トルコ8日間の旅
1997・10・4〜11
10月4日 小雨、近鉄特急に乗車、10時半より搭乗手続きの後出発ゲ−トへ12時満席のトルコ航空
TK−597(定員約300名)にて機上の人となる。時差6時間現地時間20時迄の14時間のフライト、
お尻が痛くなる程の遠い国、ヨ−ロッパ側のイスタンプ−ル・アタチュルク空港に無事到着する。
人口730万人、トルコ第一の都市、気温は日本と変わらず快適であったが小雨。
三菱製の観光バスにて約1時間にて新市街のヒルトンホテルに到着する。部屋割り、明日の朝食の時間、場所等打ち合せの後、各自の部屋へ。10時近くになっていた。
日本時間だと午前4時、シャワ−を浴びて床に着く、丸々23時間近く起きていた事になる。
ボスポラス海峡のよく見える部屋であった。
10月5日晴、バゲッジダウンの後9階のレストランにて朝食、ボスポラス海峡の対岸はアジア側
(国土の97l)、7時過ぎに太陽が昇ってきた。8時出発、全線ガイドはオグズコカさん(ボントリップッツァ−)
30才独身、札幌に語学留学の経験者だがそれ程日本語は上手ではないが一生懸命楽しい旅行にしようと努力してくれた。
ガラタ橋をわたりモスクのミナレットやヴィザンチン帝国時代からの城壁やマルマラ海を見ながら国内線空港へ、9時20分TK−230カイセリ行き、120席はほぼ満席、10時45分到着、軍事空港の為写真撮影は禁止される。
中部アナトリア地方は又小雨、少し肌寒い、海抜1200メ−トル、スキ−場のあるエルジャス山(3917b)は雲に覆われ何も見えなかった。バスで走ること約1時間半50〜60軒の集落が20〜30`おきに点在する。その間麦畑ばかり、時折背の低いブドウ畑と柳に似た木が少し有るだけの高原、水の無い川らしきものがたまに有るだけで人々の生活様式は想像も出来ない。麦畑は境界もなくただ延々と続いていた。だけど集落には必ずモスクだけは存在している。日曜日のせいか取り入れの済んだ畑には人影はまったく無かった。
ウルギュップの町を越えいよいよギョレメの町に入る。奇岩の間をバスは坂を喘ぎながら登って行く、やっと洞窟レストラン・カッパに着く、ところが予約が入っていない。しかたなく明日の夜行く予定のアヴィノスの洞窟レストラン、サリカヤ・レストランまでバックする。入った時は誰も居なかったが食事をしているうちに段々とお客も増えてきた。トマト、ネギ、胡瓜等野菜を中心とした家庭的トルコ料理が並んでくる。ワイン、ビ−ルを飲む。デザ−トは西瓜、桃、葡萄の内からチョイスする、共に美味しかった。ワイン150万、ビ−ル40万、水、ジュ−ス20万、
トイレは無料。
食後カッパドキア地方最大の観光地ギョレメ野外博物館へ、とにかく凄い景色、とんがり山の中に人の住居があり教会が作ってある。修道院、林檎の教会、蛇の教会、暗黒の教会、サンダルの教会等がうち続く。教会の中には当時のフラスコ画が描かれキリストや十字架、聖母マリア等々キリスト教の遺跡の山々。4世紀から11世紀までの間キリスト教徒は迫害を受けこの地に逃げ込み、岩の中に住居や教会を作り信仰に生き続けた場所であった。観光の最後には太陽が出て日差しが強くなってきた。駐車場近くに売店もあり、ワイン、ベストを購入する。オルタヒサ−ルの谷で止まり休憩、写真撮影、本も購入した。
次の観光地はウチヒサ−ル、大きな岩に次々と穴をあけ住居としてしまった所、また反対側には浸食でできた岩肌。次はアヴィノスのカナック・アドネシ陶器店に寄る、この地方の産物だが非常に高い。30センチの絵皿が12000円以上、小さい灰皿でも1500円程、タイルももちろんあったが見るだけに終る。
宿泊はネプシュ−ヒル・デデマン4ッ星のこの地方最高のホテルに泊まる。
7時よりバイキング形式の夕食、今夜は吉田美恵子さんの?才の誕生日、席をまとめてもらい全員で祝福、
ケ−キカットの後トルコの名酒ラクで乾杯、ラクは別名ライオンの乳といい水割りにすると乳白色に変わるアルコ−ル度40lのお酒、イスラム教徒は禁酒だがトルコのみ許されている。
