●村井正誠に、画用紙に二つの大陽を描いて持ってきた子供がいた。
それを見て「暖かくていいねぇー!!」
これは「村井正誠を語る会」で雙葉学園の先生が語ったエピソードですが、私はこれを聞いたとき泣いた。
●いいネー、いいネー、大きな絵はいいネー。気持ちいいネー。大きな絵は。
単に、大画面の絵がいいと言っているわけではない。のびのびとしたおおらかな絵も併せて言っていると思う。おおらかなのびのびとした絵が大画面になったらなお気持ちがいい。
●近頃は元気のない絵が多いね。僕は元気のある絵が好きなんだよ。
画面に絵の具や線、フォルムが暴れ回っている絵がいいと言っていっているわけではない。元気の「元」とは、中国哲学では根元、根源などの意味を持つ。人間のあるいは自然における原初的なものを感じさせる気のある作品がないということを言っている。その気を感じない絵はいい絵とは言えないと言うことだ。
●この一点だけは、いいね。あと九点は神様がいないよ。でも、一点もあればいいよ。一点もない人が沢山いるんだから。
元気のある絵と言い換えてもよい。一点でも描ければ、その確率を上げることが出来るのだから。素質の問題でもある。絵に対する姿勢の問題とも言える。
●座って描くと、どうもへこたれた絵になります。
絵に対する姿勢の問題。描きたくて描いた絵と、そうでない絵は、絵の持つ気、魂が違う。
実際に言っても、立って描いた方が、絵をいろいろな方向から眺められて独りよがりにはなりにくい。座って描いているとどうしても視野が狭くなる。
●うまくても困ります。へたでも困ります。その中頃がいいんです。
●職人的な技法を見せるような絵は、よくありません。下手でよいのです。単純でしゃれっけのある作品が好きです。
いい按配ということ。結局、うまく描いてもいつまで続くとは限らない。下手はもちろん論外。ほどほどに。
うまく描こうとしても、また下手に描こうと意識してするのもいやらしくなるだけのこと。
描きすぎずに、ちょうどよくて、見る人が面白い、うまいなあ、素敵、好きだなあと感じてくれたらしめたもの。
●小骨の集積では駄目。大骨を描かなければ。
末梢的なことをいくらやってもくたびれもうけで、本質、本物、真を極めなさいということ。とにかくズバッと描くことです。
●詩を書くように、絵を描きなさい。
抽象絵画の本質的なこと。日本的に言えば、短歌、俳句を書くように絵を描きなさいと言い換えてもよいだろう。出来るだけ単純に、それでもって広がりを持つフォルムを抽出する。これが絵の神髄でもあります。
●不自然なところが出来るんですが、そういうところがいいんです。
単純化するだけだったら元素のように、味も素っ気もなくなり、単なる記号と化すが、そこに、不純物を加えることによって生命感を獲得する。
雪の結晶は、空気中のチリなどが核になって形が作られる。それと同じように物事は純粋なだけでは魅力は獲得できない。何かしらの不純物が混じっていると言うことなのだ。それが、絵で言えばしゃれっけ、見せどころである。見る人に引っかかりがないと心に残らないともいえる。
●こちらからあんまり暗示を与えるとつまらなくなるが、ある程度の暗示は必要です。作品というのは、人にながめさせる時間を長く持たせると言うことが大切です。あんまり親切でもいけない、と言って不親切でもいけない。
説明しすぎてはダメ。教育も同じ。自分で考えるチャンスを作って上げないと。一生懸命、余計なお世話なくらい丁寧に教える人がいるが、結局は俺を押しつけているいるのと同じ。教わる方の身にもならないし、頭を押さえつけて成長を妨げている存在でしかない。