と続いていた。

ここはリゾート地なのだ。対岸は見えないがきっとインドに違いない。
8時半出発、古代仏教王国「アヌラーダプラ」までは180km、街を出るとき寺院の前に止まりお賽銭をあげ旅の安全を願う。仏教徒は皆そうするらしいが日本人感覚では解らない習慣だった。
子供達が池で水浴びをしている写真を撮ったり車窓からの眺めを見ながら12時過ぎに今夜泊まる
ミリディヤ ホテルのレストランで昼食。
ヨーロッパ人が多い。彼らは明日泊まるシーギリヤ地区に宿泊し日帰り観光をしているとガイドが言っていた。
このアヌラーダプラの街は紀元前500年頃より栄え、紀元前3世紀デーワーナンピヤ・ティッサ王の頃、インドのアショーカ王の息子マヒンダによってスリランカに仏教が伝えられ、インドのブッダガヤから菩提樹の分け枝が運ばれた。4世紀始め、キルティ・スリ・メーガワンナ王の時代にインドより釈尊の犬歯が送られ最初の佛歯寺が建立されている。このシンハラ王朝は10世紀になると、このアヌラーダプラを放棄した。
最初に訪れたのは岩肌に造られた小寺院、イスルムニヤ精舎であった。
門の所で靴や靴下を脱ぎ素足になって境内へ。毎日何度と降るスコールのため水溜りが出来ているし石ころだらけの境内は足つぼマッサージをしてもらってるように「あ痛たっ、あ痛たっ」とそろりそろりと進んでゆく。現地の人は慣れたものでさっさと歩んでいる。
岩肌の彫刻や紀元前3世紀に建てられた寺院の一部を見学し寺院内部へと、ここには原色の涅槃像が祀ってあった。東京の浅草寺の援助で色を塗り替えたとのことだった。
小さな博物館の中に「恋人の像」と「王族の像」があった。
フト石柱の上を見ると見たこともない動物がいる。カメレオンだという。
自然のカメレオンがいるなんて?石の色に同化していた。

寺院裏手に回り岩山の頂上へ、遠望ができ山ははるか遠くこの辺り一体は平原であることがわかった。帰りに汚れた足に靴下を履き次の観光地へ。
次に訪れたのはあのブッダガヤから貰った菩提樹、スリー・マハー菩提樹。
バスに靴を預け降りて徒歩約20分素足で歩く。修行とは辛いものである。
やっと辿り着くと石垣で囲った少し小高いところに菩提樹が数本、中心の木が当時の菩提樹だと言うが2000年もたっているようには思われない細さだった。
しかし巡礼の人々は一心にお参りをしていた。
ルワンウエリ・サーヤ大塔のそばでやっと靴が履けた。
アンコール・トムで見た象のテラスがある高さ55mのスツーパーである。
車窓よりトゥーパーラーマ・ダーガパやラトゥナ・プラサーダを見てクイーンズ・パピリオン(ムーンストーン・サイト)へ、ここは王妃の建物跡で石柱や門などが残っており、石門の階段入り口に一番美しいムーンストーンがある。
絵葉書を2種類5ドルで購入する。また女性が「私が描いたの」というムーンストーンの絵も購入した。

木立の中にひっそりとたたずむサマーディ仏像。靴を脱いで近くで写真撮影をしていたら小学生の団体がやってきた。みんな真剣にお参りをする。さすが仏教国だ。
僧侶の沐浴場クッタム・ボクナ(ツイン・ポンズ)を車窓より見て通る。
現在ユネスコによって修復中のジエータワナ・ラーマヤ、3世紀に建てられたもので現在の高さ約70m、土台の直径は113m、アヌラーダプラのシンボルでもある。
周りには膨大な量の修復に使う焼きレンガあり、それぞれに名前が書いてあった。
きっと寄進した人の名前であろう。
遺跡は公園のように綺麗に整備されていた。1982年世界遺産に登録。
ミリディヤ・ホテルはロッジ風のホテルで、テラスが大きくプールもある中級ホテルだった。
ここもシーツ1枚のベッドだった。エアコンもついているが何度か停電をした。
バスタブも付いていたが赤いさびだらけのお湯しか出なかった。
4日 8時出発、途中仏教伝来の聖地ミヒンダレーを見学する。
山の中腹までバスは我々を送ってくれた。途中洞窟の僧院跡や食堂跡、ライオンの沐浴場跡、
パーリー語で書かれた石版等を見て、石の階段を登り始める。結構な数であった。
登りつめるとそこから境内、またもや靴と帽子を預ける。
山頂が2つあって片方はスツーパー、片方は岩山、我々は岩山の方を選び登り出す。
パイプのテスリがあるだけで岩を少し削っただけの階段。
まるでロッククライミングのような山登り。お助けマンがいないと荷物は持って上がれない。
見晴らしは良く遠くシーギリヤも見える。でもすごい風で吹き飛ばされそうになった。
お助けマンに300ルピーは高いのか安いのか?
