地価の算定方法

ホーム

山口県の地租改正
 地券の発行
 地価の算定方法
 地券の変遷
山口県の地租改正












 さて、本題に移ります。1筆1筆の土地の値段(地価)をどのように算定したか。これはその土地の種類(地目;ちもく)によって異なります。
ここでは始めに着手された「田」、「畑」、「郡村宅地」について説明します。ここで「田」は米を作る土地、即ち水田です。「畑」は水田以外の農作地、「郡村宅地」は宅地と考えて下さい。


●まずは簡単な畑から

 畑の地価を求めるためには、まずその土地の面積を使います。前に述べたように測量をせず、江戸時代の検地などの帳面から面積を調べます。次にその土地の等級を決めます。これは道に面しているか?、とか、人里から遠いか?などの条件で評価し、18段階の査定をします。一番条件が良い評価は1円/反、最悪の土地は5銭/反の評価になります(反;たん,1反は300坪)。面積と評価が分かれば地価は算定できます。

 例えば、面積が1反1畝14歩 で、評価が上ノ上(1円/反)の場合、

  1反1畝14歩 = 1 + 1/10 + 14/300 = 1.146666反
  
のように、面積を反の単位で表し、

  1.146666反 × 1円/反 = 1円14銭7厘

これが地租、即ち、毎年納める税金になります。

このとき地価の3.2%が地租になるように地価が決められたので、

 1.147 ÷ 0.032 = 35.84375円 ⇒ 35円84銭3厘

となります。

このように、地価が先に決まるのではなく、地租が算定され、それが地価の○%になるように、という流れで地価が決められています。「地価」とはその字のごとく「土地の価格」ですが、政府の興味は税収となる地租がいくらかということなのです。実は税収が先におおよそ決められていて、つじつま合わせに地価が逆算されているというからくりが、要所要所で見えてきます。これは後ほど。

地券には土地の評価は記載されていませんが、地価と面積が書かれているので、上に示した計算式から逆算すれば評価が分かります。


郡村宅地の場合も畑と全く同じです。その土地の面積を使い、立地などの条件から18段階の等級が決められました。



●さて、問題は「田」です。 この場合は面積は全く関係ありません。徳山の山田家文書(山口県文書館蔵)の中に『旧新増減帳』というものがあり、この中に田の地価算定方法である「現生米歩引法」について、以下のような記載があります。

「一上ノ上田反歩ニ付

    現生米貳石
    地価九拾三円七拾五銭
   
    此法石ニ付四拾六円八拾七銭五厘
    ヲカケレバ知ル也其余は上ノ中より 
    歩引方法有之例□バ上ノ中田ハ
    現生米貳石ヘ九ヲカケレバ壱石八斗ト成之
    是ヘ四六八七五ヲカケレバ地価何拾何円
    と知ルナリ或ハ上ノ下ハ八ヲカケ中ノ上ハ七
    □ヲカケ順々九等相分ル之      」

 これを解説しましょう。

 田の場合は9段階の評価をします。最上級が「上ノ上」、以下、「上ノ中」、「上ノ下」、「中ノ上」、.....、「下ノ下」となります。

 上ノ上の場合、この土地の「現生米」が2石だったとした場合、

    2 × 46.875 = 93円75銭

 となり、これが地価になります。

 上ノ中の場合は「現生米」の2石に0.9をかけて同様の計算をします。即ち、

    2 × 0.9 × 46.875 = 84円37銭5厘

 が地価になります。
 このように土地の評価が悪くなるに応じて係数を下げていきます(上ノ下は0.8、中ノ上は0.75...というように9段階に歩引する)。

ここで『46.875』とは何か?これがまた複雑ですが、これは意味が判っています。当初、米1石の土地の地価は30円に設定されました。これは当時の米の相場より、1石が3円と設定され、このうち経租(大蔵省に納める税)を90銭、緯租(民費)を60銭とした合計1円50銭が地価の5%になるように地価が算出されたからです。式で表すと、

   1円50銭 ÷ 0.05 = 30円

となります。ここでも税金の取り分を先に決め、逆算して地価が決まってることに気づきます。

その後、地価の5%の税金は取り過ぎということになり、結局、3.2%に落ち着きました。式で表すと、

    1円50銭 ÷ 0.032 = 46.875円

となります。これが46.875 [円/石] の根拠です。鋭い人はここで「おや」と思われたでしょう。5%の税金が取り過ぎなので、3.2%に引き下げたといいながら、実は地価を吊り上げて税金が3.2%になるようにしただけです。よって徴収する税金の額は変わらないことになります。数字の遊びというか、とんでもないというか。

  
....でも実際はとんでもなくはないのです。ほとんどの土地について、地租は江戸時代の年貢よりも低くなっているのです。むしろ人々は自分の土地の評価が上がる(地価が上がる)ということで、すんなり受け入れたようです。

ともかく、1石の場合は46.875円の地価となり、これに上で述べた「現生米歩引法」という係数がかけられ、不便な土地にはそれなりの配慮がなされたのです。結局、

   地価 [円]= 現生米 [石] × 評価に対する歩引 × 46.875 [円/石]