その晩井上さんの部屋に多数集まりソ−メンをさかなに宴会をする。
10月6日天候は晴天、気温が下がり寒くなる。少し厚着をして出発、パシャバ−谷に着くと突然の霧、シャッタ−チャンスとばかりおおいに写真を撮りまくる。有名なキノコ岩が霧に霞む。葡萄畑とキノコ岩、幽玄の世界に酔いしれた。
テルベントの谷に着いた頃には霧も晴れ駱駝の形をした岩や奇岩を写真に収める。ここは人が住んでない谷で人為的な物もなく自然そのものであった。
キャラバン・サライ風のお店で昼食、昨日寄った陶器店の近くだった。
セルヴェ野外博物館へ、三っの谷を持ち1950年迄キリスト教徒やイスラム教徒が住んでいたが崩落が多く現在は博物館になっている。八階建て?のお家もあった。
30分程バスに乗りカイマルクへ、ここは地下都市で有名な場所である。地下8階まであるが現在5階までを一般公開している。入口には小銃をもった兵隊が監視していて少し気味が悪い。
オグズさんの説明によると、当時の身長150aぐらいのキリスト教徒1万5千人程がここに住んでいたと云う。
中に入ると通路は狭く中腰で通らなくてはならない上に急勾配で頭と足元を懐中電灯で照らし、前の人のお尻を見ながら降りてゆく辛さ、説明を聞くのもそぞろになり、こんなきつい観光場所は初めてであった。たかももの張った人、頭を岩でぶつけた人、とにかくよくぞ耐え忍んで迫害から身を守ったものだと感心やら敬服やら、人智のなせる術とは・・・?
途中の畑で村人10数人がジャガ芋の収穫をしていた。麦の収穫も村人全員で仕事をするのかと思いをはせれば、あの広大な麦畑に道も無く境界も無い風景が納得出来る気もする。帰り道、運よく遠くにエルジャス山が遠望出来た。時間があったので鳩の谷も観光出来たが小生はカイマルクの観光が身に応えたのと、二日酔いで体調が思わしくないのでダウンぎみ。オニッキス、トルコ石の工場見学に入ったがあまりの値の高さに驚くのみで数人はそれでもお土産に購入していた。
明るい内にホテルに帰り少し休憩、映りのわるいNHK衛星放送を少し見る。20時昨日昼食をとった洞窟レストランへ、20時半到着、ワイン、ビ−ル、ジュ−ス、水を注文、21時より民族音楽、民族舞踊、ベリ−ダンスを観賞する。メインディシュをマトン、マス、チキンよりチョイスする。デザ−トに出た桃も美味しかった。
口髭をつけた井上氏に全員唖然とする。ダンスを踊った民族衣裳のお嬢さんと一緒に写真を撮る人、なかなかにぎやかな夜であった。22時半頃出発し23時頃ホテル着早々に寝る。
10月7日晴、8時にホテル出発、途中古いキャラバン・サライ(隊商宿)の見学、非常に寒い。地平線を見ながらトルコ2番目の塩湖チュズ湖で休憩、ドライブインで特産の塩を購入、トイレ休憩2万リラのチップ、
ハサン山(3300b)が遠望出来た。エルジャス山とハサン山の噴火によりカッパドキア地方のキノコ岩が出来たことに納得した。ただ地平線迄続く畑の収穫をどうして行なっているのか未だに不明。
昼にトルコの首都アンカラに到着、アタチュルク廟に行く、トルコ建国の父の棺が宝物と共に展示してある。
市街の展望が綺麗であった。人口360万人トルコ第二の都市である。ここもナミレットが一目10本位の割合で建っている。
古いレストランにて昼食、塩辛いアイランを飲む、丸いピデや薄焼きのユカフ(パンにチ−ズがかけてある)を食べる。メインディシュは肋の牛肉。
アナトリア考古学博物館通称ヒッタイト博物館を見学する。建物はオスマン時代のキャラバン・サライ、
バザ−ルとして使われていた古い建築物で、B.C.3000年〜B.C.2000年前に出土した青銅器、金細工、銀細工、石のレリ−フが展示してある。中国の青銅器より大きく精巧な技術に驚かされる。
アンカラを16時発イズミ−ル行きのTK−395便に乗る。17時20分着。