ハバラナ近くで象の水遊びをみる。象使いが大切に象の背中を洗っていた。
写真を撮ったらすぐチップを要求する。この国の嫌なところだ。

今夜のホテルはこの地区のハバラナ・ロッジ ホテルだが通り過ぎてボロンナルワへ。
途中軍隊の駐屯地や自然公園のジャングルを超えてゆく。帰りに野生の象や孔雀に出会った。
野性の象に出会えるなんてラッキー?でもジャングルといっても雑木林と言ったほうが日本人にはぴったりするような感じであった。
国土の10%が国立公園と自然保護区になっている緑の多い国である。
又お米が主食で年に2度も収穫が出来る豊かな国でもある。
ポロンナルワに入り湖の堤防を走り、いまだにもって謎とされるパラークラマ・パーフ1世の立像の見学。
昼食はカレーのレストラン。湖では釣りをしている人がいて魚も豊富に捕れるらしい。
カレーのおかずに魚のフライも出てきた。食事中に強風と大雨。
この国には曇りというものが無い。太陽が出ていても雲が出てきたな〜と思うとすぐ雨が降る。
しかもしとしととは降らない。大粒の雨が強風と共にザーと降ってすぐ止んでくれる。
これを日に何度となく繰り返すのである。きっとインド洋で温められた水蒸気がスリランカの山にぶつかり大雨を降らすのだろう。
ヤフーで世界の天気予報を見てみるとコロンボは毎日雨又は曇り雨マークしか出ていない。
1日中晴天の日は無い国である。
この街は10世紀〜12世紀の間シンハラ王朝の首都であった。
まず王宮跡へ、分厚いレンガ造りで当時は7階建てだったという。今は面影も無いがそれでも修復箇所が沢山有りさすが世界遺産だ。同じく1982年に登録されている。
この遺跡の周りにはタミール人が多いのか物売りがしつこくまつわり付く。
小生もとうとう黒檀の置物を2個3000ルピーで買わされた。
水の無い空の沐浴場、会議室を巡って何故かヒンズー寺院、シヴァ・デーワーラヤNO1にはリンガが祀ってあった。
唯一屋根の残っていて厚さ2mの壁を持つトゥーパーラーマ寺院、内部には光を当てるとキラキラ光る仏像が安置してあった。小さな小窓があって今は無き本尊に光が当たる構造になっていた。
勿論内部は素足であった。
一番大きく目立つ円形の仏塔ワタダーゲ(7世紀建立)やハタダーゲ(佛歯寺跡)を巡りガルポタ(長さ9m、幅1.5m、厚さ44cm)の巨大な石に文字が彫られている。遠く46kmも離れたミヒンダレーより運ばれて来たものだ。
近くにタイのワット・クークットに似た7階建てのサトゥマハル・プラサーダがあった。
バスに乗り最高の遺跡ガル・ヴィハーラへ。1枚岩に坐像、立像、涅槃像が彫刻されている。
三体とも仏陀という説もあり定かではないが靴さえ脱げば近くまで行け写真撮影も出来た。
ここで偶然Yさんの家にホームスティーをしていたパキスタン人の友人に出会った。スリランカ人の彼女は名古屋大学大学院を経て大学の教授となり生徒を連れて勉強に来ていた。しばし談笑?