ということになります。

 では田の地価算定方法で何が判らないのかというと、先ほどから何度か出てきている「現生米」というものです。「現生米」を個々の田についてどのように調査し、その決定値が幾らかを示した史料が見つからないのです。

上で述べたように地券には地価と面積が書かれていますが、現生米や評価は記載されていません。地価からこの2つを逆算しようにも、『変数が2つ、式は1つ』であるため、解が求まりません。

「現生米」の決定については、小郡宰判の大庄屋で、明治4年から県庁租税課専勤を命ぜられた林勇蔵が関わっており、その過程が『林家文書(山口大学所蔵)』に残されています(私は現物を展示で見ただけですが
)。この文書を使った先行研究として、小林氏の論文(『長州藩明治維新史研究 後編』、第2章、地租改正、未来社、1968年)があります。この中で地租の対象地の記述において「それらはいずれも旧藩時代の反別・石高によっているが、出生米(現生米)を出すとき、いちおう捨象されている。」と解説されています。また南吉敷郡における地券税法実施についての実地調査の細部協議(明治5年10月)の中に「出生米は歩刈をせず、高にもよらず、まず何程預ケ(小作料)なるよりして出生米を査定する。預ケ米はその地の地主によって高下があるから、小作人の善悪、または小作料の高下や売買値段などを聞合・斟酌して立てること」と書かれています。

これは現生米の決定は宝暦検地帳の石高ではなく、小作料を元に査定が行われたことを示唆しているのですが、『その方法を採用した』とは書いてないのです。また具体的に小作料から現生米を算出した史料は見つかっていません。林家文書に限らず、県内の庄屋文書の中にも(これは一応目を通しました)、現生米を算出した断片すら見つかりませんでした。もっと簡単な算出方法があったのではないかとも思えます。

★史料が残っていない理由を考えてみると...
 一旦地価が決められれば、もうその土地がどんな評価であったかということは、それほど重要なことでは無くなってきます。例えば、道から遠い不便な田が地価算定の際に下ノ下の評価となり、その後、道が整備されたとしても、評価を上げて地価を見直すことは全くされていません。一度決まった地価はその値のみが一人歩きの状態、その根拠はむしろほじくられないほうが良かったのかもしれません。で、廃棄した...?

 それはともかく、これまで周南市のある地区について、現生米がどのように算出されたのかを調べてみました。上で述べたように、『変数が2つ、式は1つ』の状態ですが、評価に対する歩引率は9通りしかないのが分かっているので、とりあえずこの9通りの歩引率を代入して「現生米」を逆算しました。これにより1つの水田に対して9つの現生米の予想値が求められます。この中に小数第2位で割り切れるものが出てきます。これは現生米が○石○斗○升までの有効数字で決められたことによるものと考えられ、これがこの土地の現生米と予想されます。

 例えば、地価が35.063円の田の場合、

  上ノ上 35.063 [円] ÷ 1.0  ÷ 46.875 = 0.7480106
  上ノ中 35.063 [円] ÷ 0.9  ÷ 46.875 = 0.8311229
  上ノ下 35.063 [円] ÷ 0.8  ÷ 46.875 = 0.9350133
  中ノ上 35.063 [円] ÷ 0.75 ÷ 46.875 = 0.9973475
  中ノ中 35.063 [円] ÷ 0.7  ÷ 46.875 = 1.0685867.
  中ノ下 35.063 [円] ÷ 0.65 ÷ 46.875 = 1.1507856
  下ノ上 35.063 [円] ÷ 0.6  ÷ 46.875 = 1.2466845
  下ノ中 35.063 [円] ÷ 0.55 ÷ 46.875 = 1.3600194
  下ノ下 35.063 [円] ÷ 0.5  ÷ 46.875 = 1.4960213

として、9通りの現生米の予想値を算出します。これをよく見ると、歩引率に0.55を仮定したときの現生米が1石3斗6升でほぼ割り切れています。よってこの土地の評価は「下ノ中」で「現生米は1石3斗6升」と求められると考えました。

これは鋭い! と自分でも思いました。しかし、色々な土地にこの方法を適用すると、現生米が小数第2位で割り切れるものが複数出てくることが多いことに気が付きました(歩引率が0.5から0.05づつ増加しているので、5の倍数で割り切れやすい)。

宝暦の検地帳と地券の両方が現存している土地がそれほど多くなく、さらにいくら測量をしなかった地租改正といえども、多少の変更作業がなされていて(例えば、こまごました田を隣接した田と合わせて一筆にする)、サンプルを集めるのが大変でしたが、宝暦の検地と地券で面積が同じで、且つ、現生米の予想値が1つに絞られる土地は6つ見つかりました。

その結果、宝暦の検地で評価された土地の石高は現生米の算出に使われていないことが立証できました。では、現生米はいったい....、で、現在止まっています。



以上、『徳山地方郷土史研究』 第22号 (2001年3月) に投稿した内容を分かりやすく書いてみました。


           つづく