機内より眼下を見るとまったくなにも無いアナトリア高原を飛んで行く。小山の麓に集落が20〜30`おきに見えるだけ。もちろん緑も、川も無い。ただ雨が降れば大地を削り浸食して濁流となり何処かへ流れて行くのだろう。山に樹木が無く水を貯える力が無いとこういった景色になるのではないかと思われた。
日本の山をもっと大事にしなければと思う。イズミ−ル近くになるとお碗を伏せたような火口が3つ程見えその近くにダムが建設されダム湖が2個ほど出来ている。水の近くは樹木が育ち山は緑になっている。 飛行機は高度を下げトルコ第三の都市人口300万人イズミ−ルが見えてきた。
夕日に映える海はエ−ゲ海。中心市街にあるイズミ−ル、ヒルトンホテルへ。地上32階市街を見下ろすがごとくにそびえ建っていた。部屋よりエ−ゲ海に沈む夕日を撮影する。最高の景色にご満悦。
19時よりレストランでバイキング、食材も豊富で豪華であったが生演奏のチタ−ルがうるさい。
ビ−ル、ワインを注文し軽く飲んだが疲れがたまり食欲はわかなかった。
10月8日晴れ、8時出発ベンツのバスで1時間半の所にあるエフェスへ、高速道路も完備され快適なドライブであった。綿花が栽培され手で摘み取っている。世界第2の綿花の輸出国との事、山間部はオリ−ブの栽培が盛んで料理の全てにオリ−ブ油が使用されている。時折付くご飯もオリ−ブ油のピラフだった。バスは山の中へ、松林の間よりエ−ゲ海が見えた。赤松、黒松の木が地中海にもあるとは一瞬驚いた。
ロ−マ法王パウロ6世やクリントン夫人も訪ねているブルブル山の聖母マリアの家に到着、キリストの死後
マリアはここに住み昇天したと云う。小さな石作りの教会が建っていた。発掘され復元した物だと云う。
世界中のキリスト教徒が訪れるメッカで年間600万人の観光客がここにやってくる。この日も観光バスが駐車場狭しと長蛇の列が出来参道もごったがえしていた。
バスは元来た道を少し引き返すとエフェス(古代名エフェソス)の古代遺跡の宝庫に着く。気温29度、昨日寒くて震えていたのにこんなにも気候が違う、北海道から沖縄に来たみたいだ。遺跡に南北2つの入口があるが我々は南側より入場した。ここの観光客も非常に多い、そして国際色豊かである。一体何ヵ国の人々が来ているのかガイドの説明も千差万別であった。日本人の観光客が今年は10万人になるとのことだった。
B.C.11世紀にイオニア人によって築かれた都市国家、エ−ゲ海に面し港町として世界の交易で永年文化を支えてきたが、港が土砂で埋まる西暦300年頃に衰退した。しかし地中海沿岸でもっとも、その規模、歴史的価値、保存状態が良いのがこの遺跡である。現在の海岸は6`先になってしまった。
まず目に入ったのが音楽堂、1400名収容のオデオンは議会場としても使用された。 ドミティアヌスの神殿、ミメウスの凱旋門を下ると大理石のクレティアス通り、その反対側に勝利の女神ニケのレリ−フ、少し下るとトラヤヌスの泉、ハドリアヌスの神殿、その前にモザイク通りがある。ここは高級住宅があった所。元気な人は右の高台に上がり展望する。目前に4つの浴場跡、娼婦の館跡、ケルルス図書館が広がり写真を撮る。
元に戻り古代の公衆トイレを見学する。当時上下水道が完備されていたと驚く。綺麗に復元されたケルルス図書館の前で少し休憩、アレキサンドリア、ベルガマと並んで世界の三大図書館といわれ12万冊の蔵書を誇っていた。図書館より大劇場までの通りはマ−ブルストリ−トでここも大理石が敷き詰められている。
途中娼婦の館を示す敷石があった。
山の斜面をア−チ状に利用した大劇場、24000人収容のこの劇場の大きさに圧倒された。一番高い所まで昇って見るとアルカディアン通り(港町通り)が港まで続いているのがよく解る。当時25万人とも30万人とも云われる人口があった巨大遺跡都市、往時が忍ばれる素晴らしい遺跡であった。
昼食をレストランでとる、魚のフライが非常に美味しかった。
エフェス考古学博物館へ。ここにはエフェスの遺跡から出土した遺品が展示されている。中でも女神アルテミスの彫像は有名で3bの古い女神と少し小さい完全な形をした女神と二体もあった。