ホテルに帰る途中黒檀、紫檀、白檀の加工工場に寄ってお土産を物色、白檀の佛頭を値切って購入、8000円なり。
今夜のホテルは有名なザ・ロッジ ホテル広大な敷地に何百室と建っていた。1階に3室、2階に2室のロッジが無数にあった。プールサイドを越えて道に迷いそうなホテルで夕食の時間は午後9時からと言う。
時間が有るので全員象に乗って散策することになったが、象が出払っていて帰ってこない。
仕方なく暫く小さな町だがブラブラ観光することになった。野菜、果物、雑貨品、お米など生活に必要なものは大体そろっていた。
象乗り場に行ったがまだ帰っていない。待つこと30分、やっと帰ってきた。
料金は1人20ドル1時間の遊覧であった。
夕陽を見ながら湖の堤防をユラリユラリと進んで行く。モンキーバナナを途中で買って記念写真の度に象にプレゼント。帰りにはトップリと日も暮れて火星が赤く輝いていた。
帰りに象に乗った証明書をくれた。記念になるかな?象の名前はメニカだった。
さすが今夜のホテルは有名なだけあって毛布も付いているしクーラーも快調。
近くの部屋の者同士が集まって一杯のみをしようと決定。これがどつぼにはまるとは?明日の山登りを忘れていた。ただしこのホテルにはシャワールームしかありませんでした。
5日 朝食を済ませシーギリヤへ。お助けマンには300ルピーで大丈夫だとガイドが言っていた。皆さんミヒンダレーで味をしめた人は最初から雇う覚悟。
チョット足に自信のある人は断る覚悟でシーギリヤロックに望む。
バスを降りてから徐々に階段を登って行く、ミラーウオールまで来ると螺旋階段があってシーギリヤレディとのご対面。ここまでは何とかついてきたが最後の階段でダウン?獅子の入り口までたどり着いたのは良いけど、そこから頂上までまだ200段以上の階段がある。
「もうダメだ」昨夜のお酒が戻ってくる。
N氏をシーギリヤロックの見えるレストランで降ろしてきた。彼は持病もあって最初から登る気は無かったらしいが・・・。とにかくI氏と二人で待つことに?結局昨夜飲み過ぎた3人が脱落で、全部で2000段の階段は制覇出来なかった。帰り道も親切に?助けてくれたお助けマンに3ドルで我慢してもらった。ここも1982年に世界遺産に登録。
ちなみに獅子の座から頂上までは180メートルだそうだ。
頂上には王宮、兵舎、住居、ダンスステージの跡が残っている。
帰り道 会議堂や玉座の跡を見てさらに下るとコブラの岩が別れを惜しんでくれた。
すぐバスに乗り一番綺麗に残っているというダンプラ石窟寺院へ、車中大雨、中腹から徒歩で山頂まで、雨は止んだが体が言うことをきかない。
下足番の小屋でダウン「皆さん行ってらっしゃい」またまたI氏とお留守番。
そのうち雲行きがおかしくなってきたなと思ったらまたまた強風と大雨、山頂だから下から雨が吹き上げてくる。傘を横にさしてもズボンはベタベタ。何時までたってもなかなか帰ってこないし、寒くなってくるし皆はこの雨の中どうしているのだろう?2度も降られ、止んだ頃に皆が帰ってきた。
靴は無事濡れずにすんだが雨にあたった人の靴はベタベタ。駐車場まで帰ってくるとN氏とO氏がバスの中で観光せず待っていた。今日の午前は2度も山登り、誠にきつい半日であった。
ダンブッラの石窟寺院は紀元前1世紀より1915年までの間に作られた寺院で石を削り彫刻や彩色を施した現存する一番綺麗な遺跡である。1991年世界遺産に登録されている。
第1窟 デーワ・ラージャ・ヴィハーラ(神々の王の寺)
約14mの涅槃佛がある紀元前1世紀の最古の石窟
第2窟 マハー・ラージャ・ヴィハーラ(偉大な王の寺)
最大の石窟で幅52m、奥行き25m、高さ6m
窟内には56体の仏像が安置されているが壁画や天井画が有名。
第3窟 マハー・アルト・ヴィハーラ(偉大な新しい寺)
18世紀後半に造営、9mの寝釈迦と57体の仏像がある。
第4窟 バッティーマ・ヴィハーラ(3人の王の寺)
第5窟 デワナ・アルト・ヴィハーラ
1915年に作られた。
ロッジホテルに戻り昼食、ビールの1杯が美味しかったこと。
途中大雨の中バスは古都キャンディに向かってひた走る。途中スパイス工場見学をする。
帰り間際、日本人観光客が入ってきた。
町が近づいてくると日本車の中古屋が軒を連ねて売っている。現地ではそれなりに高価なものだが誰が買うのだろう?ガイドにキャンディの人口は?と聞くと35万人だと言う。これだけ人口があったら売れるかもしれない。
狭い道を通り過ぎキャンディダンス劇場へ、開演1時間前だったので中はガラガラ。
日本語のガイドチラシを貰って待っているとだんだん人が増えてきた。
開演直前には満席に近かった。今夜キャンディに泊まる外国人はこれだけかな〜と思ったらあと2箇所ダンス劇場があるとのことだった。
正味時間は1時間、最後に火渡りで終わった。すぐ劇場を飛び出し隣にある佛歯寺へと進む。
7時15分から入場を開始して30分過ぎには閉門してしまうと言う。太鼓と笛で賑やかなお寺である。入り口で靴と靴下を脱ぎ境内へ。
昔爆弾テロがあって、それ以来ボディチェックもされる。
2階に上りチラッと佛歯を入れた金の容器を拝む。長蛇の列だから止まることも出来ない。
スリランカ最古の経典や左から右に移動すると佛頭が常にこちらを向くマジック仕掛けの仏様を見て出てきた。スリランカの中心的寺院で参詣者は多い。
爆弾テロの後修復には日本仏教会が援助している。
この町は15世紀から1815年までの間約300年続いた最後のシンハラ王朝の都で、夏に行われるペラヘラ祭りは世界的に有名である。1988年世界遺産に登録。
今夜のホテルはアールズ・リージェンシー、ウエルカムドリンクの美味しかったこと。
磁気カード式の最高級ホテルで岩山の上に建っていた。遅めの夕食になった。
食事は今まで全てバイキング方式だった。今日はお疲れさん お休みなさい。
6日 朝からバスは佛歯寺の近くを通って郊外のペーラーデニヤ大学キャンパスへ。
優秀な人は大学の授業料や寮費まで無料だそうだ。
次に寄ったのがペーラーデニヤ植物園。総面積5.6Ku、植物の種類4000種以上という。
大ジャワ・ビンローは「日立の木」で枝の下は1800uにもなる。
「この木何の木 気になる 気になる 名前も知らない・・・」ついつい歌ってしまった。

双子ヤシの木も珍しい。その他キャノンボールの木や、赤い硬い実のなる木があった。昼食はレストランで中華料理だった。
最後の観光地ヌワラ・エリヤへ。幹線道路という割りには狭い道を山の中へ。いろは坂みたいなつづら折の道を登っていく。山を越えると茶畑が見え初めてきた。暫く行ったところで紅茶工場見学。製法工程を見てから紅茶を買う。
1時間以上走っても茶畑ばかり、1000m〜2000mの山の斜面はみんなお茶。一体どれ位の面積があるのだろう。さすが紅茶王国だ。5時に仕事が終わるのか茶摘みの早乙女が籠に茶の葉を入れて下りてくる。全部手摘みだ。細い竹の棒は茶の葉の定規みたいなもので全員が持っていた。
山を下ると最後の宿泊地ヌワラ・エリヤだ。町の人の服装を見て驚いた。ジャンパーやコートを着ている。バスを降りたら「ああ〜寒!」我々は半袖だから震え上がった。市場の中を寒さに耐えながら回る。インドマグロやイカも売っていた。あまりの寒さにジャンパーを買う人も。
イギリス風の建造物が多く、なかなか綺麗な町だ。
ホテルは100年の歴史を持つザ・グランド・ホテルだ。暖房はエアコンではなく暖炉風の電気ストーブだった。今夜の夕食時にメンバーの誕生会を開催する。バースディケーキを前もって注文しておいたのでケーキカットから始まった。
Yさんが5日、K氏が7日、Kさんが26日と3名を生バンドで祝う。
「河の流れのように」「酒よ」「イエスタディ」を一緒に歌った。
夕食後有志で一部屋に集まり最後の夜を楽しんだ。
7日 6時半モーニングコール、長い1日の始まりだ。来た道を茶畑に見送られながら後にする、つづら折で子供が花を持って売りにくる。
斜面をまっすぐ下りて来るからバスよりも早い。あまりの努力に数人が花を買った。

コロンボ迄は180km、途中「象の孤児院」に昼食後立ち寄る。人間の匂いのついた象は一生ここで暮らすらしい。生後3ヶ月の小象は可愛かった。
大人の象も沢山いたし、地雷で足を怪我した象もいた。
コロンボ市内に入ると高層ビルや信号機が迎えてくれた。
今まで一度も信号機は無かったのである。車窓より市内観光をして夕食は「さくら」にて日本食、
天ぷら定食だったが少しは落ち着いた。
ニコンボにあるコロンボ国際空港まで2時間。搭乗手続きを終えてガイドのプレーマさんと別れを惜しんだ。
最後にこれほど良く雨の降る国であるが、観光中や散策の時には1度も降られなかった事に感謝する。
残念だったことは子供たちにボールペンを差し上げられなかったことだ。
みんなペンを欲しがっていたのに予備がなかったので、今後スリランカに旅行される人は是非ボールペンを沢山持って行って欲しいと思った。
8日 02:45分発CX700便 バンコク経由香港行きである。行きと同様満席だった。
12:10分香港着、4時間のトランジット、16:15分発CX532便名古屋21:00着だった。
三重郡のT氏と碧南市のK氏に再会を約束し別れる。バスに乗り津駅、久居駅と経由し松阪まで。
家に着いたら12時だった。
何とも長い2日間がやっと終わった。
みなさん お疲れ様でした。
2003・10・15 水平