男性の巨大シンボルの像(フェズ)のレプリカや豊饒のアルテミスのレプリカが販売さてれていた。五穀豊穣、子孫繁栄は人類究極の願い、世界共通である。
エフェスの中心地アルテミス神殿跡を訪ねるが石柱1本のみの平原だった。大理石の石柱は宮殿や教会の建設に持ち出された跡地のみ・・・。世界の七不思議と云われる。
18時TK−347便にてイスタンプ−ルへ19時着。ヒルトンホテルに直行。ホテル直前で渋滞に巻き込まれた。その車の間をジプシ−が花を売っていた。2つ位の小さな子供が分離帯で遊んでいる。事故に遇わないかと心配する。就学率は低そうだった。
今度の部屋は2回エレベ−タ−に乗らないと着かない、1階の見晴らしの悪い部屋であった。夕食は9階のレストラン、バイキングだったがお皿に盛り付けをして運んでくれた。ステ−キも出て全員感動。
10月9日晴、最初にブル−モスクへ、中に入り大きさに圧倒され、ブル−タイルの美しさに感激する。
次にグランドバザ−ルへ、10時開店で陳列や清掃に余念がない。ブラブラ歩き特別買物もする事無く
通りすぎるだけであった。最後にキャビアを購入する。
地下宮殿と呼ばれる貯水場、大理石の石柱何百本も使った壮大な地下宮殿でメンド−サの顔の礎石が2個、文字の入った石柱等、古い宮殿や遺跡から持込んで建築されていた。音楽とマルチビジョンで幻想的な雰囲気であった。
そのまま徒歩で聖ソフィア大聖堂博物館へ、537年12月ギリシャ正教会の総本山として建築された。
高さ55b、直径36b巨大建築物である。モザイク画が漆喰の下に隠されていた。1453年スルタンはイスラム教のジャミイに改造してしまった。礼拝する角度がキリスト教とイスラム教ではずれているのがめずらしい。中のド−ム天井を修復するため足場が組んであり写真にならなかった。2階の回廊まで上がったが5階に相当する高さであった。とにかく大きいカメラに納まらない。トイレで2万リラを支払う。
トプカプ宮殿へ、表敬の門を潜り第二内庭へ厨房には当時の鍋、釜、食器等が展示してあった。1467年に建設されているので530年前の宮殿である。そこに古伊万里の陶器があったのに驚く。幸福の門を潜り謁見の間をみる。第三内庭より第四の内庭へ、金角湾が望まれた。右に行き食堂へ、コンヤル・レストランで昼食、パンとドルネ・ケバブを食べる。食後マルマラ海を望むが少し霞んでいた。宝物館ではトプカプの短剣
(サファイヤと金細工)世界第2の大きさ「スプ−ン売りの86カラットのダイヤモンド」を見る。共に写真で見るよりははるかに美しく綺麗であった。
軍事博物館に3時前に行く。ここではオスマントルコ軍楽隊の演奏を聞く為である。ガイドに云わすとあまり日本人の観光客は来ないらしい。テ−プ、CDを買う。カメラ持ち込み20万、ビデオ40万が必要だった。
日本の「さくらさくら」を演奏してもらった。伊勢の祭り博にも来日しているがその時聞けなかったので感動する。
いよいよショッピング、トルコの総合ファッションメ−カ−、ワッコにくり込む。この商店街の前の道は歩行者天国になっており銀ブラ気分である。真ん中をチンチン電車が通りなかなか風情があった。シルクのスカ−フをお土産に購入する。
夕食はバスで約1時間という。一体何処にいくのかと思えばボスポラス海峡を北に進んでいた。あと9`で黒海だという。さぞ美味しい海鮮料理が食べられると期待したが期待はずれだった。
田川さん魚屋で刺身を作る。今夜部屋で食べようと云う。いよいよ最後の晩餐会、また井上氏の部屋に集まり先程の刺身やラ−メンで宴会、アッという間の一週間であった。
10月10日晴、午前中自由時間で荷物の整理をする人、ホテル内のショッピングモ−ルで買物する人、タクシ−で市内へ繰りだす人、好きなように時間を過ごす。11時いよいよ帰路に、途中ホテルで昼食、最後の挨拶と添乗員沖さんの挨拶、吉田様夫妻からお礼の言葉を頂きTK−596便機上の人に。
帰りは機内泊11時間、17時に離陸午前10時無事関空着。各自安堵の我が家へ。お疲れ様でした。
平成9年10月13日 水平 仁